これまで第1話からずっと振り返ってきた「人造人間キカイダー THE ANIMATIION」もいよいよ最終章です。
最終章たる第10話〜12話はあんまり分けて語れないなぁとも思ったので一気にまとめていきます!但し第11話の「例のシーン」だけは個別に扱っています。
この内容も含めて考察を進めていきます。
ジローはなぜ去ったのか?
20年以上前、このアニメが最終回を迎えた後、私の頭に強烈に残ったのがエンディングのミツ子さんのワンピース姿でした。こんなに美しい最終回ってなかなかないと思います。本作はミツ子さんの美しい姿で終わるんです。ここ、めちゃくちゃ大事。全てのアニメ作品で一番好きな終わり方。
暗い影を背負った孤独な女性・ミツ子さんは、あんなに美しい女性に成長して幕を閉じるんです。キカイダーと言えば、「あの夏の日のミツ子さん」というイメージが鮮烈に残っています。
ただ、それと同時に、一人静かに消え去ったジローの背中も忘れられません。あの暗く寒々しい森の中へとジローは消えていくのです。
ミツ子の住む家には夏が来ました。ずーっと薄ら寒い雰囲気が漂っていた本作に初めて差し込んだ爽やかな陽光がミツ子さんのラストシーンには詰まっていて、「長い悪夢」が終わったような明るさに満ちています。
それに対してジローが歩く森には明るい陽光が差し込んでいません。彼はまだ、本作の「悪夢のような冬」から抜け出せずにいるんです。
さぁここに、考察すべき本作の「スキマ」が存在します。
第1話から摩擦を繰り返してきたジローとミツ子の関係は、第7話を過ぎる頃には恋仲として完成し第11話で頂点を迎えます。最終決戦を前にミツ子は「私、待ってる」と愛を込めて伝えましたが、ジローは帰りませんでした。
え...なんで?!
そのことを本作は一切説明しません。ですがちょっとした映像と演出から類推することはできるかもしれません。
そしてそんな本作のたどり着いた「末路」にはものすごく濃厚な石ノ森イズムが溢れていて、それはきっと私が本当に見たかった「シン・仮面ライダー」の一つの形なのだろうなとも思います。というわけで「シン・仮面ライダー」にも触れつつ語っていきたいと思います。
「夢みる機械」の捨てた夢
第11話「夢みる機械」と第12話「夢の末路」には共通して「夢」という言葉が登場します。しかし、本編には「夢」の話とか一切登場しません。但し、制作のブログにはしっかりとそのことが記載されていました。
https://www.sonymusic.co.jp/Animation/Kikaider/inta/column/0115.html
...読んでもあんまり意味がわかりません(笑)
と思ったら、なんと次回予告ではジローの言葉でハッキリと「夢」について語られていました。最終回の予告を文字起こししてみます。
これは夢なのか?夢ではない。僕は目覚めてるのか?わからない。夢だとわかっていても、今この出来事は現実。目覚めることなどありはしない。僕は、この悪夢を生き続ける。
本作は演出で魅せる作風が魅力ではあるものの、実は次回予告が最も雄弁に作品テーマを語っていることが多い。
んー、ここでは「夢」は「夢」でも、眠っている間に見る夢を指しているようですが、スタッフブログでは未来方向への意志や希望を意味するいわゆる「将来の夢」のことも語られていました。どうやら本作には両方の「夢」が描かれているようですね。
では、ジローが望んだ「夢」とはなんでしょう?それはおそらく、作中でも繰り返し語られてきた「人間になる」ということだと思います。それを彼が夢見ていたことは、第1話の彼の台詞から考えれば違和感のないものですし、本作が童話「ピノキオ」を下敷きにしているなら増して疑いようのない事実だと思います。
ただ、本作が実に素晴らしいのは、ジローは「人間になりたい」という夢を抱きながら、その夢を自ら捨て去って終わる、というところです。
あぁ〜暗いな〜好きだなぁ〜笑
ではなぜジローは人間として生きていくという夢を捨ててしまったのでしょう?
現実は悪夢
ジローが夢を捨てざるを得なかった要因のひとつとして、ミツ子さんと愛し合ったことで改めて「自分は人間と子どもを作ることはできない=幸せな家庭を築くことはできないという現実を知覚した」可能性について前回の記事で触れました。
ただ、ジローはミツ子さんを抱くまでもなくそのことを十分に理解していたと思います。初夜の直前、星空の下でジローは
「でも僕は機械だ。人間のようにはなれない」
と悲しい自嘲の台詞をごく自然に吐いています。この時点でジローはすでに人間になるという夢を諦め始めていたことがわかります。
やはり本作を理解する上で重要なのは「現実は悪夢である」という考え方です。
そしてジローを苦しめる「悪夢」の正体を一言で言い表すならそれは「ジローはダークの兄弟ロボットたちと戦い続けなければならない」という現実です。
その何よりの証拠が、最終話で大量のロボット軍団をたったひとりで全滅させたキカイダーの手のひらについた血です。
「僕の手はもう何人もの兄弟の命を奪った、血塗られた手なのだから」
当然相手はロボットなわけですから血なんか流れるわけがありません。だからこれはジローが見た幻覚(もしくは演出)なんですけど、これはジローが「命」を理解した(第9話〜)、すなわち「殺し」を自覚したことを意味しています。
ジローは、命を奪う感覚をその手に痛いほど感じる人間の心を持っています。ですが同時に、自分は望まれてこの機械の体に生まれたことも自覚している。
この兄弟殺しの苦しみを一身に背負いながら戦い続ける以外に自分の生きる道はないことを、彼は深く深く知ったのだと思います。
だから、ミツ子さんとは決別した。彼女はそんな悪夢とは無関係だからです。
んー、めっちゃ石ノ森節だし仮面ライダーぽいね〜いいね〜!
