前回は正直に辛めに書きましたが、
総じてモヤモヤする理由は単に2時間尺に対してやっぱり詰め込みすぎだったんだと思います。でも、こんなにモヤモヤする要素が多かったのになんで鑑賞後はこんなに「気分スッキリ」なのでしょうか?
今回は中盤〜終盤にかけて引き続き叩くところは叩いて、褒めるところは褒めながら感想・考察まとめて語っていきます。
もちろんネタバレありです。
◆オマージュの嵐ってどうなの?
実は本作、「仮面ライダー」以外にも多くの石ノ森作品や東映生田スタジオへのリスペクトに満ちたオマージュのオンパレードとなっています。実例を挙げていきますと…
- 仮面ライダーのクラッシャー(顎)の開閉音は「快傑ズバット」のもの
- Kはロボット刑事Kがモチーフ
- Kの前身であるJもロボット刑事Kの没案がモチーフ
- イチローの名前は「キカイダー01」が元ネタ
- サソリオーグのマスクはこれまた「快傑ズバット」の地獄竜モチーフ?!w
- ハチオーグ戦の任侠映画風は東映往年の緋牡丹博徒シリーズへのオマージュ?!w
- チョウオーグはイナズマンモチーフに加えV3のダブルタイフーン等様々なイメージが踏襲されていて、これはイナズマンの初期デザインがV3に酷似していたことと連関している
と、私が知り得る限りでもこんな感じですから実際は細かいところにもっといっぱい盛られてるんだろうなと思います。
ただ、ちょっと詰め込みすぎかなぁとは思います。というのも、普通に怪人だけでも7種以上登場する上に、キカイダーやロボット刑事やイナズマンや快傑ズバットら石ノ森作品のみならず東映時代劇まで引用してこられるとちょっと胃もたれ起こしちゃうかなぁと。言いたいことはわかるんですけどね。
というか、仮面ライダーが好きで観にきた人間にとっては正直仮面ライダー以外から引用されても別になんも嬉しくないんですよ。そんなんやるくらいなら古賀刑事とか綾小路とか再生怪人とか出してこぢんまりとでも整ったストーリーやってくれた方がニヤリできて楽しいですよね。
しかも既に各所で言われているようにKが結局何なのかとか諸々消化不良なのであのデザインで登場した意味がほぼなく「ロボット刑事K」のファンからは反感買ってるはずですあれ。総じて「それでなければならない意味」が感じられないオマージュは不要というのが正直な印象でした。
「シン・ゴジラ」冒頭船舶名の「マイティジャック」とかあの程度ならストーリーにも全く影響しないし気にならないんですけどね。
※こういうこと言うと「わかってないな、あれにはこういう意味があって」みたいな劇中の描写だけでは絶対わかんないようなことを言ってくる人がいますがそれは考察ではなく屁理屈です。
もちろん本作が「仮面ライダーらしさ」の中でも原作萬画版にかなり寄せた作風だったからこそ石ノ森作品へのリスペクトを大切にしてることはわかります。でも、仮面ライダーファン=石ノ森作品のファンではないですからね。
◆ハチオーグを斬る
のっけから叩いてますがまだ続きます(笑)
ハチオーグにやたら信者が湧いてるのが気になりますが洗脳でもされたんですかね(笑)
確かにキャラモノとしては魅力的なのもわかりますが別に本作にそんなもの期待してないです。演者の芝居とビジュアルはピカイチですがドラマがすっからかん過ぎて正直興醒めです。この辺りは戦闘シーンも含め置いてけぼり感が最も強かった退屈な時間でした。
ヒロミもSHOCKERの上級構成員である以上、相応の絶望を過去に味わってるはずなんですよね。でもそこには一切触れられない。触れる気がない。
勿論勘繰ればルリ子に対する屈折した感情からなんらかの察しはつくんですがそういう「過剰に理解を求めるつくり」も好きじゃないです。
あと、なつかしのBGM「孤高の魂」の使用もちょっと意味不明でした。この曲はむしろ怪人や戦闘員たちとの乱戦シーンや決着がつかない序盤での使用イメージが強く、またあのヘンテコなCGバトルともフィットしません。
総じて切って貼った感が強くて全然ノれませんでしたね。
というかあの短時間の露出と設定描写だけでハチオーグ推しになるというのは完全にアニメキャラの持ち上げ方と同じです。
だからそういう意味では「仮面ライダーらしさ」を捨ててアニメっぽさに振り切ったからそっち好きの人からは強い支持を得られたんだと思います。だって監督はアニメ畑の天才ですから。
でも私アニメ好きではないので全く萌えませんしそもそも仮面ライダーを見に来たので退屈極まりなかったんですよねこの時間。。。
だからタキに撃たれたシーンも予想通りだし誰にも感情移入できないし何の哀愁も感じなかったのが正直なところで(笑)
◆CGとは◯◯であるべき
ついでに。本作のCGのクォリティについては否定的な意見が多いんですが、私もあまり肯定的には捉えていません。
但し、これは断っておきたいんですが、「CGがリアルじゃないから文句言ってる訳じゃない」です。
そもそもCGというのは「いかにCGに見えないか、本物と区別がつかないか」というところに価値があるのではなく、前後の映像との繋がりにおいて「いかに自然に挿入されているか」というところに価値があると思っています。
かつ、派手なシーンでは使いどころが重要で、実物の映像だけでは出せない迫力やカッコ良さを魅せるために存在しています。つまり、実物の映像をよりホンモノらしく見せるための添え物に過ぎないということです。
その意味ではCGは乱用しすぎるとダサくなります。それに、「結局ピクサーのフルCGアニメでいいじゃん」ともなってしまいます。
では本作のCGはどうだったのか?
