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仮面ライダー響鬼 前半の感想と考察①響鬼紅と洋館の男女とザンキさんについて(第二十七之巻「伝える絆」より)

二十七之巻「伝える絆」

二十七之巻「伝える絆」

東映Official YouTubeで現在絶賛配信中の「仮面ライダー響鬼」ですが、いよいよ「前半の最終回」が近づいてきました。なんとなく感慨深いものがありましたので、この二十七之巻、二十八之巻、二十九之巻までの3エピソードを中心に感想レビューを書いてみたいと思います。

第一回目の今回は、二十七之巻までの内容を中心に振り返ります。

ちなみに私は放送当時はVHSで毎週録画して何回も何回も視聴してきたリアタイ勢です。当時感じたことと、今感じることを交えて話していきます。

 

響鬼紅について

二十四之巻「燃える紅」

二十四之巻「燃える紅」

響鬼が紅に進化したことは、紛れもなく「響鬼」という番組における主人公のキャラクター性のアップに大きく寄与していたと思います。シンプルにめちゃくちゃカッコいい。あと、やっぱり「仮面ライダーは等身大バトルあってこそ」だなと再認識させられました。

それまでの「響鬼」の戦闘シーンと言えば、私にとっては放送当時からずっと「怪童子・妖姫戦の方が断然面白い」という評価でした。もちろんその怪童子と妖姫だって基本的にはヘボ過ぎてワンパンなんですけど、それでもやっぱり戦闘の駆け引きが存在する等身大バトルの方が面白かったです。

音撃棒をパクったヤマビコの妖姫とか、変身音叉を奪って投げ捨てたオオアリの童子とか、烈雷を奪ったウブメの妖姫とか、そういう「攻防」がちゃんと描かれたからです。圧倒的にパワーアップされている武者童子戦や乱れ童子戦は言うまでもありません。

それに対して、巨大魔化魍戦にはそういった「攻防」がほとんどありません。貼り付けられた音撃鼓を剥がして投げ返してくるやつもいないし、音撃が始まったら、それを邪魔してくるやつって房総のバケガニ以外ほとんどいなかったと思います。要はほとんどが「ただのデカイ的」でした。

それにウィークリーの特撮番組で表現できるCGやその露出時間には限界もあるから、とにかく物足りませんでした。事実、番組が始まって初めて素直に「かっこいい!」と思えた音撃シーンが乱れ童子戦だった、というのは個人的にもかなり印象に残っています。

※音撃鼓を貼り付けるまでの攻防も含めてめちゃくちゃスリルがあった上に、強力な爆裂火炎鼓による音撃打がズバ抜けてカッコよかった!

そしていよいよ響鬼紅が強化フォームとして登場する訳ですが、そのことによって生じる大幅な設定の改変と、伴って生まれたたくさんの矛盾は目に余るものがありました。

  • 毎年登場しているはずの夏の魔化魍のことをトドロキが知らない?
  • そんなトドロキに対してなぜかろくに事情を説明してくれないヒビキ
  • 同じく毎年登場しているはずのカッパとの戦闘のデメリットを香須美が知らない?
  • 夏だけ紅になるというのもおかしい、年中鍛えて変身するべきでは?
  • 音撃管や音撃弦の使い手も太鼓が使える=楽器による分業システムそのものの否定(房総のバケガニ回だって響鬼が弦を使えば良かったことになる)
  • 等身大魔化魍が夏にのみ発生する理由が、「夏といえば昔からお化けの季節」という以外に大した理由づけが語られない
  • 夏の魔化魍が分裂するから太鼓でないと退治できないという理屈が音撃管においても成立するのかが怪しい(事実、二十八之巻で威吹鬼がテングに向かって音撃射を放っている)

これらの矛盾は、それまで文芸チームを中心に丁寧に精緻な世界観を構築してきた「響鬼」においては非常に残念なことでした。ただ、「太鼓祭り」というフレーズが象徴しているように、紅の登場とサブライダーたちの音撃鼓使用は、メイン玩具の販促強化という裏の事情があったことは言うまでもありません。

