初見感想
やっぱり全ライダーが登場したシーンにはテンションが上がりました。トリプルライダーがバイクで飛んできたところはちょっとうるっときましたね。あの瞬間の感動こそが最大瞬間風速で、ただ、それ以外あんまいいところがなかった😅
でもあのシーンのインパクトは確かに凄かったから、なんかそれだけで「まぁ盛り上がったし良かったか」って許しちゃったところはあって、でもほんとは違和感MAXだったんですよ。
「ん?」って違和感感じたらその上に更なる違和感が積み重なる感じ、そうそうまさに
テトリスが噛み合わないままぐっちゃぐちゃに積み上がっていって気がついたらゲームオーバー!みたいな感じです。
あのときは言わなかったその違和感について、あえて今、改めて言ってみたいと思います。
ツッコミどころ
とりあえず頭から順番にもう気になるところ全部言っていきます。
- ライダーバトル、やってもいいけど、このノリノリの実況ボイス誰よ(世界観・設定的な意味でね)、その時点で踊らされてんの間違いないやんライダーの皆さん
- なんでライダーバトルがこんなにシステム化されてんのよ、本当は「シビル・ウォー」的な個々のプライベートな感情で戦いが起こるもんでしょ設定的にも
- アマゾンはジャガーショックもモンキーアタックも技名言いませんよ
- 妹の小夜、平成ヒロイン丸顔列伝に加えられるべき丸顔だな
- 最強のライダーを1人決めれば滅びの現象が止められるってそもそも意味不明じゃない?
- ディケイドが勝って普通にニコニコ喜んでるユウスケはライダーとしてというかクウガとしてどうなの?
- 他のライダーを犠牲にすれば世界の滅びを止められるから戦うって判断に至るライダーたちって、何なの?剣崎だったらブチギレてるでしょ絶対。誰も犠牲にせず世界を救うのが仮面ライダーじゃないの?
- アマゾンやRXと戦ってるけど、あんたらテレビ本編で仲良くなってなかった?
- ディケイド以外のライダーはなんの義理でこのライダーバトルに参戦してんの?やっぱり全員「滅びを止めるため」って騙されてんの?バカなの?
- やっぱりユウスケの変身ポーズ好きになれない
- おい、しれっと無からドラゴンロッドを生み出すなよ
- スーツアクターのお手本のような落下を見せるイクサ
- 「仮面ライダーブイスリャー!」じゃねぇよバカにしてるだろこのV3
- 大ショッカーアジトの怪人の並びがまずダメ。序列が全く意識されてない。メビオ、バケネコ、ガドル、二列目にアークオルフェノクはダメでしょw
- 夏海が第1話でディケイドライバーを発見した意味、マジでたまたま偶然でしたっぽい説明で片付けやがった...
- 大ショッカーアジトの落とし穴、落ちた先がただの用水路ってどうなの?w
- 小夜のバックボーンが神崎優衣のリサイクル
- この世界のシャドームーンが言う「創世王」って何?
- 普通に騙されてた大首領こと士、そしてなんの説明もなしに「俺だ開けてくれ」とか言ってダサい革ジャンで写真館に帰ってくる士、ダサすぎ。小物感凄すぎて大首領の威厳ゼロ。この時点で大ショッカーはやっぱりゴミカス。
- だけどディケイドへの変身能力を失ったわけでもないから「全て失った」みたいに言われてもあまりその危機感に感情移入できない
- 戦闘員爆弾とかいう残虐すぎる兵器をギャグっぽく見せるセンスは製作陣の人間性を疑いたくなる
- 本当にね、せっかく日本の大俳優起用したのにうがい薬でガラガランダと「イカでビール」でイカデビルは全ライダー史上最低のギャグだと思います
- 士は大首領としてあんなダメなやつを側近として大幹部にしてたの?本当何から突っ込んだらいいんだ
- あ、オールライダー揃い踏みのライダーマンはやっぱりGacktじゃないんだ
- ブレイドはブレイラウザーを地面に突き立てますが敵に突き立てたことはないですよ
- ブラックがシャドームーンと一切戦わないのは何の冗談でしょうか?
