特撮作品のみならず、テレビ番組は「テコ入れ」・「路線変更」によって作風や雰囲気がガラッと変わることがありますけど、1971年〜放送開始の「仮面ライダー」もまた、テコ入れされまくったテレビ番組の一つです。
こう言うと意外に思う人もいるかもしれませんが、個人的にこんなにテコ入れされまくって、かつ大成功を収めたテレビ番組、他には知りません。
銀ラインの本郷ライダー
第1話〜最終回98話に至るまでいろんなテコ入れがありましたが、一番のテコ入れは2号ライダーの登場だったと思います。
2号ライダー登場の話題になると必ず「藤岡弘氏のバイク事故」の話題になりますが、
※今やライダーファンにとって常識とも言える話題なので詳細は省きますね。
特筆すべきはいわゆる2号ライダーのスーツ(通称旧2号)、藤岡弘氏が怪我をする前の段階ですでに発注されていたという事実です。
出典:「仮面ライダー大全」
第2話「恐怖!蝙蝠男」を見たプロデューサーが暗闇での戦闘シーンで全く映えないライダーに「これはマズイ」と思ったそうです。
もちろんちゃんと石ノ森大先生に再度デザインしてもらっているというのも嬉しい話ですね。
藤岡弘氏が怪我をしなかったら、あのシルバー輝く2号スーツは本郷ライダーのものだったかもしれないのです。
とりあえず、2号ライダー登場の14話以降で変わった点を挙げてみましょう。
14話以降テコ入れされたポイント
- バイクを使わずポーズで変身
- マスクとスーツに銀が追加され明るく
- 主人公(一文字隼人)のキャラクターも陽性に
- 女性レギュラーが大幅に追加され明るく華やかに
- 子役のレギュラーも追加
- ナイトシーン(夜戦)の激減
- 活動拠点がスナックAmigoから立花レーシングクラブへ
- 戦闘シーンにバイクアクションが大幅追加
といった辺りです。
一言で言えば、「明るくなった」ということでしょう。
また、これらのテコ入れは、藤岡弘氏のバイク事故がなければ藤岡弘氏主演のまま行われていたかもしれないというのは興味深い事実ですね。
そうなると、2号ライダーが存在しない=仮面ライダーが複数人存在しない世界なので、現代にまで続く国民的超人気長寿シリーズになったかはどうかはわかりませんが、主役のバイク事故があってもなくても、当時において超人気ヒーロー番組になっていたことはほぼ間違いないでしょう。
滝和也という大発明
ただ、偶発的とは言え、藤岡弘氏のバイク事故がなければ得られなかったものは確かに存在します。それは言うまでもなく仮面ライダー2号の存在、そして「ダブルライダー」という複数(集団)ヒーローの魅力を発掘したことです。
そのままV3、ライダーマン、X…と増えていった「5人ライダー」が「ゴレンジャー」誕生のヒントとなったことは有名です。
が、ここで見過ごしてはならないのがFBI捜査官・滝和也の存在です。
滝和也もまた、バンクフィルムでしか出演できなくなった藤岡弘の登場シーンを埋めるために作られたキャラクターでした。
ちょっと話は変わりますが、実は「仮面ライダー」の世界って戦闘力のパラメーターがかなり細かく設定されている案外複雑な世界だってご存知ですか?
上から順に戦闘力の序列を書くとこんな感じでしょうか。
- 仮面ライダー
- 怪人
- 滝和也
- おやっさん、ライダーガールズ、戦闘員
- 子役レギュラー
- 酔っ払い
これが例えばウルトラシリーズの場合だとどうでしょう?
- ウルトラマン
- 怪獣
- 特捜チーム
- 一般人
特に3と4の間には大きな断層がありますね。
当時の特撮ヒーロー番組と比べても「仮面ライダー」にはかなり細かい戦闘力の階層があったことがわかります。
過去、「シン・仮面ライダー」の感想記事でも触れたことがある内容です。
そしてここで特筆すべきはやはり滝和也の存在です。常人よりは強いんでショッカーのアジトにもノコノコ入っていけるし、人命救助においても大活躍します。ライダーと並んでバイクで移動するし、ライダーに最も近い相棒とも言える存在です。
が、肝心なところでちゃんとやられるか人質になる。だから仮面ライダーが活躍できるし、改造人間同士の戦いが、常人でも敵わない一つ上の次元の世界だとちゃんと認識できる。
この、「ちょっと強い人間」がいるってのが世界観の構築と丁寧な描写にものすごく貢献しています。
意外なレーティング(対象年齢)
では、「仮面ライダー」って何歳くらいをターゲットにした番組だったんでしょうか?
