クウガがスポンサーを半ば無視した番組作りをすることで独自の世界観を貫徹できた反面(詳細は後述)、当然スポンサーの反感を買い、高寺Pは後の「響鬼」まで更迭、以後の平成ライダーでは、スポンサーによる介入が年々強くなっていく。先にその事例を挙げてみよう。
◆仮面ライダーにおけるスポンサーとは?
例①カイザポインター、ファイズブラスター
強化武器の獲得や強化フォームへの進化には何らかのドラマやキャラクターの成長があっても良いものだが、「仮面ライダー555」では新武器獲得のシーンが非常に大味。
カイザポインターの場合
天井から落ちてくる。
ファイズブラスターの場合
知らないおじさんから届けられる。
まぁファイズはパワーアップ展開抜きにしてもストーリーがめっちゃ面白かったから個人的には全然気にならなかったのだが。
例②電王クライマックスフォーム
バンダイからの要求→「強化フォームは携帯電話型アイテムでいこう、売れるから」(という無茶ブリ)
製作スタッフ→…(悩む)。
結果、劇場版の出来事を伏線にイマジンたちとの繋がりが希薄化、「みんなとつながっていたい」という良太郎の想いを具現化したアイテムとして「携帯電話型アイテム」が登場。
と、見事無茶振りに応え切って素晴らしいストーリー展開に。
その甲斐あってか、これも全然視聴者としては気にならなかった。
例③仮面ライダー鎧武
石森プロからは「鎧武者で行こう」と案が来たが、バンダイからは「フルーツで行きましょう!」(という鬼フリ)
製作スタッフ→…(悩む)。
結果、デザインには鎧武者のイメージ、更にフルーツから「禁断の果実」のイメージ、「禁断」から「南京錠」型アイテムのアイデア、更に植物による惑星侵略(テラフォーミング)という作品イメージの構築と、これまた天才的なアイデアで応戦。
一見ハチャメチャなようで物凄く立体映えするデザイン故、個人的には最もフィギュアーツを収集したライダーシリーズに。
このように現代の仮面ライダーシリーズにとってはバンダイからの商業的要求をいかに組み込むかが大きな課題であり、ストーリー展開にも当然多大な影響を及ぼしてきたのだ。
◆地味な中間強化
クウガは、このような商業主義的展開にストーリーが振り回されることを嫌い、あらかじめかなり強くそのことを拒否する旨をバンダイ側に伝えていたようだ。
高寺Pは
「オーレンジャーのときに(おもちゃがバンバン売れるのを見て後から新ロボ追加展開が増え)現場が混乱したのを知ってるから、そういうのはやめてねと、やるんだったら最初から言っといてねと(あらかじめ伝えていた)」
と後年語っている(Blu-rayBOX2収録「検証」〜ドキュメントオブクウガ〜参照)。
結果、中間フォームであるクウガのライジングフォームは、アイテムの追加もなければ、全身に金色が増えた程度の(後年のライダーシリーズと比べれば圧倒的に)地味なパワーアップとなった。
S.H.フィギュアーツ 仮面ライダークウガ ライジングマイティ
それも、ライジングフォームの圧倒的戦闘力とそこから生まれる怒涛のドラマ展開を見れば、地味でも何でもなくなるのだが、問題はおもちゃが地味すぎることだった。
既に発売されていた変身ベルト、ドラゴンロッドやペガサスボウガン、タイタンソードを持っていなければ、このセット単体では遊べない、只の追加パーツのセットだった。
なりきりおもちゃにはあまり興味のなかった自分にとっても「欲しい!」とはあまり思えない、不利な商品展開だったのは確かだと思う。だからかこの「ライジングパワーセット」が年末にかけてUFOキャッチャーの景品になっていたのをよく覚えている。
更に「装着変身ライジングフォームセット」も思ったほど売れなかったらしく(個人的には大傑作なのだが…)、クウガの商業成績は中盤以降苦戦を強いられていく。
◆アルティメットフォームの裏切り
最もバンダイにとっても衝撃的だったのは、アルティメットフォームの扱いだろう。
元々、アルティメットフォームは秋頃にはテレビで活躍しているはずだった強化形態。
事実、10月には児童誌にてお披露目。
更に同月には装着変身アルティメットフォームも発売開始。
しかもゴ・ガドル・バフィギュアが同梱されており、少なくとも劇中にてガドルと戦うことになるのは間違いないと思われていた。
しかし、いつまで経ってもテレビに出ない。
10月、ジャラジ戦終盤の「幻影」という形でのみ一瞬登場、フラグは立てるが、その後はゴオマ大暴走と、アルティメットフォームの気配は物語から消える。
これには当時のバンダイも肝を冷やしたことだろう。なにせ勝負所のクリスマス商戦、お正月商戦をも持ち越してしまったのだから。
これについても高寺P曰く「アルティメットフォームの扱いには悩んだ」(悩みながら作っていた)らしく、結果的には登場1話きり故の存在感を持った伝説的最強フォームとなった訳だが、バンダイ的にはショックだったことだろう。
◆貫徹できた個性と乱れた設定
