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オーズ復活のコアメダルの脚本評価が炎上したワケ〜仮面ライダーの◯について考える〜

仮面ライダーオーズ10th復活のコアメダル

もちろんネタバレ含みますので悪しからず。

復活のコアメダル炎上について

あんまりにもみんなが(ネットで)酷く言うもんだから気になってたんで思い切って見てみました。

まず、そもそも私が公開から一年以上見ていなかった理由を三つ...

  1. オーズという作品に特別思い入れがない
  2. だから続編にも興味ないしそもそもVシネで続編というやり方も嫌い
  3. オリジナルを無視した無神経な作品になる気配がしていた

…「世間が言うほどオーズってそんなに面白いか?」っていうのが私の率直な思いで、あんまりのめり込めなかったんです。好きなところもないわけではないんですけど、私があんまり好きじゃないところを三つ...

  1. 「欲望」がテーマだったはずがアンクとの絆云々でブレた印象
  2. 総じて作品の雰囲気(主にギャグ描写)が苦手
  3. 映司は好きだが映司を思いやる比奈ちゃんがなんか過剰に見えてしんどい(過剰な演技がしんどい)

オーズ好きな人には申し訳ないんですけど本当作風が好みじゃないのでこればっかりはどうしようもない。

で、本作「復活のコアメダル」はどうだったのか?というと…

 

復コア良かったとこ

なんか思ったより全然悪くないやんというのが正直な感想です。思ったより面白くできてるねと思いました。ではその理由を三つ…

1️⃣瀕死だった比奈の兄にアンクが取り憑いて生命維持してたという構図を、映司に置き換えるという発想

2️⃣テレビ本編最終回をかなり強く意識した演出

3️⃣メインキャスト見事勢揃い

というこの三つです。

1️⃣に関して、

この映画は総じて「アンクの恩返しの物語」だと思ってるので、それができる絶好の機会をアンクが手にしたんだろうなーとは思いました。アンクが駆け引き抜きで映司のために行動するのはファンにとっても嬉しい展開だったと思います。

2️⃣に関して、

これは意外でした。もっと無神経な続編かと思ったら、案外丁寧に最終回のその後を描こうとしているのはかなり好感が持てましたね。実際の本編映像まで交えた描写(その是非はさておき)の数々からは、当時のファンのための映画です!という強い意志を感じました

3️⃣について、

みんな本当変わらない!アンクは言うまでもなく、比奈ちゃんは10年前より今の方が断然お綺麗になられたなぁと思いました。あとグリードの連中はまじで何者なんだ変わらなさすぎだろww

 

復コア気になったところ

ここからはネガティブな感想書きますけど、私やっぱりオーズそんなに好きじゃないんで別に「許せない!」とか激しい感想にはなりませんよ。

1️⃣言動への違和感

2️⃣色々とザツい

5️⃣救いのないエンディング

といったあたりかなーと。順番に一つずつお話していきます。

言動への違和感

一部のキャラの言動にちょっとだけ違和感ありました。本当にほんの少しだけ。

多分コアなファンからすればもっとたくさんあるんだろうなとは思うんですが、私が違和感を持ったのは結構序盤の

「再会を喜ぶのは後だ」

というアンクのセリフです。これアンク自身も再会を喜んでいることを暗に認めちゃう発言で、ちょっとデレすぎというかアンクってそんなぬるいやつじゃないよなとは思いました。もっと比奈ちゃんに対しては突き放した態度を取るのがアンクだと思ってたので。

まぁ百歩譲ってここはあり得たとしても、その後もずーっと兄貴の体に取り憑いたままのアンクを一度も咎めない比奈ちゃんにも違和感。その後も「会えて嬉しい!」しか言わないし、一言でも「この戦いが終わったらお兄ちゃんから離れてね!」とか言ってくれたらまだ受け入れられたんですけど。

メタな言い方をすれば、三浦くん演じるアンクを出し続けたいがためだけに、アンクが泉刑事の体に憑依する物語上の理由付けを完全にサボってるだけですよねコレ。

でコレっていうのは、なんか「10周年だからみんな帰ってきたよ嬉しいでしょ?」っていうメタなメッセージが映像から漂ってくる感じがするから個人的に好かんのですよね。だから1年ものの特撮番組の続編ってあんまり好きじゃないんです。結局生ぬるい同窓会みたいな映像しかできないでしょ。

