ADAMOMANのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

MENU

リアタイ世代が見た「仮面ライダー555-ファイズ-20th パラダイスリゲインド」:ネタバレ感想と考察〜20年かけて素直になれた2人の物語〜

仮面ライダー555(ファイズ) 20th パラダイス・リゲインド

見てきました!良かった!

20年前、リアルタイムで熱狂していた私だからこそ書ける感想、書いていきたいと思います。ネタバレ含めていきます!

 

 

 

◆ファイズらしさ

まー確かにファイズらしい物語でしたね。スタッフがほぼそのままだから当然っちゃ当然なんですけど。やっぱりファイズは井上御大にしか書けないな。

まず巧がカプセルから出てきてスマートブレインの尖兵っぽい感じで登場するとこなんかはターミネーターみたいでこれターミネーター好きの半田健人さんリスペクト及びハイパーバトルビデオのオマージュですよねわかります(違

とりあえずたっくんがよくわからんけど誰にも相談せず悩みまくった末に極端な行動に走るとことか、変わらないですよね。本編でも「ラッキークローバーに入る!」とか色々ありましたし。

あと、とにかくすぐ家出する。ファイズのキャラってみんなすぐ家出して公園とか橋の上とかに逃げ出すんですが、必ず誰かが見つけてくれて、しかもその2人の会話をもう1人が陰で盗み聞きしてて悪いこと企んでるという展開とか、もうそのまんまでした。

相変わらず迷い悩み続ける青い主人公たちの姿と、PG12だからかちょっとエログロな感じと、でも役者は40手前のオッサンたちっていうアンバランスさ?20周年だからこそ生まれた怪作ですねこれ

 

◆新たな物語

あと本作が「パラダイス・ロスト」の逆転ver.であるというところも面白いポイントでした。

  • テレビ本編…オルフェノクが暗躍し始めた頃の物語
  • パラロス…オルフェノクの支配がほぼ完了した世界の物語
  • パラリゲ…人類によるオルフェノクの淘汰がかなり進行している世界の物語

という感じですよね。だからパラリゲの世界ってテレビ本編最終回の後日談として成立しやすい感じはするんですけど、微妙にそれとも違うパラレルとも解釈できる曖昧さがあるのはうまいと思いましたね。

そもそもカイザギアはテレビ本編最終回で破壊されたはず。

あと、巧がスマブレにさらわれて幽閉されてる感じは、テレビ最終回で中途半端に消化しきれなかった巧誘拐シーンの続きを見ているような感じもありました。

 

◆巧と真理

やっぱり本作で一番インパクトがあったであろう出来事は、真理がオルフェノクになって巧とヤっちゃうことでしょうね(すごい文章)。

ただ、個人的にはこれで良かったと思っています。なんか、「やっとか」という感じがしました。きっとこの2人、20年という時間をかけて、更に2人ともがオルフェノクになって初めて素直になれたんだろうな、というそんな気がしました。

過去「パラダイス・ロスト」の感想でも触れましたが、巧と真理って本当ならくっついて然るべきだとは思ってたんです。

www.adamokodawari.com

もちろん2人の関係性は、テレビ版でも劇場版でも「人間とオルフェノクの共存の象徴」ですから、2人がべたべた手を握り合ったとしてもあくまでそれはシンボルとしての演出、そう解釈して飲み込んではきたんですが、実のところ2人はやっぱり男女の関係としてもアリなんじゃないか?とずっと思っていました。

ただ、真理って周りにものすごく気を遣うタイプだし、啓太郎の家に間借りしている中草加なんて狂人まで入ってくるわ同窓生は死にまくるわ自分も死ぬわ巧はオルフェノクだったわ…とかでそれどころじゃなかったんですよね。

劇場版も同様で、残り少ない人類解放軍の先頭に立ってみんなをまとめなきゃいけない、そんな状況下で「女の部分が泣いている」とか言われちゃうんですが(笑)、本当にそれどころじゃないわけです。

巧もまた自分よりも周りを大事にするタイプだから、真理に変な気を遣わせたくないし自分の本心なんか絶対に明かせないわけですよ。

ただ、一番収まりがいいのは「巧✖️真理」だと長らく思っていたので、ようやくそこに対して答えを出してくれたのは嬉しかったです。

 

◆めんどくさいヤツら

改めて思ったけどやっぱ「555」の世界の人間クセ強すぎですよね。

巧がスマートブレインの尖兵というポジションに甘んじてたのって、結局のところ真理に傷ついてほしくないからじゃないですか多分。

オルフェノクを守る生き方はいつか彼女自身を傷つけることになる、そんな心配から、彼女の生き方を変えさせてやりたいという想いがある反面、一度は死を受け入れたはずの自分はどう生きるべきかわからなくなってる。

だったら素直に真理のところに帰ってくればいいのに、オルフェノクを倒す側について行動しちゃうもんだからまた誤解を生んでしまう。そのくせマヨネーズは渡しに来るしさ、ちゃんと思ってること説明しろよ(笑)

20年経ってあんなに渋いオッサンになってんだからいい加減大人になれよ!って感じなんですけど全く成長がないですよねこの人(笑)

更に厄介なのが新キャラの胡桃玲菜です。巧に好意を寄せているようですが、真理が恋敵と知るや、真理を殺害する大義を得るために真理をさらってオルフェノクにしちゃう。とんだヤンデレです。彼女の存在って、オルフェノクでもないただの人間なのにめちゃくちゃ悪いってとこがすごく「555」らしいですよね。

「悪い」っていうか歪んでる。

んでもって井上脚本の世界って、そういう狂人が少しでも人間的な面を見せたら途端に殺されますよね😅

 

◆○○シーン

第35話

やっぱり巧って真理が不幸になったりした途端に自分を見失って暴走しますよね。テレビ本編で真理が死亡したときもそうでした。

本作ではついに真理がオルフェノクになっちゃって(というかならされちゃって)、いよいよあの巧も絶望のドン底から「助けてくれ」って言葉を絞り出すんですが、これだけは巧の20年越しの成長だと思いました

ちゃんと弱音を吐けるって、人として大事ですよね。んで、それをきっかけにしてやっと2人は抱き合えるようになったわけですが…。

まさかオルフェノク態で致すとは思いませんでした(笑)これアリかナシかすっごい際どいラインの演出だな〜(笑)

ただ、これのおかげで「真理はオルフェノクになることでようやく本心から巧と向き合えるようになった」ってことが強調されてる気もします。

でも手を握り合うだけで良かったかな〜キスシーンまではいらんかったかな〜どうだろう?悩むなぁ。多分製作陣も悩んで撮っただろうなって気がしますし半田健人さんがパンフで言ってるのもこのシーンのことだと思うし。

でも、必要なシーンだったことは間違いないと思っています。

 

◆本当のテーマ

なんというか、「仮面ライダー555」という作品の化けの皮がいい意味で剥がれたなぁという気がしていて。結局テレビ本編からずっと巧って「人間とオルフェノクの共存」とかそんなに深く考えて行動してなかったんじゃないかなぁと思いました。

www.adamokodawari.com

彼にとって一番大事だったのは、結局のところ真理のことだったんだろうなと。もしくは、真理がいることで保たれる自分自身だったり...ただ単に自分たちを取り巻く日常を必死に守って生きていくってだけの話だったのかもしれないと思いました。そんな「小さな星の話」なんですよきっと。

特にファイズってよく考えると何と戦ってるのかよくわからない作品で、オルフェノクと戦うときもあればスマートブレインと戦うときもあるし、場合によっては人間と戦うときもある。本作のラストバトルはアンドロイド(を操る政府)との戦いでした。

テレビの世界やパラロスの世界では巧って「人間の側に立っている真理の味方」って感じでしたけど、真理がオルフェノクの側に立てば一緒になってオルフェノクを守るし、ものすごくフラフラしているというか日和見というか常にグレーゾーンですよね。

そもそも「人間とオルフェノクだって手を取り合って生きていける!」ってこと(異種共存)がテーマだとすれば、真理は最後まで人間のままでいないと絶対ダメですよね。でも、最後の最後、この20周年作品でそこを崩してきたわけです。そこに本当のテーマがあるわけではないってことです。

巧も真理も、何度も「死」を経験して、バケモノに身を堕としてまでしてようやくお互いがお互いを誰よりも大切に想っていたことに気づけたんだと思います。それが嬉しかった。20年もかかったけど。

何もかもを失って醜いバケモノになった2人が最後に唯一見つけられたのが「抱きしめ合うこと」って美しすぎませんか。やっぱりファイズって人間讃歌だなぁー。パラダイス「リゲインド」(取り戻す)ってこういうことかと。

ただ、はたから見たらそれは「愛」みたいなものに見えるかもしれないけど、そんなたいそうなものでもないと思ってます。もっと不完全で不恰好な、紛い物って感じがします。ただ2人が求めるものが一致する瞬間があった、というだけのことなんだろうなとも。

んでパンフの監督のコメント読んだら「へー、そういう解釈で撮ってたんだ〜」って感じでしたね。

とりあえず本作は巧と真理の個人的(プライベート)な部分に特にフォーカスした作品でしたね。それも多分、木場の死後の物語だったからできたことかもしれません。木場さんがいたらやっぱりファイズは巧と木場の物語になってしまうし、そうなるとやっぱ民族主義っぽい物語になるんですよね。だけどそこから外れて巧と真理にようやくフォーカスできた。20年前に描ききれなかったものが補完できたという意味で、本作の価値は大いにあると思います。

 

◆ジレンマは終わらない

第40話

ただ、監督もパンフで言ってる通り俳優陣の演技力が(当たり前だけど)凄まじく上がってるというか、年齢も重ねてみんなものすごく渋くなってるのに、中身が10代だったあの頃のままなんで可笑しかったですよね。

言い方悪いけど、10代のクソガキが40手前のオッサンオバハンの皮をかぶって暴れてるって言ったらいいのかな?俳優陣はめっちゃ貫禄あるのに言ってることややってることがめっちゃ幼稚っていう非常に特殊な映像作品だと思いますこれ(褒めてる)。

ただ、巧が確か真理に向かって「わからないことは考え続けるのが正解だ」みたいなこと言ってたと思うんですけど、これはやっぱり本編をリアルタイムで見続けてファイズを愛好してきた自分にとっては本当に嬉しいセリフでした。これは巧にしか言えないセリフだし、この年齢の半田健人さんが言うからこそ重みも出てくるセリフって感じもして嬉しかったなぁ。

www.adamokodawari.com

↑巧の心境の変化と変身ポーズが連動しているという仮説をまとめています。

 

◆スマートブレインについて

仮面ライダーファイズ 変身ベルト スマートブレイン

北崎と草加がアンドロイドだった、というのは結構重要な描写だなぁと思っていて、新ライダーのミューズがオルフェノクの記号なしでも変身できるっぽいことも含め、もはやオルフェノクよりAIとか機械兵器の方が強くて怖いってことですよねこれ

「子どもが憧れるものはどこか怖いものである」という理屈に従って携帯電話をメインツールに据えて制作されたファイズですけど、それの極致が本作のアンドロイドですよね。AIとか機械が持つ怖さみたいなものを井上作品らしく描いていたと思います。まぁそりゃオルフェノク淘汰されちゃうわなと。

にしてもスマートブレインの社長はファイズのレギュラーキャラが務める義理でもあるんかと(笑)

草加ロイドが、オルフェノクに覚醒する可能性のある真理(流星塾生)の元に派遣されていたところを見るに、里奈とか絶対狙われてるよな...。三原のアンドロイドと暮らしてたらどうしよ(笑)

あと、北崎の次は草加ロイドが社長になるっていう「悪の連鎖」?みたいな描写って。「響鬼」最終回の洋館の男女を思い出しますね。

傀儡のループが続くだけで本当の親玉はいつも見えないところにいる。この見えない巨悪感は非常に「仮面ライダーらしい」なぁと思います。昭和作品の首領たちも結局後付けでいつも傀儡だったことにされてましたしね…。

それから真理が簡単にオルフェノクにさせられてたのは結構驚きで、花形社長があんなに苦労して流星塾生で改造人間(人造オルフェノク)作ろうとして全員「失敗作」に終わった史実から考えると、やはり技術の進歩が大きいんだろうなと。

政府がスマブレを運用しているのもちょっと謎なんですが、テレビ最終回の王との決戦の後社長不在となったスマブレに政府の手が入ったとかかなー?

