次々と斬新な設定や展開で新たな仮面ライダーの歴史を築き上げた通称「平成ライダーシリーズ」。こんなの仮面ライダーじゃないなんて揶揄される作品もいくつかあるが、その多くにはちゃっかり「昭和ライダーへのリスペクトとオマージュ」が込められている。
今回は、平成1期の締めくくりと平成2期幕開けの3作品となる「ディケイド」「W(ダブル)」「オーズ」をご紹介。
◆仮面ライダーディケイド
・10人目の戦士
ディケイドには、同じく昭和ライダー10人目の戦士、ZX(ゼクロス)との共通点が多い。
赤いマスクに緑の複眼(厳密にはマゼンタだが)、ZXベルト同様、ディケイドの上半身にも刻まれた大きな十文字。印象的な左右非対称のデザイン。
しかし何より衝撃だったのは、10作品目の主役を平成10号と位置付ける発想そのもの。それまで、例えば「剣」放送時にブレイドを「5人目の平成ライダー」なんて目では誰も見ていない。しかし、ディケイドが10人目と位置付けられたことで、クウガは1号となり、ブレイドは5号、電王は8号となる。それまで決して交わることのなかった並行世界をつなげる。その英断へ踏み切った覚悟の程が、ディケイドの体に大きく刻まれた十字デザインに強く表れているように思う。
・大ショッカー
本作の裏には、その名もズバリ「大ショッカー」という悪の大組織が関わっており、ディケイドライバーやディエンドライバーも彼らが作り出したものということになっている。そのストレートなネーミングも、映画版のタイトルも、なんとも懐かしい感じ。
「オールライダー対大ショッカー」のフォントも、vsではなく漢字で「対」を使う感じも、昭和のあの頃を彷彿とさせられる。
「イー!」でお馴染みショッカー戦闘員も勿論登場。戦闘員の衣装を盗んで潜入する海東など懐かしい展開も見られ、オールドファンはニヤリとさせれた。
その反面、イカデビルの登場に「イカでビール」など下らないダジャレを絡めるなど、過去作へのオマージュやリスペクトというより「茶化し」が目立ったのは残念なところ。現代の子供相手にやるにはそうするしかなかったのかな?
・アポロガイスト、十面鬼
劇場版「オールライダー対大ショッカー」盛り上げのため、テレビ本編にも大ショッカーの幹部としてアポロガイストが登場。人間体は「相棒」シリーズの伊丹でお馴染み川原和久氏が好演。現代風にリファインされた、いわゆる「S.I.C」っぽいスタイリッシュなデザインはかっこよかった。海東の解説シーンに一瞬でも「X」の世界のXライダーが登場したのもかなり嬉しかったところ。
更には「アマゾンの世界」もテレビ本編に登場。十面鬼も、平成ライダー10人の顔で構成された完全新キャラクターとして造形。「ライダー返し」という技でどの平成ライダーの必殺技でも返してしまうというなかなかの強敵。デザインはアポロガイスト以上に大胆なリメイクで、黒と金をあしらった個性的な姿は、オリジナル十面鬼の持っていたおどろおどろしい感じを抑えクールにまとめられている。
確かに「人間の生き血を吸って赤くなる」という設定は深夜枠でもないと流石に映像化が難しいところか。
「ディケイド」は、そのコンセプトからしてそれまでの平成ライダーがオマージュの対象となったため、どうしても昭和ライダーオマージュは少なくなってしまう。
しかし、続く「W」は、「次の10年に向けた1作」と位置付けられた=平成ライダーシリーズの仕切り直しといった意味合いが強く、かつ新たなスタッフ陣によって製作されたのもあってか、初代回帰、昭和オマージュの量がえげつない。
◆仮面ライダーW(ダブル)
・原点回帰のデザイン
赤い複眼、額から伸びる銀の触覚、首から伸びる大きなマフラー。そして緑と黒のカラーリング。ド直球仮面ライダーらしいまさに原点回帰のデザイン。
実は、主役ライダーに「緑」を配色した平成ライダーは初。
