とりあえず初見の感想ではかなりネガティブも書きましたが、
「シン〜」シリーズで面白いのは、旧作にあった色々設定の「シン解釈」です。
特にテレビ版「仮面ライダー」(以後「旧作」)は設定面が雑なまま進行していたことが多く、そういった色々に新たな解答を用意して整合させていくことにも期待していましたが、実際色んなシーンで「なるほど」と唸らされる描写がありましたので、その辺を今覚えている限りまとめておきたいと思います。
※ここからはもちろんネタバレ全開でいきます!未見の方はお戻りを!
- ◆プラーナの正体と枯れる木々
- ◆人間に戻る意味
- ◆マッド緑川
- ◆宗教二世問題
- ◆第1話を再現するために
- ◆SHOCKERの再解釈
- ◆ルリ子の出自
- ◆新スーツとダブルライダー
- ◆おまけ:予想どれくらい当たった?
◆プラーナの正体と枯れる木々
どうも本編の描写を見るに、プラーナというのはあらゆる生命に宿る魂か生命力のようなもののようですね。しかも、風を浴びることで仮面ライダーはこれを摂取しているわけですから、プラーナは目には見えずとも宙空を浮遊しているものなのかもしれません(もしくは強制的に吸引する機能がベルトにある?)。
また、ルリ子も言っていたように、仮面ライダーは変身することで周囲の生命を奪っているようです。そしてそのことを証明するように、サイクロン号が走り去った後の木々は枯れている可能性があります。
©︎石森プロ・東映/「シン・仮面ライダー」製作委員会
以前、サイクロン号に関する予想考察記事で予告編の映像を検証した際に、変身前と変身後で周囲の木々の色が異なっていることが実は内心気になっていました。
その時は「変身することで人間性が『死ぬ』ことへの暗示=演出」程度に捉えていましたが、この木々の色の変化が本当に起きているとすれば、劇中で説明されたプラーナの設定と見事に重なります。
是非2回目の鑑賞でバッチリ確認・検証したいポイントですね!(これで全然そんなことなかったら恥ずかしい…早く2回目観に行かねば)
◆人間に戻る意味
そんな風に、他者の命を奪うことで強くなる仮面ライダーだからこそ、彼にだけは「あらゆる生命から奪ったプラーナを地球にお返しするプラーナ強制排出機構」が与えられたのではないでしょうか?
ルリ子は「全人類が改造人間になれば結局プラーナの奪い合いになる。こんな単純なことになんで気づかなかったんでしょうね」と語っていましたが、だからこそ緑川は仮面ライダーにはプラーナ強制排出機構を付与したのだと思います。「君にプラーナの未来を託す」と言っていた意味が見えてきます。
しかし、「人間に戻るという下らない理由のためにわざわざプラーナを排出するなど...」とクモオーグに批判されていた通り、この機能は完全に仮面ライダーの弱点でもあります。本編中でも、風を受けていない状態ゆえ戦況が不利になる場面が何度もありました。
それでも、この星の命の力=プラーナを借りた後はちゃんとお返しするという機能を備えた仮面ライダーこそ、緑川が実現したかった真のプラーナの運用実現体であり、だからこそ仮面ライダーは「緑川の最高傑作」と言われているのでしょう。
そしてそれは原作萬画でも語られた「大自然の使者・仮面ライダー」のイメージともぴたり重なるのです。
◆マッド緑川
とは言え、それでも私には緑川は人格者には見えませんでした。
仮面ライダー第1話を是非もう一度見返していただきたいのですが、旧作の緑川は、ショッカーに本郷猛を指名し、彼を醜いバッタの怪人に改造してしまったことへの懺悔を繰り返しています。
「すまない、すまない…」と声にならない声で繰り返しています。
しかし本作の緑川は「君は以前から大きな力に憧れていただろ」「だから君にこの素晴らしい力を与えたんだ」みたいな感じの言葉を繰り返していて、ちょっと驚きました。本人の同意なしに彼を改造しておいて、こんな言い草は普通通用しません。
(それに対して感情的にならない本郷くんも本郷くんですが)
この辺の描写からも、本作の緑川は相当危険な人物であることが伺えます。そしてそのことは現在連載中のスピンオフ漫画「真の安らぎはこの世になく」の中でも描かれています。
旧作の緑川は、ショッカーに誘拐され強制的に協力させられていたのですが、本作では妻を失った絶望をきっかけにSHOCKERに従事するようになっており、動機も活動期間もまるきり違います。その差が、本郷猛を前にした際の態度にはっきり出ているように思えました。
◆宗教二世問題
そんな緑川の娘・ルリ子は父と共にSHOCKERを脱走し、幼き日より過ごしたSHOCKERを壊滅させるために動き出す訳ですが、この構図、「宗教二世問題」と重なります。
