「バットマンvsスーパーマン(以後BvS)」、非常に素晴らしい作品でありながら一部メディアでは酷評も目立つ(⁈)ようで残念なのだが、確かにこの作品には「一見さんお断り」感が漂っている。
今回はその正体と原因(制作体制)と鑑賞スタンス、そしてそもそもアメコミ映画鑑賞において「原作の知識が必要か否か?」についても論じてみたいと思う。
そこまで論点を広げなければ、この作品の映画評はできないと思ったからだ。
Batman v Superman: Dawn of Justice - Official Teaser Trailer [HD]
◆よく挙がる声とその事情
よく言われるのは、
- ①「マンオブスティール」の完全なる続編、それ見てないとわからない
- ②ブルースが見つめていた黒焦げた落書きスーツは何?
- ③ブルースが途中で見た「悪夢の世界」は何だったの?
- ④目覚めたブルースの前に現れた赤い人誰?
- ⑤メタヒューマンの動画にあった人たち何あれ?
といった辺りかと思われる。
まず、こういった声(特に③〜⑤)が挙がること自体は一定致し方ないことだと思っている。何せ当時のDCは、MCU(マーベルシネマティックユニバース)に対抗することしか考えておらず、とにかく「集合モノ」でとっととヒットを出そうと焦っていたからだ(「BvS」とほぼ同時期にMCUは「シビルウォー」を公開、既にマーベルは完全なる成功とその基盤を整えていた)。
本来なら「アベンジャーズ」の様に、1人1人の主演作公開後に「ジャスティスリーグ(以後JL)」を用意すれば良いものを、即「JL」に繋げようとしたため、本来ならじっくり単独で描かれるはずの「BvS」の中で「JL」の伏線を張るというかなり無茶な詰め込みが要求されたことは想像に難くない。それが今回本記事(前編)で扱う
「シネマティックユニバースの呪い」だ。
◆単独作をじっくりやるつもりだった?
私が、DCEUの方針 : BvSの次にいきなり全員集合モノ(「JL」)をやると知ったときは、よほど自信があるんだろうなと思った。それでも各ヒーローの魅力を描ききれる、という確信があるからこその判断だろうと思ったし、私もまた、「早く集合してほしい!」と心の中では「JL」公開を何よりも心待ちにしてしまっていた。
だが、今になって考えれば(これは私の持論だが)、ザックスナイダー 監督自身は、「マンオブスティール(以後MoS)」に続くBvSの前に、本当は「バットマン」という単独作をやりたかったのではないか?と思っている。なぜなら「BvS」はその情熱の大半をバットマンの描写に傾けているように思われてならないからだ。
事実、「アクアマン」も「フラッシュ」も「サイボーグ」も、JLの前に単独で製作されるのが本来ザックが望んでいた描かれ方だ。そして多くのファンも本当はそれを望んでいたのではないだろうか?
◆MCUが成功した理由
まず、マーベルが成し遂げた「シネマティックユニバース(複数の映画がやがて大きな一本の映画に繋がる)」という手法は、思いつきで真似できるほど簡単なものではない。
DCでは通称「アローバース」と呼ばれる同一の世界観を共有したアメドラシリーズが何作も並行して制作され、こちらは大成功しているが(これはこれで奇跡と呼べる素晴らしい業績)、
映画で同じことをやろうというのは規模や製作費の面から考えても桁違いにリスキー。「アイアンマン」公開当初は誰もその成功を信じていなかったのも当然だ。
シネマティックユニバースを成功させるための条件はおそらく以下の4点。
- ①作品ごとにピッタリな監督とキャストを揃えること
- ②大量の主役級キャラクターを一堂に会してもそれぞれを活かしきること
- ③全ての作品を統括し緻密な計画を立てて実行に移す指揮者がいること
- ④一つもコケないこと
マーベルは①〜④を概ね全て満たしていることがお分かりだろうか。
①・・・RDJのキャスティングを始め、ジョンファブロー等優秀なスタッフを集め、
②・・・ここぞというとき=「アベンジャーズ」にはジョスウェドン監督、そしてルッソ兄弟といった超天才を配置、
③・・・何よりもそれらを緻密に練り上げたケヴィンファイギの存在が
④・・・を実現しているのだ。
◆DCEUが失敗した理由
ではDCEUはどうか。
本来、マーベルにおけるケヴィンファイギ=統括者の役割を担うのがザックスナイダーだったはずだ。だがこの間のDCEUの迷走ぶりを見るに、ザックスナイダーを更迭に追いやった更に上の存在(ワーナー?)が見え隠れしている。いずれにせよ、DCEUが辿ったこの間の足跡から判断するに、目先の興収しか考えられない相当な無能がDCEUを仕切っていたとしか考えられない。
ただ一つ評価できることは、「JL」の興収面における失敗を経てDCが現在シネマティックユニバースを諦めたことだ。バカの猿真似でできることではない、あれは映画界の奇跡なのだ。マーベル自身が「オススメしない」と言っているくらい、そこに手を出すというのは、相当な覚悟がいることなのだ(言うまでもなく日本でなんて到底不可能)。
◆シネマティックユニバースの呪いとは?
ではなぜ奇跡の離れ業とも言えるシネマティックユニバースにDCも手を出したのか?
理由は単純だ。映画は一つ一つが当たれば儲かる。金になるからだ。
映画産業自体が行き詰まりを見せている昨今、MCU作品に老若男女が足を運び、マーベルロゴの入ったシャツやグッズも飛ぶように売れ、新たな文化を築きつつある状況が羨ましくて仕方ないはずだ。しかもヒーロー集合モノの歴史は元々DCの方が古い(アベンジャーズは元々ジャスティスリーグを真似てコミックスで誕生した経緯がある)。負けてはいられない、そう思うのも当然だ。
だがDCEUの映画制作のスタンスが「興収ありき」だから、
・キャスティングが結構豪華
・興収次第で次の方向性が決まる
という2点に足を引っ張られたのだろう、製作ペースが(マーベルに比べて)死ぬほど遅い。
MCU作品は多い時で年に3本ものシリーズ作品が上映されているが、DCは1〜2年に一本程度。超有名俳優を使えばスケジュール調整に年単位の時間がかかるのも当然だ。
それに対してMCUは映画界においてはまだ無名の役者や監督を引っ張ってきてハイレベルな作品を製作し続けており、ケヴィンの緻密かつ大胆な采配が伺える。
◆最大の罪はファンを裏切ったこと
DCEUの失敗は、映画制作体制における「儲け主義」と「芸術至上主義」の葛藤とも言い換えることができるかもしれない。
だが、何よりも罪深いのはファンの期待を裏切ったことだ。下の画像を見たことがあるだろうか。当初のDCEU制作計画をまとめたものだ。
「フラッシュ」は最近ようやく制作の進行が報じられたところ。「グリーンランタン」や「サイボーグ」なんて無かったことにされそうな雰囲気。そうこうしている間にベンアフレックはバットマンを引退。名優を逃した罪は重い。
当初の予定通りに進行したプロジェクトが半分にも満たない事実に、どれだけ多くのファンが落胆していることだろう。
そこまで原作コミックに精通していない私ですら拳で地割れを起こしそうなくらい今回の事態にはガッカリしているのだから、現地で子どもの頃からコミックスに親しんできた「大きなお友達」の落胆は計り知れない。
長くなってきたので次回、後編に続く。
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