私はベン・アフレック演じたバットマンが結構好きで、度々当ブログでも記事にしてきた。
が、正直まだまだ語り足りない細かな部分が多々あるので、懲りずにまた語りたいと思う。
◆Beautiful Lie
「バットマンvsスーパーマン」(以下BvS)に登場するバットマンといえばこの曲、「Beautiful Lie」。この曲のタイトルにもなっているセリフが登場するのは、本編開始4分50秒後、両親の葬儀から抜け出し、井戸のような地下洞窟に落下した少年時代のブルースが、頭上の光に導かれるシーンでのこと。
日本語では「美しい嘘」、字幕では「美しい幻」と訳されたこの台詞は実に意味深だ。
蝙蝠の群れに導かれ、頭上の光へと昇天しゆくブルースの映像は勿論彼が後にバットマンとなることの暗示なのだが、そのイメージそのものを嘘、幻と表現するところが実に面白い。
「バットマン・ビギンズ」でも同様のシークエンスが描かれたが、そこでは生前の父・トーマスがブルースを救出。そして
「人はなぜ落ちる?這い上がるためだ」
と実にポジティブな台詞-ダークナイト・トリロジーを象徴するテーマ-へと彼を導くのだが、
BvSではそれを真っ向から否定するかのように、頭上の光についてブルースがこう語る。
「夢の中で光に導かれた。美しい幻だった」
蝙蝠を身に纏い、夜の街で戦うバットマンが求める光。それは「幻」であり、彼は絶対に触れることのできない光を探し求めて戦い続けている。だから、ベン・アフレック演じたBvSのブルースは、あの落とし穴からずっと抜け出せないまま。彼の戦いは絶対に終わらないのである。
◆「我々は犯罪者だ」
©︎2016 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. TM&©︎DC Comics
本編27分でエレベーターからバットケイブに降りてくるブルースのカット。ここも大好きなシーンだ。まず、衣装が良い。グレーのジャケットに、黒のシャツ。もうブルースの時からバットマンであることが溢れ出している。
そして何より、凄まじいほどに体格が大柄すぎて、ジャケットは前が、シャツは胸元が大きく開いている。上半身の厚みと大きさのせいか脇もこれ以上閉じないように見える。この姿があまりにもセクシーかつワイルド、それでいてやはりどこか退廃的。
続いては、犯罪者に焼印を入れるバットマンの行動を咎めるアルフレッドに対し、ブルースがこう即答する。
We're criminals, Alfred. We're always been criminals.
-我々は犯罪者だ。ずっとそうだった。-
DCコミックス原作映画のすごいところはここで、既にバットマンの戦いそのものはほぼ「常識化」されているから、細かい描写や回想シーンもいらない。一言、「我々は犯罪者だ」と言うだけで、観客はこのバットマンも、ジョーカーやトゥーフェイスなど凶悪なヴィランたちと苛烈に戦ってきたであろうその過去が容易に想像ができてしまう。更にそんなファンの妄想を刺激するセリフが本作には散りばめられている。
・初めてクラークと対峙した時の「ピエロに悩まされた」という台詞
・ダイアナと対峙した際の「君のような女性を知ってる」というセリーナを思わせる台詞
そして何より、ベン演じるブルース自身から歴戦の勇士のオーラが溢れ出ているからこそ説得力がある。
◆I'm gonna need the suit
本編44分で描写される、悪夢から目醒めるブルースのカットも、もう何十回と言っているが死ぬほど好きなシーンだ。
枕元には空の酒瓶、隣には名もなき女。そしておもむろに錠剤を手にしてはワインで流し込む。
バットマンであることの代償として、ブルースの人生は全て失い堕落しきっていることが、しかし美しく描かれている名シーン。もはや一服の名画である。
疲れ切った黒い輪郭が浮かび上がる青白い朝もやが、その冷たい人生を実に見事に描き出している。
そんなブルースの寝床を訪れたアルフレッドに現在の調査状況を報告し、スーツが必要であることを説くブルース。
©︎2016 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. TM&©︎DC Comics
I'm gonna need the suit.
その瞳はもう既に怪物と化している。スーツを求める彼の目は既にバットマンなのだ。もっと言えば、彼はスーツを着ることで初めて満たされるのだろう。酒でも女でも薬でも満たされない深い闇に囚われた彼が唯一掴んだ「幻の光」こそがバットマンとしての人生だった。
アルフレッドにお茶を淹れるブルースというのも実に良い。これまでの映画等で描かれてきた絶対的な主従関係を超えたものとして実に革新的な描写だった。これもザックによる演出だとすれば彼は本当に天才だと思う。
ちなみに、「ザック・スナイダーカット」にてアルフレッドがかなりお茶淹れにこだわっていることが描写されたことから、おそらくブルースも同様に適量の茶葉をしっかり蒸らして美味しいお茶が淹れられるであろうことも補完されたと思う。
◆バットスーツとの対峙
©︎2016 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. TM&©︎DC Comics
この後、スーツ格納庫の前でバットスーツと対面するブルース。予告編でも印象的な使われ方をしていたこのシーン。彼は何を考えていたのだろう?
ものすごく単純に考えれば、レックス邸にはスーツを着て侵入したかった、やはりバットスーツが着たくて仕方なかった、のではないだろうか。それこそ薬物中毒者の禁断症状のように。
それは勿論、一刻も早くスーパーマンを仕留めるため、クリプトナイトを入手するため、というのもあるだろうが、実際のところはもっと本能的なことが理由だと思う。
彼はブルース・ウェインとしての自分よりも、バットマンとしての自分をより信頼している。それこそが彼の本性であるということを強く自覚している。
更にこのシーンを客観的に見れば、ブルースが彼の中にある「夜の顔」或いは「真の姿」と対面している、鏡を見ているシーンだとも言えるだろう。バットマンとしての己を見つめる瞳に映る、ケイブに湛えられた青白い水の反射が、彼の表情に暗い影を落とす映像が実に見事だ。
◆ロビンスーツを見つめる瞳
©︎2016 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. TM&©︎DC Comics
そして黒焦げのロビンスーツの前に立つブルース。単独作への伏線でもあったのだろうが、私はあくまでも、彼の苛烈な過去を暗示する演出=今のブルースの在り方に帰結するこれまた見事な映像だと思っている。
しかしなぜ彼はわざわざ心の傷をえぐるようにして悲劇のスーツを堂々とディスプレイしているのだろう?
そこにはあらゆる思いが複雑に絡み合っているように思うが、後に彼が語る
「この20年、何人の善人が残った?」
というセリフとも繋がっている気がする。
彼の悲しみや怒りや落胆は、ロビン自身に向けられたものというより、犯罪者たちと戦う上で持つべき覚悟と教訓として自身に刻みつける意図があるように思う。
ロビンを失った痛みを己に焼き付けながら、犯罪者に手心を加えてはならないという強い自戒のようなものだろうか?
勿論そこには他にも様々な解釈が生まれ得るわけだが、無言の内にそれらを数秒で魅せ切ったザック×ベンアフの2人の天才タッグによる演出の妙には脱帽してしまう。
他にもたくさんあるが今回はひとまずここまで。バットマンとしての姿やアクションについてもいずれ語りたいと思う。
とりあえず本作未見の方は見て下さい。