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仮面ライダーブラックサン感想と考察と評価〜ファイズとかカブトとかと比較〜

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全話見たので雑多ですが感想書きます。好きなところもダメだと思ったところもありのままに書くのでブラックサン大好き!って方は読まない方がいいです。

ちなみに大雑把には↓

って思ってました。その「ごった煮」の部分のお話をしていきますね。

◆作品全体の根本的な欠陥

この作品、根本的にブラックサン=南光太郎が何と戦ってるのか、なんで戦ってるのかがよくわかりませんでした。

もっとちゃんと観ればわかる!って怒られるのかもしれませんし、セリフになってたシーンもあるにはあるし読み取ろうと思えば読み取れるのもわかるけど、総じて誰にどう感情移入したらいいのかがわからない作品だったと私は思ってます。

だから主人公たる南光太郎に感情移入したいんだけど、彼に一体どんな葛藤があるのかよくわからなかったので「のめり込む」ところまでハマれませんでした。

それこそ安倍ルー大柴総理とか最高だったしそれ以上にビルゲニアが大好きになったし、「葛藤」という意味では信彦=シャドームーンの方が色々共感できました。

でもそれは結局本作における枝葉の物語であって、作品の根幹や主軸とは別の部分で面白かったところに過ぎません。だから作品の総評としては「嫌いじゃないけど大好きでもない」というところに落ち着きます。

 

◆南光太郎について

この作品のキャッチコピーに、「悪とは、何だ。悪とは、誰だ。」というのがあります。正義や悪の定義を曖昧なものにした傑作を予感させるフレーズで、確かに本作はこれに当てはまる要素を多分に含んでいました。

でも、ぶっちゃけ「悪とは誰」かはハッキリしちゃっていて、それは間違いなく「政治家」です。本作では意図的に政治家が絶対的な悪として位置付けられていました。

だけど、光太郎はそことは一切関わらない。光太郎のドラマが裏の陰謀とか策謀と一切交わらないから、作品としてのカタルシスが生まれない。

※その点、総理と絡みのあったシャドームーンの葛藤は物凄く共感しやすかった。

勿論、あえてそこを分断しているであろうことはわかります。あくまで光太郎と信彦の友情と因縁にフォーカスするという意図があろうことも想像できますが、なんかそれもイマイチピンと来なかったんですよね。

隠されていた過去の事実を知って人間を虐げるために創世王を目指し、怪人を率いて戦うという能動的な決断と行動があった信彦に比べて、光太郎って全てに対して受動的なスタンスだったと思うんです。

敵に追われ、戦いに巻き込まれてしまう、というのは仮面ライダーの序盤らしい展開ではあるのですが、ブラックサンの場合、既に50年以上改造人間やってるベテラン設定なので、その展開は合致し得ません。

それこそ序盤で、借金取りみたいに下級怪人蹴飛ばしたり、金のために葵を殺す仕事を請け負ったり、そのときの彼はわかりやすかったんですが、葵と暮らし始めてからがよくわかりません。

当初はあくまでもキングストーン目当てで葵を守っていたと思うんですが、いつから彼女自身を大切に思い始めたのか、その心境の変化が分かりづらかった。あと、ヘヴンを拒絶して生きているから老けているという設定とかめっちゃかっこいいのにその理由もろくに語らないし最終回で結局食うし色々と勿体無かったなぁ。

それこそ、過去にあった悲惨な体験(ゆかりの死とか)を経て、「もう誰も目の前で死なせたくないんだ!」とかなんか言ってくれたらもうちょっとなんとかなったと思うんですが…。

 

◆バトルホッパーについて

S.H.フィギュアーツ バトルホッパー

S.H.フィギュアーツ バトルホッパー

この監督、バイクの撮り方本当ヘタだなと思ってしまいました。せっかく光太郎がバイクに乗って颯爽と葵の元へ向かうシーンなんかでも、エンジン始動〜走り出すまでモタモタ感があってすっごい微妙でした。往年のライダーシリーズの映像作品群がいかにカッコよくバイクを見せていたかがかえってよくわかってしまうほど。

ですが、光太郎が自分でバイクの整備をしてるシーンとか運転以外にバイクと絡むシーンがあったのは素晴らしかったです✨彼のバイクへの愛着も感じるし誰にも頼らず自分で整備するところもアナーキストらしいし実に良い映像でした。

「555」では草加がサイドバッシャーを洗車するシーンがよく描写されてましたが、あれは草加の潔癖症を強調する描写でもあり彼のバイクへの愛着を示す場面でもあり仮面「ライダー」らしさを感じさせるシーンでもあり更にはバイク玩具の販促ですらあるのです。

