ADAMOMANのこだわりブログ

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ジャスティスリーグ ザックスナイダーカット パート1 感想と考察と劇場版との違い〜神話再び〜

ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット (4K ULTRA HD&ブルーレイセット) (4枚組)[4K ULTRA HD + Blu-ray]

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※パートごとに分けて扱いますが、全編に渡るネタバレを含みます。

※本文中ではジョスウェドン監督に途中交代してからの2017年劇場公開版を「劇場版」、今回発表されたザックスナイダーカットを「SC」と呼称しています。

◆スーパーマンの死

ガッツリ前作「バットマンvsスーパーマン」(以下「BvS」)の続編として始まったのが嬉しい。

実はこの構造って「BvS」と全く同じで、「BvS」はその前作にあたる「マンオブスティール」のクライマックスを別視点=ブルースから見た視点で始まっている。

本作は「BvS」のクライマックスを「箱の守護者たち」から見た視点で始まるのだ。

3部作を振り返れば、スーパーマンの登場がバットマンを呼び、スーパーマンの死がサイボーグを、アトランティスを、セミッシラを、そして宇宙からの侵略者をも呼び込んでいた。

実はDCユニバースってスーパーマンを中心にこんなに綺麗にわかりやすく構成されていたんだということに気付かされる。

 

◆レックスの勝利?

そう考えると、レックスルーサーって捕まったけどスーパーマンとの勝負には勝ったのかなぁなんて思ってしまう。

逮捕されてもヒーローに勝ったヴィランと言えば「ダークナイト」のジョーカーを思い出すけど…、

そういう痛み分けというか勝敗が明確にならない苦い決着のつき方こそDCフィルムズらしさだよなぁとか思ってしまう。マーベル(MCU)では絶対に観られない展開じゃない?(※だから私MCUでは「インフィニティウォー」がダントツで好き)

MCUはMCUで勿論大好きだけど、こういうなんかしこりが残る後味の悪さみたいなものを抱えて終わる映画の方が、なんでそうなってしまったの?って気になって何度も見返してしまうんですよね。

だからこそ「劇場版」の「はいめでたしめでたし!」みたいな終わり方がマジで許せなかったんですが(笑)

 

◆断末魔は波となって…

話を戻して…スーパーマンの断末魔は波動となって地球上のある3ヶ所に届いていた。

まずはサイボーグ=ビクターの元へ。続いてメラのいるアトランティス。そしてセミッシラ。

この順番、おそらくスーパーマンから距離が近い順になっている。なぜならビクターの後に一度メトロポリスのレックスルーサーの映像が挿入されるから。

ちなみにステッペンウルフはこの逆の順番で箱を奪っていく。侵略者が段々我々に近付いてくることを感じさせるための構成なのだろうがこれも非常にわかりやすいと思う。

「わかりにくい」だのなんだのとワーナーに敬遠されてたらしい「SC」だが、今のところめっちゃわかりやすいよ。

ちなみに「劇場版」はわかりやすくしようとした結果薄っぺらくなったやつです。

 

◆ブルースは誰がために

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©︎DC. Zack Snyder's Justice League ©︎2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved

いくつもの氷山を超えて馬でブルースがやって来るという映像を大画面で堪能。ここは予告編のときから楽しみにしていたから尚更嬉しい(しかも「劇場版」にはほぼ無かったから尚更)

こういう壮大な映像をじっくり観せられてこそ、「あ、映画を見に来たな…!」という感じしませんか?ここはそういう嬉しいため息をつく時間だと思う。

作品世界的には、本来はゴッサムシティの守護者だったはずのバットマンが、地球を守るためにゴッサムを飛び出すというところに大きな意味がある。

とにかく本作のブルースは前作と比べてつきものが落ちたほぼ別人。それは前作で擬似的に母「マーサ」を救ったことで両親の死と凶弾へのトラウマを超克したから。

※前作「BvS」でブルースが克服した闇については以下に詳しい。

しかしその過程でスーパーマンを死なせてしまったことを強く後悔している。本作の彼は、実は地球のためでも両親のためでもなくスーパーマンのために奔走している

でもですね、そんなブルースの必死さが空回りするのがまたかわいいんですよね。で、早速アクアマンに軽くあしらわれる訳で…。

ちなみにこの場面、初見感想でも書いたけど、アクアマン初登場シーンでありながら「この気候で氷山を馬で超えてくるなどあり得ない」という状況描写含めてブルースもまた超人であること、何よりそれだけ彼も本気であることを同時に描いてる。だからこそブルースとアーサーが対峙する場面が「超人と超人の邂逅」として熱い意味を帯びてくる。

