ADAMOMANのこだわりブログ

特撮ヒーロー、アメコミヒーローを中心にこだわりを語るストライクゾーンの狭すぎるブログ

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明日夢のパネルシアター「金のおのと銀のおの」に見る「響鬼」のテーマ

仮面ライダー響鬼の終盤、正式にヒビキに弟子入りした明日夢は、重病のせいで先が長くない少女直美と出逢います。彼女の薦めでパネルシアターを始める明日夢でしたが、鬼の道とはまた別の道を模索し始めた明日夢を「自分の生きる道を決められないやつに何の人助けができるんだ」と突き放すヒビキ。

この世の全てが滅びる「オロチ」現象を鎮めるため、清めの儀式に向かうヒビキと、彼の後を追う京介。その頃明日夢は、パネルシアターで「金のおのと銀のおの」を読み聞かせしていました。この決戦の日以来、明日夢はヒビキと一時決別。明日夢は直美のような病に苦しむ人々の役に立つため医者を目指して勉学に励むようになります。

で、明日夢のパネルシアターの題材が、「金のおのと銀のおの」だったことに、非常に重要な作品テーマが隠されていると思ったのでちょっとまとめてみます。

 

 

ヒビキさんという金の斧

仮面ライダー響鬼

明日夢母が変身前の鬼に出会う度に「別れた旦那によく似てる」と言うのが定番みたいな感じになってましたが(記憶している限りヒビキさんとイブキさん)、これは明日夢の父=鬼とよく似た頼れる理想的な男性であり、ヒビキさんが「明日夢の父の相似形」として描写されていたのだと思います。

しかし、明日夢はヒビキに弟子入りまでしたものの最終的に鬼にはなりませんでした。仮に前半の髙寺Pがそのまま続投していても同じ終わり方になっていたかどうかはわかりませんが、後半では明日夢にとってのヒビキを「金の斧」に例えていたように思えます。

たまたま偶然出会してしまった、眩しいほどにキラキラしているかっこいい大人。それは明日夢にとっての「金の斧」でした。

 

金の斧に囲まれた現代社会

若者にとっては、「何をしたらいいかわからない」という漠然とした将来の不安に苛まれがちなのが最近の世の中。それは、私たちが皆、「金の斧を見せつける泉」に囲まれて生きているからです。

木こりが手持ちの斧を泉に落としてしまったように、私たちは物質的・精神的いずれかの理由で何かが欠落した状態で今を生きています。

というか、そもそも金の斧の存在を知らなければ、自分が欠落した状態であるという事実にさえ気づかなかったのかもしれません。欲深な木こりだってそうです。金の斧を出してくれる泉の存在がなければ、欲深な本性を表すこともなかったはずです。

SNS、YouTube...資本主義社会と融合したIT社会の中で私たちは毎日「金の斧」を見せつけられ、自分たちがまだ満たされていない存在であるという事実を突きつけられ続けています。

YouTuberという職業が小学生の将来の夢ランキングで常連になったのも最近の話ですが、簡単に言えば「楽しく遊びながら大金持ちになれるチャンスが目の前にある」と錯覚させられているんです。※当然そんな職業は存在しません。

そんな中にあって、本来であれば関わることのなかったはずの「鬼に姿を変えて悪と戦うヒーロー・仮面ライダーと交わってしまった普通の少年」が明日夢でした。

童話版の「金のおのと銀のおの」では、泉に鉄の斧を落とした木こりは正直に答えたことを評価されて金・銀・鉄、三本の斧を手にします。しかしその話を聞いた欲深な木こりは嘘をついたため一本も斧を得られずに終わります。

では、明日夢は「正直な木こり」だったのでしょうか?それとも「欲深な木こり」だったのでしょうか?

 

ぼくたちはヒーローにはなれない

寓話のように、正直に生きれば「金の斧」が手に入るのか?現実はそういうものでもありません。ハッキリ言えば、「金の斧」が手に入るのはほんの一握りの一部の人間だけです(ごく一部だが存在はしていることを京介が証明しています)

ほとんどの人は、自分の身の丈にあった「鉄の斧」で一生を終えますよね。

だから明日夢が鬼(仮面ライダー)にならずに普通の人間としての人生を選んだことに、ものすごく共感できるんです。本作のテーマを覚えているでしょうか?

「ぼくたちには、ヒーローがいる」

ですが、最終回までのオチを知った今、このテーマは

「ぼくたちには、ヒーローがいる(でもヒーローにはなれない)」

という風に再解釈することができます。これは、ものすごく冷めた言葉に見えるかもしれませんが、とんでもなくリアルな、というか現代社会のリアルそのものだと思うんです。仮面ライダーと知り合いになれたからって、(大多数の)「ぼくたち」は仮面ライダーにはなれないし、華々しいYouTuberの活躍を毎日目にしていても、仮にアカウントを作ってすぐに自分もYouTuberを名乗れるとしても、(大多数の)「ぼくたち」はトップを走る有名YouTuberにはなれないんですよね。

これって、よくよく考えると本当に残酷な事実でして、今って全国民の目の前には毎日毎日「手に入れられる保証のない金の斧」が見せつけられているんです。この、「叶えられない夢を押し売りする社会」の中に、ヒーローであるはずの「仮面ライダー」をも「金の斧(叶えられない夢)」として包含しちゃう見方があまりにも皮肉が過ぎるというか、白い倉の人らしいやり方だなぁ...と(笑)

でもそれも、「響鬼」=「明日夢が主人公の物語」であることを死守しようとした結果だと考えれば、実にロジカルだし納得のいく展開なんですよね。やっぱり後半響鬼って前半の響鬼の一番大事な部分を見事に残しているなと思います。

 

銀の斧を目指す勇気

とはいえ、明日夢は「鉄の斧」に甘んじるわけでもなく、背伸びして「金の斧」を選ぶわけでもなく、自分の志に正直に、「銀の斧」=医者の道を選んだわけです。これが多分、現代社会を生きる私たちにとっての最適解なんだと思います。ほとんどの社会人は、子供の頃最初に憧れた職業にはなれず、大人になった今は全く違う仕事をしていると思います。

私もそうです。最初はずっと、漫画家に憧れていました。それが途中で小説家にちょっと憧れて、かと思えばスーツアクターに憧れた時期もありました(苦笑)。でも、全部本気でした。そして今就いている職業は、子供の頃に憧れていた「金の斧」ではないかもしれないけれど、今の自分にとってはこれ以上ない天職だと思っています。

ただ、なまじ「金の斧」を知っちゃってるから、多くの人にとっては「金の斧」を手に入れられなかった時点で「負け組」って思っちゃう。これはとてつもない錯覚なんだけど、これがものすごく人々の意欲を削いでいるというか、多くの人を苦しめている元凶のような気がしちゃいますね。

だから、もし子供だった頃の自分が今の自分を見たら、「金の斧」を手にしていないことにがっかりするかもしれません。ですが、「金の斧」ほどピカピカしていないかもしれないけれど、これが今の自分にとって最高の「銀の斧」なんです。

明日夢が選んだ医者の道も、一時憧れた「金の斧」ではないかもしれないけれど、自分で納得して目指して歩んで掴み取った「銀の斧」なんです。そんな明日夢の姿を見せてくれた響鬼の最終回は、なんだかんだめっちゃ良かったんですよ。だから、本当だったら打ち切られてしまっていたかもしれない「響鬼」という作品をこういう形でちゃんと締め括った後半スタッフは、やっぱり凄いですね。

なんというか、「聖なる泉を保ったまま究極の力を持つもの」にでもならないとこんなことできんよな...。

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その後の「安達明日夢」

リアルアクションヒーローズ RAH-545 仮面ライダーガタック ライダーフォーム(メディコム・トイ プレミアムクラブ限定)

