ADAMOMANのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

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今更バットマンビギンズを語る〜バットマン映画の金字塔〜

バットマン ビギンズ (字幕版)

最近はジェームズ・ガン監督による「新生・スーパーマン」が話題ですが、色々あってまたリブートされたDCU(DCユニバース)における、いずれ現れるであろう新たなバットマンにも期待が集まる中、こんなニュースを見かけました。

news.yahoo.co.jp

歴代バットマン映画のベスト作品は?なんて話題になればどうせ「ダークナイト」が1位なんでしょ?…と思ったら「バットマンビギンズ」が1位でした。

あえて「ダークナイト」を外すところにちょっと玄人っぽさを感じて面白いなと思い、久しぶりに改めて「バットマンビギンズ」を見直しましたがやっぱりこの映画最高ですね。

かく言う私も内心「バットマンビギンズ」が一番好きなバットマン映画なんです。それは多分、リブートした久方ぶりの実写版でありながら、ドアタマから「バットマン」の本質をえぐり抜いた特濃バットマン原液そのものだったからだと思います。

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5年前にもビギンズについては1回熱く語ってます。

 

凄まじい密度

同じくDCの中でもドラマシリーズで有名な「アロー」。

これも大好きなんですけど、例えば「アロー」で言えば1シーズン23話かけて描けるようなことを、たった2〜3話分くらいの時間で描き切っているのが「バットマンビギンズ」という映画です。

Arrow/アロー(吹替版)

Arrow/アロー(吹替版)

  • スティーヴン・アメル
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当時高1だった私も事前に「バットマン誕生秘話」という本作のコンセプトだけは理解した上で劇場に足を運びました。

正直、ファルコーニを逮捕したくらいで「そろそろ終わりかな?」と思って見ていたらまっだまだそこからが長かったんで、全体的に「長い映画だな」とは感じました。

けど、ダレはしなかったですね。最後まで全く飽きることなく夢中で観れました。

この映画って、本当凄まじい密度で構成されていて、

  • 幼少期のブルースと両親との死別:全ての始まり
  • チルへの復讐失敗と旅立ち:復讐(銃)の否定と不殺主義
  • 犯罪と彷徨:師匠との出会い
  • 「影の同盟」での鍛錬の日々:忍者的戦術の体得
  • 「影の同盟」との決別、ゴッサムへの帰還:ラスボスの伏線
  • 「シンボル」の探求と試行錯誤:蝙蝠のシンボル獲得
  • バットスーツ完成とファルコーニ戦
  • ...まだまだ続く

少なくともブルース・ウェインが「バットマン」を名乗るまで、これだけの描かれるべきドラマ、というか「ノルマ」があるわけですが、これを60分程度で実にテンポ良く描いています。

あと、これらを単に時系列順に描くのではなく、過去のエピソードを「ラーズの元で修行するブルースの回想」と位置付けることで、これらをほぼ同時に描いてます。

これが実に巧みで、ゴッサムを旅立つ前のブルースの過去ってそれだけ描写しても多分あんまり見所がなくダレちゃうところだと思うんですよね。でもゴッサムを捨ててラーズの元で修行するブルースの「今」の因果を「過去」のブルースの物語とリンクさせてるから、全部筋が通ってて物凄く腹落ちしやすいんですよ。

っていう、要はノーラン監督のストーリーテリングの巧さが光りに光りまくっている映画だってことです。

そしてこの手法は、上述の通り本作に明らかに影響受けまくってる「アロー」においても、「島での5年間」の描き方に踏襲されています。

 

名台詞が繋ぐ「過去」と「今」

それでも、過去と現在が交互に描かれる作劇ってどうしても複雑になりがちです。さらに登場人物もそこそこに多いので、ノーラン作品全部に共通して言えることですけど、1回見ただけではあらすじの全てを理解することはまぁ不可能です。

だけど、「ドラマ」は初見でもわかります。筋の通った「シナリオ」の理解は難しくても、キャラクターの「感情の動き」だけは1回目でちゃんと追えるようにわかりやすく作られています。過去のセリフを現在においてそっくりそのまま、繰り返し引用しているからです。

具体的なものをいくつか紹介します。

"Why do we fall? So we can learn to pick ourselves up."

なぜ落ちる?這い上がるためだ。

ある意味本作の最も重要なセリフ。最初は古井戸に落ちたブルースに対して父のトーマスが、そして次は屋敷を燃やされ地下に降りたアルフレッドとブルースの会話の中で引用されます。

"Haven't given up on me yet?"

"Never."

見放さないのか?

決して。

個人的に最も印象に残ったのがやっぱりアルフレッドの「ねば♪」です。これもチルの公聴会に向かうブルースとのやり取りと同じものが最終決戦前に再現されています。

"It's not who you are underneath...it's what you do that defines you."

人の本性は行動で決まる。

これも印象的ですね。プレイボーイのフリをしている真っ最中の最悪のタイミングでレイチェルと再会したブルースが苦し紛れの言い訳をしたところ、真正面からレイチェルに言い返されちゃったのがこのセリフで、後にバットマンの姿でレイチェルにそのまんま引用します。いわゆる「秘密の暴露」に使われた重要なセリフです。

"Nice coat"

いいコートだ

ブルースがゴッサムを捨てて旅に出る際、近くにいたホームレスとコートを交換します。ホームレスは見るからに高価なコートをもらって大喜びでしみじみイッツァナイスコウト...と呟きます。そして後にバットマンとなった彼は、相変わらずあのコートを愛用しているホームレスを見かけてこの言葉を返します。

ブルースがゴッサムを離れていた間も全く街の状況が改善されていないことをも象徴しているという意味ではちょっと皮肉なシーンでもありますね。

"The key thing is... our company's future is secure."

専門的なことはともかく、我が社は安泰だ。

"Didn't you get the memo?"

メモを見なかったか?

これも好きです。見るからに少々乱暴な手段でウェイン社を動かしていたアール氏を追い出す瞬間に、彼が言っていたセリフをブルースとフォックスが2人でそっくりそのまま返すシーンです。

他にもこういう「引用」がめっちゃあるんでぜひ見返して探してみてください。

少々複雑な物語でも、これらの印象的なセリフがそっくりそのまま繰り返し引用されることで、キャラクターの変化や感情の動きがめっちゃわかりやすくなるんですよね。

あと、そもそも「バットマンビギンズ」ってあの「Mr.フリーズの逆襲」以来久方ぶりのバットマン映画でしたから、そもそもの期待値が結構低かったんですよ、

バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲! (字幕版)

バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲! (字幕版)

  • アーノルド・シュワルツェネッガー
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だから「ノーランのファン」というよりも小学生含め「ライトにヒーロー映画を観にくる層」が圧倒的に多かったはずで、そこへの配慮があったんじゃなかろうかとも思います。そういう「アジャスト」もノーランは巧いですよね。ノーランって基本的に「映画」という劇場体験を心から愛する男ですからね。

 

「必然」に支えられた物語

あと、高1のときの私と同じく、この映画を「バットマン誕生秘話」という前提を持って鑑賞している人間にとっては、劇中のひとつひとつの描写がまるでパズルのピースがすぽすぽとハマっていくように、「バットマン誕生」につながっていくある種の快感を持って鑑賞できるってのがデカいですね。あ、これがバットマンのこれにつながるんだ、みたいな。

  • 自身の恐怖(トラウマ)を相手にも植え付ける演出→コウモリのスーツ
  • 復讐に囚われたらレイチェルに張り手を喰らわされた→不殺主義
  • 両親の命を奪ったものと同じ拳銃を手にした自分への嫌悪感→銃を使わない
  • 会社に眠っている商品化されなかった大量の試作品→バットスーツの資材
  • 中でも橋をかける軍用車の試作機→バットモービル
  • 忍者の暗殺集団で鍛錬を積む→闇夜に潜む屈強な戦士のオリジン
  • 遠方の会話を盗聴するアンテナ→コウモリの耳
  • 一切痕跡を残さず素早くその場を立ち去りたい→グラップルガンとグライドマント
  • ベルトのゴールドに黒い円形のワイヤー巻取り装置→コウモリに見える

