現在絶賛公開中の「ザ・スーサイド・スクワッド」。
しかしそれと同時に密かに話題になっている「スーサイド・スクワッド エアー・カット」なるものをご存知だろうか?今回はその幻とも言えるエアー・カットについてご紹介したい。
なぜ今"#ReleaseTheAyerCut"?
2021年8月14日、Twitter上にこのようなタグが踊った。
♯ReleaseTheAyerCut
It’s time. #ReleaseTheAyerCut 🇯🇵 pic.twitter.com/erAHhFVQwO
— trinity (@bottledhalcyon) 2021年8月13日
2016年に公開された「スーサイド・スクワッド」。これが実は公開間際になって大改変され、本来の監督が意図していた作風と大きく異なるものが劇場公開された、という噂がある。
なにせ監督を務めたデヴィッド・エアー自身が
「俺が人生を賭けた映画を潰された」
とまで発言しているのだ。
そこで、デヴィッド・エアー監督が本来志向していた改変前のバージョン=通称「エアー・カット」の公開を求める声が、現在高まっている。
なぜ5年経った現在、そのような運動が巻き起こっているのか?それはもちろん、ソフトリブートとなった新作「ザ・スーサイド・スクワッド」の公開と時を合わせて...というよりもやはり「ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット」がリリースされたことが非常に大きな契機となったのだろう。
なにせ、「ジャスティス・リーグ」もまた、本作「スーサイド・スクワッド」同様、配給会社によって監督が元々描こうとしていた作風やストーリーが根こそぎ改変されて公開された作品だったからだ。
その経緯についても上の記事にてざっくりまとめているので是非。
当時の状況とワーナーが目指した2本の映画
では、16年版「スースク」に一体何があったのだろうか?
まずは、 当時のワーナー及びアメコミヒーロー映画を取り巻く状況から整理したい。
ポイントは、ワーナー・ブラザースの目線で振り返ることだ。そうすることで、なぜ「スースク」にあのようなテコ入れを行うこととなったのか、一応の理解ができる。
・2014年、ライバルのMCU(マーベル)では「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」がまさかの大ヒット!誰にも知られていなかったマイナー作品さえもポップでハートフルな物語に仕上げたジェームズ・ガン監督に注目が集まることとなる。
この時からワーナーはガンの才能に目をつけていたと言えるだろう。
・2015年には「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」が公開。MCUは完全にシネマティック・ユニバース路線で成功を収めていた。
後に「ジャスティス・リーグ」にてジョス・ウェドン監督を招聘したのもここまでの成功があったからこそ。ワーナー、MCU大好きだな(笑)
・2016年2月には20世紀FOXの「デッドプール」が大ヒット!メタでブラックなユーモアを織り交ぜたハードな作風もまた受け入れられていた。
・そして2016年3月、ワーナーが送り込んだ渾身の一作、「バットマンvsスーパーマン」が、暗い、重い、わかりにくいetcと批評家等から大バッシングを受け、評価面では大失敗。
「BvS」の失敗がほぼ確定的となるや否や、すぐさまワーナーは公開間近に迫っていた「スーサイド・スクワッド」に大幅なテコ入れを決行する。
「ジャスティス・リーグ」がジョス・ウェドン後任監督によってまさしく「アベンジャーズ」っぽく改変されたように、「スーサイド・スクワッド」は同時期に成功を収めていた、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」や「デッド・プール」を意識した作風への改変がなされたとされている。
「BvS」については別でも語り倒しているので良ければ是非。
16年公開版スースクへの個人的な不満
〜安直な劇伴の変更〜