まず、背景等の風景描写に使われたCGは素晴らしかったと思います。公開され始めたドキュメンタリー等を通じて実は冒頭の崖そのものが全てCGだったことなどが明かされ始めています。
※旧テレビ版第1話と木の枝の角度まで同じ山がこの世に二つとあるわけないですからね(笑)
そもそも背景や風景そのものが一部CGでしたというのは実はそんなに珍しいことではなくて、スーパーヒーローものから程遠いように思われる「JOKER」でも案外ゴッサムの街並みなんかはかなりの部分がCGで描かれています。
ハリウッドでは当たり前にやっていることが邦画においても見られるようになったのは単純に嬉しいですね。
また、仮面の下の異形や怪物のような手の形状も全てCGでしたが、物凄くリアルかつグロテスクで、ここは下手に特殊メイクするよりも良かったのではないでしょうか?
やっぱりCGはいかに「自然」であるか、「実写と溶け込んでいるか」が大切なんです。
◆好きなCGバトル
その点、私が気になったCG描写は以下でした。
- ライダーキック
- 大量のルリ子死亡シーン
- ハチオーグの高速移動
- トンネルのショッカーライダー戦
いかにもCGっぽさが全面に出過ぎていて不自然だったのは実写映画作品としてどうかと思いました。
コウモリオーグ戦時に現れた大量のルリ子のコピー?ですが、あれ多分アニメだったら何の違和感もないんでしょうけど、実写映像でやられると「あーCGか合成か」って嘘っぽさとか切って貼った感の方が前に出てしまってました。しかも全員溶けて消えてしまうんですが、「元々何もない場所だった」ことが見てるこっちにはバレてるので、「コウモリオーグによって全員殺された」と言われても映像的な説得力がまるでないんです。あと羽ばたくコウモリオーグはマジで見てられない映像でしたね。
例えば「シン・ゴジラ」だってゴジラは全てCGでしたが、だからこそ質感にはこだわり抜いていましたし、何よりあれはゆっくり動くだけなので粗が目立ちにくい。
ライダーキックにしてもそうですが、素早く複雑に動く人間の筋肉と連動する各関節の動き、そしてそれによって発生するスーツのシワやアーマーのズレは、現代のCG技術でも相当に難度が高く、いくらプロでも不自然さを隠しきれません。
個人的に最も残念だったのがライダーダブルキックで、2人の動きが機械のようにピッタリ同じなのに違和感を覚えました。これは50年前のトランポリンを使った映像の方が優れていたと思います。
何より、ポーズがキマりすぎてます。捨て身の必殺技だからこそかっこいいポーズなんか決めてる暇ないし、ライダーキックなんて名前ついてますけど実態はただの飛び蹴りですから、プロレスラーとかが咄嗟に放つ技のようにその時々のバランスの取り方次第で腕の位置や体の角度や足の向きもバラバラのはずなんです。
それが、性格も体格も全然違う本郷と一文字の二人が鏡合わせのように放つダブルキックはシンクロし過ぎていて嘘くさ過ぎます。ライダーキックは、不揃いだからいいんです。
でも本作は、CGによる機械的な動きをわざと全面的に出している風にも見えました。それを楽しんでもらおうとしている印象さえ受けます。
(ハチオーグの高速移動やグルグル回るショッカーサイクロンetc)
多分CGを実写の補助としてではなく、実写からあえて乖離させたアニメ描写としてやっているようですね。が、私はナチュラルな映像に期待してしまう人間なのでちょっと価値観が合わなかったかなー。
但し、工場地帯でのライダーバトルは結構好きです。
50年前は技術的な問題でカット割りによってしか見せられなかった仮面ライダーの空中戦を、ワンカットで見せ切ろうという発想と気概が面白かったです。ここも二人の動きがシンクロし過ぎている点はツッコミたくはなるんですがそれを上回る面白さとカッコ良さがありました。明るくて見やすいし(笑)
細かいですがジャンプのSEも当時のものだし、小学生時代にやり込みまくったPS版ゲームを思い出しました。ここは何をやろうとしているか非常にわかりやすかったです。
多分、クウガ5・6話のバヅー戦が本来目指してたものもこんな感じの空中戦だったんじゃないかなと思います。
