ウルトラマンの地球での活動形態は大きく二つに分けられる。地球人と一体化
するか、人間に擬態するかの2種類だ。
しかし、ウルトラシリーズをよく見返していくと「地球人と一体化する」手法にもどうやら色々あるようだ。
ここでは特に、「帰ってきたウルトラマン」と「ウルトラマンエース」、そして「ウルトラマンタロウ」の三作(3人)を比較し、なぜウルトラ戦士は地球人と一体化したがるのか?積年の疑問に自分なりの解答を出してみたい。
なお、これまでも帰ってきたウルトラマンを中心にいくつかの考察記事を書いてきたが、
それらを読んでいただいている方はご存知の通り、当ブログでは公開されている公式情報をもとに、ときには二次創作まがいの考察に至ることもあるのでご了承いただきたい。
第一作目の「ウルトラマン」(初代ウルトラマン)がなぜハヤタ隊員と一体化したのか?それはご存知の通り、ウルトラマンが誤ってハヤタ隊員を死なせてしまったからである。彼の業務上の過失が原因だった。 ここで重要なのは、M78星雲人と地球人の融合は、地球の近くでたまたま起きたアクシデントによるものであったということ。 それに対して「帰ってきたウルトラマン」では、ウルトラマンは地球防衛の任務を帯びて自ら地球めがけて飛来、意図的に郷秀樹という人間を選択(指名)し積極的に彼と融合を果たしている。その理由として「地球上ではウルトラマンの姿を維持できない」旨が語られており、シリーズ全体でも大変珍しい「透明のまま怪獣と戦うウルトラマン」が描かれた。 ウルトラ戦士が人間と融合する理由その1、 人間と融合しなければ地球に滞在することができない ということが映像的にも明示されたのである。 おそらくこれは初代ウルトラマンは勿論、他のウルトラ戦士にも共通の特徴であると考えて良いであろう。 また、融合する変身者に「生きた人間」を選ぶのは倫理的にも憚られるためか「死者」との融合が基本。 過失による贖罪の意識からやむなく融合を選んだ初代とは違い、他者のために自らの命を投げ打つ勇敢な青年を選ぶのが「帰ってきたウルトラマン」以降の基本フォーマットとなっていく。 そんな帰ってきたウルトラマンが初代ウルトラマンと決定的に異なっていたのが、人間態での人格である。 初代ウルトラマンは、最終回でのハヤタのセリフ(竜ヶ森湖で一体化した後の記憶がない)からも察するに、ハヤタの姿のときもウルトラマンの人格のまま生活していた可能性が高い。 それに対し、帰ってきたウルトラマン以降の融合型戦士はみな変身者の人格のまま生活しており、ウルトラマンの人格は潜在意識下に眠っていたようだ。 しかし、その弊害とも言えようか、融合初期の郷秀樹は精神的にもまだ未熟で「必殺!流星キック」のように変身者の特訓が必要となる場面も生じた。 ※詳細の分析は↑の記事に詳しい。 人間の意志を残したまま地球に滞在することを選んだウルトラマンだったが、その弊害として、変身者である地球人が精神的に未熟だった場合、「ウルトラマンの全能力を引き出すことができない」、もしくは「ウルトラマンがその全能力を全開にすることを拒んでしまう」ということが発生してしまったのだ。 ※「帰ってきたウルトラマン」第2話で行われたMAT体力試験では、郷秀樹は人間のままでもウルトラマンの能力を100%発揮しており、元はウルトラマンもその持てる能力の全てを郷に託していたように思う。しかし、その後の郷の未熟な言動を見かねたウルトラマンが変身を拒絶、第2話以降、意図的に能力を封鎖したのではないかと私は考えている。 この反省を活かしてか、次いで地球防衛の任に就いたエースには全く異なる変身システムが採用された。それが、男女合体変身である。 郷秀樹のときにも危惧されたのが、ウルトラマンの超能力の濫用だ。しかし、勇敢な男性だけでなく聡明な女性変身者もセットにすることでこの危険を回避しようとしたのではないだろうか? 2人の変身者の登用によって精神的な安定性も担保することができたからか、エースは序盤からブレスレットのような外部装置なしでも多彩な光線技や切断技を駆使して強力な超獣と互角に渡り合うことができた。 