…とにかくこういう「バットマンあるある」全てに対してきれいに解答が用意されています。物語の全てのピースが「バットマン」という「必然」につながるから、全カットに意味があるって思えるから見てて嬉しいし楽しいんですよね。

「ダークナイト」が、先の読めない展開に振り回されるタイプの「ジェットコースタームービー」だとすれば「バットマンビギンズ」は、もう知っているオチに向かってどう綺麗に畳んでいくか?」の「プロセスを楽しむ映画」です。

だから本作のラストシーン、ジョーカーのカードを表に向ける瞬間に快感のピークが訪れるんですよね!あの瞬間の快感は鳥肌モノです。

 

アール氏というヴィラン

バットマンの「特濃原液」たる部分って、「バットマンは『悪』に育てられた」という点にあると思うんです。

そもそもブルースを鍛えたのはラーズ・アル・グール率いる「影の軍団」(リーグ・オブ・シャドウ)だし、その前にブルースを「犯罪の旅」へと駆り立てたのはファルコーニの「バーでのお説教」がきっかけです。

彼の語る「金では買えない恐怖の力」「人は理解できないものを恐れる」という言葉は、ブルースが「バットマン」という存在を発明する上での大きなヒントになっています。

一方、バットマンが駆使するガジェットの数々はウェイン産業製のものばかりですから、これは単に企業製品として捉えられるもの...と思いきや、そもそもバットスーツに使われた多くの「試作品」は、先代(トーマス・ウェイン)からは嫌われていた「軍用品」ばかりです。

バットスーツは前衛用のサバイバル・スーツだし、バットモービルも元々は軍用車で迷彩カラーでした。ラーズに利用された水源気化のマイクロ波装置もウェイン産業製でしたよね。

バットマンが身につけるガジェットは基本的に全て戦場で使われるもの=人を殺すための道具です。

そしてこれらはいずれも、トーマス・ウェインの死後、ブルース不在の間に会社を動かしていたアール氏の仕業でもあります。

本作を語る上でアール氏のことを特段取り上げて語る人は少ないですが、実はこのアール氏も「バットマンを育てた悪役」の1人です。だから、本作の終盤でラーズが退場した後、アール氏もブルースによって退場させられるわけです。アールの存在もまた、ブルースがバットマンとして今後も活動していくために精算しておくべき「負の存在」なのです。

アール氏って強引な経営者で、劇中ではフォックスを突然クビにしたことくらいしか直接的な悪事が描かれていないので、ブルースにあそこまで強引な手で会社を追い出される描写には少し違和感があったんですが、一つ一つの描写を追っていくとアール氏ってかなり悪いことしてるみたいなんですよね。

 

とまぁ、他にも語りたいことはいっぱいあるんですけどとりあえず今回はここまで。

以前書いた記事も合わせてどうぞ。

(了)

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ラストシーンの意味〜ザック・スナイダーとジャスティス・リーグの別れ〜

本作のラスト、ナイトメア世界(スーパーマンが悪に染まり荒廃した世界)の悪夢から醒めたブルースの元に、突如マーシャン・マンハンターが飛来します。

このシーン、多分なんですがザック・スナイダー監督なりの、ジャスティスリーグとの別れのシーンだったんじゃないですかね?

※あくまでこの記事で扱っているのは、2017年劇場公開版「ジャスティス・リーグ」ではなく、2021年に配信&ソフトがリリースされた「ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット」(スナイダーカット)です。

期待される続編

本作が公開されるまでに辿ったあまりにも複雑で険しい道のりについてはもう語り疲れた感があるので過去の記事を参照してください。

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もう言わずもがな、サイコーの作品でした。何度も何度も繰り返し見ました。

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ストーリーとしては、ステッペンウルフの侵攻を退けジャスティスリーグが誕生したところで一旦ひと段落。

ブルースは廃墟となっていた屋敷にリーグを迎える準備を始め(彼にとっての家族の再生)、ダイアナは一人故郷を偲び、バリーは捜査官としての職を手に入れ、アーサーは父親に会いに行く。サイラスは父の遺言を胸に空を飛び、クラークは家を取り戻し、それぞれの日常=家に戻っていく。ひとときの平和を取り戻した彼らでしたが、レックス・ルーサーは脱獄し、デスストロークに接触、暗躍を始めます。

そして、突如世界はナイトメアへ。ダイアナもアーサーも殺され、残るバットマンたちだけでゲリラ戦を続ける絶望的状況が映し出されます。

ここまでであれば、「うわー!続編絶対あるやん!絶対見たいわ!!」って思ってたと思うんですが...。この後の本当のラストシーンに多分全てが詰まっていたように思います。

今回久しぶりに見まして、「あ、やっぱりこれは続編ないわ」と思いました。なんというか、作品そのものが映像として「もうこれで終わりです」と明言しているように感じたからです。

まぁ、もちろん心情としてはあのダークサイドをきっちり倒すところまでは見たいですよ。見たいけど、もう言わずもがな色々な体制的な問題も含めて絶対無理でしょう。

いやそれ以上に、ザック自身にその気がないってことが、ラストシーンのブルースから感じられたんですよね。

 

ブルースとマーシャンの邂逅

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ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット(字幕版)

例のシーンなんですがとりあえず面白すぎますよね。

あのマーシャン・マンハンターとブルース・ウェインの邂逅ですから、そりゃあヲタクとしては盛り上がるところなわけですよ。だのに、寝起きのブルースのだるそうなことよ(笑)

ブルースにとっては、とりあえず悪夢から醒めたばかりのあんまり良くないタイミングで、初対面の緑顔の奇人が突然空から自宅の玄関までやってくるんですね。しかもなんかやたら褒めてくるし、それはとりあえずありがとうって感じなんですけど、今わざわざ言いに来ることか?というかそもそもあんた誰?みたいな空気をブルースがなんとなく醸し出していて、ちょっとシュールです。

それでこのシーン、改めて見ると「かなり意図的に」マーシャンとブルースに距離を置いているように見えます。

決定的なのは、ブルースが一度も玄関から出てこないこと。一瞬横からの二人を撮ったカットがあるんですが、建物の中と外で明確に二人の間が分断されています。歴史的な二人のスーパーヒーローの邂逅ですが、今後二度と交わることはないことが暗示されているようにさえ思えます。

また、朝陽と共に現れたマーシャンは朝陽の中に消えていきます。ブルースも彼が去った後を見送るでもなく、すぐに建物の中に戻っていきます。

 

二度と交わらないであろう二人

私は映像作品の中に監督個人の考えや生活などの背景をメタ的に汲み取る見方が好きではありません。あくまでフィクションをフィクションとして楽しみたい人間なのですが、まぁこのジャスティス・リーグに限ってはそうも言ってられないほど「色々」な「ゴタゴタ」がありすぎたので、そういう知識が入っちゃってるのも良くないのかもしれませんが、まぁ勘繰ってしまいます。

それに、作品そのものにザックの個人的な感情はかなり含まれていて、ブルースがバリーをベンツに乗せて走り出すシーンの街の看板に、自殺志願者へのエールのようなメッセージが映っていまして、これは明らかに愛娘オータムの自死からの彼の想いが如実に現れているカットです。

そういったことからも、ブルースとマーシャンの邂逅シーンにも色々が込められていると私は勝手に勘繰っちゃいます。ここから書くことは「正解」とかではなくて、本当にあくまで私個人の勝手な「解釈」です。

まず、このシーンのブルースは「ザックそのもの」に見えます。

「悪夢」を終えたザックの元に、朝日と共に突如舞い降りた見ず知らずの超人、これは突如降って湧いたスナイダーカット製作の話のように見えますね。マーシャンは、「スタジオからの突然の提案」の化身、もしくは「スナイダーカットを望んだ世界中のファンそのもの」とも言えるかもしれません。

