観ました。ネタバレ含め感想書きます。
◆良かったところ
まずストレートな感想としてはシンプルにめっちゃおもしろかった!本当最後まで目が離せない展開の連続で、素晴らしい映画だったと思います。
まず良かったのは、映像。
クロエ・ジャオ監督の作風なんでしょうか?雄大な大自然の絶景の中にぽつんと佇むイカリスとかそういったちょっと前衛的な映像がカットの切り替わりで突然出てくる見せ方とか鮮烈に印象に残っています。
やっぱり映画は自然光で撮影するのが一番ですね。全てが美しく映えます!
ここぞという場面でIMAX画角目一杯の絶景も堪りません。作品全体を貫く神話世界を美しく彩ってくれています。
加えて、CG映像のクォリティも非常に高く、IMAXカメラで撮影された(であろう)ロケーション映像とのマッチングも素晴らしい。
それからストーリーもどんでん返しの連続、というと安っぽいかもしれませんが、静かに、しかし激しく動いていくストーリー展開からは目が離せませんでした。
特にエイジャックが死んだあたりから話が大きく動き出し、誰がいつ死んでもおかしくない緊張感を持続させ続けていた点が素晴らしかった!
加えて、やはり豪華役者陣の演技力が本当に素晴らしく、作品世界に強固な説得力を与えてくれています。
やはり印象に残ったのはイカリスかなぁ。彼の行動の動機とかってまだそんなに腑に落ちていない部分はあるんですけど、彼なりの信念に従って涙を流しながら家族を裏切る選択をする姿には胸を打たれました。
それからセナとギルガメッシュ夫妻(笑)。特にギルガメッシュは本当に愛されるキャラクターですね…。
あとはドルイグ。持ってる能力は恐ろしく強大(洗脳支配)なのにめっちゃ人間臭い。エターナルズで一番人間臭いやつだから好きかも。
あとキンゴはキャラもサイコーだが特に「霊丸」サイコー!
回想と共に各キャラクターと再会していく展開は、個人的には「PLUTO」を思い起こしましたね(結果的にみんなロボットだし)。
あとは「20世紀少年」とか?監督としては「七人の侍」とか意識してそうですが。
そのおかげもあってか登場人物多いのに結構丁寧にそれぞれのキャラを描き分けられていたと思います。
あと、最近のMCUに特有の、あえてテンポを崩すよう挿入されるギャグ演出も控えめだったのが好印象。勿論クスッと笑える描写もあるんですが、本作特有の「上品さ」を失わない程度に留めてくれたのが物凄く良かった。
◆◯◯◯じゃなければ傑作
ただ、絶賛したいからこそ気になったことは、本作がMCUの一作品であるということ。
これは全てのMCU作品に言えることですが、もう「エンドゲーム」に至るまであんなに世界観を拡張してしまった現在、「地球がもうすぐ滅びるの!」って言われても何の心配もできないんですよね。
つまり「何年かに一回のアッセンブルイベント作品でもない限り、ガチの人類滅亡危機はあり得ない」ってメタな邪推をしてしまうわけです。それこそアベンジャーズ総出動したけどダメでしたみたいな「インフィニティ・ウォー」レベルの見せ方してくれないと世界危機の緊張感は表現できないんじゃないかと。
だから地球規模の危機が迫っていることを知ったセルシが彼氏に連絡入れたり、ファストスが家族を守りたいどうこう言ったとしても、気持ちは理解できるけど体感的な共感はどうしても薄まる。
ぶっちゃけMCUじゃなかったら傑作だったんじゃないかと思ってしまいました。
そう思うもう一つの理由は、クロスオーバーに向けた伏線がノイズに感じられてしまったから。
本作においてそれは最低限に抑えられてはいるものの(クロエ・ジャオの希望ではないかとも思う)、エンドロール前後の情報量が多すぎる。
セルシらが連れ去られ、宇宙船に残っていたファストス達の元にサノスの弟を名乗る変な男(スターフォックス)が現れ、セルシの彼氏は不気味な剣が収められた箱を開ける…。
最終決戦後の海辺の映像がもの凄く美しくて素敵だったからその余韻に浸りたかったのに、続編へのフリが多すぎてうるさかった。基本的にはエンドロール後の字幕で「エターナルズは帰ってくる」、これだけでいい。
それでもやりたいなら、いっそのこと終劇後に予告編映像を一発流してくれればそれで良い。スパイダーマンNHWの後にストレンジの予告が流れてましたがあんな感じ。
◆わかりにくいところ
あと、これはMCUがどうとか抜きにして単純に登場人物多すぎて本当にわかりにい。カタカナの名前が多すぎて、途中で投げ出したくなる世界史のテスト前みたいでした。