赤、金、赤、赤、紺、紫、赤、赤、赤、マジョーラ...と来てのメタリックグリーンである。実に仮面ライダーらしいデザインでありながら、それがいかに斬新かつインパクトのある姿であったかは想像に難くない。
加えて、装甲系を排した実にシンプルなデザインも実に仮面ライダーらしい。
企画の狙い通り、誰が見ても仮面ライダーとわかる姿をしていた。
・悪魔の道具
変身時には翔太郎の顔に独特の紋様が浮かび上がる。これもまた原作漫画版のオマージュ。本郷猛や一文字隼人の顔に浮かぶ改造手術の傷跡のようだ。
ドーパントとは違い、「純化されたメモリ」をドライバー経由で使っているとは言え、危険な悪魔の道具を使っていることに変わりはない。その「怖さ」の証拠とも言えるだろう。
・キカイダー⁈
加えてダブルが左右二色のデザインなのでどうしてもキカイダーを彷彿とさせられてしまう。
とりわけ赤と青のヒートトリガーは完全にキカイダーカラー(左右逆だが)。
ちなみに赤と銀のヒートメタルではジャンボーグ9を思い起こす渋いファンもいることと思う。
・登場人物の成り立ち
主人公の1人、左翔太郎の名前は勿論原作者・石ノ森章太郎から。
アクセルの変身者・照明竜の過去にもニヤリとさせられる。殺された家族が父、母、妹というのは完全に仮面ライダーV3の風見史郎。家族の仇討ちという私怨にのみ囚われていた男が、仮面ライダーと共闘するうちに仮面ライダーになっていく過程もまたV3とよく似ている。
・風の街・風都
ダブルの基本形態であるサイクロンジョーカー。とりわけ印象的なメタリックグリーンのサイクロンメモリは、文字通り嵐の記憶を司る。
初代仮面ライダーは、ベルトの風車に風を受けて、風の力で戦う戦士だった。そんな仮面ライダーのイメージにぴったりな風の街、風都が本作の舞台。あらゆる場所に風車のイメージが散りばめられている。
・金色のメモリ
ミュージアムの幹部級怪人たちは、より強力で特別な金色のメモリを使用。それはまるでショッカーの金色のベルトを装着したより強力な怪人たちを彷彿とさせられる。
・スカルマン
劇場版の特集記事を雑誌か何かで見て興奮した。仮面ライダースカル?!もろ「スカルマン」やないか!と。
スカルマンと言えば、仮面ライダー誕生前夜のキャラクター、語弊を恐れずに言えば、仮面ライダーのプロトタイプだ。石ノ森章太郎氏自身はスカルマンのインパクトあるデザインをいたく気に入っていたが、スポンサーからの「食事の時間帯に骸骨は困る」というダメ出しから、バッタに変更せざるを得なかったという経緯がある。
・仮面ライダーの称号
本作が熱かったのは、「仮面ライダー」という名前を実に大切にしたことだ。
劇中においては、「翔太郎の大好きな風都のみんながつけてくれた名前だから」大切なダブルの二つ名となっているのだが、それが視聴者にとってはどうしても「現実世界においては40年近い歴史を誇る伝説の特撮ヒーローの名前を冠していること」とオーバーラップしてしまうのである。
だから、劇中で翔太郎が「仮面ライダーの名を汚す奴は絶対に許さない」と熱くなる場面では、テレビの前の我々もまた胸を熱くしてしまうのである。
これは、それまで仮面ライダーの概念を自在に拡大解釈してきた平成ライダーに対する、一種のカウンターパンチでもあった。
・伝説となった劇場版
ダブルと言えば、未だに「歴代ライダー映画史上最高傑作」の呼び声が高い「A to Z」。当然「ダブルの劇場版」として観ても面白いのだが、「仮面ライダーの劇場版」として観ても素晴らしい本作。
まず、徒手空拳のみで戦う漆黒の戦士・仮面ライダージョーカー。勿論仮面ライダーブラックへのリスペクトも感じられるが、元祖は桜島1号との声も。
必殺技はライダーパンチ、ライダーキック。発動時のSEも初代を意識したものになっており、まさに現代風にリメイクされた仮面ライダー。
