ADAMOMANのこだわりブログ

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アベンジャーズ エンドゲームを最高の映画と呼べない理由〜スコセッシの言葉の意味は〜

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世界最高興収を更新した、MCUの10年が詰まった傑作巨編・「アベンジャーズ エンドゲーム」。

世界中がアベンジャーズ旋風に湧き立つ中、この流れに釘を刺す男が1人だけいた。マーティン・スコセッシ監督だ。

彼はMCUの映画を「映画ではない、テーマパークだ」と非難したのだ。

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彼の映画業界における経歴と功績は言わずもがな、とは言え世間的には「KY」(古いか?)な発言だったのか、これには多くのMCUファンのみならず、RDJを始め出演者たちでさえ遺憾の意を示す声明をSNS上で発表。ちょっとした騒ぎとなったことは記憶に新しい。

私もまた本作(EG)を劇場で3回鑑賞し、毎回号泣。MCUの作品は全て視聴済で本作の4Kソフトも購入したMCUファンの1人なのだが、スコセッシのこの発言、

「ちょっとわかるかも…」

と直感的に思ってしまったのだ。今回はその感覚を言葉にしてみたい。

お断りしておくが、決してEGという作品を批判したいのではなく、これは、スコセッシが伝えたかったことをMCUの大ファンという立場から推し量ろうという試みである。

◆インフィニティウォーこそMCUの傑作?

まず、EGの前作となる「アベンジャーズ インフィニティウォー」(IW)について触れておきたい。EGの感想について語る上で、その対となる作品、IWについて感じたことを明確にしておいた方が色々と話しやすいからだ。

何を隠そう、私はMCUにおける最高傑作は、EGではなくIWだと思っている。

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◆メサイアコンプレックス・サノスの魅力

これまでのMCU作品は、とことんヒーローを物語の主軸に、彼らの人間性を親しみやすく描いてきた。その反面、魅力ある悪役の描写は弱点とされてきた。

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』1/6スケールフィギュア サノス

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』

だが、IWでは大胆にもサノスという悪役を主役に据えている。これはMCUでは初の試みであり、IWとは、サノスがアベンジャーズを完膚なきまでに打倒する物語だった。だからこそIWでは、それまでMCUがヒーローに割いてきた上映時間の全てを、サノスというヴィランのキャラクター描写に注ぎ込むことができた。

そのキャラクター設定がまた複雑で、彼は大真面目に宇宙の生命の半分を消し去ることが救済になると固く信じている。人口爆発がゆくゆくは惑星を蝕み、資源を枯渇させ、自ずと自滅の道を辿る、その宿命からの救済と称して、宇宙で「半殺しの旅」を続けているのだ。

彼のような「自分こそが救世主だと信じて社会から逸脱していく精神状態」を、「メサイアコンプレックス」と呼ぶらしい。この手の悪人は実にタチが悪い。己の信念に恐ろしく実直で誠実なその姿は、もはや英雄的ですらある。

しかしIWが実に面白かったのは、サノスという異常者にすら感情移入を促す演出の数々が楽しめる所だ。

白眉なのは、愛娘ガモーラを殺害するシーン。涙を流しながら、しかし何の迷いもなく彼女の手を引くサノスの姿にはなぜか情に訴えかける強いエネルギーがあった。と同時に、愛すべきキャラクターの呆気ないまでの死を目の当たりにして、サノスへの恐怖に絶望するのだ。

 

◆ヒーローの活躍も描き切る

ヴィランであるサノスをメインに据えても尚、アベンジャーズの活躍が影に隠れなかったのは、新たな「クロスオーバー」という手法が確立されたことにある。

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本作で本格的にガーディアンズが合流したのがクロスオーバー最大の見所だった。

他の作品を通じて観客は既にヒーローたちの魅力を熟知している。だからわざわざキャラクターを掘り下げなくとも、他作品のヒーロー同士が何かおしゃべりするだけでファンは勝手に大喜びしてくれる。共闘シーンにエキサイトできる。だからその分、じっくりとサノスを掘り下げることができた

また本作のアベンジャーズは、サノス軍勢によるテロへの「迎撃」というスタンスが一貫している。だから、機に応じたヒーローたちの瞬間瞬間の判断一つ一つに個性が生まれるし、そこにヒーローを生業とする彼らのプロフェッショナルな仕事ぶりが光る。

※地球外での奇襲を提案するトニーと、地球上で迎撃する策を取るスティーブ、そして武器を求めて旅に出るソーという三者三様のプライドが楽しめる。

迎撃だからこそ予断を許さないし、時間がないし後がない。そのヒリヒリとした緊張感から生まれるドキュメンタリータッチな作劇にも引き込まれた

 

