ADAMOMANのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

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火垂るの墓〜反戦映画ではなかった?コロナ禍の現代社会にこそ届けたい映画〜

先日、たまたま「火垂るの墓」を再び観る機会があった。私も同年代の多くの方々同様、所謂「金ロー」を通じてテレビで繰り返し本作を見てきたクチだ。

 

かと言って別に終戦記念日を意識した訳でもない。最近はなぜかすっかりテレビでも見る機会が減ってしまった本作だが、久方ぶりに見るとまた違った視点で楽しめた(とは言ってもあの心にズシンとくる重みはやはり凄まじい)。

 

というかそもそも「反戦映画」じゃないよなぁと思いながら検索をかけてみたら、監督自らも否定していてちょっと嬉しかったりもした。

年を重ねるごとに「感想」は変わっていくけれど、「感性」は子どもの頃から何も変わっていないことに気づいたので、備忘録的にここに書き残しておきたい。

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◆大人が思うよりずっと「楽しい映画」だった

この映画、私もずっと「戦争モノ」という認識でいたが、よくよく考えると隣でペラペラと解説やら豆知識の講釈を垂れてくれる母親の刷り込みでそうなったんだろうなぁと思う。

私の母もまた「戦争の語り部」としての使命感からそうしたのだろうし(母は戦争体験者ではないが、自身の見聞を我が子にも語り聞かせたかったのだろう)、その姿勢自体は否定できないが、作品と真っ向から向き合うとなった場合、正直それは「ノイズ」だったなと思う。

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↑よくこんな正反対な作風の映画抱き合わせで同時上映したもんだ。

ジブリ作品なんてこのブログで扱うことになろうとは思わなかったが、私は仮面ライダーでもウルトラマンでもバットマンでも、他者の見聞を間に挟んで=他人の感想や論評を傘に着て喋るのが大嫌いだ。向き合うべきは作品・作者であって、世論ではない。

ただ真っ直ぐに作品と作者に向かえば自ずと彼らの声が聞こえて来る。

所謂ヒット作には「ノイズ」が多すぎて、純粋に作品と向き合うのが難しく(面倒臭く)なりがちだ。だから、どうしてもニッチでマイナーな作品に偏ってしまうのは当ブログの宿命かもしれないが、そんなことはさておき…。

 

変な話、本作を観た私の子どもの頃の「元々の感想」(反戦映画とか社会問題云々とかを除いた真っさらな心にぽっかり浮かんだ気持ち)は、単純に「すごくワクワクして、楽しくて、悲しい話」というものだった。ぶっちゃけ「楽しい」>「悲しい」だったのだ。

何がって、清太と節子の2人が作った擬似家庭」での暮らしぶりだ。

子どもにとって、ガミガミうるさい大人は邪魔者でしかない(その象徴があの叔母さん)。そんな大人や社会のしがらみから抜け出して、子ども2人でもう一度「家」を再建する。彼らを暖かく育ててくれた「家庭」を再現するのだ。

そんな「おままごと」を彼らと共に追体験するのが、たまらなく楽しい映画だった。

 

◆火垂るの墓の楽しいシーン

空のドロップの缶に水を注いで、「全部の味がする夢みたいなジュース」を飲むシーンなんか、本気でうらやましかった。やってみたい!と思って、実際に真似した。

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竪穴防空壕で、「ここが台所!ここが玄関!」はしゃぐ節子の気持ちもよく分かる。遊びで作る秘密基地なんかじゃない。本当の本当に本気で暮らすための家を見つけたのだ。そう思うと、大人はどう思うか知らないが、本気でワクワクした。

絶対に真似できなかったのが、蚊帳の中に蛍を放つあのシーンだ。

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蛍が暮らす池が近くにあったら、絶対やっていたに違いない。

清太の野菜泥棒も、本音を言えば何が悪いのかわからなかった。目の前に赤く実ったトマトがあってこっちは何日もまともに食えていない。そうなれば、獲って食うのは当然だ。

農家が育てている人様の野菜、なんて認識は、子どもには正直これっぽっちもない。一つや二つ取ったって問題ないと思っていたりする。だから、怒鳴られたり警察に突き出されるのも、何だか納得がいかなかったりもした。のび太の打った球がカミナリさんの家の窓を割って怒られちゃった!と同程度の認識でしかなかった。

 

◆節子の母としての振る舞い

そんな彼らの「おままごと」がしかし愛おしくてたまらなかったのは、節子の「振る舞い」にあった。その日暮らしに必死な清太に対し、節子は「家庭」の再現・復元という目的に忠実だった。

小言の多い叔母の食卓から抜け出して、2人の部屋で自炊をした夜。

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食後、すぐに寝転んだ清太を節子は咎めた。でも清太は逆に、そんな気張らなくて良いんだと節子を宥めるが、節子は僅かに足を崩しただけ。

節子の中には、亡くなった母がしっかりと生きている。わずか4歳の小さな小さな少女の中に、しっかりと在りし日の母が生きているのだ。

野菜泥棒で捕まった清太を迎えに行ったときも、清太に石ころを手料理として振る舞った死の間際でさえも、彼女は母であろうとした。ある意味清太よりも真剣に家庭を守り抜こうとしていた。その真剣さが、痛いほど伝わってくるからこそ、やっぱりその最期には悲しくなる。

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けれど、それでも、「埴生の宿」をバックに映し出される健在だった頃の節子の竪穴での日常に、(不謹慎かもしれないが)楽しそうだなって思ったのだ。

本当に驚くほど普通の子どもの日常だったから、時代の壁を超えて、現代と地続きの日常として、節子の存在は私の目に映った。

 

◆清太が悪いのか?

