ADAMOMANのこだわりブログ

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第10話〜第12話(最終話)感想と考察:本当に見たかった「シン・仮面ライダー」

これまで第1話からずっと振り返ってきた「人造人間キカイダー THE ANIMATIION」もいよいよ最終章です。

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最終章たる第10話〜12話はあんまり分けて語れないなぁとも思ったので一気にまとめていきます!但し第11話の「例のシーン」だけは個別に扱っています。

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この内容も含めて考察を進めていきます。

 

ジローはなぜ去ったのか?

夢の末路

夢の末路

20年以上前、このアニメが最終回を迎えた後、私の頭に強烈に残ったのがエンディングのミツ子さんのワンピース姿でした。こんなに美しい最終回ってなかなかないと思います。本作はミツ子さんの美しい姿で終わるんです。ここ、めちゃくちゃ大事。全てのアニメ作品で一番好きな終わり方。

暗い影を背負った孤独な女性・ミツ子さんは、あんなに美しい女性に成長して幕を閉じるんです。キカイダーと言えば、「あの夏の日のミツ子さん」というイメージが鮮烈に残っています。

ただ、それと同時に、一人静かに消え去ったジローの背中も忘れられません。あの暗く寒々しい森の中へとジローは消えていくのです。

ミツ子の住む家には夏が来ました。ずーっと薄ら寒い雰囲気が漂っていた本作に初めて差し込んだ爽やかな陽光がミツ子さんのラストシーンには詰まっていて、「長い悪夢」が終わったような明るさに満ちています。

それに対してジローが歩く森には明るい陽光が差し込んでいません。彼はまだ、本作の「悪夢のような冬」から抜け出せずにいるんです。

さぁここに、考察すべき本作の「スキマ」が存在します。

第1話から摩擦を繰り返してきたジローとミツ子の関係は、第7話を過ぎる頃には恋仲として完成し第11話で頂点を迎えます。最終決戦を前にミツ子は「私、待ってる」と愛を込めて伝えましたが、ジローは帰りませんでした。

え...なんで?!

そのことを本作は一切説明しません。ですがちょっとした映像と演出から類推することはできるかもしれません。

そしてそんな本作のたどり着いた「末路」にはものすごく濃厚な石ノ森イズムが溢れていて、それはきっと私が本当に見たかった「シン・仮面ライダー」の一つの形なのだろうなとも思います。というわけで「シン・仮面ライダー」にも触れつつ語っていきたいと思います。

 

「夢みる機械」の捨てた夢

夢見る機械

第11話「夢みる機械」と第12話「夢の末路」には共通して「夢」という言葉が登場します。しかし、本編には「夢」の話とか一切登場しません。但し、制作のブログにはしっかりとそのことが記載されていました。

https://www.sonymusic.co.jp/Animation/Kikaider/inta/column/0115.html

...読んでもあんまり意味がわかりません(笑)

と思ったら、なんと次回予告ではジローの言葉でハッキリと「夢」について語られていました。最終回の予告を文字起こししてみます。

これは夢なのか?夢ではない。僕は目覚めてるのか?わからない。夢だとわかっていても、今この出来事は現実。目覚めることなどありはしない。僕は、この悪夢を生き続ける。

夢見る機械

本作は演出で魅せる作風が魅力ではあるものの、実は次回予告が最も雄弁に作品テーマを語っていることが多い。

んー、ここでは「夢」は「夢」でも、眠っている間に見る夢を指しているようですが、スタッフブログでは未来方向への意志や希望を意味するいわゆる「将来の夢」のことも語られていました。どうやら本作には両方の「夢」が描かれているようですね。

では、ジローが望んだ「夢」とはなんでしょう?それはおそらく、作中でも繰り返し語られてきた「人間になる」ということだと思います。それを彼が夢見ていたことは、第1話の彼の台詞から考えれば違和感のないものですし、本作が童話「ピノキオ」を下敷きにしているなら増して疑いようのない事実だと思います。

ただ、本作が実に素晴らしいのは、ジローは「人間になりたい」という夢を抱きながら、その夢を自ら捨て去って終わる、というところです。

あぁ〜暗いな〜好きだなぁ〜笑

ではなぜジローは人間として生きていくという夢を捨ててしまったのでしょう?

 

現実は悪夢

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夢の末路

ジローが夢を捨てざるを得なかった要因のひとつとして、ミツ子さんと愛し合ったことで改めて「自分は人間と子どもを作ることはできない=幸せな家庭を築くことはできないという現実を知覚した」可能性について前回の記事で触れました。

ただ、ジローはミツ子さんを抱くまでもなくそのことを十分に理解していたと思います。初夜の直前、星空の下でジローは

「でも僕は機械だ。人間のようにはなれない」

と悲しい自嘲の台詞をごく自然に吐いています。この時点でジローはすでに人間になるという夢を諦め始めていたことがわかります。

やはり本作を理解する上で重要なのは「現実は悪夢である」という考え方です。

そしてジローを苦しめる「悪夢」の正体を一言で言い表すならそれは「ジローはダークの兄弟ロボットたちと戦い続けなければならない」という現実です。

その何よりの証拠が、最終話で大量のロボット軍団をたったひとりで全滅させたキカイダーの手のひらについた血です。

「僕の手はもう何人もの兄弟の命を奪った、血塗られた手なのだから」

当然相手はロボットなわけですから血なんか流れるわけがありません。だからこれはジローが見た幻覚(もしくは演出)なんですけど、これはジローが「命」を理解した(第9話〜)、すなわち「殺し」を自覚したことを意味しています。

ジローは、命を奪う感覚をその手に痛いほど感じる人間の心を持っています。ですが同時に、自分は望まれてこの機械の体に生まれたことも自覚している。

この兄弟殺しの苦しみを一身に背負いながら戦い続ける以外に自分の生きる道はないことを、彼は深く深く知ったのだと思います。

だから、ミツ子さんとは決別した。彼女はそんな悪夢とは無関係だからです。

んー、めっちゃ石ノ森節だし仮面ライダーぽいね〜いいね〜!

人間になりたいという「夢は美しく」、しかし人間の心を持ったが故に、「現実は悪夢」なのです。

 

ハカイダーと悪夢

破壊魔

破壊魔

「お前は兄弟であるロボットを破壊するために作られ、それを実行した!」

ジローに「お前は兄弟を殺すために生まれてきたロボットだ」と教えた(というか突きつけた)のはハカイダーことサブローです。彼のセリフを引用します。

「俺はアイツの「良心の枷」とやらを取り外してやろうと思ってる。あいつは自分でも抑えきれぬほどの怒りに身を任せたとき、必ず最大限の力を発揮するはずだ」

よくよく聞くとサブローは自分の行動の意図を語りながら、最終回に向けてのフラグを立てまくってくれていました。

そうしてサブローはジローの良心回路を外部から徹底的にいたぶりまくりました。そんな外部からの刺激に対して良心回路がどう影響を受けるか?についてはミツ子の回想の中で光明寺博士が以下のように語っていました。

「単純な遺伝的プログラムの応用じゃない。暴走の危険性を回避するための特殊な枷をつけるのだ。人間の良心のような、それ自体も進化し、成長する枷を」

「成長って、外部の影響を受けながら?」

「そう。その影響を受ける許容範囲をどこまで広げるか。広げすぎると感情が必要以上に発達する。感情が歪に成長すると、その枷が解かれてしまう可能性もある。そのバランスが問題なのだ」

このセリフ自体が終盤に向けた見事な「フリ」だったわけです。

第10話「破壊魔」はそれ自体が伏線回だったとみることもできます。このエピソードで破壊行為を強要されたジローは「絶望」を学び、いびつに「成長」してしまう。タイトルの「破壊魔」はハカイダーではなくキカイダーを指しているであろうところが本作らしいひねりのきいた面白いところ。

そして見事「枷」が解かれてしまったのが、最終決戦の「赤い目のキカイダー」です。ただ同時にミツ子さんによって育まれた優しい感情もそこには存在しています。

ジローは、大切な人を愛する優しい心を持ちながら怒りに任せて兄弟を惨殺できる凶暴さをも兼ね備えた、まさに究極のアシンメトリー(不均衡)になったわけですね。

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クウガみたい。

サブローが確信犯的にジローを追い詰めることができたのも、おそらく頭部に繋いだ光明寺博士の脳から得た知識によるものだと思います。ギルもそのことに勘付いていたようですね。ただ、逆にサブローの意識がだんだん光明寺に乗っ取られていった結果第11話の終盤に繋がったのでしょう。