 

◆PG12について

仮面ライダーでPG12だったからって良かったことって個人的に一度もないと思ってるんですよね。

本作でもなんかこれ見よがしに冒頭からグチャグチャ音鳴らして内臓取り出してましたけど、だから何?って感じしちゃうんです。別にあんなの無くても、解剖中の死体が突然起き上がるって展開さえあればそれでええやんって思っちゃうというか、むしろグロ描写がノイズに感じられちゃうんです。

そのくせ解剖室から突然野音会場で暴れてる場面にワープするとことかは完全に「仮面ライダー」ですよね(笑)、庵野氏の言葉を借りれば「段取り無視の作劇」、ファイズ当時のネットの言い方をすれば「井上ワープ」、健在でしたね。

www.adamokodawari.com

真理が飛び降りてベチ!だかグチャ!だか頭打って肉片飛び散るとことかありましたけど、ヒロインが追い詰められて飛び降りるってシーンなんだからむしろそういうの抜きで美しく撮って欲しかったなとか思っちゃいます。

要は、別にニチアサクォリティで充分ですよと。むしろ、日曜朝8:00という究極の縛りの中で放送コードギリギリを攻めて生まれた奇作・怪作こそが平成ライダーだったと思うので、下手に縛りを取っ払わない方が良い作品生まれるんちゃうかなと。

なんか色々できるようになったからヤりまくっちゃう感じとか、童貞卒業したての男子みたいでなんか恥ずかしい感じしちゃうのよな〜(笑)

そのくせラー油でスリップするファイズアクセルとか小学生が喜びそうなギャグ入ってくるしなんか思春期っぽいのよ全体的に。例のラブシーン含めてね。思春期っぽい映画を40手前のキャストで真剣に撮ってる怪作ですよこれ。ほんと変な映画だわ〜。

 

◆ツッコミどころ色々

あとは、見てて吹き出しそうになったとことか、考えたら面白そうなこととか気づいたこととか色々あるんで列挙しておきますね。

  • 新スマートレディ...いい....
  • ライダーの常用ヘルメットといえばSHOEIでしたが今やKABUTOか...つい10年くらい前まではKABUTOなんて安物メーカーだったのにな
  • 胡桃の常用バイク、ちゃっかりHONDAの最新モデルのHAWK11、かっこいいなやっぱり

www.honda.co.jp

  • ファイズアクセルのアクションとか映像は結構好き
  • ファイズアクセルが結局1人も殺さなかったの、絶対わざとよな(全員ドルフィン扱い)
  • 新スマートレディの太もも…
  • 胡桃が真理を腹パンしたとこまじ爆笑
  • 啓太郎の甥?条太郎は本当啓太郎そっくり!
  • 海堂がなんかうるさいなぁと思ってパンフ読んだらそういうことかと(笑)
  • お好み焼き?既視感あるなと思ったら龍騎劇場版か...お好み焼きって男女の愛の食事か何かなの?(笑)
  • なんだあの湯切りはw
  • カイザvs劇場版ライダーはカイザの死亡フラグなのでミューズ戦はハラハラw
  • かと思ったら一瞬カイザの首コキっ?!
  • 新スマートレディ...やっぱりいい...!

news.yahoo.co.jp

  • 草加がすっかり毒っけが抜けて丸くなったなぁと思ったら、真理しばいた瞬間の草加は紛れもなく草加雅人でしたよw
  • オートバジン来て「おぉ…///」って感じのたっくんがイイ
  • エンドロール、ISSAがまた歌ってくれたの嬉しくて感激
  • ってかえ...この密度で65分なの?!

65分でこの内容の作品が作れちゃうところこそが「仮面ライダー」の凄いところですよホント...。あっぱれでした!!

(了)

www.adamokodawari.com

www.adamokodawari.com

www.adamokodawari.com

実写ドラマ版「幽☆遊☆白書」(NETFLIX)評価感想〜なぜ序盤の勢いを保てなかったのか〜

www.netflix.com

NETFLIXで最近配信開始されました「幽☆遊☆白書」(実写ドラマ版)!

小馬鹿にするつもりで見始めたらなんとまぁ案外面白くて最後まで見てしまったので感想書きます!

基本的に人気マンガ・アニメの実写化っていうのはあんまりうまくいかないものです。んで、今作は全話見た上で「なぜアニメ実写が難しいのか?」という業界が抱える闇(?)の本質も一部垣間見えた気がします。

感想を一言で言うなら、「面白いのは2話まで、3話以降はダメ」です。その理由を語っていきます。もちろん、ネタバレ上等で行きますよ!

 

 

 

ほどよい改変①魔回虫

第2話 『霊界のコエンマ!復活への試練』

第2話 『霊界のコエンマ!復活への試練』

まず、初っ端から魔回虫が暗躍=魔界につながる穴が開き始めていて、浦飯の死の原因となった交通事故にも魔回虫が関わっているという展開は見事な改変でした。そしてその魔界の穴は左京が莫大な資金を投じて開けようとしているもので、これが後の戸愚呂兄弟たちとの決闘にもつながる伏線にもなっているわけですから、ネトフリドラマという短い尺で戸愚呂編まで行こうと思うなら結構これは綺麗なまとめ方だと感心しましたね。

また、最初からバトル漫画路線ではなかった原作の序盤の「ゆるさ」を吹き飛ばす第1話のバトルは本当にお見事でした。「学校のいじめられっ子が魔界の虫に取り憑かれて大暴れする」なんて展開、原作にはないですからね。

てか魔回虫、人間のネガティブな感情に引き寄せられるならあのクソみたいなイジメっこの方に取り憑けよ、ってとこだけは胸糞悪いんですけど。

ですが、復活した直後で霊ガンの使い方も何も知らない幽助が持ち前のケンカスキルで戦うアクションは本当迫力があって、継続視聴を決めさせてくれるものでした。

 

ほどよい改変②霊丸

野望を粉砕!光の洗礼

野望を粉砕!光の洗礼

幽助が強くなれば霊ガンも強くなるのは当然のこととはいえ、そこまで修行や成長過程を描写できないので、霊ガンを最初っから超強力な「奥の手」と位置付けていたのはうまいなと思いました。これまた尺が短い中でのやり方です。

「一日四発まで」という縛りもなくなってましたが、その代わりチャージに時間がかかるというリスクがちゃんと映像から伝わってくるので、それがマイナス要素には働きません。というか、発射のスキがリスクになるって説明抜きで伝わるのは、アクションにスピード感と緊迫感が出せている証拠です。アクションの見せ方は結構好きでしたね。

んで、一日四発の縛りがなくなったからこそ、連射だったり、移動スピードを高めるための小型霊ガンの発射だったりがあるのは本作ならではで、最後の戸愚呂戦は見応えがあったと思います。

最後の最後でレイガーン!って叫んでくれたのも個人的にはかなり嬉しかったですよ(笑)

 

ほどよい改変③桑原のキャラ

第3話 『追いつめられた桑原!男の誓い』

第3話 『追いつめられた桑原!男の誓い』

桑原周りの描写もかなり好きですね。

幽助のケンカ仲間としての位置付けは原作通りなんですが、そこをとことん貫き通したのが良かった。んで、なんでケンカに強くなりたいかって男としてのプライドももちろんなんですが、仲間を守りたいという熱い想いがあるから。

それが、「後輩たちに大怪我をさせてしまって悔しい表情を浮かべる桑原」って形でちゃんと描かれているからキャラクターに厚みがありましたよね。これも原作にはないシーンなんですが、短い尺の中でちゃんと「漢・桑原」を思わせる良い展開でした。

あと、細かいけどめっちゃ好きなシーンがあります。町中をふらついている桑原が通りがかりの近所のおばちゃんに挨拶するシーンです。こんなのも原作にはないんですが、短時間で「人情味のある不良」と印象付ける、非常に良い演出です。

カツアゲされていた生徒を助ける幽助然り、ただの不良ではないことを印象付ける描写がちゃんと挟まれているのがめちゃくちゃ好きですね。

桑原といえば、姉が登場しなかったのは残念ではありますがこれも尺の都合と考えれば当然の良い判断だと思います。

 

全体的に良かったトコロ

他、全体的に良い!と思えたところを列挙しておきます。

  • 特筆してなかったけど、幽助めっちゃかっこいいです。良い俳優だと思います。原作設定通りの子どもっぽさもあるけど芯の強さもある幽助らしさはよく出てたと思います。タバコめっちゃ似合う。
  • 螢子は声だけでキャスティングしたんちゃう?と思うくらい、アニメの雰囲気に合ってたというか寄せてたというか良い感じでした👍
  • ぼたん、最初は「ん?」と思ったけど見れば見るほどにハマり役というか、ぼたんという役をモノにしていることに感心させられましたね。一言で言えば「死ぬほどかわいい!」
  • 岩本(学校の先生)の再現度の高さだけ群を抜いているぞ(垂金はそこそこ)
  • 全体的にCGのクォリティ良かったです!戸愚呂以外は(笑)。特に1話の霊界の三途の川とかめっちゃ綺麗で感動しました。剛鬼も小さめのハルクって感じでCGよくできてたと思いますよ。
  • 蔵馬のローズウィップ使ったアクションがほぼスパイダーマンで良かった
  • とりあえず総じて、幽助と桑原の2人に関してはかなり丁寧に現代風に「リライト」(再構成)されていると感じられました。だからこの作品好きなんです。2話までは(笑)

 

ダメだったトコロ:名シーンのバーゲンセール

第64話 『死闘決着!最後のフルパワー』

第64話 『死闘決着!最後のフルパワー』

さてここからはネガティブも書いていきますね。

3話、もしくは4話以降が特にそうなんですが、とにかく名シーンがあれもこれもと詰め込まれまくっててまさしくバーゲンセール状態です。これはダメ実写化シリーズと同じ轍を踏んでしまっていますね。

名シーンのバーゲンセールと化しているな、と思ったのは具体的には以下です。

  • 霊光玉あっさりあげるのな婆さん
  • 鴉の「トリートメントはしているか」はその直前の武威の壁ゴンがあってこそなんだけどなぁ〜。あれはセリフそのもの以上に、ものすごいスピードで相手に忍び寄れるっていう戸愚呂チームの怖さを描くための描写だのに。
  • でも本当にトリートメントして欲しいくらい蔵馬の髪(ウィッグ)は傷んでたと思う(笑)
  • まさかと思ったけど黒龍波撃てるのな。唐突すぎるだろ(笑)
  • めっちゃかっこいいはずの妖狐がほぼどん兵衛の吉岡里帆だった件
  • 「お前、もしかしてまだ自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」はそのままお前に返したい台詞だよ戸愚呂、お前が100%超えて死ぬこと全員知ってるから
  • どうリアクションしたら良いかわからない幻海婆さんの死

 

なぜ名シーンは名シーンなのか

名シーンとか名バトルって、そこに行き着くまでの過程が面白いから伝説になってるわけで、切り抜いて貼りけてもダメですよね。

例えば蔵馬の妖狐化だって、裏浦島戦という前フリがあっていかにすごいことかっていう丁寧な説明描写があった上での切り札でしたし、実際めっちゃくちゃ強くなれるけど制限時間つき、しかもその制限時間が更に短くなるっていう本人にもわからないような「多用するリスク」がちゃんと描かれてました。