当時の資料を参照してみると、
視聴年齢層は5年生を目標に下をねらう
出典:「仮面ライダー大全」
とあります。
あくまでも小学校高学年〜中学年をターゲットにしていたことが記載されています。そう言われれば、あの暗くて怖い怖い旧1号編(1話〜13話)のつくりにも納得ですね。
また、平山プロデューサーは「江戸川乱歩」のような世界を意識していたらしく、またスタッフには「ザ・ガードマン」に関わっていた者も多かったそうです。
それゆえ刑事モノというか探偵モノにも近い雰囲気も本作には潜在的に含まれていました。もしかすると「怪奇大作戦」にも近いような方向性を当初は指向していたのかもしれません。
では14話以降、大幅にテコ入れされた2号編以後はどうなんでしょう。「明るくなった」ことで低年齢層にとっても取っ付きやすくなったことは間違いありません。あの「クウガ」でお馴染み髙寺氏もリアタイ世代としてその旨の発言を残しています。
出典:「仮面ライダー大全」
テコ入れが成功している証拠ですね。2号編から見始めた子どもは多かったはずです。それも(当時の髙寺氏でさえまだ4歳だったそうですから)番組が意図しているレーティングよりもずっと下の層が増えたはずです。
では、テコ入れを通じて番組のレーティングは下げられているのか?後の会議資料を参照すると、なんと引き続きレーティングは「小5〜中1」と記載があります。
出典:「仮面ライダー大全」
「よくできた話」をわかりやすく
事実、様々なテコ入れを投入しまくった本作でも絶対に曲げなかったポイントがあります。それが、「怪奇性」です。
怪人の怖さ、強さ、恐ろしさの描写に物凄く神経を尖らせていたことは以下の証言からも明らかです。
出典:「仮面ライダー大全」
出典:「仮面ライダーV3大全」
怖すぎると旧1号編の二の舞ですから、少しコミカルな面も必要です。かと言ってこれもやりすぎると「ショッカー怖くない、弱い」と思わせてしまう。「怪人の弱体化」は、これ即ち「ライダーの弱体化」に直結します。
これを突き詰めていった結果、特撮ヒーロー系でも類を見ないほど複雑で細かい戦闘力の階層描写が生まれたのだと思います。
これはショッカー内部においても同様です。絶対的トップの首領以下、最高幹部、怪人、戦闘員…と、同時代の特撮番組と比較しても圧倒的に丁寧な階層設定が敷かれています。
※怪獣、もしくは宇宙人とその配下の怪獣というせいぜい2段階しか描写されなかったウルトラシリーズが本作を模倣してヤプールを登場させたのも理解できます。
実は「仮面ライダー」って、設定から毎回の戦闘描写含めて結構「しっかり作り込まれた話」なんですよね。
しかも毎週必ず死人が出ます。だからやっぱりレーティングとしては小学校高学年に寄せてるんです。でも、テレビが1人1台ではなく一家に1台の時代です。家族みんなで一緒に見るためには、その「作り込まれた話」をわかりやすく展開する必要がある。
「作り込まれた話」と言うと、「いやいや今の目で見たらツッコミどころ多いよ」と思うかもしれませんが、それもわざと崩しているんです。怪人が怖過ぎないよう、意図して絶妙な塩梅でコミカルな描写を入れている。
そして「仮面ライダー」はそれに成功しています。
つまり「仮面ライダー」とは、高学年に向けて複雑怪奇に作り込まれた物語を、低学年にもわかりやすく見せることが抜群にうまい番組だったわけです。
当時のキャラクタービジネス
ただ、ここに大きな矛盾が存在します。
当時のライダーグッズといえば変身ベルトや三輪車につけられるサイクロン号の「オートマスク」なんかが有名ですが、番組のメインターゲットである小5の男子がベルトを巻いて三輪車に乗ってたでしょうか?