- カブトは連携プレーちょっと手伝っただけで人差し指立てたりしないと思います
- クウガが黒目のライアルから赤目に変われたのは結局小夜が地の石を捨てたからで、ユウスケは何の苦労もしてないし何の成長もないのがほんとダメ(だからクウキとか言われんだよ)
- ディケイド+クウガライアル2人を相手に圧倒するシャドームーンを秒で吹っ飛ばすダブルェ...
- 仮面ライダーJのジャンボフォーメーションってのはですね、地空人とか全ての地球の力を得て初めてなれる姿であって云々...もう、もういいわw
- だからアマゾンのギギの腕輪は取っちゃダメだって!ほんで「ディエンド、トモダチ」って何言ってんのコイツ
- 賀集くんの髪型なに?しかも出演これだけですか
- 死神博士だったジジイとまだ旅を続けるこいつらキチガイ
うん、控えめに言ってもゴミ映画ですねコレ。
平成ライダー10周年記念として
結構ね、楽しみにしてたんですよこの映画。なぜかって「この時代の文脈」から伝えておかないといけないと思うんで言いますけど、平成ライダーの映画って、良い意味で問題作ばっかりでしたから。
アギトの「映画だけのライダー=G4」に始まり(今や定番化しましたよね映画ライダー)、龍騎の「最終回先行上映」、555の「パラレルワールド」、剣の「最終回から4年後」、響鬼の「時代劇」…
てな感じで、毎年毎年斬新かつありえないコンセプトで壮大な物語を見せてくれるのが、平成ライダーの劇場版でした。過去にも語ったことありますけど「555」の劇場版とか個人的に本当最高傑作だと思ってます。
んで、本作「オールライダー対大ショッカー」って最初にちゃんと
平成仮面ライダー10周年記念作品
って出てくるんですよ。「仮面ライダー」じゃなくて「平成仮面ライダー」の10周年なんですここ大事。
私は、昭和ライダーと平成ライダーは根本的に大きく異なる作品群だと考えています。過去に「剣」の記事でも触れましたが、昭和ライダーが「闇の大組織と戦う孤独な男の物語」だとすれば、平成ライダーは「異種族間の対立を描いた群像劇」でした。
↑詳しくはブレイド最終章の考察記事にて扱っています。
だから当然、物語も作風も重く暗いものになりがちでした。しかしだからこそ見応えのある作品が毎年誕生していたことは紛れもない事実です。
そんな平成ライダーの10周年記念作品ですよ。しかもオールライダーが集結するんですよ。見に行かないわけないじゃないですか。
...と思ったらなんかちょっと思ったのと違ったんですよね(笑)
ただ、「9つの世界をめぐる」と謳って始まったディケイドの物語が、劇場版で「昭和ライダーも全員出す」って型破りな感じ自体は、平成ライダーらしいなとは思います。別に昭和も含め全ライダー出すこと自体はいいんです。大事なのは「面白いかどうか」。
その観点からすれば、つまんない映画でした。
ドラマがない
つまるところ本作の問題点はここに尽きます。とにかくドラマがない。もしくは薄っぺらい。コンドームより薄い。
本作は、テレビ版では描かれてこなかった「門矢士の世界」の物語です。記憶喪失という最大の謎をまとった主人公の過去が明らかになる最も重要なエピソードですが…。
士の妹や月影と暮らしたお屋敷の生活感や、士の妹の妹感のなさというか、とにかく「取ってつけた感」が凄い。士が記憶を失うまでの人間的な生活感の部分がまるでないから、その後のドラマ全てが軽薄に見えてしまいます。
それに、自分の正体が大ショッカーの大首領でしたって事実に対しての士の葛藤が全く語られない。全て進行すべきシナリオに従順にキャラクターが動いちゃうから、とにかく観てるこっちの感情が置き去りにされていきます。