サブローは、ジローを「ロボットの世界」に引き込む存在です。それに対してミツ子さんはジローを「人間の世界」に引き込む役割を担っていました。

やはりハカイダーはキカイダーの「対」ではありません。ハカイダーはミツ子と対になっています。キカイダーの「対」はプロフェッサー・ギルです。

ミツ子さんを抱いた夜、眠る彼女を置いてジローはハカイダーとの決戦に向かいました。ジローはミツ子を、人間として生きる道を捨て、ハカイダーとの決着を、ロボットとしての生き方を選んでいたのです。

朝もやの中、ミツ子さんとの別れを決心したその表情と、サイドマシーンで走り去るジローの姿が、すでに最終回を暗示していました。

 

アニメーターの生き地獄

萬画版も購入して全巻読んだんですが、よくあの萬画版をここまで渋くまとめ上げたなぁと本当に心から感心します(笑)まさしく本作は、今風に言うところの「シン・キカイダー」でした。

人間の心を持ちながらも、悪と戦う無敵の肉体を持ってしまったが故に人間として生きていくことは叶わず、愛した女性との未来を諦め、一人孤独に生きていくしかない男の悲運。

それはまさに私が「仮面ライダー」に求めているものとも見事合致していました。

そりゃちょっと厨二病だよなとは思いますよ。でもそういう厨二病的ナルシシズムの結晶みたいなものこそ石ノ森イズムであり仮面ライダーでありキカイダーだと思うんです。そしてそう思うようになったのは、もしかしたら多感な時期に見てしまったこのアニメのせいかもしれないんですよね(笑)

ところで、さっきも紹介したスタッフブログについてもう一つ思うことがありまして...

https://www.sonymusic.co.jp/Animation/Kikaider/inta/column/0115.html

ちょっとした邪推が許されるなら、本作の制作スタッフの「産みの苦しみ」そのものが「ジローの生き地獄」と重ねられてるんじゃないかな?って気がするんです。

本人も書いてる通り、アニメ制作って夢の詰まった仕事なんですけど、実際の仕事そのものは悪夢のような地獄の連続で、しかしその業界にいる彼らはそんな仕事をやめられない=悪夢からは一生抜け出せない。まさに「夢は美しく、しかし現実は悪夢」なんです。

これはアニメーターに限らず、全ての職業において言えることだと思います。

ダークのロボットと戦うために生まれたジローは一生戦闘マシンとして生きていくしかないように、アニメーターの夢を叶えた人間は、しかし一生アニメーターとして生きていくしかない。華々しい夢を叶えた者は悪夢にうなされ続けて生きていくしかない。まさしく、夢とは呪いなのです。

「555」のあの回を思い出しますよね。

そう考えてスタッフブログを読み返すと結構しっくりきます。ちょっとした文章の端々からも納期ギリギリだったり制作体制が崩壊寸前だったことは容易に読み取れますから(笑)

事実、スタッフが一部入れ替わっているとは言え続編として制作された「キカイダー01 THE ANIMATION」は作画崩壊しまくってましたからね。作画崩壊なんて言葉知らなかった当時の自分でも、この絵大丈夫か?と思いながら見てましたから(笑)

(了)

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S.I.C.の思い出〜VOL.9 仮面ライダーV3〜

覚えているかい?集めてたかい?アラサーアラフォーのみんな!

 

S.I.C.とは?衝撃的な出会い

まぁこの記事を見ている方はS.I.C.のことはよくご存知だとは思うので今更言うまでもないことですが、各商品にもそのコンセプトと由来が記載されているように

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ということで、本来の映像作品(または漫画作品)のキャラクターを新解釈でアレンジしたフィギュアシリーズを指します。かなり売れたシリーズだとは思うんですが、2020年12月に限定販売された「仮面ライダーフォーゼ ロケットステイツ」以降、2024年現在まで新作のリリースが途絶えており、ほぼ終了しているものと思われます。

tamashiiweb.com

その歴史についてはwikiが詳しいのでそちらをご参照いただきつつ、

S.I.C. - Wikipedia

私個人の思い出と共に少し振り返ってみようと思います。

それを初めて目にしたのは、某ショッピングセンターの玩具売り場。あの仮面ライダーが、そしてV3が、見たこともないとてつもない異形アレンジで視界に飛び込んできたのです...!もうこのときの衝撃ったら忘れられません。

小6か中1くらいだった当時の私は、PS版「仮面ライダー」の格闘ゲーム(伝説の傑作)にハマり、幼少期に見ていた初代仮面ライダーの再放送の思い出を再確認する「ひとりリバイバルブーム」真っ只中。

さらにそこへ「仮面ライダークウガ」放送開始と「仮面ライダーSPIRITS」の連載開始...と毎日脳内「仮面ライダー一色」状態の中、確かこのS.I.C.のフィギュアに出会ったのだと思います。

仮面ライダー

仮面ライダー

  • バンダイ(BANDAI)
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その開発経緯も何も知らなかった私でも、S.I.C.がちょっと「スポーンっぽい」ことはすぐにわかりました。「スポーン」が映画やフィギュアを中心に海外発ですごいブームになっていたことは見聞きして知っていましたからすぐに脳内で結びついたのだと思います。ただ、私個人としてはスポーンに対して特段魅力を感じていなかったのでフィギュアを買ったことはなかったです。それでもよく玩具売り場では目にしてその独特のテイストを熟知していましたから、S.I.C.の中によく似た空気感を見出すことは容易でした。

それは多分、子供を相手にしていないことが一目でわかる「グロさ」とか「不気味さ」とか「怖さ」とか「暗さ」とかそういった「大人向けの空気感」だと思います。

そしてそれらはいずれも、石ノ森ワールドの住人たる仮面ライダーとの相性が抜群に良かったのだと思います。いやー、痺れましたね!

スポーンのフィギュアが高値で取引されているというニュースが話題になり始めた90年代後半。この頃から、「フィギュアは大切に置いておけばいつか高く売れるかもしれない」という考え方が浸透し始めた記憶があります。あの「ダイ・ハード4.0」にもある登場人物の大切なスポーンフィギュアをジョンマクレーンが壊すシーンがあります。

 

見たことないディテール

店頭にはvol.1の「キカイダー」の他に「仮面ライダー」、「仮面ライダーV3」が並んでいました。正直どれも欲しかったんですがお年玉をやりくりしていた当時の自分には買えるのはせいぜい一つが限度。パッケージと何度も睨めっこして悩みました。。。

箱裏の写真にはテンション上がりましたね!何よりまず最初に目を引いたのがコンバーターラングと人工骨の取り外しです。この「グロさ」に惹かれました。グロいんだけど見てみたいんですこういうの。改造人間の内部構造が覗けるフィギュアなんて過去ありましたか?!

けどこういう内部構造の大解剖って幼少期慣れ親しんだ雑誌の特集でよく見てきたやつですよね。そんなあの日の思い出も蘇る、面白いギミックだと思います。

そしてマスクの中の顔が見えるところ、これが私にとっては初期S.I.C.の最強のプレイバリューでした。仮面の下の変身者の顔が見えるなんて、あぁなんてロマン溢れる玩具でしょう✨✨見てみたいんです、戦ってるときの本郷猛や一文字隼人や風見志郎の御尊顔が!

