◆等身大故に、時代劇路線へ
前回の記事①にて、「シン・仮面ライダー」(なるものがあるとすればそ)の「真」(原点)を構成する要素に、「怪奇性」と「悲劇性」の2点が挙げられることはご紹介した。いずれも「怪獣モノ」から「怪人モノ」へと派生したが故に必然的に生まれた要素であった。
しかしそこに、全然違う方向から新たなエッセンスが加わることとなる。それが「時代劇っぽさ」である。
元々伝統的な日本の「等身大ヒーロー」と言えばやはり「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」と言った時代劇(チャンバラモノ)。そんな由緒正しい伝統的日本のヒーローと、仮面の等身大ヒーローが融合するのもまた必然だった。
とりわけ殺陣(アクション)を担当した「大野剣友会」が作品に与えた影響は極めて大きい。読んで字の如く、時代劇における「剣」殺陣、即ちチャンバラに生きた男たちが仮面をつけてヒーローや怪人を演じたのである。劇中、必ずと言っていいほど大量のザコ戦闘員が登場してはやられるのも、元はと言えば時代劇における「斬られ役」だったのである。
更に大野剣友会が「仮面ライダー向き」だった理由として「柔道一直線」でのトランポリンを多用した演出経験も挙げられる。派手な投げ技で人が宙を舞う描写が楽しい「柔道一直線」の演出は、バッタの能力で自在に宙を舞う仮面ライダーとの相性がぴったりだった。
※「柔道一直線」には、素顔の大野剣友会を初め、後の一文字隼人を演じる佐々木剛や、ウルトラシリーズでもおなじみの名優たちが顔を揃えており、特撮マニアにとってもなかなか面白い作品となっている。劇中、登場人物が見せる「構え」の中には、モロに「変身ポーズ」と重なるものもあり、仮面ライダーの「萌芽的作品」としても楽しめる。
しかし、この「時代劇要素」というのが、また更に面白い効果を生み出すこととなる。
テンポよく鮮やかなアクション活劇、時代劇らしく悪役をなぎ倒す爽快感。これらが「怪人モノ」を「怪人チャンバラ」へと進化させ、ウルトラシリーズ等他の特撮作品にはなかった独自のカラーを生み出した。と同時に、元々仮面ライダーが志向した「怪奇性」や「悲劇性」をも吹き飛ばしてしまうのだ。
◆たった1クールで吹き飛んだ「悲劇性」
仮面ライダーらしさを語る上で、「改造人間にされてしまった悲しみ」を上げるマニアは多い。二度と元の人間には戻れない悲痛な運命、その悲しみを仮面に隠して巨悪と戦う姿に、ヒロイックな男の魅力が光る。
ほとんどの歴代仮面ライダーのマスクには目の下に通称「涙ライン」と呼ばれる黒い縁取りがなされており、これは己の宿命を嘆く悲しみの象徴だとも言われている。
確かに仮面ライダーが持つ「悲劇性」はシリーズに通底する要素ではあったものの、これが案外、しょっちゅう劇中で語られていた訳でもなく、放送当時はあくまでも「痛快愉快なヒーロー番組」だと思っていた子どもたちが多かった。
実は、仮面ライダーが真面目に改造人間の悲哀を語っていたのは、ほとんど1クール目(1話〜13話)までの話で、特に14話以降、一文字隼人=仮面ライダー2号が登場した2クール目以降からかなりの「テコ入れ」がなされていたのだ。
その辺りの事情は「仮面ライダー大全」に詳しい。非常に冷静かつ客観的に作品について分析した上で、様々な方向性が模索されていたことが伺えて面白い。
鳴り物入りで始まった「仮面ライダー」だったが、序盤では視聴率に苦戦。確かに今の目で見ても序盤の仮面ライダーは非常に暗く、怖い(ストーリーの内容はおろか、画面そのものの明度という意味においても暗い)。このダークな序盤(通称「旧1号編」)が大好きなマニアも大勢いるが、肝心のメイン視聴者である子どもたちの受けはさほど良くなかったようだ。確かに「怪奇性」と「悲劇性」を強く押し出しても、子どもが喜ぶヒーロー番組からはかけ離れていってしまう。
そこで、番組スタッフたちの間で「テコ入れ会議」が行われた。テコ入れポイントは主に以下、
・ライダーのスーツにシルバーを追加して明るく
