ADAMOMANのこだわりブログ

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第2話「狂った機械」感想と考察〜ジェミニィは不完全なのか?〜

狂った機械

今回は第2話「狂った機械」です。個人的に一番好きなエピソードかもしれません。というか、リアタイ視聴から20年経った今でも唯一覚えていたというかものすごく印象に残っていたのがこの「狂った機械」というフレーズでした。

今回は、ジローが「最も深く傷つくエピソード」です。振り返っていきます。

前回の第1話はこちら。

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ジローはただの...!!

実父である光明寺博士の消息を聞かれるジロー。ジローにとっては目に映るもの全てが新鮮で、ジロー=キカイダーを作ったのが光明寺博士だと聞かされたジローは...

「マサルくんもこの人が作ったんでしょ?(^^)」

このときのジローのあっけらかんとした無邪気な声と表情がまたたまりません。

ジローって見た目が10代の青年だから誤解されやすいんですがこの世に生まれ落ちたばかりの赤ん坊と同じなんです。それでいて死ぬほど頭いいので吸収力はとてつもなく高い。そんなジローに対してミツ子さんは激昂してしまいます。

「ジローはただの...!!」

「ただの機械」だと切り捨てたかったのでしょう。初見時も「 そこまで言うか?」と違和感あったんですけど、彼女がロボットに対してある種の憎しみを抱いていることは後のエピソード(4話くらいかな?)で明らかになります。

その後の森の中での2人の会話も良いですよね。ミツ子の頬に手を添えながら、

「僕はマサルくんやミツ子さんが好きだ。どうすればこんな風になれる?ジェミニィを直せばなれる?」

この世に生まれ落ちたばかりのジローは人間になりたいと願います。でも、いやそれはどう転んでも叶いっこない願いなのよ...ってのが見てるこっちとしては辛いところです。やっぱりこの物語は、人間になりたいけれど絶対になれない悲しい「ピノキオ」の物語です。

そしてそんな風に「体は人間ではなくとも心は人間であろうと悩み苦しむ姿」は完全に仮面ライダーと一致します。出自が逆転している(人間→改造人間)だけで、彼らが抱える葛藤とジローのそれは非常に酷似しています。

ただ、人間とロボットの違いがまだよくわかってないジローのアホさが彼の不幸を一層際立たせていて、だからこの第2話、めっちゃ好き。

「じゃあ、ミツ子さんが自分のジェミニィを調べたらいいじゃない(^_^)」

「ねっ(´∀`*)」

ジローがアホ素直すぎて...その笑顔にドン引いてるミツ子さんとセットで最高です。この噛み合わなさ気まずさたまらんこのシーンだけで白米3杯だわ。

 

今週のギルさん

「フン、なまじ人間に近づけようとするから余計なことまで興味を持つ。苦しいだろう?必要のない感情まで持たされて...。」

いかにも悪の親玉って感じのギル様ですが、この歳になって見ると結構ギルが言ってること理解できるんだよなぁ。下手に感情なんか与えるからこんなことになるんだろ?って私も思います。だから機械はやっぱり機械らしく、感情を持たずに人間の命令にただ従えばいいでしょと。

まぁいわゆる「ロボット三原則」の通り、ということです。これを実現しようと思ったら、多分ロボットは感情を持ってはいけないのではないかな?と思うんですが皆さんどう思います?

kotobank.jp

但し、当然ギルが操るロボットたちもまた完全に「ロボット三原則」から逸脱しているんですよね。だから本作で描かれているロボットたちには、ダークの側にもキカイダーの側にも「正義」が存在しません。

 

狂った機械?

「止まりなさい」と言われたジロー、

「それは良い命令?悪い命令?」

と言ってミツ子の言葉に耳を貸しません。うーむ見事な論破(笑)

ここのジローのすね方というか捻くれ方はとてつもなく人間らしくて好きです。

「好き」な人間(ミツ子さん)を傷つけようとしてしまった自分が許せないし、そんな自分を破壊しようとするミツ子さんもいや。でも、ミツ子さんのような柔らかな「人間」になりたいとも思う。

こういう矛盾を抱えたロボットは本来ぶっ壊れるのが世の常ですよね。「2001年宇宙の旅」のHAL9000が一番有名だと思います。「乗員と話し合って協力しろ」という命令と「モノリス探査の任務については乗員には秘密にしろ」という相反する命令の矛盾を処理しきれず、「乗員を全員殺せば話し合わなくてすむ」と命令を曲解してしまう彼の姿は非常に印象的でした。

2001年宇宙の旅 (字幕版)

でもジローは、すねて家出するわけです。これはもう立派な「人間のすること」ではありませんか?

 

ジェミニィは本当に不完全なのか?

放送当時からめっちゃ疑問だったのが、ジェミニィって本当に不完全なの?ということです。もちろんギルの笛に操られてしまうという致命的な弱点があるのは確かですが、それを除いたらジローって本当ただの人間ですよ。

じゃあ、光明寺博士が目指した「完成版のジェミニィ」もしくは「完全版のキカイダー」って何?ってことなんですが、もしかしたら「ニーサン」みたいなやつかなぁと。

ニーサンってのは「仮面ライダーディケイド」22話に登場した海東純一のことです。この世界ではフォーティーンに洗脳された人間は不気味なほどに笑顔が眩しい「良い人」になってしまうので世の中が平和になるけどその代わりフォーティーンに仇なす者は徹底的に暴力で排除するというちょっとしたディストピアものです。

(実際には海東純一は洗脳されてなかったんですが)

私自身これまで勘違いしてたんですが、あくまでもキカイダーってやっぱり戦闘用のロボットなんですよね。別に人間のような心を持つ優しいロボットを作ろうとしていたわけではないんですよ。

あくまでギル配下のロボットを殲滅するために開発された戦闘マシーンなんだけど、その圧倒的な戦闘力ゆえ、絶対にギルに操られてはいけないわけです。だから「めっちゃくちゃ強くてめっちゃくちゃ良い人」を作ろうとしたんだろうなと。「良心回路」なんて言ってますけど、別に社会福祉に貢献するためでもなんでもなく、「本来のキカイダー」は危険なギル達ダークロボッツに対するカウンターとして造られたに過ぎないわけです。

ただその「完全版キカイダー」、非常に危険な感じがします。そもそも「善悪」自体、時代や状況によって微妙に変転します。そんな中でも適切な判断をするのは至難の業で、適宜アップデートが必要になりそうですが、結局そのアップデートは「特定の人間の主義・思想」に従って行われるわけで、要は作り手の正義が頭の中に押し込まれるわけですよね。

...んー、第1話で光明寺博士の最後の「実験」が失敗してジェミニィが不完全な状態でキカイダーが誕生してしまったのって、ジロー自身がそれを拒んだ=ジローの意志だったんじゃないの?ってそんな気がしてきました。「誰の命令も聞きたくない」と、人間であろうとしたジローがジェミニィを自分で突っぱねたんじゃないの?と。

だから、

「それは良い命令?悪い命令?」

とミツ子の命令を突っぱねたシーンは実に象徴的なシーンなわけです。キカイダーは、人類史上初の、誰の命令にも支配されない自由意志を持ったロボットだったということですよね。

裏を返せば完全版ジェミニィを組み込んだキカイダーって結局人間の命令に従って「善いとされている行い」を絶対的に遂行する、あくまでも人間に服従し続ける存在なわけですよ多分。

まぁその辺はもう少し続きのエピソードを見てじっくり考えていきましょうか。

 

グリーンマンティス

しゃべりませんねコイツ。さすが昆虫モチーフだけあって、複眼の描き込みパターンは仮面ライダーと同じ菱形の連続イメージ。めっちゃ模写してたあの頃を思い出します。

でも聞き覚えのあるこの鳴き声は...キーラとドラコのミックスかな?

度々口からなんかヨダレみたいなの垂らしてるし首の動きとかなんとなく軟質素材に見えるし死に様は舌伸ばして液体撒き散らしながらバラバラになってピクピクしてたりと、ロボットのくせに有機体みたいな描かれ方しててちょっとグロかったですよね。

でも両手の鎌を交差させて斬撃を放つ技なんかは完全にキカイダーの電磁エンドそっくりですし。この辺りはのちに語られることになる「キカイダーの兄弟」たる証でもありますよね...。

 

サイドマシーン

サイドマシーン登場シーンは燃えますね。なんというかまず単純にデザインがめちゃくちゃかっこいいんですよコレ。ベースはカワサキのGT500マッハⅢという車両の改造...というかほぼ色変えです。ここは石ノ森御大のセンスのみならず、当時の特撮番組と並行して描かれたからこその「時代が生んだスーパーマシン」ですね。もうほぼ寝そべってんじゃねぇかってくらいの超前傾姿勢がかっこいい。

咄嗟にまたがり念じるだけでエンジンをかけるジロー。その後の森の中でのミツ子さんとの会話でもサイドマシーンについて少し語ったジローの言葉が深いですね。

自分を襲ってくるロボットにも、このバイクにも、そして時にはミツ子さんにも「近いもの」を感じるとジローは言います。

多分それって「破壊の衝動」みたいなものなのかなと思います。ジローに襲いかかるロボットたちはもちろん、サイドマシーンにもそれはあって、それってきっと普通のバイクではなく「戦うためのバイク」であるということですよね。

そして「ジェミニィの修復が無理ならジローを破壊するしかない」と覚悟を決めているミツ子さんに宿るものも同質のものです。ここで、機械と人間を同列に語ることができるのはジローが「狭間を生きる者」だからでしょうね。

あと、バイクと無言のコミュニケーションとってる描写があるってのが良いんですよ。こんな風に愛車であるスーパーバイクに圧倒的な存在感があるってのはヒーローにとって無茶苦茶大事なことなんですよ。

 

 

デンジ・エンド

ミツ子さんに「狂った機械」と言われたジロー。そのショックを胸に、

「僕はただの…機械だぁああ!」

と絶叫します。それが自身のアイデンティティ=キカイダーであるという、宣言です。作品のタイトルとドラマが見事にシンクロした名シーンです✨

そして放つ必殺の電磁エンドも、静かな溜めと共につぶやくことで「ジ・エンド」=ダークのロボットに対する「死の宣告」になっているところもまたオシャレですよね。

石ノ森作品に見られるネーミングってこういうびっくりするくらい単純なダジャレみたいのが多いんですけど、それをちゃんとキャラクターの感情と絡めてドラマに乗せる展開は完璧です。

あとは今話に限らずキカイダーの左脳内部のパーツが明滅する演出も好きです。

 

というわけで次回、「ストレイ・シープ」=「彷徨える羊」のお話ですね。いよいよ探偵事務所の面々も登場。果たして「狂った機械」と突き放しジローの破壊を考えたミツ子はジローと再会できるのできしょうか?

