ADAMOMANのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

MENU

ライダーマンが本当に取り戻したもの〜仮面ライダーV3終盤に起きた奇跡〜

第46話「ライダーマンよどこへゆく?」

◆迷走していたV3

第30話「ドクトルゲー!悪魔の正体は?」

第30話「ドクトルゲー!悪魔の正体は?」

通称「ライダーマン編」と呼ばれる43話以前の「V3」はやや迷走していた。

最盛期とも言える四国編〜ドクトルG編を終え、それまでは毎度2クール以上に渡って君臨し続けていた大幹部を1ヶ月で次々と交代させた。そこには、幼年誌を通じて毎月新たな話題を提供したいという狙いがあったが、敵組織の弱体化を感じさせるものでもあった。

また、それまでの派手なデストロンの大攻勢は鳴りを潜めてゆき、裏社会で暗躍するカルト集団の色合いを強めていった。「(それまでのデストロンが)派手すぎて秘密結社感が薄れていたから戻した」とのことだが、これも組織の矮小化を感じさせるマイナスの側面も同時に孕んでいた。

とは言え、これらの動きを通じてデストロンはシリーズ初期の「ショッカーへの回帰」を目指しており、本作が実は原点回帰を始めていたと言えるだろう。

そして主役であるV3自身もまた「初代仮面ライダー回帰」の方向へと進んでいた。

39話では「仮面ライダー」4話(サラセニアン戦)を、40話では同31話(アリガバリ戦)を、41話では同3話(さそり男戦)のプロットをそのままトレース

例えばバショウガン登場回は、サラセニアンのエピソードをそっくりそのままトレース、植物園で姉をさらわれた少年のために風見が奔走するエピソードとなっている。

この3エピソードは、シリーズ初期の傑作エピソードをV3の世界観でそっくりそのまま再現したかのようなつくりになっていて非常に面白いのだが、本作の物語が飽和しつつあった(ネタ切れを起こしかけていた)とも言われかねないものだった

 

◆V3復権

仮面ライダー 昭和 vol.3 仮面ライダーV3 (平成ライダーシリーズMOOK)

仮面ライダー 昭和 vol.3 仮面ライダーV3 (平成ライダーシリーズMOOK)

実は、V3がより強く、より派手に活躍すればするほど、V3はその個性を失っていった。単純に、「強くてカッコイイ仮面ライダー」という定型(=記号的存在)から抜け出せなくなっていったのだ。

勿論、どんなにボロボロになっても絶対に諦めない強さは描かれ続けたが、なぜそこまで強い存在でいられるのかはよくわからないままだった

だから、上述の初期作トレース3エピソードはいずれも、主人公の人間性を深掘りするためのエピソードばかりだった。制作陣は必死に風見志郎の人間性を再び描こうと足掻いていたのだ

そして本作が辿り着いた最終解答が、究極の変化球・ライダーマンだったのである。

正義の味方でも、悪の怪人でもない、実に曖昧な存在が現れたことで、「仮面ライダーの定義」が揺さぶられる。そんなとき、風見志郎に改めて仮面ライダーとしての在り方を語る役割が生まれたのである。

怪人が現れては倒すというイタチごっこ=マンネリの打破が行われただけではなく、V3のキャラクター性にも再び光が当てられたのだ。

 

◆墓場での変身

RAH220 No.49 DX 風見志郎(仮面ライダーV3) アクションフィギュア

RAH220 No.49 DX 風見志郎(仮面ライダーV3) アクションフィギュア

では、ライダーマン編にて改めて深掘りされたV3の個性とは一体なんだったのか。

それが最も輝いたのは44話、墓場で結城と対峙する風見が見せた変身シーンだと私は思っている。

ヨロイ元帥の策略によって死刑にされ、失った右腕を復讐のために改造し、憎しみによってしか生きられなくなった自身の悲運を嘆く結城に対し、それはお前だけではないと語る風見。

「見せてやる、俺の今一つの姿を」

ここでの風見は、戦うためではなく自分の生き方を語るためだけに変身する。そんなV3の姿に圧倒され、言葉を失う結城。

風見志郎は、デストロンと戦う正義のヒーロー・仮面ライダーV3である前に、デストロンに一家を惨殺された被害者遺族の一青年だったのである

それこそ、「V3」が人気作になればなるほど忘れられていった事実であり、同時に製作陣も取り戻そうとしていた本作の根幹部分だった。

しかしここで一つの疑問が生じるはずだ。風見も結城も「復讐の鬼」を名乗って人間を捨てたが、V3はどうやって復讐の鬼としての生き方を変えることができたのだろうか?ライダーマンは風見との共闘を経て変化していったが、V3の場合は...?

