ADAMOMANのこだわりブログ

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ゴジラ-1.0 vs シン・ゴジラ〜初見ネタバレあり感想と考察〜

めっちゃ良かったです。普通に今年イチかも。

がっつりネタバレ全開でいきます!

 

 

 

 

 

 

 

あと長いんでインデックスから好きなとこだけ読んでください。

 

 

初代ゴジラ路線

今回の「ゴジラ-1.0」も、「シン・ゴジラ」同様、1954年公開の初代「ゴジラ」を相当に意識した作りになっていました。実質、「山崎貴版・初代ゴジラリメイク」と捉えて良いと思います。初代ゴジラとの共通点を列挙してみましょう。

  • 登場怪獣はゴジラ1匹だけ
  • 「大戸島」や「呉爾羅」といった呼称・表記の登場
  • 核兵器や戦後日本としての描写
  • とにかく恐ろしいゴジラ
  • なぜか執拗に東京を狙うゴジラ
  • 焼け野原と化す東京
  • 通常兵器が全く役に立たない不死身のゴジラ
  • 効果的な伊福部音楽の引用

...etc、真正面から「これこそが現代版のゴジラだ!」とも言える、初代ゴジラを徹底的にリスペクトした内容になっていました。

私にはそれがたまらなく嬉しいことでした。もちろんハリウッドのいわゆる「vsゴジラ路線」というか、「人類の敵でも味方でもない守護神っぽいかっこいいゴジラ路線」も嫌いではないのですが、日本人としてはやっぱり初代ゴジラ直系の、「戦争と核の化身」としての、言わば日本人が目を背けたい黒歴史の塊が襲ってくる、みたいなリアルSFホラー(?)としての「怖いゴジラ」がたまらなく大好きですので。

それと同時に、「ゴジラ-1.0」(以下マイゴジ)自体、「シン・ゴジラ」(以下シンゴジ)の対になっているとも思える内容だったのが非常に印象的でした。

  1. 徹底的に個人のドラマを廃したシンゴジに対し、主人公のドラマを思いっ切り掘り下げたマイゴジ
  2. バリバリの優秀官僚を主役にしたシンゴジに対して臆病な元特攻兵を主役にしたマイゴジ
  3. 未曾有の怪獣災害に立ち向かう官僚たちの勇ましい姿を描き続けたシンゴジに対し、政治家や軍隊抜きの民間人だけでゴジラを打倒したマイゴジ
シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

  • 長谷川博己
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ここからはそれぞれについて感想とか考察めいたことを書いていきます。

 

掘り下げられた人間ドラマ

シンゴジでは徹底して「個」のドラマは割愛され、緊急時に即応する人々のドキュメンタリーをエンタメとして楽しむ作風が貫徹されていましたが、マイゴジではなんとも邦画らしい感じで主人公のドラマを主軸に物語が展開されました。

人間ドラマをちゃんと描くゴジラって久しぶりだったので逆に新鮮でもありましたね。

正直最初はちょっと警戒していました。ちょっと陳腐ないわゆる「邦画っぽい感じ」だったらどうしよう...みたいな。

実際、台詞回しもちょっと違和感がある場面も結構ありました。時代的にも場面的にも、もっとドライで端的な言葉遣いの方が現実味あるのになんでそんなわかりやすいウェットな言い方するのかなぁ...なんて思うシーンもいくつかありましたよね。

「僕の戦争がまだ終わってない」なんてキャラクターのコンセプトかキャッチコピーみたいな言葉を台詞として言っちゃうなんて普通あり得ませんしね。けどそこはまぁエンタメ邦画として割り切りました。ゴジラは大衆映画として作られるべきですから(そこもマニアックな作りをしていたシンゴジに対するカウンターですね)。

あと、さすが山崎監督、過去作において戦時下をたくさん描いてきたからか、小道具系はしっかりしてたのが良かったです。ここが陳腐だと全て嘘くさくなっちゃいますから。

というかそれより何より、キャスティングが個人的にはツボだったので非常に楽しめました。吉岡秀隆も大好きだし、佐々木蔵之介もあんなワイルドなおっちゃんできるんや!ってびっくりしたし、実際めちゃくちゃかっこよかった(「白い巨塔」のイメージがいまだに根強くて(古))。山田裕貴くんもゴーカイブルーのイメージ強いけど若い無鉄砲な青年を見事演じていたと思います。

