久方ぶりにこのシリーズを再開。
「シン・ゴジラ」、「シン・ウルトラマン」…ときて、「シン・仮面ライダー」なんてのも出てくるか?なんて冗談半分で記事を書き始めたら本当に本家がやり出してびっくりしたところ。
しかし、情報が出るまでは「シン・仮面ライダーなんて出てこないだろう」と思っていたのが本音。だって、平成ライダーが仮面ライダーの可能性を掘り尽くした後だったから。
これまでは、初代仮面ライダーから昭和シリーズを経て80〜90年代、そして00年の「クウガ」まで振り返ってきたが、ここからは平成ライダーシリーズを中心にその後の変遷をたどろうと思う。そして現在、仮面ライダーがたどり着いた「アニメ特撮」というジャンルについて扱いたい。
〜前回までの記事はこちら。未読の方は是非。〜
- ◆仮面ライダーは大人向け?!
- ◆「響鬼」が終わらせたもの
- ◆「一文字隼人」が変えたもの
- ◆キャラ路線への脱皮(キャストオフ)
- ◆仮面ライダーは続くよどこまでも
- ◆さぁ、Wの罪を数えろ!
- ◆ご唱和ください!我の名を!
- ◆仮面ライダーは再びテレビを離れて...
◆仮面ライダーは大人向け?!
前回扱ったように、「クウガ」でそれまでの様式美を大きく打破し、「完全新生」に成功した仮面ライダーシリーズでは、「クウガ」の名残とも言える「ドラマ路線」、徹底して作り込まれた設定等に見られる「リアル路線」、そしてそれらは複雑な人間関係や命の駆け引きをシビアに描く「ハード路線」として発展・継承されていった。
当時のニチアサ(スーパーヒーロータイム)といえば、明るく楽しい「戦隊モノ」と、ハードで大人っぽい「仮面ライダー」、という明確な色分けがあったと思う。
そんなハード路線が平成ライダーシリーズのカラーのようにもなっていたが、①〜②でも扱った通り、過去、ハード路線の仮面ライダーは長続きできなかった歴史的事実から考えれば、
クウガ、アギト、龍騎、555、剣…とハードな作風が4年、5年と続いたことは奇跡にも近い。
だが、そんな流れを断ち切る契機となる作品が登場する。それが、「仮面ライダー響鬼」だ。
◆「響鬼」が終わらせたもの
今振り返っても「仮面ライダーと言えば大人向けだよね」という雰囲気は当時既に出来上がっていたように思う。それは勿論、出演俳優をイケメンとして愛でる楽しみ方が女性ファンの間で確立されていたことのみならず、子ども向け作品にしてはハードな物語展開が常態化していたからだろう。
※なぜハードになっていったのか、その物語構造が孕む必然性については上の記事にて明らかにしている。
そして、思い切ってターゲットを10代の少年に引き上げようと試みたのが「仮面ライダー響鬼」である。
高校受験を控えた少年・安達明日夢と、鍛えた体で鬼に変身する能力を持つヒビキとの交流を描いた本作は、中学生日記的ジュブナイルものの要素を孕んだこれまた異色作として始まった。
比較的ギスギスした雰囲気が強かったそれまでの作品と異なり、どこかまったりとした温かい雰囲気の「響鬼」は根強いファンを獲得。しかし、通称路線変更問題と呼ばれるプロデューサー更迭事件は、熱心なファンらの間に大きな禍根を残した…。dic.nicovideo.jp
原因は様々あろうが、シンプルに結論付けるなら、肝心の玩具が売れなかったというところに尽きるだろう。
何せ、玩具を買うのは就学前〜低学年の男児らであるにも関わらず、物語は高学年〜中学生以上をメインターゲットにしていたのだ。
当時高校生だった自分の感覚から考えても、中学生以上で仮面ライダーを見ている人というのは確かに少なくはなかった。しかし彼らが変身ベルトを買うだろうか?ソフビやディスクアニマルを買い集めるだろうか?
視聴者層と購買層に致命的なギャップを抱えていた本作は、路線変更という憂き目を経て終わった。やはりニチアサは(=仮面ライダーは)、あくまでもチビッコのものだったのだ。
◆「一文字隼人」が変えたもの
しかし、これは「響鬼」だけが陥った失敗だったとは思えない。どんどん視聴者層を上へ上へと拡大していった本シリーズが、いずれ遅かれ早かれ陥る落とし穴だったのではないだろうか?