繰り返しますけど、こういう内部構造が作り込まれたフィギュアってのにたまらなく惹かれますよね。

同様の理由で、変身シークエンスが再現できる装着変身にも夢中になりました。

あとは台座です。それぞれのキャラクターに馴染みのある宿敵があしらわれた台座もまた実に魅力的なアイテムでした。正直、どれだけ精巧なフィギュアがあってもその世界観を表現した背景やジオラマまであれば言うことなし。ただ、そんなもの用意できる訳ないんですが、足元の台座だけでもあるとグッと世界観が広がりますよね。

宿敵の屍体、というのがまた良い。テレビ作品ではただ平地の火薬爆破シーンだけで片付けられた彼らの「死」を直視させられるその体験は、幼少期に慣れ親しんだ子供番組を「今を生きる大人」向けに再解釈したものでした。

 

換装というプレイバリュー

S.I.C.といえばやっぱり「換装」です。このV3では帰ってきたV3というキカイダーのようにボディが半透明になったver.が再現できます。

ただ、こうなるとなんとマスクの下の人間の顔がなくなっています。これにはどうやら意味があるようで...。

加えて両手共握り拳に換装することができます。後のシリーズを知っている身からすれば、手首だけでなく肘から下を丸ごと差し替えられる仕様なのが実にありがたい(笑)

武装もたっぷり。V3ホッパーも全部で3本ついてきます。

そしてライダーマンのロープアームがついたショットガン。これがまためちゃくちゃ意味深で痺れましたね。なんでV3がライダーマンのロープアームを持ってるの?!ライダーマンはどこに行ったの?!とかめちゃくちゃいろんなことが気になっちゃう訳ですよ。

それで箱をよく見ると小説の一部を読むことができます。

箱がボロくてすみません。買ったときから上曲がってたんです。

「脳以外は全て機械に換えてしまった」というセリフが凄まじい。荒廃した世界の中でV3とキカイダー00が邂逅する物語とその世界観にまた痺れます。

換装機能は後のほとんどのS.I.C.に継承されたシステムですが、やっぱり自分はこの初期の非可動タイプの方が好みですね。関節がない分スタイルが美しく立ち姿が綺麗にまとまっています。

「キカイダー00」で描かれているような、荒廃した世界を生きる哀愁漂うそのキャラクター性がフィギュアとしての「立ち姿」だけで見事に表現されていると私は思います。

そしてそれが、私のイメージする「仮面ライダーの本質」と見事オーバーラップしました。だから、S.I.C.に惹かれたんです。

 

S.I.C.の栄光と凋落

その後、数々のヒット商品を生み出し、中には超プレミアム価格がついている商品もある本シリーズですが、現在では新作のリリースも止まっており、実質の「生産終了」と言えると思います。

その要因は様々ですが、あくまで私個人の考えとしては「可動化」こそがS.I.C.最大の過ちだったのではないかと思っています。

そのきっかけとなったのが、バイクの商品化です。

サイドマシーンの造形は凄まじく、現代の目で見ても「神商品」な訳ですが、バイクがあればもちろんヒーローをまたがらせない訳にはいきません。となると、固定フィギュアではディスプレイの幅がグッと狭まってしまいます。そこでS.I.C.はここから可動フィギュア化の道を突き進み始めます。ただ、バイクに搭乗できる可動フィギュアにはかなりの可動範囲が求められます。とはいえ技術が未成熟だった初期の商品ではいずれも「ギリギリ乗れる」程度の可動範囲しか確保できなかったようです。

また、大型のバイクとのセット商品は高額になりやすくディスプレイ時の場所も大きく取られるため、バイク抜きで可動フィギュアとなったS.I.C.が連続してリリースされていくことになります。

そんな中でも継承され続けたのが換装システムです。何度遊んだかわからない超傑作アイテム「Vol.13 仮面ライダークウガ」ではなんとライジングマイティがアルティメットフォームとグローイングフォームに換装することができました。換装パーツはいずれも軟質で付け替えもしやすかった印象があります。

ただ、この換装システムにもだんだん無理が出始めてきます。「Vol.23 仮面ライダー龍騎」では、通常の龍騎から龍騎サバイブへの換装が再現できましたが、そもそもアンダースーツの色が全く異なるこの二者の換装は正直微妙でした。

そして私のS.I.C.愛が尽きるきっかけとなった商品が「Vol.28 仮面ライダーファイズ」でした。なんとこの商品では、ファイズがウルフオルフェノクに換装できました!...けどこの二者ってそもそもパワードスーツ装着のヒーローと怪人という、(同一人物だとしても)あまりにもかけ離れた存在です。

20分くらいかけてファイズのパーツを全部外したとき、ふと気づきました。頭と手足をもがれたボールジョイントの露出したただの黒い胴体パーツを見て、

「いや、換装とかじゃなくて、二体セットにしてよ面倒くさい」

ウルフオルフェノクが完成して、しばらく眺めたらまたファイズに戻すんですけど、パーツが固い。ウルフの背中の金属の棘とか痛くて抜けない。何より、手首が固い。

そんな意味不明な換装システム入れるくらいなら、ファイズマスクの下にオルフェノクの影が浮かんでる変身者の生身の顔でも造形してくれてる方が何倍も嬉しかったかな。

後続の威吹鬼と斬鬼のセットなんかも造形がめちゃくちゃかっこよかったのと細かいDAとかの付属品に惹かれて買ったのに、手首が硬すぎて換えられない。あと、斬鬼の腕の関節が突然折れました。そういうことが続いて、もう買わなくなりましたかね。

あとは、これが致命的だったと思うんですけど、「イマジネイティブ」をあまり感じられなくなっていきました。平成ライダーってそもそも最初っからスタイリッシュなデザインになってることが多いんで、あんまりアレンジの余地がないんですよね。あれを弄ろうとしても、あんまり初期の頃のようなインパクトは出せなかったと思います。

それから、これも完全に個人的な好みですけど、竹谷さん監修が一番好き。今も手元にあるV3がやっぱりかっこいいのは、プレイバリューとかもそうですけどやっぱり造形がかっこいいからなんです。蛇腹顔のタレ目マスクをよくぞここまでかっこよくできるなと本当感心します。

「スーパー・イマジネイティブ」で魅力を再発掘するためには、元がちょっとダサくないと面白くない。

あと、可動フィギュアとの相性が悪いからでしょう、「超合金」要素もどんどん薄まっていきましたよね。結果、ただ元のデザインをちょっとぐちゃぐちゃにしただけの可動フィギュアシリーズになったと私は思っています。

もちろん実際には他のいろいろな要因があるんだと思います。何より、フィギュアーツが売れていくのとS.I.C.が売れなくなっていった時期は重なっていますからね。同じ「可動フィギュア」というジャンルではS.I.C.はフィギュアーツには絶対に勝てません。リアルな造型と集めやすいサイズ感に豊富なラインナップ。

S.I.C.は「可動化」したときから負けが決まっていたんだと思います。そして可動化のきっかけって何だったのかな?って歴史を遡っていくとキカイダー&サイドマシーンに辿り着くわけです。バイクに手を出したことがきっかけだったんじゃないかな?と。

ただ、初期の商品群には当初の志というか尖った要素がそのまま残っていて本当かっこいいなと思います。そんなに高くなってないものも多いので、買えるならまた買って集めようかな...。

(了)

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キカイダーTHE ANIMATION短評〜ロボットと人間のS◯Xは成立するのか?〜

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夢見る機械

最終回までの残り3エピソードについてもまとめたいのですが、語りたいことが山ほどありすぎるので少しテーマを絞ってみたいと思います。

今回は、ジローとミツ子の恋の行方について扱います。というか本作を見た以上語らざるを得ないであろう、第11話で描かれたジローとミツ子の、ロボットと人間のS◯Xについて扱います。

大きく以下の三つに分けます。

1️⃣どうやってヤったの?

2️⃣なんで少し「引いちゃう」の?

3️⃣必要なシーンだったの?

4️⃣なんでジローは去ったの?

※本記事は話題の性質上ド下ネタも含みます。但し、あくまでも最終的には本作が持つ「文学的な意味や行間」を考察するのが大目的です。ご了承ください。

 

1️⃣どうやってヤったの?

