ADAMOMANのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

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伝説となったダークナイト(ライジング編)ブルースは死んだのか?映画のラストをどう捉えるか?

伝説の3部作。その、完結編

ダークナイト ライジング (字幕版)

ダークナイト ライジング (字幕版)

今も忘れない。12年前、初見のレイトショー。

泣いた。バットマンのカッコ良さに。そして、ブルースの生き様に。

生きていて良かったとさえ、思った。このシリーズと共に生きたことを誇りにも思えた。

だが、映画評を見てみると、やれ「ストーリーが破綻している」だの「前作ダークナイトは超えられなかった」だの「ブルースは死んだのか生きているのかわからない」だの、賛否両論。

しかし、ビギンズから足掛け7年。来る日も来る日もこの完結編を待ちわびてきた私からすれば、どれもこれも的外れ。本気で観ていない人間が語るなと、一言物申したい思いから、改めてライジングのラストシーンについて語りたいと思う。

◆前作ダークナイトをどう捉えるか

ダークナイト (2枚組) [Blu-ray]

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  • 発売日: 2016/02/24
  • メディア: Blu-ray
 

作ダークナイトは確かに凄まじい映画であった。その功績と業績は凄まじく(詳しくはWiki参照)、「アメコミ映画の枠を超えた」etc本格派の映画評論家からも絶賛の嵐だった。とりわけ、ヒースレジャー演じたジョーカーの鬼気迫る演技には特に注目が集まり、アメコミ映画でありながらリアルな世界観を描き切った本作は、普段アメコミ映画を観ないであろう層も巻き込んでの、一大ムーブメントとなった。

だが、だからこそ3作目は相当な難産であったに違いない。何しろその大傑作を超えなければならないのだ。

だが、ライジングに対する一部世間の評価と私個人の感覚には以下の2点において、ズレがあったと思っている。ライジングを語る前提として、まずは前作・ダークナイトをどう捉えたか、について語っておきたい。

◆ヒーロー映画として

まず1点目。「アメコミヒーローの枠を超えた!」とかなんとか言っても、あくまで本作はアメコミヒーロー映画であり、バットマン映画である、という点。とことん掘り下げて、濃密なドラマを生み出したのは確かだが、だからといってヒーローモノでなくなった訳ではない。だから、普段ヒーロー映画を観ない人間が、次作・ライジングに妙な(ズレた)期待をしていたのではないだろうか?ダークナイトを超える社会派サスペンス映画を期待してしまったのなら、それは違うよということだ。

そのことは、1作目のビギンズからもハッキリしている。あくまで本シリーズは「ブルースウェインの物語」なのだから。

www.adamokodawari.com

 

◆主役はバットマン

「ジョーカーが主役を食うほどの存在感!」と評すのは勝手だが、あくまで本作の主役はバットマンだ。ジョーカーが街を混沌に陥れながらも、その渦の中心で葛藤し、もがき、最も戦ったのは間違いなくバットマン=ブルースウェインその人なのだ。

セリフが少ないのも誤解を生む要因だろうか?確かに寡黙なバットマンとは対照的に、ジョーカーの方が饒舌だ。

しかし、マスクを脱ぎ散らかしたまま座り込むブルースや、ハービーにコインを届けたバットマン、そして焼け跡に立ち竦む物言わぬバットマンの姿から、何も感じ取れなかったのだろうか?

圧倒的な残虐さで街を混沌に陥れるジョーカー。バットマンは「ルールを破る」か否かの決断を迫られる。愛する者を失ってもなお葛藤し続けるバットマンの姿にこそ、我々は胸を打たれるのだ。

そして闇の騎士は罪を一身に背負って消える。この後味の悪さと同時にこみ上げる憧憬の情。やはり私にとってダークナイトは最高の「ヒーロー映画」だったのだ。

 

◆死をも恐れぬ弱き男

んなラストから8年。

再びゴッサムに嵐が吹き荒れるとき、バットマンは帰ってくる。

しかし、再起したブルースには既に何も残されてはいなかった。愛する人〜レイチェル〜を失った絶望感に打ちひしがれたまま、彼の人生は8年前から時を止めていたのだ。そんな彼が再び身に付けたのは「死をも恐れない戦士」の仮面であり、裏を返せば「生きる気力を失った死に損ない」でもあった。

それ故、ベインとの初戦では全く歯が立たず、無残なまでの敗北を喫する。そして収監された牢獄では、殺されるよりも苛酷な拷問〜心への拷問〜が待ち受けていた。

ブルースは殺されることを望んでおり、ベインもそれを見抜いていたからだ。そして共に収監されていた医者もまた、ブルースの弱さに気付いていた。

「どうやったら限界を超えて速く動き、長く戦えると?魂の強い鼓動が必要なのだ。死への恐怖だ」

 

◆奈落からの脱出

ブルースが再び立ち上がるための、ブルースの物語の終着点は、必然的に「ビギンズ」へと収斂してゆく。

囚人たちの監獄-奈落-は幼き日に落ちた井戸そのものだし、ベインは同門の兄弟子。そして死の恐怖こそが人を強くすることを説く医者は、父トーマスの言葉を想起させる。

彼らは恐れている。恐ろしい猛獣は特に

死への恐怖は、生きる力の源泉だ。恐れるからこそ人は強くなれる。そのことに気づいたブルースの表情が良い。憑物が落ちたような、晴々しい顔で荷造りを終えて「ジャンプ」へ向かう。必ず生きて出られることを確信しているようだった。

