「ライダーバトルは呪いの儀式である」ということを仮説として色々考えてきましたが、ライダーバトルって、結局のところ一体誰を呪った儀式だったのでしょうか?
今回は、そもそも「呪いの儀式」とは何なのか?という前提から、ラーメン屋の行列が呪いである可能性まで幅広く「呪い」と「仮面ライダー龍騎」についてじっくり考えていきたいと思います。
「呪い」とは「境界に留まること」
「呪いの儀式」と聞くと、「誰かを恨んでいる」と考えられがちですが、そもそも呪いの対象というのは個人とは限りません。
そもそも「呪い」というのは「境界に長く留まり続けている状態」を指す言葉です。
昔から日本では下記のような「境界」に対して警戒心を抱いてきました。
- 夕暮れ時…昼と夜の境目に不吉なことが起こる
- 大晦日…年の境目に福の神が迷わないよう玄関に門松を置く
- 節分…冬と春の境目で魔物が現れる
- 夜の口笛…闇の中音だけが聴こえる=人と怪異の境目が曖昧になる
- へそ…母胎との繋がりがあった場所=体の内と外の境目、雷が鳴ったらへそから命を取られる
- 十字路や三叉路、川や橋…どこにも属さない空間と空間の境目、振り返ってはならない
陰陽道において、私たちが暮らす「陽」の世界の裏側にある「陰」の世界への入り口は、常に物事のあらゆる「境界」に存在していると考えていました。そして①の記事でも明らかにした通り、陰陽道における「神」は「強大すぎて直接触れられない」し、「人」は「脆すぎて神には近づけない」からこそ、これら「曖昧化された境界」の中で身を守る方法はただひとつ、「境界で長居しないこと」でした。
「呪い」とは、「境界に長居してしまった状態」であり、「神に近づきすぎた状態」とも言い換えることができます。
丑の刻参りの仕組み
ではここで、人為的に「境界に長居する状態」を作り出す呪いの儀式の定番、丑の刻参りを例に見てみましょう。
まずは以下の多数の人為的な「逆さごと」によってただの人間が「境界存在」になります。そうすることで現世に異界の力を顕現させることができると考えられていたからです(但し「人は脆い」ので術師も身を滅ぼす)。
- 時間の逆転...「鬼門」を指す誰もが眠る真夜中=人間の活動時間の反対
- 場所の逆転...人々が願いをかける神聖な神社で人を呪う
- 姿の逆転...生者なのに死者のように白い服を着て顔を白く塗り、髪を逆立てて五徳を上下逆にして被る
- 創造の逆転...本来は建物をつくるための木と釘を、他者を破壊するために使う
- 社会性の逆転...儀式は本来ムラ共同体にて集団で行われるが「誰にも見られてはいけない」
※「逆さごと」については前回②にて詳しく扱っています。
加えて重要なのが、この儀式を七日間続けることで呪いが完成することです。簡単に言えば、「一週間かけてこの世のものではなくなるための儀式」ということですね。
「誰かに見られたら失敗」になってしまうのは、人から見ればただのキチガイ人間として「この世の存在」認定され呪力が失われるからでしょう。
婚礼に見る「正しい儀式」
では、本来の「正しい神事」とはどのように行われるのでしょうか?
日本に古来から伝わる神事とも呼べる伝統行事のほとんどは、呪いの儀式と同じく「曖昧化した境界」上で行われますが、必ず安全に境界から帰ってきます。
「安全な神事」の好例として、ここでは結婚式を挙げてみたいと思います。結婚式と言っても、当然日本に古来から伝わる「婚姻の儀礼」の話です。
「婚姻」とは簡単に言えば「嫁入り」=自分の家から婿の家の人間に変わる儀式ですから、儀礼の間、女性は「どの家にも属さない境界存在」と化します。どの家にも属さないというのは、陰陽道においては限りなく「死に近い状態」とみなされます。娘でも嫁でもないし、生でも死でもないけれど、人でも霊でもある、という危険な境界状態です。
だから婚姻の儀礼とは実は「娘が一度死んで嫁としてもう一度生まれ直す儀式」でもあります。そうすることで境界を引き直すのです。
「昏」(たそがれ)時に行うから「婚礼」と呼ばれるようになったとも言われていて、平安時代は夕方に行われるのが常だった、というのは非常に興味深い事実ですね。
式は「陰の式」と「陽の式」に分かれており、「陰の式」は神に捧げる正式として衣装から器まで基本的に全てが白で統一されています。それに対して「陽の式」は「人としての式」であるため紅色を中心に色物が使われます。それが、式の途中で行われる「お色直し」の正体です。結婚式は非常にわかりやすく「陰陽の式」として作られています。
- おしろい…生と死の境にいるため顔を真っ白にする
- 花嫁衣装…やはり白、一度生から離れる
- 角隠し…「嫉妬」など荒ぶる魂を封じる
- 輿に乗る...この世の「地に足がつかない」境界存在
- 仲人...家と家が交錯するための橋渡し、緩衝材としての存在
- お色直し…着替えると派手な色に変わるのは「再生の可視化」、生への帰還を表す
- 酒宴...酒を飲み、笑い、食べるという身体性が強い行動を重ねることで境界上の魂を「生」=常世に根付かせる
本来の神事は、境界を安全に通過して、儀式の最後には必ず境界を閉じて、人間の世界にちゃんと帰ってくるところまでがセットになっていました。
※丑の刻参りは最後まで境界を閉じないのでその身を滅ぼす。
ライダーバトルとは「終われない神事」
