◆これまでのおさらい
ブレイドシリーズの記事を書くのは当ブログ開設時以来かマジで2年振りくらいになるので軽くおさらいから。未読の方は是非。
①では、本作の個性となるはずだった「職業ライダー」や「倒した敵の能力を獲得できるカードバトル」といった要素を自らことごとく潰していってしまったことやオンドゥル語について言及しダメ出ししまくった。
続く②では、元々の企画段階ではレスキューポリスにも近い路線の作品となるはずが、悪い意味での「平成ライダーっぽさ」を詰め込まれて迷走していたのではないか?という仮説を提起。
そして③では、中盤から参入し後半を立て直した會川昇氏が、死にかけていた初期設定に再び光を当てながら、当時ブレつつあった「仮面ライダー」という言葉の再定義を試みていた可能性に触れた。
そして今回は、終盤に向けて放送当時から私がずっと疑問だったことの一つ、「なぜ本作はカードバトルを否定し続けたのか?」について考えたい。
◆カードバトルの否定
仮面ライダー剣(ブレイド) ラウズカードアーカイブス BOARD COLLECTION
「剣」は、構想段階からずっと、意図してCGの多用を極力避け、なるべくバイクアクションや生身のアクションで魅せるという想いを持って制作されていた。ソースが引用できなくて申し訳ないが、「555」終了間際の時期に某特撮雑誌にその旨が掲載されていたことはよく覚えている。
しかしそれは、本作のセールスポイントの一つでもあるはずのラウズカードを使ったカードバトルの否定をも意味していた。実際、劇中で全く使用されないまま終わったカードは非常に多く、各カードの効能が気になる視聴者としては非常にヤキモキしていたのをよく覚えている。
◆カードを使いまくる奴はダサい
そんな作風の一番の被害者(?)とも言えるのがレンゲルだ。
倒したアンデッドを封印して自分の力にする=カードを集めれば集めるほど強くなれるという元々のコンセプトに正直に乗っかり、カード集めに全力を傾けた結果「戦いはカード集めじゃないんだ」とか「最低な戦い方だな」etcボロッカスにディスられまくった。
35話では、キングからもらったカリスのカードも含め合計20枚近いカードを所持しており、カリスのコンボ技「スピニングダンス」も披露。
レンゲルラウザーでは他スートのコンボ音声が出ないことにも配慮してか、自分で技名を発声。販促だけではなくスポンサーへの配慮も完璧な優等生ぶりを発揮していた。
普通に考えれば、所持しているカードの枚数からして本当に最強のライダーでもおかしくなかったのに、劇中での扱いも含め、レンゲルは最弱の地位を固めていっていってしまった。
◆カードを使わないキング戦
一方のブレイドやギャレンは、カテゴリーキングのアンデッドをカードを1枚も使わずに封印している。これは非常に驚くべきことで、放送当時、燃えながらもかなり衝撃を受けたことを覚えている。
ブレイドは、全てのカードを奪われた状態にも関わらず、「戦えない全ての人のために自分が戦う」という強い意志を込めた拳でキングの盾を圧倒、ブレイラウザーの一太刀でキングを倒した(35話)。
ギャレンは、ジョーカーを信じたい友の想いを信じてキングの前に立ち塞がり、ギャレンラウザーのゼロ距離連射でキングを戦闘不能に追い込んだ(47話)。
2人に共通しているのは、ジャックフォームでは全く歯が立たなかったのに通常フォームでは勝てたことだ。上位互換フォームで勝てなかったはずの相手を、ラウザーの攻撃機能のみで打倒しているこの展開は、設定面から考えてももはやおかしいと言わざるを得ない。
◆「本当の」仮面ライダーとは
このように「剣」という作品は、設定を無視してでも「カードによる戦力強化」を徹底的に否定した。
そして、カードバトルを否定する代わりに、ライダーの強さはあくまでも変身者の精神的要因によってこそ決まることを繰り返しアピールしていた。
※思えばラウズアブゾーバーだって剣崎が自分を突き動かすものの正体に気がつくまで渡してもらえなかった。
この「精神的要因」については、34話での相川始のセリフが実に的確にこれを表している。
「本当に強いのは、人の想いだ!」
自分のことをパワーアップのための「カード」としてしか見ていない睦月に対し、家族や仲間として、「相川始」として向き合い続けてくれる人々を思いながら始が突きつけた一言。個人的に、「剣」という作品の中で一番好きなシーン。何度見ても胸が熱くなる。
本作において、実は最も重視されていたものがこれ、「人の想い」だった。
◆キングフォームとは実は...
