◆ジム・ゴードン
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J・K・シモンズ演じるゴードンがもっと見たい!と思っていたので「劇場版」より更に追加された彼のシーンが見られたのは本当に嬉しい。普段のベンバッツを支える人々の姿に触れられる数少ない瞬間だからだ。
ゴードンが"How many of you are there?"と尋ねるのは意味深だ。なぜなら彼は、焼け死んだロビンと組んでいた頃のバットマンも知っているから。
再び仲間を連れてゴッサムに舞い戻ったバットマンを見て、ゴードンも何かを感じたはずだ。
もしかするとその何かを伝えるために"Do you really think that...?"となにやら聞こうとしていたようだが、フラッシュを残して彼らは去ってしまう。
この、用さえ済んだらすぐどっか行ってしまうヒーローの姿にも「らしさ」を感じる。
警察とバットマンの繋がりは法的にかなりグレー。ベタベタ仲良しでいられる訳ではない。そしてそんなダーティな雰囲気はきっとフラッシュのいるセントラルシティには無いのだろう。フラッシュだけが少しズレるのがまた良い。しかも超高速ヒーローなのに。(これもバットマンとフラッシュのキャラの違いというより、ゴッサムとセントラルシティの違いと捉えた方が世界観広がって楽しいかも)
ちなみに今回の戦場となる「ストライカーズアイランド」はDCEUでは「BvS」でドゥームズデイが落下した場所。これがなぜか「劇場版」では違う名前の島に変えられており、こんな場面でも「BvS」と距離を取られてしまったようだ。
サイボーグが増えたことで車に乗れないことを気にするフラッシュに対し「もっと大きいのがある」とナイトクローラーの存在を仄めかすセリフも「劇場版」ではカットされていた。逆に言うとGCPDまで3人はバットモービルで来たってこと?!(バットモービルから出てくるダイアナとか超見たい…)
しかし私がここで注目したいのは、古典的なゴッサムシティのイメージの数々の映像化だ。
ガーゴイルの上に佇むバットマン。ネズミがうごめく薄暗い地下道を歩くバットマン。ザックの独特の作風が目立つ本作にあって、比較的古典的なバットマンのイメージが織り交ぜられているのが嬉しいところ。
「BvS」で狂気にとらわれたベンバッツしか知らない我々にとっては貴重な「平常運転のベンバッツ」が垣間見える場面だと思う。(だからって「劇場版」のようなテーマ曲は不要、くどい。)
◆サイボーグとバットマン
ブルースと同じくゴッサム出身のビクター。バットマンなど都市伝説に過ぎないと信じていたようだ。おそらくジョーカーという犯罪者の存在は認知していても、そんな犯罪者と戦うコウモリ男の存在などマスコミのでっち上げ程度に考える人々も少なくはないのだろう。そんな彼に対するブルースの返答が面白い。
"I'm real when it's useful." -役に立つときに現れる-
このセリフから、ブルース自身が「バットマン」という存在を「ブルース・ウェインが変身した姿」ではなく「犯罪者が恐れるコウモリ男のアイコン」として客観的に認識していることがうかがえる。彼は街の「シンボル」になり切っているのだ。そこにブルースとしての人生が犠牲になることへの個人的感傷など微塵もない。(20年もやっているベテランなので当然か)
◆戦う女神・ワンダーウーマンの復活
実は「SC」になって一番キャラクターの根幹を取り戻したのはワンダーウーマンなんじゃないかと最近思うようになった。元々「劇場版」にしてもアクションシーンや活躍の場が多かったのでさほど気にしていなかったのだが、よくよく見るとセリフの違いが際立つようになり、ガルが怒った理由もその辺りにあるような気がしている(あくまでいちファンの妄想です)。
問題は「ジョスが脅した」というところよりも、ガルが何に抵抗を示したのか?という部分だが、その検証は後日に回したい(改めて「劇場版」の考察レビューをする予定)。
しかし「SC」と「劇場版」とでダイアナの扱いがまるきり違うなと感じたシーンがここで登場する。ステッペンウルフに「俺の獲物だ」と言われた際に「私は誰のものでもない」と言い放つシーンだ。
この力強い彼女のセリフが「劇場版」では当たり障りないものに変えられている。それは、彼女の自尊心の強さが、「2時間以内でまとまるべきチーム」の中では余計なものだと敬遠されたからに他ならない。
総じて「劇場版」でのダイアナの動きは、チーム結成に向けてギスギスした男同士の軋轢を緩和させる緩衝材に終始。劇場で観た印象としてはまさに「お母さん」。悪く言えば古臭い慣習に縛られた旧来の女性像そのものだったとも言えるだろう。
それは第一次大戦時、戦場で尻込みする男たちを尻目に「ノーマンズ・ランド」を1人駆け抜けたあのダイアナとは思えない。そして「BvS」で強すぎるドゥームズデイとの戦闘そのものに時折笑顔さえ見せていた生粋のアマゾンの戦士らしくもない。
そんな彼女の逞しさが、「SC」では見事復活している。斧を掴もうとするステッペンウルフとの睨み合いの末ぶっ飛んで行くダイアナはまさに「ワンダーウーマン」そのものだった。男のやる気のために遠慮したり配慮するのではなく、男をも率いて戦場でも先頭に立つ、それがワンダーウーマンだ。このシーンのダイアナは本当にカッコいい。
◆リーグの初陣
まだ団結できていない、とは言えこの段階で既に見事な分業体制が取れている。
現状ステッペンウルフとまともにやり合えるのはダイアナのみ。彼女が大物とやり合いつつ、しかし押され気味の彼女を大型マシンで雑魚もろともバットマンがフォロー。人質の救出にフラッシュとサイボーグが尽力し、救出完了後はフラッシュもワンダーウーマンをフォロー。
この、スーパーマンもアクアマンも不在というカツカツの戦力で挑まざるを得ないシチュエーションは個人的にかなり好きだ。(戦隊モノでたまにあるレッド不在の回みたいな)
それにしてもフラッシュのアクションシーンが大幅に追加されているのが嬉しい!救出した人質の上に降る瓦礫を超高速で退けるシーンなんか神がかって美しい。
何より「劇場版」と比べてバットマンが強いのに感動...。あのガントレットの効果がかなり大きく、超人の中でも遜色ない戦闘力を見せつけてくれる。
…あれ、戦闘終了後の"May be temporary."カットされた?!