黒龍波もそうです。使用者に相当なダメージがいくめちゃくちゃリスクの高い技なので多用できない。そのことが全く説明されないままスルスル包帯ほどいて「巻き方忘れちまったぜ」って言われてもただの厨二ですよね。

幻海の、霊光玉の伝授だってそうです。受け取った後にデコから出血までは映像化しなくても良いとはいえ(笑)、なんでついこの間までただのチンピラだった幽助にそんな大事な究極奥義を授けることになったのか、ってところが丸すっぽ抜けてるから、その凄さが全然伝わらない。

幽遊白書のキャラがみんな強くてかっこいいのは、強くなるリスクを受け入れて葛藤しているからなんです。そのリスクや葛藤を一切描かないから、学芸会とかヒーローショーか年末の営業みたいな安っぽい映像になっちゃうんだよなぁ...。

www.adamokodawari.com

 

実は不要なキャラ

第62話 『戸愚呂100%の恐怖!』

第62話 『戸愚呂100%の恐怖!』

まぁなんでこうなるかはハッキリしていて、たったドラマ5話分しかない尺の中に、アニメ版でいうところの66話分を詰め込もうとしてんだから、そりゃ無理な話ですよ。

欲を言えば、せいぜい四聖獣戦くらいで終わるくらいがちょうど良かったはずなんですよ。朱雀に辛うじて勝てましたねくらいで終わればまぁまだ見れたかなと。

でもそりゃやっぱり「幽遊白書といえば戸愚呂!」なわけですよね。そこまで描かなくちゃ誰も見てくんない。だから多分企画段階で「戸愚呂との決戦まで描く」は必達事項だったんでしょう。その時点で、監督やら脚本やらキャストやらCGやら衣装やらにいくら金をかけたってもう無理なわけですよ。もうこれは仕方ない。許してやってくれ(誰)。

ただ、よくよく考えると戸愚呂とほぼ無関係なキャラクターが存在していて、それが実は、蔵馬と飛影です。

もっと言えば桑原もそうなんですが、まぁ彼は幽助の親友として2話までで十分描写できていたのでまぁ良しとしましょう。

この2人を登場させ、ちゃんと見せ場を用意するためには鴉と武威も出さなくちゃいけない。となると妖狐にもなるし、黒龍波も出さなきゃならない。雪菜にも、飛影の妹としての描写が必要になります。

実は「幽助と戸愚呂の決戦」を描こうと思うだけなら、究極飛影と蔵馬はカットしても良いんです。...でも、ファンの多くはそれを許してはくれないですよね。

どうしても飛影と蔵馬も出したいってことなら戸愚呂を諦めて、上で言ったように四聖獣戦までで断念すべきです。それか、もう間の色々をすっ飛ばして、アニメ序盤みたくあらすじの説明ナレーションだけで50話分くらいを片付けていきなり暗黒武術会編までぶっ飛んじゃうかですね(笑)

でもそういうわけにもいかず、飛影と蔵馬も出すし、戸愚呂とも戦う!って突っ切っちゃったんだからもうバーゲンセール覚悟ってことですよコレは。

ただ、なんでわざわざこんなわかりきったことを書いてるかっていうと、今回の実写化スタッフ・キャストであれば、戸愚呂抜きでも十分面白い「幽遊白書」が描けたはずだと思えたからなんですよ。要は、もったいないことしたなー!と。それは、第2話まで見ればわかります。ほんと、もったいないことしてますよ。

 

その他気になったトコロ

  • コエンマは子役使えよ(笑)
  • コエンマはいざという時に突然大人になるところが面白いのになぁ。
  • 桑原の霊剣はやっぱり黄色がよかったかなー。
  • 戸愚呂、一回くらい兄者を武器にして戦ってやれよ(笑)
  • 桑原だけ戸愚呂兄戦では逃げ回ってただけってどうなの?せめて霊剣変形させて潰して欲しかった...。
  • 幻海婆さんとの修行シーン、桑原に負けたくないって意地だけで幽助が頑張るのはなんかちょっとペラいと感じてしまった。そこは螢子とか絡めて欲しかった。
  • 幻海婆さんとの修行もまぁあれくらい短くせざるを得ないから、なんか婆さんに懐いてる幽助ってところがピンとこなくてここの師弟関係にも感情移入しにくいのよな。
  • 幻海が幽助に霊光玉(奥義)を託すという判断をするに至るまでの過程がすっ飛ばされてるから、それがどれくらいすごいことかが全然伝わってこない、これは本当にダメ。
  • 戸愚呂の筋肉操作って技は、作品全体のレベルが今どこにあるかをめっちゃわかりやすく描写してくれる便利設定でもあったんだけど、本作でいえば30%からいきなり100%に飛んだ感じ?やっぱり駆け足気味で飲み込み辛かった
  • 繰り返すけど、妖狐化も黒龍波も全然ダメ。究極の技にはリスクがないと面白くない。それが全然描けてない。ただ見せただけ。
  • 兄者を砕く戸愚呂弟、やっぱりって感じなんだけど、せめて砕く前に「兄者!」って一言咎めるくらいしてやれよ(笑)
  • 「暗黒武術会」という体裁をカットしたから発生する「戸愚呂対複数」のバトルは原作になかった展開なので面白いけどちょっとどうかと思う。幽助には「手を出すな」って言って欲しかったかも。
  • もはや幻海と戸愚呂の因縁とかカットした方が良かったんじゃないかとすら思う。死後の世界での2人の会話とか見てられなかったなぁ茶番っぽくて。

他にも原作ファンでこれ見た人いっぱいいたと思うんだけどどう思ったんだろ。

思うことはまだまだあると思うんで思い出したら随時追記します。とりあえずここまで(了)

 

ゴジラ-1.0 vs シン・ゴジラ〜初見ネタバレあり感想と考察〜

めっちゃ良かったです。普通に今年イチかも。

がっつりネタバレ全開でいきます!

 

 

 

 

 

 

 

あと長いんでインデックスから好きなとこだけ読んでください。

 

 

初代ゴジラ路線

今回の「ゴジラ-1.0」も、「シン・ゴジラ」同様、1954年公開の初代「ゴジラ」を相当に意識した作りになっていました。実質、「山崎貴版・初代ゴジラリメイク」と捉えて良いと思います。初代ゴジラとの共通点を列挙してみましょう。

  • 登場怪獣はゴジラ1匹だけ
  • 「大戸島」や「呉爾羅」といった呼称・表記の登場
  • 核兵器や戦後日本としての描写
  • とにかく恐ろしいゴジラ
  • なぜか執拗に東京を狙うゴジラ
  • 焼け野原と化す東京
  • 通常兵器が全く役に立たない不死身のゴジラ
  • 効果的な伊福部音楽の引用

...etc、真正面から「これこそが現代版のゴジラだ!」とも言える、初代ゴジラを徹底的にリスペクトした内容になっていました。

私にはそれがたまらなく嬉しいことでした。もちろんハリウッドのいわゆる「vsゴジラ路線」というか、「人類の敵でも味方でもない守護神っぽいかっこいいゴジラ路線」も嫌いではないのですが、日本人としてはやっぱり初代ゴジラ直系の、「戦争と核の化身」としての、言わば日本人が目を背けたい黒歴史の塊が襲ってくる、みたいなリアルSFホラー(?)としての「怖いゴジラ」がたまらなく大好きですので。

それと同時に、「ゴジラ-1.0」(以下マイゴジ)自体、「シン・ゴジラ」(以下シンゴジ)の対になっているとも思える内容だったのが非常に印象的でした。

  1. 徹底的に個人のドラマを廃したシンゴジに対し、主人公のドラマを思いっ切り掘り下げたマイゴジ
  2. バリバリの優秀官僚を主役にしたシンゴジに対して臆病な元特攻兵を主役にしたマイゴジ
  3. 未曾有の怪獣災害に立ち向かう官僚たちの勇ましい姿を描き続けたシンゴジに対し、政治家や軍隊抜きの民間人だけでゴジラを打倒したマイゴジ
シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

  • 長谷川博己
Amazon

ここからはそれぞれについて感想とか考察めいたことを書いていきます。

 

掘り下げられた人間ドラマ

シンゴジでは徹底して「個」のドラマは割愛され、緊急時に即応する人々のドキュメンタリーをエンタメとして楽しむ作風が貫徹されていましたが、マイゴジではなんとも邦画らしい感じで主人公のドラマを主軸に物語が展開されました。

人間ドラマをちゃんと描くゴジラって久しぶりだったので逆に新鮮でもありましたね。

正直最初はちょっと警戒していました。ちょっと陳腐ないわゆる「邦画っぽい感じ」だったらどうしよう...みたいな。

実際、台詞回しもちょっと違和感がある場面も結構ありました。時代的にも場面的にも、もっとドライで端的な言葉遣いの方が現実味あるのになんでそんなわかりやすいウェットな言い方するのかなぁ...なんて思うシーンもいくつかありましたよね。

「僕の戦争がまだ終わってない」なんてキャラクターのコンセプトかキャッチコピーみたいな言葉を台詞として言っちゃうなんて普通あり得ませんしね。けどそこはまぁエンタメ邦画として割り切りました。ゴジラは大衆映画として作られるべきですから(そこもマニアックな作りをしていたシンゴジに対するカウンターですね)。

あと、さすが山崎監督、過去作において戦時下をたくさん描いてきたからか、小道具系はしっかりしてたのが良かったです。ここが陳腐だと全て嘘くさくなっちゃいますから。

というかそれより何より、キャスティングが個人的にはツボだったので非常に楽しめました。吉岡秀隆も大好きだし、佐々木蔵之介もあんなワイルドなおっちゃんできるんや!ってびっくりしたし、実際めちゃくちゃかっこよかった(「白い巨塔」のイメージがいまだに根強くて(古))。山田裕貴くんもゴーカイブルーのイメージ強いけど若い無鉄砲な青年を見事演じていたと思います。

あと安藤サクラはすごい。本当彼女の存在感と演技力ってちょっと群を抜いてますね。

 

敷島という男

とはいえ、やっぱり主演の神木くんとヒロインの浜辺さんも素晴らしかったです👏

おかげさまで、「ちゃんと人間ドラマを描くゴジラもいいもんじゃん」って思えました。

それはきっと、もちろん俳優陣の熱演もさることながら、主人公敷島の「終わらせられなかった戦争の幻影」としてゴジラがちゃんと位置付けられているからでしょう。だからそんなゴジラを超克することは彼個人のドラマの決着にもちゃんと結びついている。キャラクター個人のドラマとゴジラの存在が見事融合している作品って案外他にありません。あの初代ゴジラでさえ、ゴジラの存在ガン無視で男女の三角関係ぽい話が並行してましたから(笑)

シンゴジの矢口蘭堂が理想を絵に描いたような勇敢で頭の切れるかっこいい政治家だったのに対して、本作の主人公・敷島浩一は、とことんダメなヘタレ男として登場します(個人的には彼を臆病とは思えませんけど)。ゴジラを前に手の震えが止められない、銃を撃てない。典子の仇討ちを決めた後は逆にひたすら特攻して死ぬことしか考えていない。

そんな彼を見ながら、

「まさか…俺は10年後を考えている」

と、「シン・ゴジラ」で首都東京を失っても尚、ゴジラ災害の先の総裁選の野望を語る矢口を思い出していました。主人公のキャラクターを見ても非常に対照的ですよね。

ただ、本作のキャッチコピーが「生きて、抗え」ですから、敷島が絶対に死なないだろうことも容易に予見できます。全然別作品からの引用にはなりますが、

「死への覚悟と生への渇望が同時に存在する人間の心」

とはゾーフィもうまく言ったものです(笑)

www.adamokodawari.com

 