コメディタッチでライトな作風と様式美が売りの戦隊なら別にそれで良いんですけど、仮面ライダーでそれは見たくないんですよね。

かと思ったら「コレジャナイ感」MAXでそんなファン心理を逆撫でしまくるゴーダ憑依の映司くんの振る舞いは面白かったですけどね。「歌は気にするなって言ってよー!」とかウザさが凄まじいww

これが終盤に向けての「焦らし」でちゃんと本物の二人が帰ってきたらファンももう少し納得してくれたんだろうけど…。

あと、上で「案外テレビ本編最終回をかなり強く意識した演出が多くて安心した」とは書いたんですけど、めっちゃ意地悪な言い方をすればこれ撮った人たち最終回しか見直してないんじゃないかな?と思っちゃいました。ぱぱっと最終話だけ見返して作ったんじゃないの?っていう(めっちゃ失礼な言い方ですけどそう思えるくらいなんか全体的に「浅い」。)

色々とザツい

ど偏見で申し訳ないけど個人的にVシネライダーの嫌なところがコレです。オリジナルの設定の細かいとことか割とヘーキで無視してて世界観の作り込みが浅いしザツなんですよね。本作で言えばもう言うまでもなく

「なんで古代のオーズが蘇ったの?」

ってところとか完全にスルーでしょ。まぁそりゃわかんなくても別に良いっちゃ良いんですけど。ちょっとテキトーすぎるでしょと。

ただ、コレよりも許せなかったことが実は別にもう一つあって、それがバースコンビの描写です。バースはなんかよくわかんないけど突如コアメダルを使ったパワーアップを果たしていて、案外しっかり新スーツで登場します。コレについてもなんの説明もないんですが、バースに関しては鴻上ファウンデーション製なのでまぁよしとしましょう。

ただ、結局パワーアップしてもやってることはバースバスターをひたすら連射するだけと言うのはいただけないですよ。

なんのためにコアメダルでパワーアップしたんですか?ライダーお決まりのフォームチェンジの無駄遣い。相変わらずダメだな〜。

あとはまぁグリードの皆さんがザツに吸収されて終わっちゃったのとか、本当はダメですよね。でも尺の問題と、ただの「同窓会イベント」だと思えばまぁええかと。

いやよくない。でも許容されちゃうから、だから◯周年作品とか作ったって誰も喜ばんのよ。全員復活させても消化できる尺ってか予算ないんだから。粗い作りになっちゃうのが目に見えてんのに呼んじゃダメです。オリジナルのキャラクターに失礼です。

それから古代オーズに破壊されまくった後の世界ということで、「555」の「パラダイスロスト」の世界を少し意識しているという話を小耳に挟んだのですが、見てるときにパラロスのことなんか微塵も浮かばなかったけどね。ぜんっぜんあの映画の規模感に届いてないので恥ずかしいからそんなこと言わない方がいいと思うぞ。予算含めセットのスケールとか全然レベルが違いますから。

そしてこの「ザツさ」ってところに本作の根本的な問題があります。ザツってことは要は「無神経」なんです。だから多分あんなエンディングになるんだと思います。ここからは肝心の「映司の死」について考えていきます。

 

救いのないエンディング

そもそも仮面ライダーが、しかも主役が死ぬ、死んで終わるというのは非常に特殊です。繰り返しますが私個人としてはオーズに大した思い入れがないので別にショックでもなんでもないんですけど、キャラクターの死には作劇上の意味があるはず、あるべきです。

物語においてキャラクターが死ぬ理由ってのは大体、1️⃣「過去の贖罪」か2️⃣「物語上の役目を終えた」か3️⃣「主人公に試練を与えるイベント」(敵の強大さのアピール)のいずれかになります。

が、本作で問題だったのは、「オーズ復活を待ち望んでいたファンの期待を見事裏切って映司を死なせたこと」、もそうなんですが、それ以上に、大した物語上の理由もなく映司を死なせたことだと思ってます。

ではここで、過去のライダー作品における「ライダーの死」について振り返ってみましょう。

 

昭和ライダーにおける死

仮面ライダー1号・2号は、「仮面ライダーV3」の第2話にて壮絶な戦死を遂げます。まぁ厳密には生死不明なんですが、この段階では明らかに死んだことになってました。

これは新人ライダーV3が誰にも頼らず一人前の仮面ライダーとして成長していくための試練として用意されたイベントです。

同作の最終回間近ではライダーマンも戦死を遂げています。彼の場合は明らかに「過去の罪を償うための死」です。元デストロンの科学者として、何も知らなかったとはいえ悪の組織に加担していたことへの禊ぎとして、ライダーマンはプルトン爆弾と共に散りました。