それにしても、

  • 後付け設定が増えたが故に、烈火弾や烈火剣は玩具で再現できない
  • 音撃鼓なしでも音撃が放てる紅の技は、火炎鼓の存在価値を半分否定している
  • 威吹鬼や轟鬼専用の、青や緑の音撃棒と音撃鼓は当然商品化されない

と販促目的でありながら結果的に玩具の仕様と劇中描写の間の相違も強調された感があり、全てが奏功していたかどうかは疑わしい印象があります。

と、色々ゴタゴタもありましたがそれでもなお、響鬼紅が登場したことのメリットは非常に大きかったと私は思います。

なぜなら、上記のような物語上の矛盾を、メイン視聴者である子どもたちは絶対に指摘しないし、子どもたちが本当に楽しみにしているのは、緻密に構成された物語などではなく、ライダーたちのカッコいい戦闘シーンだからです。

その「何より大事なコト」を響鬼紅は満たしてくれていました。大量発生した夏の等身大魔化魍をバッタバッタと倒していく紅の戦いっぷりは、まさしく「音撃無双」ともいえる、強くてカッコよくて爽快なものでした。サングラスっぽくてダサいみたいなこと、私は一度も思ったことありません。いいぞ響鬼!カッコいいぞ紅!

 

洋館の男女について

「やつら」みたいな言い方でしか言及されない魔化魍を作っている「親玉」についてですが、二十七之巻が一番具体的に詳しく話されていたようにも思えます。

特に注目すべきは、みどりさんと努くんの会話です。

「今戦ってるやつって、かなりタチが悪くてね、努くんの抜けた頃だから、割と「ぽっと出」なんだけど、イレギュラー系のとか作っちゃってさ、ちょっとやりすぎっていうか、悪意があるにも程があるって感じなのよ」

「本当絶えないんすね、やつらは」

んー、個人的にはこのみどりさんの説明、ものすごく違和感を感じてしまったんです。まずは状況を整理していきます。

努くんが猛士を離れたのは、直前の二人の会話からも1年弱程であることと、二人の会話と時を同じくして、イブキが洋館の男女、ザンキが白い傀儡と対峙していたシーンから、以下の予想が立ちます(あくまで推論です)。

  • 洋館の男女という親玉も世代交代を繰り返してきた模様(「今戦ってるやつ」という言い方から)
  • 親玉交代は寿命によるものなのか、猛士との戦いで倒されたのか、内ゲバによって世代交代が起こったのかは不明
  • 親玉交代のスパンも不明だが、努くんが抜けた一年弱の間に登場した今回の親玉を「ぽっと出」としていることから、十年単位で見た方が良さそう?
  • また、洋館の男が寝なくても平気であるような描写からも、一般的な人間の寿命も当てはまらない?(百年単位?)
  • この男女が全国のトップなのか、それとも関東地域におけるトップなのかも不明
  • 今回の親玉は特に悪質らしいことから、例年の親玉のことは性格も含めて猛士も把握している模様
  • 親玉も鬼の存在はもちろん認知しているが、イブキは金縛り、ザンキは川に落としたのみだったことからも、命までを積極的に奪おうとはしないようで、鬼のことを「敵」という認識すら持っていない?
  • ザンキが傀儡との戦闘を「例の念力みたいなので」と説明していたことから、傀儡たちが不思議な力を持つ敵であることも周知の事実っぽい

...といった断片的な情報から、なんとなくですがこの「親玉」、非常にアナーキーな感じがしますね。「里の人間も食い尽くす」みたいな凶暴なセリフを吐いた童子か姫も過去いましたが、別に破壊行動が目的のような感じもしませんし、彼らを阻止してくる鬼のことも、特段敵として認識しているように見えません。