ここまでの話と照らし合わせれば、龍騎のライダーバトルが異常な呪いの儀式であることがよくわかっていただけると思います。
- ミラーワールドという生と死の境にある異界が舞台
- カードデッキを所持した者は四六時中異界とアクセスできる
- 変身すれば人間でありながら異界で活動できる
- 戦い続けなければ契約違反でモンスターに狙われる
- 最後の一人になるまで報われない
丑の刻参りが一週間限定だったのに対して、ライダーバトルは24時間、それも一年続いたわけです。一年間、仮面ライダーになった者はずーっと「生と死の狭間」の境界存在となります。しかもミラーワールドという境界はずっと開かれたままです。
「仮面ライダー」自体が「異界との接点を強制的に保ち続けるため」高度にシステム化されており、一度関わったが最後、ずっと「境界存在になってしまう」わけです。
他の例で言い換えれば、終わらない夕方、終わらない豆まき、終わらない雷鳴、いつまで経っても披露宴が始まらない結婚式、12人殺すまで終われない丑の刻参り...。
そう考えると、やっぱりもうこの儀式を強制的に終わらせる以外に選択肢はない。つまり、ライダー同士の戦いなんて終わらせるしかないわけです。だからやっぱり城戸真司が悩みながらも目指していたことが最も正しかったっぽいわけですね。
また、真司は変身前のライダーたちと幾度となく語り合おうとしました。もちろんブン殴られて返り討ちに遭うことの方が多かったですが、素面の彼らと向き合いライダーバトルの否定を語る行為そのものが、丑の刻参りで言うところの「第三者による目撃」にかなり近い。真司の行動は「儀式の否定」と同時に「呪いの無効化」でもあったと思います。だからこそ、ライダーバトルは真司の参戦によって急激にペースダウンしたのでしょう。最終回間際の北岡のセリフが思い起こされます。
「確かにあいつはバカだが...俺たちよりはマシな人間、でしょ?ま、ちょっとは認めてやってもいいけどさ。奴がライダーだったことは俺たちにとって良かったのか悪かったのか...」
真司がやっていたことは、「境界存在」となったライダーたちを人間に戻す行為でもあったのでしょう。そしてその効果は確かにあった、と本編を通じて私は感じます。
反面、ライダー同士で関係性を深められなかったTVスペシャル版の世界ではライダーバトルがものすごいテンポで進展していました。
ラーメン屋の行列は呪いか?
ちょっと突飛に聞こえるかも知れませんが、ラーメン屋の行列でさえも「呪い」になる可能性があります。
そもそも「行列に並ぶ」という行為自体がまずかなり危険な「境界行動」ですよね。
まだその店には入っていないし注文もしていないので正式にはまだ「客」ではない。だからただ店の前に立っているだけの「不審者」とも言える状態で、場所によっては通行人の邪魔になることもある。かと言ってその場を離れてしまったら並び直しになってしまう。客であって客でない、そういう不確かなまさに「境界存在」です。
その観点からすれば、整理券は護符です。整理券に数字が振られていれば、それが自分自身の存在を示す番号となります。自分が何者か不確かな境界存在にとって自我を保たせてくれるセーフティとして機能しています。
並んでいる間スマホに没頭するのも、それが護符、もしくはスマホ操作によって結界を張っているとも言えます。
但し、そういう「境界行動」を何時間と重ねても呪いを生まずに何とかなるのは、「いつか必ずラーメンに辿り着ける」からです。いずれは「行列」という異界を抜け出せるとみんなわかっているからですね。
でも、自分の目の前の客で「スープが売り切れました、閉店です」なんてことになればそれは「呪い」を生むでしょう(笑)
まぁこれも龍騎のライダーバトルに置き換えればわかりやすい話で、ラーメンの行列はいつか必ず終わるし並んでた人たちも日常に帰れるんだけど、並べど並べど「ラーメン」に辿り着かないのがライダーバトルですね。異界に取り残されたまま、というのが「呪い」ですから。
なお、すでに上でも挙げた通り、世間様は境界存在に対して非常に風当たりがきつい。だからか、ラーメン屋の行列と近隣住民とのトラブルはどこも絶えませんよね。近隣住民からすれば、ラーメン屋に並ぶ人間は、住民でも商売人でもない、得体の知れない(=認知しきれない)「異界の人間」なのです。
誤解のないように一応言っておきますが、ここでいう「異界」とか「境界」というのは、そういうものが自然界に実際にあるものとして科学的に論じているわけではなく、あくまでも人間の脳内の社会的認識論の次元の話です(その意味では実に科学的な実在論)。
このように、現代社会にあるあらゆる現象は結構この「陰」と「陽」、陰陽道的観点から論ずることができそうです。
要は何が言いたいかというと、やっぱり「人間はみんなライダーなんだよ」ってことですね。思ったより長くなっちゃったので次回に続きます。
次回は、
- 神崎優衣は本当に巫女なのか?(今度こそ扱う)
- 神崎士郎と秋山蓮は似ている(今度こそ扱う)
- 通勤ラッシュにSNS...現代社会に溢れる「呪い」
- 「人間はみんなライダーなんだよ」の真意
- 白倉伸一郎著「ヒーローと正義」に見る境界思想
...とか扱いたいですね。
(了)
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