北斗星司もまた、郷秀樹のような若さゆえの未熟さを抱えた青年であることは劇中での言動を見ても明らかだが、南夕子がそれをカバーしていたと考えるとこれまた劇中イメージと重なる。 そしてこの説を採れば、南夕子が去った後の北斗でも問題なく単独変身できたことにも一応の説明がつく。北斗の精神的な成長がエースにも感じられ始めた頃だったからこそ、彼の単独変身をエースも認めてくれたのかもしれない。 ウルトラマンタロウ ウルトラレプリカ ウルトラバッジ&キングブレスレット(ボーイズトイショップ限定) そのように考えると、帰ってきたウルトラマンも、エースも、そしてタロウも、みな変身のタイミングをかなり厳しく管理していたことに気付く。 帰ってきたウルトラマン=郷秀樹には変身道具が与えられなかったが、これは決して特殊なケースではなく、そもそもウルトラリングもウルトラバッジも、キラリ輝いたとき=ウルトラマンが認めたときしか使用出来なかった。 北斗にも東にも変身道具は与えられてはいたが、その使い勝手は変身道具のなかった郷秀樹と大して変わらなかった。変身者自身が人間の限界まで命を賭して戦わなければウルトラマンは力を貸してくれなかったのである。 ※但しこれらの描写は、変身者の成長・成熟に伴い段々と見られなくなっていく。 しかし、ここで大きな疑問にぶち当たる。なぜそこまでして彼らは変身者の自我・意識を残存させようとしたのだろうか? どう考えても初代ウルトラマンのようなスタイル=変身前の自我もウルトラマンが支配してしまった方が地球防衛の任務は絶対スムーズに遂行できるはずだ。 いや、もっと言えばセブンのような擬態型の方が勇敢な地球人を探す手間も省けてより効率的だったはずだ。 初代ウルトラマンだけが常時ウルトラマンの人格でいたのは、これがM78星雲人と地球人のファースト・コンタクトだったからであろう。数多の星々に住まう知的生命体を知るであろう彼が、初めて出会った地球のハヤタ青年にいきなりその全てを託すとは考えられない。 しかし、初代ウルトラマンの地球での活動とゾフィーからの報告、更にはそこで命を二つも使用するに至った経緯、そしてその後のセブンの活動とセブン上司の危惧...それら全てを踏まえ、1970年代初頭にはM78星雲人たちも地球人を信頼するに足る知的生命体だと判断したのではないだろうか。 そして「宇宙警備隊の特命」として、帰ってきたウルトラマンの地球派遣が確定した。地球人だけでは、来る異星人たちの侵攻に屈してしまうことは明らかだったからである。 その際、ウルトラの星でどんなやりとりがあったのかは定かではないが、ウルトラマンもウルトラセブンも、この状況を黙って見過ごしたとは思えない。 「地球は素晴らしい惑星だ。そこに暮らす人々もまた心の美しい素敵な人たちばかりだった。だからこそ、卑劣な侵略者や怪獣の魔の手から彼らを守りたい。しかし、本当にそれで良いのだろうか?我々が力を貸すことには大賛成だが、地球人類自身に侵略者に立ち向かう意志と勇気がなければ、ただの代理戦争になってしまうのではないか?」 ウルトラマン第37話でイデが提起し、最終話でムラマツキャップが結論づけた、「地球は私たち人類の手で守ることに意味がある」という我々人類の思いと、ウルトラマンたちの思いは同じであったと私は信じたい。 ウルトラ戦士が人間と融合する理由その2、 地球は人類自身の手で守らなければならないから ウルトラ戦士による地球防衛の任務は、代理戦争であってはならない。そんな想いから彼らは「厳選された地球人類との融合」を最優先事項に据えたのではないだろうか。 そして、人類との融合を究極の形で実現した戦士が誕生する。それが、タロウだ。 「ウルトラマンタロウ」第1話でのこと。 瀕死の東光太郎を囲むウルトラ五兄弟。そしてウルトラの母はかく語る。 「ウルトラの兄弟たちよ。ウルトラ6番目の弟、ウルトラマンタロウが今誕生する姿を見るがよい。おまえたち兄弟は皆こうして生まれたのです…見よ!ウルトラの命の誕生を!」 帰ってきたウルトラマンもエースも、それぞれが既にウルトラマンとして1万年以上生き続けているはずだが、タロウに関しては今この場で生まれたかのように描写されている。