マーシャンは、ブルースのリーグ結成の功績を真っ直ぐに褒め称えます。彼にとっておそらく最も刺さるであろう「両親」という言葉まで使って彼を褒めています。

これはザックにとっては当然「娘」と読みかえることができます。一度は挫折し、屈辱を味わわされた本作を再編し、新たに作り上げた父を、今は亡き娘・オータムも誇りに思っているに違いない、ということです。

ですが、割とそっけないリアクションで、なんなら首を傾げながらブルースは自室に戻っていきます。これは現在のブルースの自宅ですが、過去作のどのシーンと比べても最も明るく描写されています。やはり「朝」「陽光」という演出は見逃せないポイントで、ブルースにとって、またはザックにとって、すでにジャスティス・リーグの戦いは「過去」のものであり、彼は新たな日々の始まりの朝陽を浴びながら新たな仕事に着手している、ということでもあると思います。

 

ザック・スナイダーの意思表明

そう、彼にとってジャスティス・リーグはもう過去のものなんです。だからマーシャンが彼を訪れても、もう彼は大した興味を示さなかったし、家を出ないし、彼を家に招き入れもしない。これは、彼のアーティストとしての明確な意思表明だと私は思います。

ザックは、世界中のファンの期待に応えてスナイダーカットをリリースしました。そして、元々構想していたことの中でも、現段階で映像化できることをなるべく全て映像化して詰め込んでくれました。それは特に最終決戦終了後の各種映像に顕著です。

レックス・ルーサーとデスストロークの船上での会話シーンでは、「BvS」でも印象的だったバットマンのテーマ曲が断片的に聞こえ、本来予定されていたバットマン単独作のフリを匂わせています。

もちろん、「ダークナイト・リターンズ」まんまのあの戦車のシーンも、バットマン関係でザックがやりたかったことの一つでしょう。

そして続くナイトメアのシーンでは味方側につくデスストローク含めたゲリラ戦の模様を見せ、あのレトジョーカーとバットマンの長回しの会話シーンが続きます。

ここまでは、「本当はこういうことをやろうとしていたんだよ」という、「続編への前振り」というよりかは、「種明かし」をやっている感じですね。ひたすら種明かしを重ねて、もちろんマーシャン・マンハンターもそんな種明かしの一つです。

そうして、もう出せるもんは大体出し切ったよ、という種明かしの後に見るブルースは、おそらく急な再撮影のためにそこまでバルクアップもできず痩せ細った印象のベン・アフレックの見た目も相まって、「過去の人」って感じでした。

スナイダーカットのチャンスをくれたスタジオも、期待してくれた世界中のファンも、彼の功績を讃えてはくれるし、もちろんそれに対しての感謝はあるけれど、寝起きのブルースよろしく「なんで今なの?」みたいな想いもきっとあったと思うし、それってぶっちゃけたことを言えば、だったら2017年の段階でやらせろよって話だと思うし(私もそれを強く思っているから、実はスナイダーカットを手放しには喜べていません)、「今の私はもう次の世界を見ている」という、同じところに踏みとどまることなく、常に前進を続けている彼のアーティストとしての姿勢が、朝の眩しい陽光から強く感じられました。それと同時に、マーシャンへの少し冷めた目線から、彼はもう、ジャスティスリーグを見つめてはいないんだな、ということも悟った気がします。

気になる方、ぜひラストシーンをもう一度見てみてくださいな。

(了)

 

 

EMPで読み解くダークナイトライジング

 

HiPlay INART 1/12 バットマン『バットマン ダークナイト ライジング』標準版 可動フィギュア 塗装済み 完成品

HiPlay INART 1/12 バットマン『バットマン ダークナイト ライジング』

久しぶりにバットマン語ります。

本作で特に特にかっちょよかったなー!と思うのがEMPブラスターです。あれを構えるバットマンの姿にはまじで痺れました。

ところでこの「EMP」ですが、なんかやたらとこの映画にキーアイテムとして登場しています。もしくは「EMP」に準ずる様々な舞台装置が繰り返し登場します。

本作においてEMPとは「嘘」を暴く装置でした。そして「ダークナイトライジング」とは、簡単に言えば「嘘つきが負ける世界」の物語です。そんな本作の世界を「EMP」を軸に語ってみたいと思います。

EMPとは

EMPとは強力な電磁パルスのことで、これが一度放たれると周囲の電子機器はたちまち全て使用不可となります。特にIT化の進んだ現代においてこれは非常に強力な「武器」になります。

というか、戦争の武器だけでなく、通信手段から医療機器、インフラに至るまで、ありとあらゆるものを精密機器に頼っている現代において、EMPを使用するということは、私たちの生活を土台からひっくり返す行為と同義とも言えます。

そして本作「ダークナイトライジング」においてはこのEMPもしくは「EMP的なモノ」を、キャラクターや物語をひっくり返すための舞台装置として使用しています。

 

本作における「EMP」

EMPブラスター

まずは冒頭でも挙げたEMPブラスター。久方ぶりに復活したバットマンが乗っていたバットポッドに取り付けられていました。これを使ってベインの手下が持つタブレット端末のモバイル通信を妨害しようとしたものと思われます。

しかし、駆けつけた警官の銃撃によって即座に破壊されてしまいます。結果、バットマンは直接ベイン達を追いかけざるを得なくなりました。

個人的に、このEMPブラスターが警官によって破壊されたシーンは非常に象徴的だと思っていまして、バットマンとしてはあくまでもベイン達の持つ電子機器を狙って使ってるんですけど、人殺しの汚名を着せられている前提で見ると、犯罪者に向かって得体の知れないレーザー銃を使っているようにしか見えないわけで。だから「警察から追われる身となっているバットマン」を端的に説明するシーンとして完璧なわけですよ。

また、これは予想ではありますがこのEMPブラスターはトリガーを引かなくとも一定の電磁パルスを放ち続けているようで、バットマンの移動に合わせてトンネルの照明が落ちていき、バットマンが去った後はまた回復する、といった描写が見られました。

つまりここでのEMPは、「闇を味方につけるバットマンの演出の道具」として使われていることになります。

そして、そういった「演出」とは所詮「ウソ」でしかなく、だからEMPブラスターは破壊されたと見ることもできます。繰り返しますが本作では「ウソ」は必ず暴かれ否定されるものだからです。

 

バットマンのベルトに装着されたEMP

ベインのアジトでの決闘シーンで使われたものです。腰のベルトのスイッチを入れることでアジト全体が闇に包まれました。しかしそういった「闇を味方につける演出」はベインには全く効果がありませんでした。ベインもまた闇に生まれ、闇の力を武器に生きてきた「兄弟子」だったからです。

ここでも先ほどのEMPブラスター同様、「演出」に使われる武器は全てことごとく否定されていきます。

ちなみに、おそらくこれと同種と思われる装置をブルースもマスコミ相手に使用しています。杖をついて久方ぶりに報道陣の前に現れたブルースでしたが、色めきたつマスコミに向けスイッチ動作ひとつで彼らのカメラを一時的に動作不能にしています。

 

地下に仕掛けられたプラスチック爆弾

地下爆弾というか、「ベインの策略そのもの」がEMPのようなものだったと言えるかもしれません。ベインはダゲットをうまく利用してウェイン産業のあらゆる情報を盗み出し、ブルースの秘蔵の武器庫までをまんまと奪い取りました。

いわゆる「状況の転覆」とでもいいましょうか、バットマンが大切に秘蔵してきたもの全てが悪の手に堕ちた瞬間です。

地下で蠢いていた悪が、一気に地表に飛び出し、逆に街の警察官達がほぼ全員地下に閉じ込められる中盤のこの展開は、「地下」と「地上」の逆転をわかりやすく示しています。まさに「転覆」です。特に地下牢で苦汁を味わい続けてきたベインにとって、あの有名なスタジアム爆破のシーンは、地下から地上の支配者に登り詰めた記念すべき瞬間ですね。

本作ではこういった「転覆」「ドンデン返し」があらゆる局面で繰り返し起こり続けます。

 

