本作のラスト、ナイトメア世界(スーパーマンが悪に染まり荒廃した世界)の悪夢から醒めたブルースの元に、突如マーシャン・マンハンターが飛来します。
このシーン、多分なんですがザック・スナイダー監督なりの、ジャスティスリーグとの別れのシーンだったんじゃないですかね?
※あくまでこの記事で扱っているのは、2017年劇場公開版「ジャスティス・リーグ」ではなく、2021年に配信&ソフトがリリースされた「ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット」(スナイダーカット)です。
期待される続編
本作が公開されるまでに辿ったあまりにも複雑で険しい道のりについてはもう語り疲れた感があるので過去の記事を参照してください。
もう言わずもがな、サイコーの作品でした。何度も何度も繰り返し見ました。
ストーリーとしては、ステッペンウルフの侵攻を退けジャスティスリーグが誕生したところで一旦ひと段落。
ブルースは廃墟となっていた屋敷にリーグを迎える準備を始め(彼にとっての家族の再生)、ダイアナは一人故郷を偲び、バリーは捜査官としての職を手に入れ、アーサーは父親に会いに行く。サイラスは父の遺言を胸に空を飛び、クラークは家を取り戻し、それぞれの日常=家に戻っていく。ひとときの平和を取り戻した彼らでしたが、レックス・ルーサーは脱獄し、デスストロークに接触、暗躍を始めます。
そして、突如世界はナイトメアへ。ダイアナもアーサーも殺され、残るバットマンたちだけでゲリラ戦を続ける絶望的状況が映し出されます。
ここまでであれば、「うわー!続編絶対あるやん!絶対見たいわ!!」って思ってたと思うんですが...。この後の本当のラストシーンに多分全てが詰まっていたように思います。
今回久しぶりに見まして、「あ、やっぱりこれは続編ないわ」と思いました。なんというか、作品そのものが映像として「もうこれで終わりです」と明言しているように感じたからです。
まぁ、もちろん心情としてはあのダークサイドをきっちり倒すところまでは見たいですよ。見たいけど、もう言わずもがな色々な体制的な問題も含めて絶対無理でしょう。
いやそれ以上に、ザック自身にその気がないってことが、ラストシーンのブルースから感じられたんですよね。
ブルースとマーシャンの邂逅
例のシーンなんですがとりあえず面白すぎますよね。
あのマーシャン・マンハンターとブルース・ウェインの邂逅ですから、そりゃあヲタクとしては盛り上がるところなわけですよ。だのに、寝起きのブルースのだるそうなことよ(笑)
ブルースにとっては、とりあえず悪夢から醒めたばかりのあんまり良くないタイミングで、初対面の緑顔の奇人が突然空から自宅の玄関までやってくるんですね。しかもなんかやたら褒めてくるし、それはとりあえずありがとうって感じなんですけど、今わざわざ言いに来ることか?というかそもそもあんた誰?みたいな空気をブルースがなんとなく醸し出していて、ちょっとシュールです。
それでこのシーン、改めて見ると「かなり意図的に」マーシャンとブルースに距離を置いているように見えます。
決定的なのは、ブルースが一度も玄関から出てこないこと。一瞬横からの二人を撮ったカットがあるんですが、建物の中と外で明確に二人の間が分断されています。歴史的な二人のスーパーヒーローの邂逅ですが、今後二度と交わることはないことが暗示されているようにさえ思えます。
また、朝陽と共に現れたマーシャンは朝陽の中に消えていきます。ブルースも彼が去った後を見送るでもなく、すぐに建物の中に戻っていきます。
二度と交わらないであろう二人
私は映像作品の中に監督個人の考えや生活などの背景をメタ的に汲み取る見方が好きではありません。あくまでフィクションをフィクションとして楽しみたい人間なのですが、まぁこのジャスティス・リーグに限ってはそうも言ってられないほど「色々」な「ゴタゴタ」がありすぎたので、そういう知識が入っちゃってるのも良くないのかもしれませんが、まぁ勘繰ってしまいます。
それに、作品そのものにザックの個人的な感情はかなり含まれていて、ブルースがバリーをベンツに乗せて走り出すシーンの街の看板に、自殺志願者へのエールのようなメッセージが映っていまして、これは明らかに愛娘オータムの自死からの彼の想いが如実に現れているカットです。
