ADAMOMANのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

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シン・ウルトラマン忖度なしのシン・評価感想考察〜Amazon prime配信記念〜

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

2回目の感想です。1回目は映画館で見ましたが、今回2回目は自宅でアマプラ使って配信開始と同時に視聴しました。

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まあ1回目とは全然違う感想持ったので簡単にまとめておきます。

◆ピンボケの「シン・ゴジラ」

映画館では割とノリノリで楽しんでたんですがある程度辛抱して黙ってたところはやっぱり今回も気になりました。厳しい言い方をすれば、総じて「シン・ゴジラ」の二番煎じっぽいことをやってすべってるように見えた部分がいくつかあります。

①くどすぎるカメラワーク

特に序盤〜中盤あたりまでで気になったのが、庵野っぽさを狙った構図の撮り方です。

確かに、「シン・ゴジラ」でも「誰がその目線から見てんだよ」みたいなカメラ位置からの映像というのは多く見られてそれが楽しくもありました。

それこそ、庵野氏も大好き「帰ってきたウルトラマン」にはそういった構図の映像がたくさんあります。

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でも、シンウルトラマンで見られたそれらはいかにも狙ってやってる感じというかあざとさが見え見えでむしろイライラしましたね。

なんか「ほら、こういうの庵野っぽいでしょ?」って言ってくるような感じ?庵野さんの画(え)っていうより「庵野っぽさを狙った画(え)」に感じられて嫌悪感の方が勝りました正直。

特に本部とかでの禍特対同士のやり取りのシーンでそれが顕著だったと思います。

…と思ったら実際、「庵野さんが満足しそうな構図の映像を死ぬほど撮りまくって用意しておいた」らしく、庵野氏不在の制作現場で樋口監督中心に必死で撮ってたみたいです。

それをこんな風に言うのは大変申し訳ないんですが、これが私の率直な感想です。

 

②クソ画質

自宅のテレビですら画質がコロコロ変わるの気になりましたね。多分スマホで撮ったシーンとカメラで撮ったシーンが混在してるからだと思うんですが、素人目にも一発でわかるレベルだし演出にもならない不自然さが本当に気持ち悪いです。

 

③くどいBGM

往年のBGMの多用も「シン〜」シリーズの魅力ではあるのですが、本作に限って言えばところどころ合ってない印象を受けました。

特に禍特対出動のシーンで「科特隊のテーマ」のイントロがかかるところ。全然合ってないと思います私は。

だって「禍特対」と「科特隊」はやっぱり別モノだもん。科特隊はスーツのエリートサラリーマンじゃないよ。これなら巨災対のと同じBGMの方が良かったと思います。

旧作(原典)BGM中心の前半と、鷺巣新曲中心の後半ってズバッとたて分けてたせいもあってか逆に後半があまりパッとしなかった初見に比べ、今回は後半の劇伴の良さが堪能できたなとは思います。

 

④くどいセリフ回し

官僚同士のやり取りにおいて「〜だと考えます」といった会議っぽい話し方するのも「シン〜」シリーズの魅力だとは思いますが、これもシンウルトラマンに関しては若干くどかったと思います。

「シン・ゴジラ」のときはそもそも会議中だったり公務中の官僚同士のやり取りが中心だったのであまり違和感もなく、また登場人物がゴジラを眼前に戦慄するシーンでは

「まるで進化だ」

「まさに神の化身ね」

「何をするつもりだ」

とか普通の喋り方かつ短いセリフでぽろっと漏らす感想がまた印象的でした。

それこそ本作で言えば長澤まさみの

「あれがウルトラマン…きれい!」なんかは名ゼリフだと思います。

ふとした瞬間に公務中とは異なる素の言葉が漏れ出るからこそ印象に残るものだと思いますが、そこのバランスがシンウルトラマンにおいては結構ぶっ壊れてたと思います。

だってガチガチのテンションなんかと思ったら「激ヤバ光線」とか連呼するんだもん(笑)

まぁそのアンバランス感を楽しめってことかもしれませんが。

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

  • 長谷川博己
Amazon

 

◆どうしてそんなに人間を好きになったのか?

文句ばっかり言ってますが良かったところもたくさんあります。というか、1回目では理解できなかったことが理解できた、共感できた、といったところでしょうか。

特に、1回目では全く共感できなかった「禍特対とウルトラマンの絆」とか、「ウルトラマンがなぜ人間を好きになったのか」とか、その辺の印象はガラリと変わりました。

本作のウルトラマンは多分人間を好きになったのではなく、人間でいることの居心地の良さを知ったんだと思います。

だって本作の劇中描写だけでウルトラマンが人間を好きになる要素はほとんどなかったですもん(笑)

 

禍特対について

まず、ウルトラマンと最も深く関わっていた禍特対の面々についてですが、配偶者の有無とか経歴が明かされた程度でプライベートはほとんど語られず。

強いて言うなら田村班長のデスクトップが猫だったことくらいかな?この描写レベルは「シン・ゴジラ」と同様でした。

でも田村班長の「有能な指揮官だし言動の端々に確固たる倫理観や正義感があることは感じられるけど他人にはそんなに興味がない感じというかちょっとだけ鈍感で間抜けな感じ」はすごく好きですね。