(了)

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第1話「孤独な人形」〜石ノ森特濃原液を堪能するならコレだ!!(感想と考察)〜

孤独な人形

いよいよやってきましたこの時が。

「人造人間キカイダー THE ANIMATION」

これから全話感想考察やっていきます。

この作品が放送されていたのは2000年。当時中学生だった私の家ではキッズステーションというCSのチャンネルが視聴できたので見てました。CS放送限定アニメです。

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2000年といえば仮面ライダーは「クウガ」や「アギト」が放送されていた頃。超どっぷり仮面ライダーにハマってた頃ですから、同じ石ノ森作品ということでキカイダーにも手を出したって感じでした。

ただ、私は元々「仮面ライダー」が好きなだけのオタクなので「キカイダー」は特撮版も萬画版も触れたことがありません。「マイ★ヒーロー」で見れるくせに見てません。

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そんな私が唯一、仮面ライダーシリーズ以外の石ノ森作品でハマったのがこの「キカイダーTHE ANIMATION」でした。一応、萬画版とは少しあらすじが違うようですが基本的には萬画版をベースに製作されていて、御大の死後のアニメ作品ではありますがかなり濃厚な石ノ森エキスだくだくの特濃原液が萬画以外で楽しめる稀有な作品です。

加えて、自分の中にある暗さとか孤独さとか悲しみを愛好するフェチズムというか、悲劇の中にヒロイックな美しさを見出す感性はもしかするとこのアニメによって形成されたのかもしれない。今の私の趣味趣向を決定づけた作品こそこれだったのかもしれない。そう思えたのでDVD-BOXを買いました。

要はこのアニメ死ぬほど好きなんです。んーちょっと大袈裟に言えば、日本版「ダークナイト」くらい完成度高いんじゃないですかね。もしくは、私が本当に見たかった「シン・仮面ライダー」かな。

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とりあえず第1話だけならアマプラで無料で見れるのでまぁ見てくださいめちゃくちゃ暗いから笑

サブタイトルを第1話から順に見ていくだけでもわかるんですがまぁ暗いですよね本作。

「孤独な人形」

「狂った機械」

「ストレイ・シープ」

「鏡」

「雨の街」

「負の断片」

とかとか…全12話。

単純に映像的にも暗くてナイトシーンが多いんですけど、加えて内容もものすごく暗いんです。ただ、その暗さの中にちゃんと色気があるんですよね。バーカウンターでウィスキーのロックを仰ぎたくなるような、そんな上品な暗さ?人間臭いけどダサくなくって、辛くて物悲しいのにどこか温かくて、不思議な色気に満ちたアニメです。これがやはりあの石ノ森御大の凄さなのか...?!

とりあえず今回は第1話の感想レビューなんですけど、正直言って第1話って「ザーボーン!ドカーン!」であっという間に終わっちゃうのでこれだけだとそんなに「続きが気になる!」って作りにはなってないんですよね。ちょっとでも興味持ってもらえるようにオススメポイント紹介しながらお話ししていきます。

 

第1話「孤独な人形」

呪われた出自

キカイダーが誕生する記念すべきシーンなんですが、のっけから雨です。

とにかく不気味な開幕で、光明寺博士もやっちゃいけないことやりまくりの空気出してるというかマッドというかただの悪人にしか見えませんし笑

これってめっちゃ重要で、やっぱ基本的に石ノ森ヒーローって誕生を祝福されることがないんですよね。仮面ライダーが誕生したショッカーのアジトもそうですけど、生まれてはならないものが生まれる瞬間の不気味さみたいなものに満ち満ちてます。

例えば、おんなじロボットキャラクターのドラえもんがこんなに真っ暗な空気をまとってのび太の部屋には来なかったし、鉄腕アトムだって、生まれてすぐに天馬博士に抱きしめられています。

でもキカイダーって、誰にも生まれたことを祝ってもらえないんです。生まれたこと自体が「呪い」なんです。最後まで見たから余計そう感じるのかもしれませんけど、生まれたこと、この世に存在することそのものが十字架になっちゃってるキャラクターなんです。

 

飛ばせないOP

劇伴が好きですこのアニメ。特にこのOP、どうしても毎回聴いてしまう。

見岳章さんという方が音楽を担当されているようでちょっと調べてみたところ、「金田一少年の事件簿」(!)や「木曜の怪談」(!!)といったホラーテイストの作品を担当されることが多かったようです。言われてみれば確かにOPのイントロとか完全ホラードラマのやつですね笑

怪奇倶楽部のテーマ曲、思い出してみたらそっくりかも。

木曜の怪談 怪奇倶楽部~小学生編1 [VHS]

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  • ビクターエンタテインメント
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そんな本作のサントラめっちゃくちゃ好きですね。暗さと冷たさの中にある美しさと逞しさとほのかな温もり。なんか作品全体をMADとして垂れ流すだけでもいいくらい。作品の湿っぽい空気に浸るだけでも結構満足できちゃうほど、音楽が魅力的です。

あとOPの映像にも本作のコンセプトが溢れまくってていいですよね。繰り返し登場する「血のついた歯車」は、ジローが血を流せる「生きた機械」であることの象徴であると同時に、血を流す=苦しみ続ける存在であることの暗示です。

あとOP最後の方のドアップのジローの表情。泣くでも苦しむでもない、不安と焦りに包まれた不穏な表情です。これをOPに持ってくるところが本当ニクイというか、媚びる気がないというか、徹底してますよね、何を描きたいかってことに関して。

もうキャラ萌えを狙ったようなあざといアニメが私は全くもって好きではないので、原作者が作品に込めた想いとかテイストを一切薄めず特濃原液でぶちまけてくれるこの感じがたまらなく好きなんです。もうこんなアニメは今後見れないかもしれないですよね。

他にも、予告編で流れるギターの儚げな曲も印象的ですし、何よりエンディングがいいですね!全アニソンの中で一番好きだと思います。...あ!ミツコさん(本作のヒロイン役の堀江由衣さん)が歌ってるんですね!うぉおおそうだったのか!(今更知った)実はこのエンディング死ぬほど好きでして。「Destiny」という曲です。

 

半端者の苦悩

途中、飛行機が木の上に引っかかっちゃった男の子2人との絡みがあるんですが、この辺はもう石ノ森テイストMAXの展開ですよね。木の上に登ったりジャンプするのではなく、木をへし折ってしまうジローと、それを見て怯えてしまう少年たち。圧倒的な力を持つジローは、戦闘用に開発されたロボットだからこそ日常の中で人々と共には生きていけないという、これも生まれながらにしてジローが抱えた「呪い」ですね。

でも、なまじ人間のような心を持っているから、それに対して「つらさ」を感じてしまう。ギル配下のロボットたちのように何も考えず命令に従うだけならきっと楽なんでしょうけど。

この、「半端者の苦悩」こそ仮面ライダーにも通底する孤独なヒーローの魅力です。仮面ライダーも、人間でありながら人間離れしたバケモノのような肉体を持ってしまったが故の苦悩を抱えた存在です。キカイダーもまた、機械でありながら人間のような心を持ってしまったが故の苦悩を抱えていて、仮面ライダーで見られた構図をそのままひっくり返したような形になっています。だからこの二大ヒーローって真逆の存在でありながら根っこに抱えている苦悩は全く同じなんですよね。

 

豪華キャスト

あんまり声優さんのことは詳しく知らないんですけど、それでもまぁ有名な方々で固められてることはわかりますよ。

ジロー(キカイダー)CV:関智一

光明寺ミツ子 CV:堀江由衣

光明寺マサル CV:小林由美子

服部半平 CV:キートン山田

猿飛悦子 CV:小桜エツ子

光明寺ミツ子 CV:堀江由衣

プロフェッサー・ギル CV:小川真司

ハカイダー(サブロー)CV:小杉十郎太

...おー。普通にすげぇな。他にもアナゴさんとかコナンくんとかちょこちょこ出てくるぞこのアニメ。にしても関さんってか声優って本当すごいな。ジローの声がスネ夫と同じって言われたら脳みそバグります笑

 

光明寺博士

大爆発を起こした研究所跡地の警察官が「遺族」にあたるミツ子やマサルにとんでもない物言いしてますが、これは世間一般の光明寺博士に対する自然な反応とも言えますよね。ちょっと俗世間からは離れたところで研究に没頭するマッドジジイなんですよ。そうでないとキカイダーなんか生み出せないでしょうし。

ミツ子がめくっていたアルバムの写真も、研究所内のものしかないってところにものすごい歪みを感じますね。

もちろん彼が一体どんな目的でどんな研究をしていたのかは終盤に向けて明かされていくわけですが...。

 

ミツ子さん

ミツ子さんにはなんとなく恋しちゃう感じありますよね。カチューシャミニスカ昭和ヒロインです。

彼女って、父親は研究第一で家庭を顧みないクソ親父だし、お母さんはどうやらいないようなので、たった1人でマサルを育ててきたようですが、その分この年齢でシンママみたいな逞しさを持っちゃってますよね。だからシンママ特有の「母性だけではやっていけないので女性ながら身につけてしまった父性」も持ち合わせていて、それで武装しちゃってるから、弱さを見せず自分で戦おうとしてしまうんですね。それのせいもあってか、序盤はジローとよく衝突してしまいます。

ただ、彼女のその設定のおかげで、この物語にものすごく厚みが出ていることは続く2話以降の感想でお話していこうと思います。。。ジローとミツ子の恋物語としてもものすごく魅力的なんですよね〜本作。

あと、多分専門家ではないくせに父親が残したUSBのデータからキカイダーの構造を読み取るのは頭良すぎですが、おかげで彼女はキカイダーにその体の仕組みを教える「博士ポジション」も同時に担っちゃうんです。キカイダーへの変身方法も彼女が教えることになりますし。

 

左右非対称・不完全な存在

赤と青の左右非対称なアンバランスをその身にまとっているキカイダーのデザインは本当何度見ても見事としか言いようがないです。

赤と青。善と悪。怒りと悲しみ。冷静と情熱。愛と憎しみ。存在そのものがどちらにも振り切れない「半端者」なんですよねやっぱり。そのことを示すように、真っ二つに分かれるのではなくベルトの中央がななめになってるのが凄い。どちらにも偏れない狭間を生きるものであることが視覚的にも表現されています。

繰り返しになりますが、この「狭間を生きるもの」の苦悩と葛藤にこそ、石ノ森ワールドの魅力が詰まっています。

追っ手のグレイサイキングを葬ったキカイダー。逆光を思わせるベタ塗りの多用は不気味な印象が強まるし個人的に好きです。あとグレイサイキングも鈍重なボディに差し色の赤がかっこいい。世代的にはやっぱり仮面ライダーガイが想起させられます(実際にガイはこいつのオマージュだそうで。やっぱり御大のデザインセンスは時代を超えて愛される)。

第15話

第15話

  • 須賀貴匡
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ミツ子さんと出会ったジロー。ここからジローの本当の苦悩と地獄が始まります。。。

 

良心回路

ところで私、放送当時から「良心回路が不完全である」という話にはかなり懐疑的でして。ジローって現時点で十分良心持ってるよね?と思ってました。一体これのどこが不完全なんでしょうか?