ブラックサンにおいては、バトルホッパーが生体マシンではなく革命野郎の青春改造痛バイクになっていましたが、そんな青かった頃のバイクを久しぶりに動かすことで再び戦場に向かう決意を感じさせる描写は本当に仮面ライダーらしくて好きです。

ヘルメットに「信じる奴がジャスティス」も書かれていて、あのOPの謎フレーズが過激派っぽい文言に解釈されるのも上手いなーと思いました。

それから、バイクのエンジン音が近づいてくることで「あの音は…!」て光太郎と信彦の存在を認知する展開はすごく仮面ライダーらしくて好きです。

やっぱりバイクが物語を牽引するってのが仮面ライダーにおいては物凄く大事だと思ってます。

 

◆ブラックサンについて

一番の謎が変身ポーズによる完全体への変身です。なんか感情の昂ぶり次第でできるっぽかったんですが、それは今回初めて発現したのか、その方法を彼は元々知っていたのか、なぜブラックサンとシャドームーンにはできたのか。更には葵までやっちゃったけど結局誰でもできるのことなのか。

なんかまじめに考えるのがアホらしくなりそうな気もするので本気で考察する気は一切ありません(笑)

※多分ポーズによって体内に埋め込まれた鉱石がバックル状に体外形成されるか何かかなーとは思ってます。一定の上級怪人以上でないとできないのかな?

というか、個人的に期待していたのは変身ポーズをとる意味の描写です。

例えば変身用の機材を失ったスーパー1は、自力で変身できるように赤心少林拳の呼吸法を体得、その動きの型を変身ポーズとして扱っていましたし、クウガは先代クウガを真似るという経緯があってポーズを取っていました。

あのポーズを取らないと完全体に変身できないという趣旨の描写か説明はちょっと欲しかったですね。

でも、いい歳したおっさんが本気で全力の変身ポーズとるのは本当に痺れます😭

「許さん…!」からの「変…ッ身!」は屈指の名シーンです。

更に鏡写しの反転ポーズで平成ライダー風の「変身…!」シャドームーンもめちゃくちゃかっこよかったですね〜✨

 

◆バッタ男について

序盤からしばらくバッタ男だったこと自体は別に構わないし、怪人とライダーを同列に扱おうとするスタンスも仮面ライダーのオリジンに忠実で素晴らしいとは思うのですが、いかんせんポーズをとって変身する完全体の活躍時間が少なかったのは寂しかったところ。

というか、バッタ男の段階ですでにべらぼうに強いので、送られてくる怪人みんなほぼ瞬殺なのも勿体無い。バッタ男の姿ではやっぱり苦戦を強いられるくらいでないと戦いに迫力が全然出ないし、

(大体ぐちゃぐちゃ殴り合って気がついたら身体欠損でKO)

変身ポーズによる完全体への変身のありがたみも半減してしまう。欲を言えば第3話くらいまででバッタ男は卒業して欲しかったかなー。

 

それと、糸を出すクモ然り、花粉系の攻撃で能力を封じるアネモネ然り、一応各怪人がみんなモチーフの生物を元にした特殊能力を披露してんだからさ、バッタ怪人ならバッタらしいことしろよと思いますね。

「バッタ=仮面ライダー(ポーズ、バイク、キック)」ってやっちゃうのはめっちゃメタな演出方法で、リアルな大人向け作品を目指すなら実は説明抜きにやっちゃいけないことだと思うんです。それはファンに甘えたやり方だと思います。そうじゃなくて、そこは「バッタ=超跳躍」でしょと。だから飛び蹴りが武器になるし、結果としてその先にぼんやりとみんなが知ってる「仮面ライダー」の輪郭が浮かび上がってくる訳で。

でも、創世王もバッタ怪人にしたことで、二人だけが特別である理由が概ね説明できる設定になっていたところは非常に好感が持てました👍

 

◆ゴルゴムについて

本作で一番リメイクに力が入っていたのは実はゴルゴムじゃないかなぁと思います。

※あくまで「ゴルゴム」であって「怪人」ではないです。

原典のゴルゴムにあった「政界や財界にも影響力を持っている」という設定が見事現代風にアレンジ・再現されてたと思います。

まぁ「〜にも影響力を持っている」どころか完全に政界の言いなりなんですが(笑)

学生運動とか労働組合みたいな志を持った団体が牙を抜かれて権力にうまく利用されていく過程は恐ろしくリアルで面白かったです。

そしてゴルゴム自体が一枚岩ではない構造

  • 三神官を中心とする国政ズブズブの表向きのゴルゴム
  • シャドームーンを中心とした過激派・急進派のゴルゴム
  • ゴルゴムを脱退したクジラたち反ゴルゴム
  • 利用されるだけ利用されて最終的に捨てられたビルゲニア御大(笑)

