前回、本作「JOKER」がアーサーの妄想によって成立している物語である可能性の数々を提示した。
だが、結局のところ何も断定はできない。しかし間違いなく言えることは、あの世界にバットマンはいないということだ。
◆バットマンすら架空の存在
本作のラスト、未来のバットマン=ブルース・ウェインの眼前で彼の両親はやはり射殺された。
1人立ち尽くすブルース。
それまでアーサーの主観で描かれてきた物語は突如、第三者目線で描かれる。アーサーが見ていないはずの映像が、さも事実であるかのように映し出されるのだが…。
そのカットから、精神病院らしきところで実に愉快そうに笑うアーサーのカットへと繋がり、彼は
「実に面白いジョークを思いついた。君にはわからんだろうがね」
と口走る。
ここからハッキリ言えることは、本作におけるバットマンとは、アーサーの脳内における空想の産物に過ぎないということだ。
「君には分からないだろう」という言葉が象徴しているように、バットマンの面白さは、この世界ではアーサーが独り占めしているのだ。
◆4人のジョーカー
話は変わるが、現在DCコミックス原作の映画シリーズ:DCEUには複数のジョーカーが存在していることはご存知だろうか?
まずは「スーサイド・スクワッド」に登場した、ジャレッド・レト演じるジョーカー。
ハーレイクィンの元カレと言えば分かりやすいだろうか?なんと「ジャスティスリーグ スナイダー・カット」の追加撮影によって再登場すると言われている。
そして本作「JOKER」に登場したホアキン・フェニックス演じたジョーカー。
更には、今後公開予定の「ザ・バットマン」にも新たなジョーカーが登場するかもしれない。
ピエロメイクのチンピラが予告編でも確認できるため、その存在が仄めかされている。
更に更に忘れてはならないのが、ドラマ「ゴッサム」に登場したキャメロン・モナハン演じたジョーカー。
ファンの中では彼をこそ最高のジョーカーに推す声も多い。
近年で絞ってもこれだけのジョーカーが存在する。そこまで詳しくない人からすれば混乱の元だと思われてしまうかもしれないが、DCは積極的に「マルチバース」設定を取り入れようとしているようだ。
◆マルチバースとは?
マルチバースとは、わかりやすく言えば「並行世界」のことで、世界は何千・何万・何億通りも存在し、それぞれは決して交わることのない並行世界として存立しているという考え方だ。
日本のアニメや特撮作品ではあまり使われない設定だが、「仮面ライダーディケイド」なんかはモロにこの設定が大活躍した作品だ。
マーベルで言えば、「スパイダーバース」が近年ヒットしたのも記憶に新しい。
続編も計画されており、なんと東映版スパイダーマンも登場するとか。
そしてこのDCの世界においても、ディケイドやスパイダーバースのように、このマルチバースの壁を通り抜け、マルチバースを繋げてしまうキャラクターが存在している。それが、フラッシュだ。
◆フラッシュが広げるマルチバースの世界
彼の超高速移動能力は次元の壁に穴を開け、時間移動はおろかマルチバース間すらも移動可能。
とりわけドラマ版「フラッシュ」ではその設定が大活躍。
例えば、アース1のウェルズ博士、アース2のウェルズ博士、アース3のウェルズ博士…といった風に、同じ顔同じ名前でありながら異なった世界線に生きる全くの別人=ドッペルゲンガーが多数登場し、その設定をうまくストーリーに絡めて実に楽しい展開を生み出している。
そして今後映画作品の世界も、フラッシュによってつなげられてゆくようだ。
驚くべきことに、1989年「バットマン」でバットマンを演じたマイケル・キートンが登場するという噂。
マルチバース設定は、過去のバットマン映画の全てをも包摂して更なる世界の拡張を予感させる。
※ちなみに、映画の世界で活躍するフラッシュは上で紹介したドラマ版のフラッシュとも別人。
たくさんの映画をひとつの世界に束ね、様々なヒーローがアッセンブルする魅力を生み出したマーベルMCUとは異なり、
様々なキャラクターの解釈を許容し得るマルチバース設定で無数の並行世界を行き来する楽しさを描こうとしているDCEU。
新たな展開にワクワクが止まらない。
◆JOKERの位置づけは?
そう考えると、本作「JOKER」の世界とは、スーパーヒーローなど1人もいない寂しい世界にも思える。仮にマルチバース設定が展開されていったとしても、アーサー・フレックのいるあの暗い80年代のゴッサムにはフラッシュも立ち寄らないだろう。今後のDCEUに本作が絡んでくるとは到底思えない。
なぜなら、アーサーのいる世界は、限りなく我々の住む世界(リアルアース)に近いからだ。
アーサーや我々が対峙しているのは、スーパーヴィランなんかではない。貧富の差や、仕事の苦しみ、乱れ切った社会秩序、下品なテレビに鉄のように冷たい街の空気…。全て私たちのアース(並行世界)にもあるものばかりだった。
リアルすぎて冷たく息苦しい世界は、クラークにも、ダイアナにも、バリーにも似つかわしくない。
残念ながら、我々の住むアースのすぐ隣にあるのは、「JOKER」の「妄想アース」に思えてならない。
◆我々もマルチバースの一員
しかし、そのことは決して嘆かわしいことではない。なぜなら、「JOKER」でアーサーが独り占めしているバットマンの物語を、私たちのアースではコミックスとして、映画として誰もが楽しめるのだ。
バットマンだけではない。私たちは他のアースの全ての物語を覗き見ることができる。現実にヒーローはいなくとも、フラッシュのような時空間移動能力がなくとも、我々はいつでも自由に全てのアースの観客になることができる。そう考えると、我々のアースが一番幸せなアースではないだろうか?
「JOKER」ではアーサーの脳内に閉じ込められていたスーパーヒーローの存在が、我々の世界では広くコミックスとして、或いは映画として解放されているからだ。
しかし何よりも嬉しいのは、あまりにもリアルな本作「JOKER」すらも「マルチバースの一つ」として捉えることで、私たちが住むこの世界も、スーパーマン やバットマンが存在する無数のマルチバースの中の一つとして捉えることができるという発見だ。
そのことに気付かせてくれたDCの新たな展開から、今後も目が離せない。