- ◆アルティメットエディションという本音
- ◆「わかりにくい」という声に対して
- ◆結局原作コミックの知識って必要?
- ◆DCEUとMCUの違いが生んだすれ違い
- ◆「分かりにくさ」こそ「おもしろさ」
- ◆今後のDCEU
◆アルティメットエディションという本音
前編にてDCEUが制作体制の問題で失敗した背景を簡単にまとめた。
…と、本来の目的である「BvS」の映画評から遠ざかってしまった感もあるが、本作には描かなければならない「ノルマ」(今後のDCEUへの布石)が過剰に課せられていた事実は踏まえておく必要があるのではないかと思う。
だからこそ、公開後に販売された「アルティメットエディション(以後UE)」によって本作が補完、完結するという歪(いびつ)な結果を招いたのだろう。
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公開版(152分)ではわかりにくかった部分がUE(183分)でほぼスッキリ繋がるよう編集されており、UEを鑑賞した多くのファンからは
「なぜこっちで上映しなかったんだ⁈」という声が多く挙がることとなった。
確かに公開版だけでは「分かりにくい暗い映画」と思われかねないが、それも結局、
ユニバース化を急ぎ→内容を詰め込んだ結果肥大化し3時間に→カットせざるを得なくなる
という、企画段階の無理が招いた結果と言わざるを得ない。だが、UEという形で後日「本当はこういうことがしたかったんだ」という後出しができるだけ幸せだったとも言える(「JL」も同様の末路を辿ることとなった)。
◆「わかりにくい」という声に対して
Batman v Superman: Dawn of Justice - Comic-Con Trailer [HD]
念のため明言しておくが、本記事は「制作体制に問題があったから仕方ない」みたいな言い訳を並べることが目的の文章ではない。そういった裏事情が足を引っ張っても尚、本作は充分見応えのある名作だったということが伝えたいだけだ。
そこでひとまずは、「わかりにくい」という声について私個人の考えを述べておきたい。
- ①「マンオブスティール」の完全なる続編、それ見てないとわからない
- ②ブルースが見つめていた黒焦げの落書きスーツは何?
- ③ブルースが途中で見た「悪夢の世界」は何だったの?
- ④目覚めたブルースの前に現れた赤い人誰?
- ⑤メタヒューマンの動画にあった人たち何あれ?
単刀直入に言えば
「全部わからなくても大丈夫」だ。
結局後で全部回収される伏線(だったはず)なのだから。それでも気になるなら自分で調べれば良い。或いは自分で考察すれば良い。
ただ私が気になるのは、「教えてくれないと困る」、「わからないとイライラする」というスタンスの人間だ。
こういう人間には、何も楽しむ資格がない。本来、知らない余白を自分で埋めていく作業こそが「娯楽」だと私は思うからだ。
とは言えそんなことを言っても大勢を敵に回すだけなので、なんで今作に限ってそんな声が挙がることとなったかはちゃんと振り返っておきたい。
①「マンオブスティール」の完全なる続編、それ見てないとわからない
「続編なんだから前作予習するのは当然だろ!」と言いたいところだが、これに関しては致し方ない面もある。
「MoS」公開が2013年、本作「BvS」公開が2016年と、連続したシリーズ作品の割には3年も間が空いてしまっているのだ。それでいて本作のプロモーションでは「あのバットマンとスーパーマンが銀幕で初共演!」という点ばかりがクローズアップされてしまい、「MoS」の続編であるという肝心な所が、割と多くの観客に認知されないまま公開されてしまった可能性は十分に考えられる。
②ブルースが見つめていた黒焦げの落書きスーツは何?
これも、知らなくても何の問題もないし、知ってたらもっと映画の世界が深く理解できるよ、というだけの話だ。ちなみにこの黒焦げスーツ=死んだ相棒ロビンについては
この記事の中で詳しく扱っているので気になる方はどうぞ。
③④⑤何あれ?誰あれ?etc
ひとまずは、いずれも本筋にさほど関係なかったことから考えても、今後の続編への伏線と考える他ない。だから気にするな。
ただ、これについても致し方ない点として、「ブルースの夢オチ展開重ねすぎ問題」はあると思う。
両親の墓参りに行った際に墓石を突き破ってマンバットが登場するシーンと、ナイトメア世界と未来フラッシュの登場シーン。ブルースは一本の映画で2回も夢オチを演じているのである。それでいて何の回収もないもんだから、「何の暗示だったんだ??」となる気持ちもわからなくはない。
ちなみにナイトメアのシーンは当初脚本には無く、後に追加されたものであったことも判明。
やはり本作は続編への伏線ノルマてんこもりの被害者だったと見て良いだろう。
◆結局原作コミックの知識って必要?
