アダモマンのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

「シン・仮面ライダー」を探す旅 ④新しい古典特撮、仮面ライダークウガ

ここまでで、仮面ライダーシリーズが内包している「真(原点)」と「神(超越存在)」を明らかにしてきた。

「真」には「怪奇性」、「悲劇性」、「(時代劇)アクション性」の3つが、

「神」には環境破壊を繰り返す人類を超越し導く「大自然の使者」という使命が、それぞれ見出されてきた。

今回は残る3つ目の「新」にメスを入れたい。時系列順に追うとすれば、次は勿論、彼-クウガ-だ。

仮面ライダークウガ Blu‐ray BOX 1 [Blu-ray]

仮面ライダークウガ Blu‐ray BOX 1 [Blu-ray]

◆「未確認生命体」〜怪獣映画への回帰〜

仮面ライダークウガにおける怪人集団グロンギの特異性と魅力については、以前も別の記事にて「時代特性」という側面から扱ったことがある。

今回は少し切り口を変えて、「グロンギ」というより「未確認生命体」という切り口から振り返ってみたい。

 

グロンギは、劇中においてはもっぱら「未確認生命体」として扱われることの方が圧倒的に多かった。

当初は正式にマスコミ発表もされず、後に第3号と呼称されることとなるゴオマが活動を開始した際には、一時的に「熊が出た」と偽って報道され、メビオ(第5号)登場のタイミングでようやく正式に「未確認生命体」として世界中に報道された。

このように「クウガ」では、マスコミや社会の反応が繰り返し丁寧に描写されている。

・ヒロインがいつも聴いているラジオは決まって「番組の途中ですが、ここで未確認生命体関連のニュースです…」と中断され、

・小学校の終業式の日には「未確認生命体が出るから東京の方には行かないように」と学校から注意があったり、

・それまではクウガ(第4号)の活躍を歓迎していたマスコミも、赤の金の力による大爆発の際には掌返しで警察とクウガを批判。

・世間の人々の呼び方も徐々に、「ミカクニン」と省略(最近みんな「コロナ、コロナ」と言うように)。

このように「クウガ」では、グロンギの存在そのものを直接説明的に扱うのではなく、社会の反応を使って間接的に描写してきたのだ。だからこそ、現実と非現実の境目が曖昧になった「アンバランスゾーン」に視聴者を誘い込むことができる。

そしてこれは、仮面ライダー史上ほとんど初めて見られた手法であり、実はなんなら怪獣映画の手法により近い

本シリーズ①にて「怪獣から派生した怪人モノ」という言い方をしたが、クウガではそれを2000年の新シリーズでやってみせた。 

1971年に生まれた「怪人モノ」の在り方を、再び怪獣からの系譜に沿って2000年に再構築したのである(怪獣大好き高寺Pの才覚が存分に発揮された結果だとも言える)。これは実に新しく、かつ見事な原点回帰でもあった。

私が追い求めている「シン・◯◯」の「新」とは、まさにこのことである。

一見、新しいようでいて、実はシリーズの根幹に脈打つ王道の系譜と何らズレていない。新機軸だけが浮いてしまうのではなく、全て「仮面ライダー」という屋号に包摂される。その塩梅が、「クウガ」は抜群にうまかった。

 

◆新たな「怪奇性」の形〜物語の縦糸となる謎と伏線〜

本シリーズ③「仮面ライダーBLACK」の頁で扱ったように、「怪人が毎週現れてはライダーが1体ずつ倒す」というおなじみのフォーマットの焼き直しでは、シリーズの息が続かないことは、過去作を見ても明らかだった。

だからこそこれまでのシリーズでは、同一フォーマットのシナリオが連続してもそれを「様式美」に昇華できる「時代劇性」との親和性が高かったのである。そこからの脱却を図った「BLACK」でもマンネリ化は避けられず、続編の「RX」ではメタルヒーローの要素(という新しい様式美)を融合させてエンタメ性を強化することで何とかそこを切り抜けることができた。それだけ、テレビというメディアで「1年間日本を守り続ける」のは至難の業なのだ。

