◆シリーズの転換点なのに...
「帰ってきたウルトラマン」第18話「ウルトラセブン参上!」は、ウルトラシリーズ全体を通して見ても非常に重要な記念碑的な作品です。シリーズ史上初めて、異なるウルトラ戦士がウルトラ戦士を救出するため作品をまたいで客演したのです。
「ウルトラ戦士がウルトラ戦士を救出する」というだけであれば、初代ウルトラマン最終話に登場したゾフィーも当てはまりますし、少しニュアンスは異なりますがセブン上司も似たようなもんです。
が、ここでは「作品をまたいで」というところが実に重要で、そもそもそれまで「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」、「帰ってきたウルトラマン」の三作品は現在のように共通した世界観の作品群だとは考えられていませんでした。
※もちろんこれに関しては今もやや曖昧ですが、当時はまだ視聴者の間ですら初代ウルトラマンと帰ってきたウルトラマンが別人なのかさえ明確になっていなかったようです。ちなみに私自身はウルトラシリーズの各作品は全て「マルチバース」だと考えています。
そんな中、帰ってきたウルトラマンの世界に、なんとあのウルトラセブンが現れたのです。これはまさしく一世一代のビッグニュースでした。
そもそも、ウルトラシリーズ復活の流れを作った「ウルトラファイト」の主役にして今も根強い人気を持つあのウルトラセブンという人選がまた贅沢極まりありません。
この第18話を転機に「帰ってきたウルトラマン」は徐々に視聴率を回復させ、後の「A」以降も続く「ウルトラ兄弟」の流れが出来上がったのは間違いありません。
しかし、改めてこの記念すべき第18話「ウルトラセブン参上!」を見返してみると驚くほどセブンの客演があっさりしていることに気が付きました。
◆セブンなしでも成立する
なんだか最近の作品(平成以降)に見慣れすぎているからかその「あっさりした客演」というのが逆に新鮮で面白いのですが、具体的に言えばこんな感じです。
- 物語の幹は、あくまでベムスターにやられたMAT宇宙ステーション梶キャプテンの仇討ちに燃える加藤隊長
- MATが初めて対峙する宇宙怪獣ベムスターの強大さが随所で強調されている
- そもそもウルトラセブンは地球にやってきた訳ではないので、人類は誰もウルトラセブンを見ていない
- ウルトラセブンの登場シーンは正味30秒程度
- 戦いを終えたウルトラマンも郷秀樹も全くウルトラセブンに触れない
極端に言えば、ウルトラセブンがいなくても物語が成立するレベルです。もちろんその場合「どうやってベムスターに勝つんだ?!」となるわけですが、それこそ第5話のようにスポ根路線を断念していなければ「郷が猛特訓して仇討ちに燃える加藤隊長と協力してベムスターを倒す」、なんて展開でも全然成立しちゃうわけです。
これはめちゃくちゃ重要なポイントだと私は思っていて、ウルトラセブンの登場はあくまで「イベント」であり、「帰ってきたウルトラマン」という作品そのものの軸は一切ブラさないという作り手の強い意志をそこに見出すことができます。
◆淡々としたお芝居
やっぱり見ていて気持ちがいいのは各キャラクターのお芝居です。最近の邦画や日本のドラマはやたらと誇張されたお芝居や演出が多くて正直反吐が出そうになるんですが、この頃の作品にはそういうのがないので非常に落ち着いて見ていられます。
まず、ベムスターに襲撃された梶の姿が凄まじい。断末魔を上げるでもなく、妻の名前を呼ぶでもなく、ただ静かに最後まで勇ましい表情のままカットが切り替わります。
そして加藤隊長も、親友である梶の死を前に、「梶ー!」とか叫ぶでもなく、一切動じることもなく、あくまでも「MATの隊長」としてすぐさま冷静に隊員たちに指示を出します。でも、隊員たちはその直前まで楽しく談笑する梶と加藤を見ていたからこそその悲惨さを痛感しているはずです(テレビの前の我々も同様に)。
このある意味「淡々とした展開の速さ」が逆に緊張感を生み出すし、見ているこっちとしては冷静な加藤の態度がかえって痛々しく感じられるのです。
梶の妻に夫の死を伝えるシーンでも、「死んだ」とは一言も言いません。加藤隊長はここでも取り乱すことはありませんでした。しかし、静かに仇討ちを誓う背中だけが心に残ります。
◆無言の集中砲火
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加藤隊長の凄まじさは、ウルトラマンが追い詰められて宇宙へ逃亡した後の戦闘シーンでより際立っていたように思います。ひたすら無言でミサイルを撃ち続ける加藤とベムスターの死闘が繰り広げられるのです。
その様子は、あらゆる技をかわされ続けてエネルギー切れになったウルトラマンより強いとさえ感じられるものでした(ベムスター相手に加藤は単騎決戦で結構善戦しています)。
特に「無言である」ことが重要で、力んだお芝居で「梶の仇ー!」とか安っぽいシャウトとかないから見ていて本当に心地良いです。戦闘シーンというのは、ミニチュアカットや操演技術や派手な火薬と暴れる怪獣の姿に集中すべきなのです。
ですがかえって無言の加藤隊長のその表情から強い闘志が感じられます。なんて上質なドラマなのでしょう。
加えて、この場面では加藤とベムスターの1対1の勝負になるよう、他の隊員たちを事前に負傷させて前線から離脱させている脚本も見事です。「それだけベムスターは手強い」ということも同時に印象付けることに成功しているからです。
◆ウルトラマンが...帰ってきた!