第11話「夢みる機械」で描かれたジローとミツ子の「濡れ場」は、当時中学生だった自分にとってもかなり衝撃的でした。

「...え、うそ、ヤってる…」という心の声と共に静かに戦慄しました。

その後しばらくは、直接的な描写は色々濁されていたのでそこを妄想で補完してました。どう理解したらいいかわからなかったからです。

「え、ジローって…ついてるの?」「もしかして光明寺博士がバ◯ブでもつけておいてくれたの?」「ミツ子さんが魔改造したの?」とかめっちゃ具体的なところです。

でも三十過ぎて見返した今思ったことですが、多分ジローには何もついてないんだろうなと(多分)。だからミツ子さんは自家発電に近いプレイしかできなかったのかなと予想してます。

ジローの体のどっかで擦ったんかな?ちゃんと汗タラーリしてその後ぐっすり眠ってたのでエクスタシーには達していたと思うんです。

というかですね、この回はもう最初っからミツ子さんの服装がいつもと違う超肩出しの時点でフラグが立ってるんですよ。なんか煽情的な空気がミツ子さんからずっとムンムン漂ってたんです。

もうミツ子さんは完全にジローに惚れてるっぽいんで、本当は多分これ以降もジローに沼ってたはずで、毎晩誘われてたはずだと個人的には予想してます。寂しがり屋のくせにそれを誤魔化して強い自分の鎧をまとってるミツ子さんみたいなタイプは、一回脱いでしまうともうダメですから。

だから最終決戦での「キカイダー」へのキスも純真な乙女のそれでした。本当に心からジローを愛していたのだなと思います。第1話からは考えられない変化ですが、色々な試練を経て彼女は心底ジローを愛せる女性になったのだと思います。

 

2️⃣なんで少し引いちゃうの?-萬画版との比較-

ただ、なんかさすがにSEXはやりすぎというか、ちょっと引いちゃうのは引いちゃいますよね。それってなんでかな?と。

実は最近、最終章の解釈を深めるために萬画版の1巻〜6巻までの全巻購入して読んでみたんですけど...。

とりあえず萬画版は、連載誌や対象年齢のこともあってか、やはりあくまでも「子供向け」であり、2人の関係も「のび太としずかちゃん」的な、つかずはなれず、たまにラッキースケベ♡みたいな印象でした。

少しセクシャルなシーンもあるにはあるんですが、当然濡れ場にまで発展するわけはなく、「ミツ子さんの前でジローが服を脱ぐシーンで2人して照れる」とかそんな可愛い程度です。

ただ、その後のシーンだけはヒヤッとします。

単行本第1巻のことです。良心回路を直そう、というミツ子からの提案でジローが服を脱ぎ、たまたまそのタイミングでギルの笛の音がジローを狂わせ、半裸のジローがミツ子さんに馬乗りになって襲いかかる、というシーン。

当然未遂で終わるんですが、何となくいやらしいシーンを想像させられる場面でした。このときのジローのセリフが、

「ふ...笛がきこえる!悪魔の笛が鳴っている!!おまえのやりたいことをやれと...笛がうたっている!」

という内容だったためまるでジローがずっとミツ子を襲いたがっていたかのような文脈にもなっていて少しだけエロティックなシーンでした。

但しここで重要なのは、このシーンはあくまで突発的な微エロシーンとしてしか描かれていないということです。上で「のび太としずかちゃん」的と述べた理由はまさにそれで、ドラえもんの道具でしずかちゃんのお風呂を覗いてしまう、あれと同じようなノリで、やむなくミツ子さんに襲いかかってしまう(強制性交的絵面)という程度にしか2人の男女関係は描かれず、アニメ版で見られたような本気の男女関係への進展は一切期待できませんでした。

それはその先のエピソードにおいてもずっとそうで、特に個人的に驚きだったのは前回記事でも扱った第8話登場のシルバーベア戦(アイヌ戦)でシルバーベアを倒したジローをマサルが責めるアニメのシーン、萬画版だとミツ子がジローを責めていたんですね。

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それでキカイダーは拗ねちゃって空を飛びそのままの勢いで外国まで行っちゃいます(?!)

てな感じで漫画版での2人の想いはずーっと並行線のまま、ほとんど交わることはありませんでした。

 

話をアニメ版に戻します。2人の性交シーンは、完全にミツ子さんがリードしていました。多分、そこに「少し引いちゃう理由」があるんだと思います。萬画版の例のシーンがちょっとした「お色気シーン」として成立するのは、両者の同意なく(ギルの笛という不可抗力によって)レ◯プ一歩手前のシーンが描かれたからです。

いや、レ◯プ一歩手前は言い過ぎか。ミツ子さんは着衣すら乱れませんでしたから。

いわゆる「触手モノ」みたいな、人外のバケモノに美女が襲われるジャンルって一部の人には刺さるものがあります。特殊性癖かもしれませんが「ロボット×人間」てのもアリだと思います。ただいずれにせよ重要なのは、「女性の方が嫌がっているから成立する」ということです。それでこそ我々紳士は甘美なエロティシズムに酔いしれることができます。

ところがアニメ版では、ミツ子さんが全部リードしてくれちゃいます。そうなると傍から見てる男子としてはちょっと冷めちゃうというか困るところがあるのかもしれません。人間の女性とロボットが擬似的な性交渉に至るなんて、本来ならあり得ないことだし、なんだか見ちゃいけないものを見せられてしまったような、妙な居心地の悪さみたいなものを感じてしまうのかもしれませんね。

 

3️⃣必要なシーンだったの?

ただ、ものすごくとてつもなく心に残ったことは間違いなくて(語彙力)、軽薄なテンションで見るとちょっと茶化したくもなるんですけど、考えれば考えるほどこれはアニメ史に残る名シーンだよなと思うわけです。

当時の萬画版では絶対にできなかったことを、御大の意思を継ぐものたちが本気で描こうとした結果「こうなった」ってことだと思うんです。

実際、2人のベッドシーンは実に美しく芸術的です。直接的な描写は避けつつも、2人の溶けそうな瞳と、汗ばむミツ子さんの首筋、そして挿入される闇夜に浮かぶ枝と鉄パイプのカット。これは当然、機械でできたジローと有機的な生命体であるミツ子が交わる夜を象徴的に描いたカットです。

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夢見る機械

そして枝先に輝く2枚の若葉は、夜露に濡れつつも月光に輝いていて美しい。見た目にはみっともない、「まがいもの」かもしれないけれど、2人の心には本物の愛があることを感じさせています。

筋書きとしてはインパクトがありましたが、映像としては美しく描かれていたのでその対比が私は大好きです。誰よりも本気で「機械と人間の恋」に向き合った結果生まれた名シーンだったと思います。

ここまで描く必要なかったんじゃないか?とか、場合によっては蛇足だという声もあるようですが私はそうは思いません。ジローやミツ子をあくまでも「キャラクター」として描くのであれば、もしくは子供向け漫画原作の映像化という枠を厳守するのであれば不要だったかもしれませんが、本作はその枠から飛び出して限りなくリアルに彼らの「実存」を描こうとしていたと思います。

ただ、ミツ子のジローへの愛には「依存」みたいなものもあると思います。長らくひとりでマサルを育ててきた彼女の孤独をようやく埋めてくれる男性が現れたのですから当然でしょう。だからやっぱり、一生ジローと生きていけるかどうかなんてことは多分全く考えてない。いつかもし子どもが欲しくなったとしたら…なんてこと想像もしてないと思います。でも、その浅薄さが良い。それが若さだからです。それが、樹の先に芽吹いた2枚の若葉なんです。

 

4️⃣なんでジローは去ったの?

ただ、この初夜の直後、ジローはミツ子の元を去ります。おそらく二度とミツ子らの元に戻らないつもりだったと思われます。なぜジローは、ミツ子の想いに反してミツ子の元を去ったのでしょうか?これはあくまでもアニメ版独自の展開ですから萬画版は参照せずアニメ描写を中心に考えてみたいと思います。

萬画版で描かれた二人の別れでは、アニメでも参照されたであろうヨーロッパでの療養etcもあってしっくりきましたね。アニメ版は萬画版の引用がうまい。

 

仮説1:決戦に赴くため

忘れられがちですが、例のベッドシーンは「そう見えた」だけのことであってあくまでも本来の目的はハカイダーに破壊された腕の修理です。そしてハカイダーとは腕を修理してから改めて決着をつけることを約束していました。

圧倒的な戦闘力を持つハカイダーとの再戦にはジローも差し違える覚悟で臨んだはずです。だとすれば、ミツ子を抱いても抱かなくてもジローは彼女の元を離れていたことになります。事実、初夜の直前、ジローは服部探偵事務所の2人やマサルも含めたみなの前で別れを予感させる感謝の言葉を語っていました。

 

仮説2:SEXが成立していなかったため

実は、ミツ子との性行為が描かれた第11話の次回予告(第10話にて放送)にて、彼女との初夜の感想をジローが語っています。

暗い夜空に小さな明かりが灯る。弱いけれど、温かい光を投げかける。僕を包むこの温もりは確かに本物だが、一瞬後には指の間からこぼれ落ちていきそうな儚い予感がつきまとう。そのとき僕は、幸せだった。

破壊魔

ジローのロボットとは思えないワードセンスには脱帽しますが、彼は人間が持ち得る愛の温もりと共にある繊細な儚さをも熟知していました。

ただ、一度学習したらプロの領域にまで一瞬で到達できる超高度な学習能力を持つジローです。SEXというものが本来一体どういうものかをジローは学び切っているはずです。例えミツ子が満足していたとしても自身の「不能」を自覚した、というのは勘ぐりすぎでしょうか?