これらキャラクターグッズはもっと下を狙って展開されていたはずです。
番組の対象年齢と、関連商品の対象年齢は一致していなかったのです。
これは推測も含んだ仮説ですが、当時はまだキャラクタービジネス自体が明確に成立していなかった時代ですから、グッズを売ることと番組の作風は全くの別モノだったのだと思います。
少し上の学年を狙って番組が撮られていたとしても、実際には小学低〜中学年を中心にブームが起きているから、メーカーはストレートにそこめがけて商品開発をしてたってことだと思います。
雑多な言い方が許されるならば、あくまでキャラクタービジネスというのはヒット番組に後から群がってくる金魚のフンみたいなものだったということです。どの会議資料にも「おもちゃ」の「お」の字ひとつ出てきませんからね。
ただ、これを短絡的に近年の番組作りの体制と比較して批判するつもりはありません。当時は関連商品の売上ではなく「視聴率が全て」の時代です。
※それに対して近年のライダーシリーズでは番組の立ち上げ・企画の段階からパワーアップのタイミングやストーリー展開に至るまで玩具メーカーの発言力がかなり大きいようです。
最大の路線変更…⁈
ここで話を一旦まとめます。
仮面ライダーとは、対象年齢10歳〜12歳に向けた比較的高学年向けの特撮ヒーロー番組として製作されていて、一般的に思われがちな「幼稚な番組」を意図して作られていなかったということです。
但し、その「怖くてちょっと複雑な話」を、「わかりやすいヒーロー番組」としてパッケージ化することに成功した作品だったんです。
だから今の目で見ると「仮面ライダー」ってあらゆる特撮番組で目にする「あるある」の詰め合わせです。単純でつまらないと思うかもしれません。ですがそれは、後続の特撮番組がこぞって「仮面ライダー」の真似をしたからなんです。
ただ、ここまでの作品の進化の過程に行われたのはあくまで「テコ入れ」であり、「路線変更」と言うほどのものではない、と思われるでしょう。ですが私は、本作がヒット作になる過程で「諦めてしまったこと」=路線変更せざるを得なかったことがひとつだけあったと思っています。
それが、本郷猛が普通の人間に戻ることです。
「仮面ライダー」という作品のゴールはどこにあったのでしょう。最終回までに到達すべき物語の終着点です。おそらく多くの人が「ショッカーを壊滅させること」と答えると思います。
それも間違いなくそうなんですが、それと同時に「本郷猛が人間に戻ること」もまた、物語の終着点だったと私は思うのです。
第2話、ルリ子さんの誤解(父殺害の犯人は本郷猛と思われていた)が解けた後の本郷のセリフ
ルリ子さんの心は解けたかもしれないが、俺の体は...俺の体は同じことなんだ…!
または第10話のエンディングナレーションを振り返ってみましょう。
ショッカーの魔手から、日本の危機を守った本郷猛だが、いつの日に、普通の人間に戻れるのであろうか!
これらはかなり初期のエピソードに見られた描写のため、「本郷猛の戦いはまだ始まったばかり、人間に戻れる日もまだまだ先のことだ」という含みが読み取れるのですが同時に「本作のゴールは本郷が人間に戻ることにある」という最終回への暗示・伏線にも思えたわけです。
例えば「みなしごハッチ」は誰の目から見ても「お母さんに会うこと」が物語のゴールでした。「母をたずねて三千里」も同様です。
それらの如く、「仮面ライダー」というのは、「改造人間にされてしまった本郷猛という青年が普通の人間に戻るまでの物語だった」という解釈もできそうだということです。そうだとすれば、これは間違いなく路線変更です。本郷猛が人間に戻るための物語はいつしか消え去り、ただひたすらにショッカーを倒すための物語に差し替えられてしまった。
本郷猛が人間に戻るどころか、一文字隼人、風見志郎…と悲運の改造人間は増え続けるばかりでした。それは、その方が視聴率が伸びたからです。子どもたちからの人気や視聴率と引き換えに、本郷猛は彼の人生を放棄せざるを得なかった。
私はここに、この番組の悲劇を見出します。
なんなら、本郷が14話以降渡欧した理由も、改造手術のエキスパートと言われる死神博士の技術で人間に戻る方法を模索するためだったのではないかとさえ思っています。だからこそ、変身するために不可欠なはずのサイクロンを一文字に置き土産として残していったのではないかと。
…なんてことも所詮後年のファンの勝手な妄想です。
皆さんはどう思いますか?アマプラのマイ⭐︎ヒーローに加入すれば見放題なので、これを機にじっくり本作がたどったテコ入れと路線変更の跡を覗いてみてください。
別にAmazonの回し者じゃないよ(笑)
(了)