そんな本音を抱えていたからか、少し大きくなってから、

叔母さんの家を飛び出して2人で暮らし始めた清太の判断が無謀すぎる。節子を死なせたのは清太の判断だ

叔母さんの言動にも共感できるところがある

なんて感想を目にして、腰抜かすほどびっくりした。

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勿論、大人になった今はそれも十分理解できる。でも、そういうことを考えながら見る映画じゃないと思う。

それは例えるなら、変身ポーズをとる仮面ライダーを見て、「今攻撃しろよ」なんて半笑いでツッコミを入れるくらい無粋で品がない感想のように私には思える。

それを言うなら、そもそも神戸大空襲の際、明らかに逃げ遅れたあの2人がなぜ無傷で生き延びられたのか…etc、そんなこと、言い出したらキリがないのだ。

本作はとことんまで悲劇に突き進んでいく運命(さだめ)にある2人と一緒に笑って泣いて苦しむための映画だと、腹を括った方が良い(現実的な見方を否定はしないがそっちの感想しか残らないなら見ない方が良い)。

まぁもし清太を責める声にマジレスするとすれば、

・所詮15歳(中3)の少年にそこまで先を見通す力があるかは疑問

・何より、ある程度生きていけそうに思えてしまう程の現金を中途半端に持ち合わせてしまっていた

・叔母は(本心はどうだったにせよ)ハッキリ「出て行け」と言っている

この3点が2人を悲劇に追い込んだと私は見ている。

 

◆反戦映画じゃないとしたら何?

ここまでは子どもの頃の感想ベースで書いてきたが、ここからは大人になった今思ったことを書きたい。

高畑勲監督の言う「戦争映画ではない」というのはよくわかる。

じゃあ何だったのかと言うと、

社会が強いる不自由に抗い、家族であろうとし続けた子ども2人が野垂れ死ぬ話

だと私は解釈している。

「社会が強いる不自由」というのは勿論劇中においては「戦争」のことを指しているのは間違いないが、戦争が終わった現代においても、そんなもの無数に転がっている。

(コロナを始め無数の社会問題を抱える)現代社会だって、戦時下に負けず劣らず相当な「不自由」を強いられている(勿論肉体的な負担は比べものにならないが)。

それを、「国中みんなが頑張ってるんだから我慢なさい」なんて同調を強いる社会は、息苦しくてたまらない。

確かに、一家総出で外れの竪穴にでも隠れ住んだ方が幸せかもしれない。

本作での清太と節子を見た現代人の多くは、そんな2人の「社会からの疎開」に、ほんの僅かでも憧れを抱いたのではあるまいか。

 

しかし、現実はそうはいかない。特攻隊の青少年たちの多くが、胸を張って戦地に赴いたはずが、死の間際には「お母さん」と叫んで死んでいったように、押し殺した心の声は必ずどこかで弾け飛ぶ。というより、そんな死の間際になるまで子どもたちを押さえつけるようなことは、二度としてはならないというのが、あの時代が遺した本来の教訓だったはずだ。

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やはり「火垂るの墓」はフィクションだ。

多くの子どもたちは、確かに清太よりも賢く、あんなに青臭くはなかっただろう。社会のしきたりに従って「割り切った振る舞い」ができてしまう。

だが、もしも青いケツのままに、息苦しい社会を飛び出して、大切な家族を幸せにできるのなら…。

そんな清太の想いを否定するような声があるとすれば、それはあの時代に全国民を苦しめた「全体主義」そのものではないかと高畑勲は警鐘を鳴らした。

 

そんな本作でも、やっぱり2人は死ぬのである。社会から隔絶された「家庭」など、やはり成立し得ないのもまた厳然たる事実なのだ。

そして今もずっと同じ場所で現代の都市を見下ろしている。

悲しいかな、戦後何十年たっても、社会の理不尽な息苦しさは何一つ変わっていない。あの2人は現代社会を見てもなお成仏できずいるのだ。

これを反戦映画ととらえればそりゃあ「今は平和になったけど、昔はね…」なんて線引きを勝手にして、もう済んだ過去の話になってしまう。

それは違う。清太と節子を死に追いやった姿の見えない大きな悪魔は今も健在だ。そのことを忘れてはならない。

他人事(反戦映画)だと思って観てきたのなら、もう一度見直せ。

清太と節子は、いつもすぐそばにいるぞ。

 

※参考記事

cinema.ne.jp

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