ADAMOMANのこだわりブログ

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駄作と呼ばれた傑作「仮面ライダー剣(ブレイド)」⑤ブレイドは平成ライダーの最終回(後編)

衝撃の結末を迎え、仮面ライダー史に残る傑作との呼び声も高い「仮面ライダーブレイド」最終回。

前回は、ブレイドに至るまでの4作「クウガ」「アギト」「龍騎」「555」との比較を試みつつ、各平成ライダー作品との共通点を探った。

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それらも踏まえ今回は「ブレイド」が傑作と呼ばれる由縁を探りたい。

先に結論を簡単に述べておくと、「ブレイド」は先達ができなかった異種族との共存」という理想を実現しつつ、それが孕むリスクをも同時に描いたというところにこそ、本作が突出して優れている点があったと私は考えている。

運命と戦う

第14話

第14話

前回(前編)の記事でも述べた通り、「クウガ」から「ブレイド」までの平成ライダー全てに共通していた根幹構造は、「異種族(多様な主義・思想)間の対立」である。

その点「ブレイド」では、「人類とアンデッドの生存競争」という相克しようのない対立が描かれる一方で、剣崎(ブレイド)と始(カリス)=人間とアンデッドという異種族間での奇妙な友情が描かれた

「異種族同士の対立」構造の中にヒーロー(=主人公)が身を置くなら、やはり倫理的・道義的にも「異種族同士の融和」を目指すべきであろう

グロンギ相手にも涙を流す五代雄介然り、人間の無限の可能性を信じる津上翔一然り、最後までライダー同士の戦いをやめさせる為に奔走した城戸真司然り、オルフェノクでありながら人間として生きていくために戦った乾巧然り、である。

その例に漏れず、剣崎もまた始という災厄の象徴・ジョーカーの救済を目指して戦った。滅びの象徴・ジョーカーであったとしても、栗原親子への情愛に目覚めたように、本人が望むのなら人間として生きていくことはできるはずだ、「運命と戦うことはできるはずだ」、剣崎は強くそう信じていた。

先輩ライダーたちも足掻き続けた「融和実現に向けた闘争」を、剣崎は「運命と戦う」という言葉で繰り返し表現していた

だだ、「人間とアンデッドの融和」そのものを彼が望んでいたわけではないということは断っておきたい。

人類に牙をむくならばそれがアンデッドであろうと天王路であろうと剣崎は容赦しなかった。

あくまでも、自らの出自に捉われることなく人間性を貫こうとした始の生き方に共鳴したに過ぎない

そんな剣崎の強い意志は、目の前で両親を救えなかった、運命に抗うことができなかった少年期にあることは序盤でも明らかにされていた通りだ。

 

剣崎が示した理想と現実

第49話

第49話

最終的に、剣崎は人間を捨てて自ら54体目のアンデッド=第2のジョーカーへと変貌。ジョーカー(相川始)の勝利とみなされていたバトルファイトは「続行」判断が下され、ダークローチの大群による滅びは止められた。

そして剣崎は始に「人間の中で人間として生き続けろ」と伝えて姿を消した。

始が人間としての生き方を取り戻した代償として、剣崎は人間としての生き方を捨て、2人は二度と触れ合うことは許されない関係となってしまった。

人類や始にとってはひとまずハッピーエンド、しかし剣崎のことを思えばバッドエンドというあまりにもビターなエンディング

私が「ブレイド」こそ平成ライダーの最終回にふさわしいと考える理由がここにある。

剣崎は、過去のライダーたちが成し得なかった異種族の救済と共生を実現してみせた。しかし同時に、「理想の実現は多大なる犠牲を伴うものである」ということを身をもって示してくれた。

ヒーローや主人公は、倫理的・道義的正しさを持っているべきだが、ただ大上段から正論を振りかざしたり笑顔で理想を語るだけでは共感されないし、口先だけの綺麗事では現実は変わらない

しかし剣崎は、文化的にも生物学的にも全く異質の者同士を共生させることで発生する矛盾や軋轢や衝突の全てを1人で背負い切るという究極の判断を行い、現実を変えたのだ。

 

甘い睦月と残酷な剣崎

仮面ライダー剣(ブレイド) THE LAST CARD COMPLETE DECK

仮面ライダー剣(ブレイド) THE LAST CARD COMPLETE DECK

そう考えると剣崎は「究極のお人よし」のようにも思えるが、実は案外そうでもない。むしろ結構ダークで残酷な男だと思った方が良い

過去の記事では、本作が「人類を守るために!」なんて青臭いセリフを連発しながらもそれがライダーとしての強さやカッコよさに直結していったという「ブレイド」独特の魅力についてご紹介した。

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しかし、最終話に向けた剣崎の行動は間違いなく「人類のため」なんかではなかった完全に「始のため」である

ぶっちゃけ、人類にとっては滅びの現象さえ止まってくれさえすれば、始が封印されようが剣崎がジョーカーになろうがどっちでも良いことである。むしろ、剣崎が第二のジョーカーになるまでの間に発生したダークローチによる被害を考えれば(数値的な事実は不明だが)とっとと始を封印した方が実害は少なかったはずなのだ