といったあたりが経緯は異なれどちゃーんと原典に沿った形で再現されていたのは本当に面白かったです。「あ、そういう風に再現(リメイク)したんだ」っていう驚きと発見が毎回新鮮かつ懐かしくて楽しかったですね。

 

◆差別というテーマと「ファイズ」

で、怪人たちを取り巻く環境に関しては大きくは「差別」という社会問題を抉る内容を扱っていたのが本作最大の特徴だったと思います。

「異種族との共存」というテーマは、それこそ平成ライダーで何度も何度も扱われたテーマでしたから、必然的に過去作とよく似た展開を見せることになります。中でも「ファイズ」と本作は非常によく似ていたと思います。

共通点を箇条書きでいくつか挙げてみます。

  • 「創世王」と「オルフェノクの王」の機能と役割
  • 「創世王」を巡って民族主義か共生主義かで衝突する二人の主人公
  • 背後で蠢く国家権力の存在(「555」では警察機構が終盤登場)
  • 異種族間の衝突に巻き込まれ脇役が非業の死を遂げまくる
  • 主人公は「怪人」の繁栄に対して消極的

特に「創世王」と「オルフェノクの王」の共通点は多いので未見の方は是非ご視聴いただきたい。

ですが、「ファイズ」の方が「差別」という点ではより複雑に描いていたと個人的には感じています(リアタイ視聴のため思い出補正もあるかもしれません)。

何より、主人公自身の迷いと葛藤を深く描いたという点では「ファイズ」にはなかなか敵わないと思います。

「ブラックサン」にも、「怪人でありながら人間のように暮らす怪人」は勿論、「人間でありながら怪人より遥かに残虐な人間」も登場しました。そういった両面をちゃんと描いた、という点は評価できるかもしれませんが、両極端だったのが個人的にあまり評価できない点でもあります。

いわゆる「ヘイター」と呼ばれる人々がその極端な例の典型ですが、ヘイターに限らず結構ひどい差別的言動が日常的に繰り広げられている描写が繰り返し登場しており、それがかえって非現実的な演出に思えて、わりと冷めた目で見てしまいました。現実の日本にあんな光景ないんだもん。

その点、「ファイズ」には「いいやつ」でも「悪いやつ」でもない「イヤなやつ」というのが登場します。草加雅人です。

喫茶店とかバスの中とかそんな公の場で非道なことは絶対しません。

普段は誰とでも仲良くできるいい人のフリをしながら、草加雅人のように

ベッドで苦しむ相手が水に手を伸ばしても注いでやらず、こぼしたら舌打ちをして掃除しとけとタオルを投げつける。

本当の悪というのはこんな風に、誰も見てないところでこっそり行われるものです。そういうリアルさという点で見ても、せっかく大人向け配信作品という土俵で勝負に出たはずの「ブラックサン」が勝てたか?と言えば微妙なところですね。

他にも、いつ死んでもおかしくない乾巧の死をあえて表現しなかった「ファイズ」に対して、せっかくオリジナルの「ブラック」のOPを流して盛り上げておきながら30分後に仮面ライダーを死なせた本作...等々比較しても突っ込みたいところがいっぱいあるんですがひとまずファイズ比較はここまでにして…

ただ本作の差別描写を全否定はしません。極端に描写しないと人心を動かせないと思ったからあんなキツめの演出にしてるんだろうとも思います。だから本作多分海外の方がウケると思いますね。海外の方が差別や迫害が強烈で恐ろしいものなので日本でイマイチ評価されなかったとしてもあっちの方が評価高くなると思いますよ。

 

 

◆「戦う」というテーマと「CASSHERN」

海外の方が評価が高いと言えば「CASSHERN」。

シャドームーンのドラマは「CASSHERN」のブライキングボスを彷彿とさせられましたね。この2作品も共通点多いんです。

CASSHERN

CASSHERN

  • 伊勢谷友介
Amazon
  • 虐げられた怪人が人間への報復を誓って怪人を率いる展開
  • 怪人たちの動機には十分同情の余地がある
  • 裏で全ての糸を引いていたのが国のトップ
  • 「差別」とはやや異なるが「憎しみの連鎖」を争いの原因としてクローズアップ

「CASSHERN」が優れていたのは、全ての登場人物に裏のドラマを用意したことでした。戦場で人殺しを楽しむ狂人と化していた兵士にも、実は愛娘を殺された背景があったことが仄めかされたり、新造人間たちにもかつて温かい家庭があったことなど、「憎しみの連鎖」をテーマにするからこそ、「特定の誰かを一方的に悪人にしない」というスタンスが徹底されていたと思います。