では、この最大の壁を「クウガ」はどう乗り切ったのか。

「クウガ」では、「そもそも毎週1体ずつしか怪人が現れないのはなぜか?」と、シナリオの構成そのものを一から見直した。前提となっていた基本フォーマットすらも白紙に戻してしまったのだ。

そして、一度に1人の怪人しか行動しないお馴染みのシナリオに見事な理由付け(ゲゲルという設定)をした上で、それを説明せずに隠してしまったのだ

結果、子供番組としては異例の「2話完結」方式を導入し、隠した設定の数々を伏線と共に「謎」として半年以上引っ張った

それまでの子供番組の既定路線からすれば、「子供には難解すぎる」と敬遠されてきた、言わば禁じ手である。

しかしそれを可能としたのが「ヒーロー番組を親子二世代で楽しむ時代性」である。 

 ※そこに関しては↑の「親子で楽しむ新しいウルトラマン」に詳しい。

それに加え、「エヴァブーム」によって「セカイ系」とも呼ばれる難解で哲学的な作品をこそ、好き好んで考察しながらファンの手で解き明かし、作品の解釈を討論し合う新たな視聴方法も、コアなオタクの中では成立しつつあった。そんな時流も「クウガ」のハードな作劇を後押ししていたと言えるだろう。

使徒、襲来

使徒、襲来

  • 発売日: 2016/04/29
  • メディア: Prime Video
 

作品世界を、あえて社会的な視点から俯瞰させることにより、仮面ライダーや怪人たちの存在がより「不気味で意味不明なモノ」となる。その怪獣映画的手法によって生まれる「謎」をストーリーの縦糸にする。これにより、毎週毎話ぶつ切りになっていた作品をより強く1本の軸で束ねられるようになった。

やっていること自体はお馴染み「毎度1体ずつ怪人が出てきてライダーが倒す」なのだが、全く同じことを繰り返している感覚がない。

そしてこの、謎が謎を呼ぶ展開こそが、初代が持っていた「怪奇性」の再構築でもあったのだ。

勿論直接的なホラー描写、グロテスク描写も「クウガ」の持ち味だが、人間にとって「わからないモノ」ほど怖いものはない。まさに「未確認」だからこそ、怖かったのである。

 

◆五代雄介の悲劇は、ウルトラマンの運命(さだめ)

Blu-ray BOX2に同梱の映像特典「検証〜ドキュメントオブクウガ〜」の中で、高寺プロデューサーは五代雄介のキャラクターについてこう語っている。

「暗いのは、もう古いよね、と」

仮面ライダークウガ Blu‐ray BOX 2 [Blu-ray]

仮面ライダークウガ Blu‐ray BOX 2 [Blu-ray]

  • 発売日: 2016/03/09
  • メディア: Blu-ray
 

五代雄介という、いつも自然体で飄々としていて、でも笑顔が似合う男というのは、確かに新しかった。前述の「2話完結」というスタイルも、そもそもは決して物語の縦糸の謎を引っ張るためではない。五代雄介を中心に、そこに生きる人間が悲劇を乗り越えて再び笑顔になる姿をじっくり描くためだった

だからこそ、クウガの存在もグロンギの謎も「俯瞰」で良かった。「クウガ」という作品が本当に「主観」で描きたいのは、未確認によって悲劇に見舞われた人々が、どうやって再び笑顔になるかという人間ドラマ」だったからだ。

つまり、仮面ライダーの中にある「悲劇性」をも超克した姿を見せることが、「クウガ」が選んだ新たなヒーロー像だったのだ。その一つの象徴が雄介の「笑顔」だった。

しかし、ダグバとの最終決戦で、五代は涙を見せた。それまでほとんど個人の苦悩や悲しみを見せてこなかった雄介が、顔をくしゃくしゃにして涙を流しながら拳を赤く染めるのだ。それはなぜか?

EPISODE 48 空我

EPISODE 48 空我

ここに、クウガがぶつかった限界点がある。本当に描きたいのは確かに人々の「笑顔」なのだけれど、そのためには対極にある「暴力」の否定も同時に描かなければならなかったのだ。

この自己矛盾によって自滅していくヒーロー番組がもう一つ、過去にもあったのをご存知だろうか?