強いぞ民間人

びっくりするくらい政治家が一切出てきませんでしたね本作。

んで、その理由も割とハッキリしていて、終戦直後の日本だからこそ、自衛隊どころか警察予備隊もまだ存在してないし、頼みの綱のアメリカ様GHQ様もソ連との外交的な摩擦を理由に全然手助けしてくれない。1946〜49年あたりを舞台にしているからこそ国としてまだ完全に復興しきっていない弱い日本のままゴジラと戦わざるを得ないという展開がまた良いんですよね。

政治家は当てにならない、もしくは

「誰かが貧乏くじを引かなきゃならない」

というセリフがしっくりくる時代設定はお見事だったと思います。

だから、ゴジラと戦える航空機がたったの一機しかないというこれまででは絶対にあり得なかったシチュエーションが成立してしまえるんですよね。これは過去のゴジラ映画ではまず見られない状況です。だから、戦後は戦後でも、初代ゴジラの1954年よりも前の、1945年〜49年という非常に絶妙な時期の日本を舞台にしたこのアイデアがいかに秀逸か、見た方なら納得できると思います。

個人的には中盤の、機雷を使った木造船の戦闘シーンがかなり好きです。あの距離でゴジラとオンボロ船がいい勝負するってめちゃくちゃ面白かったですね。ありったけで勝負するしかないという本作のコンセプトがギュッと詰まった名シーンだったと思います。

あとは「東洋バルーン」、民間企業の青い作業着のサラリーマンが怪獣退治に乗り出すってのも本作ならではって感じがしていいですねー。

 

銀座崩壊

初代オマージュに満ちたゴジラ映画の中でヒロインが「銀座で働くの♪」なんて言っちゃったらそれは死亡フラグなんですよ(笑)

銀座の街を破壊し尽くすゴジラのシーンで、待ってましたとばかりに伊福部サウンドが炸裂します。これは泣きますよね。本作のゴジラ、死ぬほど怖いし容赦なさすぎて言葉失っちゃうんですけど、伊福部音楽と融合することで我々のよく知る心の中の思い出のゴジラも共振してノスタルジーと共に色んな感慨が溢れ出してくるんです。

典子が電車の手すりにつかまってSASUKE状態でめちゃくちゃヤバイのに、ゴジラのカッコ良さにも痺れてしまう。どっちも応援してしまう矛盾しまくった感情が怒涛の如く押し寄せるんですよ。これは繰り返しますがドラマパートとゴジラパートが完全に融合している本作ならではの映像体験だと思います。IMAXの大音響で観たのも良かったんでしょうね。やっぱり怪獣映画は大劇場で見るに限りますよ。

そして放たれる放射熱線。爆炎に包まれ灰塵と化す東京の街。ゴジラによって破壊し尽くされた東京を見せつけられるあの喪失感というか絶望感はシンゴジのあの夜にも匹敵する、もしくはそれをも超えるものでした。

ヒロインの死を見せるという意味でも非常に重要な場面ですよね。というかそもそもあの群衆の中から典子ひとりを見つけるなんて不可能なはずなんですが、あれがないとその後の展開も見せられないし、嫁にはしなくとも典子を誰よりも大切に想っている彼の気持ちを描写するためなら多少の強引さはまぁ良しとしましょう。

ウルトラマンレオの例のエピソードの如く死亡者リストだけで見せるというやり方もありますが😇

 

海神-ワダツミ-作戦

ワダツミ作戦参加者を募る説明会のシーンは非常に印象的でした。何人かは抜けてしまうんですが、多くの者がゴジラと戦うために残ってくれる、非常に熱いシーンです。

おそらくですが、「命を粗末にし過ぎた」と言われる先の大戦は、誰のものでもなかったのだと感じました。簡単に言えば「やらされた戦争」だったんだと思います。

でも、劇中で描かれたゴジラとの戦いは個々の意思によって各人が決断した「自分で決めた戦争」です。だからみんな良い顔してたんでしょうね(「良い顔してる」とか説明するのもくどいんだけど笑)。

やらされた戦争ゆえに勝てなかった。けど、負けたからこそ家も家族も失った。そんな彼らのリベンジマッチでもありますよね。

てか、アワアワでゴジラ沈めるってビジュアル的には初代のオキシジェン・デストロイヤーやんけってニヤケちゃいますよね。

ただ、おかげで初代ゴジラの芹沢博士も文脈によっては「特攻」と解釈することもできるんだって気付いたのは面白かったですね。もちろんもっと複雑な意味合いを含んだ「特攻」なんですけどね。

ワダツミ作戦という名前もこれまたヤシオリ作戦でゴジラを凍結させたシンゴジを彷彿とさせるものですね。

しかし本作ってワダツミ作戦の名前の通り市街地よりも海で戦うシーンが多かったですよね。撮影大変だっただろうなと思ったら予想通り大変だったことはパンフレットに書いてあるので是非(笑)

海での戦闘シーンが多いということは、非常に難しいと言われるCGを使った水の表現への挑戦を意味しますが、ここはかなりうまくいってたんじゃないでしょうか?シンゴジでも勝鬨橋が吹っ飛んで川ん中に落ちてきたりいくつかCGを使った水の表現はありましたが、本作の方がクォリティは上だったと思いますね。

ベタではありますが多数の漁船が助太刀するシーンにも燃えました。が、まさかたくさんの船で「おおきなかぶ」をやるとは思わなかったですけど(笑)

けど、みんなで力を合わせてゴジラを倒すってことをビジュアル的にわかりやすく、しかも武器を使わずに見せてくれたからオッケーです。ちょっと嘘くさいというかツッコミたくなるところでもあるんだけど、大事なことはそれをみんなで「大真面目にやること」ですから。やっぱり山崎貴監督、熱い男たち描かせたらうまいですね。

そうそう、こういう王道でいいんですよ。

 

震電特攻

最後、震電に脱出装置がついていたというのは途中、吉岡秀隆演じる野田のセリフ(作戦前夜の名演説)の中にそれを匂わせる言葉が突如出てきた時点で読めましたね。

これは、老若男女あらゆる人々が足を運ぶエンタメ映画作品ゆえの、監督のささやかな配慮だと思います。わかりやすく「匂わせ」ておいてくれてたんですけど、わかってても泣かせてくるからすごいなと。

ちなみに似たようなことをクリストファー・ノーランも「ダークナイト・ライジング」でやっていました。飛行艇ザ・バットがバットマンもろとも核爆弾と共に洋上で爆散したと思わせておいて、実際は自動操縦機能で帰ってきていたというラストシーンが描かれましたが、ザ・バットが初登場した段階で「自動操縦機能はついてない」というセリフを通してオチを「匂わせ」ていましたね。

www.adamokodawari.com

話をマイゴジに戻しますが、当初私はこの脱出装置は整備士の橘が敷島に「内緒で」つけたものだと思っていました。が、実際は全て本人に伝えていて、それを使うかどうかを敷島に託していたんですね。それも含めて泣けました。

橘さん、本当カッコいい…。

あ、あと勘違いじゃないと思うんですけど、アインシュタインの稲田さんが映ってたような気がするんですけど違うかな?多分そうだよね…?電報持ってきた郵便屋さん。

 

「あるエグい描写」と「ラストシーン」

それでもですね、1954年版の初代「ゴジラ」でしかやってくれなかった「あるシーン」がやっぱり私には鮮烈に残っていて、これに近いことはシンゴジでもマイゴジでも一切やってくれなかった(もしくはできなかった?)ので、やっぱり初代ゴジラってすげーなと。

それは、泣きじゃくる少女にガイガーカウンターを近づけるシーンです。こういう、核の恐怖をダイレクトに「人間に残る後遺症」として描いた作品は、ゴジラシリーズでもこれ以外ありません。

ゴジラの足元でおそらく母親や家族を踏み潰され、完全に孤児になってしまったのでしょう。そんな彼女は、命だけでもなんとか助かった...と思いきや、その体は既に放射能によって汚染されているのです。生き残ったものの希望をも打ち砕く核の恐怖。それがまざまざとダイレクトに描かれているゴジラ映画は案外後にも先にもないんです。

ただ、マイゴジにおいても、生き残っていた病室の典子の首が黒く変色していたことに関してはネット上で既に話題になっているようです。これ私は全く気づかなかったので2回目の鑑賞で再確認しようと思ってます。どうやら銀座でゴジラが大暴れした際にばら撒いたゴジラ自身の肉片と何やら関係がありそうですが嫌な展開だなぁ...(笑)

だから明子、典子に会っても抱きついたりしなかったんかな?ちょっと妙だなとは思ったんですよ。明子が全然前に出てこないので。

実際あの爆風の中を典子が生き残ってるのってやっぱりおかしいんですよね。ゴジラの肉片が憑依したことによる何らかの体質変化を起こしているのでしょうか...?

 

今回のゴジラについて

一番くじ ゴジラ-1.0 A賞 ゴジラ(2023) SOFVICS フィギュア 全1種

一番くじ ゴジラ-1.0 A賞 ゴジラ(2023) SOFVICS フィギュア 全1種

本作に登場した個体ってデザインは割と王道なんですけど結構個性的な一体でもありましたね。個人的に思ったポイントを列挙すると…

  • 下半身の太ましさはギャレゴジっぽい
  • 顔は完全にvsゴジラっぽい
  • 再生能力は地味に初映像化では?
  • 一撃必殺型の放射熱線はシンゴジラっぽくもあり、実際の所はGMK版のオマージュっぽい(監督も言ってる)
  • ラストシーンの心臓ドクドクもGMKっぽい
  • 行動原理含め生物学的な分析が縄張り意識に関する言及しかなかったので、なぜ東京に来たのかは結局よくわからんかった
  • ただ、自身を攻撃してくる対象に激しい憎悪を向ける「迎撃型」なのは確か
  • 核実験の影響でゴジラ化したことを踏まえると、核兵器やそれに近しい爆弾兵器や爆音に対する激しい憎悪を抱いている可能性(初代ゴジラも光を憎んでいた)

モンスターパニック映画なら、震電の体当たり攻撃で顔が吹き飛んで肉体も崩壊して…これで終わるのがベストなんです。

でもこれは「ゴジラ映画」だから、ゴジラは不死身であることを証明しておく必要もあるんですよね。でないと「ゴジラファン」は納得しないでしょ多分。

だから、ゴジラの心臓っぽい一部が動き出すあのラストシーン、一本の映画としてはバッドエンドかもしれないけれど、ゴジラ映画としてはハッピーエンドなんでしょうね。

とりあえずシンゴジラと違ってちゃんと人間ドラマがあって家族とかもテーマになってるし海外ウケめちゃいいんじゃないですか?これは

 

...とまぁ言いたいことはまだまだ山ほどあるんですがとりあえず今回はここまで。

今度はドルビーで観に行こっかなー。

(了)

 

オーズ復活のコアメダルの脚本評価が炎上したワケ〜仮面ライダーの◯について考える〜

仮面ライダーオーズ10th復活のコアメダル

もちろんネタバレ含みますので悪しからず。

復活のコアメダル炎上について

あんまりにもみんなが(ネットで)酷く言うもんだから気になってたんで思い切って見てみました。

まず、そもそも私が公開から一年以上見ていなかった理由を三つ...

  1. オーズという作品に特別思い入れがない
  2. だから続編にも興味ないしそもそもVシネで続編というやり方も嫌い
  3. オリジナルを無視した無神経な作品になる気配がしていた

…「世間が言うほどオーズってそんなに面白いか?」っていうのが私の率直な思いで、あんまりのめり込めなかったんです。好きなところもないわけではないんですけど、私があんまり好きじゃないところを三つ...