主要キャラはなんとなく覚えてるけど彼らの上位存在(アリシェム?セレスティアル?)とか新情報が多すぎてついていくのに必死。もはやこれ予習必須でしょう。観る前にこのページ見ておけばよかった...。
いやもちろん、それぞれのキャラの描き分けや能力描写による差別化は非常に丁寧に行われていたので、明確に区別はできるんだけど、セリフでペラペラ言われてもどれが誰の名前かは瞬時に判別できないので、意味を汲み取るのに倍時間がかかっちゃうんですよね。
だからエンドクレジットでさらに新キャラ出した時は本当ブチギレそうになりましたよw
そういう状況に加えてスプライトは悪いけどどう見ても男の子やん?隅々に至るまで所々分かりにくい要素が散りばめられててちょっとストレスでした。
(勿論スプライトはあのルックスだからこそ彼女の心情に共感できるストーリーになっているんで絶対あれでいいんです。でももっと早く女の子であることを明示してほしかったな。)
あと、ストーリーの根幹に関わるセルシの能力もちょっとわかりにくかった。物質変換能力であるということはすぐにわかったんですけど、「感情のない物質であれば」という前提条件が説明されておらず(これって劇中説明ないよね?)、セルシが初めてディヴィアンツを木に変えた時に、
「そらそうした方が早いわな」
と思ったけど、「今のどうやったんだ?!」とか言われてるの見て
「え、元々できるわけじゃないの?!」
って驚いたわけです。
◆スーパーヒーロー映画ではない
個人的に「エターナルズ」って、スーパーヒーロー映画というジャンルの作品ではないなと思いました。「ファンタスティックビースト」とか「ナルニア国」とかそっち系のファンタジー作品という括りの方がしっくりくる印象です。
じゃあ何をもってスーパーヒーローの定義とするかというと、これは非常に難しいラインなのですが例えば、
子どもが劇中キャラと同じ格好のコスプレをしたり、そのキャラになりきってごっこ遊びをしたがるか
だと仮定すると、エターナルズに対してはそんなイメージは湧かないんですよね。
同じMCUでも彼らに非常に近い存在であるソーの場合を考えてみると、ソーがしっかりスーパーヒーローとして子どもたちにも認識されているのは、どこか子どもと目線が近いからだと思うんです。強いしかっこいい神様なんだけど、どこか「スキ」があって子どもっぽいところもある。エターナルズ同様何千年も生きてるのに、子どもみたいな失敗もすれば、子どもみたく泣いたり笑ったりする。
それに対してエターナルズの面々って、「近寄りがたい大人」なんですよね。何千年も生きてきたからこそ人類の文化に溶け込んで適応しちゃっている。酸いも甘いも熟知している。子どもでも「オイオイそれじゃだめだよ」って突っ込めるようなスキがあんまりない。
(繰り返しますがそういうところが好きです。)
だから余計、無理にスーパーヒーロー映画として、あるいはMCUの一作として位置付けることには違和感を覚えてしまいました。単独作としてひっそり公開される方が性に合ってそうだなと。
あと、スーパーヒーロー映画の割に辛気臭いですよねめっちゃ(いや私はむしろそこがめちゃくちゃ好きなんですよ。その辛気臭さが一部で言われていたDCEUっぽさってことなのでしょうか?)。
◆MCUだからこそ5年後には◯◯◯
とは言え、MCUじゃなかったら観てもらえない時代なのも事実だし、なんだかんだでセルシとキャプテンマーベルの共闘とか、キンゴとピーター・パーカーのやり取りとか、セナとストレンジの協力プレイとか想像するとそりゃテンションは上がりますわな。
それと、これはMCU作品特有の特徴ですが、アッセンブル作品がヒットした後に単独作が再評価されることがよくあります。
例えば「アベンジャーズ」とか「シビル・ウォー」を経た後で「キャプテンアメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」を観ると初見時よりめっちゃ面白く感じることがあるように、
多分この「エターナルズ」も、5年後とかに再評価されてると思います。「今見返すとめっちゃ面白いやんこれ!」みたいな感じで。
その意味では、MCUに属しているからこそ多分この作品は長生きできる。
でもMCUだからこそ失われた「上品さ」みたいなものもある。
その両方の側面が見えたので、ちょっと複雑な心境になりました。
でも確実に言えることが一つ。続編も是非クロエ・ジャオ監督で撮って欲しい!エターナルズは彼女の専売でずっといってほしいな。
(了)