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「俺は俺にしかなれない。でも、これが俺なんだ」

仮面ライダーガタックに初変身した際の加賀美新のセリフです。実はこれ、平成ライダーで多分3本の指に入りそうなくらい大好きなセリフでして。ありのままの自分を受け入れてそれを昇華させていく加賀美らしさに満ちています。

完璧超人である天道との対比ではありますが、失敗を繰り返しながら天道と肩を並べるまでに成長した加賀美の泥臭さからは、「響鬼」で本来描かれてもおかしくなかった「もう一つの安達明日夢の姿」が感じられるような気がします。明日夢はヒビキさんにはなれない。明日夢は明日夢らしく突き進めば良かったんです。というか明日夢がこの境地にすぐに至ることができれば、「響鬼」という番組は一瞬で終わっていたかもしれない。

そしてさらに翌年の「電王」ではまさに「昔話」が前面に出た作品世界が描かれていました。それと同時に、「歴代最弱の主人公」とも呼ばれた良太郎が「自分にできることを」精一杯頑張る姿が描かれました。これも、「数多の『鬼の力』を強靭な精神力で制御し使役する安達明日夢」と解釈することもできます。

そもそも、鬼=怪物がアーマーを着込んでライダーになるという響鬼の原案を転用したのが電王。

「響鬼」を、「途中で路線変更を余儀なくされた悲運の作品」とする見方は今もあるかもしれませんが、「響鬼」以降の作品の多くが結構「響鬼」のリメイクであるとする見方は可能だと思うんですよね。やっぱりそれくらい、「響鬼」が持っていた挑戦的な作風は強烈なインパクトを仮面ライダー史に残したんだと思います。

こうして放映から20年経った今も、というか大人になった今だからこそ、見返すとまた解釈が深まるから、だから仮面ライダーって面白いんですよね。

(了)

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第10話〜第12話(最終話)感想と考察:本当に見たかった「シン・仮面ライダー」

これまで第1話からずっと振り返ってきた「人造人間キカイダー THE ANIMATIION」もいよいよ最終章です。

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最終章たる第10話〜12話はあんまり分けて語れないなぁとも思ったので一気にまとめていきます!但し第11話の「例のシーン」だけは個別に扱っています。

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この内容も含めて考察を進めていきます。

 

ジローはなぜ去ったのか?

夢の末路

夢の末路

20年以上前、このアニメが最終回を迎えた後、私の頭に強烈に残ったのがエンディングのミツ子さんのワンピース姿でした。こんなに美しい最終回ってなかなかないと思います。本作はミツ子さんの美しい姿で終わるんです。ここ、めちゃくちゃ大事。全てのアニメ作品で一番好きな終わり方。

暗い影を背負った孤独な女性・ミツ子さんは、あんなに美しい女性に成長して幕を閉じるんです。キカイダーと言えば、「あの夏の日のミツ子さん」というイメージが鮮烈に残っています。

ただ、それと同時に、一人静かに消え去ったジローの背中も忘れられません。あの暗く寒々しい森の中へとジローは消えていくのです。

ミツ子の住む家には夏が来ました。ずーっと薄ら寒い雰囲気が漂っていた本作に初めて差し込んだ爽やかな陽光がミツ子さんのラストシーンには詰まっていて、「長い悪夢」が終わったような明るさに満ちています。

それに対してジローが歩く森には明るい陽光が差し込んでいません。彼はまだ、本作の「悪夢のような冬」から抜け出せずにいるんです。

さぁここに、考察すべき本作の「スキマ」が存在します。

第1話から摩擦を繰り返してきたジローとミツ子の関係は、第7話を過ぎる頃には恋仲として完成し第11話で頂点を迎えます。最終決戦を前にミツ子は「私、待ってる」と愛を込めて伝えましたが、ジローは帰りませんでした。

え...なんで?!

そのことを本作は一切説明しません。ですがちょっとした映像と演出から類推することはできるかもしれません。

そしてそんな本作のたどり着いた「末路」にはものすごく濃厚な石ノ森イズムが溢れていて、それはきっと私が本当に見たかった「シン・仮面ライダー」の一つの形なのだろうなとも思います。というわけで「シン・仮面ライダー」にも触れつつ語っていきたいと思います。

 

「夢みる機械」の捨てた夢

夢見る機械

第11話「夢みる機械」と第12話「夢の末路」には共通して「夢」という言葉が登場します。しかし、本編には「夢」の話とか一切登場しません。但し、制作のブログにはしっかりとそのことが記載されていました。

https://www.sonymusic.co.jp/Animation/Kikaider/inta/column/0115.html

...読んでもあんまり意味がわかりません(笑)

と思ったら、なんと次回予告ではジローの言葉でハッキリと「夢」について語られていました。最終回の予告を文字起こししてみます。

これは夢なのか?夢ではない。僕は目覚めてるのか?わからない。夢だとわかっていても、今この出来事は現実。目覚めることなどありはしない。僕は、この悪夢を生き続ける。

夢見る機械

本作は演出で魅せる作風が魅力ではあるものの、実は次回予告が最も雄弁に作品テーマを語っていることが多い。

んー、ここでは「夢」は「夢」でも、眠っている間に見る夢を指しているようですが、スタッフブログでは未来方向への意志や希望を意味するいわゆる「将来の夢」のことも語られていました。どうやら本作には両方の「夢」が描かれているようですね。

では、ジローが望んだ「夢」とはなんでしょう?それはおそらく、作中でも繰り返し語られてきた「人間になる」ということだと思います。それを彼が夢見ていたことは、第1話の彼の台詞から考えれば違和感のないものですし、本作が童話「ピノキオ」を下敷きにしているなら増して疑いようのない事実だと思います。

ただ、本作が実に素晴らしいのは、ジローは「人間になりたい」という夢を抱きながら、その夢を自ら捨て去って終わる、というところです。

あぁ〜暗いな〜好きだなぁ〜笑

ではなぜジローは人間として生きていくという夢を捨ててしまったのでしょう?

 

現実は悪夢

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夢の末路

ジローが夢を捨てざるを得なかった要因のひとつとして、ミツ子さんと愛し合ったことで改めて「自分は人間と子どもを作ることはできない=幸せな家庭を築くことはできないという現実を知覚した」可能性について前回の記事で触れました。

ただ、ジローはミツ子さんを抱くまでもなくそのことを十分に理解していたと思います。初夜の直前、星空の下でジローは

「でも僕は機械だ。人間のようにはなれない」

と悲しい自嘲の台詞をごく自然に吐いています。この時点でジローはすでに人間になるという夢を諦め始めていたことがわかります。

やはり本作を理解する上で重要なのは「現実は悪夢である」という考え方です。

そしてジローを苦しめる「悪夢」の正体を一言で言い表すならそれは「ジローはダークの兄弟ロボットたちと戦い続けなければならない」という現実です。

その何よりの証拠が、最終話で大量のロボット軍団をたったひとりで全滅させたキカイダーの手のひらについた血です。

「僕の手はもう何人もの兄弟の命を奪った、血塗られた手なのだから」

当然相手はロボットなわけですから血なんか流れるわけがありません。だからこれはジローが見た幻覚(もしくは演出)なんですけど、これはジローが「命」を理解した(第9話〜)、すなわち「殺し」を自覚したことを意味しています。

ジローは、命を奪う感覚をその手に痛いほど感じる人間の心を持っています。ですが同時に、自分は望まれてこの機械の体に生まれたことも自覚している。

この兄弟殺しの苦しみを一身に背負いながら戦い続ける以外に自分の生きる道はないことを、彼は深く深く知ったのだと思います。

だから、ミツ子さんとは決別した。彼女はそんな悪夢とは無関係だからです。

んー、めっちゃ石ノ森節だし仮面ライダーぽいね〜いいね〜!

