今でこそ、偉そうにウルトラシリーズの各作品ごとの論評をしたりもするが、私が生まれた頃の日本にウルトラマンはいなかった。
だから私たちの世代にとってウルトラマンは、既に「ウルトラ兄弟」であり、かつて地球を守ったレジェンドであった。しかし、そんな彼らを渇望する空気は漲っていて、私の手元にはいつも怪獣百科から怪獣ソフビまでモノはいくらでもあった。そんな頃の思い出を振り返りたい。
◆破れるまで読んだ本
これのおかげで「80」までのほとんどのウルトラ怪獣は頭に入った。それだけではなく、年相応以上に漢字や熟語も数多く覚えることができた。作品ごとに、各怪獣・宇宙人の名前、身長・体重、特徴などが網羅されており、シリーズ全体を俯瞰するのにもってこいな私のバイブル。
これも巻頭の怪獣絵巻がボロボロになるまで読み倒した。何よりこれはウルトラ戦士にスポットを当てたカラーグラビアが非常に豊富なだけでなく、後半からの撮影裏話やスタッフインタビューの読み応えが凄まじかった。だから幼少期は前半のカラーページ、小学校中〜高学年にかけては後半の白黒ページの活字を読み漁るようになった。よって10年以上の長きに渡って読まれ続けることとなったまさしく「愛蔵版」。
◆擦り切れるまで見たビデオテープ
まずそもそもバンダイと円谷プロのロゴが出るだけのオープニングからして独特でなんだか怖かった。
でもそれに慣れると、ワクワクする前フリに感じられるように。
テンペラー星人とウルトラ6兄弟の決戦シーンはオリジナルの音声をミュートにしてBGMのみにした編集がたまらなくクール。まさに6兄弟因縁の対決。
ビデオ終盤、エースのワンダバに合わせてウルトラ兄弟が暗がりで動き回りながらポーズを決める映像も神秘的でかっこよかった。
ウルトラセブンの「湖のひみつ」を収録した「HERO CLUB」の一本もあった。セリフを全部覚えるほど見た。ウルトラシリーズでも初期の作品にもかかわらず、古臭さを感じない重厚な宇宙船の造型に、ミクラス登場という序盤の見せ場。手を顔の前で動かしながら正体を明かす不気味なピット星人。見所は今でもたくさん思い出せる。
何より最後に「ウルトラファイト」がついているのが良かった!あの岩場で人知れず戦うセブンとくたくたのエレキング。おなじみ実況付きなのも独特で良い。
これも本当に素晴らしい作品だった。歴代戦士の過去映像もうまく使われ、80までの歴史を「タロウの成長物語」として編集し直した番外編ストーリー。歴代正史が面白いアレンジになっているのも魅力(タロウの地球デビュー戦が改造エレキング戦だったり、タロウを最強のウルトラ戦士に鍛え上げるために体力を使い果たしたことが原因でヒッポリトにやられたと補完された父など)。
◆品揃えの悪いTSUTAYA
私が生まれてから最初に見たウルトラマンが「レオ」だったのも、近所のTSUTAYAのせい(レオ以外無かった)なのだろうが、
ビデオ一本に1話しか入ってないってどんだけアコギなんかと。しかもレオでそれをやるとは、大人が本気で子どもを泣かしにかかってるというか(レオは1話から前後編で描かれていた)。
しかも近所のTSUTAYAは品揃えが悪すぎて2話のビデオがなかったと言うのも今では信じられない話。結局一本1話で最終回までリリースされたのだろうか…?