そして、いくら硬派な作家性や芸術性を貫こうとしても、やはり販促というノルマ抜きに仮面ライダーは成立し得ないという大人の事情、現実の厳しさを多くの視聴者が実感させられる出来事でもあったと思う。
※作風は確かにガラッと変わってしまったが、平成ライダーらしさが二度味わえる「響鬼」は、前半後半問わずこれまた実に面白い作品。
ここでもまた、「仮面ライダーの歴史」が繰り返された。
「悪の組織に改造された悲劇の仮面の男」というハードな設定を原点に持つ仮面ライダーは、当然その物語展開もハードなものになってゆく。しかしそれでは子どもに敬遠されてしまう。
だから、明るく陽気な一文字隼人が、変身ポーズと共に勧善懲悪の作風へと「変身」させた。
スカイライダーも途中で色が変わった。南光太郎もRXになった途端、底抜けに明るいキャラに変わった。
仮面ライダーでは、暗くてハードな作風が続いた後、いつも新たな「一文字隼人」が明るい風を吹かせてシリーズを生まれ変わらせてきたのだ。
では、平成ライダーにおける「一文字隼人」は誰か?それが「電王」だった。
しかしその前に、電王誕生前夜の日本を照らした、「天の道を往く男」についても触れておきたい。
◆キャラ路線への脱皮(キャストオフ)
カブトも、龍騎や555のようなハード風味の作品だと思われがちだが、本作が後のシリーズに与えた最大の功績は、その「キャラクター路線」にある。
後の「名乗り」や「決め台詞」にも通ずる、天道語録と呼ばれる独特の口上。
必要以上に誇張し脚色された個性的なライダーたちのキャラクター。
シリアスな雰囲気に挿入される唐突なギャグ描写。
ストーリーと全く関係なく展開される料理対決…。
勿論、本筋たる人類とワームの種族間闘争やネイティブの真の狙いや「赤い靴計画」etc…物語そのものは相当ヘビーな内容に違いない。しかし本作は、そこで視聴者を引っ張るのを途中でやめたように見えた。
それ以上に、天道総司の絶対的な俺様キャラを中心に、クセが強すぎるライダーたちとの掛け合いが生み出すシュールな展開の方に比重が置かれていったように思える。
結果、劇中で深掘りされなかった設定も多かっただけでなく、そもそも設定自体を無視したような描写も度々見られ、(今に始まった話でもないが)、設定よりもノリを重視する作劇というのもカブトの特徴の一つだったと思う。
賛否はあろうが、実はこれは後の電王で決定的になる「アニメ特撮路線」のハシリであったと見ることもできよう。
◆仮面ライダーは続くよどこまでも
「電王」は「仮面ライダー×電車」という、一見無関係に思えるものを仮面ライダーと掛け合わせることによって成立しているが、このような「仮面ライダー×◯◯」の大喜利コンセプトありきの作り方も、この「電王」が先駆けであったように思う。
(仮面ライダー×宇宙、仮面ライダー×魔法使い、仮面ライダー×自動車...後続の、特に平成二期以降はこの手法で無限に仮面ライダーの可能性を拡大していく)
「カブト」が突っ走った「キャラ路線」が、結果的にイマジンたちのキャラ人気として継承され、「響鬼」が目指したひと回り上の世代へのアプローチは、イマジン人気(とりわけ声優人気)という形で結実。
それでいて、当然メインターゲット層の子どもたちの心をしっかりと掴む作風にもなっていた。
- モモタロスをはじめとした親和性の高いイマジンたちのキャラクター
- イマジンコントとも呼ばれる、明るく楽しいデンライナーの雰囲気
- 子どもも真似しやすい各ライダーの「名乗り」
- 敵イマジン打倒と同時にゲストキャラの心を救済する温かいヒューマンドラマ
- ほぼ消滅した「殺人描写」
- それまでの大河ドラマ形式を断ち切る2話完結の台本構成
こうして、「大人っぽくて小難しい仮面ライダー」は、「子どもから大人まで一緒に見られる明るく楽しい仮面ライダー」として子どもたちの元に帰ってきた。
但し、個人的に電王が非常に魅力的だったのは、ガワは明るく楽しい雰囲気になったように見えて根幹の物語の方は実に難解かつシビアなままだったところ。無作為に契約者を選んでいるように見えたイマジンたちの真の狙いや、終盤で明らかになったハナの正体等、実によく練られた設定と脚本になっていた。
◆さぁ、Wの罪を数えろ!
それまでは、誇張の少ないリアルな演者の芝居と共にシックな色合いの世界観でハードな物語を展開してきた平成ライダーシリーズは、「電王」の登場を経て様変わりした。
そしてこの変化を決定的なものにしたのが、「仮面ライダーW」だ。
電王に引き続き、
- 特徴的な決め台詞の使用
- 仮面ライダー×探偵というジャンルモノ
- 翔太郎と亜樹子を中心としたギャグ芝居
- 依頼者という形でのゲストキャラの登場
- わかりやすい2話完結構成
これらの基本構成はよく似ている他、殺人描写の激減はやはり特徴的。怪人の存在をガイアメモリ犯罪へと置換することで、怪人は倒されても死ななくなった。こうして仮面ライダーは、同族殺しの罪から解放されることとなる。
そしてW最大の功績とも言えるのが、「収集型変身アイテム」という大発明。
それまでも、龍騎のアドベントカード、ブレイドのラウズカード、ディケイドとも連動したガンバライドカードetc…カードを中心としたコレクションアイテムの販売は盛んではあったが、ダブルのガイアメモリは、それらとメイン商材である変身ベルトを融合させた新しいコレクションアイテムだった。
その後のオーズのメダル、フォーゼのスイッチ、ウィザードの指輪、鎧武の錠前、ドライブのシフトカー…と、作品のコンセプトと密接につながったコレクションアイテムが量産され、その売上はそのままシリーズ存続の命綱にもなっていた。裏を返せば、常に細々としたアイテムやグッズを売り続けなければ作品は存在できないのである。
◆ご唱和ください!我の名を!