・レギュラーに女性キャラを増員し、画面を華やかに
・主人公のキャラクターをもっと都会っぽくして明るく
・巨大怪獣を登場させてもっと派手な映像に
※最後の「怪獣路線」だけは実現しなかったが、その名残は旧1号編ラストの怪人トカゲロンの怪獣っぽいデザインに見られる。
1号ライダーを演じた藤岡弘氏の撮影中の不慮の事故が原因で、代役が必要となったという経緯から2号ライダーが登場したというエピソードは非常に有名だが、番組へのテコ入れそのものは、藤岡氏の事故の有無関係なく行われる予定だったようだ。
RAH リアルアクションヒーローズ DX 仮面ライダー旧2号 Ver.2.0
通称旧2号と呼ばれているスーツは、もしかしたら旧1号の進化版スーツとなる可能性もあったのかもしれない。
◆変身ポーズの導入と大流行
これら大幅なテコ入れを加えられて再スタートした仮面ライダー(2号編)は、13話までとは大きく異なった明るく痛快なヒーロー作品へと生まれ変わった。
その結果、仮面ライダーが抱える「悲劇性」の部分は、笑顔の似合う一文字隼人のキャラクターに飲み込まれて薄れていった。
このテコ入れを後押ししたのは、単に視聴率の問題以上に、アクション性との相性の問題もあったと思われる。
痛快な「チャンバラアクション」と暗めの「怪奇性」や重く湿っぽい「悲劇性」はやはり相性が悪かった(補完関係にあると見ることもできるが)。だからこそわかりやすく受けの良いアクション性が前面に出る結果となったのだろう。
上図における「アクション性」の強化は、「変身ポーズの導入」によってより強化された。
それまでの仮面ライダー(旧1号)は、変身するためにバイクに乗るor高所からジャンプすることでベルトに風圧を受ける必要があった。それが作劇上うまく利用され、痛快な逆転劇を生むこともあったが、多くの場面において手詰まり感を生んでもいた(設定面でも作劇面でも)。
それを打破した上で新たな「変身ブーム」を巻き起こした大発明が、ポーズによる変身であった。
※実は世界で初めて変身ポーズを披露したのは2号ライダーである。
誰でもどこでもすぐに真似ができてヒーローになりきれる。更にポーズが「視覚的言語」と化して、番組を見ていない者にまで簡単に流布される。仮面ライダーはもはや社会現象となった。
◆様式美と化した「怪人チャンバラ」
ここまでで実に興味深いのは、「原点」だと思われたはずの「悲劇性」が早々と作品からは後退してしまったかと思えば、元々作品コンセプトに全く存在していなかったはずの「変身ポーズ」の方がもはや仮面ライダーのお家芸となったことだ。
ここに、仮面ライダーという作品の複雑さがある。仮面ライダーのオリジンを語ろうとすると、「改造人間の悲哀を外すな!」という声が上がれば「それってそんなに大事なの?」という声も上がるし、「仮面ライダーといえば変身ポーズ!」と言う人もいれば、「ポーズなんて原作にはない!」なんて言うファンも現れる。
「シン・仮面ライダー」の「真」はどこにあるのか?国民的ヒーロー番組の割にその定義付けが非常に難しいのである。
但しここまででハッキリしているのは、「怪奇性」と「悲劇性」を土台としたその上に「時代劇風アクション活劇」を描いたのが元祖仮面ライダーだったということ。この定義はとりわけ「昭和ライダー」と呼ばれるシリーズ作品には概ねフィットするのではないかと思う。
これを私はざっくりとではあるが「怪人チャンバラ」と呼びたい。
昭和ライダーでは、定型化されたこの「怪人チャンバラ」がひたすらに繰り返された。勿論、設定やキャラクターは作品ごとに異なれど、基本フォーマットはほぼ毎年、毎回同じ(批判などではなく客観的事実として)。
仮面ライダーは、このスタイルをもはや「様式美」として定着させることに成功したのだ。
しかし、この仮面ライダーらしさの象徴である「怪人チャンバラ」から脱して、つまり「時代劇風アクション」の膜をひっぺがして、その下に眠っていた「怪奇性」や「悲劇性」に再び光を当てる作品が登場し始める。
この続きは次回、「③原点を探る80〜90年代」にて。