ゴードンの原稿

ベインの策略にさらに説得力を持たせているのが、たまたま手にしたゴードンの原稿です。この中では、英雄と讃えられているはずのハービー・デントが殺人を犯し、その罪をバットマンが被っていた事実が赤裸々に語られています。

これをベインが暴露したことによってデント法の正当性が否定され、囚人が世に解き放たれました。一般市民や富裕層が身を潜め、犯罪者達が堂々と闊歩する新しいゴッサムが誕生します。「囚人」と「庶民」の反転です。これもベインによって行われた「転覆」です。

物語世界における「転覆」もそうですがこれは、前作「ダークナイト」のエンディングを真っ向から否定する行為です。これが重要なんです。本作は、嘘まみれで終わった前作「ダークナイト」の成功と勝利を否定する物語でもあるのです。

 

アルフレッドの暴露

前作「ダークナイト」でアルフレッドが燃やした手紙についても、結構サラッと暴露されます。

ブルースはレイチェルが自分を選んでくれたと信じていましたが、彼女の死の直前に書かれた手紙には、ハービー・デントとの将来を望む彼女の本心が書き記されていました。しかし彼女亡き今、そしてハービーがトゥー・フェイスという怪物に堕して死んだ今、その手紙には何の意味もありません。アルフレッドはブルースのためを思ってその手紙を焼いてしまいます。

...というのが前作「ダークナイト」のラストだったのですが、やはり本作は嘘を徹底して排除する世界です。その嘘によって隠された真実も全て白日の元に晒されることとなります。これは、シリーズで初めて描かれた「主人」と「執事」の転覆と言えるでしょう。

 

クリーンスレート

ネット上の特定の個人の経歴を抹消することができるスーパーツール、それがクリーンスレートです。セリーナはこれを使って前科をまっさらにし、新しい人生を求めていました。その機能と特性は、とてもEMPっぽいです。というか、本作のメインキャラクターは皆、「クリーンスレート」を求めています。

セリーナはもちろん、ベイン(厳密にはタリア)は達成されることのなかったラーズの運命を叶えることを目的に暗躍しており、これも言うなれば「過去の精算」であり、「クリーンスレート」と同義です。

そしてブルースも同様で、コウモリに襲われた恐怖と、両親が目の前で殺された悲劇、そして愛する人をも殺された絶望感、あらゆる過去を精算するため、「死」を求めてバットマンに復帰しています。しかし...。

 

核爆弾

途中で開発を断念してしまった核を用いたクリーンエネルギー、ベインの手で核爆弾に改造されてしまいましたが、これも街を一瞬にして吹き飛ばしてしまういわば物理的な意味での「転覆装置」「EMP」もしくは上述の通りベインにとっての「クリーンスレート」です。

ただ、これに関しては結果的にバットマンの存在を抹消するためにブルースにうまいこと利用された、という印象が強いですね。

セリーナがクリーンスレートで自分の過去をリセットして新しい人生をスタートしたのと同様に、ブルースはこの核爆弾でバットマンという存在を精算して新しい人生をスタートしました。つまりブルースにとって核爆弾=クリーンスレートだったとも言えます。

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バット内蔵のEMP装置

まさに本作終盤の核爆弾争奪戦の鍵を握ったのが、飛行艇バットに搭載されていたEMP(シルバーの四角い箱)です。バットマンはこれをゴードンに託し、起爆装置の命令を遮断することに成功します。

ブルースが「ゲームを取り戻す」と宣言した通り、起爆装置の無効化によってベインによる支配を転覆させる契機を掴むことができました。

そしてその過程でミランダの正体がタリアであったという嘘も明るみになっています。嘘は必ず暴かれ、嘘をついた者も相応の報いを受ける、というのが本作の世界ですEMPによって起爆装置が無効化され、タリアは自らトラックに乗り込まなければならなくなり、最終的に作戦が阻止され彼女の死にもつながりました。

本作の「ドンデン返し」ともよく言われるタリアの存在ですが、彼女の存在そのものが「転覆装置」=いわば「EMP」であり、そんな彼女の策略を打ち砕くのもまた「EMP」でした。

核爆弾とEMPの側で孤軍奮闘していたゴードンの健康状態が心配です...。

 

EMPが放たれた後に

EMPが放たれるとあらゆる電子機器がダメになりますが、それを夜に使うとバットマンに有利な「闇の演出」になります。

昼間に使うとどうなるでしょう?あらゆる策謀や陰謀、演出や嘘や誇張の全てが消え去って、戦場はまさしく野戦状態になるはずです。

本作は、上述の通り「地上と地下」、「金持ちと囚人」、「主人と執事」、「嘘と真実」、「過去と未来」...あらゆるものの関係が逆転し世の中が転覆するさまを描いていますが、最終決戦で描かれたのが「昼と夜」の逆転でした。

そもそも本来夜にしか現れないはずのバットマンが、白昼堂々警官隊たちと共にベインと戦っているイメージショットが公開された時点で「?!」だったわけですが、前作「ダークナイト」で大量に張り巡らされた嘘や策謀の全てを白紙に戻し、まっさらにした後に残るのが、シンプルな人と人との殴り合いである、というのはまさに本作の最終決戦ですよね。

そしてそんな本作に選ばれたヴィランが頭脳派兼肉体派のベインだったのも実に納得できます。前作「ダークナイト」で大量に積み残した嘘の精算ができる相手は、ベインしかいなかったんです。

 

最後に残った「嘘」

そう考えると、ブルースは最後の最後に「嘘」をついていましたが、これはどう説明すれば良いでしょうか?

核爆弾の爆発と共にバットマンは洋上で死んだことになっています。「バットマン」もまた街を騙した嘘つきの贖罪で死んだと考えることもできますが、ブルースの場合はどうでしょう?わざわざ墓石まで立てられていましたが、ラストシーンでブルースは生きていたことが発覚しています。

これは、「死と生」の逆転です。劇中、特に地下牢のシーンで描かれていたことですが、死を求める者の覚悟ではなく、生への執着と渇望が戦うための力になる、という医者の言葉がブルースを大きく変えました。ベインたちのように、自らの命も捧げて願望を叶えるのではなく、あくまでも自身の生にしがみつくことがブルースのたどり着いた最終解答でした。

公人としての「ブルースウェイン」をわざわざ死なせた理由ですが、実はバットマンだけでなくブルースウェインという存在もまた演出、仮面であったという解釈は可能だと思います。事実、ブルースウェインが表に出るだけで小型EMPを使って黙らせないといけないくらい、彼の存在はマスコミの注目を集めてしまいます。仮にバットマンを捨てたとしても、彼には未だ公人としての生活が強いられることになるでしょう。

ただの「一人の男」として新たな人生を歩むためには、自身の名前と街も過去も捨てるしかなかったのでしょう。

"Start fresh"

ブルースがセリーナに語った言葉はそのまま、彼にも跳ね返ってくる言葉でした。

本作が嘘を暴いて真正面から対決させることを大テーマにしていたとすれば、そこで見られるのは超王道のアクション映画になるわけで、だから通りで私好みの「ヒーロー映画」になってるわけだ、と妙に納得させられましたね。

 

 

 

オールライダー対大ショッカーにブチギレてみた

劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー

劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー

 

初見感想

やっぱり全ライダーが登場したシーンにはテンションが上がりました。トリプルライダーがバイクで飛んできたところはちょっとうるっときましたね。あの瞬間の感動こそが最大瞬間風速で、ただ、それ以外あんまいいところがなかった😅

でもあのシーンのインパクトは確かに凄かったから、なんかそれだけで「まぁ盛り上がったし良かったか」って許しちゃったところはあって、でもほんとは違和感MAXだったんですよ。

「ん?」って違和感感じたらその上に更なる違和感が積み重なる感じ、そうそうまさに

テトリスが噛み合わないままぐっちゃぐちゃに積み上がっていって気がついたらゲームオーバー!みたいな感じです

あのときは言わなかったその違和感について、あえて今、改めて言ってみたいと思います。

 

