ADAMOMANのこだわりブログ

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帰ってきたウルトラマン 第34話「許されざるいのち」〜怪獣モノと70年代ロックの奇妙な融合(11月の傑作群)〜

不朽の名作「帰ってきたウルトラマン」。これまでも本作については折に触れて語ってきたが、中でも私のお気に入りエピソードを紹介、その深みを語ってゆきたい。

今回は通称「11月の傑作群」の一つとしても有名な第34話「許されざるいのち」をご紹介。

あらすじ等については例によって割愛させていただくが、本話のみ原案が一般者募集であり、採用された歯科医・小林晋一郎氏による「植物怪獣」のアイデアは後年、同じく一般者募集となった「ゴジラvsビオランテ」でも再び採用されるという、特撮ファンにとっては非常に夢のあるエピソードとして有名。

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そして印象的な挿入歌「花・太陽・雨」

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今回は70年代日本の若者たちの心にも想いを馳せながら、本話を振り返ってみたい。

実は本話とよく似たエピソードが初代「ウルトラマン」にもある。第10話「謎の恐竜基地」、ジラース登場回だ。

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共通点は以下。

・どちらも、怪獣を生み出してしまうマッドサイエンティストが登場

・我が子のように自身の生み出した怪獣を愛している

・最期は自分が生み出した怪獣に殺されて死ぬ

だが、「謎の恐竜基地」登場のモンスター博士がシンプルに奇妙な怪老人として描かれたのとは違い、本作「許されざるいのち」では、ウルトラマンである郷秀樹と、レオゴンを生み出した水野との間に、きれいな対比構造が見出せたことが面白かった。

 

◆独身主義者・水野

偶然の再会を喜ぶ郷と水野。この瞬間、2人に少年のようなまぶしい笑顔が戻るのが味わい深く、また切ない。

郷は水野が結婚したか訊ねたが、その瞬間、ぐっと水野の目の色が変わり、

「僕は独身主義者なんだ!」と即答する。自ら孤独な人生を選んだ水野と、たくさんの友人、そして恋人にも恵まれた郷。2人は旧来の友人ではあるが、真逆の生き方をしていた。

 

◆父親に対するコンプレックス

あまり多くは語られていないが、水野は父親に罵られ続けてきたらしい。親子関係は良好ではなかったのだろう。だからこそ父に「認めて欲しい」「認めさせたい」という歪んだ怨念のようなものだけが水野の心には残された。何度も肖像画の父に向けて語りかける姿が実に痛々しい

郷も、早くに父を亡くしており、そのことが語られるエピソードもある(第3話)が、それっきりであまり語られることはなかった。というより、郷自身そのことで不憫な想いをしてこなかったように思える。

それは、今の郷には坂田さんという兄がおり、MATの加藤隊長や伊吹隊長がおり、そんな父親代わりの大きな背中がちゃんとあったからだ。

 

◆父親にもなれなかった水野

どうも水野には一人息子がいたようだ。自室の、本当にワンカットだけ、しかし確かに少年の遺影らしきものが映っている(愛おしそうに、しかし口惜しそうに写真を撫でている)。

郷は設定上23歳。同級生の水野も同年齢と考えると、仮に死んだ息子が5歳未満だとしてもかなり早い結婚だったと考える他ない(むしろここは設定云々を忘れた方が良さそう。劇中の水野はとても23に見えない)。

もしかすると死別ではなく、単に妻子に逃げられただけという可能性だって考えられる。あ、いや、レオゴンへの異常なまでの執着と錯乱ぶりを見るに、やはり死別したと見るべきか

何にせよ、上述の「独身主義者だ」という水野の言葉は嘘になる。彼もかつては温かな家庭を築こうとしたが、失敗した。そして再び天涯孤独の身へと転落したのだ。

郷には、次郎くんがいる。勿論息子ではないし、弟分のような存在だが、郷の志を継いでくれる息子のような存在でもある。次郎くんは、無意識の内に郷の背中を追いかけている。

郷も水野と同様、天涯孤独の身でありながら、水野が得られなかった全てを手にしているのだ。

 

◆水野と70年代ロック

PYG!

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「ぼくがレオゴンを生み出したことが罪だって言うんなら、僕はもう、死ぬしかないんだよ!」

激昂する水野。

「死ぬしかない」という叫びを、水野は4度繰り返した。もう、このシーンが私はひどく好きだ。

この死ぬしかないという絶叫のリフレインが、実にロックだ。実に70年代ロックなのだ。

だから、水野の生き様とその散り際には、PYGが実にお似合いだ。

金や権力に目が眩んだ親を捨て、本物の愛を探し求めては挫折し、苦節の果て、70年代を生きる若者は、絶叫に満ちた醜い音楽(=怪獣)を生み出した。

「愛」を求めて時代を彷徨う70年代の若者たちと、水野の姿はぴたり重なる。

自分たちを皮肉って「醜い豚」(PYG)を名乗り、罵声を浴びながらデビューした彼らPYGのサウンドは、水野の心とも見事共鳴していた。

 

◆怪獣に呑まれた男とウルトラマンになった男

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そんな水野を、郷は一心不乱に追いかける。死にゆく水野の背中を追う郷と、少年時代に水野と走り回ったあの日の郷が一つに重なる。

郷の心は、小学生だったあの頃のまま、まっすぐに、しなやかに、健やかに育った。心はあの日のままなのに、郷は今を生きている。

水野の心は、あの日のしなやかさを失ってしまった。水野は過去を生きている。固く、冷たい「失ったものの牢獄」に囚われ繋がれている。

その醜い心は醜い怪獣に呑まれてしまう。彼が望むように、レオゴンは水野を捕食した。

それを見た郷は、ウルトラマンに変身する。美しくたくましいその姿は、やはり水野と対照的であった。

 

 

◆なぜ「いのち」なのか

本話のタイトルが「いのち」とひらがな表記なのもまた味わい深い。

「レオゴンの存在(命)が許されない」、それも勿論だが、本当に許されないのは水野の命だった。

見返してやりたかった親父も死んだ。愛した息子も失った。自分にはもう人間として生きている価値がない。だから、人間であることを辞めてでも、彼は怪獣を作った。父を見返す歴史的快挙として。また、失った心の穴を埋める家族として。

だからもう、彼には後がないのだ。レオゴンが許されないというのなら、彼自身もまた「許されざるいのち」なのだ。

「死ぬしかないんだよ」という水野の絶叫そのものが、本話のタイトルだったのだ。

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