だから士が妹や月影に裏切られたからといって、夏海から拒絶されたからといって、士が「全てを失った感」は別にないし可哀想とも何とも思えません。誰にどう感情移入したらいいか全くわからない。この映画、途中から心が迷子になります。
結果、再びディケイドとして戦う決意を固めるシーンがまるで熱くならない。
何だっけ、「どこにも俺の世界がないなら、どこでも俺の世界にできるってことだ!」って前向きになるのはまぁいいんですけど、その決意に至る経緯の描写が総じて薄いので「かっこいいぞディケイド!」ってならない。そんな士を見てにっこり許しちゃう夏海もどうかしてる。
小夜の改心もそう。ちょっとそれっぽいこと言って懐柔させようとしてる程度にしか見えないし、それでコロッと月影を裏切っちゃう小夜も小夜だし、なんか何考えてるのかわかんないバカばっかりに見える。
もちろん、設定的にはちょっと凝ってるのもわかるのはわかるんですよ。小夜に対する「自分の翼で羽ばたけるはずだ」って励まし方は原典ビシュムの怪人態である翼竜怪人にかけてるんだろうなとか、わかる人にはわかる散りばめ方はされてるんですけど、胸を打つドラマには仕上がってない。
例えば、大ショッカーからも放逐された士がディケイドライバーも失うって展開だったらまだ共感できたかな。1人で全ライダー倒せちゃうくらいディケイドって強いから、仲間から見放されちゃったとしても別に可哀想ともなんとも思えないんですよ。そんな士に、第1話の再現のように再び夏海がディケイドライバーを渡す、なんて展開ならもう少し熱くなったのになぁ。ほら、夏海もちゃんと第1話と同じ服装してたんだし。
そうでなくても、せめてジャーク将軍が「何なんだ?!お前は!」っていつものフリさえしてくれたら...!いつもの「通りすがりの仮面ライダーだ!覚えておけ!」さえもないんですよ...!これがあればちょっと許せたのになぁ←
いやぁでもそういう「様式美」って大切ですよ。何せ、そういうゴリ押しで成立しているのが「ディケイド」という作品ですから。
世界観の押し売り
そもそもディケイドって「世界観の押し付け」が非常に強い作品です。
龍騎世界の「ライダー裁判」とか、面白いのは面白いけど正直意味不明だし(笑)、ブレイド世界のランク制もしょうもなくて意味不明だし、ネガの世界の「ダークライダーが支配する世界」ってのもちょっと意味がわからない。なぜそんな世界が成立しているのか、文脈が汲み取れない。最初から「ここはこういう世界ですから理解してください」っていう押し付けが常態化している作品でした。
でもそれが一応成立していたのは、過去に一年間かけてじっくり描かれた「原作」の改変だったからです。だから、毎年ライダーを見ているコアなファンはその改変を楽しめたし、その作品を見たことがないファンはリマジ描写から「原作」が気になって見始める。
ですがそれまで「記憶喪失」という設定だけでずっと隠され続けてきた(というよりも放置され続けてきた)門矢士に関してはそういう強固な背景というかバックボーンが存在しません。いつも「大体わかった」だけで行動に移す大胆さとは裏腹に、多くのリマジ・ライダーたちを立ち直らせてきた「熱さ」はあるけれど、なんでそんないいやつなのか?はよくわからないままでした。
それが唐突に「実は大ショッカーの大首領でした」ってちょっと乱暴すぎるというかアイデアありきにも程があるんですよね。自分が大ショッカーの大首領だったことを思い出した途端人格がコロッと変わるんですけど、大ショッカーの首領である士と、毎週見ている士のキャラクターが全く繋がらないんです。
それかアレですか?世界を守るために一旦ワルモノの味方の振りして用が済んだらヒーローの振る舞いに戻る、士お得意の「茶番大戦」ですか?
