以前から幾度か扱ってきたように、通称「第二期ウルトラ」と呼称される作品群(「帰ってきたウルトラマン」〜「ウルトラマンレオ」)の間には、マルチバースものの特徴が見られると私は考えてきました。
今回はその仮説をさらに飛躍させ、なぜ異なる世界線が交わることになったのか?を掘り下げて考察してみます。
つながる世界と生まれる矛盾
一般的に、1966年放送開始の「ウルトラマン」〜少なくとも第二期ウルトラシリーズと呼ばれる「レオ」までの作品群は、全て同じ世界線上の出来事と考えられていますよね。
ですが、野暮だからとみんなスルーしているかもしれませんけどこの設定には相当無理があります。
小学生のときからずっと疑問だったことで言うと、たとえば防衛チームってなんで毎年入れ替わるの?とか。
それだけでなくウルトラマンそのものの設定も毎度毎度よく変わります。
別記事にて詳しく扱っていますが、カラータイマーを外された新マンがぺらぺらのぺったんこになるなど、過去作との矛盾を感じさせる描写が「タロウ」には数多く存在します。
↑の記事では作風のミスマッチの結果「新マン」はぺったんこにされたと解釈しています。
他にも、「タロウ」の途中からウルトラマンの目は全員まっ黄色に変更されていますし、(これは旧作の高画質化で近年発覚したことではありますが)元々黒かったゾフィのトサカは「エース」以降全面シルバーのマスクに変更されてしまっています。
そもそも彼らの「声」も作品ごとに変わってしまいます。「エース」の時はセブンも含め全員が納谷悟朗声でテェー!って怒鳴るんですが、「タロウ」の時は全員篠田三郎声で「フワァーッ!」っと叫んで飛び去ります。
ウルトラマンだけでなく、怪獣や宇宙人もそうです。べらんめえ口調のメフィラス星人二代目が代表的ですが、ファンの間でよく語られる二代目怪獣たちのなんとも言えない味わい深い見た目や言動は、初代が持っていた雰囲気とはかなりかけ離れたものでした。
これは、設定どうこうというよりも「作風」の違いからくる問題です。
本当に初代「ウルトラマン」〜「タロウ」や「レオ」までの世界が全く同じだとすれば、「エレキングに生身でしがみつくウルトラ警備隊」や「ベムスターにトリモチ作戦を仕掛けるMAT」、「エースにカラータイマーを託してぺったんこになるウルトラの父」や、はたまた「ムルロアに敗れたタロウをジープで追い回して鍛え直すセブン」、「毎週殉職者が出る科特隊」とか…楽しいような恐ろしいようなことが起こってないとおかしいんですよね。
要は、それくらい設定も作風もバラッバラなのに後付けでこれは一つの世界ですって言われても納得できないよってことです。
ウルトラマルチバース
それらの矛盾を解消するべく、各作品の世界を閉じたものとして、つまり全てを並行世界=マルチバースとして解釈したものが下の図2です。
ちょっとややこしいんですが、例えば初代ウルトラマンだけで見ても、「ウルトラマン」に登場したウルトラマンと「帰ってきたウルトラマン」に登場したウルトラマンは別人かもしれない、ということです。
さらに「エース」〜「レオ」までも含めると、合計5人(それぞれ別人)の初代ウルトラマンが存在することになります。作品の数だけウルトラ戦士の並行同位体(ドッペルゲンガー)が存在するという解釈です。
そしてこれは更に飛躍した解釈にはなりますが、実は我々がよく知る帰ってきたウルトラマンは、実は「その世界における初代ウルトラマン」と同一人物だった(初代ウルトラマンのドッペルゲンガーだった)可能性すらあります。帰ってきたウルトラマンは、本当に「帰ってきた」ウルトラマンだったということです。
バルタン星人Jr.は本当に同一人物に対してリベンジマッチを仕掛けていたのかもしれません。
ただそうなると、後に初代ウルトラマンが登場したエピソード全て(38話と51話)に矛盾が生じます。これについては、マルチバース融合に伴う過去改変と記憶改竄、意識混濁の可能性を考えていきます。
常に意識が混濁していたTAC
それぞれの作品世界が並行に存在するマルチバースだとすれば、なぜそれらが融合し始めてしまったのでしょうか?