人間になりたいという「夢は美しく」、しかし人間の心を持ったが故に、「現実は悪夢」なのです。

 

ハカイダーと悪夢

破壊魔

破壊魔

「お前は兄弟であるロボットを破壊するために作られ、それを実行した!」

ジローに「お前は兄弟を殺すために生まれてきたロボットだ」と教えた(というか突きつけた)のはハカイダーことサブローです。彼のセリフを引用します。

「俺はアイツの「良心の枷」とやらを取り外してやろうと思ってる。あいつは自分でも抑えきれぬほどの怒りに身を任せたとき、必ず最大限の力を発揮するはずだ」

よくよく聞くとサブローは自分の行動の意図を語りながら、最終回に向けてのフラグを立てまくってくれていました。

そうしてサブローはジローの良心回路を外部から徹底的にいたぶりまくりました。そんな外部からの刺激に対して良心回路がどう影響を受けるか?についてはミツ子の回想の中で光明寺博士が以下のように語っていました。

「単純な遺伝的プログラムの応用じゃない。暴走の危険性を回避するための特殊な枷をつけるのだ。人間の良心のような、それ自体も進化し、成長する枷を」

「成長って、外部の影響を受けながら?」

「そう。その影響を受ける許容範囲をどこまで広げるか。広げすぎると感情が必要以上に発達する。感情が歪に成長すると、その枷が解かれてしまう可能性もある。そのバランスが問題なのだ」

このセリフ自体が終盤に向けた見事な「フリ」だったわけです。

第10話「破壊魔」はそれ自体が伏線回だったとみることもできます。このエピソードで破壊行為を強要されたジローは「絶望」を学び、いびつに「成長」してしまう。タイトルの「破壊魔」はハカイダーではなくキカイダーを指しているであろうところが本作らしいひねりのきいた面白いところ。

そして見事「枷」が解かれてしまったのが、最終決戦の「赤い目のキカイダー」です。ただ同時にミツ子さんによって育まれた優しい感情もそこには存在しています。

ジローは、大切な人を愛する優しい心を持ちながら怒りに任せて兄弟を惨殺できる凶暴さをも兼ね備えた、まさに究極のアシンメトリー(不均衡)になったわけですね。

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クウガみたい。

サブローが確信犯的にジローを追い詰めることができたのも、おそらく頭部に繋いだ光明寺博士の脳から得た知識によるものだと思います。ギルもそのことに勘付いていたようですね。ただ、逆にサブローの意識がだんだん光明寺に乗っ取られていった結果第11話の終盤に繋がったのでしょう。

サブローは、ジローを「ロボットの世界」に引き込む存在です。それに対してミツ子さんはジローを「人間の世界」に引き込む役割を担っていました。

やはりハカイダーはキカイダーの「対」ではありません。ハカイダーはミツ子と対になっています。キカイダーの「対」はプロフェッサー・ギルです。

ミツ子さんを抱いた夜、眠る彼女を置いてジローはハカイダーとの決戦に向かいました。ジローはミツ子を、人間として生きる道を捨て、ハカイダーとの決着を、ロボットとしての生き方を選んでいたのです。

朝もやの中、ミツ子さんとの別れを決心したその表情と、サイドマシーンで走り去るジローの姿が、すでに最終回を暗示していました。

 

アニメーターの生き地獄

萬画版も購入して全巻読んだんですが、よくあの萬画版をここまで渋くまとめ上げたなぁと本当に心から感心します(笑)まさしく本作は、今風に言うところの「シン・キカイダー」でした。

人間の心を持ちながらも、悪と戦う無敵の肉体を持ってしまったが故に人間として生きていくことは叶わず、愛した女性との未来を諦め、一人孤独に生きていくしかない男の悲運。

それはまさに私が「仮面ライダー」に求めているものとも見事合致していました。

そりゃちょっと厨二病だよなとは思いますよ。でもそういう厨二病的ナルシシズムの結晶みたいなものこそ石ノ森イズムであり仮面ライダーでありキカイダーだと思うんです。そしてそう思うようになったのは、もしかしたら多感な時期に見てしまったこのアニメのせいかもしれないんですよね(笑)

ところで、さっきも紹介したスタッフブログについてもう一つ思うことがありまして...

https://www.sonymusic.co.jp/Animation/Kikaider/inta/column/0115.html

ちょっとした邪推が許されるなら、本作の制作スタッフの「産みの苦しみ」そのものが「ジローの生き地獄」と重ねられてるんじゃないかな?って気がするんです。

本人も書いてる通り、アニメ制作って夢の詰まった仕事なんですけど、実際の仕事そのものは悪夢のような地獄の連続で、しかしその業界にいる彼らはそんな仕事をやめられない=悪夢からは一生抜け出せない。まさに「夢は美しく、しかし現実は悪夢」なんです。

これはアニメーターに限らず、全ての職業において言えることだと思います。

ダークのロボットと戦うために生まれたジローは一生戦闘マシンとして生きていくしかないように、アニメーターの夢を叶えた人間は、しかし一生アニメーターとして生きていくしかない。華々しい夢を叶えた者は悪夢にうなされ続けて生きていくしかない。まさしく、夢とは呪いなのです。

「555」のあの回を思い出しますよね。

そう考えてスタッフブログを読み返すと結構しっくりきます。ちょっとした文章の端々からも納期ギリギリだったり制作体制が崩壊寸前だったことは容易に読み取れますから(笑)

事実、スタッフが一部入れ替わっているとは言え続編として制作された「キカイダー01 THE ANIMATION」は作画崩壊しまくってましたからね。作画崩壊なんて言葉知らなかった当時の自分でも、この絵大丈夫か?と思いながら見てましたから(笑)

(了)

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S.I.C.の思い出〜VOL.9 仮面ライダーV3〜

覚えているかい?集めてたかい?アラサーアラフォーのみんな!

 

S.I.C.とは?衝撃的な出会い

まぁこの記事を見ている方はS.I.C.のことはよくご存知だとは思うので今更言うまでもないことですが、各商品にもそのコンセプトと由来が記載されているように

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ということで、本来の映像作品(または漫画作品)のキャラクターを新解釈でアレンジしたフィギュアシリーズを指します。かなり売れたシリーズだとは思うんですが、2020年12月に限定販売された「仮面ライダーフォーゼ ロケットステイツ」以降、2024年現在まで新作のリリースが途絶えており、ほぼ終了しているものと思われます。

tamashiiweb.com

その歴史についてはwikiが詳しいのでそちらをご参照いただきつつ、

S.I.C. - Wikipedia

私個人の思い出と共に少し振り返ってみようと思います。

それを初めて目にしたのは、某ショッピングセンターの玩具売り場。あの仮面ライダーが、そしてV3が、見たこともないとてつもない異形アレンジで視界に飛び込んできたのです...!もうこのときの衝撃ったら忘れられません。

小6か中1くらいだった当時の私は、PS版「仮面ライダー」の格闘ゲーム(伝説の傑作)にハマり、幼少期に見ていた初代仮面ライダーの再放送の思い出を再確認する「ひとりリバイバルブーム」真っ只中。

さらにそこへ「仮面ライダークウガ」放送開始と「仮面ライダーSPIRITS」の連載開始...と毎日脳内「仮面ライダー一色」状態の中、確かこのS.I.C.のフィギュアに出会ったのだと思います。

仮面ライダー

仮面ライダー

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その開発経緯も何も知らなかった私でも、S.I.C.がちょっと「スポーンっぽい」ことはすぐにわかりました。「スポーン」が映画やフィギュアを中心に海外発ですごいブームになっていたことは見聞きして知っていましたからすぐに脳内で結びついたのだと思います。ただ、私個人としてはスポーンに対して特段魅力を感じていなかったのでフィギュアを買ったことはなかったです。それでもよく玩具売り場では目にしてその独特のテイストを熟知していましたから、S.I.C.の中によく似た空気感を見出すことは容易でした。

それは多分、子供を相手にしていないことが一目でわかる「グロさ」とか「不気味さ」とか「怖さ」とか「暗さ」とかそういった「大人向けの空気感」だと思います。

そしてそれらはいずれも、石ノ森ワールドの住人たる仮面ライダーとの相性が抜群に良かったのだと思います。いやー、痺れましたね!