あと安藤サクラはすごい。本当彼女の存在感と演技力ってちょっと群を抜いてますね。

 

敷島という男

とはいえ、やっぱり主演の神木くんとヒロインの浜辺さんも素晴らしかったです👏

おかげさまで、「ちゃんと人間ドラマを描くゴジラもいいもんじゃん」って思えました。

それはきっと、もちろん俳優陣の熱演もさることながら、主人公敷島の「終わらせられなかった戦争の幻影」としてゴジラがちゃんと位置付けられているからでしょう。だからそんなゴジラを超克することは彼個人のドラマの決着にもちゃんと結びついている。キャラクター個人のドラマとゴジラの存在が見事融合している作品って案外他にありません。あの初代ゴジラでさえ、ゴジラの存在ガン無視で男女の三角関係ぽい話が並行してましたから(笑)

シンゴジの矢口蘭堂が理想を絵に描いたような勇敢で頭の切れるかっこいい政治家だったのに対して、本作の主人公・敷島浩一は、とことんダメなヘタレ男として登場します(個人的には彼を臆病とは思えませんけど)。ゴジラを前に手の震えが止められない、銃を撃てない。典子の仇討ちを決めた後は逆にひたすら特攻して死ぬことしか考えていない。

そんな彼を見ながら、

「まさか…俺は10年後を考えている」

と、「シン・ゴジラ」で首都東京を失っても尚、ゴジラ災害の先の総裁選の野望を語る矢口を思い出していました。主人公のキャラクターを見ても非常に対照的ですよね。

ただ、本作のキャッチコピーが「生きて、抗え」ですから、敷島が絶対に死なないだろうことも容易に予見できます。全然別作品からの引用にはなりますが、

「死への覚悟と生への渇望が同時に存在する人間の心」

とはゾーフィもうまく言ったものです(笑)

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強いぞ民間人

びっくりするくらい政治家が一切出てきませんでしたね本作。

んで、その理由も割とハッキリしていて、終戦直後の日本だからこそ、自衛隊どころか警察予備隊もまだ存在してないし、頼みの綱のアメリカ様GHQ様もソ連との外交的な摩擦を理由に全然手助けしてくれない。1946〜49年あたりを舞台にしているからこそ国としてまだ完全に復興しきっていない弱い日本のままゴジラと戦わざるを得ないという展開がまた良いんですよね。

政治家は当てにならない、もしくは

「誰かが貧乏くじを引かなきゃならない」

というセリフがしっくりくる時代設定はお見事だったと思います。

だから、ゴジラと戦える航空機がたったの一機しかないというこれまででは絶対にあり得なかったシチュエーションが成立してしまえるんですよね。これは過去のゴジラ映画ではまず見られない状況です。だから、戦後は戦後でも、初代ゴジラの1954年よりも前の、1945年〜49年という非常に絶妙な時期の日本を舞台にしたこのアイデアがいかに秀逸か、見た方なら納得できると思います。

個人的には中盤の、機雷を使った木造船の戦闘シーンがかなり好きです。あの距離でゴジラとオンボロ船がいい勝負するってめちゃくちゃ面白かったですね。ありったけで勝負するしかないという本作のコンセプトがギュッと詰まった名シーンだったと思います。

あとは「東洋バルーン」、民間企業の青い作業着のサラリーマンが怪獣退治に乗り出すってのも本作ならではって感じがしていいですねー。

 

銀座崩壊

初代オマージュに満ちたゴジラ映画の中でヒロインが「銀座で働くの♪」なんて言っちゃったらそれは死亡フラグなんですよ(笑)

銀座の街を破壊し尽くすゴジラのシーンで、待ってましたとばかりに伊福部サウンドが炸裂します。これは泣きますよね。本作のゴジラ、死ぬほど怖いし容赦なさすぎて言葉失っちゃうんですけど、伊福部音楽と融合することで我々のよく知る心の中の思い出のゴジラも共振してノスタルジーと共に色んな感慨が溢れ出してくるんです。

典子が電車の手すりにつかまってSASUKE状態でめちゃくちゃヤバイのに、ゴジラのカッコ良さにも痺れてしまう。どっちも応援してしまう矛盾しまくった感情が怒涛の如く押し寄せるんですよ。これは繰り返しますがドラマパートとゴジラパートが完全に融合している本作ならではの映像体験だと思います。IMAXの大音響で観たのも良かったんでしょうね。やっぱり怪獣映画は大劇場で見るに限りますよ。