その後引越した先にもTSUTAYAはあったが、そこもまた品揃えが悪かった。当時最新でリリースされ始めたばかりの「パワード」ですら、歯抜け(確かレッドキングの回だけずっと無かった)。
そんな私にとっての救いは、早朝や夕方の再放送とその録画だった。
「ウルトラマン」はガマクジラやバルタン2代目の登場エピソード、「タロウ」のフライングライドロン、オカリヤン、ムカデンダーの登場回、更にはなぜか家に一本だけあった「グレート」の3話までのVHS。
あとはそれをひたすら繰り返し見るしかなかった。
しかしそれでも知識に偏りがなかったのは、大百科系の書籍と、総集編の映像集を見る機会に恵まれていたからだろう。
とにかく「ウルトラリバイバルブーム」の真っ只中だったので、過去の大量の蓄積から、戦闘シーン(一番オイシイところ)だけ寄せ集めても何本でもビデオや番組が作れて、売れる時代だった。
◆黄色い目のウルトラマン
そんな時代に生まれた私にとって、ウルトラマンの目は全員黄色だった。小学生の当時描いた絵も全て黄色く塗りつぶしていたし、そのことに何の疑いも持たなかった。
(これも読んだなー。)
それがどうやらおかしいと気づいたのは、もっとずっと後になってからのことだったが、スーツの質が違っても、彼らを別人だなんて疑うことは一度もなかった(安っぽいなとは思っていたけど)。
聞くところによるとA、B、Cと都合3タイプに分類されることの多い初代ウルトラマンのマスクも、放送当時の子どもたちが気にしたことはほとんどなかったらしく、それと同じような話で、子どもは大人が思うより器用に物事を捉えていけるものなのかもしれない:スーツの質感がどうとか言うのは大人だけ)。
だが、本来のウルトラマンやゾフィ、帰ってきたウルトラマンの目は黄色ではなく白色だ。そしてそんな正統派の気概を強く感じたのが、「ウルトラマングレート」だった。
◆「アメリカ」から来たウルトラマン
ウルトラマングレートは、オーストラリア製作、初めての海外製ウルトラマンだった。だが幼い頃の自分にとってはオーストラリアもアメリカも同じ(というか海外=アメリカしか頭になかった)。
だがその海外製ウルトラマンはあらゆる点でそれまでのウルトラマンと一線を画していた。
・とにかくスローな動き
・そこから生まれるリアルな巨大感
・空からではなく下からニョキっと現れる登場シーン
・美しく神秘的なスーツ
・当初はウルトラマンを警戒し、飛び去った後追いかけるよう指示を出す隊長
・渋すぎる藤岡弘氏のナレーション
などなど、とにかくリアルさと臨場感が尋常ではなく増しており、それまでのウルトラシリーズのお約束をいい塩梅で打ち破ってくれる快作だった。
それでいて、きちっとウルトラシリーズなんだ、というツボも押さえた内容であった。
・声とカラータイマーは初代のもの
・ハヤタを思わせる感情の読みにくい主人公
・隊員に1人ギャグ要員
・最初の怪獣ブローズの円谷怪獣感
・ウルトラマンと主人公の心の対話
などなど、「あ、やっぱりウルトラマンだ」とホッとするポイントも多々あった。
おなじみのウルトラシリーズの空気の中に漂う大人っぽさ。そんなちょっと背伸びした感覚が、ウルトラマングレートの大好きなところだ。
何度も言うが、当時新しいウルトラマンが見たければ、TSUTAYAに行って新作をレンタルするしかなかった。しかも今と違ってTSUTAYAが100円セールをやるのは多分1ヶ月か3ヶ月に一回くらいのもので、通常時は旧作でも結構な値段をとられたものだった。
そういった意味で、現代と比べれば毎週のように新しいウルトラマンに会えるわけではなかった。当時、日本を守るウルトラマンはいなかった。
けれど、あらゆるメディアが総出で、「あの頃はな…」と昔の作品についてこれでもかと語り聞かせてくる、そういうコアな親父の飲みの席みたいな雰囲気が特撮好きの子どもを取り囲んでいたから、全く寂しくはなかった。
そしてそんなオタクに育てられた子どももオタクになり、大人になった。
90年代を生きた私たちは、オタクに育てられた第一世代だったのかもしれない。