もちろん、単にギルの笛の音に翻弄されてしまう部分を「不完全」と言うこともできるとは思いますが、そんな単純なこととも思えない気がするんです...。それくらい、ジローってすでにほぼ人間じゃないの?!と思ってしまえるほどに複雑な思考ができているように見えるんです。その複雑さの正体は多分、「苦悩」です。

多分この作品って、ロボットでありながら「心」を持ってしまったジローの姿を通して、「人間とは悩み苦しむ不完全な存在である」ということを描いているような気がします。

そしてその決定的な事件が起きるのが続く第2話「狂った機械」!というわけで次回!もうタイトルがサイコー笑

(了)

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オールライダー対大ショッカーにブチギレてみた

劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー

劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー

 

初見感想

やっぱり全ライダーが登場したシーンにはテンションが上がりました。トリプルライダーがバイクで飛んできたところはちょっとうるっときましたね。あの瞬間の感動こそが最大瞬間風速で、ただ、それ以外あんまいいところがなかった😅

でもあのシーンのインパクトは確かに凄かったから、なんかそれだけで「まぁ盛り上がったし良かったか」って許しちゃったところはあって、でもほんとは違和感MAXだったんですよ。

「ん?」って違和感感じたらその上に更なる違和感が積み重なる感じ、そうそうまさに

テトリスが噛み合わないままぐっちゃぐちゃに積み上がっていって気がついたらゲームオーバー!みたいな感じです

あのときは言わなかったその違和感について、あえて今、改めて言ってみたいと思います。

 

ツッコミどころ

とりあえず頭から順番にもう気になるところ全部言っていきます。

  • ライダーバトル、やってもいいけど、このノリノリの実況ボイス誰よ(世界観・設定的な意味でね)、その時点で踊らされてんの間違いないやんライダーの皆さん
  • なんでライダーバトルがこんなにシステム化されてんのよ、本当は「シビル・ウォー」的な個々のプライベートな感情で戦いが起こるもんでしょ設定的にも
  • アマゾンはジャガーショックもモンキーアタックも技名言いませんよ
  • 妹の小夜、平成ヒロイン丸顔列伝に加えられるべき丸顔だな
  • 最強のライダーを1人決めれば滅びの現象が止められるってそもそも意味不明じゃない?
  • ディケイドが勝って普通にニコニコ喜んでるユウスケはライダーとしてというかクウガとしてどうなの?
  • 他のライダーを犠牲にすれば世界の滅びを止められるから戦うって判断に至るライダーたちって、何なの?剣崎だったらブチギレてるでしょ絶対。誰も犠牲にせず世界を救うのが仮面ライダーじゃないの?
  • アマゾンやRXと戦ってるけど、あんたらテレビ本編で仲良くなってなかった?
  • ディケイド以外のライダーはなんの義理でこのライダーバトルに参戦してんの?やっぱり全員「滅びを止めるため」って騙されてんの?バカなの?
  • やっぱりユウスケの変身ポーズ好きになれない
  • おい、しれっと無からドラゴンロッドを生み出すなよ
  • スーツアクターのお手本のような落下を見せるイクサ
  • 「仮面ライダーブイスリャー!」じゃねぇよバカにしてるだろこのV3
  • 大ショッカーアジトの怪人の並びがまずダメ。序列が全く意識されてない。メビオ、バケネコ、ガドル、二列目にアークオルフェノクはダメでしょw
  • 夏海が第1話でディケイドライバーを発見した意味、マジでたまたま偶然でしたっぽい説明で片付けやがった...
  • 大ショッカーアジトの落とし穴、落ちた先がただの用水路ってどうなの?w
  • 小夜のバックボーンが神崎優衣のリサイクル
  • この世界のシャドームーンが言う「創世王」って何?
  • 普通に騙されてた大首領こと士、そしてなんの説明もなしに「俺だ開けてくれ」とか言ってダサい革ジャンで写真館に帰ってくる士、ダサすぎ。小物感凄すぎて大首領の威厳ゼロ。この時点で大ショッカーはやっぱりゴミカス。
  • だけどディケイドへの変身能力を失ったわけでもないから「全て失った」みたいに言われてもあまりその危機感に感情移入できない
  • 戦闘員爆弾とかいう残虐すぎる兵器をギャグっぽく見せるセンスは製作陣の人間性を疑いたくなる
  • 本当にね、せっかく日本の大俳優起用したのにうがい薬でガラガランダと「イカでビール」でイカデビルは全ライダー史上最低のギャグだと思います
  • 士は大首領としてあんなダメなやつを側近として大幹部にしてたの?本当何から突っ込んだらいいんだ
  • あ、オールライダー揃い踏みのライダーマンはやっぱりGacktじゃないんだ
  • ブレイドはブレイラウザーを地面に突き立てますが敵に突き立てたことはないですよ
  • ブラックがシャドームーンと一切戦わないのは何の冗談でしょうか?
  • カブトは連携プレーちょっと手伝っただけで人差し指立てたりしないと思います
  • クウガが黒目のライアルから赤目に変われたのは結局小夜が地の石を捨てたからで、ユウスケは何の苦労もしてないし何の成長もないのがほんとダメ(だからクウキとか言われんだよ)
  • ディケイド+クウガライアル2人を相手に圧倒するシャドームーンを秒で吹っ飛ばすダブルェ...
  • 仮面ライダーJのジャンボフォーメーションってのはですね、地空人とか全ての地球の力を得て初めてなれる姿であって云々...もう、もういいわw
  • だからアマゾンのギギの腕輪は取っちゃダメだって!ほんで「ディエンド、トモダチ」って何言ってんのコイツ
  • 賀集くんの髪型なに?しかも出演これだけですか
  • 死神博士だったジジイとまだ旅を続けるこいつらキチガイ

うん、控えめに言ってもゴミ映画ですねコレ。

 

平成ライダー10周年記念として

結構ね、楽しみにしてたんですよこの映画。なぜかって「この時代の文脈」から伝えておかないといけないと思うんで言いますけど、平成ライダーの映画って、良い意味で問題作ばっかりでしたから。

アギトの「映画だけのライダー=G4」に始まり(今や定番化しましたよね映画ライダー)、龍騎の「最終回先行上映」、555の「パラレルワールド」、剣の「最終回から4年後」、響鬼の「時代劇」…

てな感じで、毎年毎年斬新かつありえないコンセプトで壮大な物語を見せてくれるのが、平成ライダーの劇場版でした。過去にも語ったことありますけど「555」の劇場版とか個人的に本当最高傑作だと思ってます。

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んで、本作「オールライダー対大ショッカー」って最初にちゃんと

平成仮面ライダー10周年記念作品

って出てくるんですよ。「仮面ライダー」じゃなくて「平成仮面ライダー」の10周年なんですここ大事。

私は、昭和ライダーと平成ライダーは根本的に大きく異なる作品群だと考えています。過去に「剣」の記事でも触れましたが、昭和ライダーが「闇の大組織と戦う孤独な男の物語」だとすれば、平成ライダーは「異種族間の対立を描いた群像劇」でした。

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↑詳しくはブレイド最終章の考察記事にて扱っています。

だから当然、物語も作風も重く暗いものになりがちでした。しかしだからこそ見応えのある作品が毎年誕生していたことは紛れもない事実です。

そんな平成ライダーの10周年記念作品ですよ。しかもオールライダーが集結するんですよ。見に行かないわけないじゃないですか。

...と思ったらなんかちょっと思ったのと違ったんですよね(笑)

ただ、「9つの世界をめぐる」と謳って始まったディケイドの物語が、劇場版で「昭和ライダーも全員出す」って型破りな感じ自体は、平成ライダーらしいなとは思います。別に昭和も含め全ライダー出すこと自体はいいんです。大事なのは「面白いかどうか」。

その観点からすれば、つまんない映画でした。

 

ドラマがない

つまるところ本作の問題点はここに尽きます。とにかくドラマがない。もしくは薄っぺらい。コンドームより薄い。

本作は、テレビ版では描かれてこなかった「門矢士の世界」の物語です。記憶喪失という最大の謎をまとった主人公の過去が明らかになる最も重要なエピソードですが…。

士の妹や月影と暮らしたお屋敷の生活感や、士の妹の妹感のなさというか、とにかく「取ってつけた感」が凄い。士が記憶を失うまでの人間的な生活感の部分がまるでないから、その後のドラマ全てが軽薄に見えてしまいます。

それに、自分の正体が大ショッカーの大首領でしたって事実に対しての士の葛藤が全く語られない。全て進行すべきシナリオに従順にキャラクターが動いちゃうから、とにかく観てるこっちの感情が置き去りにされていきます。

だから士が妹や月影に裏切られたからといって、夏海から拒絶されたからといって、士が「全てを失った感」は別にないし可哀想とも何とも思えません。誰にどう感情移入したらいいか全くわからない。この映画、途中から心が迷子になります。