この「人としての想いを持って戦う者」だけが本作においては「仮面ライダー」を名乗ることが許されていた。
否、もっと正確に言えば、人の想いの強さによって、ラウズカードの魔力を跳ね除け、アンデッドを服従させることができた者だけが「仮面ライダー」になることができたのだ。
剣崎の場合が最もわかりやすい。
上述の35話では、キング封印後、
「レンゲルのように、封印したつもりで、僕に支配されないようにね」
というキングの忠告が彼の頭をよぎるが、剣崎は一度もアンデッドに操られることはなかった。むしろ、剣崎の強い「想い」がキングだけでなく全13体のアンデッドと融合。全てのアンデッドが剣崎の強い「想い」の前に屈服したのだ。
その代償として、剣崎自身がジョーカー化しかけた訳だが、38話では始の助けを借りて自我を取り戻し、己の中のジョーカーさえも抑制させることに成功。
つまり、38話以降のキングフォームは、彼の中のジョーカーも含め実に計14体のアンデッドを剣崎1人の精神力によって支配しているのである。
剣崎やっぱスゲェ...。
◆心強き女性陣
他のライダーはどうだろう。
始(カリス)の場合は、何よりもまず始自信が強く強く人間であろうとした。そして、そんな彼を信じた剣崎や栗原親子に助けられながらジョーカーの力を抑制、ワイルドカリスへと進化を果たした。
橘もまた、精神的な弱さを小夜子の死や桐生との戦いを経て克服していった。しかし不安定さが弱点でもあり、中盤以降も一時は広瀬義人に利用されてしまったが、始を信じる仲間の想いを信じることで、通常フォームのままでもカテゴリーキングを圧倒する戦闘力を見せつけた。
睦月はアンデッドに魅入られアンデッドに人生を狂わされながらも、最終的にはアンデッドによって助けられた。アンデッドでありながら温かな人の想いを持った彼らに救われ闇から這い出ることができた。
※睦月の闇堕ちが長引いた理由については後日別記事にてまとめてみたい。
「本当に強いのは人の想いだ」という始のセリフ通り、想いの強さが彼らの戦闘力を規定していた。
そしてそれは、ライダー以外の人間にも同じことが言える。
栗原天音は、ジョーカーの本能を抑えられず苦しむ始に何も事情を聞かず黙って看病を続けた。「俺に触るな!」なんて怒鳴られたら千年の恋も一瞬で冷めそうなものだが、彼女は決して彼の元を離れなかった。
事情を知らない彼女だって、始の中の「獣」の存在を認知していたに違いない。だが、理屈抜きの感情(愛情)が、始に対する恐怖を超克させたのだ。
睦月のガールフレンド・望未も同様だ。睦月が眼前でスパイダーアンデッドに変貌しても、タイガーアンデッドを目の前にしても、「怖くありません!」と恐れず立ち塞がった。
アンデッドに屈服しないしなやかで逞しい精神力の持ち主たちが、仮面ライダーたちを守り、成長させてきたのだ。
◆想いの強さ=融合係数
ドラゴンボール超 ライジングスカウター バイオレットver.
想いの強さこそがライダーの強さであるという描写は、決して設定を無視したものではない。序盤からの展開でお馴染みの言葉を使うならばそれは「融合係数」という言葉に置き換えることができよう。
実際、8話を見る限り剣崎も始もテンションが上がれば上がるほどに融合係数が跳ね上がっていったし、恐怖心にとらわれていた橘はどんどん数字が下がっていった。
終盤になるほど融合係数の計測描写はなくなってしまったが、キング戦でのブレイドやギャレンの数値はどの程度だったのか非常に気になるファンは私だけではないだろう。広瀬のデスクトップに計測機能がついていれば…なんて考えてしまう。
※きっと最終回での剣崎はスカウターよろしく計測不能になってPCから火を吹くのだろう。
◆青臭い仮面ライダー
「剣」という作品は、トランプをモチーフにしたカードバトルを特徴としながらも、ライダーがカード頼みになることを良しとしなかった。
そして、それまでの平成ライダーシリーズ(〜「555」まで)では考えられないことだが、本作には「人類を守るために」なんて、サブイセリフを堂々と口にしながらも、それがスベらないほどクソ真面目で真っ直ぐな、言わばかなり青臭いシーンがたくさん描かれた。
だがその真っ直ぐさ故に融合係数は跳ね上がり、ライダーはめちゃくちゃ強くなっていった。作品の青臭さがライダーとしてのかっこよさに直結していたのだ。結果「剣」はシンプルに王道を往く「熱いヒーロー番組」に化けていった。
②で述べたように、「実はレスキューポリスっぽいヒーローを目指していた」とするなら、その初志に回帰することはできたと私は思う。
しかし本作はあくまで「仮面ライダー」シリーズである。だからこそ、レスキューポリスっぽさという寄り道を辿ったとしても、元を辿ればその先には「本郷猛」がいる。
己の中の怪物を人の心の強さで飼い慣らし、怪物の力で人類を守る。「剣」は間違いなく、「仮面ライダー」の系譜に連なる傑作だ。
(了)