CSGタイタンソード発売に乗じて、クウガ40話「衝動」、41話「抑制」を再視聴(実際はテキトーに流しただけ)!
やはり本エピソードの華はライジングタイタンソードの二刀流!
アクションのカッコよさとその奥に秘められた五代の想いに迫りたい。
◆誰かを殺してやりたいと思ったことある?という問い
この問い、実はクウガの主役オーディションで候補者たちに投げかけられた質問の一つだったらしい。
オダギリジョーはごく自然に「ありますね」と即答。自身の暗部とも向き合った上で笑顔になれる人間をこそ主役に選びたかったという製作陣の意志が垣間見える印象的なエピソードだ。
そしてこの問いが、菜々ちゃんの苦悶を通して我々視聴者にも突きつけられる。
しかし、真っ先に回答してくれたおやっさんのセリフがめちゃくちゃ好きだ。
「あるさそりゃ。でも、本当にはしなかった。当たり前だよな」
優しくて力強い口調にほっとする。
「なんで人を殺しちゃいけないの?」なんて問いが平然と飛び出すようになった00年代(キレる若者、17歳の犯罪etc)の世相を吹き飛ばす、実に明快な回答だった。
しかし、殺しちゃいけないなんてことはわかっているけど、この気持ちはどうすればいいの?と、やり場のない怒りのはけ口を探し求める菜々ちゃんは納得できない。どうしようもなく湧き出てしまう怒りの感情とどう向き合うか?が今回のテーマだ。
そんな彼女を導いたのは五代雄介だった訳だが、そんな彼を完全無欠な聖人君子のように扱うのは間違っていると私は思う。
なぜなら彼自身、「殺してやりたい」という感情のまま「殺し」に手を染めたことがあるからだ。
◆五代雄介は嘘つき
クウガの中でも問題作としてよく挙げられる34・35話「戦慄」と「愛憎」(ジャラジ編)。男子高校生を卑劣な手法で次々と殺害したゴ・ジャラジ・ダにクウガの怒りが爆発。感情に任せてジャラジをタコ殴りにし、返り血で全身が赤く染まるクウガ。更にライジングタイタンで何度も斬りつけ串刺しにして爆殺。
怒りのまま戦ったクウガは爆炎の中に凄まじき戦士=アルティメットフォームの幻影を見る...。
その後36〜40話の約1ヶ月間、この件には一切触れられず、ゴオマのクーデターetcもあってうやむやになっていたのだが、今回扱う41・42話は、34・35話の「続編」であり、五代雄介が己の中の怪物と改めて対峙するリベンジマッチにもなっている。
35話「愛憎」では、友達とケンカしてしまった保育園児に対し、暴力ではなく対話による歩み寄りの大切さを説いたにも関わらず、当の本人(=クウガ)は怒りに任せてジャラジを刺殺。
保育園では、五代の言葉を信じて本心をぶつけ合った園児と園児が仲直り。積み木を完成させる映像で締め括られたが、同じ頃、五代はジャラジを葬った焼け野原に1人佇んでいた。まさに「建設」と「破壊」、「対話」と「暴力」の対比である。
しかし何より五代は子どもに嘘をついたまま37話を終えている。この「五代の嘘」に、41・42話はどんな結末を用意したのか振り返りたい。
◆青空を見つめて
ダグバの妨害を受けたとはいえ、ジャーザの水中からの不意打ちにはライジングペガサスも敗れた。このときの左肩串刺しはりつけは特撮史に残る「痛いシーン」として語り継がれるものと思う。
※緑発動中だからこそ痛覚も強化されているはずという考察は辛すぎるから考えたくもない。
そんな俊敏なジャーザに対して接近戦で有効なのは間違いなくドラゴンフォーム。しかし青いクウガは船上でひとり体を震わせながら強く拳を握りしめていた。そしてクウガの拳にオーバーラップする形で、カットは菜々ちゃんの震える拳に切り替わる。
この時、クウガは何をしていたのだろうか?