「分かりにくい」という疑問の大半は、原作をちょっとでも知っていれば概ね解消できる問題故、「原作の知識ないと楽しめないの?」といった声が挙がることもある。特に「BvS」はそんなストイックな雰囲気も漂わせている作品だ。
例えばMCUがサンダルでも入れる大衆向けでコスパ最高のファミレスだとしたら、DCEUは正装でないと入れない高級レストランみたいなもの。
そんな違いが生まれた背景としてMCUの方が原作の知名度が圧倒的に低かったという事情もあろう。例えば「ガーディアンズオブギャラクシー」なんて現地でもヲタクしか知らない、元々は実にマイナーな作品だった。
その点、DCヒーローはどれも既に超有名。そもそも、日本人にはまだ若干馴染みの薄い「フラッシュ」も「アクアマン」も「サイボーグ」も、現地の人達からしたら知っていて当然みたいなキャラクターなので、知りませんと言っている方が恥ずかしいレベルだし、「そんなの日本人だから知らなくて当然」と開き直ったところで、本作はあくまでアメリカ本土でアメリカ人のために作られた映画で、それをわざわざ字幕とかつけて見させてもらうんだから文句を言うならそれなりの準備(各キャラクターの出自と能力くらいは把握)をして臨むのが当然だとも思うのだ。
だが、そういった事情を前提にしても、ただ純粋に楽しみたいなら原作の知識なんて全く必要ないと私は思っている。入った店が思ったより敷居が高く、無作法で恥をかいたとしても、また来たいと思うなら勉強して出直してくればいいだけの話だ。
ちなみに私の場合、バットマン好きも映画から入ったから、あくまで映画作品としてのバットマンを愛好しているだけで、原作コミックスまではほとんど読んだことがない。
◆DCEUとMCUの違いが生んだすれ違い
上述の通り、観客の予備知識ゼロでも大ヒットしたMCU作品が証明している通り、本当の所は原作の予備知識など必要ない。
ところが、ことBvSに関しては、
「あの映像って説明なかったんだけど、何だったんだろうね、続きが気になるね!(嬉)」ではなく、
「あれもこれもよくわからん、何だったんだあれは…?(怒)」と否定的な感想が目立った。
本作に限って「わかりにくさ」がマイナスに働いてしまったのはなぜか?
それはやはり、DCEUが作家的芸術性を志向していたからだと思われる。それはとりわけ、ザックスナイダーの作風において顕著に見られた。
ケレン味溢れるスローの映像。強調されたコントラストと劇画的構図。随所に織り交ぜられた、宗教的寓意と暗示。
↑こちらの動画が、本作に隠された魅力の一端を解き明かしてくれている。
それら濃厚な映像の数々は、瞬間瞬間の美しさとインパクトにおいて右に出るものはいないほどに素晴らしいものであった。しかし、ヒーロー映画と言えば「アベンジャーズ」な当時のアメコミ映画界隈においては、実に異端な作風でもあった。
特に、わかりやすくテンポの良い筋書きで展開されていくヒーロー映画に慣れきっていた人々にとっては、ひどく退屈で暗い作品と感じられたに違いない。
しかし、スーパーマンやバットマンといったDCヒーローたちを明るく親和性の高いヒーローとして描く試み自体は、既に20〜30年以上前に終わっている。
新たな実写化作品を作るにあたって、もはや過去の焼き直しは許されないのだ。
初めて映画化されたキャラクターが多いMCUとではその辺りの事情(そもそもの期待値)が全く異なっていた。長いDCの歴史に沿って考えれば、作家性・芸術性を強く打ち出した方向性そのものは必然的だったと言える。
◆「分かりにくさ」こそ「おもしろさ」
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 The Art of the Film (G-NOVELS)
本作には少なくとも日本人にとって「二重の壁」が存在していた。
それは、「マンガ原作の知識の有無」と、「宗教性をも孕んだ劇画的作風への耐性」だ。そう考えると、本作にMCU作品のようなライトな作風を期待した観客のことは確かに気の毒に思えてくる。
だが大事なことは結局、どこまでその世界観に歩み寄れるかだと思う。
例えば「エヴァ」なんかは何回観ても「わからないことだらけ」だが、むしろそれが受けている(それ自体が作品の魅力になっている)。
エヴァにもキリスト教的世界観が下地に存在するが、エヴァを機にその知識を深めたヲタクも多数存在する。
スナイダー監督も生粋のヲタクだ。だから「分かる人には分かる」ような小ネタ=イースターエッグが作中大量に散りばめられている。
↑本作にも一瞬「マンバット」が登場したのをご存知だろうか?
