またこういうのか…。
◆出火原因はどこにある?
🍜 親 子 正 麺 🍜 1/2 全8ページ
— 【公式】マルちゃん正麺 (@maruchanseimen_) 2020年11月11日
【第1話】本日配信❗️
あの夫婦にかわいい家族が増えて、ページ数も大増量!#ながしまひろみ 先生(作画)のかわいい絵に悶絶です。#親子正麺 #マルちゃん正麺 #漫画 #月水金で連載中 #第2話は11月13日 pic.twitter.com/6ixPoYUSeG
本作に寄せられている批判の多くは、
- なぜ麺のゴミを夜まで放置しているのか?
- なぜ洗い物を夜まで放置しているのか?
- それをなぜ関係のない妻にやらせているのか?
の3点に集中している。
他にも「なんで具なしラーメン?」といったものまで散見される。
更に、そういった批判に対する批判が重なっており、それらは
- またフェミが騒いでいるのか
- よその家庭のルールに口を出すな
といった擁護の声としても多数あがっており、混迷を極めている。
こういう炎上系の話題というのは、どこかで一度もつれた糸に、別の糸が絡まってごちゃごちゃになっているだけで、大元の布地は実際には無傷であることがほとんどだ。だからマルちゃん正麺としてはそのぐちゃぐちゃになっている糸くずをパチンと切り落とせば良いと思う。
が、すこーし頑張ってこの糸くずをほどいてみようかと思う。
◆批判の批判もズレている
まず、「フェミが騒いでいる」という本件の見方には明らかなバイアスがかかっている。実際にはフェミと呼ばれる連中は大して本件には関係がなさそうだ(元ツィのリプを見れば察することができる)。男女の役割分担や夫婦間の話題となると、即座に短絡的に「フェミ」という単語を持ち出すのは性急である。
それから、「よそはよそ、うちはうち」というのも手っ取り早い反論ではあるが、そんな理屈が通るならこんな問題はそもそも起こらないし、相手の土俵に立った上での反論なのでやや的外れである。この漫画は、よその家の日常を観察するための漫画ではないからだ。まずそこから踏み外してはならないと思う。
◆冷静に漫画を読み直す
まずそもそもとして、本作「親子正麺」の前に、「夫婦正麺」というシリーズがあったのをどれぐらいの人が知っているのだろうか?
これも全て読んだ上で「親子正麺」を読み返せば、本作のテーマがよりよくわかるだろう。
ここに登場する夫婦は、
- 決して裕福ではない
- 決して理想的な夫婦関係ではない
- 特に夫は決して理想的とは言えないちょっとダメ旦那
- しかしそんな2人の側にはいつもマルちゃん正麺がある
という、要はものすごくリアルでちょっぴりブラックな日常系ほのぼの漫画である。
そのテーマ性は「親子正麺」にもハッキリ表れており、おしゃべりがまだ覚束ない息子が、とんこつラーメンを「ぽんこつラーメン」と言ってしまうことが、妻の帰宅時間まで洗い物を残している夫の至らなさとも引っかけられているのである。
その点では、
- なぜ麺のゴミを夜まで放置しているのか?
- なぜ洗い物を夜まで放置しているのか?
- それをなぜ関係のない妻にやらせているのか?
という指摘そのものは、決してズレてはいない。
◆最終コマをちゃんと読め
だが、その指摘自体、状況を全て察した妻の
「ああ、ぽんこつラーメンね」
というたった一言の中に全て含まれている。
彼女はきっちりと夫に対してそのだらしなさを咎める態度を見せているのだ。勿論、それだけでは怒りが収まらない人たちが文句を言っているのだが、この状況をよく振り返って欲しい。
2人は共働きで、この日の夫はおそらく休日。妻の中にも、せっかくのお休みに息子をずっと見てもらっていたことへの感謝の気持ちがあるはずだ。だからそれ以上は彼女も言わなかった。
そして夫も妻のそんな気持ちを(おそらく)わかっている。本当は食べたものの片付けくらいやっておかないといけないことくらい、薄々わかっていた。
だから最終コマでは、2人で一緒に片付けをしている。
ここまでを踏まえて、まだ何か文句があるだろうか?
※ちなみに「具なしラーメン批判」も勿論的外れで、庶民的な家庭で即席麺に何も乗っていないことは普通だし、本作の「彼」がそこまで気が利くタイプとも思えないので、それ自体もキャラクター描写の手法の一つ=「演出」だと解釈すべきではないだろうか?
◆なんで炎上騒ぎが起こるのか?
よく読めば文句の付け所はどこにもないのだが、それでも文句が言いたくなるのは、表面的には「読解力がないから」なのだが、本質的にはそんな個々の能力の問題とも少し違っている。
それは、SNSという場が社会的マイノリティの自我の温床となっていることが主因だと思われる。
漫画を読んで、自分のしゃくに触った部分だけをかいつまんで(最後まで読まずに)ここがオカシイ!と文句が言えてしまうのは、「基本的に何を発信しても自由」というSNSの特性が原因だ。
今回のケースで言えば、作品の解釈と、作品と重ね合わせた自分の日常とが混在してしまって、中身はただの「自分の日頃の鬱憤のハキダメ」なのに、立派な作品評のような仮面をまとって語られた上に、その嘘の仮面に気付かずにそれを評価・追随してしまう連中がズルズルと続いてしまったことが話を更にややこしくしている。
◆誰かが悪い訳じゃない
原因は、その人たち自身にあるのではなく、誰でも自由にいつでもなんでも発信できてしまうシステムそのものにあるので、今後こういった炎上騒ぎがなくなることは未来永劫絶対にない(と断言できる)。
だから私は、こういったケースを取り上げて、「やはり人間の心は醜い」みたいな厨二病めいた発言をする気もないし、特定の誰かを批判する気もさらさらない。
ただ許せないのは、普通の社会生活を送っていれば淘汰される(無視されるor自制されるべき)であろう、本当に非常識で人徳をわきまえていない人間が、ことSNS上では大手を振って「多数派」のような顔をしていることだ。
最近ではニュース等でもこういった話題が扱われることも増えたが、「一部では◯◯のような声も上がっており…」の「一部」とは本当にごくわずかな1%以下の人々であることを決して忘れてはならない。
要は、発信が自由と謳われているSNS上でも、実は発信者よりも傍観者の方が大多数であるということだ(発信者の方が案外マイノリティである)。
そのことをわきまえてSNSと付き合う必要が我々一般人にも、それから企業(社会)側にもあると思う。
つまり、SNS上で発信されている言葉はあまり吟味されて紡がれた言葉ではないケースも多い(無責任)ので、真に受けて相手をする方が損をすることもあるということだ。
◆SNSを利用する上で…
どんな言葉であれ、世の中に発信する以上、それを受け止める人たちが必ずいる。匿名だからこそ、その言葉は「誰々が言っているから…」といったバイアスも抜きに、ストレートに額面通りの意味で鋭くまっすぐ飛んで行ってしまう。
それが自分の思いもよらない形で誰かを傷つけてしまう可能性に、私は想いを馳せたい。自分の言葉に、責任を持ちたい。
それは他者を思いやるということ以上に、自分がカッコ悪い扱いをされたくないという、自尊心からでもある。
そんな自分の言葉へのプライドを、私は大切にしたい。
だから今回のケースも、言わば反面教師として、自分もいつ無意識に誰かにトゲを刺してしまうとも知れない危険性があるということを心に留めつつ、自分の中に蓄積しておこうと思う。