萬画版には、わずかな隙間から漏れる空気の流れを感じ取って敵を探し出す描写が存在します。それと同様、アニメ版のジローの体表の神経網も非常に鋭敏なものだと思われます。アニメ版でも第1話で「人間の肌の柔らかさ」を知り、「好きだ」「なりたい」と語ったジローですから、ミツ子を抱いたときの感動はそれはそれは凄まじかったと思います。それが上記の「幸せだった」という感想につながっているはずです。

しかし(ついてるついてないに関わらず)、「男性」としては不完全な存在であるジロー、彼自身がエクスタシーに達することはないはずで、射精という、愛の一つの結実を見せることもできません。それでも「幸せだった」と語るジロー、なんてプラトニックなんでしょう。

ただ、自分では人間であるミツ子さんと連れ添うことはできない、彼女を本当の意味で幸せにすることはできない、そう知覚した可能性も十分あります。

初夜直前、星空の下でジローは

「僕は機械だ。人間のようになれない」

と語っている通り、終盤のジローは、「人間の心を持っていても、自分は結局ただのロボットである」、と自分の存在を受け入れています。

皮肉な話ですが、ジローはミツ子と愛し合ったがゆえに、ミツ子と共に生きてはいけないという事実に気がついたということです。

まさに第5話のトオルとミユキはやはりジローとミツ子の関係性を暗示していたということでしょうか。

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ただ、ジローが去った理由を考えるにあたって「ハカイダーとの因縁」や「兄弟殺しの罪」についても触れる必要があります。

そして繰り返し登場する「夢」というキーワードについても。

ここから先は最終章の記事で扱いたいと思います。

(了)

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第6話「負の断片」 / 第7話「悲の残照」感想と考察〜変身しないヒーロー〜

非の残照

「キカイダーは、やつはお前さんを愛していると」

今回は、話が大きく動いた二篇「負の断片」「悲の残照」を振り返っていきます。

 

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ゴールデンバットの語る悲劇

負の断片

ゴールデンバット、いいですね〜。ものすごく饒舌にジローが置かれている状況を説明してくださる。というか、私が前回までの感想記事で書いてきたことと本当ピッタリ重なる内容を語ってくれたので「答え合わせ」になってめちゃくちゃ嬉しかったぞ。

キカイダーが良心回路を埋め込まれたことで命令に対する選択権を持ってしまったこと、そうして人間のような心を持てたのに、機械でも人間でもない中途半端な存在となった結果、人間からは忌み嫌われ、ロボットからは命を狙われる存在になってしまったこと...そして、人間を愛してしまったこと。これを悲劇と言わずして何と言うのか。

「嗚呼、可哀想なジロー慰めてあげるわ、私たちはいいお友達よ〜、でもそれ以上は近づかないで〜」

ここのゴールデンバットの一人芝居によるミツ子さんへの精神攻撃は声優さんの名演技も相まって非常に見応えがあります。少し茶化した芝居で見せてるけど、ミツ子さんの図星をもろにえぐってるから、思わず涙が溢れたんでしょうね。ここでミツ子さん泣かすシーンはすごい迫力ありましたわ。

きっと、まだ彼女の中でジローの存在が理性的に認められていないんだと思います。「彼はロボットなんだからそんな感情を抱けるはずがない」って認めたくない自分もいるけど、それを他人から言われると納得できなくて苦しいんです。しかもそんなミツ子の心の中にあるジローへの「想い」を「同情」と切り捨てられたから辛い。

「人間と機械の間で同情が愛に変わることなどあり得ないからだ!」

「人間でも機械でもない辛さは、他の誰にも理解できない。」

ゴールデンバットが語る、「良心回路を持った人造人間の悲劇」にはものすごく説得力があります。そして、「こんな可哀想な思いをするならそんな回路埋め込んじゃダメでしょ」ってのはプロフェッサー・ギルの考え方でもありますし、否定もできないんですよね。いっそ、心なんかなければ悩むことなんかないじゃん、というのはその通りだと思います。

でもそれってよく考えたら生命の尊厳を否定する発想そのものでもあるんですよ。

この理屈が通るなら、人間だって心を持っていない方が幸せってことになっちゃうからです。だからギルの考え方はものすごく危険なわけです。

これがSF作品の実に面白いところです。日常からかけ離れた架空のSF世界のお話なのに、作品を深掘りすればするほど、私たちの日常にある「人間」がかえって浮き彫りになってくるんです。

あ、ちなみに「ゴールデンバット」って、御大の駄洒落センスはやっぱりすごいなぁ〜笑

黄金バット

黄金バット

  • ミスター・黄金バット
Amazon

あと毎回言ってるけど声優豪華すぎな笑

 

ミツ子の勝利

「人間みんなが幸せだと思ってるの?」

そうなんです。その通りですミツ子さん。

前回の記事でも扱ったように、別にジローとミツ子の恋だって人間同士だったら必ず実るわけでもないし、トオルとミユキを見てもわかる通り、普通の人間がみんな幸せなわけでもないんですよ。真っ当な人間として心を持って生まれた人間だって、みんな愛されて幸せに生きてるわけじゃないんです。

それを、自分は「ギルのスパイの娘」だったと知ってしまったミツ子さんに言わせるのがすごい。改めてこのエピソードもシナリオが本当にお見事。縦糸の謎を明かしつつキャラクターの葛藤をドラマに昇華させている。

そして改めて見て思いましたけど、今回ゴールデンバットを倒したのはミツ子さんです。いや厳密に言えばギルの悪事を突っぱねたのはジローでもキカイダーでもなくミツ子さんでした。相手が良心回路を持ったロボットだったとは言え、彼女は紛れもなく人間としてロボットに勝ったと言えます。

これは、オレンジアントの前に立ちジローを庇った第4話からの彼女の成長の帰結です。非力なはずの人間が、ロボットを操る人間の悪意と暴力に打ち勝ったのです。

いやしかし前回も触れた通り、人間でもロボットでもなく、キカイダーにすらなれなかったゴールデンバットは究極の「ハンパモノ」であり、やはりトオル同様そんなハンパモノは悲劇的に死ぬしかないということでしょうか。

 

ギル・ヘルバートの狙い

今回の舞台が旧光明寺邸であること、ギル配下のロボットでおそらく唯一良心回路を持っているゴールデンバットが刺客に選ばれたこと、最初にミツ子をさらったこと、全てギルの考えた作戦だったのでしょうね。

光明寺博士が開発した良心回路を持ったロボットが、どれだけ苦しみ不幸な目に遭うかを、光明寺の娘に思い知らせること、それこそがギルの狙いだったのでしょう。そうして、命令の拒否権をもつロボットの存在を否定させたかったのだと思います。

そもそも、光明寺の一人息子であるイチローを殺し、精神的に絶望の淵に叩き落としたところに美人秘書を連れて現れ、「資金援助しますよ」と囁くこのギルのやり方、人間の心を本当によくわかっていますよね。これってものすごく大事なことで、本当に悪い奴って、人の心がよくわかっているんですよ。人間の心をよく理解してないと、悪いことってできないんです。

 

