過去何度か当ブログでも扱ってきた思い出の作品「ウルトラマングレート」。
日本を守る新たなウルトラマンがいなかった90年代、最新最強のウルトラマンは、ぼくらのグレートだった。だからこそ「思い出補正」も強いのかもしれない。
しかしそれを差し引いてもやっぱり面白いなと思える独特の何かがやっぱり本作にはある。
現役でウルトラマンZが大好評放送中の2020年現在、
グレートの記事を書くやつも大概どうかしているとは思うが、好きな人は大好きな作品、是非その思いを共有したい。
◆ギガザウルスは怪獣か、恐竜か
第1話に登場したブローズは、おそらく完全にゴーデスに支配されきった怪獣だったと思われる。新種の両生類が元とは思えない変貌ぶりと、双脳という異形具合と異常なまでの巨体。まさに大怪獣の名にふさわしい。
悪魔たるゴーデスが繰り出すモンスターとして、また、円谷モンスターとして見事な怪獣ぶりを発揮していた。
その点、ギガザウルスは2話目に登場した怪獣ながら、既にブローズと異なる点がいくつかあった。
まず、氷漬けになっていたときの恐竜としての姿をほぼ維持し続けていた点。なんなら劇中の吹替ナレーションでは完全に「恐竜」と呼ばれていた。およそ地球の生き物とは思えない異形の怪物が多いグレートモンスターズの中で、ギガザウルスの姿はウルトラマン同様、もはや美しくもある。
2点目に、ゴーデスに使役されたスタンレーがやたらと暗躍する点も挙げておきたい。ブローズの時はただ映像化されなかっただけで同様にスタンレーの手引きがあったのかもしれないが、今回は冷凍機械の破壊にプラスチック爆弾の設置など、かなり細々とした暗躍が目立つ。ゴーデス細胞だけでギガザウルスがしっかり内部侵食できるなら、こんな外部的な工作活動は不要だったはず。
なぜこのような違いが目立つのか。その理由はギガザウルスの生命力の強さにある。換言すればギガザウルスは、怪獣にされようとしながらも、地球の生物=恐竜であろうとし続けた。そしてその生き様そのものが、「ウルトラマングレート」という作品のメインテーマとも直結するのだ。
◆眠れる龍、侵略者との静かなる戦い
ギガザウルス発見の経緯からも、本作が環境問題を裏テーマに据えているのが窺える。
第1話で成層圏を埋め尽くしたゴーデス細胞が「温室効果」を生み出し、南極の氷を溶かし始めたというのだ。地球環境をも豹変させる悪魔ゴーデス。やはり凄まじい。
↑この記事終盤でゴーデスについてはちょっと触れています。改めて後日しっかり書きたいとも思っています。
そしてゴーデスは、眠れる龍・ギガザウルスに狙いを定める。恐らくそれを嗅ぎつけたからこそジャックもまた現場に居合わせることができたのだろう(1話同様)。
驚くべきことに、このギガザウルスは仮死状態であり厳密には生きている。チャールズの説明にあった「(冷凍状態でも)成長を続けている」というのはおそらくゴーデス細胞による再活性化の影響を受けたものと思われる。
しかし、ギガザウルスの覚醒にスタンレーを使役せざるを得なかった辺りを見るに、冷凍されたギガザウルスの体内への侵入には成功したものの、完全なる支配には失敗していた模様。
そう、氷漬けの巨大恐竜は、仮死状態でありながら悪魔の支配を拒絶し切ったのだ。なんという生命力であろう。何千年も生き存えたにも関わらず、覚醒を拒んだのだ。
一個体でありながら、一個体としての生存を敢えて放棄し、自然の摂理に逆らうまいとする「神の意思」(という言葉が妥当かは解らないが)すら感じられる。そんな神秘の存在が、ギガザウルスだった。
しかし巧みなゴーデスの策略(スタンレーの暗躍)により、結果的にギガザウルスは怪獣として覚醒してしまう。
眠りを妨げられた怒りに囚われたかのように、口から冷凍ガスを吐き、街を氷漬けにしてゆく。更に肉体も巨大化を続け、どんどん「怪獣化」させられてゆく。元の古代恐竜のときには無かった「怪獣」としての身体的変化が、ギガザウルスにも表れ始めるのである。
※この記事の終盤で触れた「神格化した怪獣」と言うのが本項で扱っているグレート怪獣たちだ。
ちなみにこのシーンのマペット映像が素晴らしい。着ぐるみでは逆に生まれ得ない独特の躍動感は、CG時代となった現代では絶対に見ることのできない本作ならではの魅力の一つ。
また、マペットサイズだからこそ爆破シーンも派手にやれる。変電所の爆破を皮切りに、以後も「グレート」ではマペットによる迫力満点の爆破シーンが見所となっていく。
しかし面白いのが、「1話のジャックの台詞」をギガザウルスが証明してくれたことだ。1話で「日没になればヤツもおとなしくなる」とブローズについて説明したジャック。その台詞通り、ギガザウルスは日没と共に眠り始める。UMAもみだりに爆撃したりはせず警戒網を張るのみ。人類側からも、ギガザウルスを保護すべき恐竜として扱いたいという思いが伝わってくる。
◆なぜジャックはUMAに入隊したのか?