ツッコミどころ

とりあえず頭から順番にもう気になるところ全部言っていきます。

  • ライダーバトル、やってもいいけど、このノリノリの実況ボイス誰よ(世界観・設定的な意味でね)、その時点で踊らされてんの間違いないやんライダーの皆さん
  • なんでライダーバトルがこんなにシステム化されてんのよ、本当は「シビル・ウォー」的な個々のプライベートな感情で戦いが起こるもんでしょ設定的にも
  • アマゾンはジャガーショックもモンキーアタックも技名言いませんよ
  • 妹の小夜、平成ヒロイン丸顔列伝に加えられるべき丸顔だな
  • 最強のライダーを1人決めれば滅びの現象が止められるってそもそも意味不明じゃない?
  • ディケイドが勝って普通にニコニコ喜んでるユウスケはライダーとしてというかクウガとしてどうなの?
  • 他のライダーを犠牲にすれば世界の滅びを止められるから戦うって判断に至るライダーたちって、何なの?剣崎だったらブチギレてるでしょ絶対。誰も犠牲にせず世界を救うのが仮面ライダーじゃないの?
  • アマゾンやRXと戦ってるけど、あんたらテレビ本編で仲良くなってなかった?
  • ディケイド以外のライダーはなんの義理でこのライダーバトルに参戦してんの?やっぱり全員「滅びを止めるため」って騙されてんの?バカなの?
  • やっぱりユウスケの変身ポーズ好きになれない
  • おい、しれっと無からドラゴンロッドを生み出すなよ
  • スーツアクターのお手本のような落下を見せるイクサ
  • 「仮面ライダーブイスリャー!」じゃねぇよバカにしてるだろこのV3
  • 大ショッカーアジトの怪人の並びがまずダメ。序列が全く意識されてない。メビオ、バケネコ、ガドル、二列目にアークオルフェノクはダメでしょw
  • 夏海が第1話でディケイドライバーを発見した意味、マジでたまたま偶然でしたっぽい説明で片付けやがった...
  • 大ショッカーアジトの落とし穴、落ちた先がただの用水路ってどうなの?w
  • 小夜のバックボーンが神崎優衣のリサイクル
  • この世界のシャドームーンが言う「創世王」って何?
  • 普通に騙されてた大首領こと士、そしてなんの説明もなしに「俺だ開けてくれ」とか言ってダサい革ジャンで写真館に帰ってくる士、ダサすぎ。小物感凄すぎて大首領の威厳ゼロ。この時点で大ショッカーはやっぱりゴミカス。
  • だけどディケイドへの変身能力を失ったわけでもないから「全て失った」みたいに言われてもあまりその危機感に感情移入できない
  • 戦闘員爆弾とかいう残虐すぎる兵器をギャグっぽく見せるセンスは製作陣の人間性を疑いたくなる
  • 本当にね、せっかく日本の大俳優起用したのにうがい薬でガラガランダと「イカでビール」でイカデビルは全ライダー史上最低のギャグだと思います
  • 士は大首領としてあんなダメなやつを側近として大幹部にしてたの?本当何から突っ込んだらいいんだ
  • あ、オールライダー揃い踏みのライダーマンはやっぱりGacktじゃないんだ
  • ブレイドはブレイラウザーを地面に突き立てますが敵に突き立てたことはないですよ
  • ブラックがシャドームーンと一切戦わないのは何の冗談でしょうか?
  • カブトは連携プレーちょっと手伝っただけで人差し指立てたりしないと思います
  • クウガが黒目のライアルから赤目に変われたのは結局小夜が地の石を捨てたからで、ユウスケは何の苦労もしてないし何の成長もないのがほんとダメ(だからクウキとか言われんだよ)
  • ディケイド+クウガライアル2人を相手に圧倒するシャドームーンを秒で吹っ飛ばすダブルェ...
  • 仮面ライダーJのジャンボフォーメーションってのはですね、地空人とか全ての地球の力を得て初めてなれる姿であって云々...もう、もういいわw
  • だからアマゾンのギギの腕輪は取っちゃダメだって!ほんで「ディエンド、トモダチ」って何言ってんのコイツ
  • 賀集くんの髪型なに?しかも出演これだけですか
  • 死神博士だったジジイとまだ旅を続けるこいつらキチガイ

うん、控えめに言ってもゴミ映画ですねコレ。

 

平成ライダー10周年記念として

結構ね、楽しみにしてたんですよこの映画。なぜかって「この時代の文脈」から伝えておかないといけないと思うんで言いますけど、平成ライダーの映画って、良い意味で問題作ばっかりでしたから。

アギトの「映画だけのライダー=G4」に始まり(今や定番化しましたよね映画ライダー)、龍騎の「最終回先行上映」、555の「パラレルワールド」、剣の「最終回から4年後」、響鬼の「時代劇」…

てな感じで、毎年毎年斬新かつありえないコンセプトで壮大な物語を見せてくれるのが、平成ライダーの劇場版でした。過去にも語ったことありますけど「555」の劇場版とか個人的に本当最高傑作だと思ってます。

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んで、本作「オールライダー対大ショッカー」って最初にちゃんと

平成仮面ライダー10周年記念作品

って出てくるんですよ。「仮面ライダー」じゃなくて「平成仮面ライダー」の10周年なんですここ大事。

私は、昭和ライダーと平成ライダーは根本的に大きく異なる作品群だと考えています。過去に「剣」の記事でも触れましたが、昭和ライダーが「闇の大組織と戦う孤独な男の物語」だとすれば、平成ライダーは「異種族間の対立を描いた群像劇」でした。

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↑詳しくはブレイド最終章の考察記事にて扱っています。

だから当然、物語も作風も重く暗いものになりがちでした。しかしだからこそ見応えのある作品が毎年誕生していたことは紛れもない事実です。

そんな平成ライダーの10周年記念作品ですよ。しかもオールライダーが集結するんですよ。見に行かないわけないじゃないですか。

...と思ったらなんかちょっと思ったのと違ったんですよね(笑)

ただ、「9つの世界をめぐる」と謳って始まったディケイドの物語が、劇場版で「昭和ライダーも全員出す」って型破りな感じ自体は、平成ライダーらしいなとは思います。別に昭和も含め全ライダー出すこと自体はいいんです。大事なのは「面白いかどうか」。

その観点からすれば、つまんない映画でした。

 

ドラマがない

つまるところ本作の問題点はここに尽きます。とにかくドラマがない。もしくは薄っぺらい。コンドームより薄い。

本作は、テレビ版では描かれてこなかった「門矢士の世界」の物語です。記憶喪失という最大の謎をまとった主人公の過去が明らかになる最も重要なエピソードですが…。

士の妹や月影と暮らしたお屋敷の生活感や、士の妹の妹感のなさというか、とにかく「取ってつけた感」が凄い。士が記憶を失うまでの人間的な生活感の部分がまるでないから、その後のドラマ全てが軽薄に見えてしまいます。

それに、自分の正体が大ショッカーの大首領でしたって事実に対しての士の葛藤が全く語られない。全て進行すべきシナリオに従順にキャラクターが動いちゃうから、とにかく観てるこっちの感情が置き去りにされていきます。

だから士が妹や月影に裏切られたからといって、夏海から拒絶されたからといって、士が「全てを失った感」は別にないし可哀想とも何とも思えません。誰にどう感情移入したらいいか全くわからない。この映画、途中から心が迷子になります。

結果、再びディケイドとして戦う決意を固めるシーンがまるで熱くならない。

何だっけ、「どこにも俺の世界がないなら、どこでも俺の世界にできるってことだ!」って前向きになるのはまぁいいんですけど、その決意に至る経緯の描写が総じて薄いので「かっこいいぞディケイド!」ってならない。そんな士を見てにっこり許しちゃう夏海もどうかしてる。

小夜の改心もそう。ちょっとそれっぽいこと言って懐柔させようとしてる程度にしか見えないし、それでコロッと月影を裏切っちゃう小夜も小夜だし、なんか何考えてるのかわかんないバカばっかりに見える。