◆ヒーロー映画のセオリーを打破した

ヒーロー映画のお決まりのパターン、「なんだかんだでヒーローが悪役を打ち倒してハッピーにエンドロールを迎える」そのテンプレをIWは打ち砕いてくれた。

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そんな作品が珍しい訳ではないが(ダークナイト等)、明るく親和性の高い作品が多かったMCUにおいてそれをやってのけたことは大きい。

しかしそこに意外性は全くなかった。ヒーローが何人何十人登場しようが、本作はあくまでもサノスという狂人がその夢を叶えるために邁進する物語としてドラマの軸がしっかり定まっていたからだ。その軸(サノスのドラマ性)に、エンターテインメント性溢れる「ヒーローのクロスオーバー」という要素がうまく融合していた。

だから観客は、最高のテンションのまま最悪の悲劇に突入することができたのだ。

 

◆エンドゲームは最高のMCU作品だが最高の映画ではなかった

前述の通り、私は本作を繰り返し鑑賞した上でDVDも購入、人並み以上に熱を入れて愛好しているつもりだ。しかしそれでも本作が「人生の一本」とまではならなかった。それはなぜだったのだろうか。

◆拡散した主人公〜世界一壮大な楽屋オチ〜

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/エンドゲーム』1/6スケールフィギュア トニー・スターク(チームスーツ版)

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/エンドゲーム』1/6スケールフィギュア トニー・スターク(チームスーツ版)

前作、IWが「サノスのドラマ」を軸に「クロスオーバーイベント」とうまく融合した作品だったように、本作EGもまた、「クロスオーバーイベント」というエンタメ性を存分に発揮した娯楽大作であった。

では、「サノスのドラマ」に代わる、EGでのドラマの主軸とは何だったのか。

それは「過去のMCU作品を巡る旅」だった。トニーは亡き父と再会し、スティーブはペギーと再会、ソーは優しかった母との再会を果たした。ネビュラはサノスに従事していた過去の自分と再会。ナターシャは仲間の信念に殉ずる覚悟を決めて一人命を落とした。

この数々のドラマ一つ一つがまた涙なしには語れないのだが、それはさて置き、ザッと書き出しただけでもこれだけの数のドラマが一作の中で一気に描かれたのだ。

だから、ナターシャの死を悼む間も僅かに次々と物語は進行するし、小一時間後には全員でトニーの死を悼み、スティーブは突如老人になってチームを後にする。

好意的に言えば「もったいないほど濃厚なドラマの連続」であり、批判的に言えば「ドラマの詰め込みすぎ」だったのである。

新しいキャラクター・サノス1人の人格を丁寧に描いた前作との最大の違いはここにある。EGでは、主人公のドラマが散り散りに分散しているのだ。

「クロスオーバー」というエンタメ性と融合した要素もまた「クロスオーバー」だった。つまりそれは過去の物語の再確認であり、そこでは実は新しい物語がほとんど生まれていない。EGは「新作エピソード」というより「エキシビジョンマッチ」とか「お祭り編」といった性格が強い。そしてそれは(皮肉を込めて言えば)作風の「内輪化」をもたらした。

 

熱心なファンでなくとも、本作をもってメインキャラの多くがMCUを卒業することは知っていたはずだ。だから「一体どんな卒業になるのか?」が一つの鑑賞モチベーションでもあったのだが、いつしか彼らの壮大な卒業式を見させられているような感覚にも陥るのである。言い換えればEGそのものが、宇宙一壮大な「楽屋オチ」だったのだ。

そして作品全体を漂う小ネタ(キャラ同士のギャグっぽいやり取り)の数々。

圧倒的緊迫感を持ってプロフェッショナルなヒーローたちの「後がない迎撃戦」が描かれたIWとの最大の違いはここにもある。

EGでのヒーローたちは、終始非常にプライベートな姿でリラックスしているのだ。そのスタンスが、作品全体にも緩いテンションを生み出し、内輪っぽさを助長している。

 

◆太ったソーはありかなしか?〜日米比較〜

 

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/エンドゲーム』1/6スケールフィギュア ソー

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/エンドゲーム』1/6スケールフィギュア ソー

その最大の象徴が、「太ったソー」である。監督を始め、本人もファンの多くもこれを「彼の本当の姿」として歓迎しているようだが、私としてはやっぱりカッコいいヒーローとしてのソーの姿がもっと見たかった。仮にこれが彼の「本当のありのままの姿」だとしても、「見たくはなかった」「見せる必要がなかった」、そう感じたファンも、そこそこいたのではないだろうか。

この「太ったソーありorなし問題」は、結構「日本人的な感覚」(民族体質の違い)にもつながる部分だと思うので、スコセッシの発言意図というテーマからはやや逸脱するがもう少し扱っておきたい。 