他にも「仮面ライダーストロンガー」においてタックルが死亡していますが、彼女は仮面ライダーにはカウントされていないので詳細は割愛します。それを言い出すとモグラ獣人等についても触れなければならなくなるからです。ただ、これらサブキャラの死の多くは「敵の強大さを示すため」→「主人公に試練を与えるためのイベント」でしたね。

↑の記事ではタックルの死がストロンガーのキャラクター描写を補完している可能性についても言及しています。

 

平成ライダーにおける死

まずは「仮面ライダークウガ」。クウガは一応死んでないことにはなってますが、スタッフの中で当初は死ぬことになっていたようです。クウガが死ぬとすればそれは「暴力を振るい続けたことの贖罪」でしょう。「クウガ」という作品のテーマが「暴力の否定」だったからです。

そしてこれは実は初代「ウルトラマン」にも通じるもので、ウルトラマンがゼットンに敗れて死んでしまったのは、怪獣を一方的にやっつけてきたことへの贖罪です。

続く「アギト」では、仮面ライダーギルスこと葦原涼がしょっちゅう死んでたイメージありますけど(笑)、彼の場合はその度に必ず復活してたので除外しましょう。ただ、アナザーアギトこと木野薫は、過去の贖罪含め物語上の役目を終えた人物として静かにこの世を去りました。

そして「龍騎」以降、仮面ライダー側の死者は爆発的に増えていきます。この作品は、ライダー同士が戦って最後の一人を決めるという設定だったため、上記のような作劇上の理由では説明できない死が頻発することになります。

第5話

第5話

  • 須賀貴匡
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例えば仮面ライダーシザースがたった2話の間に死んじゃったのは、「作品世界の説明のため」だったと言えるでしょうし、仮面ライダーガイの死は、新ライダー王蛇の強さと残虐性をアピールするため=結果的に「主人公に試練を与えるため」とも言えなくはないですがそれまでのシリーズでは絶対に見られなかった展開です。

www.adamokodawari.com

続く「555」では、やはり草加雅人の死が鮮烈な印象を残していることでしょう。これは「過去の贖罪」と言う解釈が当てはまるようにも思えますが、死を持って散る以外に物語の終わり方が考えられないキャラクターとでも言いましょうか、死ぬことで物語が完結するキャラクターが井上敏樹脚本作品にはよく登場します。代表的なのは「キバ」の紅音也とか、賛否あると思いますが「響鬼」のザンキさんとか、或いは上で紹介したアナザーアギト=木野薫もその1人だったかもしれません。

結構平成ライダーって、新年明けたばっかのおめでたい頃にメインキャラが誰か1人死んで最終回に向けて盛り上がるってのが定番化しつつありましたからね。

一方、「カブト」の神代剣なんかは完全に「贖罪」のための死ですよね。自らの存在に自ら終止符を打つ彼の戦いは見る者の心を打ちました。

「W」でのフィリップ消滅も多くの視聴者の涙を誘いました。これは「オーズ」における最終話でのアンク消滅イベントに結構近いもので、「過去の贖罪」でも「主人公の試練のため」でもなく、その作品世界における非日常の終焉=大団円を迎えたが故の人外キャラの死亡イベントです。

フィリップは元々データ人間として蘇生された存在であり、ミュージアムの崩壊と共に彼は一度消滅しました。

アンクもまた、他のグリードたち同様コアを破壊されてその命を散らします。ですが、フィリップがその後ちゃんと復活できたように、アンクもまた後の映画作品では(一時的とはいえ)何かと復活を繰り返しています。

愛されるキャラクター故、死んだかと思ったら生きてたという展開は電王のイマジンズ(及びブレイドの橘さん)が先例と言えそうです。

 

業が深すぎる男

ザーッとここまで振り返っても分かる通り、過去作のどのライダーの死と比べても、本作「復活のコアメダル」で描かれた映司の死には、物語上の意味がちょっと見出しにくい

映司の死が誰かの試練になる、誰かが続いて立ち上がる、というわけでもありませんし、映司って別に音也みたいに派手に散るところまでを見届けたいキャラじゃありません。それに元々普通の人間なので、フィリップやアンク消滅のような終盤イベント系とも解釈しがたい。となると、「映司に何らかの贖罪をさせるため」に死んだとしか考えられません。

一応、製作側としては「火野映司という人の業が深すぎて云々」=おそらく「手を伸ばせなかった過去(救えなかった少女)への贖罪」として映司の死を描いた、みたいなことを言ってるようですが(脚本家談)、それってオーズとして戦った映司たちの1年間の物語を全否定する発想じゃないですかね?なんで第1話の映司にまで話を巻き戻しちゃうんでしょうか?