もちろん、設定的にはちょっと凝ってるのもわかるのはわかるんですよ。小夜に対する「自分の翼で羽ばたけるはずだ」って励まし方は原典ビシュムの怪人態である翼竜怪人にかけてるんだろうなとか、わかる人にはわかる散りばめ方はされてるんですけど、胸を打つドラマには仕上がってない。

例えば、大ショッカーからも放逐された士がディケイドライバーも失うって展開だったらまだ共感できたかな。1人で全ライダー倒せちゃうくらいディケイドって強いから、仲間から見放されちゃったとしても別に可哀想ともなんとも思えないんですよ。そんな士に、第1話の再現のように再び夏海がディケイドライバーを渡す、なんて展開ならもう少し熱くなったのになぁ。ほら、夏海もちゃんと第1話と同じ服装してたんだし。

そうでなくても、せめてジャーク将軍が「何なんだ?!お前は!」っていつものフリさえしてくれたら...!いつもの「通りすがりの仮面ライダーだ!覚えておけ!」さえもないんですよ...!これがあればちょっと許せたのになぁ←

いやぁでもそういう「様式美」って大切ですよ。何せ、そういうゴリ押しで成立しているのが「ディケイド」という作品ですから。

 

世界観の押し売り

そもそもディケイドって「世界観の押し付け」が非常に強い作品です。

龍騎世界の「ライダー裁判」とか、面白いのは面白いけど正直意味不明だし(笑)、ブレイド世界のランク制もしょうもなくて意味不明だし、ネガの世界の「ダークライダーが支配する世界」ってのもちょっと意味がわからない。なぜそんな世界が成立しているのか、文脈が汲み取れない。最初から「ここはこういう世界ですから理解してください」っていう押し付けが常態化している作品でした。

でもそれが一応成立していたのは、過去に一年間かけてじっくり描かれた「原作」の改変だったからです。だから、毎年ライダーを見ているコアなファンはその改変を楽しめたし、その作品を見たことがないファンはリマジ描写から「原作」が気になって見始める。

ですがそれまで「記憶喪失」という設定だけでずっと隠され続けてきた(というよりも放置され続けてきた)門矢士に関してはそういう強固な背景というかバックボーンが存在しません。いつも「大体わかった」だけで行動に移す大胆さとは裏腹に、多くのリマジ・ライダーたちを立ち直らせてきた「熱さ」はあるけれど、なんでそんないいやつなのか?はよくわからないままでした。

それが唐突に「実は大ショッカーの大首領でした」ってちょっと乱暴すぎるというかアイデアありきにも程があるんですよね。自分が大ショッカーの大首領だったことを思い出した途端人格がコロッと変わるんですけど、大ショッカーの首領である士と、毎週見ている士のキャラクターが全く繋がらないんです。

それかアレですか?世界を守るために一旦ワルモノの味方の振りして用が済んだらヒーローの振る舞いに戻る、士お得意の「茶番大戦」ですか?

例えば「大ショッカー」という組織が、戦いが大好きなバトルマニアの集まりで、いつも士を倒そうとしているけどその強さと人格を尊敬して従っている、みたいな雷禅の親友の煙鬼たちみたいな集団だったら、結構納得いくんですけど。

(唐突に「幽遊白書」の例えですみません。「ドラゴンボール」で言う、悟空を中心としたZ戦士たちをイメージしてもらってもいいです)

大勢の怪物を従えながら、ダークライダーの祖とも言えるシャドームーンを右腕にあらゆる世界で最も強いやつを探して旅している...みたいな集団だったら結構かっこいいですけどね。そのせいでライダーたちからも「破壊者」って誤解されてるけど、実は生粋のバトルマニアで友情に熱いイイやつ。でもそんなディケイドが実は気に入らないシャドームーンが裏切って、士に味方する怪人たちはシャドームーンと戦うとか。なんかちょっとゴーカイジャーみたいだな(笑)

いきなりワルのリーダーでした、なんて言われても「理解」はできないんです。ただ、「世界観の押し付け」でなんでも押し通してきたディケイドだからそれが一見通用しちゃうんですよね。「受容」はできるけど「理解」や「納得」はできないんです。はなっから「理解」や「納得」というものを放棄させることで成立しているのがディケイドという作品だからです。

とはいえ「実は大ショッカーの大首領でした」って種明かし自体は、ディケイドが「世界の破壊者」と呼ばれ忌み嫌われている事実とは見事に合致します。その意味での伏線回収には成功している...と思ったんですが肝心の大ショッカーが...。

 

大ショッカーの寒さ

やっぱり腹立たしいのが大ショッカーのダサさと痛さと寒さです。

まず、本作の「大ショッカー」を読み解くために必要なのが、本作「オールライダー対大ショッカー」のタイトルに込められた意味です。

「対」が「vs」でもなんでもなくそのまんま「対」なのも全部、初代ライダーの劇場版「仮面ライダー対ショッカー」へのオマージュであることは間違いありません。

だからタイトルを見た瞬間「あ、あの昭和の感じをやろうとしてるんだ」ってことは容易に想像できるんです。石切場かでっかい造成地みたいなところにワラワラと怪人がたくさん出てくるあの感じです。

じゃあ、本作が「仮面ライダー対ショッカー」のシナリオや演出をなぞっているのか?もしくはそのリスペクトに満ちている作品かというと、初代の名誉のためにも声を大にして言っておきたいのですがそんなことは全くありません。正直50年以上前の「仮面ライダー対ショッカー」の方が一本の劇場用作品としてシナリオ含め非常によくできています(本郷の変装以外)。

やっぱりなんかムカっ腹立ったのは総じて大ショッカーをギャグ寄りに描写したことです。繰り返しますが「イカでビール」は最悪です。昭和作品を見たことない人も多いと思うので一応言っておきますが、50年前の「仮面ライダー」では、覆面タイツの戦闘員もイカデビルも全部大真面目にやってますからね。あんな風にショッカーの描写をギャグで脚色したことなんかほとんどないですよ。覆面タイツの奇人が白昼堂々セダンに子どもを押し込んで誘拐するっていう妙なリアルさがちゃんと怖かったんです。

当時のスタッフがどれだけ「怖さ」と「愛嬌」のバランスに気を遣っていたかはいくつかの書籍etcからも窺い知ることができます。

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だから本作の大ショッカーは、本家ショッカーのオマージュでもなければリスペクトもクソもない劣化版です。いや「改悪」です。もう一度言います。「改悪」です。

だのに、この作品はその物語の薄っぺらさを「所詮は集合モノだから」と「昭和オマージュ」を免罪符にしている節がある。そのことが何より許せない。昭和の遺産に対しても、平成ライダーの歴史にも、その全てに泥を塗りたくったのが「オールライダー対大ショッカー」という映画です。覚えておけ!

 

ま、とはいえ「興収」が良かったのでこの後も同じノリの映画が続くことになってしまいましたね。しかし本作公開から3年後、同じくヒーローアッセンブル映画として人類史に残る傑作が公開されます。

それが「アベンジャーズ」です。

後に続く「エンドゲーム」までの成功はご存じの通りです。クリエイターが、作品に対する愛を持っていれば各キャラクターの個性を潰すことなく大集合モノは成功させられるはずなんですよ。

...なんてこと、この国で言っても意味ないかもですね。

ぇGackt?あぁ、まぁ、もういいです。

(了)

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チェーン最強武器説〜90年代アクション映画の思い出〜

チェーンが映ったら勝てる、って思ったことありませんか?