人間になりたいという「夢は美しく」、しかし人間の心を持ったが故に、「現実は悪夢」なのです。
ハカイダーと悪夢
「お前は兄弟であるロボットを破壊するために作られ、それを実行した!」
ジローに「お前は兄弟を殺すために生まれてきたロボットだ」と教えた(というか突きつけた)のはハカイダーことサブローです。彼のセリフを引用します。
「俺はアイツの「良心の枷」とやらを取り外してやろうと思ってる。あいつは自分でも抑えきれぬほどの怒りに身を任せたとき、必ず最大限の力を発揮するはずだ」
よくよく聞くとサブローは自分の行動の意図を語りながら、最終回に向けてのフラグを立てまくってくれていました。
そうしてサブローはジローの良心回路を外部から徹底的にいたぶりまくりました。そんな外部からの刺激に対して良心回路がどう影響を受けるか?についてはミツ子の回想の中で光明寺博士が以下のように語っていました。
「単純な遺伝的プログラムの応用じゃない。暴走の危険性を回避するための特殊な枷をつけるのだ。人間の良心のような、それ自体も進化し、成長する枷を」
「成長って、外部の影響を受けながら?」
「そう。その影響を受ける許容範囲をどこまで広げるか。広げすぎると感情が必要以上に発達する。感情が歪に成長すると、その枷が解かれてしまう可能性もある。そのバランスが問題なのだ」
このセリフ自体が終盤に向けた見事な「フリ」だったわけです。
第10話「破壊魔」はそれ自体が伏線回だったとみることもできます。このエピソードで破壊行為を強要されたジローは「絶望」を学び、いびつに「成長」してしまう。タイトルの「破壊魔」はハカイダーではなくキカイダーを指しているであろうところが本作らしいひねりのきいた面白いところ。
そして見事「枷」が解かれてしまったのが、最終決戦の「赤い目のキカイダー」です。ただ同時にミツ子さんによって育まれた優しい感情もそこには存在しています。
ジローは、大切な人を愛する優しい心を持ちながら怒りに任せて兄弟を惨殺できる凶暴さをも兼ね備えた、まさに究極のアシンメトリー(不均衡)になったわけですね。
クウガみたい。
サブローが確信犯的にジローを追い詰めることができたのも、おそらく頭部に繋いだ光明寺博士の脳から得た知識によるものだと思います。ギルもそのことに勘付いていたようですね。ただ、逆にサブローの意識がだんだん光明寺に乗っ取られていった結果第11話の終盤に繋がったのでしょう。
サブローは、ジローを「ロボットの世界」に引き込む存在です。それに対してミツ子さんはジローを「人間の世界」に引き込む役割を担っていました。
やはりハカイダーはキカイダーの「対」ではありません。ハカイダーはミツ子と対になっています。キカイダーの「対」はプロフェッサー・ギルです。
ミツ子さんを抱いた夜、眠る彼女を置いてジローはハカイダーとの決戦に向かいました。ジローはミツ子を、人間として生きる道を捨て、ハカイダーとの決着を、ロボットとしての生き方を選んでいたのです。
朝もやの中、ミツ子さんとの別れを決心したその表情と、サイドマシーンで走り去るジローの姿が、すでに最終回を暗示していました。
アニメーターの生き地獄
萬画版も購入して全巻読んだんですが、よくあの萬画版をここまで渋くまとめ上げたなぁと本当に心から感心します(笑)まさしく本作は、今風に言うところの「シン・キカイダー」でした。
人間の心を持ちながらも、悪と戦う無敵の肉体を持ってしまったが故に人間として生きていくことは叶わず、愛した女性との未来を諦め、一人孤独に生きていくしかない男の悲運。
それはまさに私が「仮面ライダー」に求めているものとも見事合致していました。
そりゃちょっと厨二病だよなとは思いますよ。でもそういう厨二病的ナルシシズムの結晶みたいなものこそ石ノ森イズムであり仮面ライダーでありキカイダーだと思うんです。そしてそう思うようになったのは、もしかしたら多感な時期に見てしまったこのアニメのせいかもしれないんですよね(笑)
ところで、さっきも紹介したスタッフブログについてもう一つ思うことがありまして...
https://www.sonymusic.co.jp/Animation/Kikaider/inta/column/0115.html
ちょっとした邪推が許されるなら、本作の制作スタッフの「産みの苦しみ」そのものが「ジローの生き地獄」と重ねられてるんじゃないかな?って気がするんです。
本人も書いてる通り、アニメ制作って夢の詰まった仕事なんですけど、実際の仕事そのものは悪夢のような地獄の連続で、しかしその業界にいる彼らはそんな仕事をやめられない=悪夢からは一生抜け出せない。まさに「夢は美しく、しかし現実は悪夢」なんです。
これはアニメーターに限らず、全ての職業において言えることだと思います。
ダークのロボットと戦うために生まれたジローは一生戦闘マシンとして生きていくしかないように、アニメーターの夢を叶えた人間は、しかし一生アニメーターとして生きていくしかない。華々しい夢を叶えた者は悪夢にうなされ続けて生きていくしかない。まさしく、夢とは呪いなのです。
「555」のあの回を思い出しますよね。
そう考えてスタッフブログを読み返すと結構しっくりきます。ちょっとした文章の端々からも納期ギリギリだったり制作体制が崩壊寸前だったことは容易に読み取れますから(笑)
事実、スタッフが一部入れ替わっているとは言え続編として制作された「キカイダー01 THE ANIMATION」は作画崩壊しまくってましたからね。作画崩壊なんて言葉知らなかった当時の自分でも、この絵大丈夫か?と思いながら見てましたから(笑)
(了)