特に本話の洋館の男女のやり取りから、単純に色々な魔化魍を作ることを楽しんでいる人、みたいな印象を受けました。全然シリーズは異なりますが、怨念とか邪気みたいなものだけを動力源にしているという意味では異次元人ヤプールにも近いのかなとなんとなく思いました。

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また、寝ずに魔化魍の開発に夢中になっている洋館の男の描写から、怪獣と繋がっている間は眠らないダイナゼノンの怪獣使いたち(特にシズムくん)を思い出しちゃいました。全然関係ないように見えて、師弟の物語としての共通点も多いと私は注目しています。

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「響鬼」という作品に引き寄せて言うなら、人助けを日常としている明るくて優しい猛士の人たちの対比として、人殺しを日常として暮らしている陰鬱な存在、とでも言いましょうか。

ただ、みどりさんのセリフから、今回の親玉は明らかに「猛士のことを意識して魔化魍を作っている」っぽいところに「悪意」を感じると言っているのかもしれません。

過去のエピソードでもおやっさんが「裏をかこうという悪意を感じる」とも言っていましたし。

ただ、そうなるとそれまでの過去の猛士と魔化魍の戦いに対して違和感が湧いてきます。前置きが長くなりましたが、ここが一番私が違和感を覚えた点です。

みどりさんが今回の親玉について

「ちょっとやりすぎっていうか、悪意があるにも程があるって感じなのよ」

と言うのにちょっとひっかかっちゃいました。「それまでの親玉は、猛士の裏をかくほどの悪意はなかった」(という評価だった)ということですよね?

ということは、裏を返せばそれまでの親玉は、人間を餌とする魔化魍を生み出すという意味では倫理観は倒錯していて相容れないけれども、あくまで「自然で純粋なモノ」としてその存在を容認され続けてきたように聞こえるんですよね。猛士の側に、殲滅する気がないって意図までが透けて見えて、これって過去のライダーシリーズでは絶対になかったことだったので、違和感を覚えてしまったんです。

んで、ずーっとこの猛士vs悪の親玉の戦いは続いていて、その中でお互いに「手を出すのはここまでにしておきましょう」みたいな線引きがあるってことかな?って思っちゃったんですけど、洋館の男女が「結界」のような空間に入ったことでイブキの追跡を免れていることからも、猛士のデータベースや鬼の力を持ってしても彼らのアジトは掴めないようですね。親玉に直接手を出したくても出せないっぽいです。そして今回のイブキ対洋館の男女は、そのことを説明するために挟まれた描写だったのかもしれません。

※加えて親族を魔化魍に殺された設定のあるイブキくんとの因縁を掘り下げる意図もあると思います。

とどのつまり、猛士としてはただひたすらに親玉が繰り出す魔化魍を倒し続けるしかないみたいなんですけど、本当にそんなモグラ叩きだけが何百年も続いてきたのか?ってことにも当然疑問が湧いてくるわけで...長い歴史の中で鬼が親玉と直接対峙する機会って、きっとあったんじゃないかなぁとは思うんですよね〜気になるなぁ〜。

ただ、ひとまず明確な解答だけは与えられていて、それが努くんの言う、

「本当絶えないんすね、やつらは」

ということなのでしょう。事情は分かりませんがとりあえずどうやっても根絶やしにすることができない存在のようです。

とりあえず、ここに「響鬼」が他のライダーシリーズと決定的に異なるポイントがあるように思います。悪と戦い続けることそのものが日常であり伝統である、ということですかね。仮面ライダーを「職業」として描写することに真正面から取り組んだのだとすれば当然の帰結なのかもしれませんけど、そういう設定の作品って、後にも先にもなかったはずです。

例えば、本郷猛が生まれる前からショッカーと人類の戦いは続いてなかったし、グロンギと人類(リント)の戦いだって、ダグバが封印されてからはずっと途絶えていたし、オルフェノクと人類の戦いもそんなに古い話のようには描かれていませんでしたよね。人類とアンデッドの戦いも、事故でミスってアンデッド解放しちゃったからその後始末のためにブレイドたちが利用された感じだったんで、連綿と続くライダーの戦い...っていうのとはやっぱり違います。