この疑問を解消する前に、ライダーマンの魅力についてもちょっと語らせてほしい。

 

◆ライダーマンという名前

第43話「敵か味方か?謎のライダーマン」

第43話「敵か味方か?謎のライダーマン」

ライダーマンは非常に個性的なバックボーンを持つキャラクターだが、その独特の個性がデザインや名前にまで滲み出ている。

まずその名前。歴代ライダーが全員「仮面ライダー◯◯」と名乗っているのに対して、彼だけが「ライダーマン」と名乗っている。

これを崩せば、少々強引だが「ライダー男」となる。ライダーマンという名前は、実は蜘蛛男、蝙蝠男…といった怪人の系譜にこそ近い。つまり彼は、「仮面ライダーを模した怪人」としてライダーマンを名乗っており、決して仮面ライダーを襲名しようとしてはいないのである。

 

◆なぜ黄色いマフラー?

第47話「待ち伏せ!デストロン首領!!」

第47話「待ち伏せ!デストロン首領!!」

また、彼が黄色いマフラーを身につけているのも実に象徴的だ。

黄色のマフラーと言えば当然ショッカーライダーを想起するだろう。やはり彼は「仮面ライダーを模した者」であり、仮面ライダーではなかったのである。

加えて、V3からライダー4号の称号を送られてもなおマフラーの色を変えなかったことは実に興味深い

仮面ライダーの多くは、その心と体に人間ではなくなった傷跡を残している。変身後の姿は実は彼らのコンプレックスでもある。

しかしそんな心の傷は、心が人間のままであったことの証明でもある。体はバケモノなのに、心は人間のままだったからこそ、彼らは孤独な影を背負っているのだ。

この言わば「仮面ライダーの方程式」を、ライダーマンは逆転させている

彼は普通の人間だったときから、心を悪魔に売っていた。間接的とは言え、無自覚とは言え、デストロンの悪事に加担し、多くの人間の殺傷に深く関わっていたのだ。

だからライダーマンには「元カルトの証明」として、かつて悪魔に魂を売り、悪事に手を染めていた前科への暗示として、黄色いマフラーがなびき続けている。それは、決して消せない罪の色なのだ。

 

◆色相関的にも最高の相棒

第44話「V3対ライダーマン」

第44話「V3対ライダーマン」

V3とライダーマンが並び立つ絵面はものすごく派手だ。まるで色鉛筆の箱を開けたかのような彩りだが、ただ派手なだけではなく、完成度の高さすら感じる

それは、この2人が並ぶことで色相関が完成するからだ。

V3のは違いに反対色(補色)の関係となっており、ライダーマンのマスクのとマフラーの黄色もまた補色の関係にある。そしてこれら4色は、色相関図においてもきれいに円環を4等分する位置に存在している

f:id:adamoman:20211226163528g:image

色相環│色彩学講座

2人が並べば、この世の基本色が揃う。V3とライダーマンは色相科学的にも名コンビだったと言えるだろう。

一方、彩りがよくなったヒーローたちに対して、最終決戦近づく物語はどんどん渋みを増していく。首領の正体がちらつき始める頃というのもあってか、画面全体が暗いシーンが実に多くなるのもこの頃の特徴だ。

派手な2人も、暗がりのアジトや逆光の中に立ち並ぶことが多く、ハードなストーリーの中で浮くことがないよう絶妙に映像の明度を調整してくれているようで実に好感が持てた

 

◆仮面ライダーの資格

第51話「ライダー4号は君だ!!」

第51話「ライダー4号は君だ!!」

さて、先ほど棚上げにしていた「V3はどうやって復讐心を克服したのか?」という問いについてだが、本作の序盤と終盤で、V3はよく似た光景に二度出くわしている。

それは、カメバズーカと共にキノコ雲に消えたダブルライダーと、プルトンロケットと共に空に散ったライダーマンの姿である。

ライダーマンが死ぬというのはなかなかショッキングな展開ではあったものの、彼がデストロンの一員として悪事に加担してきた過去の贖罪が必要だったようだ。

だがこのとき風見は、命を賭して東京を救ったライダーマンの姿に、かつての仮面ライダー1号・2号を重ねたに違いない

第2話で「良い後継者ができた」と風見を信じ、風見に全てを託して海に消えた本郷猛と一文字隼人。私はこの瞬間こそ、風見が「復讐の鬼」であることを捨て、ダブルライダーの後継者として生きていくことを強く決心した瞬間だったと思う

個人の復讐ではなく、人類のために一生を捧げてゆく生き方を、ダブルライダーがその身を持って示した。その姿が、風見のV3としての生き方を決めた。

V3は「不死身の男」の異名を持つが、それは決して頑強な肉体を指している訳ではなかった。いつ死んでもおかしくないほどボロッボロの状態でも、彼は絶対に戦いをやめなかった。血まみれで傷だらけの体を引きずってすぐに戦場に戻ってきた。彼の脳裏には常に、キノコ雲の中に消えたライダー1号・2号の存在があったに違いない。

そして今また、ライダーマンの勇気ある行動が、風見の胸を強く打ったのだ

そしてそれこそが本作の辿り着いた「仮面ライダーの資格」だった。個人の復讐を超えて他者のために己の身と心を捧げる男こそが「仮面ライダー」なのだ。

第2話でダブルライダーが示したそのメッセージを51話でライダーマンが改めて見せつけ、本作は見事「原点回帰」も果たした上で大団円を迎えるのである。

(了)