その点、「ブラックサン」で言えば「ヘイターたちがなぜあれほどまでに怪人を忌み嫌うのか?」の掘り下げが全く無かった。これは差別する人間=悪と決めつけているようで私には軽薄に見えてしまいました。

※それも意図的だとは思いますが…。

もしかしたら彼らにも、怪人によって愛する人を奪われた過去があったのかもしれない。もしくはあのデモに参加することでしか満たされない心の渇きがあるのかもしれない。

理不尽な暴力や迫害を肯定することはできませんが、その背景にある葛藤を描くのがドラマだとすれば、それは無かった(勿論本作のテーマがそこにないからかもしれませんが)

あと、最後に葵がおじさんの継承者を名乗って戦闘集団を結成してたけど、あれって本当におじさんの意志を継いだと言えるんでしょうか?っていう疑問はあります。

「CASSHERN」が、「お互いが存在することを許す」というところに行き着いたのに対して本作は「戦い続ける」という結論を出して終わるのは象徴的ですね。

デモに立つ少女に爆弾の作り方を教えるのが本作の結末ですから、そりゃインパクトありますしそれはそれでいいんですけど、そんな少女が戦わなくてすむように戦う罪や苦しみをひとりで背負うってのが「仮面ライダー」だと個人的には思っているので本作が「仮面ライダー」を冠することに違和感は覚えてしまいました。

こういうこと言うと頭の固い昭和ファンだとか毛嫌いされるかもしれませんし、女の子や子どもたちが仮面ライダーの戦いを継承していくってのが現代風なんだよって言われたらそれまでなんですけどね。

 

◆政治風刺について

なにかと批判の的になっているんでしょうか?本作の政治風刺は確かに近年稀に見る強烈なものだったと思います。

それを「仮面ライダー」でやるということに嫌悪感を示すむきもあるかもしれませんが、私は結構楽しんで見てました。

あからさまに安倍総理を意識した風貌のルー大柴と岸信介を思わせる祖父の存在、そして民意など鼻で笑い飛ばす悪政の数々…。

私自身政治家に信頼も愛着もないので実に面白かったです。どちらかと言えば安倍が暗殺された直後に手のひら返しで安倍を英雄視しだしたマスコミと世論の方が薄気味悪かったので、アーティストや表現者と呼ばれる人たちにはこういう体制批判的な作品を撮ってもらっている方がむしろ健全に思います。

いやしかし本質的には現実の風刺がどうとかは全然真面目に考えてなくて、ルー大柴の怪演が本当に素晴らしかった。それに尽きます。

ただ一点、それはどうなの?と思ったのは路地裏でコウモリとコオロギが総理を暗殺するシーンでブラックOPのイントロがかかっていたことです。

路地裏の要人暗殺を英雄視している、と捉えられかねないあの演出はまぁ批判されるだろうなと思います。政治風刺がイヤな人からも、オリジナルのファンからも。

冒頭で「本作は意図的に政治家を悪者として描いている」と断定した理由はこのシーンにあります。総理を殺す映像で主人公のOPテーマかけちゃうんですから。

でも他にも「コイツもかなり悪いだろ!」ってやつがいたんですが…。

 

◆秋月博士と南博士

信彦と光太郎の両親がなぜ2人に次期創世王の宿命を背負わせたのか?劇中のセリフではかなり好意的に解釈されてましたけど、ちょっと怪しいとこですね。

「2人の父親が息子たちに戦士の宿命を託す」という設定は「仮面ライダーカブト」を想起させるものですが、「カブト」の場合は「赤い靴」という隠し機能があったり、2人の父親が必死に反逆の機会を狙っていたことを思わせる設定がありました。

それに対して本作では、ブラックサンも結局最終話で「イスの人」になっちゃったところを見るに、継承者の創世王化は不可避だし、意志を持つこともやはり困難(殺してくれと言うのが精一杯)というのが残酷な現実だった訳で。

そうなると本当にあの2人のオヤジは残酷な運命を託してくれたなぁと思いますし、劇中でそのことを誰も断罪しないのもやや気持ち悪いところですね。

 

と、気がついたらかなり長いこと書いてるんですが実際には他にも言いたいことはいっぱいあります。

が、それだけやっぱり仮面ライダーが好きなんだな自分は、って再認識できたしなんだかんだ「ブラックサン」楽しめたなーとも思うところです。

ま、他にも思うことがあればあとはちょこちょこTwitterでつぶやこうかな。ブログで扱うのはここまでにします。

(了)