スポーンのフィギュアが高値で取引されているというニュースが話題になり始めた90年代後半。この頃から、「フィギュアは大切に置いておけばいつか高く売れるかもしれない」という考え方が浸透し始めた記憶があります。あの「ダイ・ハード4.0」にもある登場人物の大切なスポーンフィギュアをジョンマクレーンが壊すシーンがあります。

 

見たことないディテール

店頭にはvol.1の「キカイダー」の他に「仮面ライダー」、「仮面ライダーV3」が並んでいました。正直どれも欲しかったんですがお年玉をやりくりしていた当時の自分には買えるのはせいぜい一つが限度。パッケージと何度も睨めっこして悩みました。。。

箱裏の写真にはテンション上がりましたね!何よりまず最初に目を引いたのがコンバーターラングと人工骨の取り外しです。この「グロさ」に惹かれました。グロいんだけど見てみたいんですこういうの。改造人間の内部構造が覗けるフィギュアなんて過去ありましたか?!

けどこういう内部構造の大解剖って幼少期慣れ親しんだ雑誌の特集でよく見てきたやつですよね。そんなあの日の思い出も蘇る、面白いギミックだと思います。

そしてマスクの中の顔が見えるところ、これが私にとっては初期S.I.C.の最強のプレイバリューでした。仮面の下の変身者の顔が見えるなんて、あぁなんてロマン溢れる玩具でしょう✨✨見てみたいんです、戦ってるときの本郷猛や一文字隼人や風見志郎の御尊顔が!

繰り返しますけど、こういう内部構造が作り込まれたフィギュアってのにたまらなく惹かれますよね。

同様の理由で、変身シークエンスが再現できる装着変身にも夢中になりました。

あとは台座です。それぞれのキャラクターに馴染みのある宿敵があしらわれた台座もまた実に魅力的なアイテムでした。正直、どれだけ精巧なフィギュアがあってもその世界観を表現した背景やジオラマまであれば言うことなし。ただ、そんなもの用意できる訳ないんですが、足元の台座だけでもあるとグッと世界観が広がりますよね。

宿敵の屍体、というのがまた良い。テレビ作品ではただ平地の火薬爆破シーンだけで片付けられた彼らの「死」を直視させられるその体験は、幼少期に慣れ親しんだ子供番組を「今を生きる大人」向けに再解釈したものでした。

 

換装というプレイバリュー

S.I.C.といえばやっぱり「換装」です。このV3では帰ってきたV3というキカイダーのようにボディが半透明になったver.が再現できます。

ただ、こうなるとなんとマスクの下の人間の顔がなくなっています。これにはどうやら意味があるようで...。

加えて両手共握り拳に換装することができます。後のシリーズを知っている身からすれば、手首だけでなく肘から下を丸ごと差し替えられる仕様なのが実にありがたい(笑)

武装もたっぷり。V3ホッパーも全部で3本ついてきます。

そしてライダーマンのロープアームがついたショットガン。これがまためちゃくちゃ意味深で痺れましたね。なんでV3がライダーマンのロープアームを持ってるの?!ライダーマンはどこに行ったの?!とかめちゃくちゃいろんなことが気になっちゃう訳ですよ。

それで箱をよく見ると小説の一部を読むことができます。

箱がボロくてすみません。買ったときから上曲がってたんです。

「脳以外は全て機械に換えてしまった」というセリフが凄まじい。荒廃した世界の中でV3とキカイダー00が邂逅する物語とその世界観にまた痺れます。

換装機能は後のほとんどのS.I.C.に継承されたシステムですが、やっぱり自分はこの初期の非可動タイプの方が好みですね。関節がない分スタイルが美しく立ち姿が綺麗にまとまっています。

「キカイダー00」で描かれているような、荒廃した世界を生きる哀愁漂うそのキャラクター性がフィギュアとしての「立ち姿」だけで見事に表現されていると私は思います。

そしてそれが、私のイメージする「仮面ライダーの本質」と見事オーバーラップしました。だから、S.I.C.に惹かれたんです。

 

S.I.C.の栄光と凋落

その後、数々のヒット商品を生み出し、中には超プレミアム価格がついている商品もある本シリーズですが、現在では新作のリリースも止まっており、実質の「生産終了」と言えると思います。

その要因は様々ですが、あくまで私個人の考えとしては「可動化」こそがS.I.C.最大の過ちだったのではないかと思っています。

そのきっかけとなったのが、バイクの商品化です。

サイドマシーンの造形は凄まじく、現代の目で見ても「神商品」な訳ですが、バイクがあればもちろんヒーローをまたがらせない訳にはいきません。となると、固定フィギュアではディスプレイの幅がグッと狭まってしまいます。そこでS.I.C.はここから可動フィギュア化の道を突き進み始めます。ただ、バイクに搭乗できる可動フィギュアにはかなりの可動範囲が求められます。とはいえ技術が未成熟だった初期の商品ではいずれも「ギリギリ乗れる」程度の可動範囲しか確保できなかったようです。

また、大型のバイクとのセット商品は高額になりやすくディスプレイ時の場所も大きく取られるため、バイク抜きで可動フィギュアとなったS.I.C.が連続してリリースされていくことになります。

そんな中でも継承され続けたのが換装システムです。何度遊んだかわからない超傑作アイテム「Vol.13 仮面ライダークウガ」ではなんとライジングマイティがアルティメットフォームとグローイングフォームに換装することができました。換装パーツはいずれも軟質で付け替えもしやすかった印象があります。

ただ、この換装システムにもだんだん無理が出始めてきます。「Vol.23 仮面ライダー龍騎」では、通常の龍騎から龍騎サバイブへの換装が再現できましたが、そもそもアンダースーツの色が全く異なるこの二者の換装は正直微妙でした。

そして私のS.I.C.愛が尽きるきっかけとなった商品が「Vol.28 仮面ライダーファイズ」でした。なんとこの商品では、ファイズがウルフオルフェノクに換装できました!...けどこの二者ってそもそもパワードスーツ装着のヒーローと怪人という、(同一人物だとしても)あまりにもかけ離れた存在です。

20分くらいかけてファイズのパーツを全部外したとき、ふと気づきました。頭と手足をもがれたボールジョイントの露出したただの黒い胴体パーツを見て、

「いや、換装とかじゃなくて、二体セットにしてよ面倒くさい」

ウルフオルフェノクが完成して、しばらく眺めたらまたファイズに戻すんですけど、パーツが固い。ウルフの背中の金属の棘とか痛くて抜けない。何より、手首が固い。

そんな意味不明な換装システム入れるくらいなら、ファイズマスクの下にオルフェノクの影が浮かんでる変身者の生身の顔でも造形してくれてる方が何倍も嬉しかったかな。

後続の威吹鬼と斬鬼のセットなんかも造形がめちゃくちゃかっこよかったのと細かいDAとかの付属品に惹かれて買ったのに、手首が硬すぎて換えられない。あと、斬鬼の腕の関節が突然折れました。そういうことが続いて、もう買わなくなりましたかね。

あとは、これが致命的だったと思うんですけど、「イマジネイティブ」をあまり感じられなくなっていきました。平成ライダーってそもそも最初っからスタイリッシュなデザインになってることが多いんで、あんまりアレンジの余地がないんですよね。あれを弄ろうとしても、あんまり初期の頃のようなインパクトは出せなかったと思います。

それから、これも完全に個人的な好みですけど、竹谷さん監修が一番好き。今も手元にあるV3がやっぱりかっこいいのは、プレイバリューとかもそうですけどやっぱり造形がかっこいいからなんです。蛇腹顔のタレ目マスクをよくぞここまでかっこよくできるなと本当感心します。