(ビデオ合成でビルとビルの間を飛び回る映像は挑戦的ではあったけど当時の技術ではまだ微妙なクォリティでした。)
もしカット割りなしでその場で仮面ライダーの戦いを目撃できたとしたら…という幼少期の妄想は見事映像化されていたと思います。
◆緑川イチローと本郷猛
この2人は全てにおいて対照的で、コインのオモテとウラになるように設定・描写されています。
イチローの母親は通り魔に殺害され、本郷猛の父親は通り魔を説得しようとして殺害されています。
このことからイチローは「世の中の理不尽な暴力」に対して強烈な嫌悪感を抱くこととなりますが、本郷猛は「戦わない優しさと弱さ」を乗り越えた「戦う力」を欲するようになります。そこを緑川につけ込まれた見そめられたわけです。
あと、「完全変態」するチョウに対して「不完全変態」のバッタという対比も見逃せません。
この2人の対比構造は確かに面白くて、イチローのような0号の存在は旧テレビ版には無かったものだからこそ、本作オリジナル要素として独自展開できるものでした。
が、いかんせん尺不足の感は否めません。掘り下げようにも他に描かないといけないバトルが多過ぎたのです。
というかこれこそ本作が(おそらく覚悟の上で)犯した最大のリスクだったと思います。ドラマ描写はそこそこにして「記号的なキャラ付け」に妥協、その分「色んな怪人を出して色んなバトルを見せる」というところに特化したのでしょう。
だから、シネマティックな「濃密な人間ドラマや群像劇」を期待していた人間にとって本作は肩透かしに終わった。
こればかりは仕方ないことなのかもしれません。たくさん怪人を出してたくさんバトルを見せるという意味でのファンサービスに振り切ったのが「シン・仮面ライダー」だったのだとしたらそれは責められるべきものではないと思います。
でも、スピンオフ漫画を読んでる人間からしたらイチローの絶望というのは「突然母親を殺された」という一言では言い表せない実に深く悲しいものです。第1話を読んでいただくだけでもよくわかります。
これをスピンオフにするのではなく映画本編に組み込んで見せて欲しかったなーともちょっと思います。。。それくらい、イチローの存在は尺不足の影響を受けていたと感じます。「玉座から降ろしたのにつぇえ!」言われた直後に弱体化するし。
◆一文字隼人の過去を考える
RAH リアルアクションヒーローズ No.791 仮面ライダー第2号 (シン・仮面ライダー) 全高約300mm 塗装済み アクションフィギュア
本作における「アニメっぽい記号的なキャラ付け」というのは、定番の決め台詞の多用など含め、平成二期以降を中心とした現行シリーズに近いモノだったかもしれません。
こういう路線とは違うものを期待していたとは言え、それでもやはり個人的に一文字隼人は粋でカッコイイ男だなと思えました。
1回目の鑑賞を終えた後、本作が想像以上に原作萬画版に寄せた内容だったことから石ノ森原作を再度読み直したんですけど、そこで結構衝撃的な事実にも気がつきました。一文字隼人の過去には多分「海魔の里」というエピソードが設定的に隠されていると思います。※これから書く内容は上で私が批判した「考察の皮をかぶった作品擁護のための屁理屈」ですので悪しからず。
簡単に言えば、一文字隼人の故郷の村は既に海の底に沈んでいるということです。そしてそれを現代的に解釈するならばやはり「3・11」を思い出さざるを得ません。
本編における以下の断片的な描写からもこのことは推察できます。
- 「またひとりぼっちかよ」というセリフ
- そのシーンでの港町っぽいロケーション
- 「バイクは孤独を楽しめる」という明るくも切ないセリフ
- 洗脳解除時の号泣
一文字隼人もまた、現代人の多くが共有した悲劇を背負った青年だった、と捉えると彼の涙や笑顔に更なる深みが増す気がします。
更に庵野氏いわく本作の続編タイトルは(あるとすれば)「仮面の世界(マスカーワールド)」であることから、
やはり本作の脚本の土台は完全に原作萬画版にあり、「マスカーワールド」の直前に描かれたのが「海魔の里」ですから、今作で描ききれなかった一文字の過去も回収される可能性があります。
続編が作られたらね(笑)
◆気分スッキリ!