アクション映画あるあるって色々あると思うんですが中でもニッチながら間違いなく法則として認知されても良さそうなのが「戦場にチェーンが垂れてたら勝てる!」ということです。

特に、

  • 比較的終盤
  • 銃や弾も尽きた不利な状況
  • 肉弾戦でも押され気味

みたいなタイミングでちょうどよくチェーンが現れます。んで主人公サイドとは思えない「首締めでトドメ」とかエグイ使われ方することがほとんどです(笑)

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ダイ・ハード(1988年)

チェーンを武器に戦う教科書みたいなシーンが堪能できるのが、おなじみアクション映画の革命児「ダイ・ハード」です。

該当シーンは比較的終盤、屋上に爆弾が仕掛けられているとも知らずにヘリの救助を求めて階段を駆けあがろうとする人質たち。

彼らを救うべく走るジョン・マクレーンの前に立ち塞がるカール。こいつは一番最初にジョンが倒した悪党の1人、トニーの実兄だったこともあり、ジョンへの殺意が凄まじかった。

激しい殴り合いの最中、やや劣勢にも見えたジョンのそばに垂れ下がっていたチェーンを首に巻きつけられ、首吊り状態で死亡

…かと思ったら最後にまさかの復活!しかしパウエルの勇気の銃弾によってようやく倒されました。というおいしい引き立て役でした。

ダイ・ハード (吹替版)

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ダイ・ハード3(1995年)

こちらはちょっと変則的な用例。

終盤、敵集団の乗る船にゼウスと共に乗り込んだジョン・マクレーン。敵の幹部とも言える重鎮マシアスと血みどろの肉弾戦を展開します。

舞台が大型の貨物船ということもあり、錆びたチェーンが足元に落ちています。これを使わないはずがありません。ムチのようにべちんべちんとチェーンでしばきまくります。

これによって重傷を負ったマシアスはダウンしますが、後に血まみれの状態でサイモンに裏切りの可能性を問い詰め妻に射殺されてしまいます。既に彼の妻とサイモンは愛人関係にあったのでした…。

 

ザ・ロック(1996年)

こちらも終盤のシーンで登場。

止めるべきミサイルはあと一機。灯台に向かったグッドスピードを援護するメイソン。

敵兵の1人を難なく格闘戦で下し、手近にあった、井戸から伸びているチェーンを首に巻きつけチェーンを井戸へと降下させます。重みで首が締まりトドメを刺されます。

やっぱりチェーンといえば首締めですね。

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仮面ライダークウガ17話(2000年)

こちらちと変則的というかそもそもアクション映画ですらないんですがそれっぽいチェーンだったのでご紹介。

納品の遅れが続いた「クウガ」必殺の総集編回です。総集編とはいってもちゃんとアクションが新撮で、設定では2時間以上戦ってたというんだから驚き。

かなりの強敵、メ・ガドラ・ダの猛攻の前に、紫のクウガタイタンフォームへの超変身を試みるクウガ。しかし、ポーズを決めようとした右手に絡みつくガドラのチェーン!フォームチェンジを阻止してしまいます!

その後もチェーンお馴染みの首締めでクウガを苦しめたガドラでしたが、クウガお得意の肘打ちが決まり、形勢逆転。マイティキックに敗れたのでした。

アクション映画ばりのチェーンの活躍が堪能できる一本です。

 

ダイ・ハード4.0(2007年)

これは先に断っておくとチェーンではありません、ワイヤーです(笑)

ただ、非常にチェーンに近い使われ方をしていたのでチェーンの系譜に連ねても良いと思いまして合わせて例示することにしました。

中盤、エレベーターシャフトに車で突っ込んだジョン・マクレーン(意味不明)。轢き落としたはずの敵役・マイがしぶとく、真下を向いてぶら下がっている乗用車の中からジョンに向かって攻撃してきます。追い込まれたジョンは、垂れ下がっていた2本のエレベーターのワイヤーでマイの首を挟んで締め付けます。

最終的に、重さに耐えきれなくなったエレベーターシャフトが破損しマイもろとも一階まで落下、爆散します。

 

ダークナイト ライジング(2012年)

バットマンの背骨を破壊した強敵・ベインとのアジトでの戦闘シーンです。

厳密に言うとチェーンを武器としては使ってません(笑)

ただ下に降りるときにチェーンを伝っていっただけなんですが、あのチェーン特有のチャリチャリとした音は印象的です。

特にここは、1対1のタイマンでバットマンを圧倒することに意味があるシーンなので、ベインは己の肉体以外は武器を一切使いません。もちろんチェーンでしばいたり首を絞めたりすることもありません。

ただ、やっぱりチェーンを手にした者は勝つというアクション映画の方程式(?)にのっとったベインはバットマンに一度は圧勝しました。

未確認なのがシュワちゃんとスタローンです。この2人の映画でもチェーンが武器として使われてるシーン、なかったかなー??継続して調査し、随時更新していきます!

他にも、こんな映画でも決め手として使われてるぞ!ってのがあったら、ぜひコメントにて教えてください!!

(了)

 

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帰ってきた東宝怪獣映画〜ゴジラ回帰こそ帰ってきたウルトラマンの特濃原液〜

必殺!流星キック

ずっと思っていたことなんですが、「帰ってきたウルトラマン」って、66年放送の初代「ウルトラマン」がそのまま帰ってきたという初期設定があった割には、それまでのウルトラシリーズとはかなり雰囲気が違う作品ですよね。

で、当ブログでも兼ねてから指摘してきたように、「怪獣が主役の作劇」から「ウルトラマンが主役のヒーロー番組」になった、いわゆる「人間ウルトラマン」元年の作品であるというのは、既に各所でも言われてる通りだとは思います。

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ただ今回は、それとは真逆の変化について扱ってみます。「帰ってきたウルトラマン」の初期作品の多くって、東宝怪獣映画に回帰したまさしく「帰ってきた東宝怪獣映画」だったよね、というお話です。

 

 

地球怪獣総進撃

怪獣シュガロンの復讐

怪獣シュガロンの復讐

そもそも私が序盤の「帰ってきたウルトラマン」に対して一番変だなーと思うのが、地球怪獣しか出てこないところです。

単作として見ると、第18話のベムスターを皮切りに、多くの宇宙怪獣や宇宙人がどんどんやってくるようになるわけですから、世界観が少しずつ拡大していくという意味においては違和感はありません。

ただ、初代「ウルトラマン」と比べて考えるとその異常性が際立ちます。第1話の怪獣ベムラーがもう初っ端から宇宙怪獣でしたし、第2話には早速バルタン星人が登場しています。

それに対して「帰ってきたウルトラマン」は、序盤どころか17話、1クール以上もの間、地球産の怪獣しか登場しません。そんなウルトラシリーズは本作以外、後にも先にも存在しません。

だからだと思うんですが、地味です。とにかく地味です(笑)。

それに、「地球産の怪獣縛り」のせいで変化もつけにくいのか似たり寄ったりな怪獣が多く、しょっちゅう山間部で戦っていた印象があります。

サドラーとデットン、ゴルバゴス、ゴーストロン、ダンガー、モグネズン、シュガロン…いずれも直立型の怪獣と山間部に出向いて戦う、という意味でよく似ています。

もちろんそれぞれ見た目は全然違うし、タッコングやツインテールといった大傑作の神デザインも登場はしますが、それ以外は四つ足系と鳥型のテロチルスくらいのもんで、正直変化に乏しい。

 

ビターな空気

大怪鳥テロチルスの謎

大怪鳥テロチルスの謎

それに加えて、ドラマパートが非常に渋いのも特徴です。ざっくり言うと暗くて結構辛気臭い。

その極致が第16、17話のテロチルス編です。実はあの「怪獣使いと少年」よりも問題作なんじゃないかと個人的には思っています(笑)

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何より、MATがなんだか暗かったですよね。よく喧嘩してたり、怒られたり、みんな眉間に皺が寄っていて、あんまり和気あいあいとした感じがなくてちょっと近寄りがたい(特に序盤です)。

それに対して「ウルトラマン」の科特隊を思い出してください。いつも明るく楽しそうでしたよね。イデがおちょけてアラシがツッコむ。過激なアラシはハヤタが諌めてくれるし、それをにこやかに見守るキャップ、でも口にしたコーヒーがしょっぱくて、フジくんがテヘッと。んでなぜか小学生の星くんは出入り自由。

もしもMAT本部に星くんが入ってこようもんなら岸田あたりに怒鳴られそうですよね(笑)