その原因として真っ先に考えられるのが、異次元人ヤプールの存在です。文字通り「異次元」からやってきた存在ゆえ、次元の壁を超越する能力を持つ彼らが、1972年に東京上空から地球を狙っていたことの影響は大きいと考えられます。彼らの存在が並行宇宙の壁を破壊し、あらゆる世界を融合させる契機を作ってしまった。
その結果、東京上空が宇宙全体のあらゆるマルチバースの結節点となってしまい、この宇宙に存在する数多の並行世界から様々な怪物が出入りできる次元の扉が開かれてしまったのかもしれません。
ヤプール全滅直後にヒッポリト星人がすぐ現れたのは偶然ではないと思われます。ヤプール以外にもさまざまな侵略者がひっきりなしに地球を襲来し続けていました。
特に「エース」の世界がめちゃくちゃになっていたことを象徴するのが第38話、北斗と孤児院の子供達が一緒に作品主題歌「ウルトラマンエース」を仲良く合唱するシーンです。主題歌の歌詞には「今だ変身 北斗と南」という歌詞があり、エースの正体は秘密になっているはずなのにみんな平然と歌唱しています。これも、ヤプールの侵略によってあらゆる次元世界が交錯し続けたことによる意識の混濁が原因だと思われます。
おそらく、テレビを見ている側の私たちの世界までもがマルチバースの一つとして半融合状態にあり、エース世界の人々も、「テレビの前の世界」=「私たちの世界」の意識で行動する瞬間と、「テレビの中の世界」=エース世界の意識で行動する瞬間との間には記憶のつながりがないのでしょう。
TACの面々も同様です。いつも北斗の報告を信用できない山中隊員のヒステリックな言動や、すぐに戦意喪失して南無阿弥陀仏と唱え始めるプロ意識のかけらもない今野隊員、すごい兵器を開発したのに翌週からその武器が無かったことになってる梶さんの扱いや、日々超獣と戦っているくせに超獣の目撃証言を笑い飛ばそうとするTACの異常とも言える無責任極まりない態度の数々も、異次元との接触を機に時空が歪み続けた結果、記憶や意識が飛び飛びになっていることが原因だったと考えれば辻褄が合います。
ウルトラ戦士を集めたのは誰か
しかし次元を超越する扉は、宇宙からの侵略者だけでなく、ウルトラマンをも呼び寄せたと思われます。他のウルトラ戦士が瞬時に地球に支援にやって来れるようになったのも「エース」以降のことです。
↑の記事では、ウルトラサインにはウルトラ戦士を発信者の元へ強制ワープさせる機能がある可能性について言及しています。
また、ゾフィーが「ウルトラマン」第39話から実に5年ぶりに「エース」第5話で地球に現れたのも、マルチバース融合の結果発生した奇跡と呼べる出来事です。上述の通り、本来のゾフィーは黒トサカマスクでしたから、このときに現れた「ゾフィー」は「ウルトラマン」に登場した「ゾフィ」とは別人の並行同位体だと思われます。
ただ、他のウルトラ戦士が地球に現れるようになったのは、もちろん「エース」以前の「帰ってきたウルトラマン」の頃に始まったことですから、ヤプールの地球侵攻だけがマルチバース融合の原因とは言えないでしょう。
では、誰が世界をつなげたのでしょうか?