ゴードンがバットマンに対して「また仲間ができたようで嬉しい」という内容を語りかけるシーン。おそらくジョスの手が加わる前の段階に作られたTrailer1にも収録されていたためザック自身が撮ったシーンのはずなのだが...。
ということは、たとえザックが撮ったシーンであっても商業用のリップサービスでスタジオの顔色を伺いながら挿入したシーンというのがちょこちょこあって、今回の4時間バージョンへと仕上げる過程でそういうシーンはザック自らことごとく削った可能性もあるのか…。
◆ステッペンウルフの瞳
あまりステッペンウルフについては扱ってこなかったが、彼の姿が本来のデザインに戻ったことは実に喜ばしいこと。そもそも彼のデザイン改竄問題は「劇場版」公開直後から把握していたことなので元に戻って当然だとは考えている。「BvS」のAE終盤にレックスの前に登場したものとあまりに違っていたし。
しかしそれでも驚いたのは彼の瞳、結構キレイってこと(笑)✨
基本的にトゲットゲの鎧を纏っている間は恐ろしくて仕方ないのだけれど、デサードやダークサイドと話すときの彼の瞳は実に弱々しい小動物のようなつぶらな色に変わる。
デサードに裏切り者!とか怒られてたけどコイツ何したんだろう…?多分ダークサイドの座を奪おうとして別の種族と手を組んだとかそんなこすいことのような気がするけど…。コミックスに詳しい方いらっしゃったら教えてほしいです。
それに、彼も内心この贖罪を不服に思っているように私には見えた。ダークサイドのように本心から星々を滅ぼしてやろうというより、早く解放されたい、故郷に帰りたい、その一心で働いているようにも見えた。
その点小物っぽさが漂っているのは「劇場版」と同じではあるのだけれど、デザインが違うだけでここまで印象が変わるものか。トゲトゲの鎧はもちろん、見事な逆三角形の体型が力強くてカッコいい。
ちなみにあのボックスを埋め込んでいる銀の板、デサードらと交信するあれはやっぱりモノリスのイメージなのだろうか?
(前作の段階で「2001年〜」を意識していたことは既にザックも認めているところ)
◆異世界からの侵略者
Justice League: The Darkseid War: Lex Luthor (2015) #1 (English Edition)
「劇場版」と比べて圧倒的にスケールが拡大されたのは、デサードやダークサイドの登場もそうだが、彼ら侵略者が異世界からの侵入者であると明言されたことであろう。
ここは吹替や字幕だけではニュアンスがやや潰れてしまっているところなのだが、彼らは単に別の星から来た宇宙人ではないらしい。自身が所属する宇宙だけでは飽き足らず、別次元の宇宙に存在する何万もの星々をも滅ぼし屈服させてきた、途方もない規模の破壊神なのだ。
加えて彼らはNew Godsと呼ばれ、ゼウスやアレスのような地球に土着の神々とは違い、次元や空間を超越したあらゆる多元宇宙の支配を目論む悪の神々である。ワルだけど「神」と呼べるところが良い。ジャスティスリーグとは、神々が神々と戦うために団結する物語なのだ。
◆バットケイブ
リーグメンバーがバットケイブに集結するシーン。「劇場版」では正直バリーがウザかった(笑)
はしゃぎ回って高速で駆け回るシーンがあったが、あんなのやるくらいならもっと戦闘シーンでちゃんと高速移動見せろよと。
あのウザいシーンがなくなっただけでもだいぶスッキリした。ここはもうそれだけです(笑)
とりあえずザックが描く世界のヒーローたちは、誇張されたアニメのキャラクターのような嘘っぽいお芝居はしない。プロフェッショナルの仕事現場のように静かに淡々と、しかし本気だ。それはきっと彼がリスペクトするアメコミのジャンルがフランク・ミラー然とした世界観だからだし、その波長が合う人にとってはものすごく好きな作風なんだろうなと思う。
◆ロイスとマーサ…?
DCコミックス マーシャンマンハンター 1/10 アートスケール スタチュー
「劇場版」のロイス、改めて見直すとびっくりするがかなり元気。普通に職場復帰してるし、クラークのことをあんまり引きずってない。
だからだろう、クラークが生き返ったシーンや農場に帰ってきたシーンにもあまり感動が無かった。
しかし「SC」ではクラークの死から全く立ち直れずにいる彼女の姿が見られる。
そんな折、マーサに化けたスワンウィックもといマーシャン・マンハンター(ややこしい笑)は彼女に「自分の人生を取り戻して」と伝える。
なぜマーシャンがこんなことをするのか?それは彼がロイスを心から信頼しているからだろう。
ロイスには確かにスーパーパワーはない。しかし、ジャーナリストとして真実を追い求める中で世界を変え得る力が彼女にはあると彼は確信している。まだまだ混沌を極めるこの世界は、彼女の力を必要としている。
ロイスは単に励まされたわけではない。彼女は人間でありながらヒーローから求められるだけの偉大な存在であることがマーシャンによって証明されたと言えるだろう。
次はパート5。いよいよDisc2へ...え、やっとDisc2か(笑)