更に前作であれだけの威容を放っていたベンバッツでさえアーサーの前では小柄に見えてしまう彼の大柄な体格も強調され、ヒーローものにありがちな戦闘力のインフレを静かに描いてもいる。

「劇場版」と比べてセリフの量には大した差はなくとも、映像からは比べ物にならない量の情報が溢れているのだ。

 

◆当てにするなバットマン

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©︎DC. Zack Snyder's Justice League ©︎2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved

ちなみにパート1のタイトルにもなっている「諦めろ バットマン」-Don't count on it, BATMAN- というのはこの場面でのアーサーのセリフなのだが、

「俺なんか当てにするなよバットマン」

というニュアンスで捉えた方が個人的にはしっくりくる。要はこんなド田舎の街を静かに守って暮らしてるこの時のアクアマンには、ブルースの切迫度が全く伝わらなかったんですね。温度差がありすぎた。ブルースの必死さ=金ならいくらでも出すというスタンスも村の閉鎖的な雰囲気相まって相当スベっていましたし(笑)

しかしブルース、アーサーにあそこまであっさりと自分の正体をバラすのも驚き。これもブルースの必死さの表れだろうか。

 

◆牧歌的神話世界

しかしこの場面で最も印象的だったのは、アーサーを見送る村人の歌声。セーターくんかくんかしてたし。村人にとっては相当神秘的な存在なのでしょうモモアマン。


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今回満を辞して劇伴再登板となったジャンキーXLだが、こういう民謡っぽい女性コーラスに彩られたサウンドが全体的に多く、本作の神話のような壮大な世界観の屋台骨を担っている。

「SC」ってやっぱヒーロー映画って言うより神話映画なんですよね。でもワーナーとしてはヒーロー映画をやりたかった。だから嫌われたんでしょう。

ここでの村人の女性たちの歌声は「牧歌的神話っぽさ」とでも言おうか。顔色の悪いお姉さんたちが唐突に歌い出すの怖いけど(笑)、限界集落に潜むUMAみたいなオカルトっぽさがあってこういうの大好きです。神を擁する田舎町の閉鎖的な雰囲気ともぴったり。そしてその閉鎖性に甘えてアーサーも自分の出自と故郷に背を向けて閉じこもっているんだろう。

その意味でアーサーは以前のブルースにも似ているところがあるのかもしれない。

いやだってもし逆の立場で夜のゴッサムに例えばフラッシュがスカウトに来てたら?バットマンだってボッコボコにして追い返してたでしょ?とも思う(笑)

 

◆喪に服す

見ていて渋いなぁ〜!と思ったのは、ブルースの自家用ヘリもジャンボも黒塗りだったこと。これって彼のアイデンティティ=バットマンの暗示だとは思うけれど、さすがに社内にバレないか?(笑)この世界線におけるバットマンの正体情報って想像以上にガバいのかな…。20年もやってるし。

しかしアルフレッドとの皮肉を込めたかけ合いが復活したのは嬉しい。特にジェレミーアルフはとにかくブルースの行動全てを否定するよね。そしてそれは全て彼を心配するあまり溢れてしまう言葉で、要は彼「お母さん」なんですよ。それは後の展開で証明されていく訳だが…。 

そして黒いと言えばロイス。彼女の傘が黒かったり、雨が降っているのもまだ彼女が喪に服したままであることの暗示なのだろうか。

ロイス登場シーンの曲もとにかくロマンチックで良かった。この「情緒」こそ「劇場版」にはかけらも無かった要素かと。

しかし彼女が毎日訪れるのは「クラークの墓」ではなくて「スーパーマンの記念碑」であるところに深みを感じる。実際あの記念碑も国葬となったスーパーマンの棺も空っぽだったわけで、そこに「中身」を伴わせるのは彼との思い出を持つ残された人々の思い。そしてスーパーマンの真実の姿を最もよく知っているのはロイスであり、スーパーマンをヒーローとしてではなく「人間」として見つめられる唯一の者として=シンプルに彼との「思い出の場所」として彼女はここを毎日訪れているのだろう。

 

◆テロ部隊vsワンダーウーマン

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実は「BvS」まで引きこもってたダイアナがこうしてスーパーマンのように人命救助をするというのはほぼ初のこと。スーパーマンの穴(及びスカウトで忙しいバットマンの穴)は彼女が埋めてきたのかなぁなんて想像するとまた世界が広がって楽しい。