  1. 「欲望」がテーマだったはずがアンクとの絆云々でブレた印象
  2. 総じて作品の雰囲気(主にギャグ描写)が苦手
  3. 映司は好きだが映司を思いやる比奈ちゃんがなんか過剰に見えてしんどい(過剰な演技がしんどい)

オーズ好きな人には申し訳ないんですけど本当作風が好みじゃないのでこればっかりはどうしようもない。

で、本作「復活のコアメダル」はどうだったのか?というと…

 

復コア良かったとこ

なんか思ったより全然悪くないやんというのが正直な感想です。思ったより面白くできてるねと思いました。ではその理由を三つ…

1️⃣瀕死だった比奈の兄にアンクが取り憑いて生命維持してたという構図を、映司に置き換えるという発想

2️⃣テレビ本編最終回をかなり強く意識した演出

3️⃣メインキャスト見事勢揃い

というこの三つです。

1️⃣に関して、

この映画は総じて「アンクの恩返しの物語」だと思ってるので、それができる絶好の機会をアンクが手にしたんだろうなーとは思いました。アンクが駆け引き抜きで映司のために行動するのはファンにとっても嬉しい展開だったと思います。

2️⃣に関して、

これは意外でした。もっと無神経な続編かと思ったら、案外丁寧に最終回のその後を描こうとしているのはかなり好感が持てましたね。実際の本編映像まで交えた描写(その是非はさておき)の数々からは、当時のファンのための映画です!という強い意志を感じました

3️⃣について、

みんな本当変わらない!アンクは言うまでもなく、比奈ちゃんは10年前より今の方が断然お綺麗になられたなぁと思いました。あとグリードの連中はまじで何者なんだ変わらなさすぎだろww

 

復コア気になったところ

ここからはネガティブな感想書きますけど、私やっぱりオーズそんなに好きじゃないんで別に「許せない!」とか激しい感想にはなりませんよ。

1️⃣言動への違和感

2️⃣色々とザツい

5️⃣救いのないエンディング

といったあたりかなーと。順番に一つずつお話していきます。

言動への違和感

一部のキャラの言動にちょっとだけ違和感ありました。本当にほんの少しだけ。

多分コアなファンからすればもっとたくさんあるんだろうなとは思うんですが、私が違和感を持ったのは結構序盤の

「再会を喜ぶのは後だ」

というアンクのセリフです。これアンク自身も再会を喜んでいることを暗に認めちゃう発言で、ちょっとデレすぎというかアンクってそんなぬるいやつじゃないよなとは思いました。もっと比奈ちゃんに対しては突き放した態度を取るのがアンクだと思ってたので。

まぁ百歩譲ってここはあり得たとしても、その後もずーっと兄貴の体に取り憑いたままのアンクを一度も咎めない比奈ちゃんにも違和感。その後も「会えて嬉しい!」しか言わないし、一言でも「この戦いが終わったらお兄ちゃんから離れてね!」とか言ってくれたらまだ受け入れられたんですけど。

メタな言い方をすれば、三浦くん演じるアンクを出し続けたいがためだけに、アンクが泉刑事の体に憑依する物語上の理由付けを完全にサボってるだけですよねコレ。

でコレっていうのは、なんか「10周年だからみんな帰ってきたよ嬉しいでしょ?」っていうメタなメッセージが映像から漂ってくる感じがするから個人的に好かんのですよね。だから1年ものの特撮番組の続編ってあんまり好きじゃないんです。結局生ぬるい同窓会みたいな映像しかできないでしょ。

コメディタッチでライトな作風と様式美が売りの戦隊なら別にそれで良いんですけど、仮面ライダーでそれは見たくないんですよね。

かと思ったら「コレジャナイ感」MAXでそんなファン心理を逆撫でしまくるゴーダ憑依の映司くんの振る舞いは面白かったですけどね。「歌は気にするなって言ってよー!」とかウザさが凄まじいww

これが終盤に向けての「焦らし」でちゃんと本物の二人が帰ってきたらファンももう少し納得してくれたんだろうけど…。

あと、上で「案外テレビ本編最終回をかなり強く意識した演出が多くて安心した」とは書いたんですけど、めっちゃ意地悪な言い方をすればこれ撮った人たち最終回しか見直してないんじゃないかな?と思っちゃいました。ぱぱっと最終話だけ見返して作ったんじゃないの?っていう(めっちゃ失礼な言い方ですけどそう思えるくらいなんか全体的に「浅い」。)

色々とザツい

ど偏見で申し訳ないけど個人的にVシネライダーの嫌なところがコレです。オリジナルの設定の細かいとことか割とヘーキで無視してて世界観の作り込みが浅いしザツなんですよね。本作で言えばもう言うまでもなく

「なんで古代のオーズが蘇ったの?」

ってところとか完全にスルーでしょ。まぁそりゃわかんなくても別に良いっちゃ良いんですけど。ちょっとテキトーすぎるでしょと。

ただ、コレよりも許せなかったことが実は別にもう一つあって、それがバースコンビの描写です。バースはなんかよくわかんないけど突如コアメダルを使ったパワーアップを果たしていて、案外しっかり新スーツで登場します。コレについてもなんの説明もないんですが、バースに関しては鴻上ファウンデーション製なのでまぁよしとしましょう。

ただ、結局パワーアップしてもやってることはバースバスターをひたすら連射するだけと言うのはいただけないですよ。

なんのためにコアメダルでパワーアップしたんですか?ライダーお決まりのフォームチェンジの無駄遣い。相変わらずダメだな〜。

あとはまぁグリードの皆さんがザツに吸収されて終わっちゃったのとか、本当はダメですよね。でも尺の問題と、ただの「同窓会イベント」だと思えばまぁええかと。

いやよくない。でも許容されちゃうから、だから◯周年作品とか作ったって誰も喜ばんのよ。全員復活させても消化できる尺ってか予算ないんだから。粗い作りになっちゃうのが目に見えてんのに呼んじゃダメです。オリジナルのキャラクターに失礼です。

それから古代オーズに破壊されまくった後の世界ということで、「555」の「パラダイスロスト」の世界を少し意識しているという話を小耳に挟んだのですが、見てるときにパラロスのことなんか微塵も浮かばなかったけどね。ぜんっぜんあの映画の規模感に届いてないので恥ずかしいからそんなこと言わない方がいいと思うぞ。予算含めセットのスケールとか全然レベルが違いますから。

そしてこの「ザツさ」ってところに本作の根本的な問題があります。ザツってことは要は「無神経」なんです。だから多分あんなエンディングになるんだと思います。ここからは肝心の「映司の死」について考えていきます。

 

救いのないエンディング

そもそも仮面ライダーが、しかも主役が死ぬ、死んで終わるというのは非常に特殊です。繰り返しますが私個人としてはオーズに大した思い入れがないので別にショックでもなんでもないんですけど、キャラクターの死には作劇上の意味があるはず、あるべきです。

物語においてキャラクターが死ぬ理由ってのは大体、1️⃣「過去の贖罪」か2️⃣「物語上の役目を終えた」か3️⃣「主人公に試練を与えるイベント」(敵の強大さのアピール)のいずれかになります。

が、本作で問題だったのは、「オーズ復活を待ち望んでいたファンの期待を見事裏切って映司を死なせたこと」、もそうなんですが、それ以上に、大した物語上の理由もなく映司を死なせたことだと思ってます。

ではここで、過去のライダー作品における「ライダーの死」について振り返ってみましょう。

 

昭和ライダーにおける死

仮面ライダー1号・2号は、「仮面ライダーV3」の第2話にて壮絶な戦死を遂げます。まぁ厳密には生死不明なんですが、この段階では明らかに死んだことになってました。

これは新人ライダーV3が誰にも頼らず一人前の仮面ライダーとして成長していくための試練として用意されたイベントです。

同作の最終回間近ではライダーマンも戦死を遂げています。彼の場合は明らかに「過去の罪を償うための死」です。元デストロンの科学者として、何も知らなかったとはいえ悪の組織に加担していたことへの禊ぎとして、ライダーマンはプルトン爆弾と共に散りました。

他にも「仮面ライダーストロンガー」においてタックルが死亡していますが、彼女は仮面ライダーにはカウントされていないので詳細は割愛します。それを言い出すとモグラ獣人等についても触れなければならなくなるからです。ただ、これらサブキャラの死の多くは「敵の強大さを示すため」→「主人公に試練を与えるためのイベント」でしたね。

↑の記事ではタックルの死がストロンガーのキャラクター描写を補完している可能性についても言及しています。

 

平成ライダーにおける死

まずは「仮面ライダークウガ」。クウガは一応死んでないことにはなってますが、スタッフの中で当初は死ぬことになっていたようです。クウガが死ぬとすればそれは「暴力を振るい続けたことの贖罪」でしょう。「クウガ」という作品のテーマが「暴力の否定」だったからです。

www.adamokodawari.com

そしてこれは実は初代「ウルトラマン」にも通じるもので、ウルトラマンがゼットンに敗れて死んでしまったのは、怪獣を一方的にやっつけてきたことへの贖罪です。

続く「アギト」では、仮面ライダーギルスこと葦原涼がしょっちゅう死んでたイメージありますけど(笑)、彼の場合はその度に必ず復活してたので除外しましょう。ただ、アナザーアギトこと木野薫は、過去の贖罪含め物語上の役目を終えた人物として静かにこの世を去りました。

そして「龍騎」以降、仮面ライダー側の死者は爆発的に増えていきます。この作品は、ライダー同士が戦って最後の一人を決めるという設定だったため、上記のような作劇上の理由では説明できない死が頻発することになります。

第5話

第5話

  • 須賀貴匡
Amazon

例えば仮面ライダーシザースがたった2話の間に死んじゃったのは、「作品世界の説明のため」だったと言えるでしょうし、仮面ライダーガイの死は、新ライダー王蛇の強さと残虐性をアピールするため=結果的に「主人公に試練を与えるため」とも言えなくはないですがそれまでのシリーズでは絶対に見られなかった展開です。

www.adamokodawari.com

続く「555」では、やはり草加雅人の死が鮮烈な印象を残していることでしょう。これは「過去の贖罪」と言う解釈が当てはまるようにも思えますが、死を持って散る以外に物語の終わり方が考えられないキャラクターとでも言いましょうか、死ぬことで物語が完結するキャラクターが井上敏樹脚本作品にはよく登場します。代表的なのは「キバ」の紅音也とか、賛否あると思いますが「響鬼」のザンキさんとか、或いは上で紹介したアナザーアギト=木野薫もその1人だったかもしれません。

結構平成ライダーって、新年明けたばっかのおめでたい頃にメインキャラが誰か1人死んで最終回に向けて盛り上がるってのが定番化しつつありましたからね。

一方、「カブト」の神代剣なんかは完全に「贖罪」のための死ですよね。自らの存在に自ら終止符を打つ彼の戦いは見る者の心を打ちました。

「W」でのフィリップ消滅も多くの視聴者の涙を誘いました。これは「オーズ」における最終話でのアンク消滅イベントに結構近いもので、「過去の贖罪」でも「主人公の試練のため」でもなく、その作品世界における非日常の終焉=大団円を迎えたが故の人外キャラの死亡イベントです。

フィリップは元々データ人間として蘇生された存在であり、ミュージアムの崩壊と共に彼は一度消滅しました。

アンクもまた、他のグリードたち同様コアを破壊されてその命を散らします。ですが、フィリップがその後ちゃんと復活できたように、アンクもまた後の映画作品では(一時的とはいえ)何かと復活を繰り返しています。

愛されるキャラクター故、死んだかと思ったら生きてたという展開は電王のイマジンズ(及びブレイドの橘さん)が先例と言えそうです。

 

業が深すぎる男

ザーッとここまで振り返っても分かる通り、過去作のどのライダーの死と比べても、本作「復活のコアメダル」で描かれた映司の死には、物語上の意味がちょっと見出しにくい

映司の死が誰かの試練になる、誰かが続いて立ち上がる、というわけでもありませんし、映司って別に音也みたいに派手に散るところまでを見届けたいキャラじゃありません。それに元々普通の人間なので、フィリップやアンク消滅のような終盤イベント系とも解釈しがたい。となると、「映司に何らかの贖罪をさせるため」に死んだとしか考えられません。

一応、製作側としては「火野映司という人の業が深すぎて云々」=おそらく「手を伸ばせなかった過去(救えなかった少女)への贖罪」として映司の死を描いた、みたいなことを言ってるようですが(脚本家談)、それってオーズとして戦った映司たちの1年間の物語を全否定する発想じゃないですかね?なんで第1話の映司にまで話を巻き戻しちゃうんでしょうか?