「スーパー・イマジネイティブ」で魅力を再発掘するためには、元がちょっとダサくないと面白くない。

あと、可動フィギュアとの相性が悪いからでしょう、「超合金」要素もどんどん薄まっていきましたよね。結果、ただ元のデザインをちょっとぐちゃぐちゃにしただけの可動フィギュアシリーズになったと私は思っています。

もちろん実際には他のいろいろな要因があるんだと思います。何より、フィギュアーツが売れていくのとS.I.C.が売れなくなっていった時期は重なっていますからね。同じ「可動フィギュア」というジャンルではS.I.C.はフィギュアーツには絶対に勝てません。リアルな造型と集めやすいサイズ感に豊富なラインナップ。

S.I.C.は「可動化」したときから負けが決まっていたんだと思います。そして可動化のきっかけって何だったのかな?って歴史を遡っていくとキカイダー&サイドマシーンに辿り着くわけです。バイクに手を出したことがきっかけだったんじゃないかな?と。

ただ、初期の商品群には当初の志というか尖った要素がそのまま残っていて本当かっこいいなと思います。そんなに高くなってないものも多いので、買えるならまた買って集めようかな...。

(了)

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キカイダーTHE ANIMATION短評〜ロボットと人間のS◯Xは成立するのか?〜

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夢見る機械

最終回までの残り3エピソードについてもまとめたいのですが、語りたいことが山ほどありすぎるので少しテーマを絞ってみたいと思います。

今回は、ジローとミツ子の恋の行方について扱います。というか本作を見た以上語らざるを得ないであろう、第11話で描かれたジローとミツ子の、ロボットと人間のS◯Xについて扱います。

大きく以下の三つに分けます。

1️⃣どうやってヤったの?

2️⃣なんで少し「引いちゃう」の?

3️⃣必要なシーンだったの?

4️⃣なんでジローは去ったの?

※本記事は話題の性質上ド下ネタも含みます。但し、あくまでも最終的には本作が持つ「文学的な意味や行間」を考察するのが大目的です。ご了承ください。

 

1️⃣どうやってヤったの?

第11話「夢みる機械」で描かれたジローとミツ子の「濡れ場」は、当時中学生だった自分にとってもかなり衝撃的でした。

「...え、うそ、ヤってる…」という心の声と共に静かに戦慄しました。

その後しばらくは、直接的な描写は色々濁されていたのでそこを妄想で補完してました。どう理解したらいいかわからなかったからです。

「え、ジローって…ついてるの?」「もしかして光明寺博士がバ◯ブでもつけておいてくれたの?」「ミツ子さんが魔改造したの?」とかめっちゃ具体的なところです。

でも三十過ぎて見返した今思ったことですが、多分ジローには何もついてないんだろうなと(多分)。だからミツ子さんは自家発電に近いプレイしかできなかったのかなと予想してます。

ジローの体のどっかで擦ったんかな?ちゃんと汗タラーリしてその後ぐっすり眠ってたのでエクスタシーには達していたと思うんです。

というかですね、この回はもう最初っからミツ子さんの服装がいつもと違う超肩出しの時点でフラグが立ってるんですよ。なんか煽情的な空気がミツ子さんからずっとムンムン漂ってたんです。

もうミツ子さんは完全にジローに惚れてるっぽいんで、本当は多分これ以降もジローに沼ってたはずで、毎晩誘われてたはずだと個人的には予想してます。寂しがり屋のくせにそれを誤魔化して強い自分の鎧をまとってるミツ子さんみたいなタイプは、一回脱いでしまうともうダメですから。

だから最終決戦での「キカイダー」へのキスも純真な乙女のそれでした。本当に心からジローを愛していたのだなと思います。第1話からは考えられない変化ですが、色々な試練を経て彼女は心底ジローを愛せる女性になったのだと思います。

 

2️⃣なんで少し引いちゃうの?-萬画版との比較-

ただ、なんかさすがにSEXはやりすぎというか、ちょっと引いちゃうのは引いちゃいますよね。それってなんでかな?と。

実は最近、最終章の解釈を深めるために萬画版の1巻〜6巻までの全巻購入して読んでみたんですけど...。

とりあえず萬画版は、連載誌や対象年齢のこともあってか、やはりあくまでも「子供向け」であり、2人の関係も「のび太としずかちゃん」的な、つかずはなれず、たまにラッキースケベ♡みたいな印象でした。

少しセクシャルなシーンもあるにはあるんですが、当然濡れ場にまで発展するわけはなく、「ミツ子さんの前でジローが服を脱ぐシーンで2人して照れる」とかそんな可愛い程度です。

ただ、その後のシーンだけはヒヤッとします。

単行本第1巻のことです。良心回路を直そう、というミツ子からの提案でジローが服を脱ぎ、たまたまそのタイミングでギルの笛の音がジローを狂わせ、半裸のジローがミツ子さんに馬乗りになって襲いかかる、というシーン。

当然未遂で終わるんですが、何となくいやらしいシーンを想像させられる場面でした。このときのジローのセリフが、

「ふ...笛がきこえる!悪魔の笛が鳴っている!!おまえのやりたいことをやれと...笛がうたっている!」

という内容だったためまるでジローがずっとミツ子を襲いたがっていたかのような文脈にもなっていて少しだけエロティックなシーンでした。

但しここで重要なのは、このシーンはあくまで突発的な微エロシーンとしてしか描かれていないということです。上で「のび太としずかちゃん」的と述べた理由はまさにそれで、ドラえもんの道具でしずかちゃんのお風呂を覗いてしまう、あれと同じようなノリで、やむなくミツ子さんに襲いかかってしまう(強制性交的絵面)という程度にしか2人の男女関係は描かれず、アニメ版で見られたような本気の男女関係への進展は一切期待できませんでした。

それはその先のエピソードにおいてもずっとそうで、特に個人的に驚きだったのは前回記事でも扱った第8話登場のシルバーベア戦(アイヌ戦)でシルバーベアを倒したジローをマサルが責めるアニメのシーン、萬画版だとミツ子がジローを責めていたんですね。

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それでキカイダーは拗ねちゃって空を飛びそのままの勢いで外国まで行っちゃいます(?!)

てな感じで漫画版での2人の想いはずーっと並行線のまま、ほとんど交わることはありませんでした。

 

話をアニメ版に戻します。2人の性交シーンは、完全にミツ子さんがリードしていました。多分、そこに「少し引いちゃう理由」があるんだと思います。萬画版の例のシーンがちょっとした「お色気シーン」として成立するのは、両者の同意なく(ギルの笛という不可抗力によって)レ◯プ一歩手前のシーンが描かれたからです。

いや、レ◯プ一歩手前は言い過ぎか。ミツ子さんは着衣すら乱れませんでしたから。

いわゆる「触手モノ」みたいな、人外のバケモノに美女が襲われるジャンルって一部の人には刺さるものがあります。特殊性癖かもしれませんが「ロボット×人間」てのもアリだと思います。ただいずれにせよ重要なのは、「女性の方が嫌がっているから成立する」ということです。それでこそ我々紳士は甘美なエロティシズムに酔いしれることができます。

ところがアニメ版では、ミツ子さんが全部リードしてくれちゃいます。そうなると傍から見てる男子としてはちょっと冷めちゃうというか困るところがあるのかもしれません。人間の女性とロボットが擬似的な性交渉に至るなんて、本来ならあり得ないことだし、なんだか見ちゃいけないものを見せられてしまったような、妙な居心地の悪さみたいなものを感じてしまうのかもしれませんね。

 

3️⃣必要なシーンだったの?