それこそ最終回で「映司がつかんだ手」の意味がまるっきり無視されています。映司の成長譚としての「仮面ライダーオーズ」を全否定してませんか?という。大してオーズが好きじゃない私でもそれくらいはまぁわかります。

んー...というかどう考えても「オーズ」の世界で最も業が深い人間は鴻上会長でしょうが!贖罪させたいなら鴻上会長を真っ先に殺せよ!(笑)

それに、オーズって「欲望」がテーマの世界なんだから、みんな業が深くてなんぼでしょ。

それでもあの脚本でゴーが出たってことは、「映司の死」こそオーズの物語の完結編にふさわしいという確信が作り手にあったはずなんですけど、残念ながら完成したあの映像作品には説得力がまるでない。そのことこそが問題だと思います。だってみんな意味わかんないからパンフとかライナーノーツを必死に読みあさったわけじゃないですか。んで必死こいて少ない手がかりからその「意味」をなんとか読み解いて受け止めようとしてんですよ。でも何も伝わって来ないんです。まるで意図的に当時のファンの心をへし折りたいだけのようですよね。

あとよく引用される「(主演の)渡部くんをオーズから卒業させるため」という武部Pの言葉ですが、これも映司の死の根拠になってないので論外です。繰り返しますけど、そういう作品の外側のメタな事情を物語世界に持ち込んだらダメですって。やるなら佐藤健の良太郎サプライズみたいなポジティブな理由でやらないと誰も喜ばないよ。

なんか製作側も誰かに「映司を殺すこと」を指示されて嫌々やってんじゃないかと勘繰ってしまいますよね。それくらい筋が通ってなさすぎる。結論ありきで必死に言い訳を探してるような…。

ただ、かと言って「オーズはあんな製作陣のものではなく応援してる我々視聴者のものだ!」ってファンが言っちゃうのはちょっと違和感あります。それは、「お客様は神様だ」って自称するお客と同じでちょっと低俗な印象を受けてしまうかな。

それが正しいか間違ってるかの議論って個々の価値観の問題なんで答えが出ないしくだらないし見てて恥ずかしいなとは思います。

私は今の東映の体制にそもそも何の期待もないので怒るだけ無駄だと思っちゃうんですよね。だから割と冷めてるんだと思います。

「怒る」とか「クレームをつける」ってのは期待の裏返しですからね。

 

不死身のヒーロー

あと私は「オーズ」が、と言うより「仮面ライダー」が好きなので、ライダーの死を描くには相当な覚悟がいるはずだと思ってます。

過去、クウガ考察の記事やタックルの死について考察した記事でも述べた通り、仮面ライダーは死なない、というより死にたくても死ねない、戦い続けなければならない不死身かつ不可逆な存在だと個人的には考えています。

ライダーの死を真正面から描いた「シン・仮面ライダー」でも、その魂は生き続けていることが描かれていました。

しかし本作にはそういう希望もクソもない。

私としては、「暗い」とか「救いがない」みたいなビターなバッドエンド自体は大好きです。むしろ仮面ライダーにはそういうのがめっちゃ合うと思ってます。

だけど「復コア」の終わり方は、「オーズ」という作品はおろか「仮面ライダー」という不死身の戦士の看板にも敬意を払っていない。だからちょっとイケテナイなぁと思うんです。

ただ、希望はあります。

上述の通り、アンクはテレビ版最終回で消滅した割に、後の映画作品では何かと理由をつけて復活してくれていたことです。即ち、映司だってきっと(というかどうせ)復活できるだろうというフランクな期待です(古代オーズだって理由ゼロで復活したし)。

まぁもう少し真面目に言えば、原作者の言葉通りだよってことです。

「時代が望む時、仮面ライダーは必ず甦る」

オーズも仮面ライダーの一人だから。その称号が、きっと映司を「死」からも掬い上げるはずです。私は勝手にそう思ってます。そう思うことにして、この作品をオーズの最後としてではなく、長い仮面ライダーの歴史の一頁として受け入れておこうかなと思います。

(了)

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