それこそ最終回で「映司がつかんだ手」の意味がまるっきり無視されています。映司の成長譚としての「仮面ライダーオーズ」を全否定してませんか?という。大してオーズが好きじゃない私でもそれくらいはまぁわかります。

んー...というかどう考えても「オーズ」の世界で最も業が深い人間は鴻上会長でしょうが!贖罪させたいなら鴻上会長を真っ先に殺せよ!(笑)

それに、オーズって「欲望」がテーマの世界なんだから、みんな業が深くてなんぼでしょ。

それでもあの脚本でゴーが出たってことは、「映司の死」こそオーズの物語の完結編にふさわしいという確信が作り手にあったはずなんですけど、残念ながら完成したあの映像作品には説得力がまるでない。そのことこそが問題だと思います。だってみんな意味わかんないからパンフとかライナーノーツを必死に読みあさったわけじゃないですか。んで必死こいて少ない手がかりからその「意味」をなんとか読み解いて受け止めようとしてんですよ。でも何も伝わって来ないんです。まるで意図的に当時のファンの心をへし折りたいだけのようですよね。

あとよく引用される「(主演の)渡部くんをオーズから卒業させるため」という武部Pの言葉ですが、これも映司の死の根拠になってないので論外です。繰り返しますけど、そういう作品の外側のメタな事情を物語世界に持ち込んだらダメですって。やるなら佐藤健の良太郎サプライズみたいなポジティブな理由でやらないと誰も喜ばないよ。

なんか製作側も誰かに「映司を殺すこと」を指示されて嫌々やってんじゃないかと勘繰ってしまいますよね。それくらい筋が通ってなさすぎる。結論ありきで必死に言い訳を探してるような…。

ただ、かと言って「オーズはあんな製作陣のものではなく応援してる我々視聴者のものだ!」ってファンが言っちゃうのはちょっと違和感あります。それは、「お客様は神様だ」って自称するお客と同じでちょっと低俗な印象を受けてしまうかな。

それが正しいか間違ってるかの議論って個々の価値観の問題なんで答えが出ないしくだらないし見てて恥ずかしいなとは思います。

私は今の東映の体制にそもそも何の期待もないので怒るだけ無駄だと思っちゃうんですよね。だから割と冷めてるんだと思います。

「怒る」とか「クレームをつける」ってのは期待の裏返しですからね。

 

不死身のヒーロー

あと私は「オーズ」が、と言うより「仮面ライダー」が好きなので、ライダーの死を描くには相当な覚悟がいるはずだと思ってます。

過去、クウガ考察の記事やタックルの死について考察した記事でも述べた通り、仮面ライダーは死なない、というより死にたくても死ねない、戦い続けなければならない不死身かつ不可逆な存在だと個人的には考えています。

ライダーの死を真正面から描いた「シン・仮面ライダー」でも、その魂は生き続けていることが描かれていました。

しかし本作にはそういう希望もクソもない。

私としては、「暗い」とか「救いがない」みたいなビターなバッドエンド自体は大好きです。むしろ仮面ライダーにはそういうのがめっちゃ合うと思ってます。

だけど「復コア」の終わり方は、「オーズ」という作品はおろか「仮面ライダー」という不死身の戦士の看板にも敬意を払っていない。だからちょっとイケテナイなぁと思うんです。

ただ、希望はあります。

上述の通り、アンクはテレビ版最終回で消滅した割に、後の映画作品では何かと理由をつけて復活してくれていたことです。即ち、映司だってきっと(というかどうせ)復活できるだろうというフランクな期待です(古代オーズだって理由ゼロで復活したし)。

まぁもう少し真面目に言えば、原作者の言葉通りだよってことです。

「時代が望む時、仮面ライダーは必ず甦る」

オーズも仮面ライダーの一人だから。その称号が、きっと映司を「死」からも掬い上げるはずです。私は勝手にそう思ってます。そう思うことにして、この作品をオーズの最後としてではなく、長い仮面ライダーの歴史の一頁として受け入れておこうかなと思います。

(了)

www.adamokodawari.com

www.adamokodawari.com

www.adamokodawari.com

「トランスフォーマー ビースト覚醒」感想レビュー〜胸熱サイコーのヒーロー映画!〜

トランスフォーマー/ビースト覚醒 PERFECT BOOK (TJMOOK)

 

「そうそう、こういうのでいいんだよ」を最後まで貫き切った120分って感じでした。サイコーの映画だったと思います。少なくとも個人的にはここ1〜2年見た中で最高の映画でした。

なんか特に最近変というか不真面目というかアレなヒーロー映画ばっかりだったせいか

「上質な王道ヒーロー映画」が見られてめっちゃくちゃ嬉しくてソッコーで感想書いちゃいました。だから全然まとまってなくてごめんなさいな雑記事ですがとりあえず書きます。

最高の劇伴

まず、音楽がいい。ちゃんと時代設定に合わせて90年代を中心にチョイス。それに、なんといっても90年代はアメリカヒップホップの黄金期!サイコーにクールなトランスフォーマーたちのカーチェイスやバトルアクションにノリッノリのHIPHOPやラップを合わせるのはもう反則でしょう…。カッコ良すぎるんですよ。

「映画を見る」というより「トランスフォーマーのライブに行く」という感覚の方が近いかもしれません。そういう「観た人にしかわからない高揚感」があるから「映画館で見る価値がめちゃくちゃ高い映画」だと思いますコレ。音響設備の整ったドルビー・アトモスかIMAXシアターが激推しです。

ミラージュとパトカーのカーチェイスなんかもうサイコーすぎて脳汁溢れまくりですよ...ナニコレカッコヨスギデショ👍


www.youtube.com

やはり白眉はバンブルビーの復活かな!あんなにかっこいいビーは見たことないわ。ていうかまさかLL COOL Jを歌いながら敵をバッタバッタと薙ぎ倒すバンブルビーが見られるなんて...。


www.youtube.com

マイケル・ベイ時代の作品は時にはパンクに、時にはメロウにハードロックと融合した映像が魅力でした(リンキン・パークがメインテーマを担当してましたね)。

What I've Done

What I've Done

  • LINKIN PARK
  • サウンドトラック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

そんな旧シリーズとの差別化にもなってるし、更にはトランスフォーマーの新たな魅力を引き出すことにも成功していますよね。

それにラップミュージックって本作の主人公のノアの人種的な部分ともリンクしているし、ちょっとこじつけになるかもしれないけど「ビーストウォーズ」のOPが当時にしても珍しかったバリバリのラップだったことも思い出させてくれるようです。


www.youtube.com

 

シンプルな物語

実は本作って登場キャラも多いし、物語もウン万年?ウン千年前の地球でどうこうとか、星を食うユニクロンと故郷に帰れないオートボットに新キャラのマクシマルとか、実はもう話がぐっちゃぐちゃというかめっちゃくちゃで「真面目に考えたら負け」なくらいに出自やバックボーンがバラバラのキャラクターが複雑に入り組んだ群像劇なんですよね。

だけど、そこにのめり込ませるんじゃなくて、映像とBGMでカッコよく魅せるっていう当たり前だけど案外最近の「ヒーロー映画」がサボってることをクソ真面目にやり切ってるからスカッとするし楽しいしワクワクするし燃えるんです。だから設定的にも色々気になる部分はあるにはあるんですけど結構「どーでもよくなれる」んですよねw

物語そのものはすごく単純です。大昔、星を食う悪いトランスフォーマー・ユニクロン(率いるテラーコンという悪いロボットたち)と戦ったゴリラのコンボイ(オプティマス・プライマル)とその仲間たち(マクシマル)が、金色のバナナ(宇宙を自由にワープできる装置のキー)を持って地球に逃亡。それが再びユニクロンに見つかっちゃって、たまたま帰れなくて地球に居残りになってたオプティマス・プライム(オートボット)たちと共にユニクロンを追い返そうというお話です。

あいや、もっともっとシンプルに言えばこうです。

死ぬほど強大で絶対に勝てっこない敵に、マイノリティの異種族が力を合わせて立ち向かうお話です。これが一番しっくりくる。

そしてこの「弱者が世の中をひっくり返す」って筋書きが、ラップミュージックとピッタリ合うんですよ。

多分裏側は設定も含めて相当作り込んでると思うんですけど、そこをゴリ押しするんじゃなくてその場のテンションと映像的なカッコ良さとキャラクターを大切にしている作り方をしてるからいい意味で大味に楽しめるんですよね。説明的な描写はなるべく少なくして、なるべくわかりやすく、「人類とオートボットとマクシマルの三者が手を取り合うまで」を熱く熱く、かつ丁寧に描いています。

 

主人公ノア

んで、人類側の物語を主に担うのがノアです。彼は本作における「人類代表」ではあるけど、社会の隅っこに追いやられた「社会的弱者」です。これは多分本作においてめちゃくちゃ重要な設定です。

いわゆる童貞高校生が地球救って美女をゲットする話ではないですからねこの映画。

家は貧しくて弟の病気の治療費もツケが溜まって診てもらえない。仕事も決まらない。追い込まれて悪友の誘いに乗り盗みに手を出す...って感じで社会の荒波の中でもがいているリアルな若者です。んで彼のバックボーンの描写は非常に丁寧かつ地に足ついた形で積み上げられていくからシンプルに感情移入しやすい。そして全て終盤で回収されていく伏線にもなっています。

あと弟との物語は本当に泣けます。ノアとノアの弟とミラージュの会話は、所々もちろんユーモアも交えながらだけど、ちゃんと真面目に描かれてるから良い。それが最後の最後まできっちり伏線として活きてる。全てのシーンに当たり前だけど無駄がない。

意味のないつまらないギャグとか見せられるのに辟易してたからか本当にこの映画のワンシーンワンシーンの活かし方は気持ちいいくらいに王道で大好き。

だから最後の「G.I.ジョー」関連の登場はもちろん今後の展開に向けたカメオなんだろうけど、それ以上に地球を救うために命懸けで戦ったノアがちゃんと報われるっていう、ポスクレがただのポスクレじゃなくて、ちゃんと本作のドラマのオチになってるからめっちゃ好きなんですこのシーン。綺麗に1本の映画としてまとまってる。だから最後の最後まで「ごちそうさまでした!」って元気に叫びたくなる映画です。

見習えよ誰とは言わないけど最近のどこそこのスタジオの映画よ!(笑)

 

オートボット

めっちゃ好きよミラージュ。何よりノアとのバディ関係がサイコーでした。腕に装着できる武器を渡してあげたのも終盤に向けた伏線ではあるんですが、あの最後のノアの「トランスフォーム」には既視感あるんですよね。

そうそう、これですこれ↑。これって言わば、人類とオートボットの絆の象徴ですよね。しかもオートボットが「人類を守ってあげる」んじゃなくてオートボットと「共に戦う」ための姿です。

そもそも本作におけるオートボットってまだ人類を信頼してないんです(特にオプティマス)。だから良い意味で歴代で一番オートボットが頼りない(笑)