ではどこが「ガーディアンズ」や「デッドプール」っぽいのだろうか?その一つがBGMの扱いだ。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(以下GoG)では、スター・ロードことピーター・クィルを中心に80年代ヒットポップスが作品を彩った。
「デッドプール」も同様、クールなヒップホップに乗せた派手なアクションとブラックユーモアが個性的な世界観を彩った。
これら当時の人気作の影響を受けたのか、元々は既存の楽曲を一切含まず既にオリジナルのスコアによって劇伴が制作されていた「スーサイド・スクワッド」にも、急遽様々な往年のヒットソングが挿入されることとなったらしい。
David Ayer Slams Studio Cut of 'Suicide Squad,' Praises New Movie - Variety
しかし、例えば「GoG」ならクィルと母の思い出のラジカセという、キャラとサントラの間にストーリー上の強烈なリンクが存在しており、「キャラクターにヒットソング重ねれば同じような感じになるだろう」と言わんばかりのバカの猿真似のような編集が許されるはずもない。
だが、それを「スーサイド・スクワッド」はやってしまっていた。
個人的には、刑務所から連れてこられた彼らが各々の装備を身につける場面で流されるEMINEMの「Without Me」が物凄く嫌だった。犯罪者とは言え訳もわからず死地に駆り出される彼らの心情を無視してただ見た感じカッコいい雰囲気に仕上げました感が薄っぺらくて嫌悪感を抱かずにはいられなかった。(そういうことをやるにしても選曲のセンスもない)
※「デッドプール」でそれがある程度許されるのは、彼のイっちゃってるキャラクターあってこそだ。後述の通り、本作のキャラは皆、彼ほど振り切ってイっちゃってる訳でもなかった。
何より、劇伴は映画の顔。既に「ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット」でも証明された通り、音楽の良し悪しが映画の評価の5割以上を左右する。そんな劇中音楽を舐めている時点でこれは「改悪」と評価せざるを得ない。
しかしながら、そんなスースクサントラも50万枚を突破する大ヒット!確かに楽曲は素晴らしいものばかり...それに本作のキャラクター達の派手なビジュアルイメージともフィットはしていたからだろう。
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〜2時間の予告編〜
そのような半ば「キャラクターPV」然とした雰囲気の作品となったのには理由がある。予告編が非常に好評だったのだ。
なんとワーナーは、エアー監督の意向を反映させて編集されたいわゆる「エアー・カット」に対し、予告編制作会社を中心にして再編集されたバージョンを用意。
ぶっちゃけて言ってしまえばそれは、「2時間の予告編」だ。そしてそれを劇場公開した。
そのためか、本来であればそれぞれのキャラクターのバックボーンは物語を通じて描いていくはずが、5秒程度のテロップと共にパパッと説明。正直、劇場で見た時は驚いた。「あ、それやっちゃうのね」と。
それはネットに公式から上がっていたキャラ別紹介動画と変わらないクォリティだった。まさかそれを金出して訪れた映画館で見せられるとは、しかもそれ以上大した深掘りが本編にもないとは...これは結構インパクトのある編集だった。
正直、2時間のダイジェスト動画を見せられているような、そういう複雑な心境だった。これは17年公開の「ジャスティス・リーグ」とも非常に似ている。
〜微妙なアクション〜
更に、アクションもいまいちパッとしなかった。
百発百中の狙撃手・デッドショットやハーレイクィンやディアブロはそこそこ活躍していた印象もあるが、他はあまり印象に残らなかった。キャプテンブーメランとかそんなにブーメラン投げてないし、キラークロックは地下道泳いでただけだし、スリップノットはすぐ死ぬし。各キャラクターの特殊能力や個性は全然光っていなかった。
というか戦闘シーンで個性を描こうにも、全員で大量の雑魚敵を相手に真正面から特攻していくだけなのがつまらなかった。 本来ならデッドショットやブーメランは遠方からリーチを生かしてハーレイ達歩兵をサポートするとか、そういう立体的な作戦が見たかったところ。