 

それが「ウルトラマン」である。

DVD ウルトラマン VOL.10

DVD ウルトラマン VOL.10

  • 発売日: 2000/06/25
  • メディア: DVD
 

大雑把に言えば、「怪獣退治の専門家」は「怪獣かわいそう」と嘆く子どもたちの声に負けた。ウルトラマンは、ウルトラマンらしく戦えば戦うほどに、罪を重ねていった。

五代雄介も同じだった。言葉や仕草でみんなを笑顔にして、みんなにも暴力の否定を語る裏側で、自分自身はいつも拳を振るわなければならなかった。そんな五代は、本当は嘘つきだったのだ。だからグロンギを葬る度に、彼もまた罪を重ねていった。

誠実に、真剣に作品と子どもたちに向き合ったからこそ、五代雄介の贖罪としての「クウガの死」は早くから企図されていたらしい。

仮面ライダークウガ超全集 <最終巻>

仮面ライダークウガ超全集 <最終巻>

 

ウルトラマンも同様、怪獣と戦うしかない立場にありながら、いつしか怪獣と戦う姿を作劇自らが批判し始め、遂にはゼットンによって殺されてしまう。

クウガもそうだった。ヒーローモノでありながらヒーローの暴力を否定した「クウガの歪み」は全て、五代雄介という男に集中してしまった

ウルトラマンと決定的に違っていたのは、その悲劇が五代雄介という等身大の人間の姿を通して描かれたことだ。鉄仮面のようなウルトラマンと違い、いつも笑顔の雄介の顔が苦痛と涙に歪む姿は、実にショッキングだった。

しかも「クウガ」はそれを意図してやっている。あるウルトラシリーズの作品に強く影響を受けていたことを高寺Pが語るBlu-ray BOX2の映像特典は必見だ(ここもやはり怪獣好きの高寺Pならでは?)。

そこでの彼の言葉を借りるなら、「ヒーローの戦いは、徒労に終わる」のである。

それもまた、悲劇を乗り越えたクウガという作品の「新しさ」の中に確かにある「古さ」だった。五代雄介という笑顔の新たなヒーロー像の根幹には、やはり古きより変わらぬ「戦士の宿命」が貫かれていたのだ。

※赤い瞳のアルティメットフォームは、優しい心のまま悲劇に向き合い続けた五代の血の滲むような苦悩の象徴でもある。実は美談でも何でもない。

 

◆「ドラマ性」の誕生

「クウガ」が記念碑的作品たり得たのは、以上のような「原点の再構築」に成功したからだと思う。

怪獣映画の手法を取り入れることで刷新された「怪奇性」。五代雄介の笑顔を通して超克された「悲劇性」。

そしてこれらは、物語の根幹に散りばめられた謎や伏線(=ドキュメント性)と共に、周囲の人々を笑顔にしていく五代雄介の人間性を中心とした「ドラマ性」へと発展・昇華。これを作劇の根幹部に据えることに成功した。

EPISODE 11 約束

EPISODE 11 約束

  • 発売日: 2015/08/27
  • メディア: Prime Video
 

これは、過去シリーズが「時代劇アクション」によって補ってきた要素を補完する画期的な進化の形であった。

この「ドラマ性」は後続の「アギト」によってより強化され、以後の平成ライダーシリーズにおける基本フォーマットとなっていく。

 

「シン・ゴジラ」、「シン・ウルトラマン」に続く「シン・仮面ライダー」を探す旅は一旦ここで終わりを迎える。

「クウガ」を超える「シン・仮面ライダー」=「仮面ライダー」に真正面から挑んだ作品が続いていないからだ。

否、かく言う私も少年時代の思い出に縋っているだけで、後続の名作たちに正しい光を当てられていない=不勉強なだけかもしれない。

だからこそ、中途半端な知見で語っては多方面に無礼となるが故に「一旦」終わりとしたい。

 

「時代が望む時、仮面ライダーは必ず甦る」

とは、原作者・石ノ森章太郎が生前語っていた言葉だ。裏を返せば、時代が求めていないのであれば思いっきり休んだって構わないと私は思っている。

ー「時代が求める時」ーその時の再来を、私は首を長くして待っている。

そのときまた、新たな「シン・仮面ライダー」に出会えるはずだから。