例えば過去作のバンブルビーなら、サムがやばくなったらどこからともなく現れて絶対に助けてくれたし、たとえビルから落ちたとしても絶対オプティマスが飛んできてヒョイっと助けてくれたじゃないですか。

でも本作のオートボットは人間を助けることにあんまり興味がない(チームとして多分ルール化されてない)からミラージュも「まだ生きてたの?」とか言うんで本気で自分でなんとかしないと生き残れないってハラハラが過去作の比じゃないんですよね。

だからこそ、ミラージュがノアの弟の言葉を大切にしてノアを守り抜いて最後に自分の体を託す展開に深みが出るんです。単に「オートボットはいいもんだから」って設定にあぐらをかいた物語じゃなくて、ミラージュもオプティマスもそれぞれの想いや葛藤を乗り越えて個々の意志で地球人を守ろうとする。そのドラマにこそ共感できるし感動できる。だからヒーローがカッコよく見える(←コレ大事)。

それに説得力を持たせてるのがノアの人間的魅力です。やっぱりノアがかっこいい。まじでイイ男ですよこいつ。

あとはアーシーがアニメからそのまんま出てきた感じだけどめちゃくちゃカッコよかったしなんか可愛かった(本作のヒロイン枠?)ことと、ホイルジャックのスペイン訛りの英語とそれを突っ込まれた際に「人種差別的だ」と返したことが妙に印象に残ってます。コイツらまだ人類と仲良くなれてないくせに過去一人間臭いんだよwwドライブインシアターで映画見てんじゃねえよwwコイツらの勇敢さの8割はハリウッド映画の影響だろw

加えて、バンブルビーの扱いがピカイチにうまかったなと思います。

今やオプティマスに次いでアイドル級の人気を誇るバンブルビーを、あえてノアの相棒ポジションから外して早めに戦死させた「ビーのキャラ人気に頼らない作劇」がお見事。それでいてちゃんと復活してから世界中のビーファンも感涙モノの完璧な見せ場を用意。この映画はキャラの扱いが本当に上手い。

そんでもって、いやいやバンブルビーが生き返れたんならミラージュも...?って疑問にもちゃんと答える最後のポスクレシーン。本当脚本が丁寧で、キャラクターを大切にしていて非常に好感が持てますよね。だから繰り返しになりますけど、最後の最後まで「ごちそうさまでした!」って元気に叫びたくなる映画です。うん、気持ち良い。

 

マクシマル

【 メーカー特典つき 】トランスフォーマー ビースト覚醒 覚醒オプティマスプライマル

【 メーカー特典つき 】トランスフォーマー ビースト覚醒 覚醒オプティマスプライマル

のっけから金色のバナナの争奪戦しててモノマネ合戦始まらないかハラハラしたビーストウォーズ世代です。

いやしかしマクシマルって何者なんだ?ってのがやっぱりよくわかんないんですよね。地球にそっくりな星にいたように思えるし地球と同じ生物をモチーフにしたトランスフォーマーだしなんでオプティマス・プライムのことを知ってたのかもよくわかんないし(単に私が設定をよくわかってないだけかもしれませんが)、考えれば考えるほどわからないことだらけなんですが、上述の通り別にどうでもいいっちゃいいんですよね。だってトランスフォーマーだから

そんなことより、死ぬほどかっこいいこのゴリラから目を離すなよって迫力が映像にあるので考えなくていいんだと思います多分。

あとこの映画って単純に「ユニクロンから地球を守る」ってお話なんで「マクシマルいなくても成立するんじゃね?」って思っちゃうんですが、やっぱりどう考えてもマクシマルがいないとこの映画成立しないんですよね。

繰り返しますがこの映画は「隅っこに追いやられた弱者たちが最大最強の敵に打ち勝つお話」です。

オートボットは故郷に帰れなくなって地球でずーっと隠れて窮屈な生活を余儀なくされている「流浪者」だし、ノアは上述の通り金も仕事もない「社会的弱者」です。そしてマクシマルもまた、故郷を滅ぼされ地球に逃げ隠れた「難民」です。この三者が手を取り合うまでにはかなり多くの障壁があったと思います。この映画が素晴らしいのは、ややこしい設定の説明を映像でぱぱっと片付けて、彼らの葛藤だけをドラマティックに描くことに注力していることです。

で、オプティマスは自分のせいで巻き込んでしまった仲間たちをちゃんと地球に連れ帰ることを自分の責務だと考えて常にピリピリしてる。故郷に帰ることが絶対だと思ってかなりイラついてますよね。そんな彼にとって、マクシマルの生き方:たとえ故郷を失っても、地球で人類と調和して生きるオプティマス・プライマルたちの生き方は、彼の人生観をひっくり返すほどの強烈なインパクトを与えたんだと思います。頑なだった彼を変えられたのはノアでも誰でもなくマクシマルなんですよね。

ノアはオプティマスを出し抜いてワープキーを破壊しようとしてたし(そんなノアを懐柔したのはエレーナです。彼女も非常に良い役回りを演じてました。)、人類とオプティマスの間にはもうどうしようもない溝があったんですけど、その間にプライマルがいたからこそこの三者は手を取り合って史上最大の敵を追い払うことができた。だからオプティマスが死を覚悟でワープキーを破壊したときにノアとプライマルが彼の手を握ったシーンはもう本当に胸熱でした。出自も利害も異なる3種族がそれらを乗り越えて信義で一つになるんです。こんなに熱いヒーロー映画だとは思いませんでした。

いや他にもめっちゃちょうど良いカタさの宿敵・スカージのこととかまだ語りたいことはたくさんあるんですけど初見だしとりあえずこんなところで!

次は吹替で行こうかしら!

(了)

 

劇場版「仮面ライダー555 パラダイスロスト」を10年ぶりに見た

仮面ライダー555 パラダイス・ロスト ディレクターズ・カット版

仮面ライダー555 パラダイス・ロスト ディレクターズ・カット版

なんか急に懐かしくなって、久しぶりに見たら当時とは全然違う感覚で楽しめましたね。

555にどハマりしてたあの頃

個人的にこの「パラロス」、歴代仮面ライダー映画で一番だと思ってます。それは誰がなんと言おうと譲らないポイントで、ずーっとそう信じて生きてきたんですけど、公開当時から20年経った今また見直すと、当時よりも良い意味で冷静に楽しむことができましたね。

何せ20年前はもうファイズのことで頭がいっぱいでしたからね(笑)

テレビ版については別記事でも語らせてもらってます。

www.adamokodawari.com

録画したビデオテープをクラス中の友達に貸して布教しまくってましたし、とにかくもうファイズに夢中でした。放課後は更衣室で友達と変身ごっこしてましたし(中3)。しかも気がついたら何人か体育座りの観客が並んでて。

毎週月曜日は「見た?!」ってファイズの話題で盛り上がる。ある意味人生で一番楽しかった頃でした。

「龍騎」にももちろんどハマりしてたわけですが、多分「555」、中でもこの劇場版「パラダイス・ロスト」がある意味で私のその後の人生を決定づけたと言っても過言ではないかもしれません。「仮面ライダー」を愛し続けるこの人生は、そして30過ぎても相変わらず仮面ライダーのことを語り続けているこの人生は、多分この「パラロス」鑑賞後の私のあの抜け殻になったような衝撃と絶望とその中に芽生えたある種の恍惚によって決定づけられたのだと思っています。

ここからは諸々のネタバレを含みつつ感想と考察を交えて書いていきます(一応)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

パラレルワールド

第49話

第49話

平成ライダーの歴史で言うと「555」は4番目。「アギト」以降定番となった夏の劇場版も、やはりフツーじゃない変化球を投げてきました。「龍騎」のときが「最終回先行上映!」ってインパクトがあったわけですが、今回はまさかの「パラレルワールド」。オルフェノクに完全に支配されてしまった世界が舞台です。

最終回までのあらすじを踏まえて見直すと、これって結局テレビ版がたどることになった「オルフェノクの死の運命」が存在しない世界観なんでしょうね。だから「オルフェノクの王」というのも存在しないし、草加が体内に宿している「オルフェノクの記号」もおそらく衰えることがない=カイザへの変身能力も半永久的なのだと思います。

単純に人類vsオルフェノクの勢力図がテレビ版と逆転してるのはめっちゃ面白い設定で、特にそれを端的に表してるのが冒頭のカイザの戦闘シーンです。

オルフェノクに人間が襲われていても何も気にしない街の人々。しかし仮面ライダーが登場した瞬間、悲鳴と共に人々が逃げ回る。「仮面ライダーが恐れられている世界」、という映像が非常に面白い。この作品でしか見ることのできないかなり攻めた設定と演出ですよね。

それは終盤のアリーナでの決闘にもハッキリ表れていて、ファイズにはブーイング、しかしサイガとオーガに熱狂する観客たちの姿として実に象徴的に描かれています。

 

草加雅人の変化

第15話

第15話

私、実は大の草加ファンなんです。

なので当時も草加があっさり死んだことが受け入れられなくて本当にショックだったんです。でもネットで「草加が死んで結構スカッとした」みたいな感想もよく目にしたのでそれが尚更信じられなくて...。確かに草加って嫌なやつだけどめちゃくちゃ強くてカッコイイんですよ(彼についてはまたいつか別記事で語らせてください)。

とりあえず一つだけ。確かに性格は悪いけど、同窓会の日に他の同窓生達と共にオルフェノクの記号を埋め込まれながら(改造手術)ただ一人その日の悪夢の記憶を持ったまま脱出し、誰にもその胸の内を明かさぬまま、人間でありながら死のベルトを使いこなして戦う...って本作の世界観において誰よりも草加雅人は「仮面ライダー」してるんですよね。

いやしかし本作の草加がああもあっさりサイガにやられてしまったのはなぜか。真面目に考察するなら「ザコとばかり戦ってお高く止まってたから」だと思ってます。だって本作のカイザってやたらカイザショットで戦おうとするでしょ(笑)

最初からカイザブレイガンを振り回してるか毎週カイザポインターで澤田を殺ろうとしてたテレビ版の草加とは戦い方が違いすぎるんですよ。

ザコとばかり戦ってたのは、この世界が「オルフェノクによって支配された世界」=「使徒再生によってオルフェノク化した者が大半を占めている世界」だからなんですよね。当然使徒再生によって誕生したオルフェノクの戦闘力は自力で蘇生した「オリジナル」には劣ります。

増して草加は人類側に存在する唯一の仮面ライダーです。まぁ図に乗っちゃいますよね。...とまぁそんなこんなで環境は最悪なのに実はぬるま湯に浸かってた草加はあっさり敗北しちゃったんだろうなと。

カイザショット

カイザショット

  • ノーブランド品
Amazon

 

オルフェノクトリオの変化

第42話

第42話

木場さんは本当何も変わんない感じなんですけど(すぐ騙されたりすぐ心変わりするところとか)、一番変化を感じたのは結花でしょうね。結花が女性的に強くなっているのは環境の影響があると思うんですが、本来は確かにああいう強かさがあるんですよ彼女。

テレビ版では啓太郎と結ばれることになった結花ですが、パラロスでは海堂とそのままくっついちゃってます。やはり人類からもオルフェノクからも後ろ指を指され続けてきた結果、3人の結束がテレビ版よりもずっと強かったからでしょうね。

あとテレビ版みたいに海堂は何回も家出できなかったと思うし(笑)。出ていっても逃げる先がなかったから海堂も結花のことだけをずっと見続けることになったんだと思います。要は巧サイドの3人組と木場サイドの3人組がテレビ版のように流動的に交わる余裕がなかった:「人間側」と「オルフェノク側」の溝がもっと深い世界だったからでしょうね。

 

