「帰ってきたウルトラマン」を「ウルトラマンジャック」と呼ぶことに対し抵抗感の強いファンは多い。
帰マン、帰りマン、新マン、ウルトラマンII世、ジャック...
今回は、彼がなぜこんなにも多くの名前を持つに至ったのか、そしてなぜこの問題になると多くのファンはかくも感情的になるのか。その経緯と背景を探りたい。
◆なぜ「帰ってきたウルトラマン」なのか
そもそも、71年放送の「帰ってきたウルトラマン」はなぜ「帰ってきたウルトラマン」というタイトルだったのか?
それは元々、企画段階では文字通り「初代ウルトラマンが再び地球に帰ってきた」という設定となる予定だったからだ。しかしそれも版権の都合という形でとりやめになり、スーツの作り直しに加えて1話の戦闘シーンの撮り直しというドタバタ劇の末に彼は初代ウルトラマンとは全くの別人となった。
更にその経緯があってかはわからないが、製作陣としても「いかに初代と違う作品に仕上げるか」にかなり苦心した模様。そして結果としてはご存知の通り、初代「ウルトラマン」とは全く違った意味で歴史に残る傑作となった。
企画段階の意図とは変わってしまったとは言え、それでもやはりこのタイトルが私は大好きだ。
「帰ってきた…」というのは、あくまで「作中の地球人」から見て、ということだったのだろうが、別人設定となったことでそのタイトルの意味は、「テレビの前の視聴者」にグッと近づいた。
「あのウルトラマンがテレビに帰ってきた!」そんな当時の子どもたちの喜びが滲み出ているようで嬉しくなる。
◆「ウルトラ○○」から「ウルトラマン○○」へ
ここで本題の「帰ってきたウルトラマンの名前問題」に入っていきたいと思うが、どの名前であれ、「ウルトラマン」が前につくことに変わりはない。
だが、そもそもこれ自体が絶対的慣習ではなかったことを先に断っておく必要がある。
まず、初代ウルトラマンの名前は、ハヤタ=ウルトラマン自身が名付けた、地球上での通り名のようなものであると個人的には解釈している。
簡単に言えば、リングネームのようなものだ。
その証拠に、最終回で命を落とした彼を救いに現れたのは◯◯マンでもウルトラマン◯◯でもない「ゾフィ」という不思議な名前の同族であった。おそらくウルトラマン自身にもカタカナ3〜4文字の本名があるのではないかと思われる。
そしてウルトラセブンと言えば、よくよく考えれば「ウルトラマンセブン」ではなく、ウルトラセブンなのである。
多くの人が「ウルトラマン」シリーズとくくっている作品群は、元々は「ウルトラ」シリーズとして始まったものだった。
※「ウルトラQ」に始まったウルトラシリーズ(タケダアワー)とは本来、「ウルトラマン」の後続に「キャプテンウルトラ」を含むものを指していた。
事実、「帰ってきたウルトラマン」の翌年に始まった「ウルトラマンエース」の元々の名前は、「ウルトラエース」だった。
これもまた商標登録の問題で「ウルトラマンエース」に改題されることとなったのだが、続く「ウルトラマンタロウ」の登場により、「ウルトラシリーズといえば、ウルトラマン◯◯」という流れが完全に出来上がってしまったと言えるだろう。
つまり、「ウルトラQ」に始まった「ウルトラ」シリーズが、70年代に入ってから「ウルトラマン」シリーズへとシフトチェンジしていったということだ。
それはもちろん、そっちの方が安定的かつ絶対的な人気を博したからに違いない。
◆他作品で見る固有名詞問題
「ウルトラマンシリーズ」という切り口で「帰ってきたウルトラマン」を見れば、本作がいかに異質かがわかるだろう。主人公たるウルトラマンに固有名詞が存在しないのである。劇中ではひたすらに「ウルトラマン」と呼称されるのみで、「ウルトラマン○○」の「○○」がないのである。
しかし、他作品においても劇中で「ウルトラマン」としか呼ばれなかったウルトラ戦士は、案外多数存在する。
当ブログでもよく扱っている「ウルトラマングレート」もそうだ。
だが、劇中で何と呼ばれていようと、各作品にはちゃんと固有名詞たりえる「看板」が存在していた。
作品世界を確立するため、劇中では「ウルトラマン」としか呼ばれていなかったとしても、ウルトラシリーズの一つとしては「グレート」という名前で他作品と明確に区別ができる。
他にも面白い類例として、「仮面ライダー(新)」が挙げられる。
「ストロンガー」から4年の空白を経て再始動した昭和ライダーシリーズの6作品目だが、初代への原点回帰を目指したタイトルはズバリ「仮面ライダー」。しかし、中盤より参戦した歴代ライダーたちとの差別化の意味もあってか、明確に「スカイライダー」と劇中で呼称されるようになっていった。