結果、再びディケイドとして戦う決意を固めるシーンがまるで熱くならない。

何だっけ、「どこにも俺の世界がないなら、どこでも俺の世界にできるってことだ!」って前向きになるのはまぁいいんですけど、その決意に至る経緯の描写が総じて薄いので「かっこいいぞディケイド!」ってならない。そんな士を見てにっこり許しちゃう夏海もどうかしてる。

小夜の改心もそう。ちょっとそれっぽいこと言って懐柔させようとしてる程度にしか見えないし、それでコロッと月影を裏切っちゃう小夜も小夜だし、なんか何考えてるのかわかんないバカばっかりに見える。

もちろん、設定的にはちょっと凝ってるのもわかるのはわかるんですよ。小夜に対する「自分の翼で羽ばたけるはずだ」って励まし方は原典ビシュムの怪人態である翼竜怪人にかけてるんだろうなとか、わかる人にはわかる散りばめ方はされてるんですけど、胸を打つドラマには仕上がってない。

例えば、大ショッカーからも放逐された士がディケイドライバーも失うって展開だったらまだ共感できたかな。1人で全ライダー倒せちゃうくらいディケイドって強いから、仲間から見放されちゃったとしても別に可哀想ともなんとも思えないんですよ。そんな士に、第1話の再現のように再び夏海がディケイドライバーを渡す、なんて展開ならもう少し熱くなったのになぁ。ほら、夏海もちゃんと第1話と同じ服装してたんだし。

そうでなくても、せめてジャーク将軍が「何なんだ?!お前は!」っていつものフリさえしてくれたら...!いつもの「通りすがりの仮面ライダーだ!覚えておけ!」さえもないんですよ...!これがあればちょっと許せたのになぁ←

いやぁでもそういう「様式美」って大切ですよ。何せ、そういうゴリ押しで成立しているのが「ディケイド」という作品ですから。

 

世界観の押し売り

そもそもディケイドって「世界観の押し付け」が非常に強い作品です。

龍騎世界の「ライダー裁判」とか、面白いのは面白いけど正直意味不明だし(笑)、ブレイド世界のランク制もしょうもなくて意味不明だし、ネガの世界の「ダークライダーが支配する世界」ってのもちょっと意味がわからない。なぜそんな世界が成立しているのか、文脈が汲み取れない。最初から「ここはこういう世界ですから理解してください」っていう押し付けが常態化している作品でした。

でもそれが一応成立していたのは、過去に一年間かけてじっくり描かれた「原作」の改変だったからです。だから、毎年ライダーを見ているコアなファンはその改変を楽しめたし、その作品を見たことがないファンはリマジ描写から「原作」が気になって見始める。

ですがそれまで「記憶喪失」という設定だけでずっと隠され続けてきた(というよりも放置され続けてきた)門矢士に関してはそういう強固な背景というかバックボーンが存在しません。いつも「大体わかった」だけで行動に移す大胆さとは裏腹に、多くのリマジ・ライダーたちを立ち直らせてきた「熱さ」はあるけれど、なんでそんないいやつなのか?はよくわからないままでした。

それが唐突に「実は大ショッカーの大首領でした」ってちょっと乱暴すぎるというかアイデアありきにも程があるんですよね。自分が大ショッカーの大首領だったことを思い出した途端人格がコロッと変わるんですけど、大ショッカーの首領である士と、毎週見ている士のキャラクターが全く繋がらないんです。

それかアレですか?世界を守るために一旦ワルモノの味方の振りして用が済んだらヒーローの振る舞いに戻る、士お得意の「茶番大戦」ですか?

例えば「大ショッカー」という組織が、戦いが大好きなバトルマニアの集まりで、いつも士を倒そうとしているけどその強さと人格を尊敬して従っている、みたいな雷禅の親友の煙鬼たちみたいな集団だったら、結構納得いくんですけど。

(唐突に「幽遊白書」の例えですみません。「ドラゴンボール」で言う、悟空を中心としたZ戦士たちをイメージしてもらってもいいです)

大勢の怪物を従えながら、ダークライダーの祖とも言えるシャドームーンを右腕にあらゆる世界で最も強いやつを探して旅している...みたいな集団だったら結構かっこいいですけどね。そのせいでライダーたちからも「破壊者」って誤解されてるけど、実は生粋のバトルマニアで友情に熱いイイやつ。でもそんなディケイドが実は気に入らないシャドームーンが裏切って、士に味方する怪人たちはシャドームーンと戦うとか。なんかちょっとゴーカイジャーみたいだな(笑)

いきなりワルのリーダーでした、なんて言われても「理解」はできないんです。ただ、「世界観の押し付け」でなんでも押し通してきたディケイドだからそれが一見通用しちゃうんですよね。「受容」はできるけど「理解」や「納得」はできないんです。はなっから「理解」や「納得」というものを放棄させることで成立しているのがディケイドという作品だからです。

とはいえ「実は大ショッカーの大首領でした」って種明かし自体は、ディケイドが「世界の破壊者」と呼ばれ忌み嫌われている事実とは見事に合致します。その意味での伏線回収には成功している...と思ったんですが肝心の大ショッカーが...。

 

大ショッカーの寒さ

やっぱり腹立たしいのが大ショッカーのダサさと痛さと寒さです。

まず、本作の「大ショッカー」を読み解くために必要なのが、本作「オールライダー対大ショッカー」のタイトルに込められた意味です。

「対」が「vs」でもなんでもなくそのまんま「対」なのも全部、初代ライダーの劇場版「仮面ライダー対ショッカー」へのオマージュであることは間違いありません。

だからタイトルを見た瞬間「あ、あの昭和の感じをやろうとしてるんだ」ってことは容易に想像できるんです。石切場かでっかい造成地みたいなところにワラワラと怪人がたくさん出てくるあの感じです。

じゃあ、本作が「仮面ライダー対ショッカー」のシナリオや演出をなぞっているのか?もしくはそのリスペクトに満ちている作品かというと、初代の名誉のためにも声を大にして言っておきたいのですがそんなことは全くありません。正直50年以上前の「仮面ライダー対ショッカー」の方が一本の劇場用作品としてシナリオ含め非常によくできています(本郷の変装以外)。

やっぱりなんかムカっ腹立ったのは総じて大ショッカーをギャグ寄りに描写したことです。繰り返しますが「イカでビール」は最悪です。昭和作品を見たことない人も多いと思うので一応言っておきますが、50年前の「仮面ライダー」では、覆面タイツの戦闘員もイカデビルも全部大真面目にやってますからね。あんな風にショッカーの描写をギャグで脚色したことなんかほとんどないですよ。覆面タイツの奇人が白昼堂々セダンに子どもを押し込んで誘拐するっていう妙なリアルさがちゃんと怖かったんです。

当時のスタッフがどれだけ「怖さ」と「愛嬌」のバランスに気を遣っていたかはいくつかの書籍etcからも窺い知ることができます。

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だから本作の大ショッカーは、本家ショッカーのオマージュでもなければリスペクトもクソもない劣化版です。いや「改悪」です。もう一度言います。「改悪」です。

だのに、この作品はその物語の薄っぺらさを「所詮は集合モノだから」と「昭和オマージュ」を免罪符にしている節がある。そのことが何より許せない。昭和の遺産に対しても、平成ライダーの歴史にも、その全てに泥を塗りたくったのが「オールライダー対大ショッカー」という映画です。覚えておけ!

 

ま、とはいえ「興収」が良かったのでこの後も同じノリの映画が続くことになってしまいましたね。しかし本作公開から3年後、同じくヒーローアッセンブル映画として人類史に残る傑作が公開されます。

それが「アベンジャーズ」です。

後に続く「エンドゲーム」までの成功はご存じの通りです。クリエイターが、作品に対する愛を持っていれば各キャラクターの個性を潰すことなく大集合モノは成功させられるはずなんですよ。

...なんてこと、この国で言っても意味ないかもですね。

ぇGackt?あぁ、まぁ、もういいです。

(了)

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仮面ライダー響鬼前半の感想と考察③明日夢は輝いたのか(第二十九之巻「輝く少年」より)

二十九之巻「輝く少年」 

二十九之巻「輝く少年」

仮面ライダー響鬼の「前半」と呼ばれる、髙寺P体制の二十九之巻までの感想と考察を、特に終盤である二十七之巻から順に書いてきましたが、それもいよいよ今回でラストです。(仕事忙しすぎて遅くなっちゃいました汗)

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再考:「響く鬼」

一之巻「響く鬼」

一之巻「響く鬼」

前半最終回ともいえる第二十九之巻を捉え直すにあたって、第一・二之巻を改めて見返しました。これらのエピソードは、

  • 音撃棒の材料調達のため力を借りに行くヒビキ
  • 明日夢も伴ったその道中、山で偶発的にツチグモとの戦闘に突入する

という点がそのままトレースされているからです。

ただ、序盤の展開には放送当時から強烈な違和感のあるシーンがあって、今回見返したときもやっぱりそのシーンで「これはおかしい」と思いました。

それは、最初のツチグモとの遭遇から逃げ帰った車中で、明日夢がヒビキさんに自分の人生相談をした場面です。

厳密には、ここで明日夢が何を話したかは明らかにされていないんですが、彼が高校受験を前に将来への不安を抱えていたことは繰り返し暗示されていますし、何よりヒビキさんの回答が、彼を勇気づけるものであったことからそう解釈しています。

普通、口から火を吐く鬼みたいなバケモノに変身する初対面のおじさんに人生相談なんかするでしょうか?まずは「あなたは何者なのか?」「あの鬼は誰なのか?」「あの怪物はなんなのか?」といったことを聞きまくるはずなんです。だのに明日夢は自分の身の上話をするわけです。

この理由を考えながら他のシーンも含めてよくよく見返していくと、結構重要なことに気がつきました。なかなか寝付けない当夜の明日夢の脳裏にフラッシュバックしていたのは、優しい「ヒビキさん」の表情ではなく、強く逞しくも美しい「響鬼」の姿だったんです。

その後の各エピソードをどっぷり見てしまうと、明日夢は「明るく気さくで頼りになるヒビキさん」が好きなのかなと思ってしまうんですけど、実は明日夢は最初っから鬼の姿である「響鬼」にこそ憧れていたようなのです。明日夢が求めていたのは、あの圧倒的なまでの「鬼の強さ」だったのかもしれません。その意味でも明日夢は、鬼になりたがっていたかどうかは別にして、元々は鬼そのものに惹かれていたことは確かです。