実際、次郎くんって一度もMAT本部に入ってきたことはなかったと記憶しています。

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映画監督総進撃

タッコング大逆襲

タッコング大逆襲

この独特な雰囲気の正体が「怪獣映画っぽい」ことにふと気が付きました。もっと言えば、東宝怪獣映画っぽかったんです

頭の良さそうな博士や、実直そうな大人たちが難しい顔をして抑揚をおさえた淡々としたトーンで怪獣について大真面目に会議しているあの感じ。これって子どもの頃何度も繰り返し見た怪獣映画の感じだよなと。

んで、スタッフを調べてみたらビンゴでした。「帰ってきたウルトラマン」の監督って生粋の映画監督ばかりでした

そもそも第1話の監督はあの「ゴジラ」で有名な、本多猪四郎です!しかも第1話のタイトルは「怪獣大進撃」。同名の映画作品をご存知の方も多いと思いますが、

怪獣総進撃

そのタイトルと監督の名前からして「帰ってきたウルトラマン」には、あの頃の「東宝怪獣映画の凱旋」という裏テーマが内包されていたように思えるんです。

他、筧正典(東宝)、冨田義治(東映)、鍛治昇(日活)、山際永三(新東宝)...序盤から起用された監督たちは皆揃って映画畑の人間ばかりでした。

それに対して、いやいや、怪獣映画っぽいといえば第一期ウルトラシリーズ、特に「ウルトラQ」や「ウルトラマン」は「映画でしか楽しめなかった怪獣をテレビに連れてきた」元祖じゃないですか、という見方もあります。

が、実は第一期ウルトラシリーズのスタッフって結構「新進気鋭のテレビマン」が多かったんですよね

円谷一、飯島敏宏、野長瀬三摩地、満田かずほ、そして実相寺昭雄…監督を務めた人物の多くは、斜陽となりつつあった映画業界にいち早く見切りをつけ、テレビ業界にかなり早い段階からどっぷり浸かってきた人たちばかりでした。

だから、科特隊の雰囲気ってのも映画寄りではなくエンタメ寄りのテレビ番組として完成されたものだったと見ることができます。

 

真の「怪獣番組」として

決戦!怪獣対マット

決戦!怪獣対マット

タイトルには「帰ってきた…」と冠しておきながら、実際に始まった番組は66年の「ウルトラマン」とは根っこのコンセプトから全く異なる番組だったわけですね。当時の視聴者はびっくりしたと思いますよ。

ただ、本作において初めて、ウルトラマンは怪獣映画直系の特撮番組として「再誕」することができた、と言い換えることもできます。

そもそも地球産の怪獣ばっかりが登場するのもちゃんと意図があってのことだったようで、そこには「ウルトラセブン」の反省があったそうです。「セブン」で見られたような「兵器としての怪獣」ではなく「生物としての怪獣」を描きたい。ウルトラシリーズ、もしくはこの国に最初に誕生した怪獣=「ゴジラ」への原点回帰です。

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実際、序盤に登場した怪獣はいかにも怪獣らしい連中ばかりで、直立型=ゴジラ系、四足歩行型=アンギラス系、鳥型=ラドン系に加え、伝承系=モスラ系まで幅広く網羅しています。

ちょっと無理があるかもしれませんが神秘的な外語の歌に語られる神に近い存在としてのシーゴラスとシーモンスはまさしくモスラ系であると私は考えています。

ただ、序盤からバルタン星人、レッドキング、ピグモン、ガボラ、ペスター、ガヴァドン…といった非常にユニークかつ彩り豊かで個性的な怪獣・宇宙人が続々と現れた「ウルトラマン」前半に比べれば、やっぱり「帰ってきたウルトラマン」序盤の怪獣群は地味でした。

 

丁寧すぎる第1話

怪獣総進撃

怪獣総進撃

序盤特有の渋いドラマ展開は、もちろん上原正二脚本が理由でもあるにはあると思いますが、監督の手腕によるところが大きいとも考えています。

特にパイロット版を手がけた本多猪四郎監督は、怪獣映画だからといって極端にデフォルメされたキャラクターを撮るのが嫌いな人です

本多猪四郎 - Wikipedia

わかりやすく言えば、科特隊のイデ隊員みたいな「子どもみたいな大人」は、本多作品には絶対登場しないということですね(笑)

↓の記事で紹介した、「ウルトラセブンの客演があっさりしすぎている」件も、元を辿れば演出手法に理由があったわけですね。

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中でも私がいつも感動するのが、第1話の郷秀樹のドラマの作り込みです

郷が死んで、送り火にされてしまった流星号。しかしその後郷がウルトラマンと一体化して生き返ったため、流星号は意味もなく燃やされた感じになっちゃいます。

もちろん郷もショックを受けて、坂田さんに「流星2号を作りましょう!」と詰め寄りますが、坂田さんにはもうその気があんまりなさそう。加藤隊長からMATへの誘いがかかっていたから…って展開ですが、この流星号は間違いなく、「人間だった頃の郷秀樹」のメタファーです。

見た目は変わらなくとも、「人間だった頃の、一青年としてF1レーサーの夢を追っていた郷秀樹はもうこの世にいない」、ということへの暗示です。彼はウルトラマンとして全く別の人生を歩み始めるしかないということでしょう。

周囲の人間の反応もめちゃくちゃ面白くて、なんか郷さんせっかく生き返ったのに誰もそんなに喜んでないんですよね(笑)

こっちはもうあの世に送り出したとこなんですけど…みたいな素直に受け入れられない周囲の人間の「戸惑い」みたいなものも非常にリアルに描かれています。

なおこの燃やされた「流星」が初代の科特隊への暗示とも取れて、過去作とは全く違うウルトラマンを創るというスタッフの決意にも見えて面白い。

後にも先にも、ウルトラマンになってしまった人間を第1話の時点でここまで丁寧かつリアルに描いた作品って他に見ませんね。

これは全く別のシーンですが、郷さんが収容された病院で、郷さんに救出された少年に向かって次郎くんが「郷さんが死ぬもんか」とひとこと言い放つシーンなんか、やり場のない怒りや悲しみをストレートにこの少年にぶつけているように見えて非常に奥が深いです。

子ども番組とは思えないトゲのあるセリフやシーンが本作には多い

また別の観点ですが、私たちの日常とは異なる「アンバランスゾーン(異界)」が「ウルトラQ」や「ウルトラマン」の世界だとすれば、完全に私たちの日常生活の延長線上に「帰ってきたウルトラマン」の世界があります。私たちの住むこの昭和の日本を舞台に「ウルトラマン」を描くとしたら?というのを大真面目に作り込んだのが本作の世界だったわけです。

そして巨匠・本多猪四郎監督は第1話にして初代「ウルトラマン」とも「ウルトラセブン」とも全く異なるアプローチで新しいウルトラマンの世界を創り上げることに成功しています。

 

まとめ

怪鳥テロチルス 東京大空爆

怪鳥テロチルス 東京大空爆

「帰ってきたウルトラマン」という作品は、郷秀樹の人間的成長を中心に据えつつ、怪獣映画の原点に立ち返ろうとした「全く新しいウルトラマン」だったわけですが、この二つを両立させることは難しかったようです。

結果的に、この二つともまったく異なるアプローチである「ウルトラマンの強化策」としてウルトラブレスレットが導入されたわけですが、

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「人間ウルトラマン・郷秀樹の成長譚」という部分は最後まで死守されたと見て良いでしょう。それだけでなく、独特の映画的なトーンによる演出で紡がれる濃厚な人間ドラマも概ね最後まで一貫していたと思います。

数あるウルトラシリーズの中で私がどうしても「帰ってきたウルトラマン」だけ突出して大好きな理由がまた一つはっきりしたなぁと思います。

そしてまた、序盤の「地球怪獣編」にのみ存在する独特の風合いこそやはり「帰ってきたウルトラマン」が当初志向していた作風まっしぐらの特濃原液だということもよくわかりました。

んでもってその集大成が16・17話のテロチルス編だと思いますので、近々この前後編もレビューしたいですね。結構嫌いな人も多いでしょこのエピソード(笑)

(了)

 

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