そして放たれる放射熱線。爆炎に包まれ灰塵と化す東京の街。ゴジラによって破壊し尽くされた東京を見せつけられるあの喪失感というか絶望感はシンゴジのあの夜にも匹敵する、もしくはそれをも超えるものでした。

ヒロインの死を見せるという意味でも非常に重要な場面ですよね。というかそもそもあの群衆の中から典子ひとりを見つけるなんて不可能なはずなんですが、あれがないとその後の展開も見せられないし、嫁にはしなくとも典子を誰よりも大切に想っている彼の気持ちを描写するためなら多少の強引さはまぁ良しとしましょう。

ウルトラマンレオの例のエピソードの如く死亡者リストだけで見せるというやり方もありますが😇

 

海神-ワダツミ-作戦

ワダツミ作戦参加者を募る説明会のシーンは非常に印象的でした。何人かは抜けてしまうんですが、多くの者がゴジラと戦うために残ってくれる、非常に熱いシーンです。

おそらくですが、「命を粗末にし過ぎた」と言われる先の大戦は、誰のものでもなかったのだと感じました。簡単に言えば「やらされた戦争」だったんだと思います。

でも、劇中で描かれたゴジラとの戦いは個々の意思によって各人が決断した「自分で決めた戦争」です。だからみんな良い顔してたんでしょうね(「良い顔してる」とか説明するのもくどいんだけど笑)。

やらされた戦争ゆえに勝てなかった。けど、負けたからこそ家も家族も失った。そんな彼らのリベンジマッチでもありますよね。

てか、アワアワでゴジラ沈めるってビジュアル的には初代のオキシジェン・デストロイヤーやんけってニヤケちゃいますよね。

ただ、おかげで初代ゴジラの芹沢博士も文脈によっては「特攻」と解釈することもできるんだって気付いたのは面白かったですね。もちろんもっと複雑な意味合いを含んだ「特攻」なんですけどね。

ワダツミ作戦という名前もこれまたヤシオリ作戦でゴジラを凍結させたシンゴジを彷彿とさせるものですね。

しかし本作ってワダツミ作戦の名前の通り市街地よりも海で戦うシーンが多かったですよね。撮影大変だっただろうなと思ったら予想通り大変だったことはパンフレットに書いてあるので是非(笑)

海での戦闘シーンが多いということは、非常に難しいと言われるCGを使った水の表現への挑戦を意味しますが、ここはかなりうまくいってたんじゃないでしょうか?シンゴジでも勝鬨橋が吹っ飛んで川ん中に落ちてきたりいくつかCGを使った水の表現はありましたが、本作の方がクォリティは上だったと思いますね。

ベタではありますが多数の漁船が助太刀するシーンにも燃えました。が、まさかたくさんの船で「おおきなかぶ」をやるとは思わなかったですけど(笑)

けど、みんなで力を合わせてゴジラを倒すってことをビジュアル的にわかりやすく、しかも武器を使わずに見せてくれたからオッケーです。ちょっと嘘くさいというかツッコミたくなるところでもあるんだけど、大事なことはそれをみんなで「大真面目にやること」ですから。やっぱり山崎貴監督、熱い男たち描かせたらうまいですね。

そうそう、こういう王道でいいんですよ。

 

震電特攻

最後、震電に脱出装置がついていたというのは途中、吉岡秀隆演じる野田のセリフ(作戦前夜の名演説)の中にそれを匂わせる言葉が突如出てきた時点で読めましたね。

これは、老若男女あらゆる人々が足を運ぶエンタメ映画作品ゆえの、監督のささやかな配慮だと思います。わかりやすく「匂わせ」ておいてくれてたんですけど、わかってても泣かせてくるからすごいなと。

ちなみに似たようなことをクリストファー・ノーランも「ダークナイト・ライジング」でやっていました。飛行艇ザ・バットがバットマンもろとも核爆弾と共に洋上で爆散したと思わせておいて、実際は自動操縦機能で帰ってきていたというラストシーンが描かれましたが、ザ・バットが初登場した段階で「自動操縦機能はついてない」というセリフを通してオチを「匂わせ」ていましたね。