ただ、前回の記事でも指摘したように「鬼に姿を変える不思議な男の人」のことを怖いとは思わないのか?もっと追及しなくて良いのか?という問題がそもそも存在しています。実際本作では、「鬼を見た」という話を母親たちにしても笑い飛ばされてしまったシーン以外に、鬼の存在の異常性を日常の側から指摘するようなシーンがほとんど存在しません。

もし屋久島で明日夢が鬼の正体や猛士についてもっと掘り下げていれば、この時点で弟子ルートへと分岐しCB1300で二人魔化魍退治に向かう「七人の戦鬼」世界へと繋がっていたのではないかと思います。そして「七人の戦鬼」は「響鬼」関連作品で唯一、鬼が迫害された可能性を描いています。

これに関しては結構強引だけど明確な答えが存在していて、それは「明日夢が感じていないことを描写する必要がないから」ということなんだろうと思います。明日夢こそがこの作品世界の「神様」だったからです。

 

明日夢という「神」の世界

二之巻「咆える蜘蛛」

二之巻「咆える蜘蛛」

「響鬼」という作品は、「リアルな日常を描いた作品」とよく言われますが実は「明日夢フィルター」によってかなり「変色」されたおかしな世界です。

たちばなで出会う大人たちが揃いも揃って頼もしくて優しくて魅力的な人格者ばかりなのは、「ヒビキさんの知り合いだから良い人に決まっている」という先入観によって脚色されていると見ることもできます。

初めての職場(バイト先)で出会う先輩って、全員「すごい人」に見えたことって誰しもあると思います。そういう思春期が見つめた純粋無垢でキラキラした世界をかなりの解像度で再現しているのが「響鬼」の作品世界です。※だからか突然女性の胸にドギマギする展開とかが挿入される。

反面、恋愛描写がほとんど登場しないのも、明日夢自身が恋愛に関して鈍感だったからでしょう。鬼同士が激しくぶつかり合うこともほとんどありませんが、それは明日夢が「見ようとしていなかった」だけなのかもしれません。

「死にたくない」とか弱音を吐くイブキの姿なんて明日夢には想像もつかないでしょう。

正直視聴者としては結構気になる「どうやったら人間が鬼になれるのか」についても、「鍛える」以外の説明がほとんどないのもおかしな話です。が、これも明日夢が大してそのことに興味を持たなかったから描写されなかっただけと考えれば説明がつきます。

実際、イブキさんが猛士に関して結構気になる話をしようとしているところで明日夢は居眠りをしていたりします。

つまり、前半「響鬼」の世界は「仮面ライダー」という虚構のフィクション世界をさらに「明日夢」というフィルターを通して映した世界であり、何を見て何を見ないかも全て明日夢の一存で決まっていると言えます。明日夢は言わば作品世界の「神」なのです。

ぶっちゃけたことを言うと、「音撃」なるものもブラバン好きの明日夢フィルターを通して見せられた妄想だった可能性さえあります。「響鬼」の世界で「音撃」だけは妙に解像度が低いような気がするからです。

そもそも、屋久島で明日夢が目撃した響鬼とツチグモの戦闘自体が、実はかなり血みどろの肉弾戦で、PTSD発症寸前だった明日夢が自身の精神の均衡を保つために「音撃」という妄想によって響鬼の暴虐を美化した可能性すらあります。

まぁこの仮説はちょっと突飛すぎるので一ファンの妄想と思って読み流していただいて構いませんが、いずれにせよ、実は「響鬼」において「リアル」なのは「表面的な風景描写」だけで、根底の部分は多分に脚色されているか、描写そのものが放棄されています。そしてそれは「明日夢が見た世界」を忠実に描写しようとしたものでした。

何かと話題になる一之巻冒頭の「オハヨ!」ミュージカルはその典型。

明日夢は最後まで「鬼」にはなりませんでしたが、実は最初から「神」だったわけです。

 

 

桐矢京介による神◯し

三十之巻「鍛える予感」

三十之巻「鍛える予感」

もうお分かりの通り、この「明日夢フィルター」を除去し、明日夢を神の座からひきずりおろそうとしたのが、三十之巻以降の後半「響鬼」だったと見ることができます。

明日夢フィルターが剥がされたことを証明するように、三十之巻以降、冒頭の明日夢によるモノローグが排除されています。

それまでは「神様」だった明日夢さえも作品世界の一キャラクターとして再配置し、純粋に「響鬼」世界を俯瞰で捉え直そうとしたのが後半「響鬼」だった、と見ることはできるでしょう。

当然、その主犯となったのが桐矢京介です。京介の登場が、響鬼世界をやんわりと包み込んでいた明日夢フィルターをぶち壊していったのです。三十之巻以降を見ていけば、京介がいかに「それまでの明日夢」を批判し否定しているかがよくわかります。

特に「それまでの明日夢」=それまでの「響鬼」を愛好していた者にとっては実に痛いところばかりを突いてきますから、そりゃあ多くのファンから反感を買うのも当然です。ただ、よくよく考えると京介の言っていることって結構全部正論なので、それを面白いと感じる人も同じくらいたくさんいたと思います。

後半の「響鬼」ではそれまで「明日夢が見ようとしなかったもの」にも次々と焦点が当てられていきます。明日夢の父親の存在に始まり、猛士の面々による恋愛模様や、鬼の力を悪用しようとする者と、人間的弱さを露呈するイブキやトドロキ、そして分断されていく師弟...。前半で、明日夢にどっぷり感情移入していた人にとってはいずれも「あり得ない」、「見たくない」と思うものばかりです。が、「響鬼」以前から毎週平成ライダーを見てきた人間にとってはなんかよく見る光景でもありました(笑)

まぁ三十之巻〜の話はこの辺にしておいて、二十九之巻に話を戻しましょう。

 

 

明日夢は輝いたのか?

二十九之巻のタイトルが「輝く少年」になっているわけですが、これに対して

  • いよいよ弟子になるのかと思ったらならなかった
  • 響鬼の戦いのサポートでもするのかと思ったら別にしなかった

といった感想も目立ちました。そりゃあそう思って当然だよなとも思いますが、本作のテーマがどこにあるのか?を考えると、あのタイトルの意味もハッキリしてきます。

「響鬼」とは、悪を徹底的に排除するのではなく、普段は見えなくとも実は身近に存在してしまうものとしてその存在を(やむなく)容認している世界観の作品で、しかし偶発的に悪と遭遇してしまったときのために自身を「鍛えて」おこうというテーマを持った作品です。

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詳細は前回の記事もご参照ください。

しかしこれってめっちゃくちゃリアルだなとも思います。実際の世の中って本当にそんな感じだからです。普通に生きていたら、あんまり「悪い人」に出くわすことってありませんし、ほとんどの場合、多くの人と「仲良く」とまではいかなくとも喧嘩せずに共に過ごすことってそんなに難しいことではありません。

ただ、時折びっくりするくらい価値観が合わない人と遭遇することってあります。そういう人の人数って割合にすると本当に1%未満とかなんですけど、ここでは仮にその1%未満の人を「イレギュラー」と呼ぶことにしましょう、その1%未満のイレギュラーって、存在としては1%未満のくせに影響力が絶大なんです。

煽り運転をする人。SNSで罵詈雑言を書き込む人。横柄な態度で理不尽なクレームを繰り返す人...。

そういうごく一部のイレギュラーによって調和が乱されることや、そのことに悩み苦しむことって生きていたら絶対に避けられないことだと思います。ヒビキさんも言っていた通り、「少年は何も悪いことしてない」にも関わらず、そういう瞬間は突然理不尽に降りかかってきます。そんなときにもへこたれず、前を向いてまた明るく生きていける強さを身につけよう、ということこそ、この作品のメッセージです。

それはもちろん「痩せ我慢しろ」とかそういうことじゃなくって、そういうときに「一緒に山を感じたい」なんて言ってくれる素敵な大人がそばにいることも、明日夢の人望であり強さなんです。だって、ヒビキさんを味方につけたのは、きっかけは偶然だったかもしれないけれど、明日夢自身が望んだことだったからです。

だから、ヒビキさんの力を借りてでも、また笑顔で山から帰って来れたから、それでいいんです。明日夢はまたいつもの日常に笑顔で戻っていける。そのこと自体に大きな価値がある。「響鬼」とはそういう作品です。どんなに辛いことがあっても笑顔で「ただいま」と言って帰ってきてくれること、それに勝る親孝行ってないですよ。少年は、それでいいんです。それだけで十分なんです。それが、一番輝いている姿なんです。

ただ、それを作品のテーマに据えたからこそ、明日夢は絶対に弟子入りしないのもまた事実ですよね。だって「偶然悪と遭遇してしまう」のは、あくまで「普通の生き方」を選んだ場合の話ですから。ヒビキさんたち鬼は、偶然もクソもなく、自らディスクを展開して「悪」を積極的に探しに行く仕事をしている人たちです。だからそもそもヒビキさんと明日夢の生き方は真逆なんです。

いつ出くわすことになるかわからない悪との対峙に備えて「心を鍛える」のと、確実に魔化魍を仕留めるために「体を鍛えて鬼になる」のは、同じ「鍛える」でも全然違います。この時点で二人の目的って完全にすれ違っているから、やっぱり明日夢は鬼にはならないし、それは大半のテレビの前の少年たちにとっても同じで、僕らみんな「仮面ライダー」にはならないんです。ほとんどの少年はみんな、「社会人」になるんです。

現実には「ショッカー」なんてわかりやすい悪者なんかいなくて、かと言って社会の影で暗躍する犯罪者と戦う仕事なんてのもごく一部の人がやることであって、大半の日本人は「和」の中で「和」を乱す者とどう折り合いをつけながら「和」を守り続けるか、に苦心することがほとんどなんですよね。

じゃあ一之巻で「ヒビキさん」ではなく変身した鬼の姿=「響鬼」に憧れていた明日夢の心はどうなったのか?という疑問が湧いてきますが、明日夢は響鬼の中にシンプルな「強さ」を見出していたに過ぎません。自分が行き詰まったときにふと思い出したら勇気をくれる存在、そのくらいの距離感で良かった。