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では、一方で主人公の郷秀樹は何をしているのか?
なんと呑気に喫茶店でコーヒーを注文していますw
でもここで、お店のガスが切れてしまってお湯が沸かせなくなった喫茶店。
(ちなみにこのときの店員は後のTACの今野隊員)
異変を察知した郷はマットビハイクルに飛び乗って現場へ急行!このシーンではOP主題歌がかかり、結構長いことマットビハイクルを駆る郷のシーンを見せつけられます。
このエピソード、終盤の戦闘シーンも含め比較的OPが挿入される頻度が高いのも特徴です。おそらく主人公のヒロイックさを強化することがこの当時最も求められていたテコ入れポイントだったからでしょう。
ウルトラブレスレットを入手して次々と鮮やかに怪獣を倒せるようになったのもウルトラマンの強さやヒーロー性を強化するためでした。
ベムスターに勝てないことを悟り、一旦戦線離脱したウルトラマン。単騎善戦していた加藤隊長も、ベムスターによって撃墜されてしまいます。
ここでも「くそう!ここまでか!」とか「梶の仇ぃ!」とか何も言わないのもリアルで、それまでに誇張した芝居がないからこそその後の
「ウルトラマンが...帰ってきた!」
が光るのです。タイトルとも重なる印象的なセリフですが、実にくどくなく自然に挿入されているのが素晴らしい。
シリーズ初の客演回ながら、やっぱり主役はウルトラマン!あくまでも主役を強くカッコ良く描くことに徹しています。
◆なぜセブンだったのか?
しかし、ここに一つの矛盾が生じます。
本エピソードは「主役のパワーアップ回」であり、同時に「強大な宇宙怪獣との死闘」を描くことに主眼が置かれているとしても、ちゃっかりタイトルは「ウルトラセブン参上!」となっています。
が、その割に本編でセブンが登場したのはわずか数十秒...。
これは、やはりウルトラセブンが持つブランド力の凄まじさを物語っているともいえるでしょう。それ以上活躍したら、主役を食ってしまう恐れがあるくらい、セブンの登場はインパクトがあったのです。きっとこの放送の翌日の小学校ではセブンの話題で持ちきりだったはずです。
ウルトラスパークで八つ裂きにされ、炎上するベムスターの映像と共に流れるのはあの印象的なインスト「MATの使命」です。決して清々しい勝利のファンファーレなどではなく「ようやく勝てた...」そんな深いため息が聞こえてくるような静かな幕引きでした。せっかくセブンにもらった武器でスカッと勝てたのに、です。
これは、一世一代のイベントとしてのセブンの客演よりも、加藤の仇討ちというドラマの本筋を優先した実に見事な演出でした。そして加藤は郷と共に怪我の手当てより先に梶の妻の元へ勝利の報告へ向かうのです。
※この、「勝ってもスカッとしない感じ」は、後の「シン・ゴジラ」にも引き継がれているように思います。「ヤシオリ作戦」終了後の深いため息が思い起こされます。
この場面でも、たとえば郷だけが一人夕焼けの空を見上げて
「ありがとう、ウルトラセブン...!」
とか言いそうなものですがそういうことも一切ありません。郷は、MATの郷として加藤と共にただ淡々と仕事を続けるのです。
このような、「ウルトラ戦士の客演」というシリーズ作品としてのお祭りイベントと各エピソードの分離というのは、客演がどんどん増えていく「A」においてもほぼ同様のテンションを保って維持されていたように感じます。
ゾフィーが来ようがセブンが来ようが親父が飛んでこようが、ウルトラマンが何人に増えようが、人間には人間のドラマがある。人間には人間の仕事がある。
「劇中の人類」にとってウルトラマンというのは、あくまで利害が一致している謎の協力者というだけであって、ウルトラマン自身の素性にはあまり深入りしないあの距離感が、私にとっては見ていてものすごく心地良かったんです。
ウルトラ兄弟客演回の理想形は、案外一番最初のこのエピソードにあるように私は思います。
(了)