ただ、ものすごくとてつもなく心に残ったことは間違いなくて(語彙力)、軽薄なテンションで見るとちょっと茶化したくもなるんですけど、考えれば考えるほどこれはアニメ史に残る名シーンだよなと思うわけです。

当時の萬画版では絶対にできなかったことを、御大の意思を継ぐものたちが本気で描こうとした結果「こうなった」ってことだと思うんです。

実際、2人のベッドシーンは実に美しく芸術的です。直接的な描写は避けつつも、2人の溶けそうな瞳と、汗ばむミツ子さんの首筋、そして挿入される闇夜に浮かぶ枝と鉄パイプのカット。これは当然、機械でできたジローと有機的な生命体であるミツ子が交わる夜を象徴的に描いたカットです。

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夢見る機械

そして枝先に輝く2枚の若葉は、夜露に濡れつつも月光に輝いていて美しい。見た目にはみっともない、「まがいもの」かもしれないけれど、2人の心には本物の愛があることを感じさせています。

筋書きとしてはインパクトがありましたが、映像としては美しく描かれていたのでその対比が私は大好きです。誰よりも本気で「機械と人間の恋」に向き合った結果生まれた名シーンだったと思います。

ここまで描く必要なかったんじゃないか?とか、場合によっては蛇足だという声もあるようですが私はそうは思いません。ジローやミツ子をあくまでも「キャラクター」として描くのであれば、もしくは子供向け漫画原作の映像化という枠を厳守するのであれば不要だったかもしれませんが、本作はその枠から飛び出して限りなくリアルに彼らの「実存」を描こうとしていたと思います。

ただ、ミツ子のジローへの愛には「依存」みたいなものもあると思います。長らくひとりでマサルを育ててきた彼女の孤独をようやく埋めてくれる男性が現れたのですから当然でしょう。だからやっぱり、一生ジローと生きていけるかどうかなんてことは多分全く考えてない。いつかもし子どもが欲しくなったとしたら…なんてこと想像もしてないと思います。でも、その浅薄さが良い。それが若さだからです。それが、樹の先に芽吹いた2枚の若葉なんです。

 

4️⃣なんでジローは去ったの?

ただ、この初夜の直後、ジローはミツ子の元を去ります。おそらく二度とミツ子らの元に戻らないつもりだったと思われます。なぜジローは、ミツ子の想いに反してミツ子の元を去ったのでしょうか?これはあくまでもアニメ版独自の展開ですから萬画版は参照せずアニメ描写を中心に考えてみたいと思います。

萬画版で描かれた二人の別れでは、アニメでも参照されたであろうヨーロッパでの療養etcもあってしっくりきましたね。アニメ版は萬画版の引用がうまい。

 

仮説1:決戦に赴くため

忘れられがちですが、例のベッドシーンは「そう見えた」だけのことであってあくまでも本来の目的はハカイダーに破壊された腕の修理です。そしてハカイダーとは腕を修理してから改めて決着をつけることを約束していました。

圧倒的な戦闘力を持つハカイダーとの再戦にはジローも差し違える覚悟で臨んだはずです。だとすれば、ミツ子を抱いても抱かなくてもジローは彼女の元を離れていたことになります。事実、初夜の直前、ジローは服部探偵事務所の2人やマサルも含めたみなの前で別れを予感させる感謝の言葉を語っていました。

 

仮説2:SEXが成立していなかったため

実は、ミツ子との性行為が描かれた第11話の次回予告(第10話にて放送)にて、彼女との初夜の感想をジローが語っています。

暗い夜空に小さな明かりが灯る。弱いけれど、温かい光を投げかける。僕を包むこの温もりは確かに本物だが、一瞬後には指の間からこぼれ落ちていきそうな儚い予感がつきまとう。そのとき僕は、幸せだった。

破壊魔

ジローのロボットとは思えないワードセンスには脱帽しますが、彼は人間が持ち得る愛の温もりと共にある繊細な儚さをも熟知していました。

ただ、一度学習したらプロの領域にまで一瞬で到達できる超高度な学習能力を持つジローです。SEXというものが本来一体どういうものかをジローは学び切っているはずです。例えミツ子が満足していたとしても自身の「不能」を自覚した、というのは勘ぐりすぎでしょうか?

萬画版には、わずかな隙間から漏れる空気の流れを感じ取って敵を探し出す描写が存在します。それと同様、アニメ版のジローの体表の神経網も非常に鋭敏なものだと思われます。アニメ版でも第1話で「人間の肌の柔らかさ」を知り、「好きだ」「なりたい」と語ったジローですから、ミツ子を抱いたときの感動はそれはそれは凄まじかったと思います。それが上記の「幸せだった」という感想につながっているはずです。

しかし(ついてるついてないに関わらず)、「男性」としては不完全な存在であるジロー、彼自身がエクスタシーに達することはないはずで、射精という、愛の一つの結実を見せることもできません。それでも「幸せだった」と語るジロー、なんてプラトニックなんでしょう。

ただ、自分では人間であるミツ子さんと連れ添うことはできない、彼女を本当の意味で幸せにすることはできない、そう知覚した可能性も十分あります。

初夜直前、星空の下でジローは

「僕は機械だ。人間のようになれない」

と語っている通り、終盤のジローは、「人間の心を持っていても、自分は結局ただのロボットである」、と自分の存在を受け入れています。

皮肉な話ですが、ジローはミツ子と愛し合ったがゆえに、ミツ子と共に生きてはいけないという事実に気がついたということです。

まさに第5話のトオルとミユキはやはりジローとミツ子の関係性を暗示していたということでしょうか。

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ただ、ジローが去った理由を考えるにあたって「ハカイダーとの因縁」や「兄弟殺しの罪」についても触れる必要があります。

そして繰り返し登場する「夢」というキーワードについても。

ここから先は最終章の記事で扱いたいと思います。

(了)

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第8話「ともだち」 / 第9話「凍る絆」感想と考察〜全話鬱回ってどういうこと〜

凍る絆

全話鬱回ってすごいアニメだよな...。

この2エピソードは別個に扱っても良かったんですが、実母の痕跡を辿る旅としてまとめられると考えて一緒に扱います。

 

シルバーベアとアイヌ

ともだち

この回はどうやら萬画版だと北海道が舞台の物語だったようですね。ただ、劇中では明言はされていないものの、関東から列車で数時間の距離で移動できる場所になっており、服部のメモに記された住所と、マサルが到着した駅の名前「森石駅」から察するに、このアニメ版では富山県が舞台になっているようです。

富山であれば小川で鮭もとれるし、ツキノワグマも少ないながらいるようで、劇中描写とも矛盾がありませんね。1クール全12話で終了するため活動範囲は限定せざるを得なかったんでしょう。

とはいえ、東京から富山まで1人で電車で移動したマサル凄いぞ。

勿論、森石駅というネーミング自体「石ノ森」をもじったものと見るべきで、実在の森石駅と名前がかぶったのは単なる偶然の可能性もあります。メモの住所自体は架空のものですからね。

そして今回登場した敵ロボット「シルバーベア」ですが、この名称自体、このアニメ版で初めてちゃんと与えられたもののようで、萬画版では「アイヌ」という名前だったようです。クウヤ、カイト、そしてクマ型のリクは、萬画版ではなんと「ア」「ヌ」「イ」で三体合体することで「アイヌ」になると。

アニメ版では合体することで「陸海空」の三位一体となることが読み取れますが、「アイヌ」の置き換えが、この地球の大自然を象徴する言葉に置き換えられるのは興味深いところです。

クウヤとカイトの衣装も、萬画版ではもっとアイヌっぽいものでしたがアニメ版では少しその意匠が緩和されているようです。さすがにそのまんま「アイヌ」という名前では放送コード的にも問題があったんでしょうね。

https://www.sonymusic.co.jp/Animation/Kikaider/inta/column/1213.html

↑スタッフブログ見てたらやっぱりそうでした。

加えて、キカイダー連載当時よりも以前に石ノ森章太郎はアイヌの歴史を掘り下げる作品を書いていたようで、アイヌの歴史に対して何かしら思い入れがあったのではないかと思います。特に、ともだちになれると信じていたのに、争い合うしかない運命に巻き込まれていく悲劇的な彼らの姿は確かにアイヌ民族とオーバーラップする部分があります。