そして終盤、エターナルに突き落とされ落下したダブルが、サイクロンジョーカーゴールドエクストリームへと進化する展開は完全に原作版「仮面ライダー」。
鉄塔から蝙蝠男に突き落とされ、あわや九死に一生と思われた本郷猛だったが、風車に風を受けることで変身。仮面ライダーとなって反撃を開始する。
この、最大のピンチをチャンスへと大転換すると共に、新たな姿に変身し悪を打ち倒す痛快なヒーロー活劇こそ、原作より連綿と紡がれてきた仮面ライダーの原点である。
◆仮面ライダーオーズ
・ちいたかわしわしごりらんらん
頭部、胸腕部、腹部〜下半身と、三点それぞれに異なったメダルの能力を反映させてフォームチェンジするオーズ。
まさしくキメラとも言えるその奇妙な生態すらも、実は石ノ森章太郎氏の手がけた絵本「ちいたかわしわしごりらんらん」がモデルなのだとか。
その名の通り、チーター、タカ、ワシ、ゴリラ…実際にオーズでもモデルとなった動物が多く含まれている。
子供向け絵本ながら、かいぞうにんげん、サイボーグという言葉も出てきてオチもなかなかにブラックなのでオススメ。
ところがこちら、オーズのイメージの下敷きになったように見えて実は全くの偶然だったとも言われている。仮にそうだとしてもそれは「新しいアイデアだと思ったものでも結局氏に先を越されている」という先人の偉大さの証明に他ならない。
・バッタヤミーは正義の味方
個人的にオーズのエピソードで一番好きな21、22話。ここではいよいよバッタヤミー(バッタ怪人)が登場!
なんとこのヤミー、「悪い奴を倒したい」という男性の正義感を欲望のエサにして成長。当初はまさに「正義の味方」として街でも暴力団を駆逐するなどの大活躍を見せるのだが、その正義感はいずれ暴走し始め…。
トー!っと跳び蹴りを見せる姿はまさに仮面ライダー。しかし、真っ直ぐすぎる正義感が、時として人を傷つけることもある、という非常に現代的なメッセージを含んだオマージュは実に皮肉が利いていて面白い。
◯◯警察なんて言葉も目につく現在。今改めて見返しても色々と頷ける部分が多そうなエピソードだ。
・仮面ライダー1000回記念
本作の28話をもって仮面ライダーシリーズのテレビ放送エピソードが通算1000話になったらしい。そのキリのいい数字に加え、オーズの表記「000」とも重なるなんとも数奇な巡り合わせ。
「今度こそ仮面ライダーを倒したい」という戦闘員が親のイカジャガーヤミーが登場。合成怪人でジャガーといえばどうしても石ノ森章太郎監督作となった仮面ライダー第84話登場のイソギンジャガーを想起させられる。
が、お話自体はとてつもなくカオスな内容に振り切りまくったお祭りエピソード。オマージュというよりセルフパロディ満載の番外編といったところ。
・人ならざる者へ…
平成ライダーシリーズでも繰り返し描かれてきた、「人ではなくなってゆく主人公の悲運」というテーマ。
いずれ、戦うためだけの生物兵器に…と言われ続けた五代雄介。
人でなくなったがために自死を選んだ姉と同じ運命を受け入れて強く生きていく津上翔一。
怪物である自分の中に宿る人間としての心を信じて前に進んだ乾巧。
人間になろうとした怪物のために、人間を捨てて怪物になった剣崎一真。
人間と怪物の合いの子として、両者を繋ぐ架け橋になろうとした紅渡。
そして、ある出来事がきっかけで、欲望が枯れてしまったその心の隙間を狙われ、メダルの器にされてしまう火野映司。彼もまた、メダルのバケモノ=グリードに近づいていく。
コメディタッチな描写も多い本作の中でも、映司が人間でなくなっていく描写はいやに生々しく不気味であった。
やはり「仮面ライダー」とは、人ならざる者へ変貌してしまう男の悲劇の物語なのだ。
次回はいよいよ、フォーゼ、ウィザード、鎧武!