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話をマイゴジに戻しますが、当初私はこの脱出装置は整備士の橘が敷島に「内緒で」つけたものだと思っていました。が、実際は全て本人に伝えていて、それを使うかどうかを敷島に託していたんですね。それも含めて泣けました。

橘さん、本当カッコいい…。

あ、あと勘違いじゃないと思うんですけど、アインシュタインの稲田さんが映ってたような気がするんですけど違うかな?多分そうだよね…?電報持ってきた郵便屋さん。

 

「あるエグい描写」と「ラストシーン」

それでもですね、1954年版の初代「ゴジラ」でしかやってくれなかった「あるシーン」がやっぱり私には鮮烈に残っていて、これに近いことはシンゴジでもマイゴジでも一切やってくれなかった(もしくはできなかった?)ので、やっぱり初代ゴジラってすげーなと。

それは、泣きじゃくる少女にガイガーカウンターを近づけるシーンです。こういう、核の恐怖をダイレクトに「人間に残る後遺症」として描いた作品は、ゴジラシリーズでもこれ以外ありません。

ゴジラの足元でおそらく母親や家族を踏み潰され、完全に孤児になってしまったのでしょう。そんな彼女は、命だけでもなんとか助かった...と思いきや、その体は既に放射能によって汚染されているのです。生き残ったものの希望をも打ち砕く核の恐怖。それがまざまざとダイレクトに描かれているゴジラ映画は案外後にも先にもないんです。

ただ、マイゴジにおいても、生き残っていた病室の典子の首が黒く変色していたことに関してはネット上で既に話題になっているようです。これ私は全く気づかなかったので2回目の鑑賞で再確認しようと思ってます。どうやら銀座でゴジラが大暴れした際にばら撒いたゴジラ自身の肉片と何やら関係がありそうですが嫌な展開だなぁ...(笑)

だから明子、典子に会っても抱きついたりしなかったんかな?ちょっと妙だなとは思ったんですよ。明子が全然前に出てこないので。

実際あの爆風の中を典子が生き残ってるのってやっぱりおかしいんですよね。ゴジラの肉片が憑依したことによる何らかの体質変化を起こしているのでしょうか...?

 

今回のゴジラについて

一番くじ ゴジラ-1.0 A賞 ゴジラ(2023) SOFVICS フィギュア 全1種

一番くじ ゴジラ-1.0 A賞 ゴジラ(2023) SOFVICS フィギュア 全1種

本作に登場した個体ってデザインは割と王道なんですけど結構個性的な一体でもありましたね。個人的に思ったポイントを列挙すると…

  • 下半身の太ましさはギャレゴジっぽい
  • 顔は完全にvsゴジラっぽい
  • 再生能力は地味に初映像化では?
  • 一撃必殺型の放射熱線はシンゴジラっぽくもあり、実際の所はGMK版のオマージュっぽい(監督も言ってる)
  • ラストシーンの心臓ドクドクもGMKっぽい
  • 行動原理含め生物学的な分析が縄張り意識に関する言及しかなかったので、なぜ東京に来たのかは結局よくわからんかった
  • ただ、自身を攻撃してくる対象に激しい憎悪を向ける「迎撃型」なのは確か
  • 核実験の影響でゴジラ化したことを踏まえると、核兵器やそれに近しい爆弾兵器や爆音に対する激しい憎悪を抱いている可能性(初代ゴジラも光を憎んでいた)

モンスターパニック映画なら、震電の体当たり攻撃で顔が吹き飛んで肉体も崩壊して…これで終わるのがベストなんです。

でもこれは「ゴジラ映画」だから、ゴジラは不死身であることを証明しておく必要もあるんですよね。でないと「ゴジラファン」は納得しないでしょ多分。

だから、ゴジラの心臓っぽい一部が動き出すあのラストシーン、一本の映画としてはバッドエンドかもしれないけれど、ゴジラ映画としてはハッピーエンドなんでしょうね。

とりあえずシンゴジラと違ってちゃんと人間ドラマがあって家族とかもテーマになってるし海外ウケめちゃいいんじゃないですか?これは

 

...とまぁ言いたいことはまだまだ山ほどあるんですがとりあえず今回はここまで。

今度はドルビーで観に行こっかなー。

(了)