真理と巧

I wish 園田真理Voice Mix version

I wish 園田真理Voice Mix version

真理はやはり解放軍の先頭に立ってきたからだと思いますが無理して舐められないように語気が強くなってる感じがしました。元々流星塾時代もいじめっ子から草加を助けてたくらいですから、生来の気の強さがそうさせるのだとは思います。

いやしかし草加の「君の女の部分が泣いているんだ」は笑いますよね、そりゃ劇場版ではカットされるわ(笑)でも草加も全然わかってないのは、彼女が求めてるのは巧だってことですよ。

...ただ、当時中坊ながらずっと疑問だったのは、巧と真理ってなんで恋愛関係に発展しないのかなぁということです。あんなに何回も手を握り合ってんのに付き合ってないのおかしいよ(笑)

いやまぁそりゃ演出の意図としては「人間とオルフェノクが手を取り合って生きる世界」の象徴としての二人ってことなんだとは思いますけどね。頭ではわかってんだけどさ。

しかしあのアリーナでの決闘時にいきなりウルフオルフェノクとしての正体を見せられたからってのもあるとは思いますけど、テレビ版に比べて二人とも全然ウジウジしてないから非常に見ていて気持ちよかったですね(笑)テレビ版の方は巧が正体を明かしてからのグズグズ具合がすごかったから。

真理は割とサクッと巧の正体を受け入れて、「巧は巧だから」って言えるし、巧は「木場の夢」を継いで生きていくって目的がハッキリしてるし。もちろん尺が90分しかないからってのもあるけど、何週間もかけて葛藤を描いたテレビ版とは違って、手を繋いだ二人が光に向かって歩いて消えていくっていうエンディング含めて非常にわかりやすく「555」のテーマが集約的に描かれてて良かったですね。

ちなみに他所でも言われてますが真理は本当脚細い。顔が丸くてぷにぷにしてるから意外に思うんですが本当スタイル良い。

 

もこみちと黒木芽衣

比較的無名時代の速水もこみちが「水原」という解放軍の一人として出演しているんですがまぁ「蛇足」って感じでしたね。事務所の関係かなんなのかわかりませんけど出さないといけないから出したというか役者のために用意したキャラみたいな感じで。

いやしかしなんでこの世界の人類ってこんなに性格悪い自己中ばっかりなんだ?(黒木芽衣演じたミナはまだマシとは言えだいぶ捻じ曲がってたよね色々)

まぁ性格悪いやつしか生き残らなかったってところがまさに「パラダイス・ロスト」。映画限定キャラが揃いも揃って性格悪いのは同じ脚本家による翌年の某映画でも同じなのですが(笑)

まぁでもミナ(演:黒木芽衣)は巧のファイズ復活を焦らすために良い役回りを演じたと思います。見事に真理と対極の女性として描かれてましたしね。

もしかしたらミナは草加の言う真理の「泣いている女の部分」の象徴だったのかもしれません。ミナと真理って顔のあらゆるパーツが丸いという意味ではビジュアル的にも似てますし。わざと似てる女の子を選んだのかもしれません。二の腕すごい。

真理だって平和な世界においては巧と二人で静かに暮らしたかったのかもしれないけれど、真面目な学級委員タイプの真理は人類を率いるために必死なので自分のことなんか考えてられないんですよ。だから女としての部分は確かに押し殺して頑張ってる(そこが真理と結花の違いでもある。もっと言えば、啓太郎と草加が身近にいなかったら巧と真理は付き合ってたかも知れない。多分二人とも無意識に周りに気を遣っちゃうタイプ)

んで作劇上の用が済んだら水原もミナもまぁ容赦無く簡単に死ぬよね。別に死ななくても良いのに(笑)この辺のあっさりした退場の仕方とかマジでラルクとランス。

 

救世主ファイズ

第44話

第44話

カイザの戦闘力低下を上で指摘しましたが、反対にファイズはめっちゃ強かった。クロコダイル戦等でも顕著ですが巧ってかなりバトルセンスが高くて、相手の不意をついた反撃とかめっちゃ得意なんですよ元々。

巧が生死不明になったライオトルーパー軍団との決戦シーンを見る限りあの大部隊を相手に結構いいとこまで勝負してたようですね。なぜかこの場にカイザの姿がないわけですが(笑)

要はこの世界のファイズ、「1対多」でいじめ抜かれてるんで多分テレビ版よりずっと戦闘力が高いんだと思います。でないと復活してすぐにあの伝説の「多段クリムゾンスマッシュ」は出ないと思います(あれは劇場でも最もぶち上がったシーン)

だからカイザに致命傷を与えたサイガの空中攻撃だってさらっと凌いじゃうし、圧倒的な機動力が武器のサイガを狭い通路に連れ込んで飛行ユニット破壊するし、エクシードチャージしたトンファーエッジ持って突っ込んで来られても手首カシャッのあとカウンターでサクッと倒しちゃうしで物凄い度胸があって頼もしいんですよね。

そんな姿を間近で見て一緒に戦ってればそりゃ「救世主だ!」って思っちゃいます。

てかブラスターフォームが一番活躍したの劇場版では…まさかテレビであんなに使われないとは…。

 

木場の慟哭

本当初見時は衝撃の連続で心に穴があきまくりました。

草加の死、そして結花の死、更には海堂も死に...。

だからあの白い部屋での木場の慟哭ってものすごく感情移入できるものだったんです。でもこれってリアルタイムで視聴していたあの夏の劇場でしか体感できないものだったと思います。毎週大好きで見ているキャラたちが次々に死んでいくんですから...。

ちなみにあの部屋で木場さんが泣き叫びながら叩き落とした水の入った透明のポット、第15話で草加に看病されてたときにも置いてあったのと似ててそれ思い出しちゃいました。木場さんってどこにいても不幸ですよね。

あと、木場さんって落ち込んだときちょっと笑ったような顔をするのが本当木場さんらしくて切なくなります。真理の何気ない一言を超聴覚で聞いてしまったときの木場さんのあの顔、あのお芝居めっちゃ好きだなー。

いやしかし改めて思うけど暗いなーこの映画!(笑)

 

サプライズの連続

S.H.フィギュアーツ 仮面ライダーオーガ(魂ウェブ商店限定)

S.H.フィギュアーツ 仮面ライダーオーガ(魂ウェブ商店限定)

サイガとオーガ、2本の帝王のベルトが出てくることや初の外国人ライダーが登場することとかは事前に公開されてたんですけど、オーガの変身者だけは公開前までずーっと非公開でした。そして当然巧の正体についても。

だから巧がオルフェノクに変身したときはそれはもう天地がひっくり返るかと思うくらいびっくりしました...!

「オルフェノクも人間も関係ないんだよ!」という真理のセリフはごもっともなんですが、実際に巧がオルフェノクだったと知ってやっぱり私の中にはちゃんと「嫌悪感」が芽生えたんです。「え...巧がオルフェノク?やだ...」っていうね。

もう本当頭ん中真っ白になりました。ウルフオルフェノクとホースオルフェノクの戦闘シーンとか半分記憶ないですもん。

でもふと我に返って、「いやこれは製作陣からそんな想いを抱くであろう我々視聴者への挑戦状」なんだと思い直しました。口ではいくらでも綺麗事が言えるだろうけど、それ本気で思えるか?っていう。そこまで突き詰めてこそ本作のテーマはより鮮明になります。

そして次の瞬間思い出したんです。あ、そっか『仮面ライダー』って人間ではなくなったバケモノが仮面をつけて戦う話だったな、って。

当たり前なんですけど、乾巧ってやっぱり「仮面ライダー」なんですよね。

そのことに気づいた瞬間、たくさんの愛すべきキャラクターたちの死と主人公のまさかの正体暴露によって打ちのめされてスタボロになっていた当時中3だった私は、「いや、これこそが仮面ライダーの物語なんだ」というある種の確信を得たんです。この残酷な物語こそが俺が心から愛した仮面ライダーの本当の物語じゃないかと。ちょっとやそっとの悲劇を前に目を背けてはいけない、最後まで見届けなければ!っていう謎の使命感です。

 

DC版の追加映像について

当時ディレクターズカット版のDVDが出たので当然購入したんですが友達に貸したりしてる内に無くしちゃったんですよねー。どこいったかなアレ。

で、今回もサブスク使ってDC版を観たんですが、追加映像に関しては正直言ってほとんどがまぁ確かに無くてもいいかなって感じでした。

変身一発のくだりも一回の方がテンポ良いし。総じてくどく感じるような気が私はしました。

ただ中でも、冒頭の戦闘シーンにおけるカイザスラッシュと、真理に擬態するスマートレディ含む木場騙し関連はあった方がいいなと思いました。というか戦闘シーンは基本的にそりゃ多いに越したことないですからね。

 

1万人のエキストラ

1万人のエキストラを使った撮影、当時のスタッフをもってして「奇跡」と言わしめたこの映像は色んな意味ですごいですよね。ファイズがボッコボコにされるのを見て狂喜乱舞する客席。そしてサイガやオーガが敗北した瞬間静まり返るスタンド。

あの人数のど素人が仮面ライダーを睨みつける画はまぁシュールですよ(笑)

でも今思えば本当にすごいのはスーツアクターじゃないですか?子どももいっぱいいましたから、これは想像ですけど裏でしか面を取らなかった(取れなかった)んじゃないでしょうか?そんでもって物凄い熱気でアドレナリンも出まくりだったと思いますし。

ファイズブラスター変身直前のファイズポインターがベルトから外れかけてるのとか初見時から忘れられない映像です。

撮影自体、本当大変だったんだと思います…。

 

ファイズの物語として

第50話

第50話

とにかく嫌なヤツがいっぱい出てきて優しい人がいじめられたり勘違いやスレ違いの連続ですぐケンカおっぱじめるのとか、もうそういう物語運びそのものが良くも悪くも「あーいつものファイズだな〜」って、なんか懐かしいような愛おしい感覚になりましたよね。

それとこの映画、ほぼテレビ版最終回の流れと同じ展開を見せます。

オルフェノクの王は登場しませんが、その代わり帝王のベルトが登場したと解釈することもできます。

何より、メインキャラが辿った運命はほぼテレビ版と同じなんです。特に巧と木場。この2人は同じ理想を胸に抱きながらも必ず戦うことになってしまう。

真理の裏側にミナがいるように、巧の裏にいるのが木場です。だから彼は何がなんでも挫折を味わわなければならない。彼の理想は絶対に挫けてしまう。

そしていつも頼もしく見える木場ですが、実は一番精神的に不安定なのも木場です。彼はいつも両極端な男です。裏切られたと知ったら元カノでもぶっ殺すし、全人類を敵に回してでもスマートブレインの社長になっちゃう。

理想が高くて真面目な分、常に過剰に何かを信じてしまうんだと思います。冷静で落ち着いているように見えて案外妄信的。頼られる自分を演じていないと不安なのでしょう。だから裏切られたときに過剰に反応してしまう。非常に打たれ弱い。

けど根っこはとてつもなくお人好しだから、やっぱり人間を裏切れない。最終的には自分の命を捨ててしまうくらい、とてつもなく人間が好きな男なんです。

その点、巧はブレない。言葉や態度には出さないけど、やっぱり彼も人間の心を大切にしてる。「さぁな!」と言いながら、実は一番実直でまっすぐな男です。

…なんて具合に、キャラクターの芯をブらさずにテレビ本編はまだまだ中盤の段階で、たった90分の映画に「555」の全てを詰め込んだ田崎監督スゲーです。

テレビ本編とのつながりという意味でも、たくさんのサプライズを用意してくれたドラマ作品としても、そして1万人エキストラを始め歴代でも最強にド派手でカッコいいアクションを見せてくれた特撮作品としても、この映画、やっぱりサイコーです。歴代ライダー映画作品でやっぱり一番大好きですね!

(了)

www.adamokodawari.com

www.adamokodawari.com