「どうでもいい殺しはさっさと終わらせて、もっと大事なゲームを早く始めたい」
(ジャーザが残したネット上の言葉)
クウガや警察を愚弄するような犯行予告に加え、老人ツアーや子どもの団体客といった弱者ばかりを狙うジャーザのゲゲルは、直接的映像描写が少ないからかあまり話題には上らないが、実はジャラジ以上に卑劣で残忍極まりない。
おそらくジャラジ戦時同様、クウガの怒りも頂点に達していたに違いない。
だが、クウガは震える拳を強く握りしめ、遠くまで澄み渡る青空を見つめながら深く息を吸った。心を鎮めているのだ。
まさしく本話タイトルの通り、クウガは己の中に潜む凄まじき戦士を「抑制」していた。そしてその静かな戦いは、時を同じくして自身の怒りと対峙する菜々ちゃんとも見事シンクロしていた。
「だからこそ現実にしたいじゃない」と語りかけた「綺麗事」を、五代は五代なりの方法で現実にしようとしていた。
◆止まるBGM
S.H.Figuarts (真骨彫製法) 仮面ライダークウガ タイタンフォーム
しかしジャーザが強い。
ライジングドラゴンの一撃にも耐え(!)、更にグロンギ初のフォームチェンジを果たしたジャーザは大剣を振るいクウガに迫る。対するクウガもタイタンフォームで応戦。
ここで一切BGMがかからないのが良い。戦局が読めなくなるからだ。
一般的なヒーロー番組では、ピンチを思わせるBGMで危機感を煽ったり、勇壮なテーマ曲で主人公が優勢であることを教えてくれるが、クウガではそういう演出が少なかった。
ただ剣と剣がぶつかり合う金属音と2人の激しい息遣いや叫び声と船上を吹く海風が響くのみで、BGMがないからこそ何が起こるかわからない緊張感が持続されていた。
特に1R目で左肩串刺しという痛い目に遭っているからこそ、本当にこの死闘がどう転ぶか読めなかったのだ。
そんな中にあって、二本目のライジングタイタンソードの出現は本当に予想外だった。重すぎてタイタンフォーム以外では持つことすらできないと言われる大剣を二本振り回すという大胆すぎる戦法は、映像にしてわずか20秒程度のこと。しかしだからこそ強く強く印象に残っている。
◆二刀流〜粗さの美学〜
細かいことだが、ダブルライジングカラミティタイタンを決める瞬間、右手のタイタンソードは縦向きだが、左手のタイタンソードは横向きと、不揃いなのが良い。本当に死力を尽くした決闘場面だからこそ、カメラ映りに配慮して見栄えを整えていないのがかえってリアルで良い。(技を決める寸前に引いた腕が本当に重そうに見える。あの大剣、実際相当重いんだろう)
不揃いゆえに生じる不恰好さの美学は、初代のライダーダブルキックと全く同質のものだ。ライダーダブルキックもまた、戦場で咄嗟に生まれた連携技だったからこそ微妙にズレている。叩き込むタイミングも不揃いで、正面から撮ったカットもどちらかの足が見切れていたりと「粗さ」がある。(後年の客演etcで見られるキレイに整えられたダブルキックはつまらない)
それと全く同じ「粗さの美学」がこの二刀流にも感じられる。
加えて本話の戦闘シーン、いつもの封印マークが出る描写もないから、二刀流による必殺技が決まったのかどうかわからないままだったのも絶妙だった。
海中に没した後の2人に何があったのか、それは五代しか知り得ないことであり、映像作品でありながら映像化されていない余白を残しているのがまた良い。
◆職業倫理としての黄金律
ところで、「クウガ」という作品が大切にしてきた「暴力の否定」というテーマに正直に従えば、怒りに任せて戦ってしまったジャラジ戦と、心を鎮めて臨んだ今回のジャーザ戦、結局「暴力による解決という意味ではどちらも同じではないか?」と思われてしまうかもしれない。
しかし、ジャーザ戦で見せたクウガの二刀流を「忌むべき暴力」とひとまとめにしてしまうのは少し違う気がする。
未確認生命体も所詮は『害獣』である。その意識に立ったとき、五代は至極冷静に二本目の大剣を引き抜いたのだと思う。そこには怒りも殺意もない。ただ最善を模索した結果、一本で力負けするなら二本、自然に、本能的に体が判断したのだ。
その姿は、「ヒーローらしさ」みたいな魅せるためのカッコよさとも異なる「仕事人の技」を覗き見てしまった刹那の色気と興奮に満ちていた。
怒りに任せて戦ってはならないという「戒め」は、クウガとしてのプライドを守るためのいわば職業倫理にも近い「黄金律」として確立された。そしてそのプライドを守り抜いた上でジャーザに勝利したことは、海上に浮かんだ五代の満面の笑みとサムズアップが証明していた。
(了)