謎多きチャージマン研の世界を知るためにも欠かせないのが、ジュラル星人についての考察だ。ここでは、彼らの生態や目的と知能レベルなどさまざまな角度から考察を深めたいと思う。
◆ジュラル星人は犬?!
まず結論から言おう。我々がジュラル星人と聞いて頭に浮かべる、大きな単眼に垂れた耳の生えた触手のような四肢のあの怪物は、おそらくジュラル星の犬だ。
のっけから早速訳わからないことを言っているが、その最大の根拠は「魔王」と呼ばれるジュラル星人とはあまりにかけ離れたその姿にある。
◆魔王との違い
魔王の姿を思い返して欲しい。額には確かに彼らと同様の単眼はあるものの、人間のような頭骨と二つの目玉に高い鼻や耳、手にはちゃんと指まで揃っている。加えて肌の色まで驚くほど違う。ここまで見た目の違う彼らをまとめて「ジュラル星人」と呼ぶ方が不自然ではないだろうか?
つまり、純然たるジュラル星「人」というのは劇中で確認できるのは「魔王」ただ一人で、その他のおなじみジュラル星人というのは、実はジュラル星から魔王が連れてきた侵略用の生物兵器だったのではないだろうか?
他作品で例えるなら、MCUでサノスの軍勢操るアウトライダーのイメージに近い。ロケットが宇宙わんこと呼んでいたアイツらだ。
◆弱すぎる生命力
彼らを犬と呼ぶもう一つの根拠が、あまりにも低すぎるその戦闘力(生命力)だ。基本的に彼らは毎度毎度アルファガンの一撃で死亡するし、そのテンプレから何も学ばない=学習能力がない。
それに、反射速度、反応速度も異様に遅い。「あ!」と言いながら、研の攻撃をほとんど避けられない。中には撃たれる前から横たわっている者までいる。
加えて彼らが実行する作戦の数々は、あまりにも回りくどすぎて、本気で研を殺そう、地球を侵略しよう、とは考えていないとしか思えない。彼らは遊んでいるとしか考えられないのだ。
※語弊がないように言っておきたいが、もちろん地球で人類に愛されている本物の「犬」の方がはるかに優秀で生命力も高い。あくまで侮蔑を込めた言い方であることをご了承いただきたい。
◆回りくどすぎる作戦TOP3
そんな彼らの回りくどすぎる作戦の一部を紹介しよう。
第3位 自殺幇助作戦
第33話「僕のパパは時代おくれ?」では、あえて古風な生活を送るオサムくんのパパが登場。世間の冷たい視線に耐えきれず自殺を考えるまでに追い詰められる。
そんな彼の頭上にわざわざ首吊り用のロープを用意。しかしくくりつけた枝が細すぎたのか1本目は折れてしまう。しかしその近くに別のロープを設置。不審に思ったオサム父に
「さぁ早く死ね!一人でも多くの人間が死ぬのが、俺たちの望みなのだ!」と死ぬよう説得。あまりにも侵略活動がうまくいかないからか、自殺志願者のサポートに回るというかなりニッチな手法に切り替えた模様。
第2位 SAIBUロボット作戦
第7話「西部の男・研!」には、西部劇を体験できるテーマパークが登場。研たちと激しい銃撃戦を演じたが、実は彼らはアトラクション用のロボットだった。
「また遊びに来てください」と笑顔で見送った後、ロボットたちが実はジュラル星人だったことを独白。「今度ヤツがやって来たときはこの本物の拳銃で…」とつぶやくが、その全てを研に見抜かれわざわざUターンして帰ってきた研に敗北。
というか、なんで1回は研と一緒に遊んでやったんだ...?なんで最初から本物の拳銃を使わない?!
ちなみに表題の「SAIBU」というのは看板の表記ミス。おそらくSEIBUと表記したかったのだろうが、日本に永く住み着いているからか英語やローマ字には弱いらしい。
第1位 キチガイレコード作戦
こちらは今やチャージマン研!の代表作の一つにも数えられる第16話「殺人レコード恐怖のメロディ」。今話のジュラルはなんと都会のど真ん中にレコード屋をオープン。多くの人々が訪れる中、たまたまキャロンが来店。それを見た店員が「ようやく引っかかったわね。これで研の一家も全滅だわよ」。
本人も「ようやく」と言うぐらいなので相当時間がかかったのだろう。
ちなみにこちらに登場するモブが買い求めた花園マリ子の「バカッチョ金魚」は後に音源化されている。 予想外に美しいメロディとファンサービスたっぷりの歌詞は感涙必至。
◆劇団ジュラルBEST3
そんな回りくどさで有名なジュラル星人の得意技が、様々な一般人に集団でなりすまし、研を罠にはめようという通称劇団ジュラル作戦だ!
第37話「ハイジャックをやっつけろ!」
この回では、いかにも悪者っぽいハイジャック犯がジュラル星人かと思いきや、ハイジャック犯と研の一家以外の全乗組員がジュラル星人という衝撃の展開!操縦士含め客席もわざわざ全て押さえたらしい。彼らの涙ぐましい努力を讃えたいが、想定外のハイジャック犯の登場に、彼らも内心相当焦ったに違いない。
第48話「孤島の対決!」
下校途中の研の目の前で、チンピラ3人組が老婆をカツアゲ。
しかしさすがは改造兵士・研。変装するまでもなく素手でチンピラ3人を圧倒。老婆はお礼に研を喫茶店へ。しかし、オレンジジュースに催眠薬が!