明日夢はなんて都合の良いヤツなんだ、とも思いますがそれは、実はテレビの前の我々も全く同じはずです。明日夢だって、もしみどりさんが響鬼の真骨彫を作ってくれたらバイト代注ぎ込んで買ってたと思います。けど、鬼になりたいかどうかってまた別の話じゃないですか。

 

 

爆裂真紅の型

だから結局のところ響鬼と明日夢の間には越えようのない大きな溝があるんだなぁと思います。そしてそれはそのまま、「テレビの中の仮面ライダー」と「テレビの前でそれを見ている少年たち」の間にある溝と全く同じなんです。響鬼の目の前にいる明日夢は、結局テレビで響鬼の活躍を見ている僕たちと本質的にはおんなじなんです。

そして二十九之巻の響鬼は、そのことに対してもはや開き直っているかのように、猛烈にカッコよく戦います。明日夢を遠くに置き去りにするように、完全に人間離れした圧倒的な強さを見せつけて戦います。それが鬼であり仮面ライダーだからです。仮面ライダーは、なりたくても絶対になれない存在だから、それでいいんです。「奇跡を起こしちゃう人」でいいんです。

いやぁそれにしても、二十九之巻の響鬼・紅は本当にカッコよかった。

変身して即座に烈火弾を放った後、烈火剣を構える紅は歴代ライダー屈指の美しさと強さを兼ね備えた芸術的カットです。そしてズバズバと脚を斬り倒す流麗なアクションと、必殺の爆裂真紅の型。

そもそも音撃鼓なしでも音撃打が使える紅が、あの爆裂火炎鼓を使うというところがもう本当に贅沢ですよね。そしてそれまで手探りを繰り返してきた音撃描写も極まれりというか、大きく反り返った響鬼の姿勢と、踏ん張る足元にフォーカスしたカットから、これまで以上に響鬼の強さと音撃の迫力が感じられる見事な戦闘シーンに仕上がっていました。

実は和太鼓に高校三年間の青春の全てを捧げていた筆者から見てもあの音撃打は本当にかっこいいものです。

自分より何倍も大きな図体の化け物を、たった一人の人間が打ち倒す。その圧倒的な強さがとかっこよさが見事に映像化されていたと思います。

「響鬼」という作品が本当に描きたかったものを、ドラマの面でも、アクションの面でも総決算として描き切った二十九之巻はやっぱりサイコーです。

(了)

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仮面ライダー響鬼前半の感想と考察②明日夢が弟子入りしないワケ(第二十八之巻「絶えぬ悪意」より)

二十八之巻「絶えぬ悪意」

二十八之巻「絶えぬ悪意」

前回に引き続き、今回も「響鬼」前半の言わば最終章とも言える二十八之巻を扱っていきます。

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洋館の男女と猛士の類似性

四之巻「駆ける勢地郎」

四之巻「駆ける勢地郎」

前回も触れた「洋館の男女」について、今回もちょっと深掘りしていきます。

今話では初めてちゃんと会話する2人の姿が描かれていました。この会話シーンが実にナチュラルで、いつも男女声が逆な上に気味悪い変なキャラが多かった童子と姫とのギャップが際立ちますね。

童子と姫は二人の「子供」という位置付けなのでしょうか?生まれたばかりのはずなのに鬼のことを知っているのは二人の知識を引き継いで生まれたからでしょうね。

さらに突っ込んだことを言えば、二人の会話が非常に「たちばなっぽい」。意識して演出してるんじゃないか?ってくらい、ここでの二人の会話は、普段我々が愛好している猛士の面々に非常によく似ています。

自分がやっている実験のことをフランクに説明する男の口調はみどりさんとかヒビキさんっぽいし、それを楽しげに聞く女の感じもそれっぽい。

「悪いヤツには悪いことをしているという自覚は無い」ということですね。武者童子を作ろうと画策している二人は実に「無邪気で楽しそう」だからです。

んでそれは、猛士や鬼たちについてもそのまんま当てはまる話で、過去にヒビキさんも

「まぁ自分たちの性分でやってるというか...」

と言っていたように、特別「良いことをやってやろう!」とかそういう気負いがあるわけでもないし、第二話のヒビキさんのセリフ、

「俺は、響鬼だから!」

という言葉に象徴されるような、「職能意識」みたいなものに従って自然と頑張る人たちの姿はずっと描かれてきました(これもやはり「クウガ」に通底する)。

そして洋館の男女も基本的にはそれと同じで、彼らにとって、危険な人食いモンスターを好き放題作って野に放つことは別に悪いことでもなんでもなく、日常的に自然とやっていることなのでしょう。悪いヤツの一番怖いところは、悪気が全くないところなんですよ。

頭の中は猛士の人たちと真逆なのに、振る舞いはそっくりってところが実に面白いですね。

 

悪との折り合いのつけ方

九之巻「蠢く邪心」

九之巻「蠢く邪心」

もっと言えば、明日夢をボコした万引き少年も、スケールは全然違えど根本的には同じようなものだと言いたいのだと思います。「悪」って否定したいものだけど、どうしようもなく「在るモノ」だから、それとどう折り合いをつけて生きていくかっていうことが大事、みたいなメッセージは「響鬼」の中に確かに存在していると思います。

実際、猛士の面々は結構そこんとこドライに折り合いをつけて「親玉」との戦いを何百年も続けているみたいだし。

あと、親玉の正体に関して髙寺氏の具体的な証言もありました。

「地獄図を愉しむ非道者」というのは自分もイメージしていた感じだったから嬉しいなぁ。

調和を破壊して乱れ崩れゆく世の様を見るのが好き、みたいな感じなのだろうと思います。否もしくは、そういう周囲の変化にひどく無頓着で、かつ「自己愛が強く自分の欲求を何よりも優先させてしまうタイプ」とでも言えるでしょうか?その方が「万引き少年」にも近そうな気がしますね。

そういう悪に対して、「封印」ではなく「爆殺」という極端な手段に頼らざるを得なかった「クウガ」ではやりきれなかった本当のヒーローとしての戦い方を「響鬼」では模索していたのかもしれません(怪獣を懐柔する「コスモス」とも異なるアプローチ?←ダジャレじゃないよ)。

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「響鬼」で目指したのは、「積極的静観」みたいなものでしょうか?悪の存在を否定することはもはや不可能で許容せざるを得ないから、妥協案として距離を置いて共存するという「大人な判断」です。

ただ、それで平和な日常が送れるようになるかと言うと決してそんなことはなくて、距離を置いている以上頻度はグッと下がるものの、交通事故的な確率で、偶発的に「悪」と出会ってしまって一方的な被害を受けてしまう人は少ないながら発生してしまう。

それが、山奥でたまたま童子や姫と遭遇して餌にされてしまう一般人だったり、あきらの両親だったり、明日夢くんもその一人だったりするんでしょうけど、そんな風に、確率論的にどこかでいつかは「悪い人」と衝突してしまうことはどうしようもなくあるから「あらかじめ鍛えておこうよ」というのが「響鬼」という作品のメッセージだったように思います。

 

鬼殺し

十一之巻「呑み込む壁」

十一之巻「呑み込む壁」

そして、その少ないながらも発生してしまう犠牲者を最小限に留めるため「善人たち」に用意された暴力装置が「鬼」だったのでしょう。だから「鬼」には、普段の穏やかな彼らからは想像もつかないくらい、非常に強力かつ残虐とも言えるほどの武装が隠されています。

もし魔化魍が全ての人間を食い尽くしてしまったら、洋館の男女はもう魔化魍が生み出す地獄やカオスを愉しめなくなります。だから彼らだって人類の滅亡は絶対に望んでいません。そうなる前に、鬼に退治してもらうくらいが丁度良いとさえ思っているかもしれません。

だから過去の親玉たちも、積極的に鬼を殺そうとしたり、猛士を直接攻撃しなかったはずです。むしろ猛士がいるからこそ自分たちの愉しみは永久に続けられる。そういう歪み切った「共生関係」に甘んじられてきたのかもしれません。そしてこの歪な共生関係は、鬼の方が魔化魍より圧倒的に強いからこそ成立してきたものです。

しかし、今回の親玉はその一線をも超えようとしている。つまり、鬼さえも殺してしまいかねないほど強力な魔化魍を生み出しつつある、ということです。そしてそのことは、今回登場した時間無制限の完全版武者童子と鎧姫がその圧倒的な戦闘力でもって示してくれています。

クグツ経由で童子と姫を強くするって、(劇中描写の限りですが)TDBにも記録がない完全新作ですよね。これ相当ヤバイことでしょう。クウガとは逆で、敵の方が先に「伝説を塗りかえ」ちゃってますよ。

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ところで、鋭鬼さんには弟子もサポーターもつけない単独行動という設定があるようで、そういうところに「本来の鬼の強さ」が垣間見えますよね。「魔化魍退治は鬼一人でやれる」ってのがそれまでの常識だったってことだと思うんです。実際、独り立ちしたばかりの頃の轟鬼もしばらくは一人でした。

ただ、今回一時的にとはいえ鋭鬼さんが生死不明になったことから、今後はその体制も見直さないといけなくなると思います。今回の武者童子と鎧姫戦なんか見れば一目瞭然ですけど、絶対鬼一人では勝てませんよね。威吹鬼と轟鬼の二人がかりでも結構押され気味でしたから。

だからもし武者童子と鎧姫がデフォで毎回登場することになったら、関東十一鬼のシフトは瞬時に崩壊しますよ。直接的な戦闘で死亡するリスクだけでなく、裁鬼さんのように過労で体調を崩す鬼が続発し、その余波で若い鬼のローテがさらにキツくなってみな倒れていく...みたいな最悪の事態は容易に想像できちゃうんですよね。そうなると、構想のみ存在した「終盤での響鬼死亡展開」ってのは案外ありえた話だなとも思えてきます。

ただ、二十七之巻ですでにアームド響鬼の伏線が登場していて(努との会話に登場する脚の図面)、吉野含めみどりさんたちもこの危機的状況をただ傍観しているわけではないようです。