変身しないヒーロー

今回、ミツ子さんの前で本当に最後の最後まで変身しようとしなかったキカイダー。

第4話「鏡」以降ミツ子さんにキカイダーとしての姿を見せたくないと思い始めたジローですが、これとよく似た展開が「仮面ライダー」の第7話にも見られます。「ルリ子さんの前では変身できない」という本郷猛の葛藤がほんの一瞬ですが描かれました。

私はこういう石ノ森ヒーロー特有の「苦悩」が大好きです。

本来、変身シーンというのは作中の「花形」とも言える一番輝くシーンのはずです。実際、ヒーローに憧れる子どもたちの多くはそのシーンを真似て遊ぶし、そのために変身アイテムを親にねだって買ってもらう。一番子どもが目を輝かせて見ているはずのそのシーンが、実は一番本人にとっては苦痛である、という逆説的なロジックが本当に面白いなと思うんです。

「自分もキカイダーみたいな強いロボットだったらな〜」とか「自分も仮面ライダーみたいな改造人間になってみたいな〜」って誰しも一度は思ったことあると思うんですけど、それを作品のドラマが全力で否定してくるんです。はたから見たらカッコイイ!スゴイ!って思えることが、本人にとっては「コンプレックス」なんです。

こういう、「なりたくないのになってしまった」ヒーローは昭和特有の見せ方で、ギリギリ「クウガ」くらいまでかな〜という感じですが基本的に平成以降は「自分から首を突っ込んでいく」タイプというか「自分にできることを頑張る」タイプが多くなるのでそういう「暗さ」みたいなものが鳴りを潜めていくわけですが、本作でジローがストレートに見せてくれるこの石ノ森イズムMAXの葛藤を、2000年のアニメでやってくれたことが本当に嬉しかったですよね当時から。

 

ようやくミツ子さんの元に帰って来れたジロー!と思ったら何やら次回予告がものすごく不穏なんですけど大丈夫ですか笑

(了)

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第5話「雨の街」感想と考察〜大人の恋と異界を生きる男の物語〜

雨の街

雨の街と悲しい待ち人の物語。文学的ですらあって美しい。

前回は3話と4話が前後編とも言える内容だったため一つの記事にまとめましたが今回は独立したエピソードだったので単体で感想をまとめています。とっても上品だけど青臭い、素敵なエピソードでした。

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指名手配犯・ジロー

完全にお尋ね者になっちゃったジロー。特に新聞で取り上げられてるのがキツイですね。基本的に人間社会でマスコミを敵に回したら終わりですから。本当徹底的にジローを追い込みますねこの作品は。ただ「新聞」ってところは時代を感じる点で、今だったらまた異なるメディアで描かれるところかな?

前回も語った通り、世間をも敵に回して戦うヒーローってほんとにカッコいいですよね。誰からも理解されないけれど、それでもただ1人、会いたい人のことを想い続けて戦う。

美しいじゃないですか。それはもうもはや「ヒーロー」ですらなくて、ただの「男」ですよ。

 

ミユキさんとトオル

「私ね、どうにも拾い物する癖があって」

ということで拾われたジロー。間違いなく、ミユキさんが待ち続けているトオルとジローには似ているところがあったのでしょう。

トオルは裏社会を生きる少し汚れた、だけど美しいものを大切にする心を持った人です。そして自分の汚れた生き方からでしょうか、彼女を守るために自ら彼女と距離を置いたのだと思います。でもそうやって大切な人のことを美しいままにしておきたいから距離を置くなんてことができる時点で、彼もまた美しい心を持った人なんだと思います。

多分、ミユキさんにもそれがわかったんでしょう。だから彼女も執拗に追うことはしなかった。でも会いたい。かと言ってそれは口には出せない。だから「待つ」ことにしたのかもしれません。

本来交差するはずのない2人が重なってしまった。そして惹かれあってしまった。でもそれは、お互いにとって良いことじゃないから離れることにした…。これってミツ子とジローの関係性ともよく似ています。

ミユキとトオルは、二度と再会できなかった世界線のミツ子とジローに置き換えることができます

そして愛する人と再会できなかったトオル(=ジロー)の先にあるのは破滅の未来で、 ミユキ(=ミツ子)はただ終わらない孤独を耐えて生きていくしかない、という暗示があのビターエンドだったのかもしれません。

けれど、なぜだか「バッドエンド」には見えない。ハッピーエンドではないかもしれないけれど、なぜか心の奥がすっとするような、洗われるような心地良ささえ感じるのはなぜでしょう?

 

今週のギルさん

もしかしてギルさんと会話してるサポートAIみたいなのってあのガメラカメ型のロボットかな?

今回は「ダーク」という組織の規模感とか、世間からどう認識されているかとかがようやく語られ始めましたね。この辺の種明かしのタイミングと情報量のバランスが非常に絶妙で好みです。

ちなみに今回登場のイエロージャガー、やっぱり檜山さんやんww贅沢すぎるww

 

愛を知る男・ジロー

「帰ってあげてください!あなたも帰りたいんでしょ?あなたもミユキさんが好きなんでしょ?」

「あなたがどんな人間でもミユキさんは待ってるって言ったんです!好きってそういう気持ちのことなんでしょ?」

どうしたジロー!覚醒してるやんけジロー!熱いねぇ!

ジローがこんだけ覚醒しているのは間違いなく前回のミツ子さんの行動がきっかけでしょうね。ジローを守ろうとオレンジアントの前に立ったあのシーンです。後で詳しく述べますが、彼女のこの行動は、「ジローの世界に踏み込む」一歩でした。

当然、ジローにはそれが嬉しかった。でもだからこそ、自分のキカイダーとしての醜い姿は見られたくない。けど会いたい!

...そうかもしれない...でも、会いたい人はいる!」

「僕は醜い姿だ...それでも僕はミツ子さんに会いたい!」

もう恋愛が一番楽しいときのやつやん。離れれれば離れるほどどんどん好きになっていくやつやん。こいつら離れるほど近くなっていくよ。

 

世界を越境する者

ジローは今回、何度も明確にミツ子さんに会いたいと言葉にしています。そしてそんなジローと同じように「ミユキに会いたい」と思っているトオルに「好きなら会ってあげて」と繰り返し熱く語ります。

しかし肝心のジロー自身は、ミツ子さんから離れています。それは、キカイダーに変身したときの醜い姿を見られたくないからであり、そこには「ロボット×人間」という超えがたい大きな壁があるように見えます。

ではもし仮にジローが普通の人間であれば絶対にミツ子さんと愛し合うことができるのでしょうか?実はそれはまた別の問題です。なぜなら、今回登場したミユキとトオルのように、同じ人間同士で、しかも互いに惹かれあっていても愛し合うことができないケースもあるからです。

厳密には、同じ「種族」の生物であるということ=人間だとかロボットだとか、そういうこと自体には特に意味はないんじゃないかと思います。どちらかというと、「同じ世界を生きている」ということの方がより本質的で大切なことです。

「共に生きる」というのは、たくさんのものを「共有すること」に他なりません。共に起き、共に食べ、共に笑い、共に悩み、共に泣き、共に眠る。一言で言えばそれは「生活の共有」であり「人生の共有」です。

その意味では、前回ミツ子がジローを庇ってオレンジアントの前に立ち塞がったあの行為は、ミツ子が「キカイダー」と人生を共にする覚悟を示す一歩だったと言えるかもしれません。

この行為は、ミツ子が「人間の世界」と「ロボットの世界」の境界線を踏み越えることを意味しています。キカイダーとダークのロボットたちの戦いは、我々人間には入り込む余地のない危険極まりない世界ですが、ミツ子は命を捨てる覚悟でオレンジアントの前に立ちました。これは、「ジローのためなら自分の命は惜しくない」という意思表示であると同時に、人間でありながら「ロボットの世界」に足を踏み入れる覚悟があることを示しています。

それは当然、ジローにもしっかり伝わっていたようです。だからジローはずっとミツ子のことを考え会いたいと強く願っています。

 

ジローの青さ

でも今のジローは(そしてミツ子は)その先に待ち受ける幾多の困難をを冷静に予想することができるほど「大人」ではありません。

だからジローは、ミツ子さんと「一緒に生きていきたい」とまでは考えていないし、実際そこまでのことは口にしていません。彼が繰り返しているのは、ただ「会いたい」ということだけです。再会した後のことなんか考えていません。