なんと老婆含めチンピラ3人も全員がジュラル。
しかしせっかく捕えた研の殺害方法がなんと「鳥葬」。捕まえるまでも回りくどい上に殺し方まで回りくどい。
第63話「悪魔のサーカス団」
ピロピロ大サーカスという非常に安物臭いサーカスの近くを所持金20円で通りがかった研。研の正体を知る怪しすぎるピエロの計らいで中に入れた研たちだが、当然ピエロ含め団員全員がジュラル。
なんとライオンを暴走させて研を倒そうとするエリカちゃん。もちろん全員アルファガンで処刑。
ただ気になるのは、普通に一般の観客も大量に集めていたこと。...まさかジュラル星人って…。
◆劇団ジュラルは彼らの日常
その作戦の回りくどさに定評のある彼らだが、実はレコード屋もロボットアトラクションもサーカスもパイロットもチンピラも全て地球上での彼等の本当の職業なのではないだろうか。劇団ジュラルと揶揄されたその姿は、実は嘘偽りのない本当の彼らの生活そのものなのかもしれない。彼らが仮に50年も前から地球に潜伏していたことを考えると、十分あり得る話だ。
しかし所詮は犬。彼らの作戦行動には粗が多すぎる。彼らの言動を追えば追うほどその科学力とは裏腹に、知能は著しく低いと言わざるを得ない。
◆ジュラルの知能
特に彼らは常に作戦の詳細を繰り返し語り合っている。彼らの会話を、もしたまたまにでも盗み聞きしてしまえばその手の内が全てわかってしまうのだ。
※第61話の「聞いたなコイツ!」が有名。
もしかすると物凄く物忘れが多いのではないだろうか?だから、仲間同士作戦詳細を定期的に確認し合うことでミスを防ごうとしている、或いは、会話したことすらももう数分後には忘れているのかもしれない。そうだとすると、同じような作戦で何度も失敗していることにも説明がつく。
そんな彼らも日本語はかなり流暢に話しており、かなり知能が高いのかと思われたが、劇中においてもう50年も地球にいることと、相当数が研に殺されていることから考えても、地球生まれのジュラルが大半なのではないだろうか?
但し、戦闘中には彼らも素が出るのか、「にゃぁああ!」と叫ぶシーンが多々みられる。劇中で唯一とも言える「ジュラル語」の場面かもしれない。
◆「魔王」の正体?!
そう考えると、「魔王」を名乗る彼だけはやや日本語が下手くそなのも頷ける。
第1話から「命令をすりゅ!」「ワカタカ!」などやや片言のセリフが目立っていたのをご記憶だろうか?50年以上地球にいたとしても、流石に言葉の端々には母語の癖が出てしまうのだろう。
とは言え、ジュラル星人の代表者がたった一人で銀河の遠く離れた地球の侵略を任されているというのもなんだか変だ。ちょっと想像すればもうお分かりのことだろう、彼はあくまで「自称・魔王」であり、本当にジュラル星でも魔王と呼ばれているかはわからないのである。もしかすると故郷のジュラル星からかなり貧弱な兵力だけを託されて地球に左遷されてきたのかもしれないのだ。
とは言え、そんな彼も第11話では地球の危機に対して研に一時的な協力関係を提案するなど、必要な場面で必要な対処ができる柔軟さも持ち合わせた実に優秀な人材という印象も強い。
しかし、彼の呼びかけに対する部下の反応はいつもやや薄く、冷たい(大勢の部下への呼びかけに対し、わずか1〜2名の「おー」という腑抜けた返事が象徴的)。
部下に恵まれない転勤族のおじさんとして見れば、魔王の切ない物語としても本作を楽しめるだろう。
◆まとめ
ここまでを総合すると、以下の事実が浮かび上がってくる。
- ジュラルの自称・魔王は故郷の下等生物を兵士として連れて日本に派遣(左遷)されると同時に数年で日本語を共にマスター。
- 侵略のために生物兵器の養殖などを進めるかたわら、日本のあらゆる分野(ヤクザ、スポーツ界、サービス業etc)で商売を始める。
- 50年近い準備を経て本格的に侵略活動を開始するが、チャージマン研の登場で次々と作戦が失敗。
- 特に部下の記憶力が弱すぎる問題が表面化し、魔王は互いに作戦詳細を口頭で確認し合うよう命令を下す。
- 食料コンビナートの破壊や大仏を遠隔操作するなど、派手な作戦はことごとく失敗。やはり研を殺害する以外にないと判断し、日本各地で真面目に働いていた部下たちの本業を利用して研の抹殺を企てるが、これもことごとく失敗。
といった辺りだろうか。
やはり「チャージマン研!」は非常に特殊なアニメ作品であることがわかった。
主人公より敵集団の方が圧倒的に弱いのだ。そしてこの構造は、第1話から最終話に至るまで一貫していた。だから、視聴者としてもいつの間にか敵側であるジュラル星人を応援してしまうのだ。
宇宙からの侵略者を描いたSF作品は古今東西数多あれど、地球人の方が優れているという描き方をした作品というのは案外少ない。というかほとんどない。
だが、よく考えてもみてほしい。「地球外生命体=地球人より優れている」とは限らないのではないか?というか、「地球人より優れているはず」というのが固定観念化してしまっていないだろうか?
本作は、そんなSF作品にありがちなテンプレートをぶち壊して、一方的に侵略者が射殺される映像を明るく流し続けた、実に挑戦的な意欲作だったのである。