シリーズを遡っていくと、あるエピソードに辿り着きました。それが「帰ってきたウルトラマン」の第18話「ウルトラセブン参上!」です。シリーズで初めて他のウルトラ戦士が客演したエピソードです。
「帰ってきたウルトラマン」では、第17話までは地球産の怪獣しか登場しておらず、ウルトラマンとMATは地球怪獣とだけ戦い続けていました。
ですが、この話に登場したベムスターを境に、「宇宙怪獣」がこの世界に数多く来襲することとなります。まさしく、ヤプール襲来前夜のマルチバース融合を予感させる出来事です。
しかし、ベムスターやセブンの登場が本当にマルチバースの融合を後押ししたのでしょうか?よくわからなくなってきたのでchatGPTに聞いてみました。
この後の彼の回答は非常に面白かったので、それを参考にまとめてみたいと思います。いくつかの仮説を挙げてくれていましたが、中でも私が「これだ!」と思えたのが以下です。
...セブン自身?!
ウルトラ兄弟誕生
一番納得できるなと思えたのが、「セブン自身が並行宇宙を融合させた」とする仮説です。なぜなら、セブンはベムスター戦よりもずっと前から世界の融合をすでに経験していたからです。それが「ウルトラファイト」です。
「ウルトラファイト」の世界についてはここでは詳説しませんが、エレキングやイカルスといったセブンにお馴染みのキャラクターだけではなく、バルタンやウーなど、「ウルトラマン」に登場した怪獣や宇宙人ともセブンは戦っています。これが実は、一番最初のマルチバース融合作品でした。
そんな矢先、「帰ってきたウルトラマン」の世界に宇宙 (他次元?)からベムスターが飛来、ウルトラマンは敗北してしまいます。
※ベムスターの腹部の五角形の口自体が次元の扉になっているのかもしれません。ベムスター自身もまた次元を超越できる存在と見て良いでしょう。
それを看過できなかったのがウルトラセブンです。誰よりも地球を愛した異星人は、並行世界にある地球の危機をも見過ごせなかったのでしょう。
彼がこのときウルトラマンに託したウルトラブレスレットの能力は凄まじく、まさに「帰ってきたウルトラマンの世界」を著しく「改変」させる「異物」でした。
ウルトラセブンのこの行動は、実は危険なものだったのかもしれません。ベムスターに引き続き、次々と宇宙怪獣や宇宙人が地球にやってくるようになってしまいました。そして、過熱化していく地球争奪戦はいよいよナックル星人をも呼び寄せ、ウルトラマンの敗北が決定的なものとなります。
この未曾有の危機に、セブンは更なる禁じ手を使いました。ウルトラマンの並行同位体である別次元のウルトラマンを召喚し、彼と協力して「ウルトラの星作戦」を展開したのです。
元々、この世界における帰ってきたウルトラマンは初代ウルトラマンと同一人物でしたが、セブンがマルチバースを超えて別世界のウルトラマンを召喚したことでさらに次元に歪みが発生し、歴史改変さえ起こってしまったのです。そしてこの世界の地球に住まう人々の記憶は全て改竄され、初代ウルトラマンと帰ってきたウルトラマンが別人ということになりました。
事実上、ウルトラマンが二人になった瞬間です。それは何より当人たちにとって実に不思議な体験であると同時に感動的な瞬間であったに違いありません。思わず「兄弟」と呼び、固く握手を交わしたことでしょう。ここに、「ウルトラ兄弟」が誕生したのです。「ウルトラ兄弟」とは、現在も語られている通り直接の血縁関係を示した言葉ではなく、次元を超越して関わり合うこととなった「もう一人の自分」だったのです。
しかし、繰り返しますがそのリスクは大きく、ウルトラマンが着任した東京がマルチバース融合の中心地帯となってしまい、ついには異次元人ヤプールをも招いてしまったのです。
閉じゆくマルチバース
深く深く地球を愛したセブンの心が、多次元宇宙を融合させ、そして同じく地球を愛し守る他次元のウルトラ戦士の同盟「ウルトラ兄弟」を結成させました。しかしそれは同時に、更なる危機を地球に招く行為でもあったのです。
しかし、不思議なことに「ウルトラマンレオ」の最終回でブラック指令が倒されて以降、怪獣や宇宙人の侵略行為はぴたりと止んでしまいます。これはなぜか?