そんで、続く二十八之巻で明日夢くんが再び万引き少年にボコられたことと、そのタイトルがズバリ「絶えぬ悪意」であることからも、そういう日常の中に潜むどうしようもなく存在する悪意の延長に洋館の男女が位置付けられているように思えます。この点は二十八之巻のレビューでまた触れたいと思います。

↓ガッツリこの続きを考察しています。

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ザンキさんについて

響鬼前半が批判される要因の一つに、「ザンキさんを準レギュラー化してしまったこと」がよく挙げられます。言わんとすることはまぁわかります。ヒビキと明日夢が将来的に目指すべき理想の鬼の師弟の姿が、すでに斬鬼轟鬼の二人によって描かれてしまった感があるからです。

実際、斬鬼轟鬼師弟の描写は、実は初登場時の十五・十六之巻こそがベストだったと、私個人としては強く思っています。

この二つのエピソードは、ちょっと極端な物言いが許されるなら「響鬼」の擬似的な最終回だったとさえ思っています。それくらい、序盤の作品群の中でずば抜けて完成度が高い。平成ライダー全体で見ても、5本の指に入るレベルと思っています。

特に、師弟をテーマにした「響鬼」の物語としての「守・破・離」が非常に丁寧かつ説得力を持って描かれていて、ダントツにクォリティが高い、というか高過ぎたのだと思います。そのことがかえってヒビキ・明日夢師弟の方向性を迷走させてしまったようにも思えてしまいます。王道の師弟展開はもう斬鬼轟鬼師弟に持ってかれた後だったからです。

ただ、この二十七之巻で見られたような、トドロキだけでなくヒビキにも作戦の指示を出したり、元師匠としてヒビキの話を聞く年長者としてのザンキさんという描写はやっぱり良いですね。特にザンキさんとヒビキさんの二人が明日夢について会話するシーンは二人の演技力の高さも相まって非常に見応えのあるシーンになっています。ああいう、年長者が若い人たちの成長を見守ってくれる雰囲気って、良いですよね。

ところで、

「彼なりの好きなことを見つけるか、人助けがやりたいことになるかはわからんが...」

という斬鬼さんの台詞って非常にこの作品を象徴しているような気がします。まさしく同じタイミングで、親の反対にあった挙句ライフセーバーという「自分なりにやりたいこと」を見つけて鬼の道を断念した努が登場していることからしても、その人が鬼になるかはあくまでも本人の自由意志によるべきであることはかなり強調されています。

そもそも斬鬼が鬼を引退したときも、「こればっかりは本人が決めること」とおやっさんも同じようなことを言っていましたし。

ただこれって結構無責任な言い方にも覚えるし、めちゃくちゃ繊細で難しい問題だとも思っています。

だって、ヒビキさんがあちこちに根回ししてグイグイ明日夢を猛士に引き込んでいくような展開だったら、新興宗教みたいで胡散臭さMAXで多分こんなに愛される番組にはなってないし(笑)、本人だけがやる気になっててもうまくいかないことは努の事例が証明しているし...。反面、こんだけ巻き込んでおいて、「別に鬼になる気はないだろ?」って突き放すのもちょっと無責任な気がしないでもないんですよね。

その辺の「弟子との距離感」みたいなのは、多分ダントツでザンキさんの方が上手いんだろうなとは思います。実際、二十三之巻でのヒビキさんの振る舞いはトドロキをかなり困惑させていましたし(笑)

そういうところに、放送当時は気づかなかった「ヒビキさんの未熟さ」があるような気がします。そこんところ、続く二十八之巻ではグッと進展があると思うのでこの続きは次回!

ただ、ザンキさんにはちょっと違う切り口から明日夢とヒビキを繋げる役回りを演じてもらえれば準レギュラーとして続投した価値がもっとあったとは個人的に思うんですが...。別に本人が体張ってバケネコの童子や姫と戦わなくても良いんですよ。

(了)

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