極端な例だがこれは、「シン・ゴジラ」が日本では大ヒットしたのに、海外ではあまり受けなかったという事象とよく似た現象かもしれない。 

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

  • 発売日: 2017/03/22
  • メディア: Prime Video
 

「シン・ゴジラ」では、個人の描写が徹底的に排除され、完全ドキュメンタリータッチに映画が進行していく。倒壊するマンションに取り残された家族も一瞬映るだけで、どんな家庭だったのか、被害者個々の状況は一切明かされない。

メインキャラクターも同様、そこでは矢口蘭堂の個人的感情も、家族関係も、プライベートな姿も一切描かれていない。あくまでもそれぞれの人間がそれぞれの立場で全力で仕事をする姿だけが描かれる。そしてその姿に我々日本人は心を動かされた。

しかしその感覚は、欧米を初めとした海外の人々には「ない」らしい。ハリウッドの映画を見れば明らかだ。主人公には妻がいて、娘がいて、仲の悪い父親がいて…と、各人のプライベートを描かなければもはや映画は成立しない。それはヒーロー映画でも同様で、ヒーローとしての「仕事場面」の裏にある「プライベートの顔」をこそ彼らは見たがる。おちゃらけたり、家族の不幸に涙したり、そんな弱々しい姿を心待ちにしている。

日本人は、そんなプライベートをぐっと押し殺してでも職務を全うする姿=ヒーローとして戦う姿にこそその人の「人間性」(本当の姿)を見出す。しかし海外では、プライベートの姿にこそ、キャラクターの「本当の姿」を見るようだ。

このギャップは、太ったソーに対する海外ファンの反応と自身の心情のギャップを考える上で、重なってくるように思える。私はEGにも、IWのようなドキュメンタリー調の物語の中でプロとして戦うヒーローの姿を期待してしまっていたのかもしれない。

 

◆繰り返しに弱いサプライズ性

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/エンドゲーム』1/6スケールフィギュア キャプテン・アメリカ

【ムービー・マスターピース】『アベンジャーズ/エンドゲーム』1/6スケールフィギュア キャプテン・アメリカ

私が好きな映画を繰り返し見るのは、見る度ごとに(各キャラクターの心情などにおいて)新たな発見があるからだ。

しかし、EGでは物語の展開そのものが最大の魅力であり、同時に弱点ともなっている。

例えば、ナターシャが死ぬのか、クリントが死ぬのか、ヴォーミアでの攻防そのものは、初見でのハラハラは凄まじい。が、初見がピークだった。

最後のアッセンブルシーンの感動も同様だ。勿論何度見ても「エモい」のは確かだが、初見の「サプライズ感覚」に依っている部分が本作は非常に強い。

これは、スコセッシの言う「映画というよりテーマパークだ」という部分と重なるし、否定できない部分だと思う。

しかし、ファンの初見の驚きと感動を大切にしてきたMCUの誠意の現れでもあるから、これを非難するのは心情的にはやはり憚られるのだ。だから世間はスコセッシの言葉に反発した。

だがやはり、繰り返し繰り返し見たくなる作品には、そういった作劇上の展開や演出をも乗り越えて惹きつけられる「何か」がある。それをスコセッシは

「(中略)…生身の人間が感情的かつ心理的な体験を、同じく生身の観客に伝えるべくして作られたもの…」

https://eiga.com/news/20191007/14/

という言葉で表現している。

実に残念だったのは、MCUファンの多くがほとんど感情的かつ反射的に彼の言葉を非難したことだった。まるで「老害」とでも言わんばかりに、彼の作品を見もせずに反発してしまうのは、あまりにも下品で滑稽な姿だった。

※最も、スコセッシに言わせればIWも映画の内に入らないなんて言われてしまいそうで、そうなれば私がここで述べたことの全ても妄語と化すのだが。

私自身、「タクシードライバー」という彼の作品が大好きだ。

タクシードライバー [Blu-ray]

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  • 発売日: 2012/11/21
  • メディア: Blu-ray
 

 普通のタクシードライバーだった男が、少しずつ狂気を剥き出しにしていく静かな恐怖。そして想像だにしない物語の結び。

EGのようなサプライズもなければ感動的なフィナーレもない。しかし、やはりスコセッシの映画にはそういった作劇上の展開や演出をも乗り越えて惹きつけられる「何か」が確かにあるのだ。

 

MCUの集大成とも言えるEGという作品が露呈した一部の弱点は、それが「クロスオーバーもの」だったからこそ生まれ得たものであり、それをMCUもわかっていたからこそ、ここで一旦区切りを付けざるを得なかったに違いない。

それに、そもそも10年もの長きに渡って各劇場用作品をつなげた前例は一つもない。その業績自体は絶対的なものであり、今後もMCUを超えるものは現れないかもしれない。 

だが、それだけを持って「これこそが最高の映画だ」とは言えないということも、同時に認識しておく必要がある。映画の世界とは、もっと奥が深く広いものなのだ。

そのことを改めて忠告してくれた意味でも、スコセッシの言葉が我々に示していることはあまりにも大きく、重い。