例えば「大ショッカー」という組織が、戦いが大好きなバトルマニアの集まりで、いつも士を倒そうとしているけどその強さと人格を尊敬して従っている、みたいな雷禅の親友の煙鬼たちみたいな集団だったら、結構納得いくんですけど。
(唐突に「幽遊白書」の例えですみません。「ドラゴンボール」で言う、悟空を中心としたZ戦士たちをイメージしてもらってもいいです)
大勢の怪物を従えながら、ダークライダーの祖とも言えるシャドームーンを右腕にあらゆる世界で最も強いやつを探して旅している...みたいな集団だったら結構かっこいいですけどね。そのせいでライダーたちからも「破壊者」って誤解されてるけど、実は生粋のバトルマニアで友情に熱いイイやつ。でもそんなディケイドが実は気に入らないシャドームーンが裏切って、士に味方する怪人たちはシャドームーンと戦うとか。なんかちょっとゴーカイジャーみたいだな(笑)
いきなりワルのリーダーでした、なんて言われても「理解」はできないんです。ただ、「世界観の押し付け」でなんでも押し通してきたディケイドだからそれが一見通用しちゃうんですよね。「受容」はできるけど「理解」や「納得」はできないんです。はなっから「理解」や「納得」というものを放棄させることで成立しているのがディケイドという作品だからです。
とはいえ「実は大ショッカーの大首領でした」って種明かし自体は、ディケイドが「世界の破壊者」と呼ばれ忌み嫌われている事実とは見事に合致します。その意味での伏線回収には成功している...と思ったんですが肝心の大ショッカーが...。
大ショッカーの寒さ
やっぱり腹立たしいのが大ショッカーのダサさと痛さと寒さです。
まず、本作の「大ショッカー」を読み解くために必要なのが、本作「オールライダー対大ショッカー」のタイトルに込められた意味です。
「対」が「vs」でもなんでもなくそのまんま「対」なのも全部、初代ライダーの劇場版「仮面ライダー対ショッカー」へのオマージュであることは間違いありません。
だからタイトルを見た瞬間「あ、あの昭和の感じをやろうとしてるんだ」ってことは容易に想像できるんです。石切場かでっかい造成地みたいなところにワラワラと怪人がたくさん出てくるあの感じです。
じゃあ、本作が「仮面ライダー対ショッカー」のシナリオや演出をなぞっているのか?もしくはそのリスペクトに満ちている作品かというと、初代の名誉のためにも声を大にして言っておきたいのですがそんなことは全くありません。正直50年以上前の「仮面ライダー対ショッカー」の方が一本の劇場用作品としてシナリオ含め非常によくできています(本郷の変装以外)。
やっぱりなんかムカっ腹立ったのは総じて大ショッカーをギャグ寄りに描写したことです。繰り返しますが「イカでビール」は最悪です。昭和作品を見たことない人も多いと思うので一応言っておきますが、50年前の「仮面ライダー」では、覆面タイツの戦闘員もイカデビルも全部大真面目にやってますからね。あんな風にショッカーの描写をギャグで脚色したことなんかほとんどないですよ。覆面タイツの奇人が白昼堂々セダンに子どもを押し込んで誘拐するっていう妙なリアルさがちゃんと怖かったんです。
当時のスタッフがどれだけ「怖さ」と「愛嬌」のバランスに気を遣っていたかはいくつかの書籍etcからも窺い知ることができます。
だから本作の大ショッカーは、本家ショッカーのオマージュでもなければリスペクトもクソもない劣化版です。いや「改悪」です。もう一度言います。「改悪」です。
だのに、この作品はその物語の薄っぺらさを「所詮は集合モノだから」と「昭和オマージュ」を免罪符にしている節がある。そのことが何より許せない。昭和の遺産に対しても、平成ライダーの歴史にも、その全てに泥を塗りたくったのが「オールライダー対大ショッカー」という映画です。覚えておけ!
ま、とはいえ「興収」が良かったのでこの後も同じノリの映画が続くことになってしまいましたね。しかし本作公開から3年後、同じくヒーローアッセンブル映画として人類史に残る傑作が公開されます。
それが「アベンジャーズ」です。
後に続く「エンドゲーム」までの成功はご存じの通りです。クリエイターが、作品に対する愛を持っていれば各キャラクターの個性を潰すことなく大集合モノは成功させられるはずなんですよ。
...なんてこと、この国で言っても意味ないかもですね。
ぇGackt?あぁ、まぁ、もういいです。
(了)