◆全て白い部屋での妄想...?
劇中でもショッキングだったのが、中盤まで順調に距離を縮めてきた隣人の女性・ソフィーとの関係が、全てアーサーの妄想だったと判明した瞬間だろう。
これはただ単に「劇中にウソが仕込まれていた!」という種明かしの役割を担っていただけではなく、「もしかしたら他のシーンにもアーサーの嘘や妄想が混じっているのかもしれない」という不信感の迷路へと観客をいざなう実に巧みな仕掛けであった。
いや、もっと恐ろしいのは、「全てがアーサーの妄想だった」という可能性だ。
これについては、信じ難い、受け入れ難いという声もあろう。だが、よくよく振り返ると、その可能性を示唆する描写がいくつか出てくる。
本作に隠された謎について、監督が明言している数少ない証言の一つがこれだ。
もし、最後の白部屋でのあのシーンだけがアーサーの本当の笑いだとすれば、他は全て「作り笑い」ということになる。
そこから考えられる仮説の一つはこうだ。全てはラストシーンのあの真っ白な部屋で、精神科医の前でアーサーが考えついた自伝的妄想である。つまり本作のほとんどの描写がアーサーの主観による妄想混じりの胡散臭い自伝だったということだ。
但し、それ自体が実は勘繰りすぎだったり製作陣によるミスリードの可能性だって大いにある。まさに不信感の迷路だ。
だから今回は、何が事実で何が妄想か?の線引きは明確にはせず、ひとまずウソが隠されている可能性のある描写の数々を列挙してみたい。
◆消えるバスの少年
これは何度か見返している中で気がついたことなのだが、序盤のバスで出会った黒人の少年、最後のカットでは見えなくなるのである。
しかしこれは解釈が分かれるところで、母親に抱き抱えられて膝枕のような体勢になっているようにも見えるし、極端に言えば、最初から少年なんていなかったのかもしれない。アーサーに笑いかけてくれる存在というのがそもそも本当にいるのか怪しい、なんて解釈もできるのだ。
◆劇中に登場する11時11分の謎
カウンセラーと対話するシーンや職場のタイムカードなど、時計が登場するシーンはいずれも11時11分。
スピリチュアルな世界でも特別な時刻とされているようで、とりわけこの数字[1111]には目を覚まさせる効果があると言われており、まさしく「ここは妄想の世界ですよ、目を覚まして下さい」と訴えかけているようだ。
或いは、全てはラストシーンに登場した白い部屋にいるアーサーの脳内での出来事だから時刻が変わらないという暗示なのかもしれない。
◆アーサーと「黒人」たち
アーサーと直接の関わりを持つ人たちの中には、黒人の比率が妙に高い。勘繰りすぎかもしれないが、とりわけ「モブ」ポジションのキャラクターに黒人が多いのは何か意味があるように思うのだがどうだろう。
ラストシーンの白部屋でアーサーの目の前に座る黒人の精神科医だけは本物であり、劇中登場する黒人キャラクターの多くは、彼女からインスピレーションを受けて創作された者たちばかりではないだろうか?ということだ。
具体的には、同じアパートのソフィー、ソーシャルワーカーのカウンセラー、楽器屋の主人、アーカム州立病院の受付の男性...。果たして彼らは実在した人物だったのだろうか?
◆証券マン殺しのウソ
これに関しても初見から違和感があった。それは、銃弾数への違和感だ。
アーサーが使っていたのはリボルバータイプの拳銃。劇中のものを精査してはいないが、装弾数は6発〜多くても8発だろう。しかし、3人を射殺するシーンでは10発以上発射されており、途中リロードする場面やそれを思わせるカットもない。
というより、どうもわざとウソを入れているような気がしてならない。わざわざリボルバータイプなのも、わかる人にはわかるようにするためだったのではないだろうか?
では、どこまでがウソなのか。本当は3人とも即死だったのか?本当は1人しか殺していないのか?実は誰も殺さなかったのか?
◆香水の香り?
更に疑わしいのが、ソフィーとのデートから帰ったアーサーと母の会話。
ソフィーとのデートが全て妄想だったことは劇中で完全に証明されているのだが、帰宅後のアーサーに起こされた母が
「香水の匂いがするわ」
と言っており、これもおかしい。ソフィーに会ってもいないはずなのに、香水の匂いなどするはずがないのだ。
- アーサーが香水をわざわざつけた
- 母との会話そのものがウソ
- 母すら存在しない
あえて3つ目の極端な説を推すとすれば、アーサーが病気の母親の面倒を見ながら暮らしているというストーリー自体が、自分を美化するための美談のように思えてしまう。仮に母が実在していたとしても、本当にあの2人はあんなに仲良しだったのだろうか?
◆トーマスと冷蔵庫
中盤で、トーマスウェインに宛てた母の手紙を読んでしまったアーサーは、自分がトーマスの息子である可能性を知る。そして抗議デモのどさくさに紛れて彼はトーマスに会いに行く。
私はどうもこの下りもウソくさいと思ってしまった。あの会場、あんなに簡単に侵入できてしまうものだろうか?トーマスにはSPもいないのか?そして何より、警備員のジャケットでなりすまし、トイレに向かいトーマスがひとりになった瞬間を狙うなんて、なんだか話が出来すぎてはいないか?リアルな作風が売りの本作だからこそ、ウソっぽい箇所が際立つのだ。
加えてカット割も意味深だ。トーマスに殴られて洗面台に両手をつくアーサーは、次の瞬間同じポーズで自室の洗面台に手をつくカットへとワープする。その後アーサーは冷蔵庫の中に入るという例のシーンにつながる。
それはまるで、トーマスとの邂逅は自室の中でアーサーが見た白昼夢だとでも言っているようにも思えるが、どうだろうか?
◆テレビ出演?
これも大胆かつ確証のない仮説だが、私はアーサーはマレーのトーク番組に出演していないのではないかと思っている。
断定に至るほどの根拠はないが、断片的にそれを裏付ける状況証拠はいくつか散在している。
- 控室で対面したときのマレーが優しすぎる。あのタイミングであのメイクで来られたら、ジーン同様起用を渋ってもおかしくない。
- そもそも番組側に彼を呼ぶ理由が見当たらない。確実にドンズベリするようなコメディアンをスタジオに呼んで何ができるのだろうか?
- そもそもあんな場末の下品なステージでの芸人の映像を超人気番組で流すだろうか?
- 刑事2人に追われる身でありながら病室で母を殺害し、更に自室で友人の目の前でランドルを殺害。いくらなんでもいい加減足がつくはず。
- 射殺される直前のマレーが、地下鉄で刑事2人を笑った件についてアーサーを咎め始める。彼はそんなこと知るはずもないのに。
- 番組出演に合わせてアーサーは髪を緑に染めたが、ラストシーンでは黒に戻っており、染め直したとも考えにくい。
とりわけ、マレーがアーサーしか知り得ないことを口走るあたりは非常に怪しいポイントで、まさに彼自身の心の中の出来事であることを象徴しているような気がするのだがどうだろう?
今回はただ疑わしいポイントを列挙するに留まったが、とりわけ注目すべきはブルース・ウェイン=バットマンの扱いである。
これについては「JOKER考察③〜JOKERがもたらす新たなマルチバースの可能性〜」にてじっくり扱いたい。