第1話 桜花抄
※ネタバレ含みます。
◆私と「秒速」
私がこの作品に出会ったのはもう10年以上も前の話だが、学生時代友人と一緒に見たり、当時付き合っていた彼女と一緒に見たりした時に面白い現象が起こったのをよく覚えている。感想が、男女で真っ二つに割れたのだ。
男はみな、私も含めて本作を一様に賛美し、女は何とも言えない表情で首をかしげる。
まぁ要は女からすると、本作は男の自己憐憫とナルシシズムに満ちた幼稚な中2病物語らしい。
だが上等。創作物とはそういうものだ。そういう白昼夢に沈む時間こそが、映画鑑賞の愉しさだと思う。
ただ、一方的に賞賛するだけではなく冷静に俯瞰して、こういうところがキモいんでしょ?っていう理解も年齢的にできるようにはなったので、そこも含めて感想とちょっと考察を書いてみようかなと。
今回はまず、第1話 「桜花抄」から。
◆中学受験
まずやられたと思ったのは、大好きな女の子と中学受験を一緒に乗り越えたのに一緒に進学できなかったという設定だ。というのも、実は私もよく似た経験をしている。
同じ志望校を目指しながら、色々あって一緒に進学できなかった人が、私にもいた。
これは経験しないとわからないことかもしれないが、中学受験は結構大変で、その分同じ塾の仲間や、同じ志望校を目指した友達なんてのはかなり特別な存在になる。
あと、小6の卒業直前というのが絶妙で、子供なのか大人なのか実に曖昧な年代だ。精神的成長が早いと、体は子供なのに考え方だけ妙に達観していたりする。
小6だから、幼稚に感情を爆発させない振る舞い方だけは身につけている。とは言え小6だから、気持ちのコントロールは追いついてない。想いだけが募って募って仕方がない。でも子供だから、結局状況を自分では打破できない。そのもどかしさは計り知れない。
◆再会
だが、そういうやるせないお別れというのは、本来は新たな出会いに上書きされて押し流されていくものだ。
私もそうだったが、結局中学校での新生活から受ける刺激は凄まじいもので、小学校時代の友人なんてすぐに「過去の人」になるもの。それを「冷たい」と思うかどうかは別にして、「適応する」というのはそういう冷たさと同居していくことでもある。
…しかし、本作の貴樹と明里には、まだその冷たさは身についていなかったらしい。明里から手紙が届き、再び2人の関係は再開する。しかも貴樹は鹿児島への引っ越しが決まり、今会わなければ二度と会えないかもしれないという切迫した状況が、再び彼らを引き合わせることとなる。
◆悪意を持った「時間」
しかし、2人が再会する約束の日は生憎の大雪となった。新海誠作品は何かと自然災害が2人を引き裂く展開が多いものの、実質的に2人を隔てているものは、実は大雪ではなく「時間」である。これは、その後の2人の関係性を暗示してもいる。
実際、電車の中のあるカットで、貴樹の顔がほぼ社会人になったときと同じ顔になっている。あの電車の中で、貴樹は間違いなく一瞬、老けているのだ(そういう演出かは知らん)。
自販機の前で貴樹が書いた手紙を失くしたシーンは、貴樹じゃなくても泣いちゃうくらい辛いシーンだ。明里からの手紙の文面を全て覚えた上で書いた手紙、おそらく何時間もかけて、何回も何回も手直しをして書きあげたに違いない。
ただでさえ遅れている電車はそれから2時間も何もない荒野に停車。貴樹と一緒に我々も心が押しつぶされそうだった。寒さ、不安、後悔...13歳の心には重すぎる葛藤だろうなと思う。
でもそれも、13歳という設定と、まだスマホが普及していない当時だからこそ成り立つことだったのかもしれない。
携帯電話がない頃はこうやって待ち合わせしてたんだぞ。遅れたら、こんなに自分も相手もハラハラしたんだぞ。
◆ツッコミどころ
そんな本作にもツッコミどころがある(らしい)。
- 明里の手紙全部覚えるのキモイ
- 途中下車か乗り換えの時に公衆電話から一本電話かけろ
- 13歳の男女が雪積もる荒野でお泊まりって親は?!
- しかも古小屋に宿泊て凍死するやろて
...せやな。
◆高度なアニメは特撮だ
劇場アニメーション 秒速5センチメートル Soundtracks
確かに本作にはそんなツッコミどころはいっぱいあると思う。けれど、そんなこと忘れてしまうほど、(というか忘れさせるような)作品世界に没入させる仕掛けがたくさん仕込まれている。
その最大の立役者が、新海誠お得意の美しすぎる作画だ。徹底した現地取材に裏打ちされた都市風景の作画は、写実的であることを超越した光の表現が本物を超えてより生々しい。
放課後の蛇口にたまる雫。ノートの切れ端や付箋のメモ。洗濯機の操作パネルに滲む生活感。見覚えのある駅の案内板。手動で開閉する冬場の電車の扉。
自分もそこにいるかのような錯覚を起こさせるほど完成度の高い映像の連続に、いつしかフィクションに対する違和感が消失する。
高度に仕組まれたアニメ作品は、虚構と現実の境目を曖昧にするという意味では特撮にも等しい。
◆手紙と伏線
風に飛ばされた貴樹の手紙と、最後渡されなかった明里の手紙については、実は小説版に全て記載されている。
詳しくはそちらを読んで欲しいのだが、ざっくりしたことを言ってしまうと、貴樹の手紙には「好きでした。でもお別れです。」という内容が、
そして明里の手紙には「好きでした。これからもずっと好きです。」という内容が書かれていた。
同じ内容の手紙でありながら、真逆のことが書かれていたのだ。
で、私は2人の関係が最後あーなったのは、「好き」ってことをはっきり言ってこなかったことに原因があるんじゃないかと思っている。いやもっとハッキリ言えば、このときに手紙を渡さずキスでお別れしてしまったことがマズかったんだと思う。
あの夜のキスを経て、貴樹の気持ちは本人が言う通りまるっきり変わってしまった。手紙では一生のお別れを覚悟していたのに、
「彼女を守れるだけの力が欲しいと、強く思った。」
と、自分と彼女を隔てる「何か」をぶち壊したいと思うようになる。つまり、彼女と一生一緒になろうと覚悟を決めてしまった。そしてそれは、明里の方も同じはずだと、たった一回のキスで信じてしまった。
一方の明里は、自分の気持ちはキスで伝わったはずだと、手紙を引っ込めてしまった。でもそれは結局気持ちを伝えなかったことと同義であり、気持ちが離れるスキを自らに与えてしまうこととなった。
たった一回のキスが、男には一生モノの恋の呪いをかけ、女からは告白の機会を奪った。結局この日のキスが2人をばらばらにした。
…てな感じで男の未練を美談にするから女からはキモがられるんでしょう。
いや、それでも、まだまだ子どもなのに、いや子どもだから、今ある美しいものが絶対永遠に続くって思っちゃう青臭さみたいなものに、私弱いんですよね。
というところで次回は第2話。貴樹がもっとキモくなると噂の「コスモナウト」でお会いしましょう。