そういったことからも、ブルースとマーシャンの邂逅シーンにも色々が込められていると私は勝手に勘繰っちゃいます。ここから書くことは「正解」とかではなくて、本当にあくまで私個人の勝手な「解釈」です。
まず、このシーンのブルースは「ザックそのもの」に見えます。
「悪夢」を終えたザックの元に、朝日と共に突如舞い降りた見ず知らずの超人、これは突如降って湧いたスナイダーカット製作の話のように見えますね。マーシャンは、「スタジオからの突然の提案」の化身、もしくは「スナイダーカットを望んだ世界中のファンそのもの」とも言えるかもしれません。
マーシャンは、ブルースのリーグ結成の功績を真っ直ぐに褒め称えます。彼にとっておそらく最も刺さるであろう「両親」という言葉まで使って彼を褒めています。
これはザックにとっては当然「娘」と読みかえることができます。一度は挫折し、屈辱を味わわされた本作を再編し、新たに作り上げた父を、今は亡き娘・オータムも誇りに思っているに違いない、ということです。
ですが、割とそっけないリアクションで、なんなら首を傾げながらブルースは自室に戻っていきます。これは現在のブルースの自宅ですが、過去作のどのシーンと比べても最も明るく描写されています。やはり「朝」「陽光」という演出は見逃せないポイントで、ブルースにとって、またはザックにとって、すでにジャスティス・リーグの戦いは「過去」のものであり、彼は新たな日々の始まりの朝陽を浴びながら新たな仕事に着手している、ということでもあると思います。
ザック・スナイダーの意思表明
そう、彼にとってジャスティス・リーグはもう過去のものなんです。だからマーシャンが彼を訪れても、もう彼は大した興味を示さなかったし、家を出ないし、彼を家に招き入れもしない。これは、彼のアーティストとしての明確な意思表明だと私は思います。
ザックは、世界中のファンの期待に応えてスナイダーカットをリリースしました。そして、元々構想していたことの中でも、現段階で映像化できることをなるべく全て映像化して詰め込んでくれました。それは特に最終決戦終了後の各種映像に顕著です。
レックス・ルーサーとデスストロークの船上での会話シーンでは、「BvS」でも印象的だったバットマンのテーマ曲が断片的に聞こえ、本来予定されていたバットマン単独作のフリを匂わせています。
もちろん、「ダークナイト・リターンズ」まんまのあの戦車のシーンも、バットマン関係でザックがやりたかったことの一つでしょう。
そして続くナイトメアのシーンでは味方側につくデスストローク含めたゲリラ戦の模様を見せ、あのレトジョーカーとバットマンの長回しの会話シーンが続きます。
ここまでは、「本当はこういうことをやろうとしていたんだよ」という、「続編への前振り」というよりかは、「種明かし」をやっている感じですね。ひたすら種明かしを重ねて、もちろんマーシャン・マンハンターもそんな種明かしの一つです。
そうして、もう出せるもんは大体出し切ったよ、という種明かしの後に見るブルースは、おそらく急な再撮影のためにそこまでバルクアップもできず痩せ細った印象のベン・アフレックの見た目も相まって、「過去の人」って感じでした。
スナイダーカットのチャンスをくれたスタジオも、期待してくれた世界中のファンも、彼の功績を讃えてはくれるし、もちろんそれに対しての感謝はあるけれど、寝起きのブルースよろしく「なんで今なの?」みたいな想いもきっとあったと思うし、それってぶっちゃけたことを言えば、だったら2017年の段階でやらせろよって話だと思うし(私もそれを強く思っているから、実はスナイダーカットを手放しには喜べていません)、「今の私はもう次の世界を見ている」という、同じところに踏みとどまることなく、常に前進を続けている彼のアーティストとしての姿勢が、朝の眩しい陽光から強く感じられました。それと同時に、マーシャンへの少し冷めた目線から、彼はもう、ジャスティスリーグを見つめてはいないんだな、ということも悟った気がします。
気になる方、ぜひラストシーンをもう一度見てみてくださいな。
(了)