しかし剣崎は、その実害を承知の上で行動している。剣崎の体がジョーカーに成り果てるまではその犠牲に目を瞑ってでも始を救うためにキングフォームで戦い続けていた。

だから最終話冒頭、剣崎はキングフォームの副作用で眠りそうになる自分を「殴ってくれ」と虎太郎に頼んでいる。そうこうしている間にも次々とダークローチによって人々が殺されているからだ。

一方、そんな残酷な決断ができなかったのが睦月だ。

睦月は最終話直前の45話において、アンデッドと人間は共存できるのではないか?と考えて独自に行動を始めている。城光(タイガーアンデッド)や嶋昇(タランチュラアンデッド)といった良心を持つアンデッドに救われた彼ならそう考えるのも無理はない。

そして、始を信じる剣崎を信頼している睦月は、ジョーカー封印に向かう橘とも対峙。睦月もまた、剣崎と同様始を守るために戦っていた。

しかし、いざダークローチによる滅びの現象が始まれば、いつ終わるともしれない戦いに追われ続ける中で「やはりジョーカーを封印するしかない」と断定。ジョーカーに単騎決戦を挑む。

この心変わりの早さがいかにも睦月らしい。剣崎のように、一般市民の犠牲を踏み台にしてでも始を救うほどの覚悟はやはり睦月には無かった。

「アンデッドとの共生など甘い」と一刀両断した始の言葉通り、睦月はまだまだ甘かった。

 

「職業ライダー」を超えた「仮面ライダー」

アートワークスモンスターズ 仮面ライダー剣 ジョーカー

アートワークスモンスターズ 仮面ライダー剣 ジョーカー

しかし、そんな睦月の言動を傍観者である我々は決して非難することなどできない。現実的に考えたとき、

「いややっぱりどう考えてもジョーカー封印するしかないでしょ?」

と考えるのが普通だからだ。

そんな睦月の行動は実は、本作が元々標榜していた「職業としての仮面ライダー」というテーマ性とは実に見事に合致している

社会的倫理観に照らしても正しく合理的な判断、それが「仕事」に従事する人間に求められる素養だ。

レスキューポリス路線説に則って言えば、人命救助が何にも増して優先されるべき任務であり、睦月は最後までその責任を果たそうとしていたと言える。

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カテゴリーAの呪縛から解放された睦月は、確かに「(本作劇中内部での意味における)本当の仮面ライダー」になったと言えよう。

しかし剣崎は「職業としての仮面ライダー」の更に上をいく「真の仮面ライダー」へとその存在を昇華させている。

上述の通り、始と人類を救った剣崎の行動は、過去の平成ライダー4人でも成し得なかった「異形の怪物との共生」を断片的に実現したものである。

しかし、それと同時に払うべき代償の全てを剣崎1人が一身に背負うこととなった。この、「犠牲は俺一人で良い」という静かな悲哀と孤独はまさしく、全ての原点・本郷猛が背負っているものとぴたり重なるのである

 

秀逸なラストカット

S.H.フィギュアーツ ブルースペイダー

S.H.フィギュアーツ ブルースペイダー

その意味で本作が実に素晴らしかったのはそのラストカットだ。

砂浜に残る一本の轍(わだち)とバイクのエンジン音、しかしそこには誰もいない…。

もちろんそれは、今もどこかで人知れず運命と戦い続ける剣崎の存在を感じさせるものではあるものの、シリーズを長く愛好する者であれば間違いなくそこに漠然と歴戦の「仮面ライダー」の背中が重なって見えるはずだ

人間ではなくなってしまった己の肉体。その苦しみや悲しみは、誰にも理解されることはないだろう。そしてバイクでただ1人、また人知れず次の戦場へ向かう。

そこには間違いなく本郷猛や一文字隼人ら、歴戦の勇士たちへの深いリスペクトとオマージュが感じられる

しかし、この映像が砂浜であるところがまた憎い。これは、本作「ブレイド」の第1話冒頭を連想させる演出にもなっているのだ。最終話のラストカットにして本作は、再び第1話へと回帰する円環構造にもなっている。

「仮面ライダー」シリーズの一作としても、「ブレイド」という単作としても、こんなに綺麗にまとまった最終回があるだろうか?

元々、平成ライダーシリーズは本作「ブレイド」にて一旦終わろうという話も出ていたらしい。その意味でも、「仮面ライダー最終回」を名乗るにふさわしいクォリティの作品だったと私は確信している。

しかし勿論、結局後にも続くこととなった「響鬼」以降のライダーシリーズの存在を否定している訳ではない。

ただ、連作に埋もれ、ネットスラングの波に呑まれてしまった「ブレイド」という作品を、もっと正当に、もっと高く評価しても良いのではないか?そう思ったまでのことだ。

(了)

 

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本編最終回の続編とも呼ばれる「たそがれ」含む後日談小説も発売されている。