そして初変身のシーンでは赤ん坊の泣き声までが挿入されている。 つまりタロウは「生まれつきウルトラマンと人間のハーフ」としてこの世に生を受けたのだ。こんなケースはタロウ以外には見たことも聞いたこともない。 これを単なる「演出」と捉えるべきか否かは議論が分かれるところだとは思う。なぜなら、この第1話の母のセリフを事実だとするなら「タロウの年齢は1万2千歳」とか幼少期のタロウを描いた「ウルトラマン物語」とか全てウソということになってしまうからだ。 しかし、どのみちいずれも後付け設定か後日談ならこの際思い切って無視して考えてみたい。なにせ、タロウが生まれたときから「人間ウルトラマン」であると考えた方が、その戦闘力の高さが非常に説明しやすいのだ。 帰ってきたウルトラマンやエースの活躍によりなんとか地球は守られたきたが、侵略者や怪獣たちの戦闘力はどんどん上がっていく一方。更にはその手法もより過激で狡猾になっていき、ウルトラ兄弟が全員戦闘不能に陥ったり、果てはウルトラの父までが地球で死亡。より強力なウルトラ戦士の誕生が渇望されていた。 そこで「タロウ」にて行われたのが、人間にウルトラの命を移植するという方法だ。最初から地球産のウルトラマンとして誕生した戦士であれば、地球環境にも完全に適応し、地上で最大限の能力を発揮できるはずだと考えられたのかもしれない。 いずれにせよ、生まれたての我が子を地球人と融合させるウルトラの母と父の倫理観というか思考が恐ろしい。 ウルトラ戦士の多くが、不慣れな地球環境=アウェーでの戦闘を強いられたのに対し、地球生まれのタロウは最初から地球の重力レベルにも完全に適応しており、初登場時から素早い身のこなしでスワローキックを披露。 ウルトラ兄弟を次々打倒した最強怪獣タイラントに勝利できたのも、タロウにとってのホーム=地球戦に持ち込めたからだったのかもしれない。 タロウは地球上でこそ最強の戦闘力を発揮するウルトラマンなのだ。 こうして地上最強のウルトラ戦士が誕生。3年にわたった「ウルトラ兄弟の実験」は一応の決着を見た。 …かに思えたが、最終話でなんとタロウはウルトラバッジを捨て、人間として生きていくことを選び、雑踏の中に姿を消してしまった。 最強のウルトラマンを産み出すため、人間との融合度を高めていった結果、極限まで人間に近づいたウルトラマンは、ウルトラマンであることを捨ててしまったのだ。最強のウルトラマンが持てる力の全てを尽くして地球を守った結果たどり着いた結論が、「ウルトラマンの力を捨てること」であったというのは実に奥深い。 人間と融合を重ねてきたウルトラ兄弟の実験は、当初の目的であった「人間自身の手で地球を守る」というところにちゃんと帰結したのだ。 とはいえこれは、宇宙警備隊にとっては想定外の事態だったのではないだろうか?これまでのウルトラ戦士はみな、地球防衛の任務を完遂した後はウルトラの星に帰郷し、引き続き宇宙警備隊としての業務に従事している。 事実、後続の「レオ」では再びセブンが地球防衛の任務に就き、ウルトラの星ではウルトラ4兄弟(セブンを除くゾフィー〜エース)が登場。 しかし、人間としての生き方を選んで消えたタロウだけは一切登場しなかった。 地球で一年の戦闘経験を積んだ将来有望な若い戦力の損失は、宇宙警備隊にとっても非常に大きな痛手だったと思われるが、タロウ最終回で声のみ登場したウルトラの母は 「光太郎さん、ウルトラのバッジに頼らなくてもやれましたね⤴︎」 と上機嫌の様子。さすが実母、彼の成長を温かくおおらかに見守ってくれていたようだ。 ここまでを整理しよう。 ここまでの流れから、ウルトラ戦士が人間と融合する理由は以下の二つにまとめられそうだ。 「定められていた」と過去形にしているのは、後続の「レオ」以降、「擬態型」のウルトラ戦士の着任が続いたからだ(セブン、レオ、80...)。やはりタロウのエスケープは、後の宇宙警備隊の活動方針に大きな影響を与えたようだ。 (了)◆地球で◯◯できない
◆ウルトラマンの誤算
◆男女合体変身の理由
◆変身道具は本当に便利?
◆地球を守るのは誰?
◆タロウは地球産のウルトラマン
◆ウルトラの母の誤算
◆まとめ