こちらは、看板の方はシンプルに「仮面ライダー」なのに劇中では「スカイライダー」という固有名詞が使われた特殊事例と言えるだろう。
いずれにせよ、シリーズの他作品との差別化のため、固有名詞が与えられることが後続作品の絶対的宿命となったのだ。
◆私なりの呼び名
「帰ってきたウルトラマン」には二つの顔がある。
単独作品としての「帰ってきたウルトラマン」の顔と、ウルトラ兄弟(orウルトラシリーズ)の一員としての「ウルトラマンジャック」の顔だ。
しかし、「ジャック」という今や円谷プロ公認の呼び名にすら拒否感を示す人は多く、その心情としては
- 本作のリアルタイム世代だから
- とりわけ本作そのものに愛着が強いから
という2パターンがありそうだ。ちなみに私は後者の部類だ。過去本作を扱った記事で「ジャック」という呼び方を使ったことは一度もない。それは、作品のオリジナルカラーを最大限尊重したいがためだ。公認とは言え後付けの要素は蛇足。それはまるで、完成しきった名画に余計な色を塗り足すような作業に思えてならない。
…しかし、そんな私が本作を一番最初に知った段階では既に「ジャック」という名前がついていた。だから、ウルトラ兄弟たちのひとりとして見る際は、完全に「ジャック」として認識することもできる。
↑「ウルトラマン物語」では兄弟たちからもハッキリ「ジャック兄さん」と呼称されており、幼少期これに親しんだ影響は実に大きい。
つまり、物心ついたときから彼は完全に「ジャック」だったのだ。怪獣百科もウルトラ戦士図鑑もどれもこれもジャックで統一、整備された後だった。
だから今も、集合作品において「ジャック」と呼ばれることに対し別にそんなに抵抗感はない。
そんな私も後々になって「帰ってきたウルトラマン」という作品そのものにどハマりしてしまった訳だが、そんな回り道を経て、私が彼の呼び名として一番しっくりくると思っているのは、結局、「ジャック」でも「新マン」でも「II世」でも「ウルトラマン」でもない。
おもちゃ屋さんで見かけたとき、集合作品にしれっと彼が混ざっていたとき、私は無意識にも「あ、郷さん」と言ってしまう。
本作に傾倒してきたが故に、私の中でもやはり彼と郷秀樹は完全に一体化している。そんな彼への愛着を込めた、かつ他作品と完全に区別できる呼び方が、「郷さん」だった。
◆全ての呼び名は歴史的資料
上述の通り、ジャックから入った私からすれば、新マンやII世はもちろん、帰マンも帰りマンもとてつもなく気持ち悪いものに感じられた。
※案外こっち側の意見はネットでも見られないのでハッキリ言っておきたい。
だがこれも、歴史的or設定的なものを背景にして考えたときに、案外アリな呼び方である。
先に述べたように、初代が「ウルトラマン」を名乗ったのはリングネームのようなものであるとすれば、「〜II世」を名乗る(襲名する)プロレスラーという解釈はしっくりくる。元々「怪獣プロレス」とも呼ばれたウルトラシリーズの性格を考えれば、実にマッチした呼び名とも言えるだろう。
ただし、これらはあくまで初代と区別するための便宜的な「表記」(書き言葉)に留めるべきもので、それをハッキリ言葉にして言われるとやっぱりちょっと気持ち悪い。
II世はまだしも、「新ウルトラマン」を業界用語っぽく縮めた「新マン」という略称で大人も子どももナレーターも呼び続けた「タロウ」内での呼称には違和感を禁じ得ない。
だが、ぺったんこ事件について考察した記事でも述べたように、
登場する作品ごとでカラーが変わる彼の描かれ方の違いを楽しむ意味では、区別するための呼び名としてはアリだ。つまり、「タロウ」に出てきたヨレヨレスーツに黄色目の彼と言えば「新マン」ですよね、と。
しかし、これらの中でも「帰マン」や「帰りマン」の呼び方は異質だ。
まず、他作品含め劇中では誰もこの呼称を使っていないこと(非公式)と、概ねリアルタイム世代しか使っていないこと、更にウルトラ戦士の固有名詞としてというより、作品そのものを指しているっぽいということが、他との大きな違いだ。
これは言わば、毎週テレビの前で作品を楽しんでいた世代の、歴史的証言である。
そう考えれば、帰ってきたウルトラマンにつきまとう多数の呼び名は、ウルトラシリーズ全体の変遷をもなぞるための貴重な歴史的資料とは言えまいか。
便宜上、ジャックという名前に落ち着いた現在でも、それぞれの呼称に深い愛着を持つ人はそれぞれに多い。だからこそ、どれが優れているかを議論する必要もない。全ての呼称を、無形のウルトラ文化遺産として、みんなで大切に守っていこうではないか。