しかし気になるのは「反動主義のテロ部隊」を名乗る彼らの正体。再び世界は「暗黒の時代」に戻るなどと言っていたが、スーパーマンの死がこういう連中も呼び起こしてしまったのだろうか。後に訪れる侵略者たちの暗示か。或いはワンダーウーマンの活躍を増やすため意図的に挿入されたものなのか。

というのも、「SC」だって既に「BvS」と比べれば十分明るいエンタメ作になっていたので、ザックが主導で製作していた段階で既にワーナーからの干渉(ワンウーの活躍増やせとか)をかなり受けていたのではないかと考えられるからだ。

とは言え、ザックが意味のないシーンを撮影することはあり得ない。彼らテロ部隊ですらやはり何かの暗示なのではないか?と私は信じたい。その答えは既に劇中で示されているのか、本来作られるはずだった続編で明かされるものだったのかはわからないが...。

しかしここの戦闘シーンは短いながらも凄まじい!スローモーションの多用とキメ画はザックらしい映像ではあるけどあらゆるモノを画角の目一杯手前まで持ってくる画作りはきっと引き続き3D上映を意識していたからなのだろう。

テロ部隊を一掃した後、ダイアナが少女に声をかけるシーンも良い。

"You can be anything you want to be."

戦闘中はそれこそ「神」なのだが、いざ会話してみると「普通の人」。「神」の能力を与えられた「人間」、それがザックの描く「ヒーロー」なのかもしれない。

 

◆セミッシラの犠牲

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「ワンダーウーマン」(以下「WW」)にも登場していたアマゾン兵士はいるのか気になって「WW」も見返したが、砦の中で銃撃を受けてしまったエピオーネの存在は「WW」でも確認できた。 海に沈んだ砦と共に彼女も死んでしまったのだろう...。

しかしそもそもジャスティスリーグ「劇場版」と「WW」は同年公開のため撮影はほぼ同時進行で進められたものと思われる。セミッシラのコンセプト自体定まり切らない中で製作されたからか、監督のカラーの差異以上に衣装とか結構雰囲気が違っている。

ざっくり言えば「SC」のセミッシラは女版「スパルタ」である。

もう頭にトサカみたいなのついちゃってるので余計にそう感じるが、とにかくザックが描いたセミッシラはものすごく強い。門番のハンマー係の腹筋とか本当に凄まじい。

「女だけの島」と聞いて一瞬でも鼻の下を伸ばそうとした男の鼻骨をへし折る強烈なインパクトだと思う。

「劇場版」は、箱をステッペンウルフから遠ざけるための行動ばかりに焦点が当てられた編集となったためどうしても彼女らが逃げ腰というか消極的な印象を強めてしまっていたが、「SC」ではこんなに勇敢に彼女たちが犠牲を払いながら戦い抜いていたのか...と心底驚いた。 

しかしセミッシラでもかなり有能な兵士が多く命を落としたはずだ。だからこそステッペンウルフのダイアナへの挑発が効いてくるし、その意味でも最後、ダイアナがステッペンウルフにトドメを刺したこともセミッシラが払った大きな犠牲へと帰結する。

 

◆「劇場版」との違い

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ここに来て「劇場版」との違いなんて挙げればきりないから今更あんまり語る気もないけど、パート1の段階では以下の3つに集約されそう。

  1. ブルースがヒーローを集めるのと同時にマザーボックスの情報も集めている
  2. ルイスが割と元気
  3. セミッシラの奮戦ぶりがうっすい

②と③については上述の通りだが、①についてちょっとびっくりだったことがある。それは、ブルースとアーサーの海辺での会話の場面。

「SC」ではこの時点で彼らはマザーボックスの話はしていないのだが、「劇場版」ではその話を入れるためにザックが撮影した映像を背景に、新撮映像が合成されていた。素人目に見ても浮いている。

しかしマザーボックスの扱いについては冒頭で述べた通り「SC」の方が物理的距離感も含めて非常にわかりやすかった。それは、箱そのものではなく、箱に関わる者たちにドラマを持たせたからだと思う。ハッキリ言ってあの箱なんなのか「SC」見てもよくわからんからね。

あとは今後も折に触れて言うと思うが、「劇場版」に決定的に欠けていたのは「間」である。2時間に縮めるためか、とにかく息継ぎがない。セリフとセリフの合間の間の演技も、余韻も何もない。これが多分私の感性と合わなかった部分なのだろう。

 

パート1だけでこんなに書くつもりなかったのだが色々湧いてきてしまった。

引き続きパート2についても近日中に公開したい。

www.adamokodawari.com

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