ここぞという場面でコウモリの群れが飛び出すところも堪らない。トラウマを超克し、恐怖すらも糧に、今1人己の力で奈落から這い上がるのだ。

囚人たちの合唱が、ブルースの本能を昂らせる。ただ「生きる」ことだけを望む「細胞の塊」が、跳ぶ。

本作を象徴する名シーンだ。

 

◆死んで終わる伝説と、生き抜いて始まる第二の人生

終盤、バットマンは迷わず核爆弾を海へ運ぶ。

Not everything, not yet

決戦前夜、セリーナに語った台詞が思い出される。まるで全てを捧げるかのように、街を救うために命を投げ出し、キノコ雲と共に海に消えた。

しかしエンドロール直前、アルフレッドの目線の先にはセリーナとテーブルを挟むブルースの姿が。

私は心底納得した。彼の自信に満ちた微笑を見て、彼は勝った、そう確信した。前作ダークナイトのエンディングとは真逆の、最も美しく、爽快で、感動的なエンディングであった。

まず、ブルースが生きていたこと。これには全く疑いの余地が無い。そもそも死を覚悟して負けたブルースは、死への恐怖=生きることへの執着を剥き出しにすることで復活したのだ。生きて、生き抜くことこそが、ブルースの辿り着いた答えだったからだ。当然、「ブルースの姿はアルフレッドの見た幻である」なんて見方は成立しようがないのだ。

そして、足掛け7年、最終的に生き抜く選択をした彼の笑顔を見られたことが、一鑑賞者として最上の喜びであった。

しかし、なぜ一度死んだように見せかける=死を演出する必要があったのだろうか?

ここで本作の裏テーマとも言える「クリーンスレート」が重要なキーワードだったことに気付く。セリーナが追い求めた、過去の経歴を抹消し、人生をやり直すための究極のプログラムだ。

セリーナに提示した人生のやり直し計画は、実は自分の為にも用意されていた。生きることへの「渇き」を原動力に、おそらく奈落を脱出した直後から(その前から?)、綿密な計画を練り始めていたに違いない。実は更新されていたザ・バットの自動操縦機能、

自分の死後の遺産の整理方法、フィレンツェへのチケットが2枚(お相手をこの段階でセリーナと想定していたかはまだ議論の余地がある)。

その一方、「バットマン」には命がけで街を救った「英雄」として死んでもらう。

こうしてバットマンは「伝説」として完成する。まさにラーズが最初に語った言葉そのままに。

Legend, Mr. Wayne」(バットマンビギンズ)

己の人生を生き抜くため、「バットマン」には壮絶な自己犠牲の象徴=伝説の英雄として死を与え、更にはウェイン産業トップ、「ゴッサムの大富豪ブルースウェイン」さえも殺し(万一の追手を振り払う意味もあろう)、見事セリーナと第二の人生を歩み始めるのである。

 

◆展開の粗をも呑み込むカタルシス

確かに本作には、展開の粗さを感じる部分があるにはあるのかもしれない。

たまたまゴードンのスピーチ原稿を手にするベイン。

よくわからないデント法の中身。

隠居中にブルースがフリーエネルギー開発にこだわった理由。

引きずっていたはずのレイチェルからミランダへ、ミランダからセリーナへ、というブルースの変わり身の早さと騙されやすさ。

ミランダの正体とその意味。彼らが画策した自爆テロの動機とその実行手段。

タリア登場後のベインの小粒感。

…だが、私は全く気にはならなかった。と言うより、気になって考え込む前に、次なる展開に呑みこまれて気にしている暇も無かった、という感じか。

確かに整合性も大事だが、それ以上にブルースの物語を完結させることが優先された結果であり、あのラストシーンに大満足の私からすれば、重箱の隅をつついた枝葉の戯言に過ぎない。

確かに、整合性とテンションの両立は重要だ。しかし、整合性にこだわりすぎると堅苦しくてつまらなくなる。

増して本作は、①隠居したブルースの復帰〜②敗北、そして③ベインによる革命と、④ブルースの復活、⑤街をあげた大決戦と⑥バットマン引退までを一本の映画で描き切る必要があり、大幹を描くだけでもとてつもなく膨大な時間を要する。事実本作は既に上映時間165分と、かなりの超大作だ。

だからこそ、細々とした整合性にはある程度目をつむり、劇場で体感する、事態が変転してゆくテンポ・スピード感、そしてその中で揺れ動く人々の葛藤と決断、とりわけブルースのそれに重きを置くことで、終盤に向けたドラマのテンションを維持し続けることに成功したと思うのだ。

 

まぁ要は、「こまけぇこたぁ気にするな」という乱暴な理屈かもしれないが(ズレた背骨も殴りゃあ治る!)、少なくとも、一度敗北したヒーローがまさかの復活、リベンジを果たすという大好物・超王道のヒーロー映画としてダークナイトシリーズを完結させてくれたことに、私は感無量であった。

涙でぼやけるエンドロールに、心の中で万雷の拍手を送り、劇場を後にした、あの日の感動は今も忘れられない

 

一番語りたかった部分ゆえ、少々長くなってしまったが、今後も少しずつ本作について扱ってゆきたい。

・新兵器「ザバット」の魅力

・1万人の大決戦

・バットマンが示した「ヒーローとは」

・ブルースはなぜセリーナを選んだ?

・ベインとの決闘

etc