それはおそらく、セブンが死んだからです。
実はマルチバース融合の結節点はウルトラセブン自身にあったのかもしれません。「レオ」の第40話で、シルバーブルーメにMAC基地ごとモロボシダンが飲み込まれてからは円盤生物以外現れなくなりました。彼の死後、マルチバースの融合は止まり、次元間の扉も消失していったものと思われます。
さらには、同作第50話に見られるような「ウルトラマンがいるから地球が狙われてしまうのではないか?」という、ウルトラマンを拒絶する意識が人々に芽生え始めたのも、混濁していた記憶や意識が回復し始め、この世界が異次元の存在を排除しながら正常な状態に戻ろうとしていたからだったのかもしれません。
まとめ
再度時系列順に整理していきましょう。
元々各ウルトラ戦士が存在する3つの世界=ウルトラマンの世界、ウルトラセブンの世界、帰ってきたウルトラマンの世界は並行状態で存立していました。
しかし、ウルトラマンの世界とウルトラセブンの世界が部分的に融合した「ウルトラファイトの世界」が小規模ながら発生し、マルチバース融合の兆しはこのときすでに現れていたようです。
そして、「帰ってきたウルトラマン」の世界にベムスターが襲来し、それを知ったセブンは禁忌とも言える「他の並行世界への干渉」に手を出してしまった。
セブンが与えたウルトラブレスレットという「他次元宇宙の異物」を多用するウルトラマン。しかし別世界の異物が存在し続けたことでこの世界の次元の壁が静かに崩壊を始めます。そしてゼラン星人を皮切りに、あらゆる世界から侵略宇宙人が顔を出し始めます。
さらには異次元人ヤプールが超獣という生物兵器を用いた地球侵攻を開始します。ヤプール壊滅後も侵略者は後を断ちません。しかしあらゆる並行世界が融合しまくることでウルトラ戦士もどんどん増加、遂にはウルトラの父なる存在までもが登場します。
超獣絶滅後も、宇宙大怪獣という新種が次々と登場し「タロウ」の世界が生まれます。
「タロウ」に登場した宇宙大怪獣とは、「時空を超えて野生化した超獣」というのが私の仮説です。度重なる次元融合の結果、さらに歴史が改変され、「エース」世界を生き残った超獣のいくつか=ヤプールの破片は日本のその場に留まるのではなく、時空を超えて太古の昔より存在していたものだったことになり、それぞれがより強化された肉体を獲得したのだと思われます。
次いで「レオ」の世界では、通り魔的な殺人行為を楽しむ愉快犯的異常者の増加だけでなく、ウルトラマンの同族が侵略者として地球を襲撃するようにもなり(マグマ星人やババルウ星人)、さらに戦いは苛烈なものになっていきます。
しかし、セブンが変身不能となり、最終的には生死不明となったことでマルチバースの融合は止まり、地球は次第に本来の姿を取り戻していきました。
上でも述べた「ウルトラマンを拒絶する意識」は、実は肯定的に捉えて良いものだというのがここでの新解釈ですが、それに対してキングがレオに語った言葉もまた美しく胸を打つものでした。
「レオよ。お前はまだ死ねない。地球の人間がたった一人でもお前を欲している間は死ねない。辛くとも、まだ戦わねばならんのだ」
これはきっと、地球を愛するが故に地球を救えば救うほど、外部世界から侵略者を招き続けてしまったセブンの心の苦しみをも代弁しているように思えます。この言葉を、キングがセブンの弟子であるレオに語るこのシーンには実に熱く込み上げてくるものがあります。
セブンが最終的に「地球人として」戦うことにこだわったのもよく理解できます。セブンは地球を守るための最上の手段として、変身することを捨てたのです。それはタロウやレオも同様でした。
「地球は地球人の手で守られなければならない」
「ウルトラマン」の最終話でも語られたテーマはここでも繰り返されています。人間界に堕ちた神は、神であることを捨てて人として人を守る。ウルトラマンはやはり、美しき堕天使の物語でした。
(了)