私はあんまりこんな風に映像作品を現実の社会問題と絡めて論じるのは好きではない(現実とは切り離して楽しみたいから)ですし、製作陣がそれを意識したともあまり思えません。が、あえてこの着眼点から本作を見返すと、ものすごくシンプルに本作のストーリーラインを押さえることができます。
あんまりこういうことは言いたかなかったけど一時話題になった宗教二世問題でもあるのよシン仮面ライダー。
— adamoman (@adamohair) 2023年3月19日
親の絶望と妄信に振り回された家族の崩壊と希望を生み出す物語。 pic.twitter.com/y3LvdstkOh
多分往年の「仮面ライダーvsショッカー」のイメージで本作を観てしまうと齟齬が発生してモヤモヤしてしまうのだと思うのですが、その枠組みも残しつつ、本郷とルリ子の仄かなラブロマンスの要素も加味して120分で映画を終わらせるためにそうなったのではないかなぁと思います。
旧作通りルリ子がSHOCKERとは無関係のただの一般人だったら、物語の本筋に絡めるのが一気に難しくなってしまいますからね。
◆第1話を再現するために
©︎石森プロ・東映/「シン・仮面ライダー」製作委員会
もしくは、旧作の第1話で蜘蛛男がルリ子を殺さずにさらおうとした展開の理由付けのためだけだったのかもしれません。
そもそも旧作の第1話終盤で蜘蛛男がルリ子を連れ回す理由は基本的にないはずで、とっとと殺してしまえばいいのに、そうはせず抱きかかえて逃げ回るのは実は変なんです。が、不思議と気にはならないのが(庵野氏の言葉を借りるなら)「段取り省略の面白さ」な訳ですが、
本作ではルリ子を生け捕りにしなければならない理由が設定的に存在しています。
結果、「ルリ子を取り戻すために戦う仮面ライダー」という構図が違和感なく成立します。やっぱりヒロインのために戦ってこそヒーローですよね。庵野監督はこれをどうしてもちゃんと再現したかったんじゃないですかね。
庵野作品は「撮りたい絵面」を優先してそれの理由付けのために設定をこじつけていくことが多いので、あながち間違っていない気がしています。
但し、その分今度は本郷猛の方が「突然指名されて改造された謎の一般人」でしかなくなってしまい、ルリ子を中心とした物語の本筋から浮いてしまいます。だからこそ彼を物語の中枢に引き寄せるため、緑川に「娘を頼む」という遺言を本郷に向けて残させたのでしょう。
旧作には存在しなかった兄・イチローの存在も、組織がルリ子を生け捕りにする理由を考える中で設定された可能性すらあります。それくらい、庵野監督は第1話の再現にこだわっていたのかもしれません。
◆SHOCKERの再解釈
初見感想でも書いた通り、SHOCKERが「悪の軍団」としての体を成していないことは非常に残念なポイントではありました。組織としてのまとまりはほぼありません。
ただ、案外旧作をちゃんと再現していたと思えるのが、各怪人(オーグ)にそれぞれのデザインのアジトが用意されていたことです。これは、特に仮面ライダー初期の作風を見事に再現していました。
とは言え、同じSHOCKERに属しているはずの各オーグでやりたいことがバラバラ、もしくはやろうとしていることがカブっています。
例えばイチローの「全生命のプラーナを奪う」(だったかな?)が実現してしまえば、ハチオーグは配下を全て失うことになります。クモオーグも「大好きな殺し」ができなくなります。
これはもはや、旧作仮面ライダーのショッカーが「毎週毎週異なる怪人で異なる悪事を働いていた組織としての一貫性の無さをなんとかして再現しようとした結果」なのかもしれません。
だからそれを指揮する首領という存在をも除外し、ただ単に観察するだけのAI(アイやケイ)を置いたのでしょう。
本作のSHOCKERは、とことん不幸な目に遭った人に資金と技術を惜しみなく注ぎ込むただのパトロンに過ぎません。「あとは好きにしたまえ」という放任主義はもはや「シン・ゴジラ」の牧吾郎博士を思い出しますね。
例えるなら、社会の底辺にまで堕ちた人間たちに一等の宝くじをプレゼントするようなものです。そしてそんな人間たちの末路をただ見守る。めっちゃ悪趣味な金持ちの道楽ですよこれは(笑)
◆ルリ子の出自
ルリ子が◯んだとき、「あぁそう解釈したのか」と思いました。
というのも、旧作ではヨーロッパに旅立った本郷猛を追ってルリ子も共に日本を去ったと言われていましたが、その後、スイスでの戦いが描かれた1号ライダーのそばに彼女はいませんでした。
完全なるフェードアウト(=降板)です。この不自然さに「死んでいた」という解答を与えちゃったのは、身も蓋もないけど非常に納得できるものだと思いました。
ただそうなると旧作のライダーガールズはユリ以外みんな死んだことになっちゃうからそれは勘弁ですが(笑)