上述の通りジャックは、ウルトラマンから得た知識なのか特殊な感度によるものかは不明だが、単独でもゴーデスを追うことができる。それは1話でも既に証明されている通り。
だから、ウルトラマンにとってはそのままでも十分ゴーデスと戦える訳で、むしろUMAに入隊した方が正体バレのリスクは勿論、価値観の違い等からUMAでの共闘は難しいと考えているようで、ジャックのUMA入隊を快く思っていない。ウルトラマンの目的は、あくまでもゴーデスの殲滅のみにある。
しかし、ジャックは仲間からの期待(=UMA入隊)を裏切りたくない。勿論ゴーデスは許せないが、「宇宙のために」or「ウルトラマンのために」戦おうとは思わない。彼は、自分が「人間であること」に誇りを持っている。だからこそ、人間として人間のために戦いたい。その結果としてUMAへの入隊を希望しているのだ。
ジャックとグレートは、常に同じ気持ちで戦っている訳ではない。異星人同士、全く別の価値観を持ったまま一人の人間の肉体に同居している。それがまた他シリーズと比べても結構新鮮で面白い。
たとえ意見の相違があったとしても、自分の生き方に誇りを持っているジャックを、ウルトラマンは咎めることができない。ジャックの決断が自分の思惑とは違っていても、一生命体としてやはり尊敬に値するから、認めざるを得ない。そんな葛藤を含んだグレートの「ジャック…」の響きは味わい深い。
※2話での2人のやり取りは、原語版と吹替版でややニュアンスが違うので、是非両方共確認してみてほしい。
そうしてUMA入隊を決意したジャックだが、誰の許可も得ず、勝手にハマーに乗り込みギガザウルスの誘導を試みる。
ここで無線では叱責したはずのアーサー(隊長)が
「それで良い、スペースカウボーイ…」
と彼の無茶を歓迎するシーンは、アーサーの懐の大きさも感じられる大好きなシーンだ。
そんな無鉄砲な一面も見せたジャックだが、爆炎の中にスタンレーとゴーデスの姿を見出し、火星のトラウマに飲まれそうになる。その一瞬の隙をギガザウルスに突かれてしまう訳だが、その瞬間にジャックがデルタプラズマーを手に取るのが良い。
いや、普通に見れば墜落しかけてるから変身するってだけなのかもしれない。セオリー通りだ。
でも、そうではなくて、火星での恐怖がフラッシュバックした瞬間、自分の命を救ってくれたウルトラマンに「すがる」ように見えたのが、良いなと私は思った。死への恐怖、生への執着と、ウルトラマンへの全幅の信頼。これらが一気に伝わってくるようで、前段での2人のやり取りを踏まえた上で見ると、結構感慨深い名シーンだと思える。
◆なぜギガザウルスを消したのか?〜神々の選択〜
本話では、邪神によって荒ぶる龍を「鎮めるために」ウルトラマンは現れる。
登場と同時に展開するトライアングルシールドがカッコいい。当時はコレ何の意味があってやっているのか全くわからなかったが、今になって見返すと、ロイドが夜考案していた紫外線によるバリアの再現だったのかなぁなんて思う。ギガザウルスが苦手とする紫外線を手元で展開して反応を見ようとしたのかもしれない。
とにかく、ギガザウルスと対峙するグレートの姿には終始誠実さが感じられる。神々しいまでに美しいグレートが、ギガザウルスの中に同様の神々しい何かを見出しながら、そこに訴えかけているようだった。
その神聖な何かとは、ゴーデスの支配をも跳ね除けた強靭な生命力だ。生きることへのエネルギー、それこそがゴーデスを倒す最大の武器となる。
ゴーデスとは「死の象徴」である。全宇宙の生きとし生けるものの命を奪うことがゴーデスの存在意義だ。だからこそ、ゴーデスと戦うというのは「生き抜く」ということに尽きる(これは後のゴーデス復活編でハッキリと描かれることとなる)。
最終的にギガザウルスはウルトラマンのマグナムシュートで再冷凍、そしてディゾルバーで跡形もなく消え去ってしまうこととなる。
ディゾルバーを放つ前に優しくギガザウルスの首を撫でるウルトラマンがまた美しい。生物としてゴーデスと戦い抜いた姿に、最大限の敬意を払っているかのようだった。こんな美しいウルトラマンを、私は他に見たことがない。
しかし、なぜウルトラマンはギガザウルスを消し去ったのだろうか(ちなみに映画版では再び冬眠している)。
それはおそらく、ウルトラマンがギガザウルスの「選択」を尊重したからだと思う。
その「選択」とは、何千年も生き存えたにも関わらず、ゴーデスによる覚醒を拒んだという意味での選択だ。一個体でありながら、一個体としての生存を敢えて放棄し(氷の下での永眠を選んだ)、自然の摂理に逆らうまいとする「神の意思」or「地球の意思」をウルトラマンは尊重したのかもしれない。
この、「自然の摂理」や「地球の意思」と言う次元での判断。その姿に、我々は神々しいものを感じてしまう。
そう考えるとやはり本作は、少ない話数ながら非常に一貫したテーマ性を持って描かれていることがわかる。
今後グレートがどんな選択を迫られるのか、引き続き追いかけてゆきたい。