加えて雑魚敵も変なイボイボ怪人ばかりでそこも映像的につまらなかった。...というか、劇場で一番驚いたのはエンチャントレスがメインヴィランだったこと!あれ、この人もスーサイドスクワッドの一員として描かれるのでは?と思っていたからこそ、本当に驚いた。上の動画でもそういう紹介の仕方をしていたし。
〜心に残らない物語と演出〜
あと、何よりストーリーも演出も心に響くものがなかった。
これが劇場を出た時、私の心を占めていた最大の感想である。なにせ期待していた以上にスースクのみんなが「普通にいい人」で全然狂人っぽさがなかったのにガッカリした。デッドショットとか父親としての良い面ばかり強調されていて、それでも殺し屋として生きる選択をせざるを得なかった背景とか、奥さんから見た彼はどんな人なのか、キャラとしてもっと掘り下げても面白そうだが、カッコいい面ばっかりだったのはつまらなかった。これはそもそもウィル・スミスだから何やってもカッコよくていいやつに見えてしまうのかもしれない。
何より、終盤で一度は任務の真実を知って士気を下げた彼らが再び立ち上がって団結する経緯にいまいち共感できなかった。結局ただのいい人たちばかりな印象で、自分が想像していたようなベンバッツさえも苦しめたゴッサムの悪党たちのイメージからは程遠かった。
それに輪をかけてメインヴィラン=エンチャントレスもよくわからないままだったのには参った。深掘りしようと思えばいくらでも掘れそうな裏設定があるのに、劇中ではとりあえず発掘中に発見されたという程度の情報しか出てこず、唐突に弟まで現れて、最後までよくわからないままだった。
総じて、ドラマ性を無視したダイジェスト風味の編集と、流行りに乗っかっただけのサントラ改変によって、エアー監督が「人生を込めた」映画は台無しにされた。
...ということのようだ。
〜時代はハーレイクィンブームへ〜
しかし、ロッテントマトをはじめとした批評家からの評価が最悪だったのとは裏腹に、興行収入においては好成績を収めた本作。特にハーレイのキャラクターとビジュアルイメージが大ヒット。今やハロウィンのコスプレにおけるド定番キャラクターともなった。広くDCキャラクターが知られるようになったことは非常に喜ばしい!
...が、それは所詮タピオカブームのようなもの。
エアー監督は、そんなハーレイにも本来はもっとディープな物語を用意していたようだ。
Two different characters. Harley’s arc was vastly simplified. It’s fun to play “gotcha” but remember released film was very different from original assembly.
— David Ayer (@DavidAyerMovies) 2018年9月22日
結成1日で部隊の仲間をハーレイが「友達」と呼ぶのはおかしいというファンの指摘に対し、公開版ではそのキャラクター描写を簡略化されてしまったことを嘆いていた。それでは、本来エアー監督が志向したスーサイド・スクワッドとは一体どのようなものだったのか?
長くなったので続きは次回!「エアー・カット」なるものがどのようなものなのか?公開されている断片的な情報を元に予想していきたい。
私個人としては、元々DCEUのファンであったというだけで、デヴィッド・エアー監督の熱烈なファンという訳ではない。しかし、ワクワクして観に行った劇場公開版が肩透かしだったことは紛れもない事実であり、「本当はこんな作品だったんです」というものがあるというのなら、是非お目にかかりたいとは思う。
「スースク」という作品にもそこまで特別個人的な思い入れがある訳でもないが、映画監督が人生をかけて創作したものが台無しにされるという事態そのものに対しては、あまり良い気がしない。
「ザック・スナイダーカット」が日の目を見て、多くのファンの涙を誘ったように、「エアー・カット」が劇場版より何百倍も面白い作品かどうかは正直わからない。面白いかどうかは、ぶっちゃけどっちでも良いかもしれない。面白くなくても良い。だけど、エアー監督が魂を込めた作品が、そしてキャスト陣がお揃いのタトゥーを入れるほどにまで団結して撮影した作品の真の姿があるのなら、それはDCEUのファンとして、見届けさせて欲しいと思っている。