 

ともだち

今回のエピソードってめちゃくちゃシンプルなお話に見えて実は結構複雑なんですよね。

確かにマサルは、キカイダーがいるところまでの案内役として「利用された」のは間違いないんですけど、クウヤたちに会えなかったらマサルは山奥で遭難していた可能性はあったわけで、小学生の男の子が夜の山を1人で歩けるとはとても思えないし、確かにその意味ではマサルにとって彼らは「命の恩人」です。

冷静に俯瞰している我々視聴者からすれば、キカイダーがシルバーベアを倒すのは当然のことだし、何よりクウヤたち自身が「場合によっては光明寺の娘たちも殺す」とまで明言していて、マサルに対しても殺意むき出しだったことも考えると、最後にマサルが「殺さないでって言ったのに!」ってキカイダーを非難したシーンは「マサルお前アホか」ってなっちゃうんですけど、そもそもマサルがこんな山奥まで遭難覚悟で1人やってきたのは「ミツ子に約束を破られて置いてけぼりにされてしまったから」なんですよね。だから感情的になってジローに当たってしまうマサルを一方的に非難するのはちょっと酷だなと。繰り返しますけど、こんな山奥を小学生が1人で日没まで歩いてたら間違いなく遭難して死んでます。クウヤたちに会えなかったらマサルは死んでたんです。

だから、ジローに会うまでのマサルとクウヤたちの間には紛れもなく「利害の一致」がありました。マサルはその瞬間をもって「ともだち」と認めたのです。だけどロボットであるクウヤたちには「ともだち」という概念が理解できない。何よりも「命令が絶対」だから、マサルのことよりも命令の遂行を優先してしまう。その結果、今回のような悲劇が起こってしまった。

 

死角がない

過去の記事から繰り返し述べているように、私はギルが言う「キカイダーは心(良心回路)を持ってしまったから不幸なのだ」という考え方は否定しにくいものだなと、だから「ロボットはいっそ心を持たない方が楽で幸せなのではないか」と内心思っていました。

が、今回のエピソードでは「ロボットが命令に従順であったとしても幸せになれるわけではない」ということを描いています。これは本当にお見事だなと思います。全12話1クールのアニメですが死角がない。

第1話〜第4話では、「良心回路を持ったがゆえに苦悩するキカイダー」をじっくりと描いてきましたが、第5話では、「同じ人間同士愛し合っていても共に生きていけるわけではない」ということが描かれていました。

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第6話と7話では、ミツ子を中心に「人間に生まれたとしても皆が愛されて生きているわけではない」ということを描いていました。

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次いでこの第8話では、これまで深掘りされてこなかったダークのロボットに焦点が当てられました。一言で言えばそれは「命令通りに動くロボットの悲劇」でした。

そして第9話では「命令通りに動く人間の悲劇」を描いています。

 

凍る絆

タバコ取り出した千草こえーよ笑

直前まで優しい母親を演じていましたが、彼女の目線と滲む汗からしてミツ子の飲み物に毒物を入れていたのは間違いありません。彼女に課せられた使命は「ジローの目の前でミツ子を殺害すること」でしたので、ジローが席を外した時点で失敗だったということになるのかな?とは言え手口がまさに「スパイ」ですね。ガチで殺しに来てます。

調べたところによると、萬画版では千草とミツ子の再会は描かれなかったようですので完全にアニオリ展開のようですね。ですが本当今回もシナリオと演出がお見事でした。普通アニオリ展開って失敗するのが通例なんですけど笑

特に「千草が持つ紙袋」には彼女が抱える複雑さがギュッと詰まっていましたね。

紙袋には「ギルの命令を遂行するための冷たい拳銃」と「息子の足を温めるための長靴」が入っていて、これはまさに「命令であればどんな残酷なことでもしてしまうスパイとしての顔」と、「愛する子どもを想う母親の顔」の両方の間で揺れる彼女そのものの象徴でした。

なんかあくまで本筋の縦糸を動かすだけのエピソードかなぁと思って見てたら、ちゃんと作品としてのドラマ的なテーマがあって本当に「面白いなぁこのアニメ」って思いました。上述の通り、今回は「命令通りに動く人間の悲劇」を描いた一編でしたね。

今まで散々、命令通りに動くロボットの怖さと命令の怖さを見てきたので油断してましたが、よく考えたら命令通りめちゃくちゃ残酷なことしちゃう人間ってのもいるわけで、このアニメ、見れば見るほどロボットと人間の区別を曖昧なものにしてくるから本当凄いな...。いやしかし、愛したギルのためとはいえターゲットの男と結婚して子ども2人産まされて挙句その娘を殺しにくるなんて無茶苦茶すぎます。ギルがいかに利己的な人間かが改めてはっきりしましたね。

 

死んでいく半端者たち

ミツ子に引き金を引くことができなかった千草は自死を選びます。やっぱり彼女も本作に色々な形で登場する「半端者」の1人だったようです。なぜ彼ら半端者は生きていけないのでしょうか?なぜ最後には死んでしまうのでしょうか?

それは「居場所がないから」かもしれません。半端者たちは皆何らかの罪を犯した者たちです。異界の「罪人」に世間の風は冷たく、同時に異界からは「裏切り者」として命を狙われます。彼らは常に表の世界と裏の世界の境界を綱渡りする存在です。そんな細い細い不安定な綱の上にしか、彼らが生きられる世界はないのです。

裏を返せば私たち人間って居場所がないと生きていけない存在なのだと思い知らされます。五体満足で健康であるとか毎日食うに困らないとかお金が余るほどあるとかでも実は生きていけないってことなんです。私たちにとって一番大切なことは、自分がただ生きていることを認めてくれる人たちが身近にいるか、ということなのかもしれません。

 

涙に怯えるギル

そして今回のもう一つのハイライトが、涙を流すジローです。

大切なミツ子さんに銃が突きつけられた瞬間、感情が昂ったジローの目に涙が溢れる...!非常にドラマティックな場面でもあるわけですが、同時に「ジローが命の重みを理解し始めている」という点が、最終回に向けてめちゃくちゃ重要な伏線になっているようですね。もうここまできたら面白すぎて最終回まで一気見しちゃいました。

そしてこのジローの涙に最も驚き、恐怖していたのがプロフェッサー・ギルです。

ギルって本名のギル・ヘルバートを名乗っていた頃は身なりも良くてかっこいい紳士感あったんですけど、ダーク本部で笛吹いてるギルは完全にやさぐれ切って顔もやつれて不気味な恐ろしい「怪人」と化してます。ただ、そんな恐ろしい姿をしているギル自身が実は一番「怯えている」みたいですね。

ゴールデンバットも言っていた通り、人は「わからないものを恐れる生き物」です。キカイダーは本当にギルの理解を超えた存在になってしまいました。ただ、ちょっと気づくのが遅いというか、多分キカイダーへの恐怖に取り憑かれて冷静な判断ができなくなっていっているんだと思います。その結果、どんどん味方を失っていっていますよね。

ゴールデンバットは命令を無視してミツ子をかばい死にました。千草は長年連れ添った愛人ですが実の娘を殺すという狂気の命令は流石に遂行できずギルを裏切りました。そしてハカイダー、こいつも非常に怪しい。今回はサソリホワイトをハカイダーに破壊されています。

キカイダーの破壊を「お前に任せる」の一言でハカイダーに依頼してましたが、プロセスを明確にしなかったが故に舐めプを繰り返すハカイダー笑

多分ギル様はchatGPTとかうまく使えないタイプだと思います。自分の成し遂げたいことを確実に遂行させたいならもっとプロンプトを詳細かつ具体的に入力しないと笑

キカイダーって最強のライバルであるハカイダーとよく対の存在として語られることが多いですけど、本当はキカイダーはギルと対の関係にあると思います。キカイダーが人間に近づけば近づくほど、ギルは人間性を失っていっているんです。