あー、こっからが本気でおもろい攻防戦が始まりそうな予感だったのになー....!アームド強化だって、多分しばらくは試作機を使うことになった響鬼専用って展開で持つだろうけど、多分終盤には鬼全員が装備するべきってなって量産型が登場するに決まってるんですよ。クウガで言えばTRCSだって2000Aとして全国配備が進められたじゃないですか、あーなるに決まってるんですよ見たかったな〜(妄想)

 

マジで弟子入りする5秒前

二十三之巻「鍛える夏」

二十三之巻「鍛える夏」

話をメインテーマに戻します。

ヒビキと明日夢の関係がどう深まっていくかってところが本作の主軸になってるはずなんですけど、それがこの二十八之巻の段階に至るまでろくに進展しなかったところに「響鬼」という作品の根本的な問題があります…って話は既にあちこちで論じられているので、ここではあまり深くは扱いません。

ただ、「響鬼」という作品を「ヒビキと明日夢のラブストーリー」として捉え直したらめっちゃわかりやすいとは思うんです。ラブストーリーの場合はくっつく=弟子になるのがゴールだから、最終回までに弟子になれればそれでいいんですよね。だからこのペースで全然問題ないんですよ(笑)

実際、それっぽく描かれてるシーンは多くて…

「少年を弟子にするつもりはないんだ」と明言した十六之巻あたりで近づきかけた二人は一旦また離れちゃいます。でも努くんがたちばなに現れたときの明日夢は「もしかしてヒビキさんの…(元弟子)?」ってトコロを一番に心配してるし、ヒビキはヒビキで、「もう弟子をとったつもりでいる」とまで発言してました。

この、つかず離れずの二人の微妙な関係性を楽しませようとしてた節はかなりあると思うんです。

ただ、これはあくまでも「特撮ヒーロー番組・仮面ライダー」だから、弟子になることを目指す物語じゃなくて、弟子になってからの非日常のバトルを描くべきだった…ってのは既にあちこちで言われてる通りだとは思います。

だとしても、少なくとも私はヒビキと明日夢の微妙な距離感を楽しんで見てたクチかな〜。

そりゃ私だって今となればOPナレーションで「ヒビキさんと出会って半年、ヒビキさんの背中を見て頑張ってきた僕は…!」とか言ってる明日夢に対して「お前ただ学校行って部活やってバイトやってただけだろ」とか言いたいことはいっぱいありますけどね!

ま要はこの二人、劇中で見てる限りにおいても、実はあんまり噛み合ってなかったと思うんです。もちろん惹かれあってはいるけれど、距離の縮め方が二人とも抜群に下手でした。

っていうところとかもすごくラブストーリーっぽかったですね。

 

「日常」と「異界」の狭間で

じゃあその「ラブストーリー」において、停滞する二人の関係性を進展させる恋敵は誰か?それは当然、明日夢より先に弟子入りを志願するようなヤツ=桐矢京介ということになりますがそれはあくまで三十之巻以降の話でして。

この二十九之巻まででその役割をつとめたのが実はあの万引き少年だった、と私は思っています。明日夢を励ましてやらないといけない状況に追い込まないと、二人の距離は縮まらないからです。

ただ先述の通り、悪人と遭遇する確率って交通事故的な確率だから、そこもリアルにしちゃうとどうしても二人が本気で向き合える頻度はガクッと下がっちゃうんですよね。そんな都合よく悪人はウロウロしてません。

要は、明日夢の弟子入りがこんなに遅くまで引っ張られたのは、「悪」と距離を置いて共存するという独特の世界観を死守した結果だと思うんです。

そりゃ明日夢が「555」世界の住人だったら、多分毎週荒川の土手でオルフェノクの殺人を目撃してると思いますし、「カブト」世界だったらとっくに擬態されて殺されてると思います。他作品では、ヒーローが活躍する必然性のために「悪」は驚くほど身近にいます。

でも、「響鬼」が大切にしたのは、人里離れた山奥で人知れず鬼が魔化魍と戦い続ける結果得られる「日常の温かさ」でした。

だけどヒーローって「悪」がいない日常では必要とされない存在だから、「悪」と距離を置いた日常を生きる明日夢にとっては、「悪」だけでなく「悪」と戦うヒビキさんもまた遠い存在になっちゃうんです。

それでも「少年に男として何か伝えておきたい」っていうヒビキさんの気持ちもめちゃくちゃわかるけど、結局ヒビキさんは「響鬼」だから(=異界の鬼だから)、やっぱり日常の住人と距離を縮めようとしても限界があるってことなんだと思うんです。

そしてそれはやっぱり、「響鬼」が「仮面ライダー」である証拠だなとも思うわけです(暴論)。いくら普段は気さくで優しいおじさんの姿をしていても、それは「仮面」でしかないんです。

ですがこの作品は必死にそのことを隠し通そうとしていますよね。OPナレーションでは明日夢くんが

「鬼に姿を変えて人助けをする。その不思議な男の人...」

とか言ってますけど、普通に考えればバケモノですからね鬼なんて。

そしてそれをストレートに描いてみせたのが「劇場版仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼」だったんだろうなと。

そしてここにこそ、ヒビキさんが明日夢を弟子にしたいと思った理由がある気がしてなりません。というわけでこの続きは次回!

(了)

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仮面ライダー響鬼 前半の感想と考察①響鬼紅と洋館の男女とザンキさんについて(第二十七之巻「伝える絆」より)

二十七之巻「伝える絆」

二十七之巻「伝える絆」

東映Official YouTubeで現在絶賛配信中の「仮面ライダー響鬼」ですが、いよいよ「前半の最終回」が近づいてきました。なんとなく感慨深いものがありましたので、この二十七之巻、二十八之巻、二十九之巻までの3エピソードを中心に感想レビューを書いてみたいと思います。

第一回目の今回は、二十七之巻までの内容を中心に振り返ります。

ちなみに私は放送当時はVHSで毎週録画して何回も何回も視聴してきたリアタイ勢です。当時感じたことと、今感じることを交えて話していきます。

 

響鬼紅について

二十四之巻「燃える紅」

二十四之巻「燃える紅」

響鬼が紅に進化したことは、紛れもなく「響鬼」という番組における主人公のキャラクター性のアップに大きく寄与していたと思います。シンプルにめちゃくちゃカッコいい。あと、やっぱり「仮面ライダーは等身大バトルあってこそ」だなと再認識させられました。

それまでの「響鬼」の戦闘シーンと言えば、私にとっては放送当時からずっと「怪童子・妖姫戦の方が断然面白い」という評価でした。もちろんその怪童子と妖姫だって基本的にはヘボ過ぎてワンパンなんですけど、それでもやっぱり戦闘の駆け引きが存在する等身大バトルの方が面白かったです。

音撃棒をパクったヤマビコの妖姫とか、変身音叉を奪って投げ捨てたオオアリの童子とか、烈雷を奪ったウブメの妖姫とか、そういう「攻防」がちゃんと描かれたからです。圧倒的にパワーアップされている武者童子戦や乱れ童子戦は言うまでもありません。

それに対して、巨大魔化魍戦にはそういった「攻防」がほとんどありません。貼り付けられた音撃鼓を剥がして投げ返してくるやつもいないし、音撃が始まったら、それを邪魔してくるやつって房総のバケガニ以外ほとんどいなかったと思います。要はほとんどが「ただのデカイ的」でした。

それにウィークリーの特撮番組で表現できるCGやその露出時間には限界もあるから、とにかく物足りませんでした。事実、番組が始まって初めて素直に「かっこいい!」と思えた音撃シーンが乱れ童子戦だった、というのは個人的にもかなり印象に残っています。

※音撃鼓を貼り付けるまでの攻防も含めてめちゃくちゃスリルがあった上に、強力な爆裂火炎鼓による音撃打がズバ抜けてカッコよかった!

そしていよいよ響鬼紅が強化フォームとして登場する訳ですが、そのことによって生じる大幅な設定の改変と、伴って生まれたたくさんの矛盾は目に余るものがありました。

  • 毎年登場しているはずの夏の魔化魍のことをトドロキが知らない?
  • そんなトドロキに対してなぜかろくに事情を説明してくれないヒビキ
  • 同じく毎年登場しているはずのカッパとの戦闘のデメリットを香須美が知らない?
  • 夏だけ紅になるというのもおかしい、年中鍛えて変身するべきでは?
  • 音撃管や音撃弦の使い手も太鼓が使える=楽器による分業システムそのものの否定(房総のバケガニ回だって響鬼が弦を使えば良かったことになる)
  • 等身大魔化魍が夏にのみ発生する理由が、「夏といえば昔からお化けの季節」という以外に大した理由づけが語られない
  • 夏の魔化魍が分裂するから太鼓でないと退治できないという理屈が音撃管においても成立するのかが怪しい(事実、二十八之巻で威吹鬼がテングに向かって音撃射を放っている)

これらの矛盾は、それまで文芸チームを中心に丁寧に精緻な世界観を構築してきた「響鬼」においては非常に残念なことでした。ただ、「太鼓祭り」というフレーズが象徴しているように、紅の登場とサブライダーたちの音撃鼓使用は、メイン玩具の販促強化という裏の事情があったことは言うまでもありません。

それにしても、

  • 後付け設定が増えたが故に、烈火弾や烈火剣は玩具で再現できない
  • 音撃鼓なしでも音撃が放てる紅の技は、火炎鼓の存在価値を半分否定している
  • 威吹鬼や轟鬼専用の、青や緑の音撃棒と音撃鼓は当然商品化されない

と販促目的でありながら結果的に玩具の仕様と劇中描写の間の相違も強調された感があり、全てが奏功していたかどうかは疑わしい印象があります。

と、色々ゴタゴタもありましたがそれでもなお、響鬼紅が登場したことのメリットは非常に大きかったと私は思います。

なぜなら、上記のような物語上の矛盾を、メイン視聴者である子どもたちは絶対に指摘しないし、子どもたちが本当に楽しみにしているのは、緻密に構成された物語などではなく、ライダーたちのカッコいい戦闘シーンだからです。

その「何より大事なコト」を響鬼紅は満たしてくれていました。大量発生した夏の等身大魔化魍をバッタバッタと倒していく紅の戦いっぷりは、まさしく「音撃無双」ともいえる、強くてカッコよくて爽快なものでした。サングラスっぽくてダサいみたいなこと、私は一度も思ったことありません。いいぞ響鬼!カッコいいぞ紅!