と、言いたいことは色々あるんですがなんだかんだ終幕に向けた回収と幕切れは非常に良かったと思いますよ!
最後の本郷猛の死は、二回目の鑑賞で気づいたんですがちゃんと伏線が張られていたようで、ルリ子が以下のような感じの忠告をしてましたね。
「何あの戦い方は?プラーナを無駄に使いすぎ!あなたの肉体はプラーナによって維持されている。プラーナがなくなったら肉体が崩壊するから気をつけて」(うろ覚え)
で、イチローを止めるため救うために自身のプラーナを酷使した本郷は死に至るわけですが、このときの私の感情は結構複雑で、悲しくも寂しくもなく、「お前こんなとこで死ぬなんて無責任だぞ!」という感覚だったんですよね。例えるならめっちゃ好きな同僚が「まぁここまで頑張ったし俺もう辞めるわ」と急に辞表出してきたときみたいな感覚?私も本郷を無理やり戦場に引きずり込む緑川イズムにすっかり染まってしまったのかもしれません(笑)
あと、チョウオーグ戦の一文字の立ち回りって見返すと色々なことに気づけて面白かったです。途中で両腕を折られてしまうんですが、あれが無かったら本郷が一人でイチローを羽交締めにして無茶をすることにならなかった=犠牲になることは無かったし、両腕が使えないからと一文字が頭突きをすることも無かった=2号マスクまで割れることも無かったんですね。
あと、必殺技が頭突きというのもどうか?と思ったんですが、ゼロ距離でマシンガン連射されても耐えるほどの強度のライダーマスクですから、「同じ強度のマスクで頭突きをすれば割れる」というのはよく考えればかなり合理的なんですよ。
そして最終必殺奥義、「VR浜辺美波」がチョウオーグに炸裂する!(違
そこからが更に凄くて、阻止したはずのイチローのハビタット計画の「プラーナの配列を変えずにそのまま保存する」という技術を応用して、死んだ本郷やルリ子のプラーナがライダーマスクの中に保存されてるというオチ。
そしてそんな本郷マスクをリペイントして新たなスーツを用意、それが「新1号スーツの再解釈」というのはマジで素晴らしかったです。加えて新サイクロンまで登場することで文字通り「立花」としての本領を発揮する竹野内豊(笑)。
更にマスクを通じて会話する萬画版の本郷と一文字まで再現する徹底ぶり。ラストの角島を渡る美しい海のロケーションと、美しいライトグリーンの新マスクの色合いも相まって本当に「気分スッキリ」でした!
でも私ひねくれ者なのでそれまでのモヤモヤがいっぱいあった分「なんか悔しいな〜」という感情は抑えられません(笑)
あとエンドロールのオリジナル楽曲3曲流すのはめちゃくちゃ良くて、物凄くホッとするし懐かしいし歌詞が一つ一つ劇中の本郷や一文字と重なってしんみりするし...なんだけど「結局本作のMVPは子門真人になってしまうやんけ」というか「結局50年前のご威光によって成立している映画やんけ」なのはコンセプト通りなんだけどなんとも言えないところかな。本作単体としての魅力はやはりシンゴジシンウルにはやや劣るところでしょうか?
◆ショッカーライダーの謎
ポスターが桜島カラーのマスクだったんですが、結局桜島カラーで登場したのはショッカーライダーだったんですよね。これが少しモヤモヤするところで、実は結構ギリギリまであのショッカーライダーマスクを本郷がかぶる展開が用意されていたんじゃないかなー?とか思っちゃいます。だってもう1枚のポスターは「このマスクの下の本郷猛」みたいな写真でしたからね。
ですがショッカーライダーのマスクの下、暗くてよく見えませんでしたけど結構グロめの骸骨?みたいな顔じゃなかったかな?
何せ、最速上映の段階で完成して数日、こないだまで再撮影しまくってたという話ですが、そもそも再撮影が必要になる理由は単純で、「ストーリーの展開や脚本に変更が発生しているから」なんですよね。
だから勝手な予想ですがK.K.オーグ戦あたりまではまぁ比較的早い段階で撮了していて、その後のショッカーライダー戦〜最終決戦とラストシーンにかけては結構撮り直しが続発していたのではないかぁ?と思います。もしかするとルリ子の死のタイミング、もしくは死そのものもどこかのタイミングで変更されたものかもしれませんし、桜島カラーのマスクが結局大してフィーチャーされなかったのも大幅な脚本変更があったからなのかもしれません。
いろんな紆余曲折の果てにあのラストシーンがあるのならまぁ満足しておこうかなというところですかね...。
でも全カットされたというショッカーライダーとの格闘戦も見たかったな〜。
(了)