 

いよいよ次回は最終エピソード三篇を扱います。

今もずっと考えています。ジローはなぜ最後...。うまくまとめられるかな〜

(了)

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人造人間キカイダーTHE ANIMATION 第6話「負の断片」 / 第7話「悲の残照」感想と考察〜変身しないヒーロー〜

非の残照

「キカイダーは、やつはお前さんを愛していると」

今回は、話が大きく動いた二篇「負の断片」「悲の残照」を振り返っていきます。

 

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ゴールデンバットの語る悲劇

負の断片

ゴールデンバット、いいですね〜。ものすごく饒舌にジローが置かれている状況を説明してくださる。というか、私が前回までの感想記事で書いてきたことと本当ピッタリ重なる内容を語ってくれたので「答え合わせ」になってめちゃくちゃ嬉しかったぞ。

キカイダーが良心回路を埋め込まれたことで命令に対する選択権を持ってしまったこと、そうして人間のような心を持てたのに、機械でも人間でもない中途半端な存在となった結果、人間からは忌み嫌われ、ロボットからは命を狙われる存在になってしまったこと...そして、人間を愛してしまったこと。これを悲劇と言わずして何と言うのか。

「嗚呼、可哀想なジロー慰めてあげるわ、私たちはいいお友達よ〜、でもそれ以上は近づかないで〜」

ここのゴールデンバットの一人芝居によるミツ子さんへの精神攻撃は声優さんの名演技も相まって非常に見応えがあります。少し茶化した芝居で見せてるけど、ミツ子さんの図星をもろにえぐってるから、思わず涙が溢れたんでしょうね。ここでミツ子さん泣かすシーンはすごい迫力ありましたわ。

きっと、まだ彼女の中でジローの存在が理性的に認められていないんだと思います。「彼はロボットなんだからそんな感情を抱けるはずがない」って認めたくない自分もいるけど、それを他人から言われると納得できなくて苦しいんです。しかもそんなミツ子の心の中にあるジローへの「想い」を「同情」と切り捨てられたから辛い。

「人間と機械の間で同情が愛に変わることなどあり得ないからだ!」

「人間でも機械でもない辛さは、他の誰にも理解できない。」

ゴールデンバットが語る、「良心回路を持った人造人間の悲劇」にはものすごく説得力があります。そして、「こんな可哀想な思いをするならそんな回路埋め込んじゃダメでしょ」ってのはプロフェッサー・ギルの考え方でもありますし、否定もできないんですよね。いっそ、心なんかなければ悩むことなんかないじゃん、というのはその通りだと思います。

でもそれってよく考えたら生命の尊厳を否定する発想そのものでもあるんですよ。

この理屈が通るなら、人間だって心を持っていない方が幸せってことになっちゃうからです。だからギルの考え方はものすごく危険なわけです。

これがSF作品の実に面白いところです。日常からかけ離れた架空のSF世界のお話なのに、作品を深掘りすればするほど、私たちの日常にある「人間」がかえって浮き彫りになってくるんです。

あ、ちなみに「ゴールデンバット」って、御大の駄洒落センスはやっぱりすごいなぁ〜笑

黄金バット

黄金バット

  • ミスター・黄金バット
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あと毎回言ってるけど声優豪華すぎな笑

 

ミツ子の勝利

「人間みんなが幸せだと思ってるの?」

そうなんです。その通りですミツ子さん。

前回の記事でも扱ったように、別にジローとミツ子の恋だって人間同士だったら必ず実るわけでもないし、トオルとミユキを見てもわかる通り、普通の人間がみんな幸せなわけでもないんですよ。真っ当な人間として心を持って生まれた人間だって、みんな愛されて幸せに生きてるわけじゃないんです。

それを、自分は「ギルのスパイの娘」だったと知ってしまったミツ子さんに言わせるのがすごい。改めてこのエピソードもシナリオが本当にお見事。縦糸の謎を明かしつつキャラクターの葛藤をドラマに昇華させている。

そして改めて見て思いましたけど、今回ゴールデンバットを倒したのはミツ子さんです。いや厳密に言えばギルの悪事を突っぱねたのはジローでもキカイダーでもなくミツ子さんでした。相手が良心回路を持ったロボットだったとは言え、彼女は紛れもなく人間としてロボットに勝ったと言えます。

これは、オレンジアントの前に立ちジローを庇った第4話からの彼女の成長の帰結です。非力なはずの人間が、ロボットを操る人間の悪意と暴力に打ち勝ったのです。

いやしかし前回も触れた通り、人間でもロボットでもなく、キカイダーにすらなれなかったゴールデンバットは究極の「ハンパモノ」であり、やはりトオル同様そんなハンパモノは悲劇的に死ぬしかないということでしょうか。

 

ギル・ヘルバートの狙い

今回の舞台が旧光明寺邸であること、ギル配下のロボットでおそらく唯一良心回路を持っているゴールデンバットが刺客に選ばれたこと、最初にミツ子をさらったこと、全てギルの考えた作戦だったのでしょうね。

光明寺博士が開発した良心回路を持ったロボットが、どれだけ苦しみ不幸な目に遭うかを、光明寺の娘に思い知らせること、それこそがギルの狙いだったのでしょう。そうして、命令の拒否権をもつロボットの存在を否定させたかったのだと思います。

そもそも、光明寺の一人息子であるイチローを殺し、精神的に絶望の淵に叩き落としたところに美人秘書を連れて現れ、「資金援助しますよ」と囁くこのギルのやり方、人間の心を本当によくわかっていますよね。これってものすごく大事なことで、本当に悪い奴って、人の心がよくわかっているんですよ。人間の心をよく理解してないと、悪いことってできないんです。

 

変身しないヒーロー

今回、ミツ子さんの前で本当に最後の最後まで変身しようとしなかったキカイダー。

第4話「鏡」以降ミツ子さんにキカイダーとしての姿を見せたくないと思い始めたジローですが、これとよく似た展開が「仮面ライダー」の第7話にも見られます。「ルリ子さんの前では変身できない」という本郷猛の葛藤がほんの一瞬ですが描かれました。

私はこういう石ノ森ヒーロー特有の「苦悩」が大好きです。

本来、変身シーンというのは作中の「花形」とも言える一番輝くシーンのはずです。実際、ヒーローに憧れる子どもたちの多くはそのシーンを真似て遊ぶし、そのために変身アイテムを親にねだって買ってもらう。一番子どもが目を輝かせて見ているはずのそのシーンが、実は一番本人にとっては苦痛である、という逆説的なロジックが本当に面白いなと思うんです。

「自分もキカイダーみたいな強いロボットだったらな〜」とか「自分も仮面ライダーみたいな改造人間になってみたいな〜」って誰しも一度は思ったことあると思うんですけど、それを作品のドラマが全力で否定してくるんです。はたから見たらカッコイイ!スゴイ!って思えることが、本人にとっては「コンプレックス」なんです。

こういう、「なりたくないのになってしまった」ヒーローは昭和特有の見せ方で、ギリギリ「クウガ」くらいまでかな〜という感じですが基本的に平成以降は「自分から首を突っ込んでいく」タイプというか「自分にできることを頑張る」タイプが多くなるのでそういう「暗さ」みたいなものが鳴りを潜めていくわけですが、本作でジローがストレートに見せてくれるこの石ノ森イズムMAXの葛藤を、2000年のアニメでやってくれたことが本当に嬉しかったですよね当時から。

 

ようやくミツ子さんの元に帰って来れたジロー!と思ったら何やら次回予告がものすごく不穏なんですけど大丈夫ですか笑

(了)

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