※旧作の女性レギュラーは大半が何の説明もなく突如降板します。
ルリ子関連で言えば、ハチオーグことひろみが「ひろみ」なのは旧作でもルリ子の親友だった野原ひろみの再現だったようですね。
緑川ルリ子がよりグッと物語の中心に配されるリメイク方法ですが、ひろみも含めると案外初期Amigo(アミーゴ)メンバーってほぼ全員登場してますね。
それから、パンフレットにもありましたがルリ子って人工子宮によって生み出された(もしくは「創られた」と言ってもいい)存在だったのですね。求めるべき母親が存在しないからこそ、自身の存在証明を父親に求めたはずで、その歪みがあのキャラクターを生んでいるし、それでも温かくてカッコいい父親の背中を追い求めていたからこそその姿を本郷に見出していたのでしょう。本郷にだけはワガママが言えたのです。
そう思うとまじかわいいなルリ子…
◆新スーツとダブルライダー
しかしそんな本郷までが死ぬのは想定外でした。私の中で仮面ライダーとは「不可逆かつ不死身の戦士」なので、
結構ショックというかガッカリでした。
ただ、戦死は戦死でも、そのニュアンスは原作萬画版とは全く違います。ショッカーライダーに囲まれ変身すらままならず射殺された=敗戦した原作版とは異なり、自分のプラーナを使い切って死んだ今作の展開は実に男らしかったと思います。周りの命を奪って変身する本作の仮面ライダーの設定からグッと踏み込んで、自分のプラーナを使い切るという戦い方を見せた本郷は、実に「優しい男」でした。
更に、ここからラストに向けての展開も素晴らしかった。まさかここで新1号スーツが出てくるとは思いませんからね!
この新1号スーツには色んな旧作の不自然だったポイントへの「シン・解釈」が詰まっていると私は思いました。
- 新1号なのになんで2本ライン?
→中身は「2号ライダー」だから。もしくは、「2人の仮面ライダー」が中にいるから。
- 1号ベルトの白帯が突然赤帯に変更?
→元々2号ライダーだから。
- なぜ突然マスクの色やスーツのデザインが変わったのか?
→再改造ではなく人間の手でカスタムされたから。
- なんでポーズで変身できるようになったの?
→元々2号ライダーだから。もしかしたら本郷のファイティングポーズ=1号のポーズをも継承しているかもしれません。
- なんで新サイクロンが作れたの?
→ルリ子のアジトでタキらがサイクロンを分析しているシーンがあった。加えて政府の後ろ盾によってサイクロンをも上回る高性能マシンが与えられた。
新1号って長い仮面ライダーの歴史においても最も不自然な存在だったんですが(笑)、
本作のストーリーとも矛盾せず、かつ設定的にも破綻しない着地点を見出したのはさすがです。
そして更には原作萬画版の本郷と一文字の会話の再現。やっぱり仮面ライダーは不死身です。萬画版ではこの後機械の体(パーフェクトサイボーグ)が新たに作られダブルライダーが復活しますが、本作のタチバナならそこまでやってくれそうな気がします。
...なんて妄想も膨らむくらい、たくさんの死と絶望の果てに希望が持てる素晴らしいエンディングでした。
◆おまけ:予想どれくらい当たった?
本作の公開までにいろんなことを予想してましたが、結構当たっていたことも多くて嬉しかったです。
こちらは2年前の記事ですが以下について既に言及していました。
- ライダージャンプでビルとビルを飛び回る映像
- 赤いマフラーはヒーローの証
- 2号ライダーの登場と変身ポーズ
- サイクロン号に乗った風圧による変身
こちらは約1年前、初めて特報映像が世に出たときの記事です。以下当たってましたね。
- バイクによる変身
- 仮面の下の手術跡
- マスクを被る意味
- 手塚とおるは絶対怪人役
他にも最近書いた記事の中で触れた以下は当たっていたと思います。
- 本郷猛戦死の可能性
- ダブルライダー並び立つ
- 死んでも死なない不死身の仮面ライダー
- 人類に福音をもたらし得る仮面ライダーの変身システム
- サイクロン号は変身システムと連動、ライダーとセットで開発された
- 仮面ライダーと同じコンセプトでデザインされた怪人たちのマスク
- サイクロン号の変形シーンはナノテクレベル
- 黒いヘルメットがライダーマスクに変形する
- 2号用のシルバーマフラーのサイクロン号
- バイクを愛するものの感情
- めっちゃテンポよく物語がサクサク進むこと
- 飯食わんでも風さえ浴びれば生きていける
- 怪我をしても風を浴びれば復活できる
- イチローのモチーフにイナズマンが含まれている
- マフラーの出所は緑川博士
- イチローもまたショッカーライダーの一人であること
引き続き、2回目の鑑賞を経てまた感想をまとめようかなと思います。
(了)