「今のシーンってどういう意味?原作へのオマージュ?それとも後半の展開に繋がる布石?」とか考えながら観るのは楽しい。そしてその真意が分かったときはもっと楽しい。
そんな「分かりにくさ」を楽しむスタンスが鑑賞者にあっても良いんじゃないか?と思うのだ(中世欧州の絵画芸術が教養無しでは楽しめなかったように)。
凝った筋書きの作品で、確かに最後は「おー」と唸る内容だとしても、何度も繰り返し見られるかどうかは正直別問題だ。
これが映画の難しいところで、公開時は大した評価を得られない作品でも、後々何度も繰り返し愛される作品になることがある(「となりのトトロ」や「火垂るの墓」はその好例)。
確かに「BvS」は分かりにくいし、変なところ展開早いし、ブルースは夢見過ぎだし、暗いし、重いし、脚本に粗があるとか言われるけど、やっぱり何回も見たくなる何かがあの作品にはある。
そしてやはり欠かせないのはハンスジマーやジャンキーXLによる重厚な劇伴。
Batman v Superman Official Soundtrack | Beautiful Lie - Hans Zimmer & Junkie XL | WaterTower
これが「神話的」と呼ばれる重厚な世界観を決定付けている。
「BvS」に寄せられる批判の多くは「わかりにくさ」や「あらすじ」の部分に偏っているが、映画ってそんな理性的な部分だけで捉えられるものでは決してないと私は思う。
素晴らしい役者の表情一つとマッチした美しい音楽さえあれば、そこに名画が誕生する。
映画は感性で楽しむものだ。結局感性に訴えかけてくる作品だけが後世にも愛され続けるはずだ。
◆今後のDCEU
その証拠に、MCUっぽく改悪された「ジャスティスリーグ」はかえって酷評を受け、BvSのようなザックスナイダーの作風を求めるファンの声が集まった結果、「ジャスティスリーグ スナイダーカット」が再編予定。
続編であるジャスティスリーグが辿った足跡を見るだけでも、本作「バットマンvsスーパーマン」は強く人々の心を鷲掴みにした傑作だったと言って良いのではないだろうか。
とは言え、一時は何がなんでもユニバース化を目指したDCEUも、「ワンダーウーマン」や「アクアマン」といった単独作の成功を受け、各監督の作家性を強く打ち出す方向に舵を切った。各作品の個性を尊重することと、それらを一つの世界観に閉じ込めるユニバース化路線は、当然矛盾するからだ。
…しかし、これら矛盾する二つの要素を見事調和させるキラーコンテンツが発表された。「フラッシュ」だ。
彼の超高速移動能力は、時空連続体に穴を開け、異なる世界と世界をも繋いでしまう。マルチバースという概念が、いよいよDCEUにも登場する。
本作には、あらゆるアース(世界線)のバットマンが登場。なんと、1989年ティムバートン監督作品「バットマン」でバットマンを演じたマイケルキートンが同役で登場。更にはベンアフレック演じるバットマンも再登場を予定している。
バラバラの世界観を同居させてしまうキラーコンテンツ、フラッシュ。コロナの影響を受けながらも制作は続けられている。ここから再びDCがユニバース路線で再起動するのだ。続報が楽しみだ。