W以降の平成二期〜よく見られるようになった特徴を整理しよう(但し全作共通ではないことに留意されたし)
- 変身用コレクションアイテムによる安定した販促体制の確立
- 仮面ライダー×◯◯のコンセプトスタイル
- 2話完結の前後編構成
- ゲストキャラの「お悩み相談」形式
- ライダーの名乗りや決め台詞
- 「アニメ特撮」的なわかりやすく大袈裟な演出
仮面ライダーが現在たどり着いた作劇スタイルの特徴の一つに、この「アニメ特撮」がある。
びっくりしたときは嘘みたいな大声で叫ぶし、口に含んだ飲み物もブーッと吹き出す。どんな場面でも、大袈裟すぎるくらい全身を使ったリアクションで心情を表現する。悪者は眉間にシワを寄せていかにも悪そうに喋る。高笑いもする。
全てがそう、アニメ作品のように。
こういった傾向を私はアニメ特撮と呼んでいる。まるでマンガやアニメで見たような演出や演技を実写に落とし込んだかのようなこの作風は、概ねここ10年以上続いている仮面ライダーシリーズ全てに共通している特徴と言える。
更にウルトラシリーズもまたこの作風を辿っているのではないかと私は考えている。
近年ヒットを飛ばした「ウルトラマンZ」を見ても明らかなように、「ニュージェネ」と呼ばれるシリーズ群において「よく喋るウルトラマン」というのが特徴的だが、口癖があったり決め台詞が飛び出すこともあったり、変身者との軽妙な掛け合いが楽しかったりと、まるで「電王」を見ているようでもある。
最近では「シン・ウルトラマン」からウルトラシリーズに入った人に「Z」を勧めて「何か違う」という感想を抱かれるケースもあるようだが、「Z」に見られるようなウルトラマンのキャラクター的な描き方は、それまでのウルトラマンの伝統的な描写の仕方とはやや異なっている。
ミステリアスで神秘的な存在だったウルトラマンを、より身近な存在として饒舌に描いている点には賛否ある模様だが、近年の特撮ヒーローものがたどり着いた方向性が「アニメ特撮」という形で似通ってくるのは非常に興味深い。
◆仮面ライダーは再びテレビを離れて...
ただ、そういったライトな作風が続けば必ずハードな作風を渇望する声が上がるのもまた必定。
現代のニチアサでは、大切な恩師を自ら手にかけながら涙を流す東條悟や、ヒロインを「母親」呼ばわりする草加雅人のような奇人狂人を見ることができないのは確かに寂しい。
そして地上波のテレビを離れ、ハードでダークな路線へと振り切ったのが「仮面ライダーアマゾンズ」だ。こちらはAmazonプライム限定公開作品として、「平成ライダー初期の作風に立ち返る」というコンセプトの元、全体的に画面も薄暗く、また原典たる「アマゾン」よろしくグロテスク描写もふんだんに盛り込んだ大人向けの作品として展開された。ニチアサゆえの縛り(表現への配慮や過剰な販促)から解放されたそのダークなトーンは多くのファンを獲得し、ラストは劇場版で大団円を迎えるというヒットを飛ばした。
これもまた、90年代に起こった現象と似通っている。とことんエンタメ路線に振り切った上で、「テレビでできない本当の仮面ライダーを映画でやろう」と「真」や「ZO」、「J」といったネオライダーが誕生した流れと同様の機運の中で、「シン・仮面ライダー」は生まれようとしている。
テレビ向けにとことんエンタメに振り切った仮面ライダーもまた、みんなが愛した仮面ライダーだ。
しかし同時に、怖くて思わず顔を隠して指の隙間から覗き見たあの「大人っぽい仮面ライダー」もまた仮面ライダーなのだ。
仮面ライダーとは、この二つの仮面を器用に付け替えながら、これまで生き永らえてきたコンテンツであり、その両者の衝突と葛藤もまた仮面ライダーの魅力であった。
「時代が望む時、仮面ライダーは必ず甦る」
とは、原作者・石ノ森章太郎の「遺言」である。
今、この時代が望む仮面ライダーとは、どんな仮面ライダーなのだろうか?
2023年3月「シン・仮面ライダー」の公開が、今から待ち切れない。
(了)