ミツ子もそうです。咄嗟の行動でジローを庇いましたが、そうやって一生生きていくことができるか、そこまでには考えが及んでいないので、「あのときなんであんなことをしたのだろう...」と頭ではその行動の意味が理解できずにいます。

それがジローとトオル、そしてミツ子とミユキの決定的な違いです。彼らはまだ理性的ではなく、衝動的です。そしてそれを私たちは「若さ」とか「青さ」と呼んでいます。

「愛し合う」ということと「共に生きる」ということは同義ではありません。その意味を、そのことの重さを、2人はまだ知りません。

 

トオルが死ぬ意味

そう考えると、最後にトオルが死んでしまう今回のお話のオチは、ジローとミツ子の未来をストレートに暗示したものと捉えられることになります。上で述べたような、「2人が再会できたかどうか」による分岐に関係なく、最後は誰かが必ず死ぬことになるという悲観的な未来です。

ただ、実際はもう少し事情は複雑かもしれません。トオルとジローを重ねて見ることができる点は確かにたくさんありますが、この2人の決定的な違いを押さえておく必要があります。

トオルは、人間の側から「ロボットの世界」に足を踏み入れた者でした。そのベクトルはジローのそれとは真逆です。

トオルは、人間のままダークと、ロボットと戦おうとした者でした。その意味ではジローを庇ったミツ子にも近い。トオルの死は、人間が人間のままでロボットと戦うことはできないという至極当然な事実を私たちに突きつけています。

ただ、最後までミユキと再会できず死んだトオルですが、それはミユキには「裏の世界」=「ロボットの世界」を見せずに済んだことを意味しています。ミユキが全く知らぬところで、しかしミユキのすぐそばで=同じ街にいながら「違う世界を生きる者」として、トオルはミユキを守ることができたのです。もちろん悲劇的ではあるけれど、めちゃくちゃかっこよくないですか?

とは言え、トオルに近づきたいと願っていたミユキの元に「ロボットの世界」と「人間の世界」の境界を彷徨うジローが現れたのは実に運命的。

ヒーロー番組には、トオルほどまでは行かずとも、こういう「ハンパモノ」はちょこちょこ出てきますよね。「人間の世界」と「バケモノの世界」の境界を彷徨うハンパモノです。

真っ先に浮かぶのは、ライダーマンです。右腕のみを改造されたフィジカル面での半端さもそうですが、当初の戦うモチベーションの違いから、同じデストロンを敵に回しながらV3とも衝突していた彼の存在は非常に複雑です。

「仮面ライダーアマゾン」に登場するモグラ獣人も、「バケモノ」でありながら人間に味方するハンパモノです。「仮面ライダーストロンガー」に登場するタックルもその意味ではハンパモノでしたね。(あくまで当時の捉え方においては)女性である、ということそれ自体が境界を彷徨うハンパモノでした。

そして悲しいかな、そういうハンパモノはトオル同様みんな最後には死にます(笑)

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私たちの日常は、そういう「自分たちの世界」と「よそ者の世界」を明確に区分することで安定しているわけです。しかし世界をまたごうとする者が現れると途端に日常は崩壊してしまいます。だから私たちは、そんな半端者は絶対に許さない。徹底的に攻撃し排除しようとします。そうしないと、自分たちの平穏な日常が守れないからです。

それをトオルはわかっていました。だから誰にも迷惑をかけずひっそりと死ぬしかなかった。そんな彼の姿にこそ、私は究極の男の色気を感じてしまいます。

まぁその辺りをどんどんマイルドにしていけば、「少年仮面ライダー隊」よろしく、異形の存在を人間の世界の住人として認めた上で支援する人間の組織が誕生したりするわけですが、「少年キカイダー隊」なんて絶対作られないだろうな(笑)

キカイダーは(ジローは)、「ハンパモノ」として、人間とも機械ともつかぬ曖昧な死線を彷徨い続けるのか、それともどちらかに振り切る決断をするのか。続きを見守りたいと思います。

(了)

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第3話「ストレイ・シープ」/ 第4話「鏡」感想と考察〜迫害の美学〜

ストレイ・シープ

ミツ子に「狂った機械」、「ただの機械」と言われ、帰る場所を、居場所を失ったジローは更に辛い言葉を浴びせられることになります。

世界が広がるたびに悪口がアップデートされていくジローが哀れだぜ。

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ロボットが帰る家

時計台のそばの女の子がしきりにお母さんに色々聞くシーンって、昔はくどいなと思ってたんですけど、今見ると「そうそう子どもって本当にこんな感じだわ」って思うし、それはまだ精神的に幼いジローと重なるんですよね。

ジローにも知りたいことやわからないことがまだまだいっぱいなので、丁寧に娘の疑問に答えてくれるこのモブママの説明は、ジローの認識をアップデートさせてくれるのでした。

「お人形は機械でできてるから、機械のおうちに帰るのよ」

人間には人間の、機械には機械の家がある。しかしそのどちらでもないジローに、帰る場所はないのです。キカイダーの「キカイ」って機械だけでなく、「奇怪」も含んだダブルミーニングに思えてきましたね。奇怪な機械、それがキカイダー。

また、ジローが彷徨い歩く街の背景に登場するスクラップ置き場は暗示的ですよね。便利な機械も用が済んだらスクラップ=鉄屑として捨てられます。人間の世界を離れた機械の行く先はスクラップです。人間に求められない機械など、意味がないから。

 

今週のギルさん

なんかアシストAIと喋ってた?...え、トニースタークですか?

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ギルさんの笛で毎度毎度キカイダーは苦しんでるわけですが、ギルさん自身はまだキカイダーがこの笛の音に苦しんでいるという事実を把握してないっぽいことは重要かな。あくまでも自分の配下のロボットに命令を下す瞬間にたまたま居合わせたジローが苦しんでいるってだけなんですね。

 

ミツ子さんの苦悩

第3話の冒頭、暗躍する新たなダークの刺客・カーマインスパイダーによって発生する爆発事故。そのニュースを見たミツ子さんはジローが関わっていないかと心配するわけですが、ここでの「心配」って、ジローが巻き込まれていないか?もそうだけどジローが犯人ではないか?も含まれてるであろうことが実に切ないですね。まぁ前回ギルの笛のせいとはいえ首を絞められ殺されかけたわけですし当然です。ジローは「狂った機械」ですからね。

でもそんなミツ子さん、寝起きのマサルに

「どうしたの?朝から変な顔して」

と言われます。朝っぱらから変な顔とか言われたらさすがに怒っていいと思うぞミツ子さん。

とは言え、実際にジローが見つかったらちゃんと傘を2本持って行くミツ子さん。ジローを人として思いやり心配していることが表れていますよね。

猿飛悦子との会話で明かされたように、父の光明寺博士がロボットの研究に没頭し続けていたせいで子供の頃に孤独な思いをしたことから、いつしかロボットを憎むようになっていたようです。それが、初対面の頃のジローへの当たりのキツさに出ていたわけですね。ただ、その憎しみは寂しさの裏返しです。

ジローはロボットでありながらミツ子さんの寂しさを埋めてくれる存在になり得るかもしれない。そんな淡い期待が彼女の中には朧げながらあって、それを服部探偵の一言でハッと気付かされるわけです。

「一番ジローくんを人間のように感じてるのは、実はあなたなんじゃないかな」

複雑ではあるんですが、ミツ子にとってジローは幼少期に失った父親の影を重ねる面もあるんだろうなと思います(実父は存命ですがいないも同然)。それに、たった1人でマサルを育てなければならなかったが故に、誰にも頼ることができない人生を送り続けてきたミツ子さんがようやく頼ることのできる「男性」であるというのは見逃せない点です。やはりミツ子さんはジローを求めている。そして当然ジローも、いつも心の中でミツ子さんのことばかり考えています。やっぱりこの二人、相思相愛ですよ。

 

バケモノ

鏡

前回の悪口「狂った機械」→今回「バケモノ」🆕❗️

これですよこれ、私が見たかったのは。ヒーロー番組として制作されたはずの子供番組の主人公が、実際には世間から冷たい目で見られ徹底的に迫害される、排除されてしまうという悲しい現実。こういう世間の残酷さをきっちり描いてくれる作品が私は好みなんでしょうな。

