アダモマンのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

JOKER(ホアキン・フェニックス版ジョーカー)見返したくなる考察①〜アーサーとジョーカーの対比〜

 ジョーカー(字幕版)

最近「JOKER」の4K版を購入。ウハウハで数十回見返している訳だが、その中で気付いたことや自分なりに解釈している見方をまとめておきたい。

一つの記事にすると膨大な量になりそうだったので、項目ごとに記事を小分けにしていこうと思う。今回は、劇中で見られるアーサーとジョーカーの対比構造について扱いたい。

見れば見るほど思うのだが、「アーサー」から「ジョーカー」への変身ぶりが凄まじい。もう全くの別人である。それも、真逆の存在へと変貌する。だからこそ劇中ではおそらく意図的にこの2人を対比させて描いているようだ。

本作の一番最初、鏡の前でメイクをするアーサーの右目からは1滴の涙がメイクに混じって流れているが、終盤でマレーの番組へと向かう彼のメイクはまるで左目から涙を流しているように瞼の下のグリーンが垂れている。

2人はまさに「鏡写しの存在」なのである

◆奪われる者から、嗤う者へ

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まずは、楽器屋の閉店セールの仕事をしていたアーサーが少年たちにボコボコにされるシーンと、終盤のジョーカー逃走シーンの対比だ。

本作の冒頭、アーサーは少年たちに看板を奪われ、それを追いかけた彼は裏路地でボッコボコにされてしまう。アーサーの悲痛な生き様を描いたインパクトあるシーンだ。

それに対して終盤、2人の刑事に追われ、街を駆け回るジョーカーのシーンを思い出してほしい。この2つのシーンは構図がよく似ている

追う側だったアーサーは追われる側に変わり、しかし途中でタクシーに轢かれそうになる場面はほぼ共通しており、最終的に、追う側(刑事2人)が返り討ちにあってボコボコにされるという展開も共通している。

アーサーはジョーカーになることで「殴られる側」から「嗤う側」へと変わったのである。

しかし面白いのは、正しいはずの者(労働者としてのアーサーや、犯罪者を追う刑事たち)がなぜか返り討ちにあってしまう街の狂気は全く変わっていないこと。街を覆う狂った空気は何一つ変わっていないのだ。

更に、地下鉄でのアーサー(ジョーカー)がメイクの上からピエロのお面をかぶっているのも実に象徴的で面白い。単に「デモ市民に紛れるため」という以上の意図がこのシーンには隠されていると直感的に思った。

ピエロのお面というのは、おそらく街の「何者でもない一労働者の顔」だ。アーサーがピエロとして働いていたときのメイクもこれと同義だろう。そのお面をつけて地下鉄に溢れた抗議者たちに紛れるジョーカー。

だが、目の前で刑事2人がタコ殴りにされているのを見た瞬間、彼はそのお面を外して歓喜の小躍りを始める。そして、ピエロのお面をゴミ箱に捨てる。

それまで、裏路地でいくら暴行を受けても見向きもされなかった、街にとっては何でもない社会の底辺を這いつくばっていた一労働者の彼-アーサー-はこの瞬間に消えた。ひたすらに奪われ、傷つけられるだけの男から、暴力に嗤う男・ジョーカーとなったのだ。ポイっと捨てられたあのお面は、街に無数に溢れる以前までの「アーサーの顔」だったのではないだろうか。

 

◆車窓からの眺め 

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画的にも非常に対比構造が分かりやすいのは序盤、職場に向かうアーサーが虚ろな目でバスに揺られるシーンと、終盤、パトカーで護送されるジョーカーのシーンだ。

バスに乗るアーサーの目はあまりにも暗く鬱屈とした負のオーラを纏っている。あくまでバスという日常的な乗り物であるにも関わらず、周囲は平凡な日常を送っているにも関わらず...もはやバスの方が護送車か何かに思えてしまう。

しかし、終盤でパトカーに乗るジョーカーの目は実にギラギラしていて、喜びに満ちている。街は暴徒によって破壊され、炎に包まれている。そんな非日常をこそ待ち望んでいたとでも言わんばかりの悦びに満ちたジョーカーの笑顔はもはや美しくすらある。

2人の表情があまりにも対照的だ。

映像の構図が全く同じなのでわかりやすいシーンでもあるが、2人の表情の対比より重要なのは、実は車窓からの街の景色かもしれない。日常的なはずのバスから見える街の色の方がアーサーから見れば狂っているのである。乗客は例によって冷たいし、誰も彼に構うことなどなく、静かに彼を追い詰めていく。

だが、パトカーから眺めるゴッサムの景色は、富める者を返り討ちにしたピエロの殺人鬼(ジョーカー)を英雄として受け入れた結果、狂喜の炎に満ちている。アーサーの存在価値を認めたゴッサムの方が、彼にとっては美しく輝いているのだ

 

◆最後のタイムカードとランドルの頭

長く勤めていたであろうピエロの職を追われるアーサー。最後の「退勤」時、彼は「タイムカードを押さなきゃ!」と壁にかけられた機材を殴って落下させる。5回も連打して破壊するシーンのインパクトも大きかったが、この場面が自宅でランドルを殺害したシーンとよく似ている。

ランドルの頭はなんと10回も壁に打ち付けられていたが、構図も動きもよく似ているのが何とも不気味だ。アーサーにとっては機械も人の頭も区別がないのだろうか。または、親切心を装って職場を追い出すように仕掛けたランドルへの恨みは、このときから深く募っていたと見るべきだろう。

 

◆マレーのトークショー 

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母親とマレーの番組を見ているシーンでは、途中から観覧席にいる観客として番組の中に入り込んでしまう妄想劇が描かれたが、あくまで視聴者の一人だったはずの彼が、ゲストとして番組に登場する終盤の展開と対になっていたと見ることもできる。

元々アーサーはマレーに父親の影を重ねていた。彼の想像していたマレーは、地位や名声、このステージの全てを捨ててもお前が大事だ、なんて言ってくれる温かい愛情に満ちた父親のような存在だ。

だが、番組で実際に出会ったマレーが当然そんな温かい言葉をかけてくれるはずもなく、彼は凶行に走るわけだが・・・。マレーにハグされるアーサーと、マレーに銃口を向ける終盤のジョーカーとは、まさに真逆の展開であった。

とは言え、私は終盤でトークショーに出演したこと自体が全て妄言である可能性を考えている。それらについては「考察②〜アーサーのウソと妄想〜(仮)」で扱いたい。