 

洋館の男女について

「やつら」みたいな言い方でしか言及されない魔化魍を作っている「親玉」についてですが、二十七之巻が一番具体的に詳しく話されていたようにも思えます。

特に注目すべきは、みどりさんと努くんの会話です。

「今戦ってるやつって、かなりタチが悪くてね、努くんの抜けた頃だから、割と「ぽっと出」なんだけど、イレギュラー系のとか作っちゃってさ、ちょっとやりすぎっていうか、悪意があるにも程があるって感じなのよ」

「本当絶えないんすね、やつらは」

んー、個人的にはこのみどりさんの説明、ものすごく違和感を感じてしまったんです。まずは状況を整理していきます。

努くんが猛士を離れたのは、直前の二人の会話からも1年弱程であることと、二人の会話と時を同じくして、イブキが洋館の男女、ザンキが白い傀儡と対峙していたシーンから、以下の予想が立ちます(あくまで推論です)。

  • 洋館の男女という親玉も世代交代を繰り返してきた模様(「今戦ってるやつ」という言い方から)
  • 親玉交代は寿命によるものなのか、猛士との戦いで倒されたのか、内ゲバによって世代交代が起こったのかは不明
  • 親玉交代のスパンも不明だが、努くんが抜けた一年弱の間に登場した今回の親玉を「ぽっと出」としていることから、十年単位で見た方が良さそう?
  • また、洋館の男が寝なくても平気であるような描写からも、一般的な人間の寿命も当てはまらない?(百年単位?)
  • この男女が全国のトップなのか、それとも関東地域におけるトップなのかも不明
  • 今回の親玉は特に悪質らしいことから、例年の親玉のことは性格も含めて猛士も把握している模様
  • 親玉も鬼の存在はもちろん認知しているが、イブキは金縛り、ザンキは川に落としたのみだったことからも、命までを積極的に奪おうとはしないようで、鬼のことを「敵」という認識すら持っていない?
  • ザンキが傀儡との戦闘を「例の念力みたいなので」と説明していたことから、傀儡たちが不思議な力を持つ敵であることも周知の事実っぽい

...といった断片的な情報から、なんとなくですがこの「親玉」、非常にアナーキーな感じがしますね。「里の人間も食い尽くす」みたいな凶暴なセリフを吐いた童子か姫も過去いましたが、別に破壊行動が目的のような感じもしませんし、彼らを阻止してくる鬼のことも、特段敵として認識しているように見えません。

特に本話の洋館の男女のやり取りから、単純に色々な魔化魍を作ることを楽しんでいる人、みたいな印象を受けました。全然シリーズは異なりますが、怨念とか邪気みたいなものだけを動力源にしているという意味では異次元人ヤプールにも近いのかなとなんとなく思いました。

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また、寝ずに魔化魍の開発に夢中になっている洋館の男の描写から、怪獣と繋がっている間は眠らないダイナゼノンの怪獣使いたち(特にシズムくん)を思い出しちゃいました。全然関係ないように見えて、師弟の物語としての共通点も多いと私は注目しています。

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「響鬼」という作品に引き寄せて言うなら、人助けを日常としている明るくて優しい猛士の人たちの対比として、人殺しを日常として暮らしている陰鬱な存在、とでも言いましょうか。

ただ、みどりさんのセリフから、今回の親玉は明らかに「猛士のことを意識して魔化魍を作っている」っぽいところに「悪意」を感じると言っているのかもしれません。

過去のエピソードでもおやっさんが「裏をかこうという悪意を感じる」とも言っていましたし。

ただ、そうなるとそれまでの過去の猛士と魔化魍の戦いに対して違和感が湧いてきます。前置きが長くなりましたが、ここが一番私が違和感を覚えた点です。

みどりさんが今回の親玉について

「ちょっとやりすぎっていうか、悪意があるにも程があるって感じなのよ」

と言うのにちょっとひっかかっちゃいました。「それまでの親玉は、猛士の裏をかくほどの悪意はなかった」(という評価だった)ということですよね?

ということは、裏を返せばそれまでの親玉は、人間を餌とする魔化魍を生み出すという意味では倫理観は倒錯していて相容れないけれども、あくまで「自然で純粋なモノ」としてその存在を容認され続けてきたように聞こえるんですよね。猛士の側に、殲滅する気がないって意図までが透けて見えて、これって過去のライダーシリーズでは絶対になかったことだったので、違和感を覚えてしまったんです。

んで、ずーっとこの猛士vs悪の親玉の戦いは続いていて、その中でお互いに「手を出すのはここまでにしておきましょう」みたいな線引きがあるってことかな?って思っちゃったんですけど、洋館の男女が「結界」のような空間に入ったことでイブキの追跡を免れていることからも、猛士のデータベースや鬼の力を持ってしても彼らのアジトは掴めないようですね。親玉に直接手を出したくても出せないっぽいです。そして今回のイブキ対洋館の男女は、そのことを説明するために挟まれた描写だったのかもしれません。

※加えて親族を魔化魍に殺された設定のあるイブキくんとの因縁を掘り下げる意図もあると思います。

とどのつまり、猛士としてはただひたすらに親玉が繰り出す魔化魍を倒し続けるしかないみたいなんですけど、本当にそんなモグラ叩きだけが何百年も続いてきたのか?ってことにも当然疑問が湧いてくるわけで...長い歴史の中で鬼が親玉と直接対峙する機会って、きっとあったんじゃないかなぁとは思うんですよね〜気になるなぁ〜。

ただ、ひとまず明確な解答だけは与えられていて、それが努くんの言う、

「本当絶えないんすね、やつらは」

ということなのでしょう。事情は分かりませんがとりあえずどうやっても根絶やしにすることができない存在のようです。

とりあえず、ここに「響鬼」が他のライダーシリーズと決定的に異なるポイントがあるように思います。悪と戦い続けることそのものが日常であり伝統である、ということですかね。仮面ライダーを「職業」として描写することに真正面から取り組んだのだとすれば当然の帰結なのかもしれませんけど、そういう設定の作品って、後にも先にもなかったはずです。

例えば、本郷猛が生まれる前からショッカーと人類の戦いは続いてなかったし、グロンギと人類(リント)の戦いだって、ダグバが封印されてからはずっと途絶えていたし、オルフェノクと人類の戦いもそんなに古い話のようには描かれていませんでしたよね。人類とアンデッドの戦いも、事故でミスってアンデッド解放しちゃったからその後始末のためにブレイドたちが利用された感じだったんで、連綿と続くライダーの戦い...っていうのとはやっぱり違います。

そんで、続く二十八之巻で明日夢くんが再び万引き少年にボコられたことと、そのタイトルがズバリ「絶えぬ悪意」であることからも、そういう日常の中に潜むどうしようもなく存在する悪意の延長に洋館の男女が位置付けられているように思えます。この点は二十八之巻のレビューでまた触れたいと思います。

↓ガッツリこの続きを考察しています。

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ザンキさんについて

響鬼前半が批判される要因の一つに、「ザンキさんを準レギュラー化してしまったこと」がよく挙げられます。言わんとすることはまぁわかります。ヒビキと明日夢が将来的に目指すべき理想の鬼の師弟の姿が、すでに斬鬼轟鬼の二人によって描かれてしまった感があるからです。

実際、斬鬼轟鬼師弟の描写は、実は初登場時の十五・十六之巻こそがベストだったと、私個人としては強く思っています。

この二つのエピソードは、ちょっと極端な物言いが許されるなら「響鬼」の擬似的な最終回だったとさえ思っています。それくらい、序盤の作品群の中でずば抜けて完成度が高い。平成ライダー全体で見ても、5本の指に入るレベルと思っています。

特に、師弟をテーマにした「響鬼」の物語としての「守・破・離」が非常に丁寧かつ説得力を持って描かれていて、ダントツにクォリティが高い、というか高過ぎたのだと思います。そのことがかえってヒビキ・明日夢師弟の方向性を迷走させてしまったようにも思えてしまいます。王道の師弟展開はもう斬鬼轟鬼師弟に持ってかれた後だったからです。

ただ、この二十七之巻で見られたような、トドロキだけでなくヒビキにも作戦の指示を出したり、元師匠としてヒビキの話を聞く年長者としてのザンキさんという描写はやっぱり良いですね。特にザンキさんとヒビキさんの二人が明日夢について会話するシーンは二人の演技力の高さも相まって非常に見応えのあるシーンになっています。ああいう、年長者が若い人たちの成長を見守ってくれる雰囲気って、良いですよね。

ところで、

「彼なりの好きなことを見つけるか、人助けがやりたいことになるかはわからんが...」

という斬鬼さんの台詞って非常にこの作品を象徴しているような気がします。まさしく同じタイミングで、親の反対にあった挙句ライフセーバーという「自分なりにやりたいこと」を見つけて鬼の道を断念した努が登場していることからしても、その人が鬼になるかはあくまでも本人の自由意志によるべきであることはかなり強調されています。

そもそも斬鬼が鬼を引退したときも、「こればっかりは本人が決めること」とおやっさんも同じようなことを言っていましたし。

ただこれって結構無責任な言い方にも覚えるし、めちゃくちゃ繊細で難しい問題だとも思っています。

だって、ヒビキさんがあちこちに根回ししてグイグイ明日夢を猛士に引き込んでいくような展開だったら、新興宗教みたいで胡散臭さMAXで多分こんなに愛される番組にはなってないし(笑)、本人だけがやる気になっててもうまくいかないことは努の事例が証明しているし...。反面、こんだけ巻き込んでおいて、「別に鬼になる気はないだろ?」って突き放すのもちょっと無責任な気がしないでもないんですよね。

その辺の「弟子との距離感」みたいなのは、多分ダントツでザンキさんの方が上手いんだろうなとは思います。実際、二十三之巻でのヒビキさんの振る舞いはトドロキをかなり困惑させていましたし(笑)

そういうところに、放送当時は気づかなかった「ヒビキさんの未熟さ」があるような気がします。そこんところ、続く二十八之巻ではグッと進展があると思うのでこの続きは次回!

ただ、ザンキさんにはちょっと違う切り口から明日夢とヒビキを繋げる役回りを演じてもらえれば準レギュラーとして続投した価値がもっとあったとは個人的に思うんですが...。別に本人が体張ってバケネコの童子や姫と戦わなくても良いんですよ。

(了)

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