ヒーローだって、悪と対等に渡り合うためには限りなく「悪と近い存在」になるしかないんです。身近な例で言えば、スピード違反を取り締まるために警察もスピード違反しないといけないですよね。

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それと同じで、ダークのロボットたちと戦うためには、ダークのロボットと同じ能力を持った存在になるしかない。法の外、常識の外、人間の外側の存在と渡り合うには、自身もまた外にハミ出た存在になるしかない。そんな「外の存在」が「世間」という「内側の世界」に足を踏み入れようとしたらどんな目に遭うか。そのことを徹底的に描いてくれているのが本作です。第1話で飛行機を木に引っかけた兄弟や、路上のギター青年、警察官、浮浪者、そして猫を抱く女の子...。

仮面ライダーも全く同じです。彼らがもう普通の人間として生きていけないことはやはり萬画版や特撮版の一部エピソードで描写されてきた事実です。

それでも彼らは人間を助けるんです。人間たちに疎まれ、迫害されたとしても、その悲哀を隠して戦い続ける。その背中にこそ色気を感じてしまうのですよ。これこそが石ノ森ヒーローの魅力なんです。

「醜い姿になったものだ。これならお前に兄弟と言われても認めざるを得ない」

自らシールドを破壊して自分の蟻酸で自壊したオレンジアントのセリフです。ボロボロになって右半身の内部構造が露出した姿は確かにキカイダーに似ていました。

キカイダーのデザインモチーフはやっぱり人体模型だそうで、そりゃあ人体模型みたいな人型がうろうろしてたら怖いわな。ただ、石ノ森氏自身がこのキカイダーのデザインに関しては「最高傑作かも」と言うほど気に入っていたらしいですね。

確かに一度見たら絶対に忘れられない強烈なインパクトを持っています。絵に描こうと思ったら結構サーっと描けちゃうだろうし。この「インパクト」こそ、石ノ森ワールドに欠かせない要素であり、キカイダーが今も愛されている要因の一つなのだろうと思います。

 

迫害の美学

石ノ森作品に見られるような「迫害されるヒーロー」は、昭和作品以外にも、自分の知る限り平成以降ちょこちょこ存在しています。

近年の作品でいえば、「仮面ライダーアギト」の仮面ライダーギルスは、その能力に覚醒した直後、多くの信頼していた人間に離れられた悲しい経験をしています。

「仮面ライダー555」の乾巧もまた、その正体を白日の元に晒した結果、和解に至るまで多くの衝突を繰り返しました。

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ジローが経験したそれに最も近そうだな、と思えるのが「仮面ライダー剣」第12話の相川始こと仮面ライダーカリスです。アンデッドから救った親子はおろか、親交を深めていた仁からも拒絶され、栗原家を飛び出したままの彼は再び孤独な存在となります。

「CASSHERN」でも、街を救ったはずのキャシャーンを「よそ者」として石を投げつける少年たちの姿が描かれました(アニメ版にもあった描写のオマージュです)。

近年でいえば「仮面ライダーBLACK SUN」は強烈なカイジン差別が描かれた作品です。まぁ、ここでいうヒーローだけが忌み嫌われるというのとは少し違っていますが...。

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海外作品に目を向けたとき、「ダークナイト」に登場したバットマンもまた「迫害されるヒーロー」の1人でした。特に、ラストシーンにてトゥーフェイスの殺人罪を全て被り警察に追われながら闇夜に消える彼の姿は「迫害されるヒーロー」の悲哀に満ちていて美しく、無意識に私は彼の背中に仮面ライダーの記憶を重ねていました。バットマンもまた「嫌われるヒーロー」であり、嫌われる美学をその身に宿した最高にかっこいいヒーローです。

ただ、そんな彼らにも理解者がいます。それが、子どもたちです。子どもたちは、彼らの見た目や出自や世間の評価に捉われず、自分たちが目にしたものだけを信じて生きている純真な生き物です。だからどんな時代も、子どもたちだけは「正しい人間」を見抜くことができる。

「ダークナイト」のラストでも、警察から逃げるバットマンを庇うようなセリフをゴードンの息子の少年だけが呟いているシーンが実に印象的でした。

続編の「ライジング」でも、犯罪者に身を堕としたと言われるバットマンの帰還を待ち望んでいたのはやはり子どもたちです。

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その観点からすれば、「ガメラ」もまた「迫害されるヒーロー」と言えます。怪獣ゆえその巨体を奮って戦えば当然街を破壊してしまうガメラですが、やはり昭和平成共に子どもたちだけは常にガメラの味方でした。

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なんかこういう、「大人は無理解、子どもたちだけは味方」っていうこの世の真理みたいな方程式が体に染み付いているような気がします。そしてそれは、子ども向けの番組を制作する人たちが大切にしている「矜持」のようなものに思えて、かっこいいなと思えるんですよね。

で、本作のジローに話を戻しますが、その点から言えば「子どもだけは味方」という定石をもぶっ壊して、直前まで仲良くしていた女の子に「キャ-オバケ」と叫ばせるこの作品は鬼畜ですよ笑

みんなから等しくバケモノ扱いされるジロー。ここまで徹底的に一般市民から嫌われる主人公、見たことないですね。でも、だからこそここでキカイダーのあの左右非対称な人体模型デザインの価値が最大限発揮されることになります。キカイダーが醜い姿だからこそ、ジローの葛藤がきちっと描けるんです。

さらに言えば、だからこそそんなジローの理解者=ミツ子さんの存在がより輝くのだと思います。ヒーローが活躍すればするほどヒロインの影が薄くなることってよくあるんですが(特に少年漫画やバトル漫画)、本作の場合は、ヒーローがいじめられればいじめられるほどヒロインが輝きますからね。

 

服部探偵事務所

今回から登場の服部探偵事務所のお二人。とりあえず声優が豪華すぎます。

ずっと言ってる通りこのアニメ暗すぎるので、このお二人だけがコメディリリーフになってます。本当、一服の清涼剤です。リアタイ当時からこの2人の存在にはかなり精神的に救われた記憶がありますよ。

いやそれにしても冒頭の「出涸らしコーヒー」はやばいでしょう笑

客に出すコーヒーもないほど貧乏というのはいかにも昭和ですが、ほぼこれ漫画家の実態ですよね、なんか石ノ森の投影のような気がしてきた笑

まぁでもこの2話見るだけでもわかる通り、2人とも人格者であるのは間違いないんですよ。でないとこんな危険な依頼、途中で逃げ出すよね。

 

兄弟

ミツ子さんはジローのことを「兄」として捜索を依頼していたようで、頑なに「帰らない」と言い張るジローを説得するために服部探偵は「兄妹愛」について語ります。

その直後、ジローと対峙することとなったカーマインスパイダーが、ジローを「兄弟」と呼ぶシーンはお見事、シナリオが完璧です。

ミツ子さんがジローに言う「壊れている」は、人間の側に引き寄せるための言葉ですが、カーマインスパイダーが言う「壊れている」は、ロボットの側に引き寄せる意味合いを含んでいます。

ただ結局どちらも「命令に従え」って言ってるだけなんですよね。命令の主体者が誰かだけの話で「人間の善意」に従順になるか、「ギルの破壊活動の命令」に従順になるかの極端な二択しかないなわけで、だからジローは拒絶し続けているんです。ジローは善か悪のどちらかに抵抗しているのではなくて、「服従させること」それ自体に抵抗しているんです。

しかしジロー辛いな...。兄弟というものは愛し合うものだと教わった後に、兄弟を名乗るものから殺されそうになるわけです。

誰か一人でもいいから、今のままのジローでいいんだよって言ってやってくれ笑

ちなみに、今回登場したカーマインスパイダーとオレンジアントの2体は、前回までに登場したロボットたちとは違って人語を操ります。オレンジアントに至っては人間にも擬態していました。

だんだん性能を上げてジローに、キカイダーに近づいていっているように見えるのがまた不気味ですよね。

 

さぁ、再び街に消えたジローはミツ子さんの元に帰ってきてくれるのでしょうか?!

(了)

 

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