だが、ここまで書いて「今回の記事はこの『こだわりブログ』らしくないなとも思った。
なぜなら、上で挙げた「大人の事情」なんて、当時小学生だった自分は微塵も気にしたことがなかったからだ。
だからここからは「世間一般の通説の展開」なんか辞めて(ググればいくらでも出てくるんだから)、私自身が感じていたことだけに絞って語ろうと思う。
◆ライジングフォームについて
上では敢えて「地味な中間強化」と書いたが、私は全くそんなこと思ったことはない。むしろ派手にするポイントが絞られていて「新1号の二本ライン追加」へのリスペクトを感じるし、必殺技の場面でしかも30秒しか変身できないからこそインパクトは抜群にあった。
ポッと出の追加アイテムなんてものもクウガの世界観には似合わない。仮に商品展開で苦戦したとしても、クウガ独自の世界観を守りきることには成功したのではないかと思う。
五代の想いに応じてアマダムが進化を促す、それこそがクウガらしさ。だからこそライジングフォームはクウガにふさわしい中間強化形態だったと思えるのだ。
◆アルティメットフォームの落ち度
アルティメットフォームは、最後の最後まで登場を引っ張ったからこそ変身してしまうこと自体がドラマになったし、何より圧倒的存在感を生み出すことに成功した。
そんな風にこだわり抜いたクウガだったからこそ、残念だった点が1つだけある。
10月お披露目となったアルティメットフォームが最初から「赤目」だったことだ。
「設定上は」五代がジャラジ戦で見た幻影のアルティメットフォームは全身真っ黒=目も黒かったとのことだが、事前に児童誌などでネタバレしていたアルティメットフォームはどう見ても最初から赤い目をしていた。
どう見てもクウガの強化フォームなのに、「新たな第二の戦士かもしれない」なんて白々しいまでのミスリードを狙った記述も見られ、当時の児童誌も非常に慎重に扱ってくれていた記憶がある。それならば、この「本来の」アルティメットフォームもずっと黒目として特写が発表されておれば良かったのにと悔やまれる。
47話でアルティメットへの変身を決意する五代の脳裏に浮かぶ戦士も、本当なら黒目でなければならなかったはずだが、これも既に赤目だった(※おそらく当時は黒目マスク自体製作されていないと思われる)。
※但し五代は最初から赤目だけをイメージしていた可能性もある。
だから最終話で桜子さんに、「本当なら『聖なる泉枯れ果てて』黒い目の凄まじき戦士になるはずが、赤い目のいつもの優しい心のまま凄まじき戦士になれたんだね!」と説明されても、
「いや、元々赤目やったやん?」とか「後付け設定やん」と小学生ながら思ってしまった。
上で挙げたように「迷いながら」描いたアルティメットフォームだからこそ、最後の最後、肝心な所で粗が出てしまったのが非常に勿体無かったと思うのだ。
後年ディケイドで登場したアルティメットには黒目マスクが用意された。放映当時もこのマスクがあれば…或いは映像を白黒加工するだけでも違ったのだが…おそらく設定が煮詰まっていなかったのだろう。
◆製作サイドに一言
最後に、スポンサーとの関係について個人的私感を述べておきたい。
私はクウガという作品を支持してはいるが、結果的にスポンサーをないがしろにした事実はあまり評価できないと思っている。結局スポンサーがいなければ番組は成立しないからだ。
(放送当時子どもだった自分にとっては、全くもってどうでもいい話だが)
だから冒頭で挙げたような「折り合いをつけるための工夫」が結局は不可欠にはなるのだと思う。
但し、本来なら放映期間一年きりのはずの「クウガ」が、時空を超えて当時の視聴者が大人になった今も彼らを魅了している事実=未だにクウガ関連グッズが「売れる」事実
コンプリートセレクションモディフィケーション 仮面ライダークウガ 変身ベルト アークル
を考えると、スポンサー側にも、放送中の露出時間ではなく、その存在感次第でモノが売れるかどうかは決まるんだと分かっていてほしい。
更に言えば、放映期間中にグッズを売りさばくためだけに使い分けの妙味もないギャグみたいな無意味なフォームチェンジを強いるのは本当に勘弁してほしいのだ。
これには、ダブル以降成功した「コレクション型変身用ツール商法」が大きく関わっているのだが、おかげで1人のライダーが何十種類ものフォームチェンジをする時代にはなった。
だが、肝心のドラマが追いついていない。強くなる必然性も、その姿で戦う意味も何もない。
ヒーローの魅力は、おもちゃのおもしろさではない。骨太なドラマと設定があって初めてその「生き様に」心惹かれるのだ。
だから、クウガ最終回のCM、
「五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね」
という、あのときのメッセージはちゃんと届いているよと。
素晴らしい作品だったからこそ、20年経った今も忘れられず、ずっと愛しているんだよと、バンダイと、当時の製作陣に伝えたいのだ。