ネタバレ含め初見での感想を簡単にまとめます。
美しい旋律と映像
まず第一印象として、音楽が良かった。
予告編でもお馴染みニルヴァーナの「Something In The Way」は勿論、
マイケル・ジアッキアーノ手掛けたダークかつ上品な劇伴は実に美しかった。中でも「Catwoman」のロマンチックな旋律には聞き惚れた。
※どこか日本的な雰囲気を感じるような気がしたのはジブリアニメの音楽との親近性を感じたから?
音楽と映像のシンクロ度合いが非常に高く、実に映画らしい映画というと変な言い方だがとにかく一本の映画としての完成度が凄まじく高いと感じた。
もうセリフなしでも楽しめそうだなとさえ感じた。基本的に映画は音と映像だけで楽しんじゃう人間なので、実は初見の現段階ではあらすじとかよくわかってないです正直(笑)。
だからここから先も「印象」をベースに感想まとめていきます。あらすじとか勘違いして書いてる部分あると思うのでそこはご容赦下さい。
新しいバットマン像〜否定した三つの◯◯
◆マッチョの否定
公開に先駆け、ロバート・パティンソンは
「役作りで特に体を鍛えたりはしていない」
と発言したことが物議を醸したりもしたが、
※今では誤解を生んだとして発言の意図を説明している。
たしかに本作におけるブルースは、過去作に登場したブルースほど筋骨隆々の大男ではなかった。
決して細身という訳ではなかったが、バキバキに鍛え抜かれている訳でもなく、むしろ色白で起伏の少ないしなやかな体躯からは、どこか儚げな脆さを感じる。
それは丁度、羽化したばかりのセミのような白さであり、まさに若くて青くて不安定な頃のバットマンを見事象徴しているようにも感じた。
◆父親の否定
過去作との特に顕著な違いは、父親であるトーマス・ウェインの過ちを描いたことだと思う。
それまで映画化されたバットマン作品において亡き父トーマスは絶対的な聖人君子として描かれ続けてきた。
おそらくそこに初めて疑義を呈したのが「JOKER」だが、本作もそれと近いアプローチをしている。
確かに今までも内心感じてはいた。悪人が跋扈するゴッサムで、主人公の父親だけは絵に描いたような慈善家だなんて、なんか都合良すぎないか?って。
そんなご都合主義を廃した目線で物語を俯瞰すれば、トーマス・ウェインにもきな臭さが漂うのは必然である。本作が「JOKER」にも近い世界観を持つと言われる所以はここにあるだろう。
現代社会が最も恐れているのは、権力者でも、マフィアでも、富裕層でもない。虐げられてきた貧者の復讐(アベンジ)だ。その体現が、本作においてはまさにリドラーだった。
バットマンが繰り返し繰り返しセンセーショナルな実写作品に恵まれる理由もここにあると思う。未だに分断が続く現代社会において、狂気に取り憑かれた社会的弱者による凶行こそが最も恐ろしい。それは映画よりも何よりもリアルだからだ。
◆復讐の否定
ブルースにとって、バットマンとして活動する上で最大の動機であったはずの「父親への信頼が揺らぐ」というのは、少なくとも私が知る限り初めて見た展開だった。それこそがバットマンの自警活動の根幹をなす「大義」の部分だからだ。
ただ、ファルコーネの発言とアルフレッドの発言には食い違う部分もあり、なんだか芥川の「藪の中」を読んでいるような気分だった。
つまり、本当のところはよくわからないのである。
ただ、本作のブルースが本当に両親のために戦っていたのか?と言うと実際には少し違っていたのだと思う。その象徴として、市長の息子の少年が繰り返し登場していた。
少年の父親である市長も汚い手を使う政治家の一人だった。でもそんなこと、突如父親を奪われた少年にとっては関係のないことだ。
ブルースが本当に救いたいのは両親ではない。「理不尽な暴力で突然家族を奪われた孤独なあの日の自分」なのだろう。同じような思いを、もう誰にもさせたくない。
リドラーの配下との最終決戦でのシーンは非常に印象的だった。何者だ?と問われたそいつは、バットマンと全く同じく「''復讐''だ」と返した。
リドラーと戦っていたはずのバットマンは、実はリドラーと同じレベルにまで身を落としていた。
そのことに気付いたバットマンは自ら濁流の中に身を投じる。ベタかもしれないが、「復讐の鬼」から「救済者」へと脱皮するバットマンの姿をじっくりと目撃した。
バットマンが人を助ける姿というのは案外珍しい。犯罪者と戦う過程で結果的に巻き込まれた人間(主にヒロイン)を救うことや、「不殺の誓い」ゆえに犯罪者をやむなく救助することはあっても、自ら積極的に人命救助に勤しむ姿というのはあまり描かれたことがない。
これもまた、それまでの映画作品では描かれなかった新しいバットマンの姿だった。
次回はアクションやガジェットについて振り返りたい。