あとメガネの生物学者は生物学者のくせに虫は嫌いだけどゼットンは生物扱いしてたりなんか変な人(もちろんそれ以上の描写もありますが)だけど最後までゼットン打倒を諦めてなかった数少ない人間だし、滝くんは初見時同様好きになれないというか典型的な頭だけ良くて人間的には未熟な天才キャラってのが鼻につくのと、人類の叡智を凌駕する出来事の連続=「自分の存在証明の否定」にいちいち落ち込んでる感出してくるのすごいウザいからマジで嫌いだったので禍特対は本当、変な人の集まりって感じでした。

それと、付き合いの浅い長澤まさみはともかく、ウルトラマン融合前の神永を知ってるはずの他の禍特対メンバーは神永の変化に気付かんのか?と。その辺の鈍感さ、テキトーさってとこだけは本家・科特隊に近い、もしくはそれよりヒドイと思います(笑)

そもそも融合前の神永もなんかウルトラマンとそんな変わんないキャラだし仕方ないのか(笑)

そういう意味ではなんか愛嬌のある集団だなぁとも感じたのは2回鑑賞したから湧いてくる愛着めいたものなのか…。

 

ウルトラウルルン滞在記

2回目の鑑賞で気付いたんですが、長澤まさみって神永の正体がウルトラマンだってわかっても一貫して彼のことを「神永さん」って呼び続けたんですね。これはかなり重要な演出だと思うんですが、その意味とか意図をくどくど説明してないのが凄く良いと感じました。

彼女は彼の正体を知っても尚、あくまで彼を人間として敬い続けた。このことはウルトラマンの心を大きく揺さぶったのではないかと思います。

それからウルトラマンって実はずっと神永新二の真似をしようとしている節がありますね

ガボラ戦では身を挺して放射熱戦を吸収した上、ガボラの死体処理までを担い、一瞬ちらと禍特対を一瞥。対策本部のテントで禍特対と再会した神永の「やぁ」って感じで手を挙げたときの顔がまた嬉しそうなドヤ顔で(笑)

そしてその究極の形がゼットン戦で、地球人類のために二度も命を賭して戦いました。

神永が子どもを守って命を落としたあの行動の意味を理解するため、何度も実体験を通じた検証をしていたようですね。

そしてそんな風に人間の中で人間として生きていく中で、きっと今までは感じたことのなかった「人間として生きることへの居心地の良さ」を感じたんだと思います。

だって故郷のツレはゾーフィみたいなやつばっかりなわけでしょ?「仲間」を「仲間」とは認識できず、「群れ」という言葉でしか解釈することが出来ない。

だから終盤のゾーフィとの会話の中でのウルトラマンのセリフ、「だが人類はまだ幼い」はそっくりそのままM87星雲人に返したい。「あんたらの星には仲間という概念もないんやろ?」と。

だから、「人間が好きになった」という表現では確かに唐突なんですよね。それだけだと「え、人類になんかしてもらってたっけ?」ってなるんですけど、人間ってのはまさに「人の間」と書くように、それぞれが個体として独立してるんじゃなくて、人と人の間、「仲間」と過ごす空間や時間にこそその本質がある。だからウルトラマンにとっては人間・神永新二として禍特対と過ごしたことそれ自体が大きな変化のきっかけだったんだと思います。

 

ウルトラマンのウソ

本作におけるウルトラマンと人間の関係について考えたときに面白いなと思ったのは、禍特対って神永がウルトラマンだってことは知ってるけど、いつからウルトラマンかは知らないってところです

どうやら禍特対は神永が結構前からウルトラマンとして地球に潜伏していたと思ってるっぽいんですが、実際彼が地球に来たのは劇中でも直近の話です。

そんな認識のズレを残したまま話が突き進んじゃうんです。

なんでそこについて語らないのか?おそらく神永の死の原因が自分にあることを隠したかったからじゃないでしょうか?ウルトラマンは神永を間接的とはいえ死に追いやった事実を最後まで隠蔽していたのです。

当初は大して気にもしてなかったのかもしれませんが、人間と深く関わる内に、神永を死なせたことに対して申し訳なさとか後ろめたさを抱くようになったのかもしれません。ザラブ戦後行方をくらましたウルトラマンが灰色の神永の死体と向き合っているシーンは印象的でしたね。

だから最後のゾーフィとのやり取りの中でもウルトラマンは頑として神永の命を優先し続けたのでしょう。

そしてそんな彼を見たゾーフィの言葉、

死への覚悟と生への渇望が同時に存在する人間の心か

これこそが、本作のウルトラマンが神永新二から学んだ「人間の心」なんだと思います。この相反する矛盾した感情を同居させた生物のことなんかそりゃあロジカルに理解することはできない。ウルトラマンの言葉を借りれば「よくわからないのが人間」なのでしょう。

死を覚悟の上でゼットンを打倒したことで、ウルトラマンはようやく神永新二と、=人間と等しくなった。神永の自己犠牲に報いることができた。

と同時に、ゾーフィへ信号を送り続けた「生への渇望」もまた、彼が無自覚の内に人間になったことの証明だったのでしょう。

とは言えその背後には、融合した神永新二その人の影響があったとも思います。体色が半分赤く変色するほどの身体的変化があれば、精神への侵食も相当なものだったはずです。

となると、神永が見せた「死への覚悟」がリピアをウルトラマンに変え、しかしウルトラマンと一体化した神永の「生への渇望」=もっと生きたいという強い想いがウルトラマンを死の淵から救った。

神永新二というたった1人の人間の心が外星人の心を変え、地球と、そして人類を救ったのかもしれませんね。

(了)