「シン・ゴジラ」の大ヒットと、「シン・ウルトラマン」公開決定の報せを受け、「シン・仮面ライダー」は生まれ得るのか?という安直な問いから始まった本シリーズ。
前回までの記事①②にて、仮面ライダーの原点(「シン・○○」の「真」要素)には、「怪奇性」、「悲劇性」、「時代劇性」があることが判明。
その上で、昭和のテレビシリーズでは変身ポーズを始めとした快活な「時代劇風アクション活劇」の要素を徹底強化し、「悲劇性」を引っ込めることによって国民的ヒット作となった事実を述べた。
しかし今回からは、過去の進化の系譜に逆らうように、時代劇風味の作劇を引っ込めて、ヒーローの「悲劇性」や作品の「怪奇性」に再度光を当てようと試みた80年代〜90年代の仮面ライダーたちを扱う。
また、ここまでは「シン・○○」に複数含まれる「シン」の意味の中でも、「真」(原点)を探ってきたが、今回からは「神(シン)」=超越存在としての仮面ライダーについても触れることになりそうだ。
◆怪奇性と悲劇性への回帰〜仮面ライダーBLACK〜
1981年、「仮面ライダースーパー1」の放送が終了し、しばらくの休息期間を経て、再び仮面ライダーがテレビに帰ってきた!1988年放送の「仮面ライダーBLACK(ブラック)」だ。
本作では「アマゾン」振りに石ノ森章太郎氏が漫画原作も執筆、7年ぶりの「仮面ライダー復活」に総力で挑んだ。
主人公の南光太郎はこれまで同様「改造人間」設定ではあるのだが、その力の源となる「キングストーン」を埋め込まれた選ばれし次期創世王候補として、同じく日食の日に生まれた親友・秋月信彦と、創世王の座を巡って戦う運命へと飲み込まれてゆく。訳も分からず命を狙われ、生まれたときから悪の組織の王様候補という運命に翻弄される光太郎の姿からは、まさに初代仮面ライダーが持っていた「悲劇性」が漂っている。
※非常にダークな原作は勿論、TV版においても悲劇的な結末を迎える本作を最高傑作に推すマニアは多い。
怪人の造形レベルも大幅アップ。タイツっぽさが薄れ、醜悪な異形の怪物感が強化された(本作の怪人造形には石ノ森章太郎も満足していたとか)。結果「怪奇性」も強調され、まさに原点回帰にふさわしい作品となった。
アクション面では、戦闘員の廃止が目新しい。大野剣友会に代わってJACがアクションを担当。時代劇っぽさが抜け、怪人との1対1のバトルがメインとなった。とりわけBLACKを演じた岡元次郎氏のアクロバティックなアクションが目を引く。
他にも、仮面ライダーの象徴とも言えるマフラーの廃止や、バイク2台持ち、宿敵・シャドームーンの登場など、それまでのライダーシリーズにはなかった新機軸も様々導入された。
その反面、1話完結型の各ストーリーは旧シリーズ同様比較的単調なもので、大体何か不穏なことが起こると「まさかゴルゴムの仕業か?」と即座に主人公に嗅ぎつかれるお決まりのシナリオや、回りくどい地道な作戦をとるゴルゴムの戦略の粗さなどからは、1年間クソ真面目に「仮面ライダー」という番組を継続することの難しさが感じられた。
◆RX、新しくも明朗快活なアクション活劇への回帰
BLACKの人気の高さを受けて、南光太郎の2年目続投が決定。「仮面ライダーBLACK RX」の登場だ。
前作BLACKで見られた「悲劇性」が嘘だったかのように薄められ、同一人物ながら主人公も明るく陽気なキャラクターに変更。ライダー初の自動車型マシンを駆り、3段変身であらゆる敵を迎え撃つ。必殺技もキックではなくなり、剣や銃を多様。それまでの仮面ライダーの徒手空拳メインのアクションに、「メタルヒーロー」の要素を融合させ、エンターテイメント性を大幅に強化した作品となった。
更に、完全リブート路線を辿っていた前作と変わり、終盤には歴代10人ライダーも合流。
後には「仮面ライダーSD」といった漫画・アニメ作品へのメディアミックスによって過去作にも光が当たる機会がグッと増えた。
この「BLACK」〜「RX」の間で行われた真逆の作風による路線変更は、まさしく初代仮面ライダー旧1号編〜旧2号編にかけて行われたテコ入れとぴったり重なる。
「怪奇性」や「悲劇性」は原点にはあれど、必ず「アクション性(エンタメ路線)」に追い抜かれてしまう。南光太郎が駆け抜けた2年間は、この仮面ライダー史の反芻でもあったのだ。
※今回はほとんど割愛してしまったが「(新)仮面ライダー(スカイライダー)」においてもほぼ同様の現象(原点回帰〜歴代戦士客演展開)が起きていたことは付記しておきたい。
◆仮面ライダーはテレビを離れて
この2年にわたる「BLACK」と「RX」の大成功は、同時に「行き詰まり」をも露呈していた。仮面ライダーというコンテンツが本来内包していた「怪奇性」や「悲劇性」は、やはり毎週30分のテレビ番組との相性が悪いらしい。
そこで仮面ライダーは一時テレビを離れて別のメディアへと戦いの場を移す。
その第一弾とも言えるのが、「真・仮面ライダー〜序章〜」だった。
タイトルこそズバリ「真」であり、本シリーズで追い求め続けた「シン・仮面ライダー」を「シン・ゴジラ」や「シン・ウルトラマン」に先駆けて映像化していた!とも言える画期的な作品だ。メディア媒体もシリーズ初のVシネマ。90年代らしくVHSでのみ発売された。
内容は言わずもがな「怪奇性」と「悲劇性」に特化。特にその変身シーンのグロさはシリーズ随一で、とりわけ「怪奇性」がクローズアップされているとも言える。加えてその戦闘シーンも、「脊髄ぶっこ抜き」などおよそ過去シリーズの痛快アクション活劇とは似ても似つかない本格派の殺し合いとなった。
加えてアダルトチックなラブシーンも描かれ、Vシネマだからこそできる「大人に捧げる仮面ライダー」というコンセプトは、多くのファンにも受け入れられることとなった。
その背景には、本気で本物の仮面ライダーを描いてみたい!というクリエイターたちの本音が見え隠れしていた。根幹にあるテーマを描こうとしても、「テレビ番組の限界」に阻まれて、これまでなかなか描ききることができなかったからだ。
更に、60年代〜70年代特撮を視聴してきた世代が親になり始めた頃でもあり、 現代の映像技術でリバイバルを試みる作風が流行り出した頃でもあった。
そしてこの「真・仮面ライダー」、丁度「ウルトラマングレート」と同じ年に、同じVHSというメディアで、ほぼ同じコンセプトで作られたというところがまた興味深い。
「序章」と冠された通り本作には続編計画もあり、醜い姿の真が、マスクや戦闘服を纏って仮面ライダーらしくなるという構想もあったそう。残念ながら実現はしなかったが、本作の成功を受けて、新たな仮面ライダーが誕生する。
◆大自然の使者・仮面ライダー
続く劇場用新作として全国公開された「ZO」と「J」は、やはりどちらも原点回帰を意識した作品となっており、しかし新たに発展昇華された設定が登場する。それが、「大自然の使者」という要素だ。
このフレーズは、とりわけ晩年の石ノ森章太郎氏が好んで使っており、インタビュー等でもよく語られている。
科学技術によって肉体に大自然の力(バッタの能力)を付与された人間が、科学技術を悪用する社会の巨悪に敢然と挑む。そんな仮面ライダーの基本フォーマットの中に、大自然と人間が協力して平和を勝ち取ろうとする姿を氏は見出した。
とりわけ時代は環境問題が深刻化した90年代。「このままでは、本当に人類の手で地球を滅ぼしてしまう」と多くの著名人や作家たちがその危機を声高に叫び始めた時代。その闇を切り裂く光明を、氏は仮面ライダーの中に見出したのだ(同時代の「ウルトラマングレート」もまた、環境問題をそのテーマの根幹に据えていた)。
だから、ZOやJにも「大自然の代弁者」であるかのようなキャラ付けや演出が目立つ。
ZO冒頭の覚醒シーンはまさに「大自然の使者」。森に抱かれた勝の元に訪れる1匹のバッタ。そのバッタのお告げに導かれるようにZOが立ち上がる。
ZOのデザインにはグローブやブーツ、或いはベルトといった切れ目が全く無く、流麗で美しい。V3を思わせる蛇腹マスクの口元からは、感情の昂ぶりによってクラッシャーが露出。強化された肉体と強靭な精神力を武器に、ネオ生命体ドラスと戦った。
仮面ライダーJは「自然と心を通わせられる青年」を探し求めていたという「地空人」によって改造された大自然の戦士。神秘の存在・地空人による改造手術は、それまでのシリーズでは見たことがないもはや儀式のような神聖さすら感じられるもの。Jの姿も葉脈をモチーフとしており、地球の緑を全身に纏っている。更にZOにも登場した妖精バッタを発展させた「ベリー」という喋るバッタも登場。
そして、大自然の力=地球の意思をその身に宿したJは、遂に巨大化。宿敵フォッグマザーを見事撃破し、地球の大地を護った。
20周年を記念して名付けられた「ZO」、Jリーグブームから取られた「J」と、そのネーミングにも個性と時代性が感じられるが、両作とも、「大自然の使者」という時代が求めた新たな仮面ライダー像を見事体現してみせた、歴史に残る名作だった。
◆神になった仮面ライダー
テレビに三度舞い戻った仮面ライダーは、やはり原点回帰に始まり、エンタメ路線で再び幕を下ろした。
しかし、時代の要請を受けてVシネマに映画にと様々な形で再登場。原点回帰を目指しつつも、新たに「大自然の使者」というファクターが加わることで、「悲劇」としてしか扱われてこなかった仮面ライダーの「宿命」が「使命」へと昇華されたのだと私は思う。
これは、本郷猛という男に改造人間としての悲劇的宿命を背負わせてしまった原作者・石ノ森章太郎のせめてもの罪滅ぼしだったような気がする。仮面ライダーが生まれてから20年、ずっと原作者自らも「人間でなくなった悲しみ」を背負い続けたのかもしれない。その作り手としての誠実な姿勢に、改めて私は敬意を表したい。
更にその新たな「使命」=「大自然の使者」としての姿には、神秘的な地球のエネルギーが宿っていた。
地球の大地に足をつけ、いよいよ巨大な肉体を得た仮面ライダーの姿に、私は山の神の姿を見た思いがした。
時には批判されることもある「Jの巨大化」だが、仮面ライダーが包摂していたテーマと誠実に向き合った結果、必然的にそうなったのだと私は解釈している。
「シン・◯◯」の「真」と「神」が揃った。残るは「新」。
21世紀という新たな時代の幕開けと共に、「